[Faithful-one]  
 『忠実なる者』の意。  
 男性使用人、女性使用人に共通する唯一のクラス。主な役職は『主の護衛』。使用人とは本来『屋敷』であり『家系』に仕えるものであるが、そのなかでフェイスフル・ワンは主を守るために戦う使用人である。  
 『使用人に関する国際的な枠組み条約』第十三条『フェイスフル・ワンの特権および義務』の項目において、制限付きではあるものの様々な特権が与えられている。  
 例えば、武器類の所持および使用。大量破壊兵器を除き、銃、剣などの子細を問わず。  
 例えば、正当防衛の適用の拡大。主に厄災を為す者には、死を与えることすらも厭わず。  
 ありとあらゆる手段を用い、主に降りかかる厄災を振り払う。それがフェイスフル・ワンの職務である――  
 
 
1  
 
 湿った風が吹いていた。  
 陽は既に傾きかけ、この狭い路地にはほとんど光が差し込んでこない。それでも僅かに漏れこんだ光が、  
路地を頼りなく照らしている。  
 そのオレンジ色の光の中を、二つの影が動く。  
 奇妙な組み合わせであった。後ろを行く少年は、まだ幼さの残る顔に緊張を貼り付けて走っている。広葉樹  
をあしらったワッペンのついた紺のブレザーに赤のネクタイ、長ズボン――界隈では有名な進学校である『私  
立照葉学園』の制服を纏う彼は、恐らくはその学園の帰りなのだろう。前を行く女の手を取り、懸命に後をつい  
て走ってはいるが、どちらかといえば華奢なその体は今にも崩れ落ちそうになっている。  
 対して、前を行く女は無表情であった。左手に少年の手を、右手に長い棒のようなものを握り締めながら路地  
を駆ける。巻き上がった風にショートカットの銀髪が揺れ、両サイドに結ばれている緑色のリボンがはためいた  
が、それは彼女の走る速度から考えればあまりにも慎ましやかだった。  
 何事も慎ましやかに。目立たず、でしゃばらず、しかし影で主をしっかりとお支えする……  
 彼女はメイド・サーヴァントである。足首まで隠れる黒いエプロンドレス、皮の編み上げブーツ、白いフリルの  
ヘッドドレスと、彼女を万人が見れば万人がメイドとして認めるだろう。  
 ただ、その右手に持っているものさえなければ。  
「……」  
 女はその形の良い耳をぴくりと動かした。自分たちのものではない足音が、後方からじりじりと迫ってきている  
のが分かる。  
――追っ手だ。数からすると、恐らくは3人以上。追撃を撒こうとわざわざ裏路地に入ったのに、それほど効果  
を示さなかったらしい。  
 振り切ることができるか? 一瞬の思案の後、女はその自問に『No』と答える。背後からは少年の荒い息が響  
いている。彼を連れている以上、これ以上は速く走れまい。  
 ならば抱きかかえて逃げる? それも『No』だ。軽いとは言え少年を抱えて逃げおおせられるほど、追っ手も愚  
鈍ではあるまい。  
 ふぅ、と息を吐く。自分たちに『逃げる』という選択肢はない。自分一人なら逃げることも撒くこともできるだろうが、  
少年がいる時点でその選択肢は潰されてしまっている。  
 ならば……  
「マスター」  
「……ぁ、はぁ……え、ユエル?」  
 ざ、と女はブーツを鳴らして立ち止まった。  
「ユエル!」  
 少年が驚きの声を上げる。女――少年にユエルと呼ばれていた――はそれに頓着せず、繋いでいた手を離し  
てきびすを返す。  
 それだけで少年にはユエルの意図が分かったらしかった。我知らず、ごくりと唾を飲み込む。  
「戦う……の?」  
「はい」  
 簡潔に、しかし力強くユエルが答える。その様を見て少年はいくらか落ち着きを取り戻したようだった。いや、単  
に覚悟が決まっただけかもしれない。  
 深く息を吸い、吐いて、顔を引き締めた。  
「そう……だね。僕はどうすべきかな、ユエル」  
 即答した。  
「ここは戦場となります。急ぎ離脱を。いざという時に私が救援に向かえるよう、ここから離れすぎない場所で待  
機してくださいませ」  
「僕に出来ることは、ない?」  
「今のところは御座いません。お心遣いに感謝します」  
「……そう」  
 短いやり取りだった。今までに何度と無く繰り返したやり取りでもある。  
 言うなれば、これは儀式のようなものだった。自分が非日常に置かれていることを確認し、相手に自分の命を  
委ねる為の。  
 少年はこの儀式を経る度に思う。自分のなんと無力なことか。戦いに赴く彼女に、自分は何の手助けになるこ  
ともできない。  
 しかし……しかし、とも思う。それでも自分は、彼女の主である。  
 
「ユエル」  
 少年がユエルを見た。その視線はまっすぐにユエルの蒼色の瞳を貫く。  
「殺しちゃ、駄目だよ」  
 ユエルは頷く。  
 自分は、とある条件下にあれば人殺しもやむなし、という特権を持っている。しかし今の主に仕えて  
からは、その特権を使ったことは無い。それは自分の信念でもあり、主の意志でもある。  
「はい。分かっております、マスター」  
「それから」  
 語調が変わる。控えめな少年にしては珍しく、有無を言わさない強い口調。  
「君も死んじゃ駄目だ。絶対に。僕は足手まといで、何も出来ないけど……君を待っている僕がいる  
ってこと、忘れないで」  
「――」  
 息が詰まった。  
 それは驚きであるとか図星を突かれただかといった類のものではない。その証拠に、ユエルの頬が  
ほんの少しだけ、じんわりと紅くなる。人形のように無表情だったその表情が僅かに緩み、蒼い色の  
瞳が微かに潤む。  
 それは少年にだけしか分からない、ユエルの『喜び』の表情。  
「……イエス、マイ・マスター。必ず御許に戻ることをお約束します」  
「うん……絶対だ!」  
 その表情を見届け、少年は駆け出した。小さくなっていく背中を見送り、ユエルは一つ息をつく。それは  
分類するなら、ため息と呼ぶべきものだろう。  
 『フェイスフル・ワン』などいない方がいい。主が命を狙われるような状況なんて本当はあってはならない  
のだ。  
 けれども現実として『フェイスフル・ワン』は存在し、主の命を狙う輩は後をたたない。時にその莫大な財  
産に目がくらんだ無頼が、時にその権力を疎んだ他家の者が。  
 あぁ、だけど……  
「同じ九条家の者に命を狙われるとは……因果なことですね」  
 その言葉が、引き金となったのか。  
 ざ、と音を立てて、通りの角から人影が現れた。その数、1,2……合計4人か。それらの全てが女性で  
あり、ユエルと同じようなエプロンドレスを身に着けており、更に言えば皆がその手に武器を携えている。  
前衛に2人、短機関銃。後衛が2人、手には自動式拳銃。  
 恐らくは『フェイスフル・ワン』候補生たちなのだろう、とユエルは目星をつける。幾度か実戦は踏んだらし  
いが、その気迫は実際の『フェイスフル・ワン』には遠く及ばない。……とはいえ彼女らは戦いのエキスパ  
ートであり、脅威には違いなかった。安心材料といえば、周りから感じ取れる気配がこの4人だけであるこ  
とだけ。  
 相手は4。自分たちは2――否、純粋な戦力では1。  
 その絶対的な事実を突きつけられながら、しかしユエルの顔に絶望の様子は無い。事実上の足手まとい  
である少年を疎む気持ちも全く無い――当たり前だ。主を疎むメイドがどの世界にいるというのか。  
 簡単だ。逃げることが出来ないのならば立ち向かえばいい。主に害を為す者に正面から立ち向かい、薙ぎ  
払い、主のための道を作ればいいのだ。  
 それが『フェイスフル・ワン』たる自分の職務なのだから。  
 ユエルは右手に握っている棒を中段に構える。棒の先端には鞘が付いており、彼女の髪の如く銀色の鞘は  
陽光を反射して、一瞬だけ中空に半円を描く。  
 それは、本来は短槍と呼ぶべき物だった。通常の槍を短く切り詰め、小回りが効くように改良した近接戦用の  
槍。けれども鞘を外さない以上、それはただの棒である。  
 だが、これでいい。  
 この鞘は打撃用の武器であり、守りの為の盾であり、戒めの鎖であり、己の信念でもある。いかなる窮地に  
立たされたところで外す気は無い。  
 ユエルは短槍を隙無く構えつつ、息を整える。倒すべき敵を見据え、繰り出す槍を握り締め、駆け出す足に  
力を込めた。  
 思考は冷たく整っているか?  
 心は熱くたぎっているか?  
 主の命を実行しうる覚悟と技量を持ち合わせているか?  
 ――『Yes<肯定>』。『Yes<肯定>』。『Yes<肯定>』。爪先、膝、腰、各種臓器、背、肩、腕、そして覚悟  
共に『All green<全て良し>』――  
   
「九条司様にお仕えする『フェイスフル・ワン』、ユエルソフィア・マティーニ――参ります。お覚悟の程を」  
 
 編み上げブーツが地を蹴る。ふわり、と浮き上がる銀色の髪。突き出されるは銀色の穂先。  
 疾走を開始するユエルの姿は、まるで銀色の弾丸のように見えた――   
 

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