無表情で無口な同居人が増えてからも俺の生活は平穏無事なままだった。  
 『白蛇伝』よろしく、退魔師とか他の妖怪からちょっかいを出されたり、理不尽な別離で終わりかと思っていたのだが、それは杞憂だったらしい。  
 事件と言えば、彼女の顔が取れたことくらいだ。  
 詳しい経緯は省くが、ふとした拍子に彼女の『顔』が落っこちたのだ。デスマスクみたいだと思っていたが、本当に仮面だったらしい。  
 (しかし、痛覚があることやキスしたときの口腔内の状態、表情のわずかな動きを考えると一概にただの仮面とも言えないのだろうが)  
 仮面だったのもビックリだが、ポロッという擬音が似合いそうなくらい簡単に落っこちたのにはホントに驚いた。  
 幸いというか何と言うか、落ちた顔を彼女に渡してやるとすぐに元通りになったが、その一件で用心深くなったのか彼女の仮面は二度と外れていない。  
 その際、珍しく彼女が慌てたような恥ずかしいような動きをしていたのが非常に印象深く、とても可愛らしかったのでもう一度顔を外してみたかったのだが……実に惜しい。  
 
 話は変わるが、俺には小泉九十九というどこぞのヘルンさんみたいな名前の知り合いがいる。その名前のせいか、こういうオカルトなどには詳しいヤツで霊感もあるらしい。  
 そんなテキトーな理由から、彼女との同居生活にあたって俺はそいつに助言を仰ぐことにしたのだ。  
 百聞は一見にしかず、ということで彼女といっしょに小泉のところへ行くことにしたのだが道中、周囲から不思議がられたりすることはなかった。  
 そのことを小泉に伝えると、どうも彼女は『認識阻害』というか、そういった魔力を持っているのだろう、との返事が返ってきた。  
 彼女のありのままの姿は確かに視えているのだが、普通の人間にはそれを異常とは思えないようになっているのだろう、とのことだ。  
 次に判ったのが、彼女の正体だ。彼女は幽霊ではなく、いわゆる妖怪で『毛羽毛現』とかいうらしい(幽霊と妖怪がどう違うのかは、説明されたがよく判らなかった)  
 小泉が差し出したいくつかの本――『水木しげるの妖怪百物語 日本篇』や『日本妖怪大事典』など――には彼女によく似たマルチーズみたいな変な毛の塊が描かれていた。  
 なんとも胡散臭い気がしたが、ほかに手がかりもない。俺はとりあえず小泉の言葉とそれらの資料を信じることにした。  
 なぜなら、資料通りに俺は病気になったからだ。  
 症状としては、陰茎が物凄く痒くなった。  
 病院で診てもらったところ、なんかの菌に感染してたらしい。  
 先生の話では、早期発見だったため外用薬と内服薬だけでよかったが、もし発見が遅ければ『切り落とさなければいけなかった』とか。  
 なにを、とは言わない。察してほしい。  
 
 ――教訓:排水口はけっこう汚い。いわんや、そこから出てきたものも。  
 
 そんなあまりにも手痛い失敗を犯した俺は、彼女を毎日入浴させたり、日向ぼっこさせるなどして清潔になるように心血を注ぐことになった。  
 強い決意のもと、断固たる態度で彼女の清潔さを保ってきたのだ。  
 『そうだ、私は(私だけは)彼女を汚したりはしない。彼女を不潔にさせもしない。常に清潔に保つように心がけねばならないのだ。彼女を洗髪し、常に深遠なきらめきを求め続けよう』  
 なんて標語を書いて壁に貼り、毎朝5分間拝んでいたくらいである。  
 そんなこんなで苦節3ヶ月弱。  
 ようやく医者からも完治との言葉をもらえた俺は、病院からの帰途を躍るような足取りで急いでいた。  
 
「ただいま!」  
 
 帰ってきた勢いもそのままに、なかば乱暴に玄関のドアを開ける。  
 俺が帰ってくるのを何らかの方法で察知していたのだろう、上がり框には既に彼女が居た。  
 相変わらず、うっすらとした笑顔で凍りついた仮面のような顔だ。一つの表情から変わらないのであれば、これもある種の“無表情”と言えるだろう。  
 不意に彼女が「おかえりなさい」と言ったような気がした。  
 彼女は音声を発するということがないから、おそらく俺の思い込みによる幻聴だろう。  
 だが、彼女は無表情で無口ではあるが、感情の表出がないわけではない。  
 うまく言葉には出来ないが、細やかな仕草一つ一つが言語以上に雄弁に語るのだ――それこそ、幻聴が聞こえるほどに。  
 身体言語(ボディーランゲージ)とは、よく言ったものだと思う。  
 そんなことを考えていると、いつの間にか彼女が足元まで近づいてきて俺を不思議そうに見上げる。  
 そして今度は「どうしたの?」という幻聴が聞こえた。  
 
「ん〜? 何でもないよ。ただ君は可愛いなって思ってさ」  
 
 古人曰く、可愛い子にはチューをあげろ。  
 俺は少し身を屈めると、彼女の右頬に唇を寄せる。彼女は右目を閉じ、くすぐったそうに身をくねらせた。  
 唇を離し、彼女をひょいと抱え上げる。そして靴を脱ぎ捨てて、ベッドへ直行した。  
 ポーンと彼女をベッドに放り投げると、一度軽く弾んで横たわる。彼女は俺の突然の行動に少し驚いたようだった。  
 そんな彼女に覆いかぶさるようにして、今度は唇に口付けをする。  
 初めは、優しく触れるだけのキス。一度離して、今度は深いキス。  
 今は視覚などという触れもせずに全てを解った気にさせる感覚は不要だ。眼を閉じて彼女に触れている部分――唇に、舌に、全神経を集中させた。  
 口唇の襞一つ一つ、歯の一本一本を味わうように、じっくりと舌を絡ませる。鋭敏になった今の舌ならば、彼女の味蕾の数すら数えられそうだ。  
 おずおずと開かれた歯列をくぐり抜け、口腔内へ舌を滑り込ませた。舌と舌が絡み合い、唾液と唾液が交じり合う。  
 彼女の唾液が、まるで蜜のように甘く感じるのは果たして俺の昂揚した神経の感じる錯覚なのだろうか。彼女も俺の唾液を、甘く感じているのだろうか。  
 軽い酸欠と心地好さにフワフワしはじめた頭で、茫洋とそんなことを考える。  
 ひとしきり彼女の口腔を貪った俺は、そっと唇を離す。口戯の余韻は、透き通った階梯となって二人を繋いだ。  
 目の前には、青白い彼女の顔。  
 最前と何も変わらないように見えるが、よく見れば――本当によく見れば――彼女の頬がちょっとだけ上気し、死んだ魚のような眼も、幽かに潤んで輝いているのが判る。  
 ふと、彼女の眼がわずかに動いた。どうやら何かを見つけたらしい。首に相当する部分が伸びて死人のような麗しい顔が近づいてくる。  
 そして俺の顎から口角へと、花びらのように小さく愛らしい舌を這わせた。どうやら、口の端からだらしなくこぼれていた唾液を舐め取ったらしい。  
 彼女は舐め取った唾液を、まるでソムリエがワインを飲むように口の中で転がしてじっくりと味わい、飲み下した。  
 嚥下音すら、可愛らしい。  
 そんなことを思っている間にも、彼女の下半身は触手――繊毛といったほうが正しいのだろうか――を伸ばしてズボンのファスナーを下ろし、俺の陰茎を露わにする。  
 外気にさらされたソレはすでに屹立し、先端は先走りで卑猥に輝いている。  
 
「……もう、挿れていいか?」  
 
 返事代わりとばかりに、彼女がゆっくりと浸蝕するように俺の下半身を包み込んでいく。  
 体を小さく断続的に痙攣させながら俺の陰茎を飲み込んでいくのがとても愛しく思うが、もどかしくも思う。  
 ――だから、腰を動かして一気に根元まで埋没させた。  
 その瞬間、彼女は体を丸め、右のツインテールを噛んで何かを堪えるような格好で大きく痙攣した。  
 
「……もしかして――イっちゃった?」  
 
 返事もなく、ただ彼女は口を小さく開閉しながら、ふるふると体を震わせている。  
 彼女が俺のモノをゆっくりと包み込んでいたのは、一気にやるとイってしまうからだったようだ。どうやら自分だけイクのが嫌だったらしい。  
 人はそれをどう思うかは知らないが、少なくとも俺はそんな彼女の態度がとても健気に見えて、愛しさを感じた。そしてそれに伴う嗜虐心と征服欲も。  
 気がついたときには、俺は彼女を抱き寄せて起こし、腰を振っていた。  
 絶頂の余韻も抜け切らぬうちに乱暴に突き上げられ、イヤイヤと頭を振っていたが快感に流されて次第に抵抗は消えていった。  
 焦点のない瞳が、さらに焦点を失って散大し、青白かった顔が紅潮して色白な人程度にまで血色を見せている。  
 そして今や彼女の絹糸のような髪一本一本が蠕動し、蠢動し、胎動していた――俺を射精させるために。  
 考えても見てほしい。  
 無数の髪がただ俺を射精するため、ただそれだけのために活動している様を。  
 その動きが与える快楽に、ただの人間が抗えようはずもない。  
 だから、断じて俺は早漏ではない――と思う。そう信じたい。  
 
「…くっ……俺、そろそろ……!」  
 
 俺の言葉に、彼女が頷いた、ように見えた。  
 彼女も絶頂が近いのか。それとも、胎内に出して欲しい、ということだろうか。  
 ――多分、両方だ。  
 一層激しさを増すストロークに合わせるように、彼女の痙攣と蠕動も激しさを増す。  
 法悦へと、一気に昇りつめていく。  
 そして――  
 
「――――………!!」  
 
 彼女は体を反らし、ひときわ大きく痙攣して俺のモノを絞めつけた。  
 その瞬間、俺の頭も真っ白になった。  
 後頭部を思いっきり殴られた時でも、ここまで目の前が真っ白になったことはない。  
 それほど凄まじい衝撃が神経を駆け抜けたのだ。  
 
「俺…もっ……!」  
 
 彼女の胎内へ、欲望をブチ撒けた。  
 病気になって以来、オナ禁3ヶ月分のそれを一滴残らず搾り出そうとするかのように、彼女の内は断続的な蠕動と収縮を繰り返している。  
 二度目の絶頂は、彼女の魂をどこか遠くへと押しやるほどのものだったらしい。  
 瞳は開ききって完全に焦点を失い、笑ったまま凍りついた口の端からは、つぅーとヨダレを垂らしている。  
 脱力して開きっぱなしになっているのは瞳孔と口だけではないようで、涙腺も弛緩して止めどなく涙が流れている。  
 そんな、だらしないとすら思えるような様子が、たまらなく愛しく、そして艶っぽかった。  
 右手を彼女の左頬を包むように添え、親指で涙を拭ってやりながら、右目の涙は啄ばむようにキスして、舌で拭う。  
 
「……やっぱり、君は可愛いな」  
 
 まだ小さく震える彼女の身体をそっと抱擁し、額に口付けるようにして髪に顔を埋めた。  
 シャンプーの爽やかな香りと彼女の甘い薫りが入り混じった、かぐわしい馨りが鼻腔に充満する。  
 天女が羽衣を纏うように、彼女はそれを纏っていた。シャネルNo.5だって目じゃない。  
 彼女の頭を撫で、髪を梳き、存分に肺腑を薫香で満たす。  
 肉体と本能はまだ彼女の体を欲していたが、精神と理性はこの微睡みにも似た心地好い時を過ごすことを欲している。  
 時間はいくらでもある。夜はまだ長い。  
 俺は精神の望むまま、この心地好い時の流れに身を任せることにした。  
 
 
 
 オワリ  
 

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