光陰矢のごとしとはよく言ったもんで、瞬く間に夏は過ぎ去った。
蒸し暑い夜は涼しくなり、旬のものは変わり、仕事のしやすさも違う。
だが、姉弟の関係は変わったかにみえても…変わっていない。
勝気な姉に振り回される俺と、弟を振り回して遊ぶ姉。
結局、死ぬまでこうなんじゃねーか、と最近は実感する。
でも、嫌じゃない。なんとなく、本当になんとなくだけど、振り回されてる時が愛しい。
我ままにに付き合わされ、買い物では荷物持ち。二言目には「アキヒト、付き合え。」
そんな姉だが、憎めない。友達に冷やかされた日々とは違って、それはそれでいい、と思えるようになってきた。
変なところで、大人になっているんだなぁ…。
「アキヒト…大丈夫?」
珍しくお姉ちゃんが心配そうな顔をしている。
俺が仕事中、バイクで事故ったのだ。相手は2tトラック。
とはいえ、大きい傷は顔面を10針縫う怪我ぐらい。後は打撲で奇跡的にむち打ちも無し。
すこぶる元気である。怪我より事故処理に頭を悩ませている…。
「見てのとおり元気だよ。一応病院に一泊したけど、特に問題なし。」
はぁぁ…と大きく息をつくお姉ちゃん。なんだかんだで、心配しているんだな。
珍しいものを見れていいなー、と俺はどこまでも?気。
そんな事をお姉ちゃんに言ったら、ペドロヒメネスを1ダースは要求されそうだけど。
「全く…アキヒトがいなくなると困るんだから」
「…どんなふうに?」
「まずは荷物持ち」
やはり…。
「次に海と沙耶の世話」
お姉ちゃん、あなた母親ですよ。
「他には私専属の運転手」
俺はいつからあなたの専属ドライバーになったんですか?
「一番はお酒の相手。友達は付き合いが悪い」
…友達は酒に付き合わない(付き合いきれない)みたいだからなぁ。
「全く。枚挙に暇がないわ。しばらく不便な暮らしかな」
お姉ちゃん。付き合わされる俺の身にもなって下さい。お願いですから。
…まぁいいや。
「アキヒト。早く元気になってね。それじゃ」
最後に優しい言葉を残して去っていく。入れ替わりに入ってくるのが、兄貴。
お姉ちゃんとは違ってかなりのしっかり者だ。挨拶を済ますと、まずは傷の様子を見る。
単なる癖かもしんないけど。
「大丈夫かい?アキヒト君。」
傷口に当てたガーゼを新しいものに換えてくれる。まだ血が止まりきっていないから真っ赤。
流石に手際がいいし、グチャっとなった傷口を見ても動じない。
「まぁ、見てのとおりかな。傷は痛み止めのおかげで疼かないし、心配しなくてもいいよ」
「それはよかった。そうそう、救急隊の面々には挨拶しておいたよ。今は異動したけど、同僚だし」
「お、サンキュー。手間が省けた」
ここがお姉ちゃんとは違う。キチッと気配りができる。気が回らない上、野暮でいなたい俺の理想でもある。
俺がそんな風に思っているのを知ってか知らずか、何の気なしに野暮な話しを始める。
「泉美が心配してた。ダメだよ、アキヒト君。女性をあんなに心配させちゃ」
「へ?そんなに深く心配してたの?てっきり、あっさりしてるもんかと…。」
驚いた。俺の笑顔一つで塵芥のように飛んでくぐらいの心配だと信じていたから…。
というか、そんな素振りしか俺には見せてない。
兄貴は得心いったような顔で頷いている。
「あぁ…君の前じゃ強がっているか。事故ったって聞いてから、とにかく熊みたいにうろうろしてた。
付き合い長いけど、初めて見たよ。携帯繋がんないって半泣き。俺が電話でなんとか宥めたけど…。」
「電話はまぁ、職場とか警察にかけてたから繋がらなかったんだと思う。
それにしても、そんなに心配してたんだ…。でも、なんで姉弟なのに強がるのかな?」
「姉弟だからこそ、かも。お姉ちゃんの余裕を見せたかったんじゃない?
泉美は妙なところで意地っ張りだからね…。そういうところが可愛くて結婚したんだけど」
「…さらっと甘い発言ありがとう」
「ま、ゆっくりしなよ。まとまった休み取れるから。
外出は無理だろうけどね。郵便屋である以上どこで見られるかわかったもんじゃないし」
「抜糸するまで、医者以外の時間は自宅警備と決めてるから大丈夫。
それより傷痕残るかな?ただでさえ怖い顔と威圧的な体にこれ以上ハクをつけたくないんだけど」
「んー…多分大丈夫。奇麗に縫われてるよ。それに、残ってもいい場所じゃん。未来の海賊王と同じ位置だよ」
「嬉しくねぇ…。」
「ふふ。俺はここらで失礼。薬のチャンポンで眠いんじゃない?」
「流石によくわかっているね…。昼寝してるわ。まだ精神的にも疲れているし」
頷いて、じゃ、と片手を上げて兄貴が部屋を出ていく。
部屋に残ったのは俺一人。
好きな音楽をかけて、夢の中へと沈んでいった。
こんな生活が続くこと一週間。その間にいろんな人が来た。
でも、同居している家族以外で毎日来たのはお姉ちゃんだけ。
普段と違ってどこかで弱くなっている俺にとっては、話し相手になってくれるお姉ちゃんは非常にありがたい。
とりとめも無い事を話すだけだけど、それがありがたい。兎に角人恋しい。
それがお姉ちゃんはわかっているみたい。姉弟っていいなぁ。
そして、先日めでたく抜糸。兄貴の言うとおりきれいに縫われたみたいで、傷痕はほとんど目立たない。
形成外科の先生も大丈夫だろう、って言ってたし。
「で、アキヒト。抜糸が済んだのだから…わかってるよね?」
…いやな予感が物凄くする。もちろんとぼけるが。
さぁ?と首を傾げる俺につきだしたのは、お姉ちゃんが大好きなペドロヒメネス。
「さ、飲もう」
やっぱり。ヤバい、かわさないと…。
「俺、病み上がりなんだけど」
「病気じゃなくて怪我じゃん。大した事ないし」
…かわせないね。俺の実力じゃ。うん。
「…グラスをくれ。クランベリーは冷蔵庫に入ってるよ…。」
前にも言った気がするが、毒食わば皿まで。やけっぱちだ。しかし、まだ日は出てる。
今夜は長くなりそう…。
「乾杯!」
「かんぱい…。」
このテンションの差。ダダ下がりの俺に対して、お姉ちゃんは滅茶苦茶ハイだ。
もう酒入ってるんじゃねーの?と心の中で毒づく。
お姉ちゃんはやっぱり、くっと呷る。俺はちびちび。まったくもっていつもどおり。
口の中に広がる芳醇な香り。そのくせ甘い酒で、なかなか美味い。クランベリーもいい感じだ。
「ん〜、美味しい。最近お酒飲んでなかったからね」
「珍しいね。週のうち5日は飲むイメージだけど」
「アキヒトと一緒に飲もうと思って我慢してたんだ」
お姉ちゃんはさらっと言ったけど、ちょっとむせそうになった。
普段は俺のことなんて顧みない性格なのに…。
そういう不意打ちがあるから、お姉ちゃんは憎めない…というか可愛いのかもね。
赤くなった顔を酒精のせいにするため、一気にグラスをかたむける。
18度ぐらいだけど弱い俺には十分。すぐ顔に血が集まった。
「相変わらず、飲みやすいお酒だね。やっぱりいいな」
「そうだね。愛飲しているターキーとは違って甘いし」
「ターキーかぁ…。うん、アキヒト、持ってこい」
またむせそうになった。あれのストックはもうほとんどない。地味にレアな酒だし…。
とはいえ、お姉ちゃんの事だからどこに隠しているかのアタリはつけていそう…。
部屋を荒される前に出すか…。俺の失言と情け容赦のないお姉ちゃんに泣くしかない。
多分今夜で一本無くなる…。
「…持ってきたよ」
「うん、こっちのお酒はなくなったし、チャンポンでいいよね?」
「あぁ。。。」
ワイングラスからロックグラスに持ち替えて、ターキーを注ぐ。
さすがに50度を一気飲みは辛いらしく、お姉ちゃんも静かに飲んでる。
俺はさらにペースが低く、ほとんど舐めるよう。いつもの事だけど。
飲み始めて数時間。10時ぐらいには出来上がっていて、相も変わらずのキス魔。
「アキヒトぉ…。」
「ん…。ちゅっ」
最近は俺も積極性が出てきた。キス魔への道をひた走っていく。
ほとんどバードキスだけど、ディープキスもたまにある。唇を小突く舌を感じて口を開けば、唾液と酒が同時にくる。
とはいえ、舌を絡ませることはないけどね。
「ぷは…。」
何回目かわからないキス。唇に残る感触。
「アキヒト…。」
「ん?」
キスをねだるのかと思ったけど、そうじゃないみたいだ。
酒を口に含んでいるわけでもないし、目を閉じてもいない。
「またこうやってアキヒトと飲めて、嬉しいよ。正直、もう飲めないかと思った。」
「どうしたんだよ、急に…。」
今日一日で何回びっくりすればいいんだろう。
真摯な瞳で見つめてくる。
「心配だったよ」
「…ありがとう。」
お姉ちゃんは真剣だ。茶化す事はできない。
素直な言葉。それだけを返す。
「今夜の台詞は忘れてよね、アキヒト。お酒の力を借りて言った事だし、恥ずかしいから」
「…うん。」
最後にグラスに残ったのを呷って。お姉ちゃんは俺に背を向けて寝た。
お姉ちゃんに毛布をかけて、残った酒を少しずつ飲む。
今の台詞、まだ忘れたくないから。
朝。お姉ちゃんはやっぱりいつもどおり。
「アキヒト…昨日は飲みすぎちゃった…。」
「ま、ゆっくりしてなよ。海と沙耶は親父達に任せときゃいいし」
かくいう俺も深酒で頭が痛い。お姉ちゃんが潰れてからも飲んだから…。
「…アキヒト。昨夜の事、覚えてる?」
「何のこと?」
「ならいいんだ」
お姉ちゃんはまた寝た。声を出さないように、くすっと笑って。
くぁ…と欠伸を一つして、俺も二度寝。
俺のお姉ちゃんはわがままな人だ。でも、俺にとっては世界一のお姉ちゃんだ。
こんな姉弟、変ですか?