「なあ、これ何かわかる?」
手のひらに乗った親指の先くらいの大きさの物体を見せた。
「え…、わかんないけど?」
彼女の綾子は首をかしげながら、それを手にとって眺めている。
「何これ?おもちゃのパーツかなんか?」
「実はこれさ、兄貴からもらったんだけど遠隔式のローターなんだって」
「え、遠隔式のローター…?」
「そ、ローターってのはよくAVとかに出てるスイッチ入れると振動するちっこいあれで、
これはコードレスでさ、このリモコン使うと半径10メートル以内なら反応するんだってさ」
「へ、へ〜……。
も、もしかしてまたなんか変なこと考えてない……?」
―――翌日
「ね、ねえ、ホントにやるの……?」
「ああ、昨日お前もいいって言ったじゃん」
「うん、まあ、そうだけど……」
昨日冗談半分で綾子に「明日これパンツに入れて学校に行ってみない?」と切り出したところ、
意外にも「うん……、でもほどほどにしてよ……」と返事をされた。
後は強引に丸め込んで、今朝は彼女の家に寄ってから高校へ向かっている。
「あ、あんまイタズラしないでよぉ……」
「了解、了解。付け心地とかどう?」
「うん、なんかもぞもぞする感じっっ!あうっ!!」
何の気なしにスイッチをONに入れた瞬間、綾子は敏感に反応して前かがみになった。
「お、ちゃんと動くぞ」
「バ、バカッ、ちゃんと動くじゃないって!」
「意外と効いてるなー」
手のひらサイズの、折りたたんだ携帯電話より少し小さいリモコンのスイッチをOFFにする。
その瞬間わき腹に強烈なパンチをもらってしまった。
「もー、道路の真ん中でいきなりやんないでよ!」
今度は俺がうずくまってしまった。
「わ、悪い悪い、ちょっと動作確認しただけ」
動作確認もほどほどに、二人でバス停を目指す。
俺は普段遅刻ギリギリに自転車を飛ばして学校まで行っているので、この時間にバスに乗ることは滅多に無かった。
「ふー、朝のバスに乗るなんて久しぶりだな」
「まったく、こんな時ばっか早いんだから…」
「げっ、今月まだ1回しか乗ってないのにもう定期更新かよ…」
「バカねあんたも。バス会社に寄付してるようなもんじゃない」
「う、うるせーよ」
「そんなに遅刻するんなら回数券にすればいいのに」
「あ、そっか…」
「ホント頭悪っぅ!あっ……!!」
と言わせたところで、綾子が両手で口を抑えてその場にしゃがみこんでしまった。
「てめー、さっきから人のことバカバカって罵りやがって」
後ろに並んでいる通勤途中のサラリーマンたちも急にうずくまった綾子を覗き込んでいる。
「ご、ごめん…なさい……」
その視線に気づいたのか、綾子が俺のズボンの裾を引っ張りながら言ってきた。
「よろしい」
バスには定刻通りに乗れたもののこの時間は異様な混み具合。
これが嫌で自転車で通っているというのもある。
一つだけ空いていた席を彼女に譲り、俺は脇のつり革をつかんだ。
「ね、ねえ、もうちょいやる場所考えてよ」
「ああ、そうだな……。
じゃあ、やばかったらなんか合図しろよ、咳払いとかでさ」
「咳払い……?」
「ああ、咳払いなら授業中でも怪しまれないだろ?」
「じ、授業中もやるの!?」
「何驚いてんだよ?一番面白いとこじゃんかよ」
「……最悪、信じらんない……。あっ!んっっ…、オホッ、ゲホッ!」
さっきからポケットに突っ込んだまんまの右手を軽く動かしスイッチを切る。
「お、いい感じ、その要領でよろしく頼むわ!」
「バカ!バスの中はもうやめてよ!」
「そ、そんな怒るなって。俺とお前の連係確認に試しただけだからさ」
とりあえず学校に着くまでは余計なイタズラはしないでおいた。
のんびり自分の席で迎える朝のホームルームも久しぶりだった。
時間表を確認すると一時間目は化学。
一番後ろの俺の席から四つ前の席の綾子が時々不安そうにこっちを振り向くのが目に入った。
ルーズリーフに「一時間目はやらない!」と殴り書きして見せる。
化学の先生は無駄に厳しく、寝たり私語をしたりはもってのほかで、
内職をしたりボーっと窓の外を眺めてるだけでも注意してくる厄介なやつだった。
綾子も心配だけど、俺がリモコンをいじっていて、それがバレて取り上げられでもしたら一大事である。
授業が始まってから半分を過ぎるまでは俺もそこそこ集中力が保てて黒板の文字をノートに写していたが、
そろそろ限界がきて、学生服の右のポケットに忍ばせたリモコンの位置をいつの間にか確認していた。
(ま、ちょっとくらいなら大丈夫だろう……)
もう如何にして残りの時間を潰そうかということしか考えていない俺は、
さっきから心の中でそう呟きながら、先生が板書をしている一瞬の隙ばかりうかがっていた。
そして、少し長そうな化学反応式を書くために先生が黒板に向かった瞬間にポケットの上からスイッチを入れた。
「ぁっ……!!」
静まり返っていた教室に、堪えきれずに漏れてしまったであろう綾子の声が響く。
さらに驚いた彼女がガタンと机を揺らし、あの厄介な教師が振り向いた。
まずいことになったと思いながらも、とっさに彼女をかばうためにシャーペンを床に落とし細工をする。
「あ、すいません、ペン落としちゃいました……」
と、普通にペンを拾おうとしただけなのだが、普段から目をつけられていた俺のところにやつが近づいてくる。
俺の目の前まで来ると、「ちゃんとノートはとっているのか?」とか「次に赤点取ったら救済措置は無いぞ」とか
くだらない説教のような話を10分くらいはされただろうか。
その間、綾子の咳払いが何度も聞こえたが、先生を目の前にしている今の俺にはどうしようもなかった。
「わ、悪い、俺にはどうしようもなかったんだってば……」
休み時間になって真っ先に綾子の元へ駆け込んだが、
彼女は呆れたといった様子で机に肘を突きながら頬を膨らませていた。
「バカ!この時間はやらないって言ったじゃん!」
「ふ、不可抗力なんだ。机の角に当たっちゃたみたいで…」
「危なっかしいからポケットなんかに入れとかないでよ!」
「わ、わかったよ。……でも、それでいいのかよ?」
と言いかけたところでチャイムが鳴ってしまった。
次の時間は日本史。
定年間際のジジイの教師が講義形式で勝手に進めていく授業だから、
さっきの授業とは一変マンガを読むやつやら、寝るやつやらが出る楽な授業だった。
俺も例に漏れず、最初に配られたプリントだけもらうと机にうつぶせて眠りについた。
ただ、ポケットに入れていたリモコンをONにしたまま、カバンにしまって。
また休み時間になるなり、綾子の席に行った。
相変わらず不機嫌そうに頬杖をついてそっぽを向いている。
「よお、大丈夫?」
「……喉が、痛い……」
「どうした?風邪?」
冗談ぽく話しかけると、いきなり胸ぐらをつかまれ凄い形相で睨みつけられてしまった。
「咳っ!!何回したと思ってんの!?」
「あ、すまん……。
でも俺寝てたし、リモコンはちゃんとカバンに入れといたぞ」
「ドアホ!スイッチ入ってたの!スイッチ!!」
「あ、悪い悪い……。結構乱雑にカバンに投げ入れたからスイッチ入っちゃったのかな?」
「もおー、そーっと扱ってよ!」
「それより今動いてないの?」
「え、あ…、そういえば止まってる」
「あちゃー、電池切れちゃったのかな…」
「ホント?ふぅー、やっと開放される……。
ねえ、これもうとっていい?」
「でも、もうチャイム鳴るから次の休み時間にしとけよ」
「うん、わかった」
再び大人しく自分の席に戻ったが、次は待ちに待った現代文の時間だ。
現代文の先生は、毎回名簿順に何人か指定して朗読をさせるのだが今日は綾子がかかる日だった。
おまけに電池が切れたなんて真っ赤な嘘で、適当なところで俺がスイッチを切り知らないフリをしただけ。
綾子のために、万全の不意打ちシチュエーションを作っておいた。
授業が始まって数十分後、予想通り、綾子の前後の名簿のやつらが次々にかけられ、
ついさっき彼女がかけられて、その場に立って教科書を読んでいる。
いちいち起立させて、教科書を読ませるなんて幼稚なマネするやつだと思っていたが、
今はこの先生がなんともいえないすばらしい人に映る。
都合のいいことにこの先生もあまり厳しくないので、一番後ろの俺の席でリモコンをいじるくらいならわけない。
「それらは実に3年もの間そこにとどまり続け――――」
綾子の方も、完全に安心しきっていつものように朗読している。
右手をポケットにしのばせると、頃合いを見計らってスイッチを入れた。
「―――それはすなわち、人がっ!!…ぁぅっ!」
順調に教科書を読み上げていた綾子が、膝から崩れ落ちるように前かがみになり机に手を突いている。
それに気づいた先生が不思議そうに声をかけに来た。
「ん、どうした?読めない漢字でもあるのか?」
「え、えっと、ゴホッ、ちょっと咽ちゃって…。ゲホッ!」
思わずニヤけそうになるのをこらえているとさらに二、三回わざとらしい咳払いが聞こえた。
こんな時でも結構冷静なんだな、と感心しつつ一旦スイッチを切る。
だがスイッチを切った瞬間、何事もなかったかのように再開する姿は面白くなかった。
「―――つまり我々は、この先ッ…!!んぅっ!な、なんで!?」
とうとう疑問が声になってしまったのだろうか。
彼女は完全に教科書にない言葉を口走っている。
少しざわつく周囲を先生が沈静させ、「続きは私が読むからもう座りなさい」と授業を再開させた。
今度は授業が終わるなり、綾子が俺の席までやってきて廊下の端の人気の無い所まで連れてこられた。
「何これ!?どういうことよ!!」
「電池残ってたみたい…、あはは……」
「あははじゃないってーの!!……もう最悪」
「わかったわかった、もう学校にいるうちはやらないよ」
「…どーせまたそうやって不意打ちするんでしょ?」
「や、やんないよ。お前も顔真っ赤にして恥ずかしそうにしてるし」
「怒ってんのよバカ!!」
その後の四時間目と五時間目はリモコンに触れたくなるのを何とか堪えて過ごした。
昼休みに食堂で奢らされたが、見物料だと思って我慢した。
放課後になって、綾子が「進路相談があるから少し待ってて」と言ってきたので、
一人教室でボーっとしながら、リモコンのスイッチをカチカチいじっていた。
後半いじれなかったのが残念だが、久しぶりに学校があっという間に終わった気がする。
やがて教室のドアが開く音がする。
「よ、お疲れ。じゃ、帰ろっか?」
立ち上がって伸びをする俺の腹にまた強烈な一撃を見舞われた。
「いてっ!何すんだよ!?」
「バカ!先生に三回くらい『具合でも悪いのか』って聞かれたじゃない!」
「へ、へー、隣の教室でも効果あんだなこれ…」
「はぁ、ホント今日はいつもの倍くらい疲れた……」
リモコンのスイッチを切りポケットにしまうと、もうほとんど人がいなくなった玄関を出てバス停に向かった。
「ねえ、今日歩いて帰らない?」
次のバスまで結構時間があるなぁと暇つぶしに携帯でも出そうかとしたとき綾子が話しかけてくる。
「ああ、別にいいけど。どっか寄るのか?」
「ううん、またバスの中でイタズラされたら嫌だから」
「あっそ……」
二人でもう夕焼けに染まりかけている道を歩き始めた。
歩いて帰れない距離でもないし疲れたら途中からバスに乗ればいいので、
特に急いでいないときは歩いて帰ることもよくあった。
「それにしても、お前も変わってんなー」
「え、なんで?」
「そんなに嫌だったら途中で黙ってとっちゃえばよかったのに」
「い、言われてみればそうね……」
「意外とこういうの好き?」
だが返事の代わりに、あからさまなため息をつかれる。
「あんたのせいだからね、こんなことしぶしぶながらも付き合うわたしになってしまったのも……。
せ、責任取ってよね……」
「あ、ああ……、じゃあ明日もやるか?」
「違う!バカ!!きょ、今日は焦らされっぱなしだったから…、その……」
「何だよ、ハッキリ言えって」
「バカ……」