ガラガラッ  
 
 自分の部屋の窓を開け、身を乗り出して屋根の上に降り立つ。いつもは裸足なんだけど、  
毎回あいつにうだうだ言われるのも鬱陶しいからな。今はっつーか、今回からはサンダル  
履いて行くことにした。これで文句言われても言い返せるな、ふひひひ。  
 
「よっす!」  
 窓を叩かずに、脅かし目的でいきなり声かけてみる。……なんだ、いねぇじゃねえか  
つまんねー。あ、でも鍵開いてんな。入って待つか。  
『勝手に部屋に入ってくんな』  
 呆れた面してため息をつく兼久の声が聞こえたような気がした。の割りには、あいつこの  
窓の鍵あんま閉めないんだよな。まぁ、あたしとしちゃありがたいことだけど。  
 
 大友兼久。  
 
 この何の特色も色気もねぇ殺風景な部屋の持ち主で、物心ついた頃からの腐れ縁。  
 なんか戦国武将みてぇな名前なんだけど、顔も図体も名前負けしてないのが怖いところだ。  
身長は180越えてるし体重も90近いとか言ってたな。おまけに、まだ高校生なのに不精髭  
まで蓄えてやがる。おかげで初対面の奴は大抵ビビる。あたしから見ればでかいし重たいし  
熊みたいに見えんだよな。それはそれで怖いか。   
 
 ついでに、あたしの名前は小宮山柚稀。ま、よろしく。  
 
 しっかし、何してあいつ待とうかなぁ。漫画は全部読んだし、他の本は文字だけだし。  
 哲学書とか普通に本棚に置いてあるし、埃も被ってねーんだから恐ろしい奴だ。見た目からは  
まず考えらんねぇ。  
 大の字で寝転んでるとするか。こいつのベッドあたしのより寝心地良いからなぁ、はふぅ。  
 
ガチャ  
 
「……ん? 柚稀か?」  
「あー、邪魔してるよ」  
 戻ってきたか幼なじみ。入り口は足元の方にあるから、起きるのも面倒なんで手の代わりに  
脚を振って返事をする。あたしは余計だったり面倒なことするのが嫌いだ。  
「……ないわー」  
「だって面倒臭いしさー」  
「お前遊びに来たんじゃないのかー」  
「そうだったんだけどさー」  
「帰れー」  
「いやだー」  
 脚で返事されたのがよっぽど不満だったらしい。図体でかいのにあちこち指摘すんだもんな。  
もっとこう何ていうの? あははうふふ別にいいよそのくらいー俺とお前の仲じゃないかー的な  
感じで……それも気持ち悪いな。  
「で、どこ行ってたんだ?」  
「買い物」  
 そう言うと兼久は、手にしていた買い物袋を見せつけてくる。近所のコンビニに立ち寄って  
菓子とか買ってきたみたいだ。起き上がってがさごそと中身を漁りながら覗き込んでみる。  
「お、バニラだ」  
「取んなよ」  
「さすが兼久、この前の小テストであたしを見捨てたことは許してやろう」  
「取んなっつーの、お前に買ってきたんじゃねー」  
 あたしはバニラが好きだ。好きな食べ物は? と聞かれて「バニラのアイスかな」って  
答えるくらい好きなんだ。理由を聞かれても好きだからとしか答えようが無い。こりゃもう  
本能的なモンだなきっと。  
 
「まーまー気にすんなよ。折角でかい図体してんだから」  
「アイス食うのに体型は関係ありまっすぇーん」  
 んなこと言ってさー、お前が一番好きなアイスは抹茶だろ。口には出して言わんけどさ。  
自惚れるよー? 自惚れとくよー?  
「うまうま」  
 木のヘラを勝手に袋から取り出して、勝手にパクつき始める。あぁ、なんでバニラって  
いちいちこう最高なんだろう。もうこの味わいこの風味は、あたしに満足してもらうために  
この世に生まれてきたとしか思えない。  
「そうやって話聞かないから、補修受けまくることになんだぞ」  
どうやらアイスの件はもう諦めたらしい、よかったよかった。これでもうこのアイスは  
あたしのもんだな。  
「まーそう言うなって。あたしだって色々お前を助けてやったりしてるだろ」  
「ほほう、例えば?」  
「え゛」  
 う、やばい。つい売り言葉に買い言葉で言い返しちまった。  
「例えばお前が俺に何してくれたっけぇ柚稀ぃ〜」  
 あああもう、また話の主導権持ってかれちまった。まあいつものことなんだけど。でも  
こうなるとあたしに勝ち目なくなるからな、シカトしよシカト。  
 
「……(パクパク)」  
「もっしもーし」  
「……(もぐもぐ)」  
「あれれー? また無視ですかー?」  
「あー……やっぱバニラは最高だな」  
「……(ぴきっ)」  
「……(ぴくっ)」  
「はい! お答えなしということで柚稀さんが食べてるアイス、ボッシュート!」  
「やーだー!」  
 あああ取られた! 取られた! まだ半分しか食べてないのに! 太い声で「チャラッチャラッチャーン」  
とか口で効果音出してんじゃねー!  
「かーえーせー!」  
「はっはっは、元々俺のものだ」  
 このジャイアンめ、人のもの勝手に奪い取るなんて最低の人間がやることだぞ! あたしの  
場合特別だからいいんだけど!  
「ほーら高い高ーい」  
「ふざけんな溶けるだろ!」  
 兼久は奪ったアイスを持ったまま、天井に向かって腕を延ばす。当然、そんな高さに届く  
はずもない。  
「じゃ、いただきまーす」  
「あああ、やめろっ、やめろよー!」  
 
ぱくんっ  
 
「あーーーーっ!!」  
 
 半分くらい残っていた溶けかけのアイスを、兼久はヘラを使わず直接口に放り込む。  
しばらく口をもごもご動かしていたが、やがてごくんと大きく喉が鳴る。  
 その光景を目の当たりにして、気付くとあたしはがっくりと膝をついてしまっていた。  
「ひでぇ…こんなの最悪だろ!」  
「少しは自分が悪いとは思わんのか」  
「すっごく楽しみにしてたのに!」  
「お前は何を言っているんだ?」  
「兼久のこと信じてたのに!」  
「信用裏切るようなことばっかやってんのはお前の方、な!」  
 食べ物の恨みは怖いんだからな、いつかきっと仕返ししてやる。  
 
コンコン  
 
「あのさ、うるさいんだけど。せめてドア閉めてくれない」  
「あ、あぁ、悪い」  
 ドアが開きっぱなしだったから、あたし達の口喧嘩がかなりうるさかったみたいだ。  
 そのドアを叩きながら、腹に据えかねた様子で一人の女の子が姿を現す。兼久が謝っても  
眉間の皺はとれそうにない。  
「あー…ごめんね憐奈ちゃん」  
「別にいいですけど…」  
 この娘は兼久の妹で、憐奈(れんな)ちゃんて言う。あたし達より二つ年下の中学三年生で、  
当然のことながらこの冬受験を控えている。  
「あんまりうるさくしないでくださいね」  
「うぅ…ごめんなさい」  
 そのせいか最近、妙にピリピリしてて態度がちょっと冷たい。昔はあたしに懐いてくれてて、  
髪型とか真似してくれたりしてたのになぁ。今もお互いショートっていう共通点はあるけど、  
彼女の髪は首元あたりまでは伸びていてあたしの髪みたいにボサついたりしてない。  
 
「そうだ、あのさ」  
「はい?」  
 そういや彼女を見てて思い出した。気になってたことがあるんだった。本人にいくら  
聞いても答えてくれないけど、彼女なら答えてくれるかもしれない。  
「最近恭一がさ」  
「…っ! 失礼します!」  
 
バタンッ!  
 
……  
 
「……あれ?」  
「お前マジ空気読め」  
「ん? えぇ?」  
 空気読めって言われても、何のことだかさっぱり分からんし。弟の恭一の様子が何か  
変だから、その理由知ってるかどうか聞こうと思っただけなのに。クラスは違ってたはず  
だけど、あの二人もあたし達みたいにちっちゃい頃から一緒に遊んでるし。  
「……」  
「なんでだー?」  
「…恭一の奴、凄く頭良いだろ?」  
「まぁ、そうだな」  
 ため息を一つついてから、兼久が口を開く。  
 うちの弟は、突然変異と言ってもおかしくないくらいに昔から出来が良かった。ぶっちゃけ  
数学ならもう抜かれてるかもしんないし、背丈も兼久ほどじゃないが既に抜かれてる。  
 まあそれを鼻にかけたりせずに、あたしのことちゃんと姉と思ってくれてるみたいだから、  
可愛い奴なんだけどな。  
「で、あいつは極端な負けず嫌いだからな」  
「……そういや、そうだったか」  
 確かに憐奈ちゃん、勝負ごとになると急に性格変わってたなぁ。特に恭一との勝負は、  
毎回勝ててなかったような。要するにそれがきっかけですっかり仲は冷え切ってるってことか。  
今の様子を見れば、彼女にとっちゃ天敵みたいなもんのかもしんない。  
「年齢的な事情もあるみたいだけどな。最近めっきり口数が少なくなったよ」  
「思春期かぁ……あたし達には無かったな」  
「姉貴達にもな」  
「あの二人は色々終わってるし」  
「お前に言われるってことはいよいよ終わってんな」  
 ちなみにあたし達には、もう一人兄弟がいる。兼久には姉貴、あたしには兄貴。要するに、  
お互い異性の兄弟に挟まれている。これまた同い年の腐れ縁のようで、唯一の違いは兄貴は  
社会人で兼久の姉ちゃんは大学生ってことくらいかな。年は三つ上だから今年で二十歳か、  
いいなぁ気兼ねなく酒飲めて。あたしも早く二十歳になりたい。  
 
「なんで付き合い古い奴と付き合い辛くなんのかな、今まで通りでいいじゃんな」  
「俺にもよく分からんけど、照れくさいんじゃないか。多分」  
「ふーん…、まあ後でもっかい謝っといて」  
「構わんけど、相手が俺でも姉貴でも態度はあんな感じだぞ」  
「ま、いーからいーから」  
 思春期っつっても一時的なもんだろうし、高校に入る頃には様子も元に戻ってんじゃないかな。  
そうなったら、以前と同じとまではいかなくてもまた一緒に遊んだりできるかな。  
「年下の奴には気遣いできるんだなぁお前」  
「まーな。お前もあたしに精一杯尽くして恵んで優しくしてくれたら、三つ指立てて頭を  
下げてやらんこともないぜ」  
「つけあがるだけだろ、何言ってやがる」  
「か! 戦国武将みたいな名前と面してんだから、ちゃんと相手に礼儀は尽くせよ」  
「戦国時代の女性って、大抵は政治的取引の道具にされてたらしいぞ」  
「今はそんな物騒な時代じゃないだろ」  
「先に言ってきたのはそっちだよな」  
 お互いにお互いを口汚く罵りながらも、こういうやりとりはあんまり嫌いじゃない。  
まぁ、アイス食ったことは一生言い続けてやっけど。食い物の恨みは怖いんだからな。  
 
「で、今日は?」  
「いつも通り、どうよ?」  
「稽古」  
 一応、今のやり取りを意訳すると以下の通りになる。  
『で、今日は何しに来たんだ?』  
『暇つぶしだよ、これからどっかに遊びに行こうぜ』  
『無理、柔道の稽古がある』  
 繰り返され続けた会話ってのは、こうやって色々省かれてくもんであって。以前学校で  
似たようなやりとりしたら、端から見てた奴に「何喋ってんのか全然分かんなかった」とか  
言われたりもしたもんだ。あたしは別に悪くない気分だったけど、兼久はなんか苦虫を  
噛み潰したような顔になってたっけ。  
「またかよー、最近断ってばっかりじゃねーか」  
「用事ある時に来るお前が悪い。毎週ほぼ同じスケジュールなんだし、少しは把握したら  
どうよ」  
「めんどいー」  
「だろうなー」  
 たまにはね、答えの分かりきった何の実りもない話とかも必要だと思うんだよね。何も  
することない時間があったりするんだったら、尚更。一人は嫌だし。  
 
「じゃあ、そろそろ準備するから」  
「あーい、帰ってきたらバニラ宜しくー」  
「ははは却下ー」  
「えーなんで、半分食べたくせに」  
「だからあれは元々俺のだと何度言えば」  
「ラクトアイスでいいからさー、百円のカップのやつー」  
「さっき食ってたのも百円のラクトアイスだけどなー」  
「じゃあハーゲンダッツでいいから」  
「なんで倍以上の値段するやつにランクアップしてんだ」  
「クラスチェンジです」  
「意味が分かりません」  
 
 くそう、こうなったら本当に仕返ししてやる。半端に食べちったもんだから余計に食べ  
たいのにー。月三千円の小遣いじゃ全然足らん、アイスだけに割くわけにもいかねーし。  
「お前もバイトしろよ。どうせ暇なんだろ?」  
「高校生でやれるバイトなんかロクなのがねーよ。いいよなお前は見た目で騙せて」  
「異議あり! 履歴書は内容に偽りなく提出しています!」  
 机をバン、と叩きながらあたしの顔を指差し反論してくる。どこの世界の弁護士だお前は。  
「その履歴書を拝見しておらぬことには何とも申し上げられませぬ、三十路に見間違えられた  
こともある大友兼久殿」  
「だまらっしゃい」  
 反論を一喝するように怒鳴り返してくる。いつの世界の軍師だお前は。  
「帰れ帰れ、俺はお前と違って色々やることあるんだ」  
「学校以外に道場とバイトか。そんなに暇するのが嫌なのかよ」  
 口元をつい釣り上げてしまいながら、いつものように声を殺して喉で笑う。こんなに  
でかいのに忙しない奴だ。  
 
「嫌っつーか、退屈だよな」  
 
「んー?」  
 退屈とか。急に何言ってんだこいつ。  
「親父によく言われんだよ。『社会人になると働くことで頭が一杯になるから、学生の間は  
色々なこと体験して密度の濃い生活をしろ』ってな」  
「…だから色々やったりしてんのか」  
「実益も兼ねてるけどな。道場の方も楽しいし」  
 以前は、あたしも同じ町道場に通ってた。というか、中学に入って一緒に始めたんだ。  
だけどこいつみたいに体格的にも恵まれてなかったし、大して強くもなれなかったから、  
中学卒業するぐらいの頃には辞めてしまった。兼久は楽しいとか言ってるけど、あたしの  
場合そうは思えなかったな。  
「……そんなもんなのか」  
「そんなもんなんだよ」  
 ま、こいつ自身が満足そうならそれでいいよな。  
 
「じゃあ、そろそろ帰るわ」  
「おー、アイス食いすぎて腹壊すなよ」  
「好物食べて壊れるほどあたしの腹は柔じゃねえ」  
「なら、見舞いの暁にはその時こそハーゲンダッツを買っていってやろう」  
「へぇ」  
 よし、明日にでも仮病を使おう。  
「仮病使ったら今後一切お前には恵まん」  
 ちっ、見抜かれてた。  
 
「しゃーねーな。それじゃ、また明日」  
「おうおう」  
 
ガラガラッ  
 
 扉から…ではなくやっぱり窓からお暇する。あ、そういや折角スリッパ履いてきたのに  
アピールできなかった。これじゃ意味がねー。  
 屋根伝いに歩いて自分の部屋に舞い戻る。兼久の部屋を殺風景だの何だの言いまくったけど、  
ぶっちゃけこの部屋も大差ない。性別の差を考えりゃ、あたしの方がやばいかもな。  
 机に備え付けられた椅子に座って、背もたれに思いっきりもたれ掛かる。窓の向かい側に  
見える、さっきまで邪魔してた部屋の電気が消える。カーテンも閉められる。兼久は稽古に  
行ったようだ。  
 
 ……  
 
 退屈、か。  
 
 今のあたしはどうなんだろうか。暇してるんだろとか言われるけど実際退屈なのか?   
 
 実際よく分かんねぇな。これといった不満があるわけじゃねぇし、端からそう見えてても、  
肝心なのは自分だし。  
 
「あー……っ」  
 ……ったく。小難しいこと考えようとするといっつもこうだ。バニラ成分が足りねえ、  
ってわけでもないけど、口の中が妙に寂しくなる。っつーかなんだ、えっと、あーもう、  
わけ分からん。  
 
 吸うか。こういうごちゃごちゃした気分になる時はこれが一番だ。  
 
 机の中に隠してあるちっさい入れ物の中から煙草をライターと一緒に取り出す。銘柄は  
もちろんキャスター。マイルドだけど。窓を少しだけ開けて、部屋に転がってた空き缶を  
灰皿代わりにする。それを窓辺に置いて、一本咥えて火をつける。  
 
「……ふぁー」  
 吸い始めたのは一年くらい前からだけど、最近量が増え始めた。理由はまあ、色々ある。  
家族は知ってる。嫌な顔はされたけど、止めろとは言われなかった。亭主関白で男兄弟な  
家庭に女の子一人じゃ、ある程度仕方ないとか思ってるのかもしれない。  
兼久には言ってない。  
 言えばどんな反応されるかは分かってるし。あいつとの付き合いも居心地悪いもんじゃ  
ねーしな、つまんねぇことでこじれさせたくない。  
 
 あーあ、何も考えないで毎日それなりに楽しく生きてくことができりゃあなぁ。そしたら  
楽に生きていけるのに。  
 
 余計なこととか面倒なこととか、あたしは嫌いだ。  
 
 おもむろにくゆらせた煙が、空気に紛れて消えていく――――  
 
 

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