夏休みは自由で楽しいけれど憂鬱だ。
幼馴染みの勝利の家には、毎年お盆になると従兄がやってくる。
努(つとむ)兄ちゃんは都会に住んでいてここらにはちょっといない雰囲気を持っている。
明るくて少年漫画が大好きで、小さい頃からうちにもよく漫画を借りに来ていた。
(うちは漫画大好きなパパのせいで近所から漫画御殿といわれている。恥ずかしい)
(閑話休題)
――問題はひとつだけ。
努兄ちゃんは世間で言うところのロリコンというものらしい。
ゆえにあまり深くかかわってはいけない。
特に、年齢の割に背が低くて大人の体型になるまでもう少しだけかかりそうな、あたしなんかの場合にはなおさらだ。
*
「愛ちゃーん。ごろごろしていないで、紫蘇の葉っぱ、お庭から取ってきてちょうだい。」
ママが最近倉庫から出してきた「ベルサイユのばら」を読んでいたら
すごくいいところでお手伝いを頼まれてしまった。
あんまりだ。
今まさにアンドレがオスカルと乾杯しようとするところだったのに。
抗議したけれどダメだったので、悔しい気持ちのまま裏口からサンダルを履いて表に回った。
6時の空はまだ明るい。
芝生には夕立のにおいが残っていた。
庭のはずれにある小さな畑に屈んで何枚か葉を摘んでいると、すぐ近くから二人分の声がした。
隣の男の子たちが、ちょうど草むしりをしているようだ。
「……んー」
うううん。
勝利だけなら声をかけるのだけれども。
高い位置で二つ結びにした髪が夜風に揺れて、庭が騒ぐ。
まあ努兄ちゃんはちょっと変だけれど悪いお兄ちゃんでもないからいいということにした。
今年こそ復讐気分にならずに爽やかなお隣の妹を演じきってみせよう。
我が体型の名誉にかけて。
「ふったりともー」
低い柵の前まで草を踏みしめていき、隣の庭を覗く。
勝利は声をかける前に気づいたのか、軽く手を上げて合図してきた。
相変わらず腹が立つほど背がでかい。
「よ。ばんは」
「こんばんはー。手伝いしてんの?」
「おおお愛じゃないか久しぶりだなーもう十四歳かー!」
努兄ちゃんは瞬間的に立ち上がってこちらに来て私の頭をなではじめた。
早い。
顔はかっこいいのであまり嫌な気分ではないけれど身長差がありすぎていやだ。
黙っていると撫で回されながら覗き込まれてニコニコ笑われた。
うああ。
嫌な予感がする。
「つ、努兄ちゃんは、受験なんでしょ。いいの?こっち来てても」
「俺は頭いいからオー・ケーなのよ…いやしかし」
勝利が後ろで立ち上がっているのが見える。
遅い。
対応が遅い。
じろじろと胸の辺りを眺められて首を満足げに振られ溜息をつかれ、
既に次の言葉がすごくよく分かってしまったので勝利が止めるのも間に合わないと思う。
「愛はやっぱり可愛いなあ。
いくつになっても体型は ぜ ん ぜ ん 変わってないようで何よりだ!」
「……う、」
「背もそろそろ止まったのかな?うんうん、いつまでもそのままでいろよ!」
「――うるっっっさあああい!!!!」
近所中に響き渡る声で怒鳴ったので窓からお母さんと弟の友と向かいのおじいさんと
勝利のお父さんが顔を出して斜め向かいの今の電気がついたけどそれどころではない。
やはりこのロリコンで無礼な顔だけ兄ちゃんには十年来の復讐をッ!!
と力いっぱい助走しつつ塀を乗り越えけたところで勝利に額を押さえられて止められた。
じたばたしてもダメで力ではどうしたって敵わない。
左ジャブもよけられた。
悔しい。
「もう!ちょっと放」
「まったく。毎年よくやるよな」
「放しなさい勝利!勝利は馬鹿にされてないから分かんないのよ!」
「いやァ馬鹿にしてるわけじゃなくて誉め」
「努兄ちゃんは黙ってて!!こ、これでもあたしだって、先輩にデート誘われたりしたし、
映画だって行ったし。
…ぜ。ぜんぜん子供ってわけじゃないんだからっ」
涙が出てきた。
今年はそんなこともあって、ちょっとくらい女の子らしくなれてるかなとか、自信もつき始めてたのに。
そりゃあ誘ってくれた先輩のことが好きかどうかはまだ分からなくて、
せいぜい一緒に帰るくらいでまだお付き合いしたりとかそういうことはしてないけど。
でもいつも悠々としている勝利に威張れるくらいには大人になったかなって。
「泣くな泣くな」
ぽんぽんと同い年の幼馴染みに頭を叩かれて無性に悔しかった。
「泣いてないわよ」
紫蘇の葉っぱを握り締めて睨むと溜息をつかれた。
努兄ちゃんは何も知らない顔でずっと向こうまで逃げ出している。
……お母さんに怒られそうだし、もう何も無かったことにして手伝いに戻ろう。
悔しいけど。
勝利に慰められてずれた髪を結びなおして、紫蘇を摘みなおして家に入る。
なんとなく漫画の気分じゃなかったので夕飯の準備をたくさん手伝った。
梅のそうめんだった。
友が日焼けした手であたしの分まで食べていたのでお箸で叩いてテレビを見る。
8月ももう下旬、と天気予報で言っていた。
お盆休みもそろそろ終わってしまう。
シャワーのあと、縁側でお母さんと涼んでいると勝利がビニール袋を手に提げてうちにきた。
お隣からのアイスのお裾分けだった。
お母さんがお礼のお惣菜を取りにに台所まで戻っていく。
ビニール袋を覗き込んでちょっとだけ笑った。
あたしの好きな6本300円のミルクアイスだ。
「ありがと」
「や。兄ちゃんのアレ、あんま気にすんなよ」
「別に。気にしてないわよ」
濡れたままおろした髪をいじって、みえみえの嘘をつく。
「そんならいいけど」
笑った声が見透かされているのもいつものことだ。
隣の家に帰っていく幼馴染みを見送りながら、夜の雲を眺めてアイスをかじった。
虫が縁の下で鳴いている。
そう、毎年こうなんだから呆れもする。
お盆のたびに隣の兄ちゃんに馬鹿にされて、泣き出して、勝利があとから慰めにやってくる。
いつかは「成長したじゃないか」って初恋のお兄ちゃんを驚かせてやりたいと、心の底で思っていたこともあったけれど。
まあ驚いたとして、努兄ちゃんは顔だけの変態ロリコンだから別に喜んではくれないんだろう。
まあいいのだ。
あたしだって好意とからかいの区別がつくくらいにはなんとか成長してきている。
それに対して闘う女の子の意地は、小学生にだって中学生にだってあるものだ。
そこまで考えたら漫画の続きを読みたくなって、ビニール袋を手に提げたままあたしは縁側に立ち上がった。
終