暇だったので、久しぶりに風呂でも洗ってみることにした。
濡れてもいいようにTシャツにトランクス一丁で浴槽を磨いていると、排水口からゴボゴボという音が聞こえ出した。
目をやれば、なにか黒い紐状の海苔みたいなものがぐにょぐにょと蠢いている。
よく見てみると、それはどうやら髪の毛らしい。
どっかで排水管がおかしくなったんだろうか。とりあえず浴槽から出て様子を見てみる。
髪の毛はたちまちのうちに浴槽の半分程度にまで増えると、そこで動きがなくなった。どうやら逆流は止まったらしい。
しかし、なんだろうこの髪の毛の量は。尋常じゃない。まさか幽霊とか……?
そんなことを考えていると、髪の毛に動きがあった。
浴槽いっぱいに広がった髪の毛風呂の真ん中に波紋が起きたかと思うと顔が浮んできたのだ。
美しい少女の顔である。美しすぎてどこか作り物めいており、生きているとは思えない蒼白さ。
デスマスク――そんな言葉が相応しい。
ふと、触れてみたいと思った。どうしてこんなものがとか、どうやって排水口よりも大きい顔が出てきたのかとか、そういった疑問や怖さ以上に『美しいものに触ってみたい』という欲求が強かったのだ。
髪の中に浮かぶ水死美人(オフィーリア)の頬を、そっと撫ぜてみる。
ふにふに。
柔らかい。それに温かかった。硬く、冷たそうに見えたのだが。
指を滑らせ、桜の花弁のような唇にも触れてみる。
ぷるぷる。
頬とは違う柔らかさ。頬は低反発だが、唇は弾力がある。
どれくらいの間そうして触っていたのか――不意に、目が開いた。
思考と視線の窺い知れない、焦点のない瞳。以前こんな眼を見たことがある。死んだ魚の眼だ――しかもちょっと時間の経ったやつ。
その眼がぎょろりと動いたかと思うと、目が合った。
「うおっ!?」
驚いて仰け反り、尻餅をつく。ちょっと腰が抜けたらしい。立てない。情けねぇ。
自分の肝の小ささに怒りを感じつつも、なんとか後ずさろうと足を動かす。
視線は浴槽に向けたまま。
ぬうっと影が立ち上がる。あの髪の塊だ。しかもツインテール。海老風味じゃない方の。
ぐりんと勢いよく顔がこちらを向いた。勢いがよすぎて自分のツインテールで顔面をひっぱたいてしまっていたが、気にした様子は一切ない。
絶対いま眼球叩いてたと思うんだが、痛覚がないのだろうか。
……鈍いようだが、やっぱり痛かったらしい。右のテールが触手のようにのたくり、緩慢な動作で顔を二度三度とさする。
そんなことを思っている間に彼女は浴槽から出てきた。
滑るような動きで、顔の位置が上下左右に一切ブレない。接地面の近くの毛が波打っていることから、どうも蠕動運動で移動しているらしい。
その割りにはカタツムリなんかと比べ物にならないくらい早かったので一瞬、浴槽をすり抜けて出てきたのかと思ったほどだ。
完全に浴槽から体――と言っても顔以外はどこも毛の塊なのだが――を出すと、前に飛び跳ねたアホ毛をひょこひょことメトロノームのように揺らしながら、顔を下げて姿勢を低くする。
どうも台所に出る『G』を思い出してしまう動きだ。この娘も濡れてる上にキューティクルが凄くて妙に黒光りしてるし。
と、突然彼女が飛び掛ってきた。完全な不意打ち。予想外の俊敏な動きに驚く暇もなく圧し掛かられる。
体は濡れてるくせに温かい。微温湯に浸かっているようだ。髪が広がり、下半身は完全に呑みこまれてしまった。
もぞもぞと身じろぎしたかと思うと目の前の髪が割れて、再び顔が浮かび上がる。相変わらず何を考えてるかわからない顔だ。
ぴょこんと顔の横からツインテールが飛び出し、ぴんとアホ毛が跳ね上がった。
やっぱりアホ毛は触角らしい。何かを確認するように、ぴとぴとと顔に触れてくる。何度かアホ毛で顔に触れると今度は首を伸ばして顔をすり寄せてきた。
髪の塊がシャツの中に入り込んで胸板の上を這い回ってくすぐったい。
髪の毛はトランクスの中にも入り込んで、陰茎に絡みつく。何かの拍子で陰毛が亀頭に絡みついた時はそりゃもう痛い思いをしたものだが、彼女の髪が絡みついても不思議と痛みはない。
むしろ心地好い。
温かく、ツルツルとした髪が一本一本巧みに波打ちながら陰茎を刺激する。与えられる快楽に従って、俺のモノは素直に勃起していく。
前言撤回。
心地好いどころじゃない。気持ちよすぎる。どう考えても異常な状況であるのに、そのことに思慮を巡らせられるような余裕が持てない。
頬擦りを止めて俺の顔を覗き込んでいた蒼白だった顔に、わずかに朱が差している。どうやら彼女もなんらかの快感を得ているようだ。
表情自体は相変わらず無表情だが、それがなんだか却って欲情を煽り、肉棒はますます猛りを見せる。
してもらいっぱなしというのもなんだか情けない気がしたので、こちらからも何かしようと思ったが相手は無形の怪物。どこをどうしたものか。
……とりあえずキスでもしてみよう。手は自由に動かせたので、彼女の頭を抱き寄せる。
ズボッと手がめり込んでしまうんじゃないかと思っていたが、柔らかな髪の下に何かの手応えのようなものを感じる。
髪がまとまって芯を作っているのだろうか。毛布を丸めたような感触だ。少なくとも、骨のような硬い物が内部にあるという感触ではない。
引き寄せた唇に、そっと口付けをした。しばし唇の感触を楽しむと今度は舌で歯列をなぞり、ゆっくりと押し開けていく。
ディープキスした瞬間、髪の毛が大量に口へと入り込んでくるんじゃないかという危惧は、杞憂だったらしい……ホントどうなってるんだろう、この娘の構造は。
小さな口腔を余すところなく愛撫し、舌を、唾液を絡ませていく。彼女はわずかに目を細めて瞳を潤ませ、おずおずと舌を動かしてきた。
しばらく舌技を楽しんでいると頭がいい感じにフワフワしてくる。酸欠でブッ倒れるわけにはいかないので惜しみながらも唇を離した。
俺は軽く息が上がっているが、彼女はちっとも息が乱れていない。というか嬌声はおろか音一つ彼女は出していない。
さすがは人外。
反応が少なくて、ちと物足りない気もするが彼女なりに快感を表現した結果なのだろうと思えば、それすら愛らしく感じられるのだから不思議だ。
ツインテールを手のように使い、俺の後頭部に回して顔を引き寄せるとこちらの呼吸が整ったのを見計らって今度は彼女のほうからキスしてくる。
ほんと無表情な割りに積極的な娘だ。男としてはその期待に応えてやりたい。
先ほどよりも激しく舌を動かして愛撫する。いや、もうこれは蹂躙と言ったほうがいいのかもしれない。
口戯が激しさを増すにつれて肉茎を刺激する蠕動も一層激しさを増す。
再び息苦しくなったので口を離した。唾液が透明の橋を作る。彼女も名残惜しそうにツインテールで俺の頬を撫で、体を起こした。
人間なら腰に相当する辺りを掴み、仰臥したまま腰を突き上げる。
ただでさえ焦点のない瞳が色情に曇り、ますます正体を失って茫洋としていく。その様子を見ながら俺はピストンを早めていく。
無表情だった顔に初めて表情が浮んだ。切なげに眉を寄せ、口を大きく開く。
だが、それでも声や音が発せられることはない。無声のままに喘ぎ、息せぬままに呼吸を荒げ、快感に身をよじる。
「…………!」
どうやら彼女は達したらしい。声なき嬌声を叫びながら弓なりに背を仰け反らせ、きゅぅと俺のモノを締めつける。
その瞬間、絶妙を超えて霊妙ですらある快感が俺の全身を奔り抜けた。
電撃が走ったように頭が真っ白に染まる。
「……く、ぅぁっ…!」
それで俺も絶頂を迎えて精を迸らせ、彼女の胎内に放った。
ビクビクと脈打つたびに快感が送り込まれ、最後の一滴を吐き終えるまでそれは続いた。
「…はっ、はっ、はぁ、はぁっ……!」
脳に叩きつけられる暴力じみた悦楽に息も絶え絶えになりながら、なんとか呼吸を整えていく。最後にひときわ強く呼気を吐き出し、深呼吸に切り替えた。
快感に蕩けて脱力したのか彼女のダルマのような体はなかば原型を失い、溶けたバターのように俺の上に広がって、余韻に震える肉茎に合わせるように小さく痙攣している。
口をぱくぱく動かしながら体を縮めたり膨らませたりしているが胸の上に乗った彼女の口から呼気を感じることはないから、やはり呼吸はしていないようなのだが……。
一体なにを吸い、なにを吐き出しているのか。
――まぁ、それはともかく。
「さて、どうしたもんかな」
俺の呟きが聞こえたらしく見上げるような格好で俺の顔を見る。無表情だがどこか不安そうに見え、「すてるの?」という幻聴まで聞こえてくる。
そっと彼女の頭を撫で、手櫛で髪を梳くと嬉しそうに目を細めて、また胸板に頬を摺り寄せてきた。
捨てるとかマジ無理。考えられねぇ。
とりあえず……
「風呂入りながら考えるかぁ」
苦笑しながら体を起こし、彼女を抱きかかえてシャワーの前に移動する。蛇口を捻り、お湯を出す。
ほんとシャンプーのしがいのありそうな体だ。1ボトルで足りるだろうか。うーむ、これからはいろいろとお金が入用になるなぁ。
これからのことに思いを巡らせながら、湯を浴びて目を瞑っている彼女の頬にそっと唇を寄せた。
オワリ