「な・お・み〜〜!!」
鬼のような怒声を上げながら、姉貴が俺の部屋に駆け込んでくる。
その声を聞いた瞬間、俺はまた何か姉貴の気に障ることしちまったかなとぼんやりと思う。
私のプリンを食べただの、私のコップを使っただの、些細なことで姉貴は鬼のように怒る。
その結果、俺を待つのは常にフルボッコの未来だ。
姉貴は高速で俺の後ろに回り込むと俺のシャツの裾を両手でがっしりと掴んだ。
これから起こるであろう惨劇に耐えるために俺は目を瞑る。
・・・が、いくら待っても姉貴がアクションを起こさない。
「・・・ねーちゃん?」
俺はゆっくりと目を開いた。
シャツを掴む姉貴の手が震えるのは怒りのためだと思っていた。
違った。
姉貴の身体は恐怖のために震え、その顔はいまにも泣きだしそうだ。
「く・・・、くろいのでた。」
普段は強気な姉貴はこういうときだけしおらしくなる。
蜘蛛とか蛇とかムカデとか平気な癖に、
なぜかゴキブリだけは名前を呼ぶのも嫌なぐらい苦手だ。
姉貴曰く。
黒いのが嫌、艶艶してるのが嫌、平たいのが嫌、
かさかさ歩くのが嫌、飛ぶのが嫌、全部嫌、らしい。
「どこ?」
緊張感が抜けて俺は、ふーっと息を吐く。
「わ、わたしのへや。」
ゴキブリは姉貴の部屋の壁に貼りついてじっとしていた。
まるでこの部屋の主は俺だと言わんばかりだ。
姉貴も俺にぴっちりと貼りついている。
「ねーちゃん、邪魔」
「だって、怖いし」
いつもこうならかわいいのになあと心の中で願いつつ。
ぺしっと、丸めた新聞紙であっさりと決着はついた。
まさに三日日天下だったな。
俺は残骸をティッシュでくるんでゴミ箱に捨てた。
「終わったよ。」
振りかえった俺は見た。
感動の余り、肩を振るわせる姉貴の姿。
・・・ではなく。
怒りに肩を振るわせる鬼神の如き御姿。
「なおみ〜! よくもあんなものの汁を私の神聖な部屋に〜!」
しおらしかった乙女の姿は陰もなく。
鬼の姿だけがただそこにあり。
「ぎゃああああああああ!!」