空から子供が落ちてきた。否、詳しくは空からではない。アパートの二階から、バイト帰りの光の上へと、子供が飛び降りてきたのだ。
光は受け身を取れずに、そのまま子供の下敷きとなった。
「コォラォー!クソガキー!待てぇー!」
上の方から、二階に住んでいる真鍋さんの声がする。
子供はサッと光の上から退くと、すたこらさっさと走って行く。
「待てって言ってんのがわからんのかー!このあほー!」
下に降りてきた真鍋さんが、小さくなっていく背中に向かって叫ぶ。
光は真鍋さんの隣で地に尻を付けたまま、走り去って行く金髪頭の子供を見送った。
「あんのクソガキ。覚えとけよ」
斜め上から真鍋さんの舌打ちが聞こえた。
真鍋さんの顔を見てみると、視線を感じたのか、真鍋さんは顔をこちらに向ける。
「ごめんなぁ。痛かったやろ。怪我してへん?」
真鍋さんは本当に申し訳なさそうに謝ると光が立ち上がるのに手をかした。
「いえ、大丈夫で…」
「あぁっ!怪我してるやん!ここ!うわー。めっちゃごめんなぁ」
「いえ、大丈夫…」
「痛そうやなぁ。ほんまごめんなぁ。うちに来て。手当てするわ」
「いえ、大丈…」
「あんのアホ。帰ってきたら、ケツ叩きの刑や。ほら、早く入って。血ぃ、垂れてきてるやん」
「いえ、大…」
真鍋さんは既に自分の部屋のドアを開け、光が入るのを待っている。
光はこの人には何を言っても無駄だと判断し、大人しく真鍋さんの部屋に足を踏み入れた。
「…おじゃまします」
「いらっしゃーい。汚いけど、気にしやんとってなぁ」
真鍋さんはカラカラと笑って、そう言った。
部屋の中に視線をめぐらすと、一人の子供がテーブルの近くに座っていた。白いブラウスにフリルのスカート。光にはこのボロアパートに少し不釣り合いのように感じた。
「こんにちは」
子供は光に軽く会釈してきた。光もこんにちはと会釈しかえす。
「葵に逃げられたん?」
「そうやねんー。我が子ながら、めっちゃムカつくわー、あいつ」
子供と真鍋さんの会話から、さっきの金髪頭の名前を知る。
「もうそろそろ、仕事の時間とちゃうん?」
子供の声に真鍋さんが壁時計を仰ぎ見る。
「あぁっ!ほんまや!ごめん、碧。この人の怪我の手当てしたって!」
真鍋さんは手早く準備をすると、行ってきまーすと大声をあげて出て行った。
部屋に二人きりになってしまった。気まずい。
光は子供が苦手だ。というより、人間全般が苦手だった。なぜなら、会話することが苦手だったからである。
光がどうしようかと思案していると、碧の方から声をかけてきてくれた。
「そんなとこ立ってないで、どうぞこっち来て座ってください」
光はそれに甘えさせてもらい、碧の傍に近寄ると、なるべく静かに座った。
碧のつむじが見える。あの金髪頭とは違い、黒黒とした頭だった。
「手ぇ、出してください」
言われるままに手を差し出した。
すると、碧はいつの間に用意したのか光の腕に垂れている血をティッシュで拭う。
「ごめんなさい。巻き込んで」
碧がポツリと呟いた。
「あの二人、いつもあんなんやねん。周りのこと考えやんと行動するから」
「いえ、大丈夫です」
今度は最後まで言えたと密かに心の中でガッツポーズをしていると、碧は首を傾げて光を見上げてきた。
「標準語?お兄ちゃん、関西の人と違うの?」
「あ、ハイ」
子供相手に敬語で答えた。
「へぇー。ずっと、関西の人やと思ってた」
碧は口を動かしながらも、光の手当てを手際良く進めている。
「なんでこっちに来たん?」
「大学がこっちで」
「あぁ。そういえば、大家さんが言ってたわ。お兄ちゃんの通ってる大学って賢いねんやろ。すごいなぁ」
「いえ、そんなことは」
「見た目普通やのになぁ」
子供は正直だ。時には残酷なほど。
「絆創膏どれがいい?」
碧は色とりどりの絆創膏を並べて見せてくれた。
「普通のはないんですか?」
「うん。ない。絵ぇ、描いてあるほうがかわいいやろ?だから、普通のは買わへんねん」
光はなるべくシンプルな緑色のカエルが描かれているものを選んだ。
碧はそれを手にとり、光の傷口に貼ってくれた。
「寂しくないん?」
碧が出し抜けに言ったので、光は一瞬戸惑った。
「へ?」
「家族と離れて一人で暮らしてんねんやろ?寂しくないん?」
「まぁ、たまには」
光が答えると、碧はなにやら考えこんだ。
「お兄ちゃんの部屋ってゲームある?」
「え?まぁ、一応ありますけど」
碧はにっこりと笑った。
「そしたら、お兄ちゃんの部屋に葵と一緒に遊びに行ったるわ。そうしたら、お兄ちゃん寂しくないやろ?」
光はあの金髪頭には来て欲しくないなぁと思いながら、ありがとうと碧に感謝の言葉を伝えた。
投下終わります