どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?  
 
 私は確かに超能力を手にしたはずです。  
超能力で、この人を私のものにして、めろめろにするはずだったのです。  
 
 何故今、私は、この人に押し倒されて、身動き取れなくさせられて、覆い被さられているのでしょうか?  
 
 
 ことの始まりはそう、たった2時間前でした。  
 
 私が仔猫の「しぃ」を拾ってから、今日で1週間です。  
・・・本当は、しぃを拾ったその日の内に、行動に移したかったのですが。  
何せ、「超能力」などという得体の知れない力です。  
いろいろ試して、害がないことを確認してからでも遅くはありません。  
・・・別に、町中のペットショップを歩き回って、猫用品を買い揃えていたからとか、  
嫌がるしぃを無理矢理宥めて、獣医さんに連れて行ったからとか、  
暴れるしぃを高級猫缶で釣って、シャンプーしてドライヤー掛けたからとか、  
ふわふわで柔らかいしぃを抱っこして一緒に寝てたからとか。  
そんなことは一切ありません。断じて。  
 
 ・・・まぁ、そんな日々を過ごしつつも、  
私はしぃと、超能力の賃貸云々について話し合いをしてきました。  
もちろん私は、全部丸ごと一生借りたい、と言ってみたのですが。  
もちろんしぃは、そんなもん無理に決まってるだろボケ、と言ってきます。  
で、数日間そんなやりとりを続け、お互いに疲れて来たところで、  
私は『最初から考えていた賃貸契約』を提案しました。  
ずるいと言うなかれ。人間はずる賢いのです。  
 
 一つ、借りる超能力の種類は、一度に5つまで。  
しぃが持っている超能力は、ざっと数えても30以上はあるそうです。  
しぃにしてみれば、最初の内は一つずつ貸し与えていく気だったのでしょう。  
でも、最初の「全部」よりはマシだろう、と思ってしまったのでしょうね。人類の英知の勝利です。  
 
 一つ、基本的に、私が朝起きた時に超能力を借りて、夜寝る前に返す。  
これなら、私が借りる超能力を溜め込む、というズルは出来ませんし。  
何より、猫の活動時間帯である深夜から早朝には、しぃは自由に能力を行使できます。  
 
 一つ、お互いに何か緊急事態が発生した時には、何を置いても駆けつける。  
まぁ、これはある意味当然です。私はしぃを養うことで超能力を貸してもらう、「契約」をしたのですから。  
養う、ということは当然、命を守ることで、責任を持つことでもありますからね。  
しぃも養ってくれる私がいなくなると、また野良の生活に逆戻りになってしまいますし。   
 
 この三つの提案に、しぃは乗ってくれました。  
超能力を持っているとは言え、まだ生まれてから1年も経っていないような仔猫さんです。  
20年生きている人間の口車にも簡単に乗ってしまうようでした。  
 
 
 
 で、それから数日。  
契約通り私は、毎日5つずつ能力を借り、どんな感じでどんなことが出来るのか、試してきました。  
そして今日、超能力を駆使して、私はあの人に挑もうと、思ったのです。  
 
 
 そう、用意周到に準備をしました。  
オンナには、全力で向かわなければいけない時があるのです。  
 
 普段は朝、出かける前に浴びるシャワーを浴びるだけの私が、  
夜中とも言えるその時間に、念入りに、たっぷりとお風呂に入り、髪を、肌を磨き、全身を手入れしました。  
 
 普段は動きやすいから、とTシャツとGパン、ポニーテールで過ごす私が、  
白のキャミソール、薄い水色のレースチュニック、ミニのデニムスカート、黒のニーソックス、  
更には、髪を下ろし、半ばから先端に掛けてヘアーアイロンで緩く巻く、  
などという、私に出来る最大限のおしゃれをしました。  
 
 普段は時間が勿体ない、と全く化粧をしない無い私が、  
丁寧に、それでいて下品でないほどに薄目の化粧をして、  
微かに香る程度に、石けんの香りの制汗スプレーを、腋や胸元、膝裏や太腿に一吹きしました。  
 
 戦闘態勢を整えている私を、しぃは怪訝な眼差しで見くさりましたが。  
私がピンクのマニキュアを塗った爪をふぅふぅ乾かしながら横目でにらm・・・違いました、微笑みかけると、  
敢えて何も言わずに、専用ベッドで丸くなってくれやがりました。  
こんなことに気を遣わないでもっと別な時で使って欲しいものです。  
 
 最後に、私は姿見で自分の姿を確認します。  
惚れ惚れするような美人・・・なんてことはありません。  
何処にでもいるような、少し地味めの女の子、という感じです。  
でも、これで良いのです。  
超能力を使用するとはいえ、あくまで「私」にめろめろになってもらわなければ意味無いのですから。  
 
 以前から、今日、あの人は一人きりだと言うことは分かっています。  
何せ明日は、受けた学生の7割は単位を落とすという、鬼のような講義の中間試験です。  
真面目なあの人は、誰かと一緒に勉強する、ということも、勉強しないで遊びに行く、ということもないはずです。  
あ、私なら大丈夫ですよ?  
きちんと講義を受け、一ヶ月前から対策を立て、教科書の端から端、ノートの隅から隅までバッチリです。  
それに、超能力があれば、あの人を落とさせることは絶対にさせませんし。  
 
 戦闘態勢が整ったことを確信したその時、  
ベッドで丸くなりながら、またもこちらを見ているしぃと目が合いました。  
 
『・・・どこ行くんだよ、そんな気合い入れて』  
「オンナが夜におめかしして出かける、ていったら、行き先は限られているものですよ。  
・・・あぁ、しぃはまだ仔猫ですから、そういう意味、分かりませんよね。ごめんなさい」  
 
 悪びれる気持ちなど全くないので、しれっと言ってみると、  
案の定、送られてくるテレパシーに怒りが混じってきました。  
 
『オイ、オマエが何処に行こうが何しようが、オマエの勝手だけどな・・・。  
オレを養うってことと、寝る前には超能力返す、って言うこと、忘れんなよ』  
「それは・・・言い直すと、必ず帰ってこい、って言うことですよね。  
大丈夫ですよ、朝までには帰ってきます。アナタを捨てたりしませんよ、しぃ」  
 
 私がそう言うと、しぃのテレパシーが激しく乱れました。  
そのまま、ベッドの中で、私に背を向けて寝転び直します。  
テレパシーの中に含まれる感情は複雑で、何を言いたいのかよく分からないのですが、  
ベッドの中で長い尻尾がだらんと垂れきっているのを見ると、どうやら嫌なわけではないようです。  
 
「・・・それじゃ、行ってきますね」  
 
 チュニックの襟元を整えながら挨拶をすると、  
しぃの尻尾が「行ってこい」と言うように、一度、ぱたりと大きく振られました。  
その様子に、思わず、クス、と微笑みかけますが。  
本来の目的を思い出し、そっと目を閉じます。  
脳裏にあの人のアパートのドアを思い浮かべ、強く強く集中しました。  
その瞬間、ふ、と身体が浮かんだような感触がして、  
更に次の瞬間に、すと、と何処かに降り立ったような感触がしました。  
ゆっくりと目を開くと、そこは何度か訪れたことのある、あの人の部屋の前です。  
瞬間移動能力(テレポーテーション)、見事に成功です。  
 
 心の中で万歳三唱しながら、あの人の部屋のドアを見つめ、部屋の中を見る、と強く集中しました。  
すると、次第にドアが透け、壁が透け、黙々と机に向かい、ノートと戯れているあの人の後ろ姿が見えました。  
見事に透視能力(クレヤボヤンス)、成功・・・けど・・・はぁ、いつ見ても、素敵です。  
たとえランニングシャツとトランクスだけ、なんて後ろ姿でも、  
引き締まった身体や、ふわふわした髪、健康的でありながら焼きすぎているわけでもない肌がはっきりわかります。  
・・・はっ、思わず見とれてしまいました。  
そのままクレヤボヤンスを発動したまま、あの人の部屋の中を見回し、他人の姿がないことを確認します。  
大丈夫、他の人はいないし・・・あんな格好をしている、ということは来客の予定もない、ということでしょう。  
 
 もう一度私は、目を閉じて精神を集中し、見たばかりの、あの人の部屋の中央当たりの様子を思い浮かべました。  
また、ふ、と身体が浮く感覚と、すと、と身体が降り立つ感覚が1秒もしないうちに訪れて。  
目を開いた私の目の前には、ひたすら勉強に励むあの人の姿がありました。  
大きな手がシャーペンを握り、かりかりと文字を書く音、  
あの人の逞しい肩が微かに上下し、緩やかに呼吸を繰り返す音が、  
部屋の静けさを破らず、寧ろ増長させているようです。  
・・・その静けさを破るのが、とても心苦しかったのですが、  
ここで引き下がったら、何の為に超能力を借りて、何の為に戦闘準備を整えたのか、分かりません。  
 
 きょろ、とクレヤボヤンスで軽く部屋を見渡し、部屋の隅に置いてある棚に、荷造り用の紐を見つけました。  
その紐をそのままクレヤボヤンスで見つめ、集中します。ここに来い、と。  
その途端、ふわ、と紐が浮き上がり、私の目の前まで飛んできました。  
紐は空中で制止すると、私の意思そのままに、先端部分が伸びていき、するするとあの人の方に向かっていきます。  
念動能力(サイコキネシス)、成功です。  
 
 塊状になっている荷造り紐を完全に解いて一本の紐にして。  
紐は、私の意思通り、椅子の背もたれを何周かしたかと思うと、そのままあの人の手に伸びていきました。  
あの人の視界に入らないギリギリの位置まで紐を近づけ、呼吸を整えます。  
 
 これさえ成功すれば、後は、私の思いのまま・・・。  
1、2の・・・3っ!  
 
「うわぁっ!」  
 
 紐がぐる、と一瞬にしてあの人の腕に巻き付き、  
物凄い勢いで背もたれに両手首を固定し、更に上半身を雁字搦めにしていきました。  
 
「なっ、何だ、なんだこれっ!?」  
 
 突然のことにあの人の上げる叫びが、何だか私の心を激しく揺さぶります。  
可哀想だ、やっぱり止めよう、という気持ちが半分と、  
何だかもっと、動揺させたい、色んな声を聞きたい、という気持ちが、半分です。  
そして、私がこの後選んだ行動は。  
後者の気持ちに従ったものでした。  
 
「こんばんは、桜庭先輩」  
「え・・・っ!? 鈴音っ!? 何で、俺んちに・・・!?」  
 

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