ズルズルズルッ  
 
 おおお…旨い。やはりカップヌードルはチリトマト味に限る。邪道といわれようが知った  
こっちゃない。俺の味覚を満足させるのに、他人の意見は必要ない。  
 学校から帰ってこうしてカップヌードル啜ってるのが、俺にとっちゃたまらなく幸せな  
時間だ。流石に、毎日食うのは身体にも財布にも悪いから一週間に一度に留めちゃいるが、  
この時間だけは誰にも邪魔されたくない。どれ、今度はスープを…  
 
ドンドンドンッ  
 
「兼久ー、開けてくれー」  
   
 ……今言ったばかりだと思うが、この時間は、誰にも、邪魔されたくない。  
 
「おーい、開けろよー!」  
「……」  
 だったらせめて玄関から入って来いと。確かに数メートルの距離に窓が向かい合ってて  
屋根伝いになってるが、毎度毎度こうして来るのはどうなんだまったく。  
「かねひさー!」  
「……」  
 開けるしかないか。また近所のおばちゃん連中に変な噂でも立てられたら困る。  
 
がらがらっ  
 
「邪魔するよ」  
「……またか」  
「しょーがないだろ? 兄キが彼女連れ込んでうるせぇんだ」  
「だったら弟の部屋にでも逃げ込めばいいだろ、わざわざこっち来んな」  
 またこれだ。人がおやつ代わりのカップラーメンを啜ってると、こいつは決まって窓から  
進入してきやがる。理由は毎回違うけどな。  
「あいつ部屋に入ると怒るんだよ、女みたいな奴だよほんと」  
「で、本当に女なはずのお前はそんな格好なわけだな」  
 胸元がびろんびろんに伸びてしまっているタンクトップは、あまり服としての役割を  
果たしているようには見えない。もちろん下着なんてつけてるわけもないから見えそうで困る。  
下は一応ジーパンを履いてファスナーは締めてるが、ホックを留めてないからちょっと動いた  
だけでもずり落ち下着が見えそうになる。それをポケットに手を突っ込むことで抑えてる  
みたいだが、だったら留めろと、ベルトしろと。  
「ンだよ、じろじろ見んな」  
 そのくせ、見たら怒る。口尖らせる。ただでさえつり目な目を更につらせて睨んでくる。  
そっちがいきなり来たのに、本当に一体どうしろと。  
 
「柚稀」  
 
「んー?」  
「お前は逆に、もっと女の子らしく姿格好に気を遣え」  
「めんどい」  
「だったら改善するよう努力しろ」  
「だるい」  
 なんつーふてぶてしい態度だ、こんなのと幼なじみだなんて泣けてくる。うわ、人前で  
脇ぼりぼりと掻いてるよ。よく見たら寝癖直ってねーし。つかまた裸足かよ、またカーペット  
汚す気かよ。人の目気にしなると人間終わりだな。  
「ふぁー……」  
こっち向いてでかいあくびすんなあくび。喉チンコ見えてんぞ。  
 
 男口調で男みたいな仕草で、女らしいといったらそこそこでかい胸ぐらいで。いっつも  
こうして注意促してるが、聞いてくれた試しがない。  
『だってウチ男一家だし』  
 そんでもって、大抵の場合の言い訳がこれだ。まあ確かにおじさんは今時珍しい古き良き  
日本の頑固親父だし、兄貴と弟っつー男兄弟に囲まれてるから環境的には仕方ないんだろうけどさ。  
お前、おばさんが影で泣いてんの知らないだろ。  
 というかその理論だと、俺は少女趣味のオネエ言葉な男になってないといけないわけで。  
何故ならこっちの家は、カカア天下で兄弟は姉と妹という家族構成なわけだ。まあ、俺は  
こうしてすくすくと男らしく育ってるけどな。要はこいつの意思が弱いだけの話だと思うんだ。  
 
 そんな奴だから、前述の通り外見にはほとんど無頓着に近い。髪の長さなんて俺とほとんど  
変わらないくらいのショートカットだから、スカートが本当に似合わない。学校の廊下で  
見知らぬ奴がこいつの制服姿を見たら、決まって眉を潜めたりヒソヒソ話を始めたりする。  
やっぱあれって性別疑われてんだろうなぁ。本人は特に反応を示さないが、慣れてるだけ  
なのかもしれない。  
 
「お、旨そうなもん食ってんじゃん。ちょっとくれ」  
「嫌じゃ」  
「なんでだよ、客に何か礼儀尽くしたっていいだろ」  
「ふざっけんな、だったら玄関から入って来い。屋根伝いに素足で来られると床汚れんだよ」  
「掃除お疲れ!」  
「   だ   ま   れ   」  
 
 まったく、カップヌードルチリトマト味は最高に旨くて困る。それを食べる幸せな時間を  
ぶち壊した上、あまつさえそれを貰おうとするこいつの態度にはもっと困る。とか何とか  
愚痴ってたらもう全部食っちまった。こいつのせいで後半半分の味の記憶がないぞ。  
「兼久ー」  
「ん?」  
「暇ー」  
「そこの本棚にある本でも読んでろ」  
「全部読んだから飽きた」  
「活字本は?」  
「読むわけねぇ」  
 くっくと笑いを噛み殺しながらごろんと大の字に転がる。終わってる、こいつほんとに  
終わってる。  
「お前もそれ食い終わったんだろ? あたしに付き合えよ」  
「何して」  
「色々」  
「具体的には」  
「何とか」  
「それは具体的にとは言わん」  
「お前も考えろよぉ」  
「付き合うって言った覚えはないぞ」  
「そーか?」  
「そーだよ」  
 この中途半端にユルくて、無駄に殺伐とした会話がいつもの調子なんだから、俺もちょっとは  
おかしいってことなんだろうな。ああ…こんなのと同じ穴のムジナなんてやだやだ。  
 
「そもそもお前机にしがみついて何したいんだよ」  
「勉強だ勉強。学生の本分は勉学に勤しむことだぞ」  
「はー? 何言ってんだ兼久、頭打ったか?」  
「お前こそ忘れてないか、明日数学の小テストだぞ」  
「え゛」  
「一昨日の数学の授業の途中で、先生が言ってたろ」  
「…マジ? 新田の奴何考えてんだよ」  
「そういうわけだ、お前も家帰って頑張れ」  
「本当は、お前なりの、その、冗談とかじゃないのか?」  
「……」  
「ど、どうなんだよ」  
「俺が冗談で勉強すると思うか」  
「……」  
「すると思うか」  
「しねーな…」  
 それまで横柄な態度だったのが、急に顔が青ざめ意気消沈していく。新田っていうのは  
その数学の授業の先生であったり俺達の担任であったりする。自分の受け持つクラスには  
厳しくするのがいつものことで、たまに行う小テストで一定の点数取らないと補修として  
プリント10枚分くらいの問題を解かされる羽目になる。ちなみに、柚稀はその補修を受ける  
常習犯だったりする。現国や英語はそこそこ解けるのに、数学だけは本当に苦手らしい。  
苦手だからって、勉強したがらないから余計に泥沼になってんだけどな。少しくらい克服  
しろと言いたい。  
 
 そのまま放っておいて、テスト範囲の問題を解くためにカリカリとシャーペンを動かしていく。  
俺は逆に英語が苦手だが数学や科学は結構得意だ。そんなわけで明日のテストもそんなに  
苦にしてない。  
 と、寝たままの体勢で柚稀が背中をずりずりと擦らせながらにじり寄ってくる。なんか  
なめくじみたいだ。  
「かねひさー、たのむ…」  
 瞳を潤ませて、手を伸ばして服の裾をぎゅっと掴んで懇願してくる、寝たままだけど。  
こいつもちょっとくらいは、女の色気を使うことが出来るらしい、寝たままだけど。  
 
「範囲と一般的な問題の解答方法のノート見せてやるから。服伸びるから離せ」  
「OKありがと! いやぁ、持つべきもんは幼なじみだよな!」  
 ってオイ、そう言いながら今度は何ベッドの上に寝転がってんだ。布団の中に入ってくなよ  
お前完全に寝る気じゃねーか。  
 
「……何やってんのお前?」  
「いやさー、兼久が問題解いてくれるみたいだからもういいかなって」  
 馬鹿だ、馬鹿がここにいる。いるよなこういう準備を終えただけで満足して肝心なこと  
しない奴。  
 
「解き方覚えないと意味無いんじゃないのか」  
「そうは言ってもさー…あたし最近寝不足でさー……」  
 げ、声がもう虚ろになってきてやがる。寝付くのが早すぎだろ。  
「なんで寝ないんだよ」  
「知らないよ、身体の方に聞いてよ…」  
「じゃあ何で寝そうなんだよ」  
「さぁー……兼久の匂いがするからかな」  
 
 ……  
 
 な、急に何言ってんだこいつ。いきなり変なこと言いやがって。  
「臭いから気を失いそうでさぁ…」  
 
 
「    帰    れ    」  
 
 
「ちっ…心の狭い男は甲斐性ねえぞ」  
 そう言うと、早速しょぼつきだしてた目を擦って、もたもたと布団から出てくる。そのまま  
ノートを渡すと、無言のまま口を尖らせ視線はこっちに向けたままやっぱり窓からこの場を  
後にする。  
 ったく、俺相手だと好き放題言ってくるから困ったもんだ。後でおじさんに連絡しとこう。  
おじさんこういうことに厳しいからな、帰ったら拳骨の一発でも食らっとけ。  
「お前それ汚すなよー」  
「うっさいなぁ、分かってるよ」  
 あんな調子で帰ったとしても、どうせすぐ寝るんだろうな。勉強もなんだかんだで  
やらないだろうな。というか嫌なことはやらないから柚稀は柚稀なんだよ、間違いないな。  
 
 
 
 ちなみに翌日、あいつは放課後涙目になりながら大量の数学の問題を解かされる羽目になる。  
答案が返ってきた時何故か睨まれたが逆恨み以外の何物でもない。「お勤めご苦労さんです」と  
貸したノートを掠め取りながら、満面の笑顔で励ましさっさと俺は帰宅したのだった。  
そしてその日、柚稀の部屋の電気が点いたのは八時を過ぎてからだった。くくくざまあみろ。  
 
 

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