「メヒィル様のことなど知りませんし、  
もし訪れてもあなた達に教える気はありません。お引取りを」  
 
骨と皮だけになった銀髪の老婆は、  
ベッドの上で上半身だけ起こした体勢で静かに呟く。  
対峙する太った男は口元に歪んだ笑みを浮かべながら  
老婆になおも詰問する。  
 
「そういわれましても、こちらも仕事でして……  
この村の周辺に土地勘がありかつて教育係だったヤルヴァ殿へ  
メヒィルが会いにくるのはまず間違いないと思われますので」  
 
メヒィルの名が呼び捨てにされるのを聞いたとたん、  
老いた女の落ち窪んだ眼窩がかっと見開かれ  
ベッドの脇に立つ男達を睨みつける。  
「ララウヌ領の兵士が公爵家の名を口にするのなら、  
様をつけなさいこの痴れ者が!!」  
 
隊長の側で控えていた若い男たちは皆その怪気炎にやられ  
わずかに怯むが、中央に構える男は表情を変えず  
肥満体を揺らしながらふんと鼻を鳴らした。  
 
「民を飢え凍えさせる無能な為政者など、尊敬には値しません。  
我らが真に忠誠を誓うのはいまやエルゴザ様一人。  
いまだ前領主の娘たちに形ばかりの忠誠を誓う者たちも、  
やがてエルゴザ様を本当の領主と認めるようになるでしょう」  
 
老婆はやりきれないというようにため息を吐いた。  
「軽薄そうなあなたに説いても無駄かもしれませんが、  
去年この国を襲った数々の厄災は、歴史に名を連ねる  
賢王達が束になっても死者の数を0にすることなど不可能なもの。  
姫様たちを詰るのは筋違いです」  
 
老婆は、隊長の肥え太った腹や脂ぎった額、  
高価そうな絹の上着やこれ見よがしに  
はめられた指輪などを見ながら軽蔑の視線を注ぐ。  
「……もっとも、こんなことを話してもあなたには  
理解できないでしょうが」  
 
恰幅のいい隊長のいでたちは、領の多くの民が貧困にあえぐ中この男が  
裕福な生活を続けた証だ。 
そしてその不健康にぶくぶくと膨れ上がった体は、 
民たちが飢える中自らは怠惰な生活を送っていた何よりの証であろう。 
そんな男に「民を飢え凍えさせる」などとメヒィル達を非難できる資格などないだろう。 
「しかしエルゴザ様が戻られてからというものはその厄災も  
すっかりとなりを潜めたではありませんか。それこそが、  
エルゴザ様を天の神々が真の領主と認めた証だと思えませんか?」  
 
「領主が誰になろうとあたしらにはどーでもいいよ。  
そんなことより早くパンの配給再開させてよ」  
口元に布を巻いた栗毛の少女が皮袋を背負いながら  
ドアを開けて部屋へと入ってきた。  
 
「おお、あなたはお孫さんの……」  
わずかに顔を左に傾けて思い出そうとしていた隊長の肩にドンと  
ぶつかりながら孫娘は祖母の側に歩み寄る。  
 
「ハミルだよ。ハミル・メッツァ。  
認めたくないけど、あんたの言うとおりこのばばぁの孫さ」  
皮袋の中から野草を取り出すと、  
ハミルは花瓶にいけようとしてかすかに目を細める。  
 
「ハミル、あなたはまたそういう汚い言葉を使って」  
ヤルヴァは孫娘を諌めようとするが、  
ハミルは赤い宝石のついた耳飾を揺らしながら  
祖母を気にかけもせずてきぱきと着替えを取り出す。  
 
「うっさいな、年寄りは黙ってろ。  
今このおっさんと話してんだよ」  
「ならば、あなたからもおばあ様を言い聞かせてください。  
メヒィルがもしここに来たなら…………おい、お前らどうした?」  
 
周りの若い兵達が口元を押さえ怯えながら  
部屋のドアへと近づくのを見て、隊長は怪訝な顔をする。  
「おっさんさあ、あんた中央から飛ばされてきたでしょ?」  
 
ハミルのあまりに失礼な物言いに、そしてその指摘が  
正しかったことに男は顔を真っ赤にする。  
「な、なぜそれを!」  
 
「うちのばばぁ疫病なんだよ。ばばぁがさっき言ってた厄災の一つ。  
あたしの口元の布見りゃここらの人間なら一発でわかるさ。  
首都では流行ってないからわかんないだろうけどさ」  
「え、疫病!?そんな話は一言も聞いていないぞ!!」  
 
思わず声を裏返す隊長に、ヤルヴァはにっこりと微笑む。  
「自己紹介もせずにあなた達の質問が始まったので、  
私の近況も話せませんでしたのよ」  
ハミルは天を仰いで悪態をついた。  
「っとにたちの悪いばばぁだな。あんたが兵士にうつしてみろ、  
血の繋がったあたしの立場まで弱くなるってのに」  
 
すると、いきなり兵士達のほうを向いた老婆が大仰に咳き込んだ。  
ひぃ、と叫んで隊長は尻餅をつき、口を押さえ這いながらドアを目指す。  
「と、とにかく、メヒィルが来たら、すぐに私達に知らせるように!  
もし知らせなかったら、ひ、ひどい目にあいますよ!!」  
 
ぎゃあぎゃあと捨て台詞を吐きながら部屋を出て行く兵士を、  
祖母と孫娘は冷ややかな目で見送る。  
その声が完全に聞こえなくなってから、  
ヤルヴァは枕の下から取り出した布を口元に巻きつけ孫娘を睨みつける。  
「ハミル、もうこの部屋に入るなといったはずです」  
 
猫なで声を出しながらハミルは老婆の側を離れ、  
長年使い込まれているであろう色合いの箪笥の前に歩み寄る。  
「あらあら、おばあちゃんは優しいわね。  
あたしに病気がうつらないよう心配してるのかしら。  
それとも…………」  
 
ハミルが勢いよく家具を開くと、かび臭い空間から  
一人の少女が転げ落ちてきた。  
「きゃっ」  
箪笥の中から出てきた少女を、ハミルはさっと受け止める。  
「この子を見つけられたら困るから、か?」  
 
大きな青い瞳の少女ははにかむように笑いながらハミルの腕から離れる。  
窓しか光源のない薄暗い部屋の中でも存在感を失わない金髪の  
乱れを直しつつ、彼女は恩人の孫に深々とお辞儀をした。  
「初めましてハミル。私はララウヌ領第二候女のメヒィルです。  
箪笥へ勝手に入った無礼を許してください」  
 
怪訝そうに候女を上から下まで見つめた後、  
ハミルは呆れたような声を上げる。  
「……とっとと部屋から出てってくれないかな。  
あんたも病気になるぞ」  
 
メヒィルは静かに首を横に振った。  
「私は、まだばあやと話したいことがありますから」  
「……ま、いいけど。せめて口を塞ぎな」  
箪笥から飛び出した時落とした布をハミルから受け取り、  
メヒィルはにっこりと微笑みありがとうとお礼を述べる。  
 
「なぜ、私がいるとわかったのですか?」  
「花瓶に見覚えのない花が混じってたからね。  
ばばぁのお見舞いするヤツなんざあたしぐらいなもんだから」  
湿った布で祖母の体を拭こうと近づいたハミルは、  
その手をそれまで沈黙していたヤルヴァに捻り上げられる。  
 
「なにすんだばばぁ!」  
「私の目を節穴だと思っているのかしら?」  
祖母が素早く彼女の袖の中に手を伸ばすと、  
そこから細長い蛇のような怪物の紋章が刻まれた財布が落ちた。  
その紋章は、この財布がララウヌ領の兵士に支給されるものだということを示している。  
 
「またあなたはすったわね……なんという情けないことを!!」  
悪びれもせず、頭をぽりぽりと掻いてハミルは財布を拾う。  
「うるさいなぁ……別にいいだろ。あんな見るからに  
肥え太ったおっさんから少し頂くくらい」  
 
急に老け込んだようにヤルヴァの顔に影が差す。  
「私はあなたの将来が心配だから言っているのよ。それに  
孫の手を汚してまで、生き永らえたいなんて思わないわ……」  
 
苛苛とした感情を隠そうともせずハミルはがなりつけた。  
「鬱陶しいな。別に生き永らえる必要はないよ。  
ただうまいもんでも食ってその病気をなおしゃいーんだよ、  
周りの人間にうつさない程度にな」  
 
「あなた、そういう所は母親そっくりね……」  
ヤルヴァの言葉にハミルはさっと顔色を変える。  
「死んだ母さんのことは悪く言うな!このくそばばぁ!!」  
荒々しくドアを閉めると、ハミルは部屋を後にした。  
 
「……母親そっくりで素直じゃないと言おうとしただけなのに。  
せっかちな娘ね」  
そこで、ヤルヴァはメヒィルのほうへ向き直る。  
「お恥ずかしいところをお見せしました……」  
 
メヒィルは花瓶を見てくすりと笑う。  
いけられていた花は取り替える前の物も含め  
しおれた物は一つもなかった。  
ハミルがヤルヴァの世話を小まめに見ている証だろう。  
 
「恥ずべき物なんてひとつも見当たらなかったけど。  
むしろ、家族と離れ離れになった私には羨ましい位」  
目の前の少女が家族と離れ離れになっていることを思い出し、  
ヤルヴァは心の中でしまったと思う。  
「……すみません、メヒィル様もお辛い立場だというのに」  
 
「そんなことを謝ってもらう必要は無いわ。  
むしろ私がばあやに謝ってもらいたいのは、今のあなたの病気のことを  
私達に隠していたことよ。あなたが病に冒されているなんて  
今までの手紙には一言も書かれていなかったんだったもの。  
私がどれだけびっくりしたと思っているの?」  
 
「今は私のことよりもあなたのこれからのことです」  
メヒィルには分かる。もしヤルヴァが自分達に病気のことを知らせれば、  
自分達はヤルヴァを助けようとできる限りの事をするだろう。  
だが彼女は、侯爵家と縁があるからといって  
自分だけ特別に施しを受けるのをよしとしないのだ。  
 
「ばあや……」  
ことさら今のように領内の治安、経済がめちゃくちゃになっている時に  
特別扱いされるようなことは絶対に好まない人間なのだ。  
「知恵をお貸しします。今の私にはそれしかできませんので」  
 
 
貴族の別荘の裏口が開き、中から貴族とはかけはなれた  
うす汚れた身なりの少女が姿を現す。  
覆面から飛び出す耳にぶら下がったイヤリングが、  
一瞬だけ雲の間から照らされた月の光を反射して赤く光った。  
 
裏口から身を乗り出すと、黒い影は扉の外から  
道具を使って鍵をかけ、そっと裏門まで近づき  
一気に鉄柵を乗り越え大通りに着地する。  
と、影は目の前に気配を感じてびくりと体を震わす。  
しかし、それが一匹の黒猫と知って少女はふぅとため息をついた。  
 
そしてそのまま風のように駆け人目につかない裏通りまで出ると、  
胸元から皮袋を取り出し光る金属片を取り出す。  
それは別荘に置かれていた純金製の家具から  
刃物で削り取った金の欠片だった。  
 
(……銅貨1枚分といったところかな。  
まだ、薬代には足りないか…)  
賊は思わず天を仰いで息を吐く。  
(ああ、やっぱりあのお姫様売り払えばよかったかな)  
 
しかし、目を瞑って祖母や自分に笑いかける  
候女様の顔を思い浮かべると、その気がみるみる失せていく。  
(普通、私が兵隊に売り払いに行くかどうか心配するだろうに。  
つーかなんで侯爵家の人間のほうが兵士より安い服着てんだか)  
 
一仕事終えた後の安堵が彼女の注意力を低下させていた。  
彼女の背中に刃が突きつけられるまで  
見張られていたことに気づかなかったのは彼女の失態だ。  
 
「――――!!」  
「動くな」  
背後にいたのはあの太った兵士。  
「財布を取り返しに来たら面白いものを  
見つけてしまいましたなぁ」  
 
そこで、彼女は口元を布で隠した兵士達に囲まれる。  
覆面を引き剥がされると、栗毛色の短い髪が飛び出した。  
「ああ、覆面は全て剥ぎ取るなよ。口元は隠しておかないと、  
私達も感染する可能せ……」  
 
そこまで喋った男はにやりと不吉に目元を歪め、  
怯え震えるハミルの耳元に指を伸ばす。  
「メヒィルもそれはそれは美しい金髪だった……いやいや面白い。  
本当に面白いものを見つけてしまいましたな」  
 
むくんだ指の先に、細長いブロンドが一本だけ絡み付いていた。  
自分の不甲斐なさに目を瞑ったハミルの鼓膜を、  
遠くで鳴り響く雷鳴が震わせていた。  
 
 
ヤルヴァから教えてもらったルートを地図へ書き込んだ後、  
メヒィルはふぅと息を吐いた。  
「ありがとうばあや。この抜け道を使えば、領境の検問もなんとか突破できそう」  
 
「ええ、突破できますとも。あなたは賢く芯が強いのですから、  
何が起きても決して諦めないでください」  
ヤルヴァの励ましにメヒィルは微笑み返すが、  
すぐにその顔が不安で曇る。  
 
「……でも、ばあやのことが心配です。  
医者にかかるお金は無いのですか?」  
老婆は静かに首を振って答える。  
「もう、私は充分生きました。  
最後にあなたの顔を見ることができて私は幸せです……」  
 
思わずメヒィルが叫び声をあげる。  
「ああ、最後だなんて悲しいことをいわないで!」  
「悲しくはありません。天命ですよ、これは。  
だから、あなたがそんな風に嘆くことはありません」  
 
「ばあや……」  
「そんな風に涙ぐんでいては、ロジア様に笑われますよ?  
ふふ……あなたは、虫が大嫌いで、妹のロジア様が  
捕まえてきた虫を見てはよく恐い恐いと泣きだして、  
シキッドの側に寄り添っていましたね」  
 
それまで少しも緩まなかったヤルヴァの目尻が綻んだのを見て、  
涙目だったメヒィルも目元を拭きながらにっこりと笑った。  
「そうね……幼いあの子も、  
きっとどこかで頑張っているはずだもの。  
お姉さんの私が泣いてなんかいられないわ」  
 
「本当に、あの頃は楽しかった……。  
あなたがいて……ロジア様がいて、レンツ様がいて。  
侯爵さまの元であなた達姉妹に色々と教えていたあの時間は、  
私にとって宝物です」  
 
「ロジアなんて、あなたのお勉強を一番嫌がっていたのに、  
あなたがいなくなる日大泣きしていたものね」  
「あら、あなたもですわよ。……もちろんレンツ様も」  
「そうだったかしら……………………!」  
 
ふいに、少女の顔が硬直し会話が止まる。  
「メヒィル様……?」  
「来る……!」  
少女が老婆の体を窓から隠すように立ち上がると同時に  
窓から石が投げ込まれ、カンテラの小さな火が掻き消える。  
「メヒィル様、お逃げください!!」  
 
「大丈夫、彼がいるわ」  
 
金切り声を上げる老婆とは対照的に、  
少女の声はひどく落ち着き払っていた。  
わずかな月明かりに浮かび上がる人影達が、  
呻き声を上げながら打ち倒される音があたりに響く。  
黒雲から月が顔を出しあたりが白く淡い光に照らされた時、  
老婆の目に入ったのは触手を全身に生やした怪生物が  
数名の兵士を縛り上げ行動不能にさせている恐ろしい光景だった。  
 
「な、メヒィル様、これは、この魔物は!」  
初めて取り乱す老婆を前に、少女は触手の前にその身を差し出し、  
自らの腕をその触手に絡ませる。  
「怯える必要はないわ。あなたもよく知っている、  
私の最も信頼する人だから」  
触手が姫の安全を確認するように彼女の髪をさする。  
すると彼女は飼い主に頭を撫でられた猫のように目を細めた。  
 
あまりのことにぽかんとしていたヤルヴァの前で  
さらに不可解な出来事が起きる。  
メヒィルの胸元が内側から光りだしたのだ。  
それを見たとたん、メヒィルは弾かれる様にして  
衣服の中から手鏡を取り出す。  
 
「あの、魔女さん、お久しぶりです!!」  
なんと手鏡に映った黒衣の少女はメヒィルの問いかけに答える。  
『久しぶりね。と言っても3日ぶりだけど』  
 
「あの、あの。いきなりですいませんけど、  
この人を魔法で治してもらえませんか?  
私にとって、大事な大事な恩人なんです。  
そう、家族のように大事な人なんです」  
 
手鏡をいまだ状況の飲み込めないヤルヴァに向けながら、  
メヒィルは必死になって懇願する。  
すると黒衣の少女は老婆の容態を見てわずかに唇をかみ締め、  
『また……あいつの仕業……?』  
と小さな声で呟いた。  
 
「あ、あの、治せるんですか?」  
『無理ね』  
「そんな、でもシキッドは!」  
『彼も正確には治したんじゃない。化け物とくっつけただけ。  
……でも、この人の体力では多分それもできない』  
 
状況を飲み込めなくても、老婆はメヒィルが自分を助けるために  
必死に頼み込んでいることを理解した。  
「……いいんです、メヒィル様。もう、私は受け入れていますから」  
「そんな……」  
打ちひしがれたように押し黙った少女を見つめながら、  
黒衣の魔女は遠慮がちに言葉を発した。  
『……お姫様、クロオの話では彼女のお孫さんが大変みたいよ』  
「ハミルが……?」  
 
意味ありげな魔女の視線をメヒィルとヤルヴァが追うと、  
シキッドの強烈な締め付けで気絶し地に伏せた兵士の手の中に、  
赤い宝石のついた耳飾りが握られているのが目に入った。  
「な……」 
それはハミルのみにつけていた耳かざり。  
それだけで、二人は悟った。  
ハミルの身に起こったであろうことを理解できた。  
「ハミルが……ハミッ」  
青ざめた老婆が孫の名を呼ぶ途中で大量の血を吐き出す。  
 
「ばあや!?」  
メヒィルが近づこうとすると、  
ヤルヴァは左手を上げて彼女の接近をやめさせる。  
 
「お願……来ないでっ…………それよりも、  
私よりも…………ハミルを、あの子を…………」  
メヒィルはわずかに逡巡した後、意を決して顔を上げる。  
「絶対にハミルを連れて帰るから……待ってて!!」  
 
怪物とともに駆け出すメヒィルを無理に作った笑顔で見送った後、  
ヤルヴァはベッドの中で胎児のように丸くなって  
塊のような血を吐き出した。  
(ああ……偉大なる主神イメンよ、不肖の孫娘と  
メヒィル様を…………どうか、どうか……)  
 
 
木こりが使っていた掘っ立て小屋の中に、  
3人の兵士と縛られた少女の姿があった。  
若い兵士が目隠しをされ縛られたハミルに  
近づこうとすると隊長が怒鳴りつける。  
 
「馬鹿め、死にたいのか?病気持ちかもしれん者に近づくな」  
「しかしピグマ隊長、このままでは衰弱してしまいます。  
せめてコップ一杯でも水を与えるなりしないと」  
ピグマと呼ばれた男は貧乏ゆすりをしながら思案する。  
「ふん……確かに死なれては人質の意味がない。  
もし報告どおり怪物がメヒィルの側についていては、  
わしらが正面から行っても敵いそうもないからな」  
 
ピグマの話す情報に部下は驚愕する。  
候女の側に怪物がいるなど、初めて聞かされたからだ。  
「そ、それでは先ほどあの老婆の家に向かわせた者達は」  
 
グラスに注がれたワインを一気に嚥下してピグマは答える。  
「もちろん捨て駒だ。今になって帰ってこないということは、  
怪物の噂は本当と見ていいだろう。  
……あるいは、怪物並みの従者がいるか」  
 
「そんな……そもそも、なぜ兵舎に戻ってこのことを  
中隊長に報告しないのですか?」  
部下の言葉にピグマは激昂して手に持っていた  
グラスを投げつける。  
「ええい、グズグズ抜かさず貴様らは入り口を見張れ」  
グラスの衝突で頭から血を流す部下は  
異国の醜悪な獣を見るような目で隊長を恐る恐る見つめる。  
 
「あんな……あんな田舎者に私が仕えるなど!!  
ふ、ふふ……わしを中央から追放した者どもめ、  
今に見ておれ……わし一人の手で候女を捕まえ、  
またあの金に溢れた生活を必ず取り戻してやる……。  
おい、まだやつらは来ないのか!?ならばこちらから……」  
 
外を見張っていた兵士に呼びかけたピグマは目を見開く。  
そこにいた兵士の口元には太い触手が巻きつき、  
彼は言葉を発することができず溺れるような仕草でもがいていた。  
「き……来たか!!」  
 
震える声を出しながらピグマは立ち上がるが、  
腰に手を伸ばし剣を抜こうとした時そこにあるはずの柄が  
無い事に気づき声を失う。  
見れば窓から、裏口から、いたるところから小屋の中に音もなく  
触手が伸び、彼と彼の部下の武器を全て奪っていた。  
 
入り口からメヒィルと触手の本体が入ってきたのを確認して、  
ピグマは大声で叫ぶ。  
「くそ、こうなりゃやけだ!!」  
「ピ、ピグマ様、われわれの退避がまだです!」  
「ハミル、大丈ぶっ!」  
ハミルの戒めを取ろうと近づいたメヒィルが派手にすっ転ぶ。  
「いや、あんたが大丈夫?」  
 
目隠しをされ気配を探りながら様子をうかがっていたハミルも、  
そんなお姫様のドジに思わず吹き出す。  
しかし、床に手をつけたメヒィルは顔を真っ青にしたまま  
自らを転倒させた液体の存在を手で確かめる。  
 
「この床一面に撒かれたのは……油?ハミル伏せて!!」  
メヒィルが叫びながらハミルに抱きつくのと、  
触手を踏み越え裏口へと身を乗り出したピグマが  
振り向きざまに小屋の床へランプを投げつけたのはほぼ同時だった。  
 
 
雨の音と濡れた何かがずぶずぶと擦り合わさる音で、  
ハミルの意識はゆるやかに覚醒する。  
 
「シキッド……お願い、もっと優しく……」  
そしてそれらの音の後に聞こえる上ずった甘い女の声。  
ハミルはその声から自分の近くで行われていることの正体を知る。  
 
(……誰だよ?人が寝てる側でエロい事してるのは……)  
 
女の声の音程がさらに高くなり、  
行為がさらに激しくなっていることを告げる。  
 
「あ……駄目…………だめ、だめぇ、そんなとこ、  
ついちゃだめぇ!」  
 
(全然駄目じゃなくて喜んでるじゃないか)  
 
「あ……いや、ひぁっ、出ちゃう、出ちゃう、そんなとこ  
弄ったら、生まれちゃう、生まれちゃうよぉぉ!」  
 
(だから人の横で出産するなっつーの…………出産?)  
 
「駄目、ひぃっぁ、出る、出ちゃうよおおおぉぉぉ」  
 
「出産っ!?」  
そこで飛び起きたハミルが目にしたのは、雷光に照らされる中  
うねる触手群に体をくまなく愛撫されるメヒィルの姿だった。  
 
「ひ、ひああああぁ、出る、出るぅぅぅっっ」  
 
あまりに浮世離れした姿に、  
放心しきってメヒィルの姿を見入るハミル。  
 
高貴な候女様は一糸纏わぬあられもない姿で、  
大木のうろの中雨風をしのぎながら  
卵形の怪物の本体に両足を開く格好で腰掛けている。  
そして本体から伸びた焦げ付いた数十本の触手が  
その全身に絡み、蠢き、纏わりついていた。  
 
「焦げつき……?」  
はっとしてハミルが自らの体を見ると、  
彼女が身に着けていた衣服も所々が焦げ付いていた。  
「……思い……出してきた……」  
 
そう、小屋で縛られていたハミルが最後に感じたのは、  
強烈な熱気と自らに覆い被さる柔らかい肌。  
そしてさらにそれを包み込むように纏わりつく幾本もの肉塊。  
まるで今自分の周りに散乱する触手のように……。  
 
「これは、あの怪物の……?」  
自分の周りに多数落ちているそれは、  
表面のほとんどが焼け焦げている。 
 
――もし報告どおり怪物がメヒィルの側についていては―― 
――……油?ハミル伏せて!!―― 
 
意識を失う前のやり取りから想像すれば、  
怪物の触手達が炎から彼女とお姫様を守ってくれたのだろう。  
 
「ひ……ああ、ああああっっ」  
 
また、お姫様が喘ぎ声を上げる。  
その肩に、耳たぶに、乳房に、腰に、鎖骨に、  
太股に、お臍に、指先に、喉元に、うなじに、  
唇に、肩甲骨に、踝に、手首に、鼻先に、  
脇に、二の腕に、足首に、脇腹に、陰核に。  
 
肉体のありとあらゆる場所を触手が蹂躙し、  
まるで彼女が触手のドレスを纏っているかのようだった。  
さらに闇夜に目が慣れてくると、それらの触手は全てが  
その形と役割、働きと大きさが違うことに気づく。  
 
肩やお腹や太股といった場所はまるで人間の指を思わせる  
突起物がたくさん生えた触手がマッサージをするように揉み解し、  
そのおかげで候女様は血行が良くなっているのだろう、  
全身がくまなく桜色に染まり火照りきっている。  
 
そしてその血流が全身の感覚器官を活性化しているのか、  
お腹や二の腕といったさして性感の高くない場所を  
揉み解されるだけでお姫様は艶のある鳴き声を上げる。  
 
「ひあああっ、や、その動き、いやぁぁ」  
 
そして指先や耳たぶ、鎖骨などの凹凸の激しい部位には、  
先端から赤黒い舌のようなものがはみ出した口のある触手が  
触手の先の唇でそれらの部位に吸い付きながら嘗め回している。  
 
ある物は人間の舌のような厚さと広さで指をねっとりと包みながら。  
ある物は蛇の舌のような細さと長さで耳の穴を穿り返しながら。  
ある物は猫の舌のような無数の突起を使って鎖骨の下の神経を直接削り取るように。  
個性的な舌達がしゃぶりついたまま彼女の体の突起を舐めまわせば、  
耳や指の付け根が、鎖骨が怪しく痙攣し、  
舌の動きにあわせて少女の澱みきった瞳から涙が零れ落ちる。  
 
「ああっ、いや、指っ、たべちゃいやああああぁぁぁっ」  
 
さらに、唇や乳首、陰核といった粘膜には先端部分が繊毛に覆われた触手達が群がって、  
それらの敏感な部位を丹念にブラッシングしている。  
 
これらも一つ一つに個性があり、唇を責めているものは  
まるで刷毛のように広い面積で満遍なく上唇と下唇両方をさする。  
 
先端だけでなく根元近くまで繊毛の生えそろった  
狐の襟巻きを細くしたような触手は、痙攣しっぱなしで  
ぶるぶると震え続ける乳房の頂点にぐるぐると撒きつき、  
その先端部分に見ているだけでむず痒くなる様な刺激を与え続けている。  
 
そして筆のようにきめ細かい繊毛が生えそろった触手が  
皮の下からめくれ上がった小さな肉の芽を  
撫であげ始めれば、メヒィルは狂人のような叫びと涎を  
ひっきりなしにその小さな口から生み出すことしかできない。  
 
「ひああああああ、ひああああ、あああああぁぁぁぁっっっ」  
 
そしてその陰核のすぐ真下の秘裂に、  
太い触手が突き刺さっていた。  
しかしその触手は今まで見た触手達と決定的に違う点があった。  
それは本体から分離し、半身を彼女の体内に埋めながら  
切り離されたトカゲの尻尾のようにじたばたと暴れまわっていた。  
 
それは彼女の胎内から少しずつ、少しずつ外へとはみ出してくる。  
 
(あ……いや、ひぁっ、出ちゃう、出ちゃう、そんなとこ  
弄ったら、生まれちゃう、生まれちゃうよぉぉ!)  
 
ハミルは目を覚ます前に聞いたメヒィルの言葉を思い出した。  
これは分離しているのではない。  
信じがたいことではあるが、今まさに彼女の胎内から生まれ落ちようとしているのだ。  
 
それを裏付けるかのように、本体から生えた触手達の大半は  
ほとんどが細く柔らかく、生まれたての子馬のように  
全身が怪しい粘液でぬらぬらとてかっていた。  
そしてそれらのミニ触手のほとんどがお姫様の肢体に  
纏わり付かず、地に伏せ待機している。  
 
おそらくそれらの触手たちは今まさに生まれたばかりで、  
まだお姫様を愛撫する力が無いのだろう。  
そんな風にハミルが想像をめぐらせている前で、  
今生み出していた触手は50センチほど這い出たまま停止する。  
 
「あ……くあぁぁぁ、ごめんなさい……もう、これ以上は……」  
 
候女は、本当にすまなそうに、喘ぐまま腰掛ける触手に謝った。  
とその瞬間、彼女の全身を愛撫する触手の早さと激しさが倍加する。  
 
「……ひっぃ……」  
 
柔肌を揉み解し血流を良くする蝕指群が。  
指の一本一本を丹念に嘗め回す舌触手が。  
耳たぶをしゃぶりながら耳の穴を穿る蛇舌触手が。  
無数の鉤状突起を使って鎖骨を削り取る猫舌触手が。  
唇をくすぐったくなるほどさする刷毛触手が。  
とぐろを巻きながら乳首を押しつぶす襟巻き触手が。  
包皮と陰核の間にある恥垢を全てそぎとろうとする筆型触手が。  
 
それら全ての動きが倍加した時、彼女の全身を襲う快楽量は  
倍加どころではすまされない。  
相乗効果で極限まで達した肉悦は爆発的に膨れ上がり、  
彼女の精神を一瞬で焼き払う。  
 
「ひぃああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ」  
 
見ているだけで気をやりそうな激しい痴態に、  
メヒィルを見ていたハミルは無意識に自らの下腹部へ手を当てる。  
誰の進入も許したこと無いそこは、ひっそりと潤っていた。  
 
そして、絶頂後のわずかに体が弛緩する瞬間を狙って、  
一番太い触手が彼女の股座で暴れる新生触手を絡めとり、力いっぱい引き抜く。  
 
「くはああはあああああああぁっぁあぁあぁっ」  
 
しかし、全てを引き抜く前に産出はとまる。  
引き出そうとする動きでまた絶頂を向かえ、  
メヒィルの膣がきゅきゅっと狭まり、新生触手の排出を阻んだのだ。  
さらに粘液にまみれていた触手同士では引き抜こうとしても  
上手くいかずすっぽ抜けてしまうのも  
駄目な原因になっているようだった。  
 
労わるように、心配しているかのように  
触手の一本がメヒィルの頬をなで上げる。  
 
「……大丈夫……私は、大丈夫だから……  
早く続けて…………じゃないと、追っ手が……」  
 
追っ手と聞いて、ハミルの片眉がぴくりと傾く。 
「それを抜かないと、大変なことになるの?」  
 
「え…………」  
 
ハミルの声にしばらくボーっとしていたメヒィル。  
しかし次第にその目に光が戻り始め、  
そして幾許かの理性が戻った後彼女は悲鳴を上げた。  
 
「ハ、ハミル、目を覚ましてたの!?え、いやっ、  
いやいやいやっ、見ちゃいやあああぁぁぁっ」  
 
淫らに花開いた体を隠そうとするが、あらゆる部位が  
あらゆる方法で拘束され、絶頂に次ぐ絶頂で  
体中が勝手に痙攣し続けるメヒィルにはそんなことは  
できるはずもなかった。  
 
そんな候女様にハミルは呆れた声を上げる。 
「かなり前から見てたけど……気づかず楽しんでたの?」  
 
顔を真っ赤にしてメヒィルはぶんぶんと首を振る。 
「いや、そんな、楽しんでなんて……  
ああああぁあっ、だめぇシキッドぉ、お願い、  
後生だから今は、今は動い……ああああぁっっ」  
そんな風に痴態を晒したまま恥ずかしさと心地よさの挟撃に 
狂いそうな候女の姿を見て、怪しく昂ぶっていたハミルの心に嗜虐の灯がともる。  
 
 
「抜いてほしいんだこれ。……あたしが抜いてやるよ」  
 
ハミルは心を爛々と目を輝かせながら彼女の股間で暴れる  
触手をむずっと掴む。  
 
「あああ、なにを、なにをぉぉぉっ」  
 
「抜いてあげるんだよ。あたしの力で」  
 
錯乱して叫び続けるメヒィルを見下ろしながらハミルは、  
一気に力を込めて触手を引き抜いた。  
 
「おひいあああああぁぁぁぁおうあおいああああぁぁぁっあ」  
 
まるで発声器官が豚か犬になり下がったような  
人間離れした絶叫を上げつつ、前方3メートル先まで届くほど  
激しく愛液を膣内から迸らせながら、  
メヒィルは最後の触手を産み落とした。  
 
 
「くそう、くそう!必ず捕まえてやるぞ、  
あの腐れ候女と腐れ使い魔が!!」  
 
小屋から逃げ遅れて背中に火傷を負ったピグマは鬼のような形相で、  
雨の中怪物の這った後を頼りに進んでいた。  
といっても火傷は痛むし光源は時々顔を出す月だけという有様で、  
探索は一向に進んでいない。  
 
逃げる時に転倒して頭をぶつけて気絶するし、  
部下達は全身に触手を巻きつかれ動けなくなっていたし、  
使えそうな手斧を焼け落ちた小屋の中から探し出すのに  
23時間はかかるしで、全くいいことはない。  
 
「くそ、絶対に、絶対にあいつらを捕まえて……  
目に物見せてくれる!」  
姫と人質だけでなく兵士達も炎から守った怪物が這った後には、  
焼けこげた触手が何十本と抜け落ちていた。  
 
「今なら殺せる……俺にだってやれる!!」  
しかし、水溜りに靴を浸からせた彼の前に現れたのは、  
先ほどとさほど変わらない数の触手を生やした怪物だった。  
「馬鹿な……なんて回復力だ……」  
 
一瞬冷や汗をかいたピグマは、しばらく魔物を観察してから  
心の中で勝利を確信する。  
「なんだ……ほとんど小さな触手ばかりではないか」  
 
手斧の重量はざっと5キロといったところ。  
これを全力で投げれば、あの細く柔らかそうなしわしわの触手達では  
いくら群れた所で防ぐすべは無いだろう。  
そして反撃されたとしても触手がピグマへ届く前に  
投げつけた手斧が本体を縦に裂くのは必然。 
周りには遮蔽物も無く、小屋の時のようにいつの間にか 
近づいた触手に不意打ちを食らうことも無さそうだ。  
ピグマは勝利を確信した。  
 
「内臓散らしてぶち割れろ!!!」  
 
ピグマが手斧を投げようと振りかぶった瞬間、その視界が青く光る。  
水溜りに浸かった触手の先端が放電し、  
自らが感電したことに気づくまもなくピグマは意識を失った。  
 
 
墓の前で、二人の少女が目を瞑って祈りを捧げる。  
彼女達が冥福を祈る石には、  
ヤルヴァ・メッツァの名が刻まれている。  
夜が明けてヤルヴァの寝室に帰ってきた二人を待っていたのは、  
血溜まりの中で冷たくなった老婆の亡骸だった。  
ハミルは祈りを捧げた後、祖母の墓に背を向けポツリと呟く。  
 
「……ばばぁは最後まで、あたしを憎んでいただろうね。  
結局死に目すら看取ってやらなかったんだから」  
「そんなことはないわ。きっと憎んでなんていない」  
「……憎んでるよ」  
 
「憎んでなんていないわ」  
わずかに、ハミルの語気が強く大きくなる。  
「憎んでるよ」  
「憎んでいないわ」  
 
「憎んでるんだよ」  
「憎んでいない」  
 
吐き出すようにハミルは大声で叫んだ。  
「何であんたにそんなことわかるんだよ!!」  
遠くの墓石に止まっていたカラス達が驚いて飛び立つような大声に  
メヒィルは少しも動じず、背後からハミルをそっと抱きしめる。  
 
「自分のために涙を流す孫を、誰が嫌いになれるというの?」  
 
ハミルが首だけで振り返ると、  
メヒィルも彼女と同じように涙を流していた。  
 
「……何であんたも泣いてるんだよ?」  
「ばあやは私にとっても……家族と同じぐらい大事な人だから」  
 
「……なんかあるとすぐに口やかましく叱りつけてきてさ」  
「私も、子供の頃は毎日のようにしかられていたわ」  
 
「自分が病気で死に掛けてるのに、毎日あたしの将来の話ばっかりで」  
「自分のことより、他人や社会のことをいつも考える高潔な人だった」  
 
「……むかつく位にな」  
「そして……いつも私たちのことを心配してくれていた」  
 
 
「もう……いないんだな…………」  
 
 
力なく項垂れると、ハミルは子供のように声を上げて泣き始める。  
メヒィルも彼女を抱いたままその肩に顔を埋め泣き始めた。  
誰もいない墓場に、少女達の泣き声がいつまでも木霊し続けた。  
 
 
「ありがとう……なんか声出して泣いたら、すっきりした」  
「そう。……私もよ」  
 
ハミルは、頬をぽりぽりと掻きながらメヒィルに問う。  
 
「それでさ……お姫様はこれからどうするつもりだ?」  
「ばあやに教えてもらった抜け道で領境を越えます。  
3日もすれば兵士達を縛りあげた触手が朽ちてしまうので、できるだけ早く」  
「そっか。まあ一流の人間ってのは何でも早く事を終わらせるもんだから、 
すぐにでも領境を越えるってのは賛成だな」  
 
「ええ、じゃあ、ハミルもお元気で」  
そこでハミルは挨拶を返さず少し視線を泳がせる。  
「じゃ……、あたしも付いっていいかな。  
あんたなんか危なっかしいし」  
その言葉を聴いたとたん、メヒィルの顔がぱっと綻ぶ。  
「まあ、本当?あなたが付いてきてくれれば、  
私達もとても心強いわ。私のことはメヒィルって呼んでね。  
これからよろしく、ハミル」  
 
「ああ、よろしくメヒィル」  
「それから、あの木の上にいる黒猫があなたの危機を教えてくれたクロオ。  
そしてあの遠くにいるローパーが」  
「シキッドだろ?名前ならあんたが叫んでたから知ってる」  
そこでハミルは少し意味ありげににやっと笑ってみせる。  
「……もしメヒィルがまたシキッドのナニをつまらせたら、  
すぐにあたしが引っこ抜いてやるよ」  
 
とたんにメヒィルの顔が鼻の頭から耳たぶまで真っ赤に染まった。  
 
「まぁ……ハミルの意地悪!もう知らない!!」  
「ははは、さっきよろしくって言ったばかりだろ」  
笑いながら早足で歩き出したメヒィルの後を追うハミル。  
 
「で、領境を越えたらどうするんだい?  
隣の領に家族でもいるのか?」  
「私の家族は……今、どこにいるかわかりません」  
「あ……」  
思わず心の中でハミルはしまったと呟いた。  
 
「……無事逃げ延びた後は母様の縁者を頼るつもりです」  
「そっか。……その、ごめん」  
「謝る必要は無いわ、ハミル。どこにいるかは分からないけど、  
大丈夫なことだけは確かだから。お姉さまもロジアも、  
そばに信頼の置ける人がいてくれるはず。だからきっと大丈夫」  
 
空に輝く月を見上げながら、メヒィルは力強く囁いた。  
まるで自分へ言い聞かせるように強く、大きな声で。  
 
「大丈夫さ……何が起きても諦めなきゃきっと会える。  
あたしと違って、あんたの家族はまだ生きているんだから」  
ハミルは、振り向き祖母の墓を眺めながら呟いた。  
その言葉を聴いてメヒィルも振り向き小さくなった  
ヤルヴァの墓とハミルを交互に見つめながら微笑んだ。  
 
「なに笑ってんのさ」  
メヒィルが笑ったのは『何が起きても決して諦めないで』と  
ヤルヴァに言われたのを思い出したからだった。  
「やっぱり家族だな、と思って」  
それだけ喋ると、メヒィルはもう一度ヤルヴァの墓に祈りを捧げる。  
納得のいかない様子でメヒィルを見ていたハミルも黙ってそれに倣う。  
 
最後の祈りを捧げ終わった少女達が顔を上げると、  
二人の頬を柔らかな風が撫であげた。  
 
 
胸部や腹部、四肢の関節を覆った軽装のプレートアーマーを  
身に付けた精悍な青年が月を眺めていると、  
剣士の傍らでマントに包まって彼に体重を  
預けていた少女が目を覚ます。  
「……恐い夢でも見ましたか、ロジア様?」  
 
眠そうに目を擦り、金色のツインテールを  
揺らしながら背伸びをして、  
もう一度少女は彼の方に寄りかかる。  
「うーん、違うよ……ただ、メヒィルお姉さまが  
呼んでる気がしただけ」  
 
ずれ下がったマントを少女の肩までかけると、  
黒髪の剣士はすまなそうに詫びた。  
「すみませんねぇ、このような屋外で……  
しかも木の上で寝るなんてあなたのような  
身分の人間には耐えられないでしょうに」  
 
「大丈夫だよ、木登りは得意だし。  
……でも木登りしてよくばあややねえやに怒られたけど。  
女の子がそんな危険な遊びをするものじゃありませんって。  
レンツ姉さまなんて木の上でバク宙して見せたら、  
ひっくり返って大変だったな」  
 
エヘヘと舌を出して笑うと、  
お転婆な第三候女はゆっくりと目を閉じる。  
身長差が1.5倍近くある青年に小さな少女が寄り添うと、  
まるで少女の体が青年の体に吸いこまれたようになる。  
 
「でもさ、……私は全然恐くないよ……モーリスが  
…………側に……いてくれるからさ…………」  
「ええ、俺はロジア様を守るためならなんだってします。  
侯爵様に受けた恩に報いるためなら、なんだって」  
 
返事が無いのでモーリスが少女のほうを見ると、  
彼女は安らかな寝息を立て始めていた。  
「呑気なもんだな……」  
 
ロジアを見下ろすモーリスの瞳に、  
どす黒い怒りの感情が込められる。  
「そう、俺は絶対に忘れない……侯爵家に家族を奪われた  
あの苦しみと悲しみを絶対に…………」  
 
 
終わり  

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