ちちちちちちちちちち……って、うう、この音大きいよ……。
寒いし、もう少しでいいからこの中にいさせてよぅ……。
ぇ、えーい、や……っ!
……とまった、かな?
はふぅ、ぬくぬくぅ……。
いいよね、このくらい……。
寒いんだもんね、眠いんだもんね、私の部屋なんだもんね……。
ふかふかおふとん、ふんわりゆらり。
……もぉちょっとだけなら、大丈夫だよね。
えへへへへへ……。
気持ち、いーよぉ……。
んー……二度寝っていうんだっけ……。
この前……、お姉ちゃんに……聞いたことば……。
うとうとの……じかん……さいこぉ……だよ……えへへ……ねるー…………。
がっ……こ……なん……か、ど……でも……い………………。
「……全くもー……。
お母さんそっくりなくせに、こういうとこだけあの馬鹿に似てんだから。
はぉ……」
……んあー……。
どっかで……きーた……こえ……。
「……遅刻するわよー。ご飯も冷えるから、起きた方がいいと思うんだけどね」
ごは……おなかへった……。
ここ……ぬくぬくぅ……ぽかぽかぁ……。
ずっと……ここ……。
「このま……たべぅ……」
「こーら、そんなこと言わないの。
……ま、一度癖つくとなかなか戻せないのは分かるんだけど、……経験上」
「ん……ずっと……ここでい……」
あったかくて……おなかいっぱい……なる……。
しゃーわせぇ……。
「……しかたない、かな」
そー……、しかた、ないの……。
ねるのー……。
「……せー、のっ!!」
かあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん……っ!!
「うわひゃぁぁあああああああああっ!!」
なななななになになになになになになんなのぉっ!!
び、びび、びっくりしたぁ……。
ばくばくばくばく。どきどきどきどき。
胸に手を当てながらいっきに体を起こす。
すう、はあ。
吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー……。
さいごに思いっきりゆっくりと、吸ってー…………、
「ぷはぁあああ……」
……うん、まだ心臓凄い鳴ってるけど、心は落ち着いた。
おーるおっけー。
うん、だいじょぶ。
ゆっくりゆっくりと周りを見ると、ベッドの脇には家族みたいに大好きな人がいた。
「お、お姉ちゃん、ひどいよぉ……」
お姉ちゃんの片手にはお玉、もう片手にはお鍋のふた。
……古い、古いよお姉ちゃん。
お姉ちゃんの頭の中は何年前から止まってるんだろう、なんて失礼な事を考えて、一瞬言葉が止まってしまった。
ぷっくりふくれっつらをしてみると、お姉ちゃんはくすくすって、困ったような笑い顔。
「文句言ってる時間はないんじゃないの? 急いで食べないと間に合わないかもよ?」
お姉ちゃんのお玉の先を見てみると、そこには地面に落っこちている目覚まし時計。
のそのそってお布団を腰の上に掛けたまま、こっちに引き寄せてみると。
「うわぁ……し、七時半……!?」
ど、どどどど、どうしよう。
パジャマ着替えて、ご飯食べて、お顔洗って、歯を磨いて、教科書用意して……。
えっと、ええっと、まずは着替え、出さないと……。
「はいはいそんなに焦らないの。……OK?」
「う、うん……。」
そ、その通りだけど、でもでもでもでも……っ!
「――――着替えはそこに出しといたし、ご飯も出来てるから、ね?
食べてる間に教科書用意しといてあげるから、ひとつひとつしっかりやればいいの」
「う、うん……。」
……つい今しがたとおんなじ答え方。頭が全然回ってない。
はぁ……。うう、私って駄目だなあ。
いっつもいっつもお姉ちゃんに迷惑かけてばっかりで。
お父さんにもそうだけど、やっぱり私も女の子だからお姉ちゃんじゃなくちゃ頼れないことも多いし。
……家族じゃない人に、こんなに迷惑かけて。
私はお姉ちゃん、大好きだけど。……お姉ちゃんには負担なはず。
私の行動だけじゃない。
いるだけで私は多分、お姉ちゃんの邪魔になっている。
…………だって。
……ううん、これは私が口を出せる問題じゃない。
だけど、……だけど。
どうしても、気にせずにはいられないよ。
――――お姉ちゃんは、私をどう思っているんだろう。
「ハンカチとちり紙ー、玄関においてある筈だけどー……わかるー?」
「はいー! 大丈夫ですー!!」
台所から聞こえるお姉ちゃんの声に、こっちも大きな声でお返事。
お世話のお礼言いたいけど、ちょっと時間が無いかも。
急いで靴を履いて、とんとんとつま先で地面を蹴る。
がちゃんとドアを開けて、
「いってきますー!」
「……いってらっしゃい」
台所から顔を出して笑うお姉ちゃんと、
「…………おー……」
ふすまの向こうで気だるげな声のお父さん。
……ちょっと、なさけなくなってくる。
確かにお父さんは小説家だから早起きの必要はないわけだけど、お姉ちゃんがお手伝いに来る日はあまりにもだらけすぎだよー……。
がちゃん、としっかりドアを閉めて確認。
うん、半開きにはなってないよね。
「いっせーのーせ……、」
すう、はあ。
「よーい、どん!」
お口の中で呟いて、れっつ、ごー! かけっこ、かけ足、とにかく急げ!
間に合うかなどうかな、うーちゃん待っててくれてるのかな。
お家の多い狭い道を右右左って曲がってみると、大きな通りに出るんだけど。
そこの床屋さんの前がいつもの待ち合わせ場所。
大丈夫かな、どうかな。角を曲がってきょろきょろ。
……うーちゃんは…………。
「おーそーいーぞー! なにやってるのー!!」
……よかったぁ。いてくれた……。
「ご、ごご、ご、ごめん……なさい……。その……ね、ちょっと、おねぼうしちゃって……」
あわわ、ほんとうにほんとうにごめんなさい……。
「ぷう。本当朝弱いんだなあ、もう……」
「うぅ……、ごめんなさい……」
ぺこぺこ頭を下げると、うーちゃんは半目をやめていつもみたいににかっと笑ってくれる。
「そかそか。そんな気にしてんなら別にいーって。でも次からは気ぃつけてよん」
「……うん」
「そんじゃ、ちょっちダッシュるぞー!!」
「へ……? うわわ、わぁ……!!」
ひ、引っ張らないで、走んないでぇ……。こここ、転んじゃうよう、あぅ……。
「そーそー、ね、姫様。今日もお昼一緒でおっけー?」
「ひ、姫様はやめてよー……。うーちゃんもお父さんもバカ……」
お外で冗談でも姫様なんて呼ばれるの、すっごく恥ずかしいのに。
……お父さんが授業参観の日にそんな風に呼んだせいで、こんなあだ名にされちゃった……。
「あははー、でもでも、姫様って感じはするよ。箱入りっぽいしー」
「やめてってば、うーちゃぁん……! もう、酷いよ……」
「やはは、これは失礼を姫様!」
「…………もー、本当にやなのに……」
はあー、思いっきり溜息。それでも、うーちゃんは私の数少ない友達だから、あんまり強いこといって嫌われるのはやだし……。
「はあー……」
……でも、お昼一緒に食べようって言ってくれてるのは嬉しいし。
今日のお昼はお弁当の日だから、好きなとこで食べられる。
屋上とかは寒いだろうけど、気持ちいいかもしれないなぁ。
……あれ?
…………お弁当?
えーと、今日はお姉ちゃんの来てた日だ。
そのお姉ちゃんが来てくれるのは、お弁当の日で。
お姉ちゃんはお料理が得意だから、一週間に2回、来てくれてるんだけど。
……今日は、お弁当、鞄に入れたっけ?
「……ふぇ? 姫様どしたん〜? ぼけ〜っとしちゃって」
ランドセルを下ろしてぱんぱん叩く。
……か、感触がないよ。
それ以前にかなーり軽いような。
…………四次元ポケットの中に入ってるとか。
……そんな事考える私って、バカ?
「…………忘れちゃった……」
あ、あはははははははは…………。
……うう、どうして私ってこうなのかなぁ。
「あらららららー。……まー、一食くらいは食べなくても平気っしょ」
……うーちゃん、他人事すぎだよ。
いや実際他人事だけど、もう少しこっちを慮ってくれるとかしてくれてもいいと思う……。
「うう……」
こんな下らないことでこうなるのはどうかと思うけど、本当に泣きそうになる。
……どうして私ってこうなんだろう。
はじめてあった人とはまともに話せないし、自分の意見を言うことも出来ないし、こうしてポカばっかりやらかすし。
それで、すぐにうじうじするし。
……ほんとのほんとに涙出てきそ。
今から帰ると遅刻間違いなしだし、今日はお昼抜きなのかな……。
……辛いなあ……。
ぐしぐしと目をこすって、弱音を飲み込む。
……うーちゃんの言うとおり、一食くらいへいきのへいざ! ……たぶん、きっと、おそらく。
こんなことで泣いてられるもんか! ……でも、おなかがすくのは嫌だなあ。
あぅ、……どうして私ってこうなんだろう。
そうしてさっきと同じ事を考えた時、
ちりんちりん。
うしろから、そんな音が聞こえた。
……なんだろう。
そう思って振り向いてみると、
「……ふぅ、どーにか間に合ったかな。……はい、忘れ物」
自転車に乗ったお姉ちゃんが、そこにいた。
「……え?」
ぼけっとする私に、お姉ちゃんはにっこりと包みを手渡してくれる。
ピンクのチェックの小さな風呂敷で包まれたそれは、間違いなく私のお弁当。
「あ……、」
「もう、急ぐのはいいけどね、あたしがあなたの家に来てるのはこれ作るのが目的なわけでさ……。
忘れられちゃうと、何のためにって事になるんだけど」
言いながら、お姉ちゃんはくっくって声を漏らす。
笑顔だし、口調も怒ってるわけじゃないけど。
……言ってる内容は結構ずんとくる。……もっと気をつけるようにしよう、うん。
……でも、何よりも。
「……その、お姉ちゃん」
「ん? なに?」
「……ありがとう。ほんとにほんとに、ありがとう……」
……いつもいつも、私なんかのために。
そんな想いを込めて言った言葉を聞いて、お姉ちゃんは、
「どーいたしまして。ほらほら、早くしないと遅刻するわよ?」
ぐっと親指を立ててウィンクしてくれる。
……しっかり、私の事を受け止めてくれるこの人が、私は大好き。
…………言動や仕草がいちいち古いけど。
「……えっと、貴方はこの子の友達? 色々と不器用な子だから、助けてくれると嬉しいかな」
「あ……、は、はい、了解っす〜!」
そう返事をするうーちゃんににっこり笑った後、お姉ちゃんは自転車に乗りなおす。
「じゃあ、あたしはこれから仕事だから。それじゃ、学校頑張ってね」
そのまま、お姉ちゃんは自転車に乗って来た道を引き返した。
わざわざこっちまで届けに来てくれたことに、申し訳なさを感じてしまう。
……でも、だけど、やっぱり嬉しいっていう想いが一番。
小さくなっていく後姿を見て、私はそう感じた。
「……あの人、お姉ちゃんって言ってたけど……」
「え? うん、お姉ちゃんがどうしたの?」
んー、なんて唸りながら、うーちゃんはとんとん頭を叩く。
……どうしたんだろう。
「……お姉さんにしては年が離れてるとゆーか、なんとゆーか……。
そもそも姫様の親父っちってかなーり若かったよーな。あんな年の子供がいるのはおかしいぜい」
あ、なるほど。
いつもお姉ちゃんって呼んでるからあんまり気にしてなかったけど、お父さんと同い年なんだよね。
ちょっとおかしかったからくすくす笑いが漏れちゃう。
「えっとね、一応家族みたいに付き合ってるけど、姉妹って訳じゃないの」
「……ホワイ? そんじゃ、どういうカンケイ?」
そんな、うーちゃんの質問で。
……言葉が詰まった。
……私にとって、私とお父さんにとって。
そして、お姉ちゃん自身にとって、私達の関係はなんだろう。
――――家族っていうのはない、と思う。
一緒に暮らしているわけじゃないし、お姉ちゃんがうちに泊まった事だって一度もない。
お父さんの友達……っていうには、距離が近すぎるかも。
週に二回も家に来てくれて、お手伝いをしてくれてるんだし。
もちろんお金のやり取りなんかなくて、お互いに信頼してるみたいだからお手伝いさんって訳でもない。
……一番近いのは、
「……お父さんの、恋人……なのかな?」
……でも、しっくりこない。
だって、お姉ちゃんとお父さんは、キスどころか手のひら一つ握ったこともないみたいだし。
二人っきりで出かけた事だって一度もない。
前に聞いた時だって、慌てることもせずに違うって言い切ってた。
嘘かもしれないけど、私にはそうは思えない。そんな事をいう人じゃないし。
「もしもーし。どしたの姫様、黙りこくっちゃって」
……恋人じゃない理由は、いくつかあると思う。
一番に浮かぶ理由は、多分……お母さん。
お姉ちゃんはああ見えて物凄く人に気を使う性格だから、お母さんがもういなくても、絶対にそうなることを気にするだろうし。
ううん、お母さんがもういないからこそ気を使う人だ、お姉ちゃんは。
お父さんにしても、もしお姉ちゃんとそういう関係になったとして、お姉ちゃんに気遣いはさせたくないんだと思う。
……それ以前に、そもそもあんまり自分から動く人じゃないってのもあるけど。
――――何より。
やっぱり、私のせいなのかな。
お姉ちゃんは、私に凄く気を使ってくれている。
…………あたしみたいな他人なんかが家族の中に割り込んだら、いろいろと嫌でしょ? お父さんを取るつもりはないから、安心して。
前に、お父さんと結婚しないのかって聞いた時、お姉ちゃんはそんな風に答えた。
もしかしたらお姉ちゃんは、私がお父さんとお姉ちゃんが仲良くするのを気に入ってないんじゃないかって思ったのかもしれない。
お姉ちゃんもお姉ちゃんのお父さんと二人暮らしだったらしいから、お姉ちゃんの思ってたことを私に重ねたのかな。
――――他の人だったら、そうかもしれない。
でも、お姉ちゃんは、引っ越してきてからの3年間ずっと、私達を助けてくれてきた。
……お姉ちゃんなら、私は構わない。強く強く、そう思う。
お父さんだって、少なくとも再婚するならお姉ちゃんだと思ってはいるはず。
だけど。
…………それをお姉ちゃんに伝えるには、どうすればいいのかな。
お互いが大切にしてるのに、だからこそ家族になれないっていうのは、悲しいと思う。
……でも、私はそんな時、何ができるんだろう。
「こらっ!!」
ばしんっ!!
「ふぇぇえええっ!?」
い、いたぃよぉ……。
「むー、あたしを無視すんなあ!!」
「ご、ごめんね?」
うう……私って本当に要領が悪いなあ……。
はあ……。
溜息をついて横を見ると、平手で私の背中を打ったうーちゃんは、腕を組んでこっちをじっと見てる。
「……どったの?」
「え?」
何を聞いてるんだろう、って、背中をぶたれて一瞬さっきまでの事を忘れちゃったけどすぐに思い出す。
……どうしよう。
こんな事聞いても、迷惑じゃないのかな。そんな風に迷ってる私に、うーちゃんは言ってくれた。
「あたしたち、友達っしょ? こんどはあたしが助けるターンだって」
「……今度?」
聞き返すと、うーちゃんは頬をぽりぽりとかいてそっぽを向く。
「あー……、こっちの話だから。姫様は気づいてなかったろうからいいよ。
勝手にあたしが姫様と会って助かっただけだから」
……うーん、よく分かんないけど。まあ、いいのかな。
……よし、聞いてみよう。
何も変わらないかもしれないけど、それでも何もしないよりはいいだろうから。
私の事。
お父さんの事。
お姉ちゃんの事。
お母さんの事。
学校まで歩く時間で、うーちゃんに思ってることを全部話す。
私に気を使ってくれるお姉ちゃん。
でも、だからこそきっと、お父さんと付き合ったり、結婚しようとしないこと。
お母さんへの、お父さんとお姉ちゃんそれぞれの想い。
私の、お姉ちゃんへの想い。
「……どうしたら、いいのかな」
下を向いて、最後をそう締めくくる。……うーちゃんなら、どうするんだろう。
「……いやまー、したいようにするしかないっしょ」
「えぇ……!?」
ちょ、無責任すぎるよ……。
うーちゃんのほうを見てみると、ぼけっとした顔で髪の毛の枝毛を探してる。
……ひどいよ、真剣に話したのに。怒るよりも先に、涙がじわって出てくる。……すごい、みじめになる。
「……だって、さ」
「……何、かな……?」
すごい小さな声で何とか答えるしか出来ない。……私って、弱いなあ。怒ってもいいところなのに。
やっぱり、私なんかに出来ることなんてないのかもしれない。
そのとき、落ち込む私に、うーちゃんの声が、届いてきた。
「……そのお姉さんに、親父さんに、姫っちが考えてること伝えなきゃ始まらないじゃん?
その人たちには、姫様が再婚をどう思ってるか分からないんだからさ。もしかしたら、嫌がってるってさえ思ってるかもしれないわけ。
……だったら、まずそれを姫様がどうにかして伝えないと、何も始まらんと思うんよ」
「あ…………」
――――そう、かぁ。
…………関係がずっと変わらないって言うのは、それが今のところで一番、落ち着く関係だから。
波風を立てないようにする為に。……それが望ましいかどうかは別にして。
だったら――――それを変えたければ、その前提条件を変えなければいけない。
私の考えを、伝えなきゃいけない。まずは、私から始めなきゃいけないんだ。
うーちゃんを見る。
「……その、うーちゃん……」
ありがとう、そう言おうとした私の手を、うーちゃんが掴む。
「あ、え?」
「ほらほら、ナガムダバナシしてる間にもうこんな時間だよん。いそぐいそぐダッシュダッシュ〜!!」
「うわわわ……!」
そうして、うーちゃんは私を引きずって一気に走り出す。……照れくさかったのかな。
確かめたくても、うーちゃんの顔は前を向いて見えない。
「……うーちゃん」
「…………」
返事のないうーちゃんに、だけど、私はしっかりと宣言する。
「……私ね、……頑張ることにしたから。うーちゃんのおかげで、決められたから」
――――思えばこれが、私達一家の関係を変える、始まりだったんだと思う。
うーちゃんには、今でも感謝してもしきれない。
……私にとっても、お父さん達にとっても。
きっと、皆が皆、今を幸せに思っているんだろうから。