「はるか昔、天界と冥府に挟まれたこの世界がただの混沌でしかなかった時、  
天界より3柱の女神がこの地へ降臨します。  
姉妹の長女エノアは天空を、次女のオウティは大地を、三女のエルシスは海原を作り  
この世界の礎を生み出しました。しかしはるか地の底から3匹の怪物達が  
作られたばかりのこの世界を我が物にしようと地上へ這い出てきます。  
その醜き姿で冥府の悪鬼達にすら忌み嫌われ闇の世界を追放された怪物どもの名は、  
『霧のようにたゆたうもの』と『多くがのたうつもの』と『どろどろと泡立つもの』です」  
 
「怪物達は姉妹達を亡き者にして彼女達が作った世界を自分達の居場所にしようとします。  
しかし女神達は怯えるどころか優しく怪物達に接し、荒ぶる怪物達の憎悪を溶かしました。  
三姉妹の優しさと母性に惹かれた怪物達は、半ば強引に女神達を娶ろうとします。  
それまで他者と接したことも無く思いやりや慈愛という感情が欠落した彼らは、  
本能のおもむくまま女神達を欲し淫行の限りを尽くします。姉妹達は初めのころこそ  
強引でふしだらな彼らの求愛に抗えましたが、最終的には怪物達の不器用ながらも  
深い愛情に心打たれ、また途方もなく淫靡な肉欲に屈服してしまいます」  
 
「同情と官能を覚え、怪物たちの愛無しでは生きられなくなった女神達は、  
彼らを伴侶として向かえ共に生きることにしました。  
『霧のようにたゆたうもの』と長女エノアは天空に、  
『多くがのたうつもの』と次女オウティは大地に、  
『どろどろと泡立つもの』と三女エルシスは海原にそれぞれ神殿を建て、  
3組の夫婦は睦みあいながらまだ少し歪なこの世界をさらに美しく整えていきました」  
 
「この時3姉妹の美しさを嫉む冥府の4大魔女が、  
策謀をめぐらし天界の神兵達と冥府の悪魔共をそそのかします。  
神兵には女神達が劣情に狂い異形の魔物と淫行に耽っていると教え、  
悪魔の前では冥府を追放された怪物達が復讐のため女神を利用していると囁きます。  
善なる者と悪なる者が作り上げた世界は両陣営どちらにとっても脅威となりうる、  
そう嘯く魔女共に騙され、神兵と悪魔達は大軍を率い夫婦達の世界へやってきました。  
両軍を止めるため3柱の女神達は話し合いをしようと睨み合う両将軍の前に立ちます」  
 
「その時4大魔女の策により天界と冥府両軍が同時に女神達へ弓を引いてしまいます。  
怒った怪物達は矢が妻達を射抜く寸前に自ら盾となり彼女らを守り、  
何を思ったか矢の刺さった傷口を癒さぬまま、女神達を犯し始めました。  
天界と冥府の両軍は気の触れた怪物達を見てもう彼らは脅威ではないと考え、  
警戒をお互いの軍に向け、ついに戦争が始まりました。  
天の雷が飛び交い、冥府の炎が辺りを焼き尽くす激しい戦いが繰り広げられます。  
空を瘴気が覆い、陸は無残に砕け、海は流された血で紅く穢れてゆきました」  
 
「女神達が生み出し育んだ世界は戦争で荒れ果て混沌へと還る――4大魔女がそう確信し  
笑みを浮かべた時、怪物達に犯されていた3姉妹から無数の光が放たれます。  
エノアは無数の霊魂を、オウティは無数の精神を、エルシスは無数の肉体を孕み、  
3姉妹の生み出した生命の三元素により世界はあっという間に動植物で満ち溢れました。  
鳥達の美しい鳴き声と花々の芳しい香りが天界の神兵達の戦意を削ぎ、  
幾万の獣の群れは牙で、幾億の虫の群れは毒で冥府の悪魔共を苦しめ、  
天魔両軍はそれぞれ兵を引きこの世界を離れ、戦争が終結しました」  
 
「世界の危機が去るのを見届けた瞬間3匹の夫は妻達と交わり合ったまま絶命します。  
無数の生命を妻に孕ませ生み出させるため、異形の魔物達は命を使い果たしたのです。  
『霧のようにたゆたうもの』の瓦斯状の骸は天空に混じり瘴気を中和し、  
『多くがのたうつもの』の触手が寄り集まった骸は砕けた大地を覆い新たな陸地となり、  
『どろどろと泡立つもの』の溶け落ちた骸は紅く染まった海原に流れ穢れを清めました。  
伴侶を失い悲しみに打ちひしがれた女神らは、生み出した生命達にこの世界を託した後  
夫とともに過ごした神殿で、彼らの思い出とともに永い眠りについたのです」  
 
〜ララウヌ創世記第一章、創世の3姉妹より抜粋〜  
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
「こっちの子供ももう手遅れだ……かろうじて生きてはいるが、内蔵まで溶かされている。  
もう間もなく、…………いや、……今息を引き取った」  
「スライムの中には女を犯し子宮内のエーテルを糧とする種がいると  
聞いたことはあったが……こんな年端もいかない子供まで……酷いな」  
「くそ、邪教徒め!よくもこんな惨い事を……」  
「こっちの子供なんざ、耳と鼻を削ぎ落とされてから殺されてる……畜生!」  
好奇心をくすぐられこの場に来たことを幼いロジアは心底悔いていた。  
 
城を抜け出し喧騒の元へ駆けつけた彼女を待っていたのは、いつも楽しみにしていた  
旅の楽団やサーカスではなく、自分とそう年の変わらない女の子達の死体と、  
それを見て殺気立つ屈強な兵士達だった。  
「やつら、証拠を消すため建物に火を放ったぞ!」  
「市街地が遠いのは不幸中の幸い、か……」  
幼く小さい体を茂みに隠し、燃え盛る屋敷を見守るロジアの前で  
束縛された男が鎧を着込んだ衛兵に詰問されていた。  
 
「貴様、中で何をしていた!」  
「くくくっ、くふふふふふ」  
手足を縛られた禿頭の狂信者が頭に血を上らせた衛兵たちを嘲笑う。  
「何をしていたかと聞いているんだ!」  
怒りに我を忘れた衛兵が男の鼻先に刃を突きつけると、  
縛られた男は口に含んでいた小さな肉片を衛兵に向かって吐き出した。  
 
「……き、貴様ぁ!」  
吐き出されたものが削ぎ落とされた子供の耳とわかった瞬間、  
激昂した衛兵は強靭の首を刈り取るべく剣を振り上げる。  
「やめろ!話を聞きだす必要がある、まだ殺すな!」  
他の衛兵が一喝すると、切っ先を掲げた衛兵は悔しそうに唇を噛み締めつつ刃を鞘に収め、  
拳を握り締め男を殴りつけた。  
 
褐色の肌と紫色の瞳を持つ殺人者は、  
歯が砕けるほど強く殴られても大仰に体を震わせながら笑い続けるのを止めない。  
「この、きちがいめ……!」  
倉庫の前の草むらに並べられた何十人もの少女の亡骸が、  
光を映さない瞳で怒りに震える衛兵と笑い続ける狂人を見つめ続けていた。  
 
「何だこの壜の中身は……動いてやがる……」  
「おいこれ、触ったら籠手が溶けやがったぞ!」  
燃え盛る館から次々と怪しげな道具や装飾品が運び出される。  
「おそらく使い魔のスライムだ、中身を出すな」  
「子供たちを溶かしたのもこいつか!」  
「城の魔道士が来るまで手を出すな、下手すりゃ俺たちまで溶かされちまうぞ!」  
 
容器に閉じ込められた金属すら溶解する深緑の粘菌。  
山羊の頭を持つ悪魔に背後から密着され、全裸のまま喘ぎ悶える女が描かれた絵画。  
赤黒い液体がこびりつき黒光りする刃物や鈍器の数々。  
鮮やかな桃色の肉片が浸された薬品入りの酒瓶。  
怯えながらも、魅入られたようにロジアがそれらを眺めていると、  
新たな少女の亡骸が入り口から運び出される、が。  
それは他の少女の遺体とは違い、石ころの様に草むらの上へ投げ捨てられた。  
 
「おい貴様、なんて事を!」  
「怒るな、よく見ろ」  
骸を投げ捨てた衛兵が遺体の髪の毛を剣先で払い顔を露出させると、  
咎めた衛兵は亡骸の紫の瞳を覗き込み納得したように呟く。  
「……ああ、ズキア族のガキか」  
「しかし同族の子供すら生贄にするとは……蛮族の考える事は畜生にも劣るな」  
 
その時新たな衛兵が二人の下へ駆けつけ、子供を投げ捨てた衛兵を注意する。  
「しかしズキアの子供であろうとそのようなぞんざいな扱いをするのはよくないだろう」  
「馬鹿な、この前の戦争で我らの同胞がどれだけズキアの民に殺されたと思っている!」  
「だが領主様はズキアの民を受け入れよとおふれを出しているではないか」  
「ズキアの民を受け入れる!?あのような世迷言を本気で信じるのか?」  
「待て、今の発言は反逆罪にあた」  
 
その時建物の中から兵達のいざこざを止めるように大きな声が上がった。  
「おい、外にいる奴ら、は、早く来てくれ!」  
「どうした!」  
「奴らの使い魔のキメラの檻が壊れ、が、があああっ」  
男の断末魔と獣の鳴き声が同時に上がり、館の2階が火を噴いた。  
「ハリーはこの邪教徒を見張れ!他の者達は白鯨の陣で我に続け!」  
 
貴金属の意匠があしらわれた高価な鎧を着込む隊長格らしき男が叫ぶと、  
束縛された男を見張る新人の衛兵ハリー以外は、全員抜刀し館へ突入する。  
数秒後には倉庫の前にいるのは縛られた狂人と彼を睨みつける年若き衛兵のハリー、  
そして二人の視界の死角となる草むらから彼らを覗きこむロジアだけになった。  
ロジアは二人に悟られぬ様そろそろと茂みから姿を現す。  
 
彼女は足音を殺しながらズキア族の少女の亡骸へと近づいた。  
(……ひどい……)  
その亡骸は下腹部が溶かされぽっかりと穴が開き、赤黒い内臓がむき出しになっている。  
異民族の少女の遺体は、他の少女達の亡骸から離れた場所でごみの様に放置されたままだ。  
(……この子……一人ぼっちでかわいそうだな……)  
年はロギアとそう変わらないように見える。10歳ぐらいだろうか。  
ロギアは腕まくりをすると、亡骸の折れそうなほど細い体を抱え持ち上げる。  
 
そして他の遺体と同じ場所へ移動させようとすると、  
亡骸の下腹部からだらりと臓物の欠片がぶら下がった。  
次々と落下するはらわたを見て、ロジアの視界が涙で歪んでくる。  
幸い館が轟々と燃え上がる音に臓器が落下するかすかな音はかき消され、  
魔道師を見張るハリーはロジアの存在には気づいていない。  
 
ロジアが腐りかけた腸から目を背けると、  
火の勢いが強くなった建物近くに立てかけてあるバフォメットと女の油絵が、  
炎の熱で溶けよりおぞましい物へと変貌していくのを目の当たりにする。  
溶ける絵の具が混じりあい、妖艶だった女の輪郭は怪物のように歪み、  
黒も赤も青も白も全ての色が混じりあい不安を掻き立てる鈍色へと姿を変えていく。  
(……ああ、これが神話に出てくる「混沌」っていうものなのかな)  
 
かつてロジアが創世の3姉妹の絵物語を読んだ時、  
混沌という言葉の意味が理解できず何回もその意味を婆やと姐やに尋ね、  
幾度説明されても最後まで混沌がどんなものか理解できなかった。  
しかし、今ならわかる気がする。  
(この、どろどろに溶けて……ぐちゃぐちゃになってるのが混沌なんだ……きっと)  
 
その時、ロジアの目の前で混沌と化した絵画が爆発し、視界が赤一色に染まった。  
(!)  
一瞬意識を手放したロジアの精神が覚醒すると、  
いつの間にか彼女の背中は地面につきロジアは仰向けになって倒れていた。  
左手の甲が擦り剥け、じんわりと血が溢れ始める。  
ロジアは自分の体が遺体ごと吹き飛ばされたと理解するのに約10数秒時間を要した。  
 
「何かの薬品に引火したのか?……というかお前は誰だ!?」  
爆発に振り向いたハリーがロジアの存在に混乱していると、  
彼の背後でゆっくりと縛られていた男の体が横たわる。  
「あ……あの人……血が…………」  
ロジアの声に再度振り向いたハリーは素っ頓狂な声をあげた。  
「なんだってんだ畜生!」  
彼は血を流し倒れている狂信者に近寄り、その瞳孔を覗き込み舌打ちをする。  
 
「くそっ、爆発の飛来物が変なところに当たったのか……?  
こいつからはまだ聞きだすことがあったのに、勝手に死にやがった……」  
男の死因を探ろうと屈みこんだハリーの真横で、ゆっくりと小さな影が立ち上がる。  
「危ないっ!」  
ロジアが叫ぶのと遺体の列の中から立ち上がった少女の躯の手から  
爪が伸びるのは同時だった。ロジアの声に振り向いたハリーの胸当てに、  
およそ人間のものではありえない硬度と伸縮性で少女の爪が突き刺さる。  
 
金属の鎧から火花が上がり、ハリーは3メートルほど吹き飛ばされ大地とキスをした。  
「な……なぜ……女の子の躯が……?」  
倒れたハリーを見下ろしながら、少女の死体は大仰に体を震わせ笑い始める。  
「くくくっ、くふふふふふ」  
その声は、少女のものとは思えないほどくぐもって狂気を孕んでいた。  
 
それはつい先ほど死んだばかりの、褐色の肌を持つ禿頭の男と同じ仕草の笑い。  
「く、くそ……魔道士め…………自分の体を捨て、禁術で死体に乗り移りやがった!」  
腹に穴の開いた全裸の少女は首をこきこきと鳴らしながら、  
並べられた少女達の遺体の前へ屈みこむと、獣のように鼻を鳴らしつつ死臭を嗅ぎ始める。  
「確かまだ予備の子宮があったはずだが……」  
 
ぽっかりと体に穴の開いた少女が同じように腹に穴の空いた遺体に顔を近づけて  
鼻腔をひくつかせる姿は、およそこの世の物とは思えない。  
あまりの恐怖にロジアが震えながらつばを飲み込むと、  
魔人がゆっくりとロジアの方へ振り返り、その腐りかけた瞳にロジアが抱える遺体を映す。  
紫色に変色した少女の口の端が、ゆっくりと吊り上った。  
 
「エーテルのいっぱい詰まった子宮……二つみぃつけた」  
呟くや否やヤモリが這うように腹に穴の空いた少女が4つ足でロジアへ近づいてゆく。  
激痛で立ち上がれないハリーは、倒れたままロジアへ向かって必死に叫んだ。  
「君……、早く……逃げろ!」  
ハリーの声も空しくロジアが抱える亡骸へ魔導師の爪が伸びる。  
しかしロジアが庇う様にズキア族の少女の死体を抱きしめるのと同時に、  
間一髪のタイミングでどこからか飛んで来た短剣がアンデッドの手首を切り落とした。  
 
手首が落ち魔人の爪は元の長さに戻り、  
亡者は剥き出しの目でナイフを投げつけた男を睨みつける。  
「きっ、きさまは……?」  
座り込んだハリーの背後に、紫の瞳と褐色の肌を持つ銀髪の男が立っていた。  
「くそっ……ズキア族の新手か!」  
剣を杖代わりにして立ち上がろうとするハリーを、短剣を投げつけた男は左手で制止する。  
 
「生まれこそズキアの人間ですが、今はララウヌ傭兵ギルドに所属して  
ララウヌ領に税金を払う立派なララウヌ人ですよ、旦那。  
そこの魔道師の手首切り落としたんですから、味方だって分かるでしょうが」  
「ズキアの民が、ララウヌ人に手を貸すのか!」  
憤怒に顔を歪めた魔少女が残る手の爪を男の顔へ向かって伸ばすと、  
傭兵は首を捻って皮一枚削ぎ落とされながらも急所へのダメージを防ぎ、  
シミターを振り下ろし伸びきった少女の爪を刈り取る。  
 
「血なんて関係ない、金のために働くだけさ。だが子供を殺す外道に詰られるのは心外だ」  
両手の爪を封じられた魔人はロジアの抱える同族の死体を横目で見つつわめき散らす。  
「ふん、そのガキの親はズキアの矜持を捨てララウヌに混ざり生きる事を選んだ。  
腑抜けた人生を送らせるより我らの贄となる方がよほどぅぉっ」  
呪詛を吐き続ける魔道士の喉に、風の速さで踏み込んだ傭兵の曲刀が突き刺さる。  
「うがあああああああああっ」  
魔人の口からあがる絶叫を拒絶するかのように、ロジアは強く瞼を閉じた。  
 
「子供をばらして矜持などと……笑えねえよ」  
傭兵の男は嘲笑を浮かべつつ呟く。口調こそ今までと同じく飄々としていたが、  
目を開けたロジアは男の瞳に強い怒気と殺意が宿るのを見た。  
魔人が最後の力で喉から曲刀を抜き取ると、腐りかけの黒々とした血が傷口から溢れ出す。  
「……魂を入れ替える術式は短時間のうちに連続で使えぬと聞く。  
新しい肉体へ入れ替わることの出来ないお前の魂は、その体とともに最期を迎えるだろう。  
人の道を踏み外したとはいえ同族のよしみだ、遺言ぐらい覚えておいてやる」  
 
剣士が魔導師の口元へ耳を近づけると、瀕死の魔人は血の泡を唇から吹かせつつ囁いた。  
「お前…………し…………」  
「……なんだって?声が小さくて聞こえない」  
「おい、君、死体を置いて逃げろ!」  
ハリーの叫び声に傭兵が注意をロジアの方へ戻すと、  
先ほど切り落とされた少女の手首が意思を持つかのように地を這い、  
いまだ亡骸を抱えたままのロジアへにじり寄っていた。  
 
しかし魔手がロジア達の元へたどり着く前に、傭兵の投げた短剣が地を這う手首を貫く。  
魔人に操られた手首は腐った血を撒き散らしながらトカゲの尻尾のように暴れ回り、  
23度大きく痙攣した後その動きを止める。  
「……お前は…………死ぬ…………ここに並ぶ…………ガキどものように…………  
……全身………………溶か…………され………………のたうち……………………ながら」  
地に伏したアンデッドは傭兵に向かって今際の言葉を残すと、  
そのまま体を丸くして2度と動かなくなった。  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
「馬鹿な子だな」  
ロジアの手にできた擦り傷の具合を見ながらハリーは愚痴る。  
「あたしのどこが馬鹿なの?」  
「命を狙われてる時に死体を庇おうとしただろ。死体なんか置いて逃げれば助かったのに」  
ロジアは悲しげな目で褐色の女の子の死体を眺めつつ呟いた。  
「だって……あの子はただでさえ命を奪われたのに……  
命を奪われた後もひどい事をされるなんて、かわいそうだよ」  
 
ハリーは大きく溜息を吐き出す。  
「その優しさは立派だけど……命を粗末にする奴は馬鹿だよ。  
ましてや、こんな凶行を犯した男と同じ血を引くズキアの子供の腐りかけた死体だぞ?  
守ってやる価値もないさ!」  
ハリーは苦々しげに並べられた子供の死体の列を見下ろす。  
「こんな惨い事を行う蛮族の子供など、殺されて当然だ!」  
 
ロジアはズキア族の傭兵のほうを見つめつつ悲しそうな声で反論する。  
「でも……この子が悪い事をしたわけじゃないし……  
あたし達を助けてくれたあの人も、ズキアの人だよ」  
「ああ、助けてくれたさ。徳や正義のためではなく、金のためにな。  
いかにもズキアらしい下種な動機じゃないか。あ、その男に近づいちゃ駄目だ……うっ」  
ハリーは傭兵の方へと歩みだしたロジアを止めようとするが、  
魔導師に吹き飛ばされた時の痛みがぶり返し屈み込む。  
 
「あ、大丈夫?」  
振り向いて心配するロジアに向かって、ハリーは油汗を浮かべながら強がって見せた。  
「は、はは……これ位の怪我、ララウヌの兵ならへっちゃらさ……  
毎日鍛えてるし、ララウヌ領の鎧だって、すごく丈夫だしね……」  
「そう……ならいいんだけど」  
心配そうにハリーの様子を横目で伺いつつ、ロジアは傭兵の近くへと駆け寄る。  
 
傭兵はロジアから譲り受けた紫眼の少女の遺体と魔人に乗り移られた少女の遺体を、  
他の少女達と同じように躯の列まで運び並ばせた後、その前で目を閉じ黙祷していた。  
「あの…………あたしもこの子や皆のためにお祈りしてもいいかな」  
異国の剣士は目も開けずに答える。  
「この子の冥福を祈るのに俺に断る必要はないさ」  
「あのね……ララウヌ式の鎮魂のお祈りなんだけど、……それでもいい?」  
もじもじしながら心配そうに尋ねるロジアの前で、傭兵はそっけなく答える。  
 
「別にいいんじゃないのか?」  
「じゃあ、あなたの持ってる短剣、一本だけ貸してくれる?」  
目を開いた男は黙ってロジアにナイフを手渡す。  
少女は小さくありがとうと呟くと地面に短剣を突き立て、祈りの言葉を唱え始めた。  
「沈黙と闇を司る死の神ミィヤよ、土へ還る者達が迷わぬように暖かく迎えてください。  
偉大なる主神イメンよ、安寧と幸福を生まれ変わる彼女らにお与えください」  
10数秒ほど瞼を閉じた後、目を開けたロジアの頭を傭兵の男が撫でる。  
 
「ありがとな、優しいお嬢ちゃん。このズキアの子に変わって礼を言わせてくれ」  
頭を撫でられたロジアは男を見上げながら微笑んだ。  
「助けてくれてありがとう、傭兵さん」  
「俺はモーリスっていうんだ。優しくて勇敢なお嬢ちゃんの名前は?」  
澄んだ紫の瞳と目が合った瞬間、ロジアの鼓動が少し早くなる。  
どぎまぎしながらロジアは名乗った。  
「ろ、ロジア」  
 
その時ロジアは違和感を覚えて傭兵の瞳をじっと眺める。  
(あれ……この人、両目の色の濃さがかすかに違う……)  
ロジアの視線に気付いたモーリスは左目の表面を指で直接掻いてみせる。  
「わっ、目なんか触って痛くないの?」  
驚くロジアの前でモーリスは目玉をコンコンと叩いてみせた。  
「こいつと左手の小指は作り物さ。色々あってな」  
「へえ、それで両目の色合いが違うんだ」  
 
興味深そうに自分の義眼を見つめるロジアに、モーリスは命令する。  
「ロジア、あそこで唸ってる衛兵のお兄さんの言うことを聞いて  
俺に近づかないほうがいい。どっかに行ってな」  
ロジアは途端にしまったという顔をして謝った。  
「ごめんなさい、モーリス。あたし義眼を付けてる人と会うのは初めてで珍しくて……  
ジロジロ見たら失礼だよね、ほんとにごめん」  
 
「ああ、違う違う。別に俺は怒ってるわけじゃない」  
モーリスは自らの不躾な態度を謝るロジアの前で手を左右に大きく振ってみせる。  
「……怒ってるんじゃないの?じゃあなんでどっかに行けなんていうの?」  
首をかしげるロジアの横で、モーリスは片ひざをついて屈みながら答える。  
「俺達は違う生き物だからさ。肌の色や目の色、流れる血も信じる神さえ違う。  
だから無理に寄り添いあえば、このかわいそうな子のような目に遭うんだ」  
 
モーリスがズキア族の少女と魔道師に取り憑かれた少女の瞼をゆっくりと閉じさせると、  
その横でロジアはスカートのポケットからハンカチを取り出し、  
モーリスが目を閉じさせた少女達の顔についた血を丁寧に拭き取り綺麗にした。  
「でも、私達は同じ人間なんでしょ?……ねえ、動かないでね」  
ロジアは遺体の血を拭いたハンカチを裏返し、  
汚れていない布地を使って魔道師に抉られたモーリスの頬を拭う。  
ロジアはそのハンカチと自分の手のひらをモーリスの眼前にかざしてみせた。  
 
ハンカチには頬の傷から流れ出たモーリスの血が、  
そしてロジアの小さな手には擦り傷から流れたロジア自身の血がついている。  
「“流れる血”が違うって言うけど、あたしの血もモーリスの血も同じ赤い色だよ?  
だからあたし達は同じ人間だよ。お父さんがそう言ってたもん」  
モーリスはいまだ自分を睨みつけるハリーの視線を感じながら肩を竦める。  
「俺はこの国に来て鬼だ畜生だと呼ばれ人間扱いされなかったことがよくあったんでね。  
……そんな風に言われても、自分が人間かどうか自信は持てないな」  
 
ロジアは力強く言い切った。  
「人間だよ、モーリスは」  
モーリスが閉じさせた少女の瞼と、息絶えた魔導師の男を交互に見ながらロジアは続ける。  
「亡くなった人のために祈ったり、子供を傷つける悪人に怒りを感じたりするんだから」  
その時モーリスとロジアのやり取りを冷ややかに見ていたハリーが、  
ロジアのハンカチに黄金の糸で描かれた細長い蛇の群れのような生物を確認した瞬間、  
調子はずれの声を上げる。  
 
「……ちょっと待ってくれ、君、その……そのハンカチに金糸で刺繍されているのは  
『多くがのたうつもの』の紋章か?……そ、それにロジアって名前は……まさか」  
慌てふためくハリーとは対照的に無言のモーリスの前で、  
にっこり笑いながらもう一度ロジアは繰り返す。  
「だからどれだけララウヌ領の人がモーリスの事を人間じゃないって言っても……  
ララウヌ領第三候女であるあたしが何度でも言ってあげる。モーリスは人間だって」  
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
薄暗い室内のベッドの上で、大の字に縛られた全裸の少女は怯えながら  
サイドテーブルの傍らに立つ女を見上げていた。  
幼さを残す少女の顔は恐怖で引き攣り、涙や鼻水で汚れている。  
彼女を縛りつけた女はサイドテーブルに乗せられた水晶玉の影からガラス瓶を取り出した。  
「ねえ、この中身ってなんだか分かる?」  
少女を見下ろす赤いローブを着込んだ女は、  
にこやかな笑みを浮かべ怪しい液体で満たされた小瓶を振ってみせる。  
 
ドロドロとした深緑色の液体は重力に逆らうように泡立ち、不可解な渦を作った。  
まるで液体自身が命を持っているかのように。  
「助けて……ください…………」  
少女は泣きながら許しを請うが、彼女から自由を奪った張本人は  
にっこりと笑いながら少女の顔にぐいぐいと硝子瓶を押し付けるだけだった。  
「質問に答えなさい。これは何だと思う?」  
懇願が無駄と理解した少女は、消え入りそうな声で答える。  
 
「分かりません……水飴……ですか?」  
残念はずれ、と女は楽しそうに呟きながら新たにもう一つの壜を取り出す。  
新たな容器の中でひくひくと鼻を動かしているのは、手足を凧糸で縛られた鼠だった。  
女は緑色の瞳に嗜虐的な感情をこもらせながら、鼠を謎の液体の入った壜へ放り込む。  
するとすぐさま容器の中へ放り込まれた鼠の全身の皮がどろりと溶けた。  
哀れな小動物は筋だけになった全身をわずかに痙攣させ、  
肉も溶けその動きは止まり、最後には骨すら残さず泡立つ液体と同化して消えた。  
 
あまりに自己の認識を超えた凄惨な光景に、少女の顔から血の気が引く。  
「そ、それは…………酸…………?」  
しかし怯える少女をあざ笑うように深緑色の液体はもう一度自ら蠢いた。  
「かわいいでしょ?動物のお肉が大好物な種のスライムなの」  
女は蓋を開けたまま、スライム入りの小壜を少女の腹の上に立てて置く。  
「ひっ……」  
 
もし壜が倒れスライムが零れだせば、自分の体は先ほどの鼠のように  
溶けてしまうだろう。少女は顔面を蒼白にし、歯をがちがちと鳴らし始めた。  
その時少女は下半身に淫らな刺激を受け悲鳴を上げる。  
「やっ……」  
「あらあら、暴れちゃ駄目よ。もしその壜を倒したら、大変でしょ?」  
いつの間にか少女の股座へ屈みこんだ魔女の舌が、  
ゆっくりと少女の秘裂を舐めあげていたのだ。  
 
「や、やめて……」  
ぬらりと濡れる舌がそこを這うたびに、嫌悪の叫びがあがる。  
魔女は口を離し、人差し指の腹で入り口をなぞりながら首を傾げた。  
「どうしたの?エッチな事されるの嫌?」  
少女は唇をかみ締め少しずつ沸き上がり始めた甘くむず痒い感覚に耐える。  
快楽に流され身悶えすれば壜を倒しスライムに溶かされてしまうから、耐えるしかない。  
「なんで……なんで、こんなこと……」  
 
「エーテルって知ってる?」  
「エー……テル?」  
答える少女の口から漏れる吐息が少しずつ上ずっていくのを感じて、  
陵辱者は頬の筋肉が緩むのを抑えられない。  
「魔法を使うのに必要なエネルギー、ってとこかしら」  
 
魔女が右手の人差し指で少女のクリトリスをつんつんと突付くと、  
少女は瞳を潤ませながら頭を左右に振る。ただでさえ四肢を縛られているのに、  
肉を溶解させる魔物入りの容器を倒さないようバランスを取らなければならないとなれば、  
わずかに身を捩る事さえ許されない。ただただ女から与えられる快楽を享受するだけだ。  
「エーテルを使うとこの世の理を歪め奇跡を起こせる。火種もないのに炎を燃やせたり、  
水の上を歩いたり、言葉を喋れない獣と心を通じ合わせたりする事ができる。  
魔道師やモンスターが魔法を使えるのはこのエーテルのおかげなのよ」  
 
魔女の右手人差し指と中指が膣口の浅い場所へ侵入し、  
左手で汗の浮かび始めたお腹を押さえる。  
「女の子宮はね、人間の体の中で一番エーテルが溜まる場所なの。  
だって新しい命を一人分丸々生み出すなんて奇跡を起こす臓器だから、  
他の器官に比べてエーテルの吸収率と貯蔵量が段違いなのよ」  
少しずつ女の指が中へ中へと埋没していくと、  
それに比例するように少女の体が弓なりにブリッジを描く。  
 
すると、当然ながら少女の腹に乗っているスライム入りの小瓶がわずかに傾いた。  
「ひぃっ」  
思わず少女は舌を噛んで愉悦を殺し、必死の思いで浮かせていた腰を落とす。  
恐怖と快楽の狭間でもがく様を楽しそうに眺めながら女は講釈を続ける。  
「ローパーやスライムはよく人間の女を犯すし、邪悪な魔法使いは女の子を殺して  
子宮を取り出したりする。あなたも子供のころお母さんに言われなかった?  
『夜遅くまで遊んでいたら、魔物や悪い魔法使いに連れ去られる』って」  
 
魔女は2本の指を引き抜くと、第2間接まで濡らす愛液を舌で舐め満足げに頷く。  
「あら、なかなかいいエーテルね……モンスターも魔法使いも、  
皆女の子のエーテルが大好きだから、ついつい女の子を犯したり殺したりしちゃうの」  
ベッドに縫い付けられた娘は半泣きになりながら女の目的を理解した。  
眼前の女が欲するのは彼女の子宮であることを。しかもただ臓器を取り出すだけではなく、  
スライムを使った陵辱で心身を嬲りつくそうとしていることもわかってしまった。  
 
「世の中にはね、女の子を殺さずただ子宮に潜り込んでいくだけの  
紳士的で優しいスライムもいるけどこの子は……って説明する必要もないか。  
さっき見たわよね、この子が鼠を『食べる』所」  
女は娘の産毛のような陰毛を23本引き抜く。  
「ひっ」  
瞬間焼け付くような痛みが少女の股間を襲うが、  
スライム入りの壜のせいで暴れることもできず唇を噛んでそれに耐える。  
 
「お願い……殺さないで……」  
涙ながらに訴える少女の前で女はくすくすと笑った。  
「あら、私は別にあなたを殺したいわけじゃないわ」  
その言葉を聴いて絶望に染まっていた少女の目にかすかな光が戻る。  
「……本当……ですか?」  
 
しどとに濡れた少女の内腿をさすりながら、魔女は説明した。  
「そ、別にエーテルが欲しいのなら尿や愛液を採取するだけで済むし。  
エーテルのつまった子宮近くから排泄や分泌される体液はエーテルを含むからね。  
さっき言ったでしょ、女の子を殺さずただ子宮に潜り込んでいくだけの  
スライムもいるって。……だからあたしがエーテルを取るまで  
あなたが壜を倒さないよう我慢できれば、それであなたの命は大丈夫ってわけ」  
 
「じゃあ……命さえ助けてくれるならなんでもしますっ、何をされてもいいです……  
だから……せめてこの壜を、スライムをどこかへ除けて下さい……」  
哀れで必死な願いは一瞬で却下される。  
「あら、それはできないわ」  
「そんな……なんで……」  
魔女は絶望に染まった弱者の前でにっこりと笑った。  
「だって……怯えるあなた、とってもかわいいんだもの」  
 
少女はえづきながら「ひどい」、と小さく呟いた。  
「じゃ、本格的にあなたのエーテルを採取しましょうか」  
白く柔らかい腿肉を撫で回し続けていた指が、ゆっくりと肉の花弁へ近づいてゆく。  
「い……いやあ」  
壜を倒すわけにはいかないから抵抗する事などできず、  
少女はただ魔女の蹂躙を受け入れるしかない。  
女の指が入り口の中へ進入した瞬間、少女の背が反りあがる。  
 
「うあぁっ」  
唇を噛み締める力がさらに強まり、彼女の口元から一筋の赤い液体が流れ落ちた。  
「ふふ、痛みで快楽を消すなんて健気なものね。でもそんな抵抗いつまでもつのかしら?」  
魔女の指が肉の洞窟をゆっくりと遡る。  
少女は括約筋に力を込め異物の進入を遮ろうとするが、  
細く長い指が膣壁を掻き分けるように動き回るたびに力が抜け更なる進入を許し、  
喉の奥からくぐもった喘ぎ声を上げるようになっていく。  
 
「あぁっ…………いやぁ…………」  
「あらら、なかなか濡れてこないわね。これならいくらやっても  
エーテルが取れないじゃない。もう少し指のスピード上げてみようかしら」  
「や、そんなの駄目っ……くはぁ、あぁ、ぁあぁっ」  
魔女の指のスピードが上がるとともに、少女の背中が描く弧が大きくなる。  
それでも少女は死の恐怖と唇に突き立てた歯の痛みで、  
なんとかスライム入りの壜が倒れないよう体が暴れだすのをこらえていた。  
 
しかしもう限界は近い。少女が絶頂を迎えるのも、  
全てを溶かす魔物がガラスの檻から解き放たれるのもどちらも時間の問題だった。  
娘の腹部に浮かぶスライムのようにべたついた汗を舐め取りながら、  
魔女は子供を諭す母親のように優しい口調で少女に注意する。  
「あらあら、そんなに腰を動かしちゃ駄目よ?  
そんなんじゃスライムが零れちゃうじゃない」  
 
「だって……だって、あ、ああぁぁ、  
だめ、だめぇ、きもち、よく、なっちゃあああぁぁっ」  
嵐の海に浮かぶ小船のように、少女の臍の上で壜が左右に揺れる。  
「気持ちよくならなきゃ駄目でしょ?あなたの愛液が必要なんだから。  
さあ、いっぱい漏らしなさい、あなたのいやらしい汁を!」  
 
緑色の瞳をきっと細くすると、魔女はその指で少女の膣内の  
天井に当たる部分を強く速く擦り始める。  
「あ、あ、ああぁ、そこだめ、だめえ、だめえええっ、  
もう、もう変に、ああああああっ」  
喘ぎ声とともに涎を垂らしながら、少女は指先から血の気が抜けるほど強い力を込めて  
ベッドのシーツをぎゅっと握り、切ない絶叫を部屋中に響かせた。  
「ああああああああああぁぁぁぁっぁっ」  
 
叫び声とともに少女の膣口から大量の潮が魔女の顔へと飛び散った。  
魔女は満面の笑みで温かな体液を受け止める。  
「ひ……はぁぁ……はぁ……」  
「こんなにいっぱいお漏らししちゃうなんて……  
しかもあんなに大声で叫んじゃうなんて、ほんといやらしい子……」  
その時魔女の視界に、水晶玉の中であたりの様子を窺う女の子の姿が目に入る。  
「あらやだ、ロジア様の様子が変ね……もしかして、聞こえたのかしら?」  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
「目が醒めたか?」  
「あ……おはよう、モーリ」  
椅子に座っていたモーリスはベッドの上で少しまどろんでいるロジアを鋭い視線で射抜き、  
眼力だけで彼女の口を塞ぐ。  
「まだ寝ぼけてるみたいだな、“ロイ”」  
しばらく放心していたロジアは、“ロイ”という名前が自分の偽名である事を思い出し、  
慌ててモーリスの返事に答えた。  
 
「あ、ごめんお兄ちゃん……」  
少しずつ寝惚けていたロジアの脳内へと血が通い始め、  
染みだらけの天井を見上げながらロジアは自分の置かれている状況と  
偽りの身の上を思い出す。  
(そうだ……あたし達は叔父さんの追手から逃げてる最中で……  
あたしは“ロイ”っていう男の子に変装してて、腹違いで2年前に再会した  
お兄ちゃん役のモーリスと旅をしている、だったよね)  
 
ただでさえ凹凸が少ないロジアの体のわずかな曲線をマントで覆い、  
顔立ちもフードで隠せば逃亡中のお姫様は少年に姿を変えるとことができるだろう。  
そう考えたモーリスの思惑は当たり、  
追われる立場のロジアは人通りの多い街中でもいまだ追手の目に留まらないでいられた。  
「また、姉さん達の夢でも見てたのか?」  
「ううん、今日はモー……お兄ちゃんと、初めて会った時の夢」  
「……小さい頃に生き別れたお前と再会してから、もう2年か。長くなるな」  
 
「生き別れ?……あ、えと、……そういう設定だったね」  
「設定とかぬかすな」  
ロジアの額を拳骨で小突きながらモーリスが注意する。  
「ねえ、二人きりの時位は、本当の名」  
ロジアが全て言い切る前にモーリスは首を横に振る。  
「駄目だ。こういうのは習慣にしておかないといざという時ボロが出る。  
お前は俺の異母弟のロイだ。分かったなら返事しろ」  
 
「……はーい、お兄ちゃん」  
不満そうな顔で答える偽の弟の前で、モーリスは立ち上がる。  
「じゃあ俺は外へ出て情報を集めてくる。お前はこの部屋から絶対出るなよ」  
「ねえ、モ……お兄ちゃん」  
「……なんだ」  
「近頃なんだか元気ないみたいだけど、大丈夫?」  
「何も問題ないさ。……しかし守るべきお前に心配されるなんざ、俺も兄貴失格だな」  
 
「しょうがないよ、お兄ちゃんここの所いつも2時間位しか寝てないんだもの」  
「……お前は何も心配せず宿で待っていろ」  
普段はモーリスの言う事を素直に聞くロジアが、彼の痩せこけた頬に手を添え食い下がる。  
「でもなんだか、顔色悪いよ?……今日はもう休んで、ぐっすり眠ろうよ」  
「そんなわけにはいかないさ。明日の朝にはこの宿を発ちたい。  
俺達にゆっくりしてる時間はないんだからな」  
 
「でも……」  
「でももくそもない。言う事を聞いて大人しくしてろ」  
「……うん、わかった……」  
「お前に気遣われなくても、自分の体のことぐらい分かるさ。子供は気にするな」  
そう諭した後、モーリスは聞き取れないほど小さな声で呟く。  
――それに俺の調子が悪い本当の理由は――  
「え、何か言った?」  
 
「……なんでもない。じゃあ、今度こそ俺は行くぞ」  
「じゃあ、気をつけてね……?」  
ロジアの肩がぴくりと震え、あたりをきょろきょろと見回す。  
「どうした?」  
周囲の様子を窺いながらロジアは答えた。  
「……ねえ、どこかで女の子の悲鳴が聞こえなかった?」  
途端にモーリスのやつれた顔が強張り、腰に下げたシミターの柄へ手を伸ばす。  
 
「……俺には何も聞こえなかったが」  
「そう……?じゃ、気のせいなのかな」  
外の通りから聞こえてくる人々のざわめきに耳を澄ませながらモーリスは目を細める。  
「通りの話し声が聞こえただけじゃないのか?  
とはいえ……もしそれが本当に悲鳴なら気になるな」  
 
ロジアは自分の聞き違いで疲弊したモーリスの神経をこれ以上磨り減らせる事を恐れ、  
慌てて自分の言葉を否定した。  
「あ、あのね!もしかしたら……悲鳴じゃなかった……ような気がしてきた」  
「……本当に気のせいなのか?」  
ロジアは全力で何度も頭を縦に振る。  
「うん、きっとそうだよ!……ごめんね、変な事言って心配させて」  
 
モーリスは溜息を吐きつつ曲刀を掴む手から力を抜く。  
「やっぱり神経質になっているみたいだな。お父上のことがこたえているのか?」  
口にした瞬間モーリスはさらに顔色を悪くして自らの口に手を当てるが、既に遅かった。  
「すまん。……確かに俺は疲れているみたいだな」  
モーリスの『お父上』という言葉に反応し俯いたロジアは、  
しばらく唇を噛み締めた後精一杯の笑顔を浮かべながら顔を上げる。  
「大丈夫だよ。お父様が亡くなったのは辛いけど……でも、覚悟はしていたから」  
 
引き攣った表情は強がっていることが丸分かりで、見ているモーリスの心を締め付ける。  
罪悪感を覚えたモーリスはその場を立とうとするが、ロジアは彼を解放してくれなかった。  
「大丈夫というのなら、早く俺を情報収集へ向かわせて欲しいんだが」  
ロジアはモーリスのマントの裾を掴み、彼の外出を邪魔し続けている。  
「……ほら、ここの町ってなんだかお兄ちゃんと初めて会った時の、  
あの建物を思い出すから。……なんだか少し神経質になっちゃって……」  
 
「少女に取り憑いた魔道師に襲われた、あの時の事か」  
ロジアは不安を隠さず頷く。  
薄汚れ不穏な雰囲気を持つ木賃宿は、ロジアに燃え盛るあの不気味な館を思い出させる。  
二人にとって忘れがたいあの日の事を嫌でも連想させてしまうのだ。  
『……お前は…………死ぬ…………ここに並ぶ…………ガキどものように…………  
……全身………………溶か…………され………………のたうち……………………ながら』  
 
魔道師がモーリスへ残した呪詛が脳内に再生され、ロジアは身震いした。  
「……気分が悪いのか?」  
ロジアは泣きそうな目でモーリスを見上げる。  
「……お兄ちゃん……帰ってくるよね?」  
「くるさ、お前を守るのが俺の仕事だからな。……しかしお前もよく分からない奴だ。  
普段は蛇を素手で捕まえたり、5メートルはある崖から平気な顔して  
川に飛び込んだりして侍女共に悲鳴を上げさせるくせに、一人になるのは怖いのか?」  
 
「怖いよ……お兄ちゃんがいなくなるのは。……あたしも外についていっちゃ駄目?」  
「情報収集する場所は子供の入れない場所だ。お前がいたら仕事が出来ない」  
押し黙り震えながら身を寄せてくるロジアが、マントを掴む手の力をいつまでたっても  
緩めようとしないので、モーリスは小さく溜息を吐く。  
「で、どうすりゃお前は俺を放してくれるんだ?」  
それまでモーリスを見上げていたロジアが恥ずかしそうにうつむき、もごもごと呟く。  
 
「あのね……モ、モーリスがね……頭、撫でてくれば、あたしは頑張れる……と思う」  
モーリスが呆れ顔で少女の頭を撫でると、  
途端にロジアの目から恐れが消え、頬がうっすらと赤味を帯びる。  
(そう、いつもそうだった)  
姉妹達で可愛がっていた飼い猫が死んだ時も、一晩に2回も嘔吐する病魔に侵された時も、  
……城を追われ家族や親しい人と離れ離れになった今でさえも。  
 
「お兄ちゃんに頭を撫でてもらえば、……どんな辛いことも頑張っていけるんだよ」  
「やれやれ、いつもはお転婆のくせに、こういう時は甘えん坊だな」  
ロジアはいたずらっ子のように笑いながら首を横に振った。  
「違うよ、お兄ちゃん」  
「あん?」  
「お転婆じゃなくて、やんちゃでしょ?だって僕、男の子だもん。ね?」  
 
モーリスは頬をぽりぽりと掻いて視線を泳がせる。  
「……こりゃ一本取られたな。そういやお前は男の子だった」  
「へへ、駄目でしょ、お兄ちゃんがボロを出しちゃ」  
いつもは極力表情を表に出さないモーリスも思わず苦笑いを浮かべる。  
「調子に乗るな。ま、それだけ言える様になれば大丈夫か。じゃあ今度こそ行くぞ」  
「うん、じゃあ行ってらっしゃい。気をつけてね」  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
何分も全速力で走り続けたかのように少女の息は荒い。  
その全身は魔女の愛撫で昂ぶらされたため汗だくになり、  
焦点の合わぬ瞳は涙を流しながら天井をぼんやりと見上げていた。  
そんな少女の上にのしかかりながら、彼女の眼前に魔女が何かを突きつける。  
「余韻に浸っているところ悪いんだけど……これ、な〜んだ?」  
 
スライムが入っていたはずの小瓶が空になっているのを見た瞬間、  
絶頂に放心していた娘の顔が見る見る青ざめる。  
「や、やああああっ」  
見れば少女の腹には大量のスライムがぶちまけられていた。  
「あらあら、自分で壜を倒して気づかなかったの?  
よっぽど私の指が気持ちよかったのかな?」  
 
しかし少女には魔女の問いに答える余裕はない。  
白くすべすべのお腹がスライムによって溶かされ始め、血潮が溢れ出したからだ。  
「お願い助げ、熱い、ああづいいいいっ!!」  
「残念ね、もう助からないわよ。  
じゃ、あなたの子宮のエーテルもいただいちゃおうかしら」  
魔女はスライムに溶かされた少女の腹筋をスライム越しに撫で回す。  
「溶げるっどげるっぅぅ」  
 
悶絶する少女を見下ろしながら、魔女はくすくすと笑った。  
「あらあら、そんなに私のことを心配しなくても大丈夫よ?  
スライムはこのシュメーラ様が魔法で完全に支配しているから、  
私がスライムに触っても私は溶けないの」  
スライムは少女の臍から股座まで完全に覆い、その皮膚と肉をじわじわと溶かしていく。  
「あがあああっ、お腹が、おなががぁああっ」  
 
少女は絶叫を上げながら下半身から液を噴出す。  
尿道の組織を溶かされ、排泄機能が壊されたのだろう。  
「あははは、そんなにお漏らししたらエーテルを吸ってスライムがどんどん増えるわよ?」  
魔女の言葉通りスライムはその体積を増し、  
赤黒く変色したスライムはいまや乳房や太腿までも完全に覆いつくしていた。  
肛門や膣口からもスライムが少女の胎内へ侵入し、体の内と外から少女の組織を分解する。  
 
冷酷な魔女は彼女の膣口へ手を入れせせら笑った。  
「わあすごい、さっきまでは指2本できつきつだったのに、  
おまんこ溶かされたから手首まで入っちゃう」  
「あぐああがあああっ、がらだのながっ、熱い、あづいいぃぃいっ、  
あづくてきもいがぁあぁぁっ」  
 
溶かされる恐怖と激痛に襲われた少女の暴れぶりはひどく、  
手足を縄で完全に拘束されているというのに極限まで体を振り回し、  
彼女を縛り付けたベッドがぎしぎしと悲鳴を上げ続ける。  
しかし彼女を襲うのは激痛だけではない。  
「ねえすごいでしょ?直接剥き出しになった神経の周りを刺激されるのって」  
それはスライムを操れる魔女だけが可能にした地獄のような快楽だった。  
 
スライムで包皮だけ溶解され全体が露になったクリトリスの全身をあますことなく愛撫し、  
膣壁がたんぱく質へと分解され、剥き出しになったGスポット奥の神経群を直接弄り回す。  
「ぎひああああっ、がああ、ぎもぢぃだああああぁっ」  
目尻が引き裂かれそうなほど見開かれた瞳からとめどなく涙を流しながら、  
少女は快楽と激痛を無理矢理与えられ悶え狂う。  
 
「あはは、どう?体を溶かされながらイかされる感覚って、すごいでしょ?」  
「ひぎぁあああああっ、おがぢおあふぁいいあっっっっ、あ……」  
少女は断末魔を上げながら背骨が折れるのではないかと思うほど体を大きく仰け反らせ、  
しばらく全身を痙攣させた後糸の切れた操り人形のように動かなくなった。  
「あら?……ねえ、どうしたの?もしもーし、まだまだこれからよ?」  
 
魔女が少女の頬を幾度も叩くが、少女の瞳が再び光を宿すことはなかった。  
「……あーあ、激痛のあまりショック死しちゃった。  
脆いわね、もうちょっとじわじわ溶かして長持ちさせればよかったなぁ、つまんない」  
溜息を吐きながら赤衣の女は少女の胎内へ突っ込んでいた手をさらに奥へと突き入れる。  
解けて爛れた肉が崩れる不快な音が部屋の中に響き渡った。  
 
「じゃ、早速あなたの子宮をもらいましょうか……」  
スライムが中で子宮周辺の肉を溶かしたのか、  
その臓器は容易に少女の体から取り出された。  
至福の笑みを浮かべながら、妖婦はエーテルのつまった臓器を舐め上げる。  
「あら、綺麗な子宮。……エーテル量はまずまず、って所かしら」  
 
魔女は子宮に頬ずりをしながらサイドテーブルへと視線を移す。  
サイドテーブルの上には水晶玉が置かれており、  
半透明の球体の中にベッドの上で不安そうに腰掛けるロジアの姿が映っていた。  
「あらあらかわいそうに……護衛の傭兵がいなくなって独りきりになったから、  
寂しいのね……」  
魔女が壁際まで歩き窓の外を覗き込むと、モーリスが魔女とロジアのいる宿から  
離れていくのが見て取れる。  
 
「情報収集ご苦労様。もっともお姫様が死ぬから集めた情報はすぐに無駄になるけど」  
ふと魔女が正面を見ると、向かいの民家から自分や少女のいる  
部屋を覗き込む男の子と視線がぶつかった。  
魔女がにっこり笑いながら手を振ると、男の子も笑いながら手を振り返す。  
まるで彼女の背後で事切れた少女とその周りの血の海が見えないかのように。  
「……やっぱり普通の子は知覚できないわよね。私の幻覚魔法が効いているんだから」  
もう一度魔女は水晶越しにロジアの姿を確認する。  
 
『どこかで女の子の悲鳴が聞こえなかった?』  
ロジアは確かにさきほどそう呟いていた。  
魔女は舌なめずりをすると、紅い衣の下からスライム入りの小瓶を新たに  
10個ほど取り出し、その蓋を開ける。  
「私の幻覚魔法が完全に効いていなかった……だとしたら、ロジア様は  
とんでもないエーテルを体に秘めているのかも……  
ふふ、またあの人に褒めてもらえそう……」  
 
瓶から這い出たスライム達が取り出されたばかりの子宮に群がると、  
その全身が劇的に膨張した。  
「さあ、あなた達も前菜をさっさと食べて力を蓄えなさい。  
メインディッシュはもうすぐだから」  
スライム漬けとなった部屋の中で、背筋の寒くなる魔女の高笑いだけが響き渡る。  
彼女の視線の先には、モーリスの消えた通りを窓越しに眺め続けるロジアの姿が  
水晶玉の中にいつまでもぼんやりと浮かび続けいていた。  
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
領主の城の中庭で、モーリスは領主ロルドと対峙していた。  
「君はいつも私を見ると殺気を漲せるね。何か恨みでもあるのかな?」  
モーリスはロジアの父ロルドを煮えたぎるような眼光で睨みつける。  
「……子供のころララウヌの軍に家族を殺された。それだけの話だ」  
「そうか。だが謝罪はしない。あの戦争で死んだのは君の家族だけではないからね。  
ズキアの人間もララウヌの人間も等しく多くの者が死んだ。私の友人もだ」  
 
「……わかっているさ」  
「だとしたらどうにも君の殺気だった態度は理解出来ないな。  
戦争で悲しい思いをしたのはズキアの民だけではないと理解しながら、  
なぜそこまで私を憎む?」  
「兵でも戦士でもない母や姉も殺された」  
搾り出すようなモーリスの声に、穏やかだったロルドの顔がわずかに強張る。  
 
「そうか。なら君の家族の命を奪った者の顔や、体格の特徴など何でもいいから  
思い出してくれ。誰か調べ上げ、その者に然るべき罰を与えると約束しよう」  
「それは……言えない」  
正確には言う必要が無いからだ。なぜならば、モーリスがあの日目撃した  
母と姉を犯しながら殺していた男は、目の前にいるロルド本人なのだから。  
 
「……では、残念ながら私は君の憎悪を癒すことは出来ない」  
「いや、ひとつだけ方法はある」  
モーリスがマントの下で短剣を握り締める。  
(あんたを殺すことさ)  
するとその殺意に反応して、ロルドの横にいた赤髪の従騎士が  
モーリスとロルドの間に割り込んだ。  
「ロルド様、お下がりを」  
 
「下がる必要など無いだろう。私はまだ彼と話がしたいんだ」  
「この男は、あなたに危害を加える気です」  
剣呑な空気を知ってか知らずか、ロルドは暢気に肩を竦める。  
「シキッドは生真面目すぎるぞ。そんなことではメヒィルも大変だろう」  
「……なぜそこでメヒィル様の名が出てくるのですか?」  
シキッドの狼狽で殺気立つ空気が少し緩んだ瞬間、  
緊張した雰囲気を決定的に破壊するあどけない声があたりに響く。  
 
「お父様、モーリス、シキッド!ねえ、見てよ、こんなに大きな蜘蛛捕まえちゃった!」  
ロジアが叫び声をあげながら、彼女の手の平ほどの大きさの蜘蛛を振りかざしつつ  
3人の男に近付いてきた。モーリスは溜息を吐きながら無言で短剣から手を離す。  
「すごいでしょ、これ。こんなに長い足の蜘蛛初めて見たよ!」  
まるで鼠や虫を捕まえた猫が飼い主に見せびらかすかのように、  
ロジアはモーリスに向かってわしゃわしゃと足を蠢かす蜘蛛を差し出す。  
 
「……あー、すごいですねぇ、ロジア様。あなたは虫取りの天才ですよ」  
モーリスがロジアの頭を撫でると、ロジアは満面の笑みを浮かべた。  
「えへへへ、すごいでしょ!そうだ、お姉さま達にも見せてあげなきゃ」  
ロジアはくるりと向きを変えると駆け出す。  
「いやいや、そんなことしたらこの前蟷螂を見せた時みたいに  
お二人とも悲鳴を上げますって……ああ、もう」  
 
ロルドは笑いを堪えながら娘と護衛の男のやり取りを見守った後、モーリスに話しかける。  
「どうしたモーリス、君はあの子の護衛だろう?早く傍にいってやれ」  
ロルドの言葉にモーリスの顔にわずかながら殺意が甦った。  
「あんたもおかしな人だな。あんたに憎悪を抱く俺に実の娘の護衛をなお続けさせるのか」  
「君は私への悪意をあの子にぶつけるような卑しい真似はしないだろうさ」  
 
モーリスはその堀の深い顔を歪ませながら嗤う。  
「どうだかな。あんたへの当てつけにあの娘を手篭めにしてみるのも面白い」  
(あんたが俺の母と姉にしたようにな)  
「モーリス!」  
シキッドが険しい顔でモーリスの方へ一歩踏み出そうとするが、  
ロルドがその肩を掴んでシキッドの前進を阻止した。  
 
「ふむ、それなら私の計算どおりになるのだがな」  
ロルドの言葉にシキッドはおろかモーリスも呆気に取られる。  
「……あんたは何を言ってるんだ?俺はあんたの娘を傷物にするって言ってるんだぞ」  
「ほら、いまだに一部いがみ合ってるだろ、ララウヌの人間とズキアの人間は。  
だから領主の一族とズキアの人間が血縁関係にでもなれば、  
少しは仲良くなるんじゃないかと思って君をロジアにあてがったんだがね」  
 
「……そんな馬鹿げたことのために、異民族の俺を娘の護衛に?」  
「馬鹿げたことかなぁ。結構私は大真面目なんだがね。あの子も満更ではなさそうだし。  
あ、あと平民のシキッドにメヒィルの護衛をさせているのもそれに近い理由なんだけどね」  
いきなり話題を振られて当のシキッドはうろたえた。  
「……ロルド様、一体何を?」  
 
「ほら、ここだけの話だが、今は円卓のほとんどが一部の貴族の血筋で固められ、  
ララウヌ領のあらゆる権益を独占しているからね。  
平民あがりのシキッドがメヒィルとくっついてもらうと、色々風穴が開きそうなんだけど」  
「……それで私に不相応なメヒィル様の護衛をさせているのですね」  
溜息混じりにシキッドが呟くと、ロルドが朗らかに笑った。  
「平民上がりの騎士なら誰でもいいわけじゃない。シキッドだから託したのさ。  
もちろんモーリスも同じ理由だ」  
 
モーリスは苦々しげに呟く。  
「つまり娘に手を出せばあんた思惑に乗る事になるのか。それはそれで腹立たしいな」  
「そういうわけだ。だからあの子に手を出しても私に対する復讐にはならないと思うよ」  
「ならやはり……あんたに直接、この憎悪をぶつけるしかないか」  
「そうなるな。だがすまないね」  
いきなりロルドの首が横にずれ、頭が床へと転がった。  
驚きで身が竦んだモーリスの前で、首だけになったロルドが彼を見上げる。  
 
大地に転がったロルドの頭は心からすまなそうに呟く。  
「私は君以外の人間に殺されてしまった」  
家族を失い、ただ復讐のためだけに生きてきたモーリスは、その対象を突然失った。  
「なんで……」  
驚きの感情が去った後、モーリスの中に湧き上がったのは、例えようの無い悲哀と絶望。  
 
「なんで俺以外の奴に殺されやがった!!」  
 
酒場の中にモーリスの絶叫が響き渡る。  
それまで楽しそうに談笑していたカップル、渋い顔で馬乳酒を飲んでいた老人、  
屈託な笑顔を振りまきながら料理と酒を運んでいた看板娘が皆モーリスへと視線を注ぐ。  
我に返ったモーリスはカウンターの席に座りなおすと、  
心配そうにこちらの様子を窺う店主に一枚の金貨を渡す。  
「……他の客に迷惑をかけた。これで店にいる全員に酒を振舞ってやってくれ」  
モーリスが背をただし酒を飲み直し始めると、場末の酒場をまた喧騒が支配し始める。  
 
(たった一杯で潰れて変な夢を見てたのか俺は……  
おまけに追われる身のくせに群集に注目されるなんて、救いようがねえな……)  
モーリスが情報を集めるためにやって来たのは町外れの酒場だった。  
ひと働きした後の開放感が人々の口を緩め、  
聞き耳を立てているだけで様々な情報を拾うことが出来る人々の憩いの場。  
しかしそこで一杯の果実酒を飲んだ後モーリスの記憶は薄れ、  
疲労とアルコールが手を取り合って協力し、彼に先ほどの悪夢を見せつけた。  
 
(ロジアに心配されるわけだ……かなり体が参っているみたいだな)  
いや、衰えているのはどちらかといえば体ではない。  
(……あの領主は殺されやがった……)  
首都からロジアを連れて逃げる最中、  
ロジアの父である領主ロルドが弟に殺害されたと聞いた瞬間モーリスの中の何かが壊れた。  
それまで彼自身を支えていた復讐という生への執着がすっかり無くなってしまったのだ。  
今モーリスを苛むのは無力感と虚脱感。  
 
(たとえ俺の手でなくてもあの男が死ねば……すっきりすると思っていたのにな……)  
家族を犯し殺したあの男がいなくなれば自らの胸に眠る憤怒の火も消え、  
毎晩のようにうなされた家族が犯される悪夢も見なくなる。……そのはずだったのに。  
(いや……本当にそうなのか?)  
懊悩するモーリスの耳に旅の楽団一座の話す声が聞こえてくる。  
「この国は今治安があまりよくないだろう?ほんとに仕事をするのかい?」  
 
見るからに神経質そうな細身の男が不安そうに呟くと、  
彼の隣に腰掛けた褐色の肌の女が相槌を打つ。  
その紫の瞳からして、おそらくズキアの血を引いているのだろう。  
「私達のような異国の人間に与えられていた権利も次々に剥奪されているらしいわね。  
前領主様ならそんなことはなかったのに」  
 
彼らの声を耳にした老人が、モーリスの二席横で嘆きながら酒をすする。  
「ああ……ロルド候……われわれは偉大な領主を失った……」  
「前領主が偉大だと!」  
モーリスはグラスをテーブルに叩きつけると厨房まで聞こえるほどの声を張り上げた。  
普段の彼ならそんな愚行は犯さなかっただろうが、先ほどの悪夢が彼の神経を昂ぶらせ、  
逃亡の身でありながら人前で注目を浴びるという  
ありえない失態を彼にもう一度させてしまった。  
 
「あいつは俺達ズキアの集落を襲い、俺の眼前で母と姉を犯したんだ!」  
それまで生気のなかった老人は、モーリスの言葉を聴くと  
乾いた肌に青白い血管を浮き上がらせながら激昂した。  
「馬鹿な、ロルド候がそのようなことをするはずがない」  
「俺は見たんだよ、やつが俺の家族を……っ」  
 
モーリスの集落を襲ったララウヌ兵はズキアの戦士達を殺した後、  
武器を持たず戦えぬ女子供老人も殺して回った。  
モーリスの母や姉のように器量のいい女達はただ命を取られるだけでは済まず、  
その身を汚され誇りも尊厳も全て奪われ殺されたのだ。  
そしてその時モーリスの母と姉を笑いながら強姦したのは、  
ロジアの父であり前領主だったロルド・ララウヌ候。  
 
「ありえぬ、万に一つもありえぬ!あの方がそのようなことをするなど!」  
「俺はその時直に見たんだよ!確かにあのツラは前領主だった!」  
なおもお互いに大声でののしり合う二人の間に酒場の店主が割ってはいる。  
「他のお客さんの迷惑になります。喧嘩なら他所でやってくれませんかね」  
わずかな間を置いてから老人は席に座りなおすと、うわ言のように呟いた。  
「ありえない事じゃ……何かの見間違いじゃよ、ズキアのお若いの」  
「……俺だって、それならいいと何度も思ったさ……」  
 
ロジアの父ロルド・ララウヌ候は明君として領の内外に名を知られていた。  
例え敵対していたズキアの民であろうとも、  
戦争が終わったのならばララウヌの民と同じく迎え入れるべし。  
そう宣言した後に軍、役所、ギルドなど様々な場所にズキアの民を雇い入れ、  
ズキアの子供達にも教育の場を与えた。  
 
融和政策を打ち出してからのララウヌ領はそれまでの比にならないほど富み、  
数年で軍事も経済も近隣の領に及ぶ物のない程強大になった。  
昨年この領を大災害が何度も襲い民達が疲弊するまでは、  
ララウヌ人でロルドの悪口を言う者は特権を奪われた血統主義の貴族や豪商か、  
戦争で仲間をズキアの戦士に殺された兵士ぐらいのものだったろう。  
 
親ララウヌ派で先の戦争に参加しなかったズキア族はもちろん、  
ララウヌと戦い敗れたズキア族の一派さえも多くの人間がロジアの父を  
敬い慕っているのをモーリスは知っていた。  
(俺だって……そうだった)  
家族を失い天涯孤独の身となった幼いモーリスがララウヌで生きていけたのも、  
ロジアの父が戦争孤児になったズキアの子供達を保護する条例を出していたからだ。  
 
幼いころこそ自らの家族を奪ったララウヌの全てを呪っていたが、  
ララウヌ領でララウヌの人々に助けられながら生きていくうちに憎悪も薄れていき、  
社会に出て他者を受け入れることの困難さを思い知った時には  
ほとんどララウヌの民に対する怒りは消え、  
見たことのないロルド・ララウヌに敬愛の念さえ持つようになった。  
 
だからこそ、初めて彼の顔を直に見た時のモーリスの混乱は言葉に出来ないほどだった。  
自分が最も尊敬するララウヌ人と、最も殺したいララウヌ人が同一人物だったのだから。  
そしてその混乱はモーリスがロジアの護衛となってからはさらに大きくなっていく。  
ロジアの護衛として城でロルドと幾度か直に接し話した時も、  
モーリスは彼の中に女を強姦するような卑劣さを欠片も見出すことが出来なかった。  
(結局、どっちだったんだ……?多くの民に愛された名君と、  
俺の家族を辱めた悪魔……どっちが本当のロルド・ララウヌの姿だったんだ?)  
 
『ありえない事じゃ……何かの見間違いじゃよ、ズキアのお若いの』  
『……俺だって、それならいいと何度も思ったさ……』  
先ほどの老人とのやり取りを思い出し、モーリスは自覚する。  
(そうか……俺が悶々として腑抜けになったのは、あの男を殺せなかったからじゃない)  
なぜあれほどの明君が、あのような凶行を行ったのか。  
(多分自分は、その理由が知りたかったんだ……)  
本人が殺された以上、その機会は永遠に失われてしまったのだが。  
 
モーリスが酒を再度呷ると、楽団の座長らしき男がモーリスの作り出した店内の不穏な  
空気を振り払うように大きく咳払いをして、対面に座る細身の男へ語りかける。  
「この国がこんな混乱のさなかにあるから僕らの仕事が必要とされるんだろ?  
僕達の音楽が不安に駆られる皆の心を安らかにさせるのさ」  
彼の横に座っていた褐色の肌を持つ女性が同意するようにぼそりと呟いた。  
よく見れば彼女は細身の男の隣に腰掛けるズキア族の女と同じ顔立ちをしている。  
「だけど家族による権力争いなんて、領主の一族って大変なのね……」  
 
彼女の対面に座る女が同じ顔でにこやかにこくりと頷く。  
「亡くなった前領主様と追放されていた弟のエルゴザ様は私達みたいに  
双子の兄弟だったんでしょ?血の繋がった双子同士の争いなんて、なんだか悲しい話よね」  
細身の男は慌てて女達の噂話に割ってはいる。  
「だ、駄目だよ、その話はこの領内ではタブーだってば!」  
その噂を耳にしたモーリスはカウンター席から立ち上がり双子の女の背後へ駆け寄った。  
「な、なんだお前は!」  
 
細身の男はモーリスの血走った目に気圧され椅子から立ち上がろうとするが、  
褐色の肌を持つ女は怯えもせずにっこりと笑いながら同族の男を見上げる。  
「何か御用ですか?」  
モーリスは首筋に汗を浮かべながら女に尋ねる。  
「あんた……ちょっと待て、今なんて言った?その、前領主と追放されていた弟は……」  
「前領主ロルド・ララウヌ候と弟のエルゴザ・ララウヌ様は双子だったの」  
ぐらりとモーリスの体が揺れる。  
 
「ちょっと待てくれ……俺はララウヌ領に十年近く住んでいるが……  
そんな話聞いたことも無いぞ……?!」  
「国家や領地、組織の秘密や醜聞なんてものはその内にいるよりも外にいる方が  
色々と耳に入るものなんですよ」  
モーリスはふらつく足で近くのテーブルにすがりつく。  
(双子……同じ顔……じゃああの時、俺が見たのは……俺の家族を辱めたのは……)  
「おい小僧、いい加減にしろ!さっきから貴様が喚くから落ち着いて酒も飲めん」  
 
「ああ、すまない……」  
モーリスは自らを罵倒する老婆を見てさらに目を丸くし、老婆もモーリスを見て驚く。  
酒場の奥で干し肉をつつきつつモーリスを凝視している年老いた女は、  
先ほどモーリスが宿を出る時1階にいたはずの宿の主だった。  
「なんじゃ、どこかで見たと思ったら、昨日までうちに泊まっていた客じゃないか。  
まだこの町にいたのかい。全く、弟をほっぽって酒なんぞ飲みに来おって」  
「……待ってくれ、昨日までだって?まだ俺達はあんたの宿に泊まっているぞ」  
 
老婆はアルコール臭い大きな溜息を吐き出した。  
「すっかり酔っとるようじゃなこの若造は。あんたら兄弟ももう一人の客も、  
示し合わせたかのように昨日には出払っちまった。おかげであたしゃ仕事もなくなり、  
こんな夕方から酒を飲みに来てるのさ」  
(……この婆さんが、耄碌して勘違いしていないのならば……)  
わずかな情報からモーリスはある仮定を導き出す。何者かが自分と老婆に幻を見せ、  
あの宿から不可解な力で人払いをしている可能性がある。  
 
(幻を見せる術……薬、あるいは……魔法……?)  
今宿にいるのはロジアと老婆の姿をした誰かと、もう一人、あるいは一組の客。  
確信は無い。だが、長年培った傭兵の勘がモーリスにロジアの危機を告げる。  
「あ、お客さん、お代が多いですよ!」  
3枚の金貨を受け取った酒場の看板娘が叫ぶと、モーリスは振り向きもせず  
「多い分は楽団の姉さんと干し肉をつついてる婆さんにおごってやってくれ!」  
と大声で答え、店を出ると全速力で往来を駆け抜けていった。  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
モーリスのいなくなった宿でロジアは、  
なにかの気配を感じてきょろきょろと辺りを見回す。  
(なんだろう……誰かに見張られてる気がする……)  
日が沈んだ裏町の安宿はまるで誰もいないかのように静まり返っているのだが、  
どうにも先ほどからロジアは不穏な空気を感じてやまない。  
その時ロジアの髪の毛に何か液体が落下した。  
(え、雨漏り……?)  
 
しかしロジアが寝泊りしているのは2階で、  
この宿は3階建てのはずだから雨漏りではないだろう。何より昨日から雨は降っていない。  
(じゃあ一体……)  
天井を見上げたロジアは仰天する。木の板が張られた天井には、赤い液体が染み出ていた。  
「……血……?」  
反射的にロジアは立ち上がり、廊下へと飛び出した。  
 
階段を駆け上がると、自室の真上にあたる部屋のドアを開ける。  
「な……!」  
部屋の惨状にロジアは息を呑んだ。  
ベッドの上には全裸のまま縛られた少女が、血の海の中で横たわっていた。  
急いで彼女の側へと駆けつけたロジアは、  
少女の内臓が剥き出しになった下半身を見て即座に彼女が事切れているのを悟る。  
 
(ひ、ひどい……)  
少女の形相はまるで人の物とは思えぬほど恐怖と苦痛で大きく歪み、  
ひどく暴れたのか縛られた手首と足首は皮膚が破れて血が流れ出ていた。  
(一体誰が……こんな酷い事を!)  
カッと見開いた少女の瞼を指で閉じさせたロジアの視界の端に、粘ついた大きな影が蠢く。  
部屋の入り口を覆うようにして、それはロジアの退路を塞いだ。  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
「おや、どうしたんだい、お客さん?」  
先ほど酒場で会った老婆と同じ姿をした何かが、  
箒で廊下を掃きながら宿へと帰ってきたモーリスを出迎える。  
「ちょっと部屋に、忘れ物をな」  
モーリスは腰に下げたシミターの柄を握りながら階段を上がろうとすると、  
老婆はその前に立ちはだかる。  
「こらこら、そこはさっき拭き掃除をしたばか」  
 
「悪いな」  
老婆の話が終わらぬうちにモーリスは手にした曲刀で彼女の頭へ斬りかかる。  
しかしその一撃は水面を打つように手ごたえを生まなかった。  
刃は老婆の顔に埋まり、亀裂の入った顔で老婆だった物体はにやりと笑う。  
その瞬間心に直接響く不思議な女の声がモーリスの脳内に響き渡った。  
“そいつはスライムよ、早く逃げなさい”  
「……誰だお前は!」  
 
“誰でもいいでしょ。そんなことよりこの宿の中はスライムだらけよ。  
剣士のあなたがどうにかできる相手じゃないからとっとと逃げなさい。  
お人よしのお姫様は私が助けてあげるから”  
しかしモーリスはその声に従わず、老婆だった物体の横を駆け抜け、  
腹筋の力を総動員した大声で守るべき者の名を叫ぶ。  
「ロジアァァっ」  
「……リスっ、……すけ……っ」  
 
階上から微かに聞こえる少女の声に反応しモーリスが階段を駆け上がろうとしたその瞬間、  
モーリスの足が階段に沈み込んだ。正確には階段をすっぽりと覆っていた流動体が溶け、  
その中にモーリスの足が深々と浸かってしまったのだ。  
(これは……さっきの老婆と同じで、スライムの擬態!?)  
見る見る階段だったはずの木材は深緑色の粘菌に姿を変え、  
瞬間モーリスは足に焼け付くような激痛を覚えた。  
スライムがその粘液で皮靴ごとモーリスの足の肉を溶かしたのだ。  
 
唇を噛みしめながらモーリスは一足飛びで階段を上がるが、  
階段を上がった瞬間頭に何かが降りかかる。  
それは天井に張り付いていたスライムだった。  
モーリスの鼻腔へと異臭を撒き散らしながら、スライムは彼の顔を溶かし始める。  
「ぐああああああっ」  
モーリスは溶かされた顔の皮ごと掻き毟るようにしてスライムを取り除き、  
焼け爛れた顔と半分骨が露出した足で壁にすがりながら廊下を前進する。  
 
“馬鹿ね、人の言う事を聞かないからよ。もうあなた助からないわ”  
右目は半ば白濁し、左眼窩も垂れた血で義眼を赤く染めながら、  
不思議な声の主に呆れられてもモーリスは歩みを止めなかった。  
(俺は死んでもいい)  
家族が殺された晩、自分もきっと死ぬはずだったのに何かの手違いで生き残ってしまった。だから自分は、例え死ぬ事になっても残された命の全てをかけて復讐をやり遂げるべきだ。  
モーリスはいつもそう考えていた。  
 
(だけどあいつは……ロジアは)  
異民族の少女の遺体を丁寧に弔おうとする優しい彼女が、  
むごい目に遭うなんて納得できるわけがない。助けたい、この命に代えても。  
しかしいくらモーリスが気力を振り絞っても、彼の肉体はもう限界だった。  
スライムを頭から引き剥がす時に溶かされた手は血まみれで、  
壁に寄りかかろうとしても手の血で滑ってもう立つことすらままならない。  
モーリスはついに床へと倒れこむ。  
 
「あいつだけは……絶対に俺が、生かしてやるんだ…………!」  
仰向けになったモーリスが視界の血を拭うと、  
赤いローブに身を包んだ女がいつの間にか彼の傍に立ち、にっこりと笑っていた。  
「残念、それは無理な話ね」  
その手に持ったスライムの入りの小瓶を楽しそうに振るのを見た瞬間、  
モーリスは血まみれの手首でスナップを効かせて短剣を投げつける。  
 
寝転がった無理な体勢から放たれたナイフは魔女の首筋の肉を3センチ程切り裂いた。  
頚動脈を裂かれた傷口から血が噴出して、魔女の口元から笑みが消える。  
「油断したわ……そんな寝転がった体勢から反撃してくるなんて……」  
「ちっ……喉に風穴開けてやるつもりだったのにな」  
魔女は右手で傷口から流れる血を抑えながら、  
左手に持つ小瓶を傾けスライムをモーリスの顔へと垂らす。  
 
とっさに手のひらでスライムを防ごうとするモーリスの脳内で、ロジアの声が木霊した。  
『お兄ちゃんに頭を撫でてもらえば、……どんな辛いことも頑張っていけるんだよ』  
(悪いなロジア……もう俺、お前の頭を撫でてやれねえみたいだ)  
無情にもスライムは彼の手の肉を原型も残さず溶かしつくし、  
そのまま溶け落ちた指とともに血の色に染まったスライムが彼の顔へ降り注ぐ。  
顔の肉が骨ごと焼ける激痛にモーリスはたまらず絶叫をあげた。  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
(一体……何が……!?)  
階下から聞こえる濁音交じりの悲鳴が途絶え、  
ロジアは呆然としたまま少女の遺体の傍で立ち尽くす。  
スライムにより3階の部屋へと閉じ込められ半ば死を覚悟した後、  
自らの名を呼ぶモーリスの叫び声に勇気を奮い立たせたのも束の間だった。  
(今のモーリスの声……まるで……)  
 
あの燃え盛る館で、モーリスが命を奪った魔導師の断末魔を思い出させる叫び声だった。  
ロジアは震えながらも立ち上がり、ベッドの上で縛り上げられた死体の戒めを解くと、  
全てを曝け出された彼女の裸体をシーツで覆い隠し、  
ハンカチでその顔についた血を綺麗に拭き取る。  
「ごめんね……ほんとは体の血とかも全部、綺麗にしてあげたいし……  
お祈りの儀式もちゃんとしてあげたいんだけど……」  
 
今はモーリスのことが気にかかる。  
部屋を塞いでいた大きなスライムはモーリスの叫び声が聞こえる前にどこかへ消えた。  
(もしかして……あのスライムがどこかへ行ったのは、モーリスを迎え撃つため?)  
そしてスライムがいなくなってしばらくしてから聞こえた男の断末魔。  
(あの恐ろしい……死にそうな叫び声は……やっぱりモーリス……?)  
ロジアは自分の頭の中に浮かんだ悪い符合を消すため強く頭を左右に振る。  
(そんなのって……ありえないよ!)  
 
「ごめんね……モーリスの無事を確認したら、誰かを呼んでくるから」  
小女の亡骸に囁きかけると、ロジアは急いで部屋を出る。  
すると階段前に赤いローブをまとった女が廊下を塞ぐように立っていた。  
「……あ、あの、誰か人を呼んでもらえますか!部屋で、女の子が……」  
途中まで喋ったところでロジアはぎょっとして目を丸くする。  
女の首筋からは夥しい量の血が垂れ、彼女の背後に赤い小道を作っていた。  
 
「全くやってくれるわね、あの剣士。お姫様の護衛を任されるだけはあるわ」  
女の苦々しげな言葉にロジアは身構えた。この女は自分とモーリスの正体を知っている。  
「お兄……モーリスがどうしたって言うんですか?!」  
「あたしの首筋に致命傷つけてくれちゃってさぁ、酷いと思わない?」  
天井からスライムが落下し魔女の首筋に巻きつくと、  
スライムの体の中でモーリスが魔女につけた裂傷がみるみる塞がっていく。  
「4大魔女であるこのシュメーラじゃなきゃ、死んでるところだったわ」  
 
「嘘よ……4大魔女なんて……神話に出てくる魔法使いなのに……  
あ、あなたがそんな恐ろしい魔女なんて」  
自らを付け狙う敵の巨大さに唖然とするロジアを毒婦があざ笑う。  
「こんな深い傷すら一瞬で治して、ララウヌ傭兵ギルドでも五本の指に入る  
剣士すら簡単に溶かすスライムを使役しているのに、信じられないの?」  
「嘘!モーリスを溶かしたなんて、それこそ嘘よ!」  
踵を返そうとしたロジアは絶句して足を止める。  
 
いつの間にか彼女の背後にも大きなスライムが鎮座して、  
廊下の反対側へも逃げられなくなっていた。  
「もう逃げ場はないわよ、ララウヌのお姫様」  
退路をたたれたロジアに、スライムを従えた魔女がゆっくりと近づく。  
(モーリス……!)  
両手を握り締め、ロジアは廊下の窓を視界に納める。  
 
3階から飛び降りれば、無傷ではすまないだろう。  
だが、溶かされた少女の死に様を見れば、  
眼前の冷酷な魔女に捕まる事だけは絶対に避けねばならない。  
(お願いモーリス……あたしに、力を!)  
一縷の望みにかけ窓へ向かって踏み出そうとした瞬間、  
突然ロジアは浮遊感を覚え、全身に走る激痛とともに意識を失った。  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
「どういうことじゃ衛兵さん!あたしゃ高い税金をあんたらに払っとるんだぞ!  
あの化け物をなんとかせんかい!」  
老婆が口から唾を吐きながら衛兵に掴みかかるのを、  
黒いローブに身を包んだ少女が感情のこもらない瞳で宿の屋根から見下ろす。  
「……これでいいのかしら?」  
 
誰も近くにいないのに、彼女は尋ねるような口調で呟いた。  
フードで半分顔が隠れているからその声はくぐもっている。  
そんな神秘的な少女の脳内に、魔法の声が響き渡った。  
“さすがね。あなたのキメラは頼りになるわ”  
黒衣を身に纏った少女の眼下では鰐の頭と鷹の羽と蛇の尾を持つ怪物が  
口から炎を吐いて衛兵隊を威嚇し、宿の入り口に人が近付くのを阻んでいる。  
 
「最初の予定では、もっと早く終わると聞いていたけど?」  
“少し不測の事態があったの。埋め合わせは体で払ってあげる”  
「そういう冗談は遠慮させてもらうわ、シュメーラ」  
“あら……つれないのね”  
「くだらない事を言ってないで、さっさと仕事を終わらせて欲しいわね」  
“私の方は直に終わりを迎えるわ。  
彼女達にとってはもっと大きな何かの始まりかもしれないけれど”  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
「いやっ近づかないで!」  
スライムが、目を覚ましてまもないロジアへにじり寄ってくる。  
「やだっ、やだやだやだっ!」  
宿から地下水道へと落下し、お尻をしこたま打ちつけたロジアが意識を取り戻した時  
最初に目にしたのは、彼女の下敷きになった巨大なスライムだった。  
皮肉にもそのスライムがクッション代わりになったのかロジアは大怪我をせずすんだが、  
宿の3階で溶かされていた少女の姿がすぐ脳内に甦り、ロジアはパニックに陥る。  
 
途中下水に浸かりながらも必死に走って逃げた先でロジアは袋小路に追い込まれた。  
スライム自身が発する微かな光でロジアは闇の中視界を保てていたが、  
巨大なスライムと逃げ場の無い行き止まりという絶望を見せつけられる位なら  
何も見えないほうがマシだったのかもしれない。  
「助けて……モーリス……、助けて!」  
しかし、いくら名を呼んでも彼女の守り役は一向に姿を現さない。  
「近づかないで、お願いだからっ!」  
 
履いていた革靴を脱ぎ捨てスライムへ向けて投げつけてはみるが、  
スライムの体に沈み込んだ履物は蒸気を上げながら溶けていくだけでスライムの  
ロジアへの接近を一秒たりとも阻まない。それでも、ロジアは諦めなかった。  
(きっと……モーリスが助けてくれる……だから、あたしも諦めない!)  
例え手足が溶かされようと、自らを助けようと命をかけてくれる人がいる限り、  
自分の命を簡単に差し出すわけにはいかない。  
しかしそんなロジアの覚悟をあざ笑うような物を、スライムの中にロジアは見つける。  
 
(あれは……)  
スライムの発行する光を反射して怪しく輝く球体。  
魔物の体の中にぷかぷかと浮かぶのは眼球だった。  
しかしスライムに目があるなどという話は聞いた事がない。  
(魔法で生みされた新種のスライム……?)  
いや、それはもっとおぞましい事実だった。  
なぜならその目玉は、薄紫色をしていたのだから。  
 
(あの色……モーリスの……義眼……?)  
そしてその義眼の近くに、小さな棒状の金属を見つけロジアは血の気を失う。  
それは、モーリスの義指と同じような大きさだった。  
モーリスの物という確証があるわけではない。だが今このタイミング、この状況で、  
スライムの中にある作り物の目が紫色で義指まであれば、  
それらがモーリスの物だという可能性は限りなく100%に近いだろう。  
そしてそれらがなぜスライムの中に浮かんでいるかはもはや考えるまでも無い。  
 
「モ…………リス…………」  
血の気の失せた顔でロジアは床にしゃがみこみ動かなくなる。  
獲物へ向かいスライムはゆっくり近づくが、もうロジアは逃亡も抵抗もしなかった。  
(あたしのせいだ……)  
モーリスが宿を出る直前ロジアが耳にしたのは気のせいや聞き違いではなく、  
3階で事切れていた少女の断末魔だったのだろう。  
 
(あの時あたしが……気のせいだって言わなければ……  
モーリスは溶かされなかったし、あの女の子だって助かったかもしれない……)  
ついにロジアの足先をひんやりとした液体が包み込む。  
スライムが、ロジアを丸呑みにするようにその肌へまとわりついてきたのだ。  
しかしロジアは、座り込んだまま立ち上がろうとしない。  
(ごめんね、モーリス……あたしのせいで……モーリスが溶かされちゃった……)  
 
スライム内の義眼を力なく見つめるロジアの頬に、一筋の涙が伝う。  
気力が完全に萎え、もう指一本すら動かそうとしない。  
しかしスライムに包まれた両足からは身を焼く激痛が伝わってこなかった。  
(なんで……あたし殺されるんじゃないの……?)  
その時ロジアはある恐ろしい話を思い出す。  
 
――スライムの中には女を犯し子宮内のエーテルを糧とする種がいる――  
考えてみれば、先ほど3階で見つけた少女も、  
2年前あの館でスライムを飼っていた魔道師に命を奪われた少女達も、  
皆下半身を……いや、股座を溶解させられていた。  
だとしたら……このスライムの目的もそうなのかもしれない。  
そう思い当たった瞬間、ロジアの心中で言いようのない恐怖と嫌悪感が爆ぜる。  
 
「いやあああああっ」  
殺されるだけの方がまだマシだったろう。  
慕っていた人を殺した化け物に貞操を奪われるということは、  
ただ殺されるよりもずっと残酷で無惨な事だ。  
「やめてっ、やめてぇぇっ!」  
 
錯乱したロジアは肌や衣服に付着したスライムを剥ぎ取ろうとするが、  
液状のスライムを手で掴むことなどできず、  
スライムが体を這い上がってくるのを止めることは出来ない。  
「いやっ、いやっ、いやあああああっ」  
もはや半狂乱になったロジアはスライムを手で掴むのが不可能だというのに、  
流動体の魔物を指で摘み取ろうと無駄な努力を繰り返す。  
 
液状のスライムを指でなんとか摘もうとするあまり、  
指の爪でズボンとシャツの間の露出した肌を引っかいて  
幾筋もの傷が出来て血も滲み始めるが、  
それでもロジアは自分の体を掻き毟る行為を止めようとしなかった。  
「離れて、お願いだから離れてよっ」  
流れる液体を掴むことなどできるはずがない。  
しかもそれが自らの意志で動くのなら、なおさらその動きを留めることなど不可能で。  
 
「やっ」  
ズボンの上を完全にスライムが覆いつくし、  
衣服の端から少女の人目に触れない肌の上へゆっくりと移動する。  
必死になってロジアはズボンの裾を押さえつけ、  
衣服と肌の隙間をなくしスライムの侵入を阻止しようとするが、  
爪の先ほどの隙間があればどこにでも潜り込める液状モンスターの進入を  
止められるはずもなかった。  
 
「やぁっ」  
夫となる者以外触れてさせてはいけない場所を、スライムの冷たさが満たす。  
「いやっいやっいやぁっ」  
汚される。犯される。嬲られる。しかも相手はただの魔物ではない。  
ロジアにとって家族のように、……いや、それ以上にかけがえのない人間を殺した魔物に  
辱められるなどという非情な現実は、ロジアの心の限界を越えてしまった。  
 
ロジアは強く、ありったけの力をこめて自らの舌を噛みしめる。  
(お父さん……お母さん……お姉ちゃん達……  
ごめんなさい……ごめんなさい……でもあたしはもう、耐えられない……)  
筋張った肉を噛み千切る感触とともにロジアの舌が半分千切れた。  
口内に激痛と血の味が溢れかえる。  
(これで……いい……こんなスライムに玩ばれるぐらいなら……)  
自ら命を終わらせるほうがましだ。ロジアは自らの誇りを守るため、その考えを実行した。  
 
しかしスライムはそれさえ許さない。  
(…………なに?)  
口の端から鮮血を垂らしつつ、死の時を待ち望んでいたロジアは、  
スライムの異変に気付き困惑する。  
即座に陵辱されるとばかり思っていたのに、魔物は彼女の股座で停滞し、  
いつの間にかその大きさは半分に、数は二つに増えていた。  
(分……裂……?)  
 
一体は股間に残り、もう一体は細く柔らかなロジアの肢体をゆっくりと這い上がり始める。  
着衣越しに脇腹や臍へひんやりとした冷たさを感じた後、  
その冷たさは体をゆっくりと上昇していった。  
(……どうされようと関係ないか……あたしは、どうせすぐ死ぬんだか……らっ?)  
ついにスライムはロジアの小さな唇まで這い上がり、  
あまつさえ彼女の口内へ進入を開始した。  
 
(息が……できない!…………あれ、できる?)  
ロジアの舌に纏わりついたスライムは内部で空洞を作り、  
少女の呼吸を確保しているようだ。  
(あたしを……口の中から溶かすのかな……でもどんな死に方でもいいや……  
どうせあたしは、舌を噛み切ったから死……あれ、舌の血……)  
いつの間にか、ロジアの口内の出血が止まっている。  
ロジアは驚き腹部を見ると、先ほど掻き毟りたくさんこしらえた擦り傷も全て消えていた。  
 
(そんな……まさか?)  
ロジアは先ほど魔女に見せつけられたこのスライムが持つ驚異的な癒しの力を思い出す。  
魔女の首にスライムが触れると、動脈を切られた傷が瞬時に塞がっていた。  
つまり、この魔物の前だと女は命を絶つという選択肢すら奪われるのだ。  
癒しの力とどこにでも入り込めるゼリー状の体で、  
ただ対象に汚される道しか残さないスライムの残酷な能力に、  
ロジアの幼い心が崩れはじめる。  
 
「いやぁっ!」  
その時ロジアは下半身に未知の感覚を覚え、悲鳴を上げる。  
股座に残っていたスライムがロジアの割れ目の中に侵入し、  
浅い所の粘膜を刺激し始めたのだ。  
「やだっ……そんなとこ……」  
知識としてはそこを触られると気持ちよくなると知っていても、  
体が幼すぎて湧き上がるそれを快感として認識できない。  
 
なんだかくすぐったくなるような感覚と、おぞましい悪寒が同時に彼女の背筋を奔る。  
それでもスライムは、その軟らかな体で粘膜を刺激し続ける。  
(いやだっ……こんなの……モーリスを殺した化け物に……こんな所をっ!)  
頬に一筋の水跡を描くだけだった涙は、  
分泌機能が決壊したかのように後から後から溢れ出す。  
 
しかし心がどれだけ拒否しようとしても、体がいくら幼くとも、  
女である限りけしてゼロに抑えられない肉の悦びが、  
小さな姫の心の内に少しずつ湧き上がってくる。  
スライムの蠢く場所から絶え間なく生まれる甘ったるい感触が  
ロジアのお腹の中に蓄積され、徐々に膨れ上がっていくのを段々と我慢できなくってきた。  
 
そして膨れ上がっていくのはロジアを襲う未知の感覚だけでない。  
少しずつロジアの秘裂から分泌される液体を啜り、  
エーテルを摂取したスライムの体積が次第に増加していく。  
「やめてっ、……溶かしてよ殺してよっ」  
しかしそんな楽な逃げ道を無慈悲なスライムが許してくれるわけもなく。  
 
肥大したスライムはロジアの体を下半身だけではなく  
上半身まで包み込もうとする。  
ロジアの小さな背を悪寒とともに増大したスライムが這い上がる。  
(やっ……体中が……スライム漬けに……)  
その時ロジアは視界の端に梯子を見つけた。  
スライムが巨大化したため発せられる光が強くなりあたりの闇が薄れたのだ。  
 
(地下への梯子……)  
その梯子は地下へ続いているのが見えたが、地上へは伸びていない。  
せっかくの新たな道もロジアの逃げる場所を指し示してはくれなかった。  
その身からスライムを引き剥がす術を見つけない限り、どこへ逃げようと意味はないのだ。  
……だがロジアには、地下深くに伸びる梯子を使って  
今の絶望的な状況から脱する術が浮かんだ。  
 
(そうだ。あたしがこのスライムの支配から逃れる方法が、一つだけある)  
それはとても悲しく、哀れな逃げ道。  
(地下へ落下したら……あたし、死ねるかな)  
深い傷口を作っても絶命するほど失血する前に回復させられてしまう。  
だけど、例えば梯子から深部へ向かい落下して首の骨を折れば。  
脳髄を木から落下する果実のように潰してしまえば。  
回復する隙さえ与えず一瞬で命を断てば、この陵辱から逃れられるのではないか。  
 
ロジアは這うようにして梯子の根元まで歩み寄ろうとするが、  
その時にはもうスライムは彼女の手首まで包み込むほどその量を増やし、  
いまだ口内に居座り続ける分裂したスライムと一つになるほどだった。  
もはや階段へと進むロジアの姿は、  
遠くから見れば大きな人型のスライムが歩いているようにしか見えない。  
 
(あと……すこし……あと……すこし……なのに……)  
全身を包むスライムは、ロジアのあらゆる部位に緩やかな振動をたたみ込んだ。  
肩甲骨、脇腹、臍、鎖骨、太腿、手首、喉、乳首すべてが蕩ける様に揉み解される。  
まるで全身をくまなく何千枚もの手のひらで揉み解されるような感覚に、  
ロジアは自分の呼吸がとても上擦ってゆくのを嫌でも自覚させられた。  
 
月の物すら来たことの無いロジアでも、  
自分の体に何か途轍もない物が生まれようとしているのを感じてしまう。  
今まで生まれてきて感じたこともないほど凄い何かが自分の意識を  
さらおうとしているのを本能で悟り始める。  
だけどロジアは、それを受け入れるわけにはいかない。  
 
ロジアは姐やに教えられていた。  
男女の睦み事で生まれる感覚は、とても暴力的で、圧倒的で、絶対的な物で。  
例えば今のロジアのようにただ数メートル先にある梯子へ辿り着く、  
そんな簡単なことすら困難にするほど女の体を悦ばせ、……狂わせる物なのだと。  
だからこそ、それはただ貪るだけでは駄目なのだと。  
慕い、愛し、尊べる者から与えられなければ人を堕落させてしまうのだと。  
まだ幼かったロジアは、教育係の侍女に婉曲ではあるがそんな風に言い聞かされていた。  
 
だけど、今ロジアにそれを与えるスライムは、  
ロジアにとって思慕や愛情といった物からは最もかけ離れた存在だった。  
(……このスライムは……モーリスを……)  
スライムの中に浮かぶモーリスの義眼がロジアをあざ笑うようにくるりと回った。  
このスライムは、自分を守ってくれた、自分を元気付けてくれた、  
自分の大好きだったモーリスを殺した、忌み嫌うべき対象。  
 
そんなスライムに快楽という感覚を与えられるのはモーリスに対する裏切りになる。  
そんなスライムの生み出す肉欲に溺れればロジアの誇りを自ら侮辱することになる。  
(駄目だ……こんなスライムに……)  
こんなスライムに全身の肌を揉まれて湿った声を上げちゃ駄目だ。  
こんなスライムに乳首を捏ねられて胸の中がとろける様に熱くなっちゃ駄目だ。  
こんなスライムに股間を這いずり回られて内股になって太腿を濡らしたら駄目だ。  
「駄目よ……駄目だって分かってるのに……」  
 
もう、体が殆んど心の言う事を聞かない。  
「お願い……あたしの中に何かが来る前に……早く……」  
それでもロジアは、歯を食いしばって梯子の前まで辿り着いた。  
金属の棒を握り締め、涎を垂らしながらロジアは階下を見つめる。  
「多分……これだけ……高さがあれば……落下して死ねっ……あぁ!」  
あと少し体を移動させれば落下するという位置で、ロジアは床にへたり込む。  
スライムが、少女の小さな陰核を包み込み、膝の力が抜けてしまったのだ。  
 
(……なに……なんなの!……)  
あまりに強い感覚に、半ば錯乱状態になりながらロジアはパクパクと口を開閉させる。  
汗が髪の毛を額に張り付かせ、12歳とは思えぬ妖艶な表情を作り出していた。  
スライムが責めたてたのは、もし無遠慮に指で弄れば痛みを感じる女の急所。  
しかもロジアはそんな場所を触ったことが無いため、  
全く慣れていない未発達、未成熟な肉の真珠。  
 
しかし不幸なことに、ロジアの相手はゼリー状のスライムだった。  
液状の体は少女の敏感な部位に全く痛みを生ませることなく愛撫ができ、  
無痛の愛撫が望まない快楽をロジアの体に次々と叩き込む。  
(こんな……こんなっ!)  
クリトリスと包皮の間に染み渡ったスライムが粘ついた体を震わせる。  
振動幅は1ミリもない、とてもとても小さなバイブレーション。  
しかし処女の性感を狂わせるにはそれだけで充分だった。  
 
ロジアの腰ががくがくと痙攣し始め、  
哀れな姫君は舌を突き出しながら梯子に縋り付く。  
顔はもう宙に浮いている。あと少し体を引き寄せれば落下する。でもそれが出来ない。  
名前すら知らぬ感覚に自らの意識が飛ばされる予感に、ロジアは嘆き叫んだ。  
「いやぁ……いやっ……いやっ……いやぁあぁっ」  
瞬間ロジアは弓なりに背を逸らし、下腹部のスライムの緑色が少し薄くなる。  
彼女の下半身から多量に分泌された愛液が、スライムの青緑色の濃度を希薄にしたのだ。  
 
しばらく天を仰いでいたロジアの全身から不意に力が抜け、  
ロジアは梯子を掴む手を離し荒い呼吸を何度か繰り返した。  
はあはあと何度も吐き出される呼吸音は、  
やがて地の底から聞こえるような暗い啜り泣きへと変わる。  
「モーリス……」  
 
結局ロジアは快楽の絶頂へと昇り詰めさせられたのだ。  
モーリスを殺し溶かした、憎むべきスライムに。  
「モーリス……ごめんなさい……ごめんなさい……」  
堪らなく悲しくなって、ロジアは嗚咽を漏らしながら涙を流した。  
自らに纏わりつくスライムに起きた異変に気づくこともなく、いつまでも。  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
一体どれだけ泣き続けていただろう。  
最初にそれを見たロジアは、涙で歪む視界が作り上げた偶然の産物だと思った。  
絶望に打ちひしがれていたロジアは、手の甲で涙を拭いもう一度自らの腕を眺める。  
腕を包むスライムの凹凸が、規則的に並びまるで記号のような陰影を作り出していた。  
(これは記号……というより……字……文章?)  
 
『いつまで泣いているんだ?』  
そのスライムの表面には、確かにそう記されていた。  
(これは……スライムの、意思?……それとも、あの魔女の言葉……?)  
『全く、泣いてばかりで困ったお姫さんだ』  
「だって……あたしは……あたしは…………」  
魔物に犯された少女に嘆くなという方が無理な話だろう。  
「逃げることも……耐えることも…………死ぬことも出来なかった……」  
 
『舌なんか噛み切っておかしい事をすると思ったが、死ぬつもりだったのかよ。  
どこの戯曲で覚えたか知らないが、舌なんか噛んでもそう簡単には死ねないぞ。  
まったく、俺から仕事を奪うつもりか』  
浮かび上がった文字の意味が理解できず、ロジアは呻くように呟く。  
「仕事って、何を言っているの……?」  
『あんたに勝手に死なれちゃ護衛の仕事がなくなるって言ってるのさ、ロジア様』  
あまりの事にロジアの涙が止まる。  
 
うつ伏せになったままだったロジアは、ゆっくりと座りなおし、  
両手でスライムを掬い語りかける。  
「まさか……あなたは……自分がモーリスだって……そう主張したいの?」  
少女の手のひらで、ゼリー状のモンスターの表面に文字が浮かんだ。  
『そういう事だ』  
混乱が頂点に達したロジアは首を左右に強く振る。  
 
「う……嘘よ!そんな……だって……そんな、不思議なこと」  
『ロジア様も2年前あの館で見たはずだ。  
自らの体を捨て、少女の亡骸へ乗り移った魔道師を』  
呆然としながらロジアは呟いた。  
「じゃあ……あなたも……モーリスも、  
人間の体を捨ててスライムに乗り移ったって、そう主張するの?」  
『その通り』  
 
「そんなの……そんなことありえないよ!  
だってモーリスは、魔法使いでもなんでもないんだよ!」  
『魔法は自分で使えなくても、他人にかけてもらえばいい』  
「そんな……信じられないよ……本当にそうなら……」  
そこまで口にしてから、ロジアは震えながらもう一度首を横に振る。  
まるでスライムの言葉を鵜呑みにするのを怖がるように。  
信じて裏切られるのを怖れるように。  
 
『信じられないなら、ロジア様が俺を試せばいい』  
「試す……?」  
『ララウヌ第三候女の護衛であるモーリスしか知りえない事を、  
ロジア様が質問して俺が答えられればいい。シンプルだろ?』  
ロジアは少し俯くと、わずかに考え込んでから口を開いた。  
「あたしが好きな物は?」  
『ちょっと待て、範囲が広くて答えられない』  
 
「やっぱり嘘なんだ!」  
ロジアは涙を潤ませながら手の平で作っていた器を崩す。  
零れたスライムの飛沫が、慌てて地面で蠢き文字を形作った。  
『馬鹿暴れるな、文字が作れない。せめて、好きな食べ物とか  
好きな音楽とか対象を絞ってくれ、好きな物じゃ答えが多すぎるだろ』  
ロジアは疑いの念を隠さずスライムを睨みつけつつ尋ねる。  
「じゃあ……好きな、食べ物」  
 
『三日月魚のムニエルとズキア風サラダかな。後、サーカスにもらう林檎味の水飴』  
ロジアの目が大きく見開く。  
「……じゃあ、じゃあ……えーと、あたしの趣味は?」  
『昆虫採集にサーカスや楽団の鑑賞……、いや、レンツ様やメヒィル様をいじめる事』  
「う、嘘よ、あたしがお姉様達をいじめるなんて、そんな酷い事!」  
『ロジア様は何度も虫嫌いなメヒィル様に捕まえた虫を見せて泣かせてたじゃないですか。  
木の上でバク宙してみせてレンツ様を失神させたこともありますよね?』  
 
ロジアはう、と言葉を飲み込む。  
「あ、あれは……道化師さんの真似をしたらサーカスの人達に上手いって褒められたから、  
レンツお姉さまも喜んでくれるかと思っただけだもん!」  
『あんなところでバク転して落っこちたら下手すりゃ大怪我じゃすみませんよ。  
あの後俺がどれだけ叱られたことか。  
とにかくあんなに姉上様を泣かせたり驚かせたりする候女様はロジア様ぐらいのもんです。  
俺はてっきり姉上様達に嫌がらせをするのが大好きなのかと』  
 
ロジアは真っ赤になって頬を膨らませた。  
「あたしはお姉さま達が大好きだもん!そんな言い方するなんて、モーリスの意地悪!」  
ぷいっと顔を背け、しばらくロジアは沈黙する。  
30秒ほどの静寂の後、ロジアは恐る恐る、  
しかしどこか期待を秘めた目でスライムにもう一度尋ねる。  
「ねえ……本当に、本当にあなたは……モーリスなの?」  
『そうですよ』  
 
ロジアはごくりと唾を飲み込んだ。  
「じゃあね……最後の質問……。あたしがモーリスと初めて会った時……  
あたしは亡くなった女の子達の前でお祈りをしたんだけど、  
その後モーリスは、あたしに何をしてくれた?」  
ロジアの頭部を包んでいたスライムが木の幹の様に盛り上がり、  
肌色に染まりながらその先端が5つに枝分かれした。  
 
(あの絵と……逆だ)  
悪魔と交わる裸婦の油絵が熱で溶け、どろどろとした灰色の混沌へと変わるあの光景。  
それは2年前ロジアが狂信者の館で見たあの映像を逆回しにしたものだった。  
半透明のどろどろとしたスライムに色や形が発生し、  
それはやがて褐色の腕と手のひらに擬態してロジアの小さな頭を撫でる。  
『あの時俺はこうやってあなたの頭を撫でた』  
その手はぶよぶよとして頼りなく、血も通わず暖かくもない。  
 
だけどロジアの髪型が崩れないよう梳きあげるその指使いは、  
モーリスが今まで何度もロジアの頭を撫でた仕草そのものだった。  
「モーリス……なんだね……」  
ぽろぽろと、ロジアの瞳からまた涙が溢れ出す。  
だけどそれは、さっきまで流していた悲哀の涙ではない。  
ロジアはスライムの中に顔を埋め、声を上げて泣いた。  
 
「モーリス……モーリスなんだね……」  
擬態した手のひらが、何度も何度もロジアの頭を撫でる。  
『ああ、俺だ』  
「でも……なんでこんなすが」  
ロジアの問いは何か巨大な物が落下する轟音に掻き消された。  
「な、何?」  
 
『……宿の床が崩壊する音だな。俺が溶かした穴が自然に崩れたか、  
あるいはあの赤い魔女が俺達を追おうとして何かしかけたかもしれない。  
どちらにしろ急いだほうがよさそうだ』  
ロジアの眼前に天井からスライムの小片が落下する。  
「わっ」  
どうやらロジアが泣いている間にモーリスが作り出した分身らしく、  
その小さな偵察兵はモーリスの本体と融合する。  
 
『この辺りに出口はなさそうだし、他の出口を探してる時間はない。  
さっき宿の床と岩盤を溶かしたように、地上への出口を作るため天井を溶かす力が必要だ』  
「……溶かす力?」  
首を斜めにするロジアの眼前で、スライムの全身が凹んだ。  
もしかしたら液状生物なりに頷いているのだろうか。  
『エーテルだよ。スライムが酸を精製できたり、他の物に擬態できたり、  
傷をすぐさま癒せることができるのも、全てはエーテルのおかげだ』  
 
「じゃあ、地上へ出るためにエーテルが必要なんだね」  
突如モーリスの体がロジアの股の肉洞に入り込み、ロジアは真っ赤になって悲鳴をあげる。  
「やだっ……モーリスっ、今はそんな冗談……やってる場合じゃ……」  
蠢くスライムはそれでも少女の胎内への進入を止めない。  
「やっ……モーリス…………あ、後でならいいから……  
今は、ここから出るためにエーテルを探そうよ…………」  
 
『エーテルならここにある』  
「ここって、どこ……」  
『スライムは人間の女を襲うというのは知っているか?』  
「うん……聞いたこと、あるけど」  
『それは女の胎内にある子宮や周辺の組織、分泌液を欲するからだ』  
子宮は人の魂を生み出し育む場所。  
だから子宮や周囲の器官には魂の糧となるエーテルが多量に貯蔵されている。  
 
「子宮に……エーテルが……じゃあ、も、もしかしてモーリスは……」  
『ああ、ちょっとロジア様の中からエーテルを分けてもらう』  
ずるり、と大量のスライムがロジアの深い所へ入り込む。  
「やぁぁ」  
高く切ない声がロジアの口から漏れた。  
『痛いか?』  
 
「違う……痛いとかじゃなくて…………なんだか変なの…………」  
『そうか。まあ痛くても止めないが』  
「……止めなくていいよ。……モーリスなら、モーリスになら……」  
ロジアの体が激痛を予感して強張るが、  
モーリスはそんな少女を安心させるように優しい言葉を体表に記す。  
『怖がらなくてもいい。大丈夫だ』  
 
「うん、モーリスなら何をされてもいいよ……でもね、血が出たらすぐに治して欲しいな。  
スライムなら、傷をすぐ治せるんだよね?」  
『血なんて出させない』  
モーリスの言葉にロジアは大きな目をさらに丸くする。  
「え……でも、そういう事をしたら、血が出ちゃうんじゃないの?」  
『傭兵くだりの俺がロジア様の純潔は奪うような真似をしたら、俺の首が飛ぶ。  
まあこの体に首なんてないけどな』  
 
ロジアは苦しげに眉を寄せ、途切れ途切れに尋ねる。  
「でも、もう結構きついし……そ、それ以上入られたら……、あたしのそこ、  
裂けちゃうんじゃない……?」  
胎内の圧迫感が依然強くきついままだったので、ロジアは恐る恐る下腹部に手を添える。  
しかしモーリスは飄々とした文体の字を体に表示しながら行為を続ける。  
『何も心配いらない。柔らくどんな形にもなれる半液状の体なら、  
ロジア様の乙女の証を傷つけず胎内深くに入り込める』  
 
少女の呼吸が荒くなったのに気付き、モーリスは胎への進入を一旦止める。  
『お辛いですか、ロジア様?』  
「あ、……うん、大丈夫、……だけど」  
『だけど?』  
ロジアは頬を染めながら、ぽつりと呟く。  
「別に、傷つけても良かったんだけど……その、…………純潔の、証」  
 
真っ赤になってもじもじしているロジアに纏わりついていたモーリスの動きが突然止まる。  
『ロルド様から聞いていたのですか?』  
「……何を?」  
何のことかさっぱり見当がつかないといった様子のロジアに、  
モーリスはしばらく言葉を表示させることすらせず沈黙を続けた。  
「……モーリス?」  
しばらくしてから、スライムの表面にようやく文字が浮かぶ。  
 
『ロジア様は死にそうな目にあって少し神経が昂ぶっているようですな。  
さっきも話しましたが、候女であられるロジア様の誇りを汚せば俺の首が飛んじまう』  
ロジアはゆっくりと首を横に振った。  
「汚される事になんか……ならないよ」  
ロジアの純潔を奪うかどううかという話題になってからというもの、  
それまで淀みなく浮かんでいたスライムの文字がなかなか出現しなくなる。  
 
対する少女の声は、自分の思いにひとかけらの疑問も抱いていないかのように明瞭だった。  
「モーリスは誇り高い剣士だから、モーリスに抱かれても、  
あたしは全然汚されたりなんか、あぁっ」  
『それ以上喋りなさんな。舌を噛みますよ』  
激しくなった胎内のスライムの振動で体中に汗を浮かばせながらも、  
ロジアは思いを告げる事を止めなかった。  
 
「……姐やが言ってた……愛する人とならこういう事してもいいって……  
あたしはモーリスじゃなきゃ嫌……モーリスは違うの?」  
スライムはもう何の文字も浮かび上がらせず、ただロジアの膣壁を刺激し続ける。  
「……モーリス……答えてよ……」  
何かを掴むように、生まれて2度目の肉欲に苛まされる少女の手が虚空で握られる。  
 
何かに縋り付きたくなって、だけど何も手に出来なくてロジアは泣きそうになる。  
愛する男にしがみつきたくても、その体は液状のスライムと化していて、  
逞しい体に抱きつくことも抱きしめられることも出来なくて、  
ロジアは悩ましげな声を上げながら切なげに身を捩った。  
(ああ……モーリスが人間の時に……抱きついておけばよかったな……)  
などと今更どうにもならない事を考えながら。  
 
膣壁の中で蠢かれる感覚は、淫核を揺さぶられる感覚に比べれば緩く弱かったが、  
それでもロジアはさっき自分の意識を飛ばした何かが、  
また少しずつ体の中に蓄積されていくのを実感していた。  
(また……あのすごいのが来ちゃうの?……)  
精神が白く塗りつぶされ自我を狂わされるかもしれないという恐怖と、  
堪えきれないほど心地よいあの感覚に溺れたいという欲求の二つが同時に芽生え、  
真逆の感情の綱引きでロジアの全身が腰を中心にがくがくと痙攣し始める。  
 
その時、ロジアの体を包んでいたスライムが、  
もう一度クリトリスを蕩けさせた振動を開始した。  
それはさっきのように乳房や脇腹といった局部だけを中心にいじる物ではなく、  
ロジアの全身の肌を満遍なく刺激し、愛撫するものだった。  
顔だけが空気へ露出し、それ以外の肉体が全てゼリー状のスライムでくまなく  
弄り回される感覚に、ロジアは目尻を下げ甘い溜息を漏らした。  
(すごい……全部……体全部モーリスに愛されてるよ……)  
 
確かにロジアはもうモーリスの厚い胸板を抱きしめられないし、  
人間だった時のモーリスの太い腕に抱きしめられることは無い。  
だが、スライムだけにしかできない愛し方がある。  
ロジアの全身はくまなくモーリスの液状の体で包まれ、  
その間には泡一つ分の空気すら存在しない。  
それゆえに人間同士による抱擁よりもその一体感はるかに大きく、  
ロジアを圧倒的な幸福で包み込んだ。  
 
(あたし……モーリスと一つになってる……)  
こんなに幸せなら、このまま溶けてもいいかもしれない。  
そんな馬鹿な事を考えていると、ますます体の中に溜まったあの感覚が膨張していった。  
しかも今回は、さっき意識をさらった時よりもさらに強く肥大化している。  
先ほどの絶頂よりもゆっくりとした感覚の上昇にロジアは少し安堵していたが、  
クリトリスを責められた時は股間だけに生まれていた狂おしくなるほどの気持ちよさが、  
腹部や太腿を超え頭のてっぺんから足の先まで全身へ波紋のように広がっている気がした。  
 
「や……体中が……気持ちよすぎる……」  
全身の皮膚という皮膚が紅潮し、青白く光るスライムの色と合わさり  
ロジアの全身は夕闇を連想させる怪しい紫色に染まる。  
スライムのマッサージが全身の血行を良くし感覚神経の働きを活発にし、  
叩き込まれる快楽の量をさらに増大させる。  
 
「やあっ……」  
気持ちいいのが、気持ちよくなっていくのが止まらない。  
どこまでも大きくなる風船を眺め続けるような新たな恐怖がロジアの心を掻き乱す。  
(このまま気持ちよくなりすぎたら……こんなに大きくなった感覚が破裂したら……  
あたしどうなっちゃうの?)  
 
クリトリスを弄繰り回され続けた結果訪れた、  
まるで何百里も走り続けたかのような疲労感と脱力感、そして快感と幸福感の爆発。  
今感じる心地良さの大きさからして、  
この感覚が弾けた時の肉体へかかる負担と快楽の上昇は先ほどの比ではない気がする。  
(だけど……なんだろう……あの時より、嫌じゃない)  
 
怖いのは怖いのだが、クリトリスを責められた時よりも  
少しだけ心が穏やかでいられる。  
自分を責めているスライムが愛しいモーリスだとロジアが知っているからだろうか。  
(……違う……それもあるけど、……それだけじゃない……)  
膣壁の中から生まれる今の感覚には、先ほど陰核を震えさせられた時覚えた  
無理矢理昇り詰めさせられるような強迫的な物が無いのだ。  
 
あまりにも快くて、ロジアの全身から緊張が消える。  
いや、緊張すべき筋肉や皮膚全てが圧倒的な愉悦により強引に弛緩させられている、  
と表現するほうが正しかった。  
クリトリスを責められた際悲鳴をあげていた唇は蒸れて半開きになり、  
極限まで大きく見開いていた目は、今はうっとりと宙を見つめる。  
 
クリトリスを弄り回されていた時強張って空を掴もうとしていた指は、  
自らの体をスライムごと強く激しく抱きしめる。  
そうやって体を自身で押さえつけないと、  
スライムの挿入愛撫で極限まで溜まりきった感覚が一気に噴出して  
自分の心と体を中から壊してしまうような気がして、  
ロジアは悩ましげに喘ぎながらただ自らの体を必死に抱きしめ続ける。  
 
「おかしくなるよ……おかしくなっちゃうよぉ!」  
『おかしくなれ。でないとエーテルを大量に抽出できない』  
しかしスライムの表面に浮かび上がったモーリスの言葉も、  
もうロジアの目には映らない。  
見えていてもロジアの脳はもう文字の意味を理解できないほど快楽に溶かされていた。  
 
「モーリス……来る、なにかくる、きちゃうよぉ」  
獣のように叫ぶロジアの潤んだ目には、  
スライムの表面に浮かぶ陰影など読みとくことができなかった。  
しかし、痴態とは裏腹に中々彼女の愛液は爆発的に分泌されない。  
もう太股のズボンはぐっしょりと濡れてはいるが、  
それだけのエーテルではまだモーリスの求める量には足りなかった。  
 
ここにきてモーリスは悟る。柔らかすぎるスライムの愛撫では、  
膣内で女を飛ばすには圧倒的に足りないものがあるのだ。  
「もーりすぅ…………もういいでしょ…………  
これ以上は…………げんかぃ…………ふぇ?」  
もう一度モーリスの体の一部が手に擬態し、ロジアの頬をぺしぺしと叩く。  
「なに……モーリス、やっと、おわるの……?」  
 
自分の中で際限なく快楽が膨れあがる恐怖に終わりがきたと安堵したロジアの前で、  
モーリスは無情にも擬態した手をひらひらと左右に振って否定の意思を表す。  
『悪いなロジア様。まだ終わらないし、終わるつもりもない。  
今のままじゃ天井を溶かすだけのエーテルがないからな』  
「そんな……まだ、つづけるの……あぁん、  
あ、ぁぁ、あたま、おかし……くなっちゃぅ……」  
 
『耐えるからいけないんですよ。もっと盛大によがり狂ってもらわないと』  
「そんな…………こわいよ…………これ以上…………  
変になったら…………あたまのなか……こわれちゃうょ……」  
『ここにいつまでも居たら、魔女に捕まって頭といわず全身壊されちゃうでしょうが』  
「そんなこと……いわれても…………わかんないよ…………  
今でさえ狂いそうなのに…………これ以上なんっ、……て……」  
 
『まあそれは俺の責めが弱かったからです。  
というわけで、先ほどした約束は反故にしてください』  
「約……束……?」  
『俺がロジア様の誇りを汚さないという約束ですよ』  
蕩けていたロジアの瞳に一気に光が戻り、頬がさらに赤く染まる。  
 
「じゃあ、……モーリス、あたしの初めてに……!」  
『そうならないよう努力しますが、もしロジア様の純潔の証を傷つけたらすいません』  
モーリスの言葉にロジアはがっくりと肩を落とす。  
「もう、べつに…………う、奪っても……いいのに……ひゃぁっ」  
膣内が拡張される感覚に、思わずロジアが悲鳴を上げる。  
「やだっ、いたい、なか広げちゃいやだぁ」  
 
『すいませんがもう少し我慢してください。後はこれが傷つけずに入ればいいんですが』  
「え……なに、これってなにをいれ……あぁ」  
何かが膣道を遡る感覚にロジアの身が硬くなる。  
それは流動体のスライムにはない、しっかりとした形を持つ物質だった。  
「なに……これ……?」  
 
そしてその物体の進入が止まった瞬間、ロジアは身を貫かれる痛みに叫び声をあげる。  
「いやぁ、いたい……」  
膜のわずかな隙間が極限まで広がる感覚に、涙目になって思わず声を張り上げる。  
「痛いよぁ!」  
薄い筋肉が切り裂かれる寸前まで引き伸ばされる激痛に、  
四肢を滅法に動かして暴れるが、不意にその動きがぴたりと止まる。  
 
「や、モーリス、そこはだめぇっ!」  
もう一度クリトリスを包み込んだスライムがあの振動を開始すると、  
痛みを超越する圧倒的快感が再度生まれロジアはたまらず甲高い嬌声を上げた。  
「や、だめ、そこもういっかいいじられたらぁっ」  
その瞬間膣圧が緩くなったのを感じ、  
モーリスはそれを一気にロジアの体内へ突っ込んだ。  
 
「ひぃぁっ」  
液状のスライムが体の内側から処女膜を開くという特異な状況下だったからだろうか、  
それは筋肉の隙間よりもはるかに大きかったが、膜を破壊せず奥底へと入り込めた。  
「モーリス……あたしのなかへ、なにを…………?」  
モーリスがロジアを胎内で絶頂へと導くのに足りなかったもの。  
それは硬度だった。  
 
敏感なクリトリスは柔らかい刺激でも絶頂へ導くことができるが、  
クリトリスの絶頂では摂取できるエーテルが少なかった。  
だからモーリスは膣内からの刺激でロジアを達してやれば大量に濡れるかもと考えたが、  
太い指も猛々しい肉棒もない液状のスライムの体では、  
陰核よりも感度が鈍い肉壁を刺激してロジアを絶頂に押し上げることはできなかった。  
 
だから必要となったのだ。  
適度な硬さを持ち、柔らかなひだだらけの穴を必要以上に傷つけることのない細いそれが。  
「もぉりす……なにをいれ…………」  
その時ロジアはスライムの中から先ほどまであったある物が消えたことに気づく。  
「もしかして……指……?」  
『ああ、義指だ』  
 
その時ロジアのGスポットを作り物の指先がなぞり上げ、  
少女の体に今まで以上に深く大きい電流のような快楽が襲い掛かる。  
「ひああぁっ、やぁっ」  
『痛いか?』  
「い、いたくないけど……なんかすごぃ……っ」  
金属の指でも用心深く動かせば柔らかくデリケートな肉ひだを傷つけない。  
その事を確認したモーリスは、本格的にロジアへの責めを開始する。  
 
義指の先がさらに強く尿道の裏へ押し付けられ、ゆっくりとした速度で肉壁を前後する。  
「やっ……やぁあぁ……」  
全身の毛穴が開くような濃密な快楽が下腹部から生まれ全身へと広がり、  
だらしなく下がった眉の下で焦点の合わない瞳が宙を映し、  
ロジアの声は発情期の雌猫のように高く甘く蕩ける。  
分泌される愛液の量と濃度は陰核責めの時の比ではなく、  
確実に少女の体を絶頂へと押し上げていった。  
 
「やめて、モーリス、やめてぇ、からだ、こわれる、  
からだぢゅうこわれうっ」  
しかしモーリスの小指を操る動きはさらに速度を増す。  
スライムに操られる義指には間接という動きの制限がないため、  
人間には真似出来ない的確かつ執拗な責めを施し、  
ロジアの脳に途方もない快楽を与え続ける。  
 
そして怪物による指戯にロジアの女性器全体の血行がよくなり、  
増えた血の巡りが神経一つ一つを活発化する。  
そのため今まで行っていたスライム自体による雌穴全体への蠕動運動による責めで  
生まれる快楽量も爆発的に増加し、Gスポットだけではなくヴァギナ全体が  
何年もかけて開発された性感帯のような圧倒的愉悦を発生させ始める。  
「あああっ、だめ、きちゃう、なにかきちゃうよぉっっ」  
 
頭を振り乱しロジアは発狂したように舌足らずな声で喘ぎ続ける。  
そしてモーリスの義指が一番強く速くGスポットを抉った瞬間、  
ロジアの虹彩が極限まで開き視界が真っ白に染まった。  
「ひああああああああぁぁぁぁっ」  
ロジアの絶叫とともに彼女の下半身を包むスライムの内側から愛液の飛沫が飛び出し、  
モーリスが吸収出来ないほどの量と勢いであたりの石畳を濡らしていく。  
 
「あ、ぁ、ぁぁぁ……」  
汁を撒き散らすとそれに比例してロジアの瞳から淀んだ光が消えていった。  
やがて愛液の漏洩が止まるとともにロジアは気を失う。  
その顔は汗と涎と涙にまみれ汚れきっていたが、  
まるで母親に抱かれた赤ん坊のように安らかな表情をしていた。  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
赤いローブを纏った魔女は息を荒げながら自らが殺した少女の躯が眠る部屋に逃げ込むと、  
すぐさま扉に鍵をかける。  
その直後何か巨大な物が扉に直撃する音がして、安物の扉が歪み魔女は悲鳴を上げた。  
「なんなのあのキメラは……くそ、スライム達、やっておしまい!」  
しかし先ほどまで彼女の手足となって動いていたスライムは何の反応も返さず、  
水溜りのように床の上で広がったまま動かない。  
なぜか彼女の魔力は切れスライムを操ることが出来なくなっていた。  
 
床の上に転がっていた子宮を取り上げ、女はヒステリックに叫ぶ。  
「なぜエーテルがつきたの……?この娘の子宮から補給したばかりなのに!  
何であんなキメラが私を襲うの?何で一番大きなスライムが私の支配下を抜けて  
お姫様を助けるの?なぜよ、何でよ!」  
その時魔女はベッドの周囲を見てぎょっと目を見開いた。  
そこには赤い水溜りとなっていたはずの少女の血潮が全てなくなっている。  
「……これじゃあまるで……私が幻を見せられているみたいじゃない!」  
 
“その通り。あなたは私の術にかかっているのよ”  
いきなり脳内に響き渡った魔法の声に、魔女の恐怖と錯乱は頂点に達する。  
「だ、誰よ!卑怯よ、姿を見せなさい!」  
“幻覚で女の子をかどかわし殺してきたあなたに卑怯呼ばわりされるのは心外だわ”  
「くそ、どこよ!姿を見せなさいってば!」  
脳内に響いていた声が、突然目と鼻の先から放たれた。  
「ずっとあなたの前にいるわよ」  
 
ベッドの上で腹に穴の開いた少女の躯が上半身を起こす。  
赤黒い腹部から股座まで溶解されていた部分が粘土のように盛り上がり、  
やがて傷ひとつない艶やかな肌へと戻った。  
四肢を縛っていた縄がするすると蛇のように彼女の体を這い上がり、  
ほつれ絡み合いながら体全体を覆う深紅のローブへと姿を変える。  
立ち上がった少女はこきこきと首を鳴らしながら呆然としている  
魔女を冷ややかに見下ろした。  
 
「いい加減に、あたしのペット返してくれないかしら?」  
少女の視線が自らの手元に注がれているのに気付き魔女が自らの手の中を見た刹那、  
甲高い悲鳴がほとばしる。  
「嫌ああああぁ、なんなのよこれ?!」  
スライム使いの魔女の手の中には、先ほどまで握られていた子宮の代わりに  
茹で上げられたロブスターのように真っ赤な蠍が蠢いていた。  
 
魔女が尻餅をつきながら蠍を放り投げると、床に着地した甲殻類はハサミを  
かしゃかしゃと鳴らしながらベッドの上の少女へと近付き、その体を這い上がる。  
その時シュメーラと名乗っていた魔女は少女の肩甲骨から生えた赤い水晶の翼と、  
小さな肩に乗る一匹の蠍を凝視しながら唾を飲み込んだ。  
「真紅のローブと水晶の羽根……そして使い魔の赤い蠍……  
それに私を欺く幻術……まさか……あなたが本物のシュメーラ……」  
 
「私の名を騙る魔女なんてどれぐらいの使い手かと思えば……  
スライムの擬態を使ってようやく幻術が形になってる小物なんだもの、腹が立つわよね」  
「ひっ」  
冷笑する魔女に本能的な恐怖を感じた偽魔女は立ち上がり逃げようとするが、  
足腰がいうことをきかず転んでしまう。  
動けなくなった偽者の魔女の前までゆっくり近付いた本物のシュメーラは、  
偽魔女の顎に手を這わせにこりと笑う。  
 
「体がいうことをきかないでしょ?もうあなたの神経の支配権は私のものよ。  
じゃあちょっと記憶を覗かせてもらいましょうか。  
……本名はジェラスって言うのね」  
本物のシュメーラの言葉に偽のシュメーラは冷や汗まみれになってうろたえる。  
「嘘でしょ、もう記憶を読むなんて……やめて、私の心を探らないで!」  
「じゃ、じっくり調べさせてもらいましょうか。あなたのような三流魔女に相応しくない  
上級種のスライムを与え、子宮を集めさせた黒幕の正体を」  
 
真紅の魔女が偽者の魔女ジェラスの全てを暴こうとしたとき、  
ジェラスの体が霧のように消え去る。  
「これは……!」  
唖然とするシュメーラの背後でジェラスが閉じた扉が破壊され、  
消失したジェラスと入れ替わるように  
黒衣を纏った魔女がキメラを従えながら部屋へと入ってきた。  
「どうしたのシュメーラ?格下の魔女の過去を探るのに時間がかかりすぎよ?」  
 
黒いローブを纏った少女は、シュメーラの苦虫を噛み潰したような顔を見て  
大体の状況を察したようだ。  
「……逃げられたのね」  
「ちょっと違うわ。逃がされたのよ」  
塵ひとつ残さず消えたジェラスの座っていた場所にシュメーラが指を這わすと、  
確かにそこには人のぬくもりが残っていた。  
 
「この熱は現実……だから今あの女が消えたのは幻術ではなく……空間転移、か。  
あの三下の魔女にそんな器用な真似出来ないだろうし、  
十中八九第三者が彼女を逃がしたってところかしら」  
「私があんなに時間稼ぎしてあげたのに、なんで失敗するのかしら?」  
黒衣の少女のとげとげしい言葉にシュメーラは片眉を上げる。  
 
「うるさいわね。ちょっと予定外の事に魔力を使ったのよ」  
「予定外の事?」  
「溶けて死にかけた男に転生の術を使って、上級種のスライムに魂を移してあげたの」  
キメラ使いの魔女は目を丸くする。  
「それって……あなたが人助けをしたってこと?  
三百年近く会わないうちに、あなたの人間嫌いも治ったのかしら」  
 
「別に今でも大多数の人間は嫌いよ。ただ……」  
シュメーラは背後を振り向き、死体の振りをしていた自分の体に  
ロジアがかけてくれたシーツを眺める。  
「自分の命が狙われている時に見ず知らずの死体に優しくするお人よしのお姫様と、  
体中溶かされてもそんなお姫様を助けようとする仕事熱心な護衛までは  
嫌いになれないってだけよ」  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
「全く、ひどいもんじゃ、わしの宿がキメラとスライムのせいでぼろぼろじゃ……」  
「お婆さん……」  
酒場の看板娘アディは店の前で肩を落とす老婆に同情する。  
「すまんがのお……しばらく、あんたの酒場に泊まらせてくれんかね……  
金なら出すからのお……」  
「お父さんには後で話をしておくわ。多分大丈夫」  
 
「そうか。ありがとう、あのいかつい店長の娘とは思えないほどあんたは優しい子だよ」  
うんうんと頷く老婆の袖から、数枚の金貨が落ちる。  
途端に老婆は悲鳴をあげて金貨の上に覆いかぶさった。  
「……お婆さん、そのお金は?」  
老婆はあたりの様子を伺い、目撃したのが少女だけと分かると安堵のため息を漏らす。  
「ふふ、役人や衛兵には内緒じゃぞ?あいつら少しも役に立たんからのお。  
実は宿の3階に泊まっていた客の忘れもんなんじゃ」  
 
「ええ!それって勝手に取っていいの?」  
老婆は慌てて少女の口を塞ぐ。  
「馬鹿声がでかい!いいんじゃよ、どうせ今回のキメラ騒動で一番壊されたのは  
その客の泊まっていた部屋じゃったし、宿が壊れたのは奴らが何かしたにきまっとる!  
じゃからこれは当然の慰謝料みたいなもんじゃよ、うむ」  
アディは困った顔をしながら手ぬぐいでまとめた後ろ髪をぽりぽりと掻く。  
「……うーん、いいのかな……」  
 
「……うん?なんじゃ、酒場で奇声を上げていた男の弟じゃないか」  
通りの反対側をふらふらと歩く小さな影を見て、老婆が訝しげな声を上げる。  
「奇声を上げていたって……あの、金貨を振舞ってくれたズキア族の剣士の?」  
「そうじゃ、ロルド様の悪口を言っていたあの挙動不審な男じゃよ。  
昨日までうちの宿に泊まっていたが……しかしあの男も怪しい奴じゃった……  
あの子も種違いの弟という触れ込みじゃったが、正体は分かったもんじゃないぞ」  
 
「あれ……あの子、なんだか足取りがおかしいよ。具合でも悪いのかしら」  
アディはフードを被った男の子の傍へと近寄ると、優しく声をかける。  
「ねえ君、こんな夜にどうしたの?なんだか調子が悪いみたいだけど」  
少年の上気した泣きそうな顔を見た瞬間、看板娘は唾をごくりと飲み込む。  
(あれ……この子……男の子、なの?なんだか、この顔……凄く色っぽいような……)  
 
フードで顔が半分隠れているが、赤く染まった頬や蒸れるように湿った唇は  
男の物とは思えないほど恍惚に溶け美しく艶めいていた。  
「あの、……僕なら、だ、あ」  
突然腰が跳ね、男の子は建物の壁に寄りかかる。  
「大丈、夫ですから……ぁ」  
「ねえ、全然大丈夫には見えないんだけど……苦しいのなら、うちのお店で休んでいく?」  
 
「ほんとに……何でも、無いですから……だから、あん」  
男の子が上げる鼻から抜ける甘ったるい声を聞いているだけで、  
アディはなんだか怪しい心持になってくる。  
「ほんとに何とも無いの?」  
「はい……大丈夫です、だから、あ、や、やぁ……」  
男の子の歩みは完全に止まり、その小さな体が怪しくくねる。  
 
「どうしたの、ねえ?!」  
「おねが……もう、これ以上は……あぁ……」  
子供の口から漏れる吐息がより媚びるように高くなっていくのを感じ、  
聞いているアディの下半身の一部もうっすらと湿ってきた。  
「もう……だめぇ、そこ、それいじょう、は、だ、だめ、あぁあああぁっ」  
少年の腰の痙攣が大きくなり、突然小さな水音とともに彼の半ズボンから液体が迸った。  
 
(え、嘘……この子、外で失禁してる……!)  
「や……み、ないで……みちゃだ……あ、あはあぁぁぁぁ」  
呆然と見守る娘の前で、ズボンの裾から溢れ出した液体は男の子の太腿を濡らし、  
見る見る石畳に水溜りを作っていく。  
「おい、どうしたんじゃ」  
少年と娘の様子を訝しく思った老婆の声に我に返った看板娘は、すぐに慌てて振り向く。  
 
「た、大変!早く何か拭き取る布を持ってこないと」  
「何をそんなに慌てておる?」  
「何をって、この子を見れば分かるでしょ?」  
老婆はアディの肩越しに少年を覗き込んで肩を竦める。  
「……わしには何が大変かさっぱり分からんがのう」  
「え、だって……」  
 
振り向いた娘は目を丸くした。さっきまで太腿と石畳を濡らしていた  
恥ずかしい液体は全てかき消え、  
まるでアディが見た光景が全て幻であったかのように粗相の跡は全て消えていた。  
「あ、あれ?」  
少年は肩で荒く息をして建物の壁に全体重を預けどう見ても普通じゃないが、  
それでもやはり何度見ても失禁の痕跡などかけらもない。  
「嘘……なんで?」  
 
「あの……あた……ぼく、なら……大丈夫です……から……だから、お願いです、  
もう……僕の事は、ほっておいて、くださ……い……」  
何がなんだか分からないアディは男の子の言葉にただ頷いた。  
「え、ええ……」  
「おいこら、そんな怪しげなガキは放っておけ!  
それよりわしの寝る場所を早く用意してくれんかのう?  
キメラ騒動のせいでくたくたなんじゃよ」  
 
「はいはい、わかりました。……じゃあ、君、  
私はまだ当分起きてるから、辛くなったらいつでも声をかけてね?」  
看板娘が声をかけると、男の子は力ない笑みを返し  
「あり……が……とう……」  
と途切れ途切れに答えた。  
 
なおも衛兵や役人に対する不平不満を並べる老婆の背を押しながら酒場の裏口へと  
入ったアディが少年の方を振り返ると、  
そのシャツや半ズボン、革靴など身に付けている物が一瞬歪んだような気がした、  
(え!?)  
しかしその後いくら注視しても、男の子の服は微動もしない。  
(目の錯覚……なのかしら)  
看板娘が首を傾げながら酒場のドアを閉じると、男の子のシャツに文字が浮かび上がる。  
 
『やれやれ、危ないところだった。あの娘が背後を向いている時、  
俺がお漏らしした跡を全部吸収していなかったら今頃誰かを呼ばれていたかもしれません。  
ロジア様は自分が追われる身という自覚はあるのですか?  
いくら夜中とはいえ、こんな街中で粗相なんかすれば注目を浴びるだけですよ』  
服と靴に偽装したモーリスを身に纏ったロジアは、  
半泣きになりながらよろよろと壁伝いに歩く。  
 
「うう……モーリスの意地悪……っ!なんで街中で、こんなエッチなことするの?」  
今彼女の陰核は30分近く弄繰り回され続け真っ赤に膨れ上がっていた。  
袖の先端に文字を浮かび上がらせモーリスは説明する。  
『服に擬態し続けているとそれだけでエーテルを使うんですよ。  
泣き言ぬかさずさっさと濡らしてエーテルを供給してください』  
「モーリスが擬態しなくても……さっきまで着てた服で……いいじゃない……」  
 
『下水で汚れあまつさえ恥ずかしい液で濡らした服を着たまま歩き回っていたら、  
臭いのせいでそれこそ不審に思われますよ。市で新しい着物と履物を手に入れるまで  
我慢してください。あと怪しく思われるからよろよろせず普通に歩いてくれませんかね』  
真っ赤な顔でロジアは途切れ途切れに答える。  
「そんなの、……変な所弄繰りまわされて……普通に歩くとか無理だよ……」  
『言い訳はいいからさっさと服と靴のために歩く』  
「だ……ぁん……だいたい……くつを……とかしっ……たのは、モーリス、なのにぃ……」  
 
『いきなり靴なんか投げられるから反射的に溶かしちまったんですよ』  
モーリスがクリトリスを微弱な力で圧迫し、ロジアが小さな悲鳴を上げる。  
「うう……モーリスの鬼……」  
『別になんと呼ばれようと構いませんよ。昔言ったことがありますが、  
俺は別に人間扱いされないのには慣れてますから』  
モーリスの言葉に、ロジアは顔を翳らせる。  
 
「ごめんねモーリス……ごめん……あたし、そんな事言いたかったわけじゃないの」  
『別に謝らなくていいですよ。実際俺はもう、人間じゃなくなった。  
昔ロジア様は赤い血が流れているからズキア族の俺も同じ人間だと言ってくれましたが、  
今はもう俺の体には血すら流れていない。人扱いされないのが普通です』  
ロジアは顔を上げて呟く。  
「モーリスは……人間だよ……」  
 
スライムの偽装した服に波紋が広がる。人間の感情が顔の筋肉を動かし  
様々な表情を作るように、モーリスの精神の変化が粘菌の体を蠢かしたのだ。  
ただしそのスライムの表情が喜怒哀楽のどれなのかは、他人のロジアはおろか  
当のモーリス自身にも分からない。ロジアの言葉に色々な感情が一気にこみ上げてきて、  
モーリスは自分自身を見失いかけていた。  
『こんな体になった後だと、そんな言葉をかけられたら慰めどころか  
皮肉かと思っちまいますよ』  
 
ロジアは強く首を左右に振る。  
モーリスの責めが止まったのでその声は真っ直ぐに響き渡った。  
「皮肉なんかじゃないよ。だってモーリスが市場へ向かうのに  
遠回りになるこの道を通ったのは、あたし達が狙われたせいで  
巻き込まれて宿を壊されたあのかわいそうなお婆さんが気にかかったからでしょ?」  
モーリスは何も文字を表示しない。ロジアの指摘は正しかったのだから。  
まあ、強かなあの老婆はどうやらもう心配する必要はなさそうだったが。  
 
モーリスの静寂を肯定と受け取ったロジアは、  
彼が擬態した服を抱きしめるようにして指に絡め独白を続ける。  
「だからモーリスはきっと人間だよ。あたしはあの時、確かこんな事も言ったよね?  
『亡くなった人のために祈ったり、子供を傷つける悪人に怒りを感じたりするから  
モーリスは人間だ』って。他人の心配をするぐらい優しい心を持っているんだから……  
どんなに姿が変わっても、あたしの大好きなモーリスは人間のままなんだよ」  
その言葉を聴いたとたん、モーリスは不意に酒場で見た悪夢の続きを思い出した。  
 
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
 
「そういうわけだ。だからまあ、あの子に手を出しても私に対する復讐にはならない」  
「ならやはり……あんたに直接、この憎悪をぶつけるしかないか」  
モーリスはマントの下でナイフを握りなおし、ロルドへの殺意をもう一度露にする。  
「そうなるな。だが私の見たところ当分君に私は殺せないだろうね」  
「何だと?」  
モーリスが凄んでもロルドは意に介さない。  
「なぜかは知らないが、君は私に殺意を向ける事をどこかで迷っているだろ?」  
 
ロルドの言葉は当たっていた。  
確かに目の前にいる男の顔はかつてモーリスの家族を陵辱した男の物だ。  
(だが……なぜだ?この男と話せば話すほど、その確信が薄れてしまう)  
あの男はこんな風に朗らかに笑っただろうか。  
あの男はこんな風に柔らかな口調だっただろうか。  
顔の輪郭や身長といった全体の形は同じなのに、  
それが活動するととたんに異なる物になるという奇妙な違和感。  
 
その違和感こそ、2年近くモーリスが幾度となく仇へ近づくことができながら  
復讐を果たせない原因だった。モーリスが躊躇したのを確認するとロルドは微笑む。  
「まあしばらく君にはロジアの護衛を続けてもらうつもりだから、  
その間にゆっくり身の振り方を考えればいい」  
あまりにも危機感の無い君主の口振りに帯剣の柄を握っていたシキッドは痺れを切らした。  
「本当にモーリスにロジア様の護衛を続けさせる気ですか?  
ロルド様はもちろん、ロジア様も危険に曝されるかもしれませんよ」  
 
「彼はロジアに手を出すことはないさ」  
「しかしモーリスの中には怪物がいます」  
生真面目な騎士の視線を冷ややかに受け止めながらモーリスは口の端を吊り上げる。  
「は、ララウヌに来て豚や犬と罵られたことはあったが、怪物呼ばわりまでされるとはな」  
シキッドは真っ直ぐにモーリスの顔を射抜きながら呟く。  
「今のお前のその目だ、モーリス」  
「……俺の目がどうしたって?」  
 
「ロルド様を見つめ何かを思いだす時のお前の目はとても暗く、冷たい。  
ロジア様といる時は暖かい目をしているのに、同じ人間のものとは思えないほどにな」  
モーリスがロルドを見つめる時思い出すのは汚される家族と、  
笑いながら彼女達を犯すロルドの姿だ。そんな物が頭に浮かびながら  
それでも暖かな視線を装うことなどモーリスには不可能だった。  
「お前にどんな過去があるか知らない。だがお前のその人のものとは思えないほどの  
激しい怒りに満ちた目を見ていると、ロジア様の警護などとても任せられはしない」  
 
「シキッドは分かっていないな。モーリスが怪物だからこそ、娘の傍にいさせるのさ」  
シキッドはもちろんモーリスもロルドの真意を測れず首を捻る。  
「……どういうことです?」  
「わからないのかシキッド?君は創世の三姉妹を読んだことが無いのか?」  
「すみません、読んだことはあるのですが、私のような愚か者には、  
その、モーリスの話と創世の三姉妹の話がどこで繋がるのかさっぱり見当がつきません」  
困惑するシキッドの前でロルドは自慢げに語り始める。  
 
「創世の3姉妹にあるだろう、  
『女神達は怯えるどころか優しく怪物達に接し、荒ぶる怪物達の憎悪を溶かしました』  
と。なんせ私の娘達は皆女神のように優しく美しいからな、  
モーリスの復讐心もきっとロジアによって溶かされるさ。なあ、シキッド」  
ぽかんと口を開けていたシキッドはにこやかな領主の笑顔に慌てて頷いた。  
「え……、ええ、そうですね、はい」  
 
「君もそう思うだろう、モーリス……おい、モーリス、どこに行くんだ」  
「……あんたの大事な女神様を護衛しに行くんだよ」  
ロルドの話のせいで全てが馬鹿らしくなったモーリスは溜息交じりに答えつつ、  
なおもシキッドに自らの娘の自慢を続ける親ばかの傍を離れていった。  
「とにかくだシキッド、モーリスもあの子の傍にいれば、  
いつかきっと心の中にある憎悪も溶けてなくなるさ」  
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  
 
あの時モーリスは、ロルドの言葉を一笑にふした。  
(俺の中の怒りや悲しみが消えるはずは無い。  
ましてやあんな世間知らずのガキに癒されることなんてありえ無い)  
「ねえ、モーリス。もし今のモーリスの姿を見て心無い言葉をかける人がいても、  
いつか約束したとおりにあたしがモーリスは人間だって言ってあげる。  
モーリス自身が自分は人間じゃないって言ってもね。  
あたしにはモーリスが誰よりも人間らしい心を持っているって分かるんだから」  
 
だが、今になってロジアの言葉にモーリスは癒されていた。  
人間の体でさえなくなった自分に今までと同じように接し、必要としてくれる。  
スライムの体にさせられた不安や絶望がロジアの笑顔と言葉のおかげでかき消される。  
それを自覚したモーリスの頭の中に、ロルド候の少年のような笑みが浮かぶ。  
――私の言ったとおりになっただろ、モーリス――  
途端にモーリスは苛苛してロジアのクリトリスをまた激しくねぶり始める。  
「やぁ……モ……リス……もっと……やさし……く」  
 
『全く忌々しいな。これじゃあの男の思い通りだ』  
「……なに、何の、話?」  
『なんでもないさ。余計な詮索なんぞせずロジア様はさっさとお股を濡らしてください』  
「ひぃ……あ、あん、あはぁ……だめだよぉ、このままじゃ……  
気持ちよすぎて、おまたが……溶けちゃう……あっ、ああああぁんぁっぁ」  
色々な意味で溶かされたのは俺のほうですよ、と心の中で呟きながら、  
モーリスは再度エーテルのたっぷり入ったロジアの愛液を啜りあげるのだった。  
 
 
第三話『溶解』、終わり  
 

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