アパートのドアを叩く。  
それが俺の仕事。  
いくらノックしても返事が返ってこない。  
相棒の中田の方を振り向いてみても、呆れた顔で首を振っている。  
しょうがない。いつものようにやるしかないのか。  
すぅ……と息を吸い込む。  
「ゴラァアアアア!!!! 部屋いんのは判ってんだよ!!! 出てこいやあああああああ!!!!」  
「姐さん……またですかい……」  
「ああああああああ!!!! こちとらテメーの為にわざわざ出向いてんだろが!!! 茶あ出せや!!!!」  
3週間分の恨みを晴らすが如く、ドアに渾身のコンボを決めつつ声を張り上げる。  
それはもう、周囲の住人も震えあがるような声で何べんも。  
中田が止めているのにも気付かずに、ドアを叩き続けた。  
全く、最近の奴等は軟弱になりやがって。  
金が返せないならマグロでも獲りに行って来い。  
そもそも返すあてが無いなら借りないほうがいいのに……  
……でもそれだとこっちが儲からなくなっちまうか。  
考え事をしながらも手と足は勝手に前にある物を蹴りつける。  
手に何かビチャっとしたものが当たって……  
ビチャ?  
右手の動きが止まる。もちろん後ろから中田に止められてだ。  
なんだコイツ、俺を邪魔するってんなら容赦しないぞ。  
「姐さん……それはドアじゃない。人です」  
何を言ってるんだ。英語の教科書じゃないんだから、まともな日本語を……  
ん?この男は人じゃないとかいったな。じゃあ何だって言うんだいボブ?  
「あ……ああが……キュー」  
(肉塊?フハハハ、コレはチキンだよジェニファー)  
ちょっとマズい状態に、頭の中では完全に通販のノリで外人が会話している。  
そして、機械音みたいのを立てて部屋の主・綾野充は倒れてしまった。  
 
「うーん…黒い…悪魔が…あく…うう……」  
「うなされてるみたいだな。恐ろしい夢でも見てるのか?」  
「姐さん。それはあんたの事で…ふぶっ」  
鳩尾には真(まこと)の拳がめり込んでいる。  
真のポリシーその1、終わった事は気にしない。  
中田の意識が薄れていくのにも関わらず、充の顔をまじまじと眺めていた。  
包帯やら絆創膏やらを適当に貼っつけただけなのでかなりちぐはぐだが。  
というより、ほとんどの部分が見えていないのだ。  
(最近男も軟弱化してきたな……こんなんじゃ日本の将来が心配だよ)  
本人には自覚が無いが、周りの男達は知っている。  
檜山の名がつく者には近づくなと。特に悪意とか危害を加える気が無くてもだ。  
黒いスーツに身を包み、同業者からも恐れられる悪魔。  
社員は、少し前に中田を専属で付けたので一安心していた。  
取り立てられる債権者と付き添いで居る中田、明らかに中田の方がボロボロだが。  
その『悪魔』は、目の前で寝ている男の子を見ている。  
「ふぅ……とりあえず暴力ってのはまずいし……」  
(暴力はまずい……そんな認識があったのか!? ゲバブッ)  
「起きて騒がれると困るし……とりあえず帰るか。……ああ、踏んでたんだった」  
足をどかすとそこには背中を踏まれていた中田がノびていた。  
未だにうなされている包帯男を見やると、真はため息をつき外に出た。  
 
「真ぉ……お前仕事しろよ」  
「うるさいなぁ……相手が包帯グルグルでうんうん唸ってるんだぞ?話も聞けねえ」  
「中田もその綾野のガキも、お前にやられたらしいじゃねえか」  
「オヤジ。終わった事は仕方がない。前を向いて歩けよ」  
2人が視線を外さず睨む先、盤上では銀将が王を追い詰めていた。  
そして、強烈な一手。  
「はい、王手な」  
「くそおっ、やられた!こんな屈辱は生まれて初め」  
机に突っ伏して頭を抱える真に、コツンと軽い拳骨をかます。  
「コレで153戦全勝。ちっとは強くなれよ、真」  
「くううぅぅぅ……」  
負けた悔しさで悶える女と、余裕で煙草をふかす中年ダンディ。  
界隈で恐れられる悪魔が二匹……とは思えない光景だった。  
ここは檜山金融の事務所で1人は社長、1人は取立て屋。ついでに言えば、親子。  
檜山龍一は真を抑えられる数少ない人間だった。  
「真、いい加減結婚してくれねーかな。周りのやつらが恐がっててたまらん」  
「……男なんて、いらん」  
「いつからこんな風に育っちまったんだ……小2の時勇太君に振られた時か?中学の先輩に……」  
言った途端、真の口から飲みかけのお茶がまるで間欠泉の如く勢い良く噴射された。  
 
「てめえええええ!!!なんで知ってんだ!!!!!」  
眼鏡にかかったお茶を拭きながら、掴みかかってきた真に笑ってみせる。  
「ふふふ……親をなめるなよ。お前の事なんざ筒抜けなんだからな」  
「こっ…の……ちくしょ…」  
「お前は美代にそっくりだな。怒ると真っ赤になるし」  
「………」  
「頑固なあたりとかそっくりじゃねえか。はあ。誰かコイツを貰ってくれないかな」  
「はいはい。大体、お袋は何でこんなオヤジと……」  
「それはもちろんテクニックの勝利だろ。俺のテクとバズーカが合わされば敵う奴なんか……」  
「もう聞いた。そして娘の前で言うことじゃないだろうが」  
こんなオヤジの血を引いているなんてのは信じられない、と常々真は思っていた。  
人に言わせれば十中八九、十くらいは「ソックリデス」と答えるだろう。  
2人ともタチが悪いのは誰の目から見ても明らかだったのだ。  
その日は結局、龍一に押し付けられた雑務をこなした後に帰ることになった。  
 
 
「はいはい、綾野さーん。毎度お馴染み檜山さんですよー」  
ドアをおずおずと開けて出てきたのは先日散々殴りつけた充。包帯は取れている。  
「なんだ。いるじゃねーか。ほれ、金返せ」  
玄関先から容赦なく上がりこんでソファにどっかと座り込んだ。  
「まあ怪我させておいて言う台詞じゃないんだがな」  
「お金は無いです……」  
「全く、何に使ったかは知らないけどよ。契約ってのは守らないといけないんだ。親に習わなかったか?」  
「親……親はいません……」  
なんだ。俯いた顔が結構可愛い。  
男らしいのが好みだったが、意外に変化球を食らってしまったな。  
誤魔化す為にいつの間にかテーブルに出されていたコーヒーカップを手にする。  
コーヒーは熱くて苦かったが、充の顔を見ていたら気にせず飲み干してしまった。  
「ま、まあ気にすんなよ。な? 親なんていたってしょうがねーんだから」  
「檜山さんの親御さんってどんなひとなんですか?」  
「よく聞いてくれた。それがもう酷いのでさー……」  
龍一の蛮行を語って聞かせてやると、充は笑ったり驚いたりしていた。  
まあ普通の人からすれば理解できなかったり、論理的に無理だったりするし。  
喋るのはあまり好きじゃなかったが、愚痴を言うのは結構楽しいものだ。  
散々話した後、充の事も色々聞かせてもらった。  
どうも似た親みたいで、破天荒な話ばかりだった。  
まさか我が親以外に酔っ払って東京タワーに登る奴がいるとは…。  
「む、もう5時じゃん。そろそろ帰る。親父がうるさくてな……」  
「ああ、真さんの話聞いてたらあっという間だったね」  
「じゃあまた来るからな。金用意しとけよ」  
 
 
「あ、真さん。また来てくれたんですか」  
「お前が金返さないから来るハメになったんだぞ」  
「いやぁ、そんなに上手くいかないですよ。あ、コーヒー飲みます?」  
「いや、金を……まあいいか」  
ニコニコと笑う充を見ていると本来の仕事なんて馬鹿らしくなってしまった。  
笑顔って銃とか刀より強い武器だと感じた。  
コーヒーを啜っていると、予想外に綺麗な室内の様子が目に入ってくる。  
前に看病まがいの事をしていた時は頭が回らなかったが。  
もう既に何回もここには来たが、入ったのは3度目だし。  
というか、この部屋には物が無さ過ぎだ。  
家電はほとんど無いし、冷蔵庫とかも……どうやって生活してるんだ。  
「食料はカップ麺ばっかりですよ」  
視線に気付いたのかキッチンの方を見やって充は言う。  
「あるのはコンロとかだけだからレパートリーが無くて……」  
「大変だねぇ。今度何かつくってやろうか?」  
……? 俺は何を言ってるんだろ。  
男の部屋に食事を作りに来る……だと?  
確かに気の弱そうな感じで何だか守ってやりたい気がするが…  
あれ?何でこんなにすらっと言葉が出たのか?  
頭がぐるぐるとしていて良くわからない事になってる。  
「え?いいんですか?有難うございます、真さん」  
ああ、その笑顔には弱いんだよなぁ……。  
頼むから無意識にやるのはやめてくれぇ……。  
 
家に帰ってからも、俺の調子は何だか狂いっぱなしだった。  
意味も無く台所をうろうろしてみたり。  
何を作ってやろうかなんて事を小一時間考えてみたり。  
飯はこぼすし風呂は長くてのぼせるし……  
 
 
なんなんだこれ。おかしい。  
何とか眠ろうとすると充の顔が浮かんでくるし。  
なんか胸の辺りがキュンと締め付けられる気がする。  
誰かの事をこんなに考える事なんて無かった。  
ずっと味わった事の無いような痺れるような感覚。  
あれ? ……昔はこんなのがあったような。  
いつだっけ? 小学生ん時? 中学生ん時? わからない。  
何もかも良くわからなくなってしまった。  
畜生。全部充のせいだ。こんなになっちまったのは。  
なんか胸が熱い。本当に何なんだ、これ。  
胸に手を当てると、いつもより速い鼓動が伝わってくる。  
ついでに熱をもった胸の温度も。  
熱い。それも特に胸の先端の方に集中している。  
 
ボーっとしてるのは熱のせいだ、なんて考えてると右手が先端に触れる。  
「ひゃっ!」  
なんだ…今の声…俺の声じゃないみたいな……。  
「や…何なんだよぉ…んんっ…んあっ…」  
胸を弄るたびにむにゅむにゅ形を変える双乳。  
あまり気にしたことは無かったが、形はいい方、だと思う。  
「んん…ああ……あんっ…」  
熱に浮かされたように、揉む事が頭の中で絶対的な位置を占めていく。  
ベッドに突っ伏しながら、声を抑えて。  
「…んむ…あ…んあっ…ん……」  
指を動かす度、頭に白い波が押し寄せてくる。  
他の事が、どんどん頭から抜け落ちていく。  
胸の先端から伝わる刺激が、どうしようもなく甘美に頭に響く。  
いい。  
まるで自分の身体じゃないみたいな感覚。  
気付けば声を抑える事も忘れ、こね回すことに夢中になっていた。  
「んっ…あ…あ――――!!!!」  
そして、一際強い感覚を感じた後、視界が真っ暗になってしまった。  
 
 
そして今。俺は充の部屋の前にいる。  
手に持った袋の中身は、散々悩んで選んだ食材の数々だ。  
結局悩んだ末に質<数という極論に辿り着き、大量に買い込んでしまった。  
あれから毎日夜に充を思い浮かべてしてしまうようになった。  
それを思い起こすと恥ずかしくて、今もドアを叩くのをためらってしまう。  
手の甲でドアを叩こうとして、やめて。叩こうとして……。  
そんな事を30分もやっていただろうか。  
ドアが唐突に開けられた。  
出て来たのは充ではなく―――女。  
全てがすり抜けて落ちていく。  
「真、さん?」  
奥から充が出てきても。  
その笑顔がいつもどおりだったとしても。  
その傍らに、女がいたとしても。  
何も感じられない。  
全て失った気がして、真の身体は勝手に走り出していた。  
 
バカらしい。  
一人だけ舞い上がって空回りしていた。  
充に彼女がいることなんか気にもせず、俺の前の充だけを信じて。  
本当にバカみたいだ。中学のときにもうしないって思ったのに。  
またやってしまっていたんだ。  
ああ、これであの殺風景な部屋とも、淹れてくれるコーヒーとも。  
あの屈託の無い笑顔ともおさらばなんだな。  
何回か会って話しただけの関係なのに、恋人まがいの事を再現しようとしていた。  
相手にされなくて当然なんだろう。  
そう、俺は只の借金取りに戻る。  
あいつから金を回収する事だけを考える、悪魔に戻るんだ。  
そう割り切ろうとすると、余計に涙が溢れた。  
失ってしまったんじゃない。元から無かったんだ。俺の居場所なんて。  
それがさらに惨めだった。  
泣いていると、後ろに人が立つ気配がした。  
 
「真さん」  
追ってくるなよ。惨めじゃねえか。  
「何で走り出したかわかんないけど、僕が何かしたなら謝るよ」  
違う。お前のせいじゃなくてだな……。  
「お願い。顔見せて話してよ」  
こんな泣き顔見せれる訳ねえだろ馬鹿。  
「御飯作ってくれるんでしょ?飯食べずに待ってたのに」  
「……飯なら、彼女に作ってもらえればいいだろ」  
「? 僕は彼女いない暦更新中なんだけど……」  
「はへ?」  
変な声がでた。何だそれ? さっきの女はなんだ。  
「さっきのは姉なんだけど……」  
?  
「上京するから荷物預かってくれって言ってさ」  
??  
「見つかるとうるさいから真さんが来る前に返そうかとしてたら、真さんが……」  
 
俺の勘違い?  
しかもなんてベタな。引っかかってしまった自分が恥ずかしい。  
何なんだよ畜生! 作者の罠だったのか。  
アホなのか俺はああああああああああああ!!!  
あーイライラしてきた。  
そういや最近人殴ってないな……充を殴って以来?  
「真さん? ヘビッ」  
「うるさい!お前がまっ、紛らわしいことするから悪いんだ!」  
ああ、また殴ってしまった。  
充は現状の把握に苦労している。  
「え? え?」  
「充が女連れ込んだと思って、泣いちゃったじゃねーか!涙返せ!」  
「??」  
「大体好きな男のトコ行ったら部屋から女が出てくる!!さあ想像しろ!!」  
「そりゃあ嫌な…気分に…」  
こうなったらヤケだ。ストレス発散してやる。  
「そうだろ? 落ち着いて罠だなんて考えられねーだろ!?」  
「はぁ……あれ真さん?」  
「畜生!! 涙返せえええええ!!! 作者ああああああ!!!!」  
「あの……真さん。落ち着いて下さい」  
「ああ?なんだこら。殺されたいのか?」  
真の横入りに充の笑顔はなんだか引きつり気味だった。  
「勘違いが済んだところで……真さんの事が好きですよ、僕」  
 
「……は? え? それってその?」  
今日は疑問符がよく出る日だ。  
しかし、今の告白は唐突な事でまともに喋れない。  
「言ってたじゃないですか、好きな男がどうたらって。両思いじゃないですか」  
「え、あ、あれはその……言葉の綾? というかその」  
「じゃあ僕の勘違いって事ですか」  
「いや違くてその、あの……」  
真の顔は真っ赤になってしまう。  
「す、すす好きに決まってるだろ」  
「本当ですか?」  
「ににに二度は言わない、からな」  
「大丈夫ですよ。しっかり聞きましたから」  
笑顔はいつもと同じ、無邪気な少年のそれだ。  
「馬鹿。早く帰るぞ」  
「え? もう帰っちゃうんですか? せっかく」  
「だから馬鹿。その、料理作ってやるから」  
「やった!」  
付いて来る彼に何を作ってあげようか。  
飯食べて、いつものコーヒーを飲んで。その後……  
その後を考えて、思わず赤面してしまう真。  
そんな真を笑顔で見つめながら、二人は並んで歩き始めた。  
 

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