赤く、黄色く染まる道の両側。その真ん中を歩く。  
ほんの5分前は街の中だったけど、少し歩けば森の中。山の麓だっていう事は街にいる限り存外気づかないものだ。  
……ま、単に田舎だってのが一番なんだろーけど。  
少し耳を澄ませば、鳥の声が聞こえる立地条件。別荘地としては合格点。  
ほんの数ヶ月前までは蝉が鳴いていたっていうのにねえ。  
季節の移り変わりというのはせっかちだなあ、なんて意味のないことを思う。  
……時間なんて結局は主観に過ぎない。変わるものは変わってしまうし、失ったものは戻ってこない。  
陳腐で使い古されたような文だけど、それはつまりどうしようもなく否定できないからこそ陳腐になるわけで。  
諸法無我、諸行無常。色即是空、空即是色。  
 
……キャラに合わないわね。  
それでも、まあ。  
……あの場所に行くのに考えるテーマとしては、相応しいと思う。  
舞い落ちる葉の色は、紅葉を通り越して枯れ葉じみてきてる。  
空を仰げば、真っ青な空にいくつかの筋雲がかかって見えた。  
 
「……高いなあ」  
手のひらで顔を覆って、指の股から仰ぎ見る。  
夏の間には生い茂る葉が空を隠してたから、そうした景色を見ることなんて出来なかった。  
空間が広がった分、山頂からの風が一気に吹き抜けてきて、寒い。  
「う……、もうちょい厚着してくりゃ良かったか、まずったなあ」  
自分の体を軽く抱きしめて、少し震える。  
ぶるり。  
ほんのちょっぴりの気持ちよさとともに熱を放出して、ゆっくりゆっくり息を吸う。  
目を閉じながら、やっぱりゆっくりと息を吐き出して、背後を向く。  
 
目を開けて、さっきまで見ていた方向の後ろを見る。  
市街地より少しだけ標高の高くなっているここからは、街の中でも背の高いいくつかの建物を見分けることが出来る。  
や、殆どは木に隠れて見えないわけだけど。  
赤と黄が、緩やかな風とともに雪のように舞っているのがどことなく郷愁を感じさせてくれる以外はいつも通りだ。  
2色以外に見えるのは、樹と地面の茶と影の黒、空の青くらい。  
高く遠くを見つめながら、パノラマ視点でじっくり旋回。  
そんな光と影のコントラストを作り出す木々の後ろには全体的にオレンジっぽい山がそびえてる。  
あらためて前を向きなおしてみれば、目の前には分岐点がある。  
街からここに来るのに使った、道。  
90度横にそれる小道と、本線とも言えるある程度整備された通り。  
……まあ、山道に変わりはないわけで、車も通れないような狭さだけど。  
でかい方の道に首ごと視線をやってみれば、こぼれ出る言葉が1つ。  
「この道を行けばどうなるものか……」  
いやまあ、あっちの山への登山道になっているんだろうけどさ。  
ふと浮かんだだけの言葉、意味のないようなことを呟いてみたりも。  
 
……少しだけ、ほんの少しだけ笑って、目立ちにくい小道の方へ。  
よくよく見れば道の分かれ目には、朽ち始めた小さな木の看板が矢印とともに小道の先にゃ何があるかを控えめに主張している。  
だけど、木肌に墨で書かれただけのそれは正直地味すぎてあんまし役に立ってないような。  
ま、そんな千客万来を望むような場所じゃないし、用がある人ならまず所在知ってるだろうからこれでいいのかもしれないけどさ。  
と、そんなすぐに忘れるだろうとめどない思考とともに歩き続ける。  
それでもまあ、一応は教えてあげた方がいいかもしれないかな、先方に。  
数分もすれば忘れてしまうに違いないだろうけど、覚えていたら、程度の強さでそんな事を考えた。  
 
ざくざくざくざく、ざくざくざくざく。  
落ちて積もりだしたもみじを踏みしめ、歩く。  
この道はあちらさんが毎日掃除をしている筈なんだけど、それでも木の絶対量が多いんだろう。  
掃除をやめればあっという間に土が見えなくなるに違いない。  
そんな、落ち葉の合間合間に見えるむき出しだけれど固められた地面。申し訳程度に置かれた縁石伝いに数分ほど。  
次第に傾斜がきつくなってきて、階段が欲しいな、とちょうど思う頃合に現れるのは、まさしくそれそのもの。  
手すりのついた、白い階段。  
元々は石段だったものを後からコンクリで舗装しなおしたようで、いくつかの石がコンクリに埋まっているのが見える。  
……出っ張ってる石につまづくと危ないと思うんだけどなー。  
『毎回毎回』この場所を通るたびに思うことを、今日も思う。  
それこそ、いつもの習慣だ。  
そんな事を考えながら、体はすでに階段の中ほどに。  
時折顔を出している石を踏まないように、足取りは決まったコースを。  
あまりに慣れすぎてて、そうしようと考えるまでもなく体は行動に移している。  
……そう、いつもの事、だ。  
 
一歩、一歩。  
しっかりと大地を踏みしめて、白い階段を上ってゆく。  
その度に、ちくりちくりと……とげが心に刺さるような、居心地の悪さが増してゆく。  
……それも日課だ。  
この感覚を、忘れてはいけない。どんなに季節が移り変わってもこれを感じなくなってはいけない。  
慣れるなんてもっての他だ。  
……あたしは、これを受け続けることを認めなくてはいけない。  
 
耐えるのでもない。受け入れるのでもない。  
……それこそ、失礼というものだから。  
耐えるなんておかしい。だって、別に悪意や敵意にさらされてるわけじゃないもの。  
受け入れるなんておかしい。それこそ、起きた物事を過去にして踏み躙ろうとすることだもの。  
ただただ、この状態にさらされ続けること。  
あたしがそういう立場にあることを認めること。  
……必要なのは、それだけだ。この感覚をどうこうする訳にはいかない。  
たん、たん、たん、たん。  
一段一段を踏みしめ、上がってゆく。  
思い〜込んだ〜ら、試練の〜道を〜……なーんてね。  
……ったく。茶化してどうすんの。  
……あはは。でも、だけど、そうでもしないとやってられない。  
整地ローラーなんて引いたことすらない。そんなあたしがこう言うと野球やってる子たちに失礼かもしれないけど、心情的にはそれよりもっと重いものを引いてる気分だ。  
……自分も含めて、何もかもをも取り繕いながら進む、進む、進み続ける。  
 
…………不意に、視界が開ける。  
転ばないよう、下を向いていた目には空の青さがまぶしい。  
そこには。そこにあるものは。  
――――そこにはいくつもの、いくつもの人間の影が並んでいる。  
かつて人間だった人たちの名を刻んだ、ずっしりとした直方体が。  
 
開けた空間に整然と並ぶ、暗い灰色の石。  
紅葉に四方を囲まれている分、その原色の少なさはくっきりと印象に残るけど、ところどころには緑や花が添えられている。  
……ここは、そう。  
 
お墓――――霊園だ。  
 
 
 
 
「こんにちわー」  
すっかり顔馴染みになった霊園の受付の人に軽く体を曲げて挨拶。  
毎日お疲れ様、なんて声をかけてくれるお婆さんに悪い意味でなしの愛想笑いを返しながら、お堂の屋根の下に向かう。  
まあ、お盆でもお彼岸でもないのに毎日毎日ここへ来る人なんてそうそういないだろうからね。  
そんな事に苦笑しているうちに、目的の場所へ。  
手桶と柄杓。流石にこれを家から持って来るのは面倒だから、ここで借りる。  
外に晒されっぱなしだから、握る手には大分冷えて感じられるそれを適当に引っ掴んで下ろして、そこで気付く。  
……そうそう、今日はそろそろ変え時なんだよね。  
 
「すいませーん、しきみ、貰っていきますねー?」  
さっきのお婆さんに呼びかけてみれば、どうぞどうぞとのお声。  
備え付けられている箱の中にしきみの代金を入れて、ガラスケースの中に並んでいるしきみを桶に入れる。  
……そういえば、うちの家系は菊を供えていたんだよね。  
宗派の違いって奴かな。  
最後に菊を供えたのは、いつだっただろう。  
……そんな、わずかな郷愁を抱く。  
今の自分の立ち位置は自分で選んだもんだってのに。  
たとえ、話をし始めたのはあいつやあいつの娘さんでも、決めたのは自分。  
その選択の意味は、そして正否は。  
……問い続けていても、答えは出ない。  
 
「……なんにせよ、ね」  
桶を掴んで霊園の外周沿いへ。  
園内の入り口に植えられてる松の木の下をかいくぐって、墓群を回り込むようにゴー。  
高い高い空の下、木の葉の擦れる音を聞きながらそのまままっすぐ半分進む。  
時折園内まで張り出した紅葉から、真っ赤な葉がひらひらと。  
……うん、こう言っちゃなんだけど、少し風流だなあ。  
霊園自体が和テイストな以上、正直単に風景を見ているだけでも色々といいなあと思う。  
答えは出ない、か。そんなのは当然だ。  
たとえば、この風景に何か感じるものを問われたとしても、それに正解なんてあるはずがない。  
要は主観。立ち位置をどう思うかという行為自体に対して、どう思うかって話。  
それへの私の答えは、こう答えるしかない。  
とにかく、忘れないこと。あの子がいたということを。あの子の想いを。  
問い続けることで――――結果的にあたしを苛んでいるとしても、……絶対に、あの子を過去にしない。  
それが、あたしのなすべき事だと思う。  
 
息をつけば、そこは水汲み場。  
蛇口を捻って水を出す。  
こういう所の水ってのは何故か知らないけどやたらに勢いが強いことが多いのよねー……。  
と、そんな事を考えてみたら、  
「つべたっ!!」  
 
……例に漏れず、妙に激しく噴出した水が桶から跳ね返って袖を濡らした。  
何やってんだかなあ、あたしゃ……。  
はー……。  
気を取り直して、蛇口を軽く閉める。  
……今度は勢いが弱くなりすぎた。  
……あー、出始めだけ勢い強いパターンな訳ね。なんてーか、空しい。  
まあ、そんなこんなを思っているうちに水が溜まったので、きゅきゅっと栓を閉めて、と。  
 
「よ……っ!」  
水が入ってそこそこ重くなった桶を片手に、霊園の中の方へと入ることに。  
林立する墓石は、どことなく厳かな感じがして、まるで西洋の神殿のような圧迫感があると思う。  
実際それに意味合いは近いんだろうけど。  
そんな墓石の群れを横目に歩いてしばらく。  
お墓もある程度区分けされているから、直交路に従って目的地へ。  
「ういのおくやまけふこえて、あさきゆめ、……と」  
いろは順に名前を付けられたお墓の列を数え数え、歩を進める。  
……いつも風が寒いなあ、この辺りは。  
……うん、ちょっと引き返したくなるくらい。  
俯いて、……下だけを見て、お墓の番号を確認しながら、一踏み一踏み。  
「……め、の32と」  
め−32。  
唾を飲み込み、顔を上げる。  
ここが目的地。  
殆ど毎日毎日、あたしがあの日からずっと通い続けている場所。  
来るたびに締め付けられるような、切なさと空しさとやるせなさ、そして落ちつかなさの入り混じった感情に襲われる。  
それでも、怯えと恐怖を抱きながらも、いくつかの意味で来続けなければならなくて、そして、自分の意志で来ようと決めたそこは――――。  
当然、たった一つしかない。  
あの子の、……お墓。  
 
 
さっき水汲み場で湿らせてきた雑巾で軽く表面を拭く。  
殆ど汚れなんかはないわけだけど、それでもやっとく。大事なのは行為そのものであって、実際どうなるかなんてのはあんまし意味がない。  
上のほうから下の方へ。  
戒名の彫られた窪みをなぞって、花入れの周りから家名へと。  
線香入れを、中を湿らせないよう外側だけ拭って、ひと段落。  
 
「さて……」  
そのまま花生けを手にとって、足早に再度水汲み場へ。  
……やっぱり、風が冷たいなあ。  
なんどもなんども――――、そんな事を思う。  
捻る蛇口の先からほとばしる水量は、さっきとは違って最初から勢いは強くない。  
当然の事ながら、さっき使った分の影響だ。  
水が冷たいからおっかなびっくりだけど、ゆっくりと手を水に浸して慣らす。  
……うあー、寒ー……。  
そんな事を考える余裕が出来た所で、ようやく手にとって花生けを洗う……というか磨く。とりあえず、萎れたしきみを取り出して、軽く表面を流す程度に。  
考えるような作業じゃない。それこそ体感時間はあっという間だ。  
雑巾で水分を取って、戻って備え付ける。  
柄杓で水をすくって、花入れに注いだあとにしきみを活ける。  
……これで、準備は完了だ。  
後はもう、目的を果たすだけ。  
 
――――1歩、下がる。  
……小さい。  
そして、目立たない。  
いくつもいくつも並ぶ墓石の群は、多少色やお供え物に違いはあっても殆どが無個性だ。  
いやまあ中には石像じみてたりみょうちきりんな形してたりするものもあるけど、それは置いといて。  
……しかし、当事者はなに考えてあんなお墓にしたんだろーか。  
死後まであんなんじゃ落ち着かないと思うんだけどなー……って、全然置いておけてないか。  
……こほん。  
逃避はいい加減になさいってば。誤魔化すな、あたし。  
向き合わなきゃ。  
……何と?  
……あたしの、友達だったかもしれない人と。  
…………あたしが、家族になれるかもしれない人たちと。  
 
 
そう。本当に小さくて目立たなくて、埋もれてる。  
人の一生の行き着く先なんて、そんなもので語れるのかと疑わしいほどに、それは存在感がない。  
あの子の思ったこと、言ったこと、行動したこと。  
……それらが全て、見出せない。面影なんかありゃしない。  
あの子がいたという証であるはずなのに――――、あまりにも、あまりにも……。  
 
……駄目だなあ、上手く纏められないや。  
……何にせよ、そんな無個性は、更にたくさんの無個性の中のひとつに過ぎない。  
あの子の全ては、結局、星の数ほどの人生の1つなのだ。  
否定したくても否定できない、それは当然すぎるから。  
……あたしも、あいつも、そして……あの、小さなお姫様も。  
嬉しいのか悲しいのか、あの子と同じ条件な訳だ。  
 
この限りなく平等な灰色の慰霊碑たちの下には、どれだけの人のどれだけの記憶が眠っているんだろう。  
その殆どがあたしには無縁で、どういう人だったのかは一切合切私には分からない。  
見渡す限りの無機質な石くれはみんな同じに見える。  
それぞれにそれぞれの由来があるにしても、どれもこれもどうしようもなく虚ろだ。  
 
息を大きく大きく吐いて、前を見据える。  
そこにあるのは、やはりお墓だ。  
他の周りにあるものと何も変わらない、この霊園を訪れる殆どの人にとっては単なる風景の一部でしかない墓石。  
……だけど。  
その下に埋まっているのは、あの子の残滓。  
ちょっと引っ込み思案だけどお人好しで、笑って、泣いて、喜んで。  
そんな、私自身のように感情を動かしていた人間だ。  
……それが今はもう、誰も彼もが認識できていない。  
彼女をここから想起するのは、彼女を知っていた上で、尚且つ彼女の現在を気にかけている人だけだ。  
例え昔のあの子を知っていても。  
彼女の今に関心を持たなければ、今、あの子がここで眠っているなんて事を知る機会はないんだから。  
 
――――そうして、誰からも認識されず……次第にその存在は記憶からは薄れていく。  
あの子がいたというその事実すら、きっと。  
故人を知る人の記憶が消えてゆき、そして、その人も故人となれば、完全に。  
あの子だけじゃない。  
他のお墓の下も、きっとみんな同じ様に……見て、触って、聞いて、嗅いで、味わって、感じて、覚えて、話していた――――人間だったんだろう。  
誰も彼もが、その縁者にしか認識されることがなくなって……その果てに、本当の意味での単なる風景と化す。  
……ここに、この世界に、確かにいたんだろうに。  
 
 
……私の決めた事は、だから、それに付け入ることと同じだ。  
確かにあった大切な過去、大切な人。  
そこにある思いを踏み躙って、我が物顔で居座ろうとする。  
例えかつてその場所にいた人がいなくなったからといって、そんな事は許されるんだろうか。  
いや、許す許さない以前に、どうしようもなく――――むごい仕打ちだ。  
相手は故人。だからこそ、もう思い出を増やしていくことも叶わない人だからこそ、あたしはもう手を引くべきじゃないのか。  
何度も何度も考えた。  
……だけど、私は今ここにいる。  
自分を穢し、彼女を嬲り、その想いを私利私欲のために蹂躙することになると分かっていても。  
それでも私は、ここにいる。  
 
だから――――、だから。  
 
私は忘れない。  
誰もが忘れても、私は忘れたりはしない。  
あの子は、ここにいたのだ。  
私がここにいるように。  
 
申し出がたとえあいつからであっても。  
娘さんがどれだけそれを望んでくれていたとしても。  
それを理由に、あいつの隣にいることを決めたなんて責任転嫁、私が自分に許すもんか。  
決めたのは私だ。  
あの子の居場所を奪い取り、あの子の想いを踏み躙ると決めたのは、全て私自身だ。  
私はあの子を奈落に突き落とす。故人である以上、文字通りの意味で。  
 
罪悪感。  
結局はそれだけなのだ。私がこんなに言い訳がましいのは。  
こんな風に罪悪感を感じるくらいなら、始めから身を引いているか、あるいは彼女の全てを奪い取って、がははと笑って見せた方がよっぽど故人への侮辱は少ないだろうに。  
本当に、私はどうしようもない……咎人だと、そう思う。  
 
だけど。  
私は罪悪感に押し潰されることが分かっていても、決めた。  
それが赤熱した鉄の茎と釘の茨、刃の葉と鋼糸の蔓、炎の花と酸の蜜によって編み上げられた道だとしても。  
……それを進むと決めたのは全て自分なんだから。  
恨まれて、呪い殺されてもそれも一つの結末。  
 
私は忘れない。  
罪悪感も、あの子の残滓も何もかも背負うと決めた。  
あの子を忘れない為に。  
それこそが、私にできるあの子への礼儀だと思うから。  
例えそれが、忘れ去ってのんきに暮らしてれば幸せが約束されてるとしても、誰も何も得ることのない自己満足でしかないとしても。  
……全部、私がそうしていくと決めたのだ。  
 
 
 
誰かが望んだ、みんながみんな幸せになれる完全無欠のハッピーエンド。  
――――私は、お姉ちゃんとなら家族になれるって信じてる。お父さんも、お姉ちゃんも、幸せって思える家族に、だよ。  
そう言う舌足らずな声のリフレイン。  
あはは、いいなあ。心の底から思う。  
それはどんなに素晴らしいことだろうかと。  
……でも、やっぱり幻想は幻想。  
子供の想いは純粋で、だけど儚くて。  
人の夢と書いてそう読ませるってのを知らないからこその残酷さ。  
それを成し遂げるには、ちょっと現実には譲れないものが多すぎる。  
この世界には人の想いは、それだけ多くて大きすぎるのだ。  
あの子のも、あいつのも、私達の家族のも、私達の友達のも、私たちの同僚のも、私達自身のも。  
 
「……あなたはどうするつもり? こんな泥棒猫のあたしに対して」  
 
――――風が吹く。  
さあ、という木の葉の擦れる音。  
遠くから聞こえてくる、町の喧騒。  
顔を上げた視界に入るのは、空の蒼さと雲の白さと山の赤。  
しばれるほどではないけれど、肌寒い朔風払葉の時節の空気。  
髪がなびいて、文字通りそこに一枚のもみじが当たった。  
そのまましばらく髪に張り付いて……、風が弱まった瞬間、ゆっくりと剥がれて下に落ちていく。  
と、  
「ひゃ……」  
収まったと思ったら、いきなり強く吹き付ける風。木枯らし。  
下に舞い落ちていた枯葉は、それに煽られて飛んでいく、私の横へと。  
振り向いても、もう見えない。  
 
風が吹く。  
風が吹く。  
風が――――、  
 
とうとうと、凍々と吹き続ける。  
私はひとりで立ちすくむ。  
 
返事はない。呼びかけもない。  
故人は応えず、ただまどろみの中で傍観するのみだ。  
ここには私しか居ない。  
……整然と並ぶ墓石の群は、まるで回廊の様。  
その中を、私はひとりで歩いてゆくのだろう。  
死者の残滓に絡まり、自傷しながらも。  
 
マッチを擦って、ろうそくに火を近づける。  
「あ……」  
赤々と燃えるそれはしかし、燃え移る前にあっという間に消えてしまった。  
もう一回、新しいマッチを取り出して、繰り返す。  
今度はついた。消えそうなくらいに小さな赤は、徐々にだけどそれなりの体裁になっていく。  
ぼう、と、ぼんやりとした火は、日の光の中で目立たないながらもしっかりと光っている。  
電気の明かりやキャンプファイヤーの炎とは違う輝きだと思う。  
……そう言えば、命はよくろうそくの火に喩えられるけど、何が原典なんだろう。  
そんな事を思いながら、お線香の包み紙を破った。  
折らないように剥がして、緑色の束を取り出してからゆっくりと火に近づける。  
そのまま、数秒。  
火の中の線香は、その名の通り独特の匂いを持って燃え始めたことを主張する。  
そうしてそのまま、お墓の指定位置へと丁寧に。  
柔らかな色合いの火は、確実に燃え続けていた。  
 
お数珠を取り出して、一回捻る。  
球が三つある方が左手、二つある方が右手。それぞれの中指に……だったかな。  
前とはやり方が違うから、未だに慣れない。  
そして、合掌。目を閉じる。  
想起するのは過去の事、今の事。  
そこにあるのは供養の気持ちなんだろうか、それともどうしようもない嫉妬なんだろうか。  
あるいは、良心の呵責なんだろうか。  
……どれであるのか、分からない。  
全部であるような気もするし、いずれでもないのかもしれない。  
ただ確実なのは、私はこの子を忘れていないという事だ。  
それが幸か不幸かは別にしても。  
この子が望むかどうかは別にしても。  
 
物言わない灰色の直方体に、記憶の中の、つまりは都合よく捻じ曲げられたあの子に対して私は話しかける。  
「……もし、いつかまた会うことになったら。貴方は私を怨む……、ううん、怨んでくれる? それとも、現在進行形で怨んでる?」  
 
……祟り殺されてもしょうがないとは思う。納得はしている。  
だけど、いちいち自問するのは覚悟が無いからだろう。  
どうしようもない臆病者だ、私は。こうして逃げ道を作ろうとしている。  
そもそも、記憶の中にいるあの子は、私に対して泣きそうな顔をしながら身を引きそうな気がする。  
もしくは、笑ってあの子も、あいつも、私も皆で楽しくやっていこうとするかもしれない。  
 
――――そうした、自分に甘い幻想ばかり思い浮かべる自分がこの上なく情けない。  
都合のいいことばかりだ。  
皆が幸せになるにはこの世には自身も含めて人の想いが多すぎる。  
誰にだって譲れないものがある。私だって、あの子だって、他の人だって。  
自分の都合で他人の想いをでっち上げるな。  
……確かなのは自分の想い。  
私は決めた、決めたんだ。  
あの子にも、周囲の目にも、自身の良心にだって傷つくことになったとしても。  
それでも、あいつとその家族を支えていこうって。  
私一人が勝手に決めて、私一人が勝手に進もうとしてるんだから。  
 
「……うん」  
よし、どうにか今日の分の覚悟は出来た。  
あの子を忘れず、追悼することと、私の意思の確認。  
その2つが毎日ここへ来る理由。  
……これでいい。  
 
数十秒かけて深呼吸。  
1回。  
2回。  
3回。  
冬の始まりの緊迫した空気が肺を満たす。  
閉じていた目には、何度目かに見上げた空も更に更に青くしみる。  
余計青く感じられるのは、朝の時間の経過もあるかな、たぶん。  
感覚だけでなく、実際に青くなってるわけだ。  
同時に立ちあがって、腰を伸ばす。  
天に向けて両拳をパンチ。  
「……くぅ…………っ!」  
あたたたたた……、骨や関節がぼきぼきと。  
首を回せばごきりと嫌な音。  
……まず。少し痛い。  
手を首の右側に当てて苦笑い。  
「……たはは」  
 
一気にそれで気が緩んだ。  
……ふう、すっきり。  
シリアスモードはここまで、かな。  
これからは日常だ、様々な雑事が私……いや、あたしを待ち受けている。  
それは生きてる人たちとのものだ。  
地に足が着いてたりくだらなかったりで、あたしたちが生きていく為に必要なやりとり。  
 
肩をぐるぐる回して、真正面からお墓に向き直る。  
「……また、来るからね」  
それだけを言って、体を翻す。  
無数の直方体を視界に捕らえながら、一人で日常へと帰還する。  
さて、今日のご飯はどうしようか。  
パンは昨日食べたから、今日はご飯食がいいかもしれない。  
冷えるから、あったまるおかゆなんかがいいかな。  
そんな事を考えて、歩を進める。  
……足音が、とてもよく響く気がする。  
想起する日常と、現状との乖離がますますそれを強くする。  
当たり前だ。  
……ここに来るのは、こんな道を選ぶのはあたしだけだから。  
 
 
 
 
……そう、思っていたのに。  
 
「……ここに来てたのか」  
「…………え?」  
 
霊園の出口で佇んでいるのは、家でグースカ眠っているはずの面倒臭がり屋だった。  
 
 
 
 
 

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