「く……ぅ…。はぁ……」  
 
薄暗く、氷のように冷え切った床をを踏み、アリッサは地下道を進んでいた。  
側壁に寄りかかるようにして覚束ない足どりで歩き続けるその顔には、疲労の色が濃く出ている。  
……あの触手達から解放されたのはつい先程の事だ。  
彼女の体に飽きたのか、それとも別の理由があったのかは分からない。  
が、あの化け物は自らの体液でべとべとになったアリッサを放り出して入ってきた通気口から去っていったのだ。  
 
「どうにか、命は拾えた…けど……。う、ぅ……」  
 
あれから数が減ったとはいえ、徘徊する者達に気づかれないように地下道を進むのは困難を極めた。  
疲れきった体に鞭打って、先の見えない通路をただ歩き続ける。  
ちょっとした段差に足がもつれ、へたり込んでしまった。  
胸が痛む。呼吸も苦しい。  
目は霞んでいたし、いつのまにか喉もカラカラになっていた。  
腰から下は、まるで彼らに砕かれてしまったようだ。  
 
「ち、く…しょ…ぅ……」  
 
悔しさに歯噛みしても、どうしようもない。  
だらしなく足を投げ出して、天井を見上げた。  
なんてみっともない姿だろう。  
こうして惚けていれば、すぐにでも化け物達に見つかってしまうだろう。  
もう、立って歩けるような体力は残っていない。  
 
「……っ。く……っ」  
 
床に寝そべるように倒れ込んで、右腕を前へ伸ばした。爪を立てる。  
持てる限りの力で腕を曲げてみた。  
…ほんの少しだけ、前へ進んだ。それだけだった。  
それだけは、まだ出来た。  
左手を伸ばし、また少しだけ前へ進む。そして。  
 
「……案外、諦め…悪いわね。私」  
 
ぽつりと、そう呟いた。  
 
 
 
地上に繋がっているはずのエレベーターへたどり着いたのは、たっぷり数十分経ってからだった。  
幸い、まだ電源は生きていた。ゆっくりと乗り込んで、何とかボタンを押す。  
 
「……痛っ。ちょっと…キツイかな……」  
 
肩で息をしながら、その場に横たわった。  
細い指が赤くなっている。痛い。  
頭が、ぼんやりする。体が自分の物でないような感覚。  
 
(ぁ…やば……)  
 
エレベーターが起動した音を聞かず、アリッサの意識は闇に沈んでいった。  
 
 
…まぶしい。  
目を覚ました時、まず思い浮かんだのがそれだった。  
天井から吊り下がっている豪奢なシャンデリア。  
派手な装飾の大きな鏡に、中世の騎士を思わせる甲冑。  
 
「…例の研究所、だったはずなんだけど。間違えたのかな」  
 
立つのは少し辛かったが、いつまでも寝転がってもいられない。  
転ばないよう壁を伝うようにしながら、彼女はこの部屋を見て回った。  
エレベーターの扉は本棚だった。隠し扉ということらしい。  
机には散らばった書類の束、そして研究所のものと同じパソコンが設置されている。  
 
「なるほど……所長室、ってことね。それにしても無駄に広くて豪華……。ん?」  
 
ふと、鏡が目に付いた。  
下着以下の布を纏っただけの自分の肢体が映し出されている大きな鏡。  
急に気恥ずかしさを覚えて、アリッサは目を逸らした。  
少し肌寒い気もする。何か着る物を……。  
そう思った矢先、部屋の隅にクローゼットが置かれていることに気づいた。  
開けてみると、きらびやかなドレスが一杯に詰め込まれていた。  
 
「所長は男性のはずなんだけど……ね。ま、何でもいいわ。お借りします…っと」  
 
地味な装飾の黒いドレスを選んで、アリッサはそれを手早く身に纏った。  
長い裾は引き裂いて、動きやすくしておく。靴はクローゼットにあったものを適当に見繕った。  
一通りの身支度を終えて鏡の前に立ち、彼女はわずかに微笑む。  
この島に来て、ようやく人間らしい喜びを得た気がした。  
 
「さて、それじゃこれからどうするか考えない――― と―― ?」  
 
何の前触れも無く、すとん、と腰が抜けた。  
まだ疲れているのか…と思って立ち上がろうとして、アリッサはその異変に気づいた。  
……体が、ひどく疼く。  
あっという間に体が熱くなり、わけの分からないまま、彼女は床に伏せった。  
 
「ぁ――。 ぁ…んっ……ぁ…。は……ぁ」  
 
吐息は甘く、荒いものへ変わってゆく。  
熱に冒されたように火照る体。アリッサはその鎮め方を既に理解していた。  
しかし、それは―――。  
考えるより先に体が動いた。  
右手は左の乳房に伸び、左手の指をを下腹部へとあてがう。  
 
「あ…ぁん……どう、して……こんな…いきなり…ん、ぁ……」  
 
あまりの状況の速さに、思考が追いつかない。  
そして何より、アリッサ自身が一刻も早くこの疼きから解放されたかった。  
 
「んっ…ぁ……あああぁぁっ!!」  
 
仰向けに寝そべっていたアリッサの腰が持ち上がった。  
軽くイッたものの、未だ身体の疼きは収まる気配を見せない。  
それどころか、もっと激しくなってきているようにすら感じる。  
 
「ぁ……は…ぅ。ぅ……ぐううっ!?」  
 
その衝撃に秘所を弄っていた手を止め、腹部を抱きしめるようにして身を縮めた。  
彼女の『内側』から、何かが彼女を突いたのだ。  
全く予期していなかった快感に、アリッサはただ困惑することしかできない。  
 
「な…なに? 何が……!?」  
 
一体どうしたというのか。混乱した頭で考え、一つの仮説に思い至った。  
もし、あのイソギンチャクの化け物が自分を解放した理由、それが飽きたわけでも他に用があったわけでもなく、  
既に目的を達したからだったとしたら……。  
 
「ぃ、嫌ぁぁぁぁぁぁっ!! ゃ…やめ…てぇぇ……」  
 
彼女は身を捩り、すがるような哀願の声をあげた。  
ようやく気づいたのか、とばかりに、胎内に潜んでいたモノは激しく蠢く。  
抵抗しようのない内側からの蹂躙にさらされ、幼子のように泣きじゃくるアリッサ。  
が、彼女の中で肥大化したソレはゆっくりと外を目指して動き始めた。  
ひとつ、ふたつ、みっつ。次々と数を増やしてゆく陵辱の源。  
既に出口へと到達したモノは細い触手をチロチロと覗かせていた。  
 
「ぅ……ぅううううっ! うああああぁぁぁぁぁ!」  
 
歪に膨らんだ腹部、そして外へと飛び出した小さな触手クリーチャー。  
ボタボタと愛液混じりの小さな悪魔を排出しながら、アリッサは震えていた。  
彼女が産んだ子、というわけではあるまい。  
苗床として利用されただけのことではあったが、その擬似出産は彼女の心を折るのには十分過ぎる衝撃だった。  
 
「や…ぁ…、もう……ゆるして……。やめて…ください……」  
 
言葉を介する知能を有する者達であったなら、まだ幸せだったかもしれない。  
が、外へと飛び出して這いずり回る彼らは本能のままに活動する生き物だった。  
当然ながら、床に転がって胸を露わにし、濡れた秘部を見せつけている女を放っておくはずがなかった。  
男性器に触手の束を生やしたようなネズミ大のそれらは、思い思いの部位に絡みついた。  
 
「ひっ……。ぃ、いや……! いやあああぁぁぁぁぁぁっ!!」  
 
数匹がかりでマングリ返しにし、先ほど出てきたばかりの肉壷に自らを捻じ込んだ。  
張り裂けんばかりに怒張したソレに貫かれ、アリッサの体が軋む。  
彼女自身は相手が聞く耳すら持っていないと気づく暇も無く、何度も哀願の言葉を口にして、許しを乞いつづける。  
 
「お願い……もう…やめてぇ……誰か、たすけ…て……だ…れか…」  
 
うわ言のように繰り返すアリッサの姿を、部屋の隅に据え付けられた監視カメラの眼光がじっと見つめていた……。  
 

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