ジャスミンの花は、夜開く。  
白く小さく、清楚なそれは月光の下、  
優しい、そして妖艶な香りをひっそりと放つのだ。  
 
 
額をさらりとした感触が撫でた。  
滑らかに零れていくそれは、心地よく肌をくすぐる。ひどく懐かしく、そして現実味のない感覚。  
冷たく軽い何かが額をなぞるのを遠く感じた。不知火少尉の、重苦しい暗闇に沈んだ意識が、ゆっくりと浮上する。  
痛くはないが不快な頭痛。酒を飲みすぎた次の日のようだ。  
閉ざされていた意識には知覚されなかったそれが、次第にはっきりとしてくる。  
重い瞼をこじ開けると、ぼんやり霞んだ世界に天井が映えた。  
誰かが覗き込んでいる――女――、黒く長い髪。  
 
知らぬ女だった。  
何故ここにいるのか、何故ここに横たわっているのか、思い出そうとすると鋭い頭痛がする。  
 
だが、何故か今そんなことはどうでもいいような気がした。  
ゆっくりと布団から身を起こした不知火は、思わず隣に座っている女を見据える。  
「君は・・・」  
きちんと正座して、驚く様子もない女は真っ直ぐに不知火を見返した。  
緑なす黒髪、という比喩が似合う、この古びた和室には似つかわしくない程の美女だ。  
「助けてくれたのですか」  
救命胴衣も、落下傘用固定用のベルトも取り除かれ、飛行服で眠っていたらしい。  
着慣れた海軍の、茶色の飛行服。  
何か大事なことを忘れている違和感を抱えたまま、頭に手をやる。  
彼女は、まるで彼が起きることを見越していたかのような表情をしている。  
少しだけ頷いた彼女には、物怖じする様子はない。  
無骨な指先に、額の傷に巻かれた包帯の感触がした。  
不知火は辺りを見回す――シミと褪色で黄ばんだ襖、毛羽立った畳、黒ずんだ木材の柱。  
四畳ほどの古い部屋を、開け放した障子窓から入る西日が金色に染め上げている。  
流れるたびにさらさらと音を立てそうな女の黒髪も、一本一本がその金色に光っていた。  
金色の川。  
「君の名は」  
聞いた不知火は、思わず正面から女に見入った。  
白磁のような肌、卵形の輪郭は、主張しないことで際立つパーツ美がある。  
黒く優雅な眉に、弓なりの美しいカーブの目、そして長く繊細に伸びる睫。  
花びらのようにめくれた唇は淡いピンク色に咲き、歪みなく伸びた鼻筋は西洋人形のようだ。  
深い緑を何色も重ねたような黒の瞳は、磁石のように視線を吸い込む。  
「・・・・」  
女の、口元のふっくらした肉が蠢いた。  
ぱく、ぱくと何かを言おうとするが、漏れるのはただ息の音のみだ。  
俯き、首を振った女の富士額に黒髪が掛かる。  
悲しそうな目で不知火を見る。  
 
「喋れないのか」  
女は頷く。  
――聞いてはいけなかった。  
「すまない」  
そう瞬間的に後悔に打たれた不知火に、女はもう一度首を振る。  
動くたびに揺れる、美しい黒髪。  
毛先が各々の方向に大きく緩やかなカールをしたそれは、まるで三日月のアーチのようだ。  
真っ白いワンピースの下、大きく盛り上がった胸を彩るアーチは、鮮やかな曲線を描いている。  
そして、顎で切りそろえた前髪は、白い肌を引き立てていた。  
どこからか漂う、優しく甘やかな薫香はまるで彼女の体臭であるかのように感じる。  
清楚でありながら妖艶。  
華奢でありながら力強い。  
どこかで見た、しかしそれが何かは思い出せない。  
それは、彼がよく馴染み、彼が知り尽くしたものの気がする。  
ざーっという、無線のノイズに似た耳鳴りがしていた。  
障子窓の向こうに視線を投げる。  
千の波の稜線を、沈む陽が金色に縁取っていた。  
ネイビーから橙に変化していく空に掛かる雲は、夕日に透かされ輝いている。  
淀んだ影が部屋に溜まっていく夕刻は、時間の流れを止めているようだ。  
 
逢魔ヶ時。  
 
そんな言葉がふと頭に浮かんだ。  
ここはどこなのだろう。  
重い身体を引きずり起こし、不知火は窓辺に向かう。  
そっと腕を取り、女は彼を助ける。見かけによらず、その力は頼もしく感じた。  
西日と一緒に流れ込んで来る風。  
窓枠に寄りかかり、景色を見回した不知火は息を呑んだ。  
 
遠くに広がる海、そして浜辺。  
高台から見下ろした白い花々は、一つのうねりとなって風に揺れている。  
その中に一つ、古びた神社が佇んでおり、その前に鳥居が立っているのも見える。  
雪に埋もれているかのようだった。  
海神を祭ったのか、それとも八幡なのか、小さな社は忘れ去られているかのようだ。  
取り囲むように咲いた白い海が、黄金のまどろみに浸かりながら揺れている。  
鼻腔をくすぐる、優しい香りはあの花々の香りなのだろうか。  
女と同じ香りだった。  
 
ひどく懐かしく、心を揺さぶるようなそれ。  
肘を掴む女の指がすこし力を強めたように思った。  
振り向いた不知火を、女はじっと見つめている。  
雪のように清らかでいて、あの花々のように優しかった。  
――不知火は海軍の戦闘機乗りの中でももてる方だ。  
切れ長の一重に、外人のような琥珀色を帯びた瞳。  
秀でた眉も、短めの鼻も、きゅっと結ばれた意志の強い唇も、その男らしさを際立てていた。  
身長も小さいほうではないし、無口で頑固な性格も女には人気があったのだ。  
だから、いろんな芸者や女にもてたが、彼女程美しい女は見たことがない。  
きっとそれは、顔立ちだけの問題ではないのだ。  
哀しそうにじっと不知火を見る女の目は、何かを不知火に伝えようとしている。  
 
ふわふわと風を含んで揺れる髪の毛が、不知火の腕を撫でた。  
「茉莉花・・・」  
それが女の名前なのだと、なぜか不知火は唐突に理解する。  
こくこくと茉莉花は頷く。  
俺は茉莉花をよく知っている。  
不知火は、根拠もないのにそう確信した。何故気付かなかったのだろうと思った。  
真正面から赤々と残照に輝く茉莉花の手をとる。  
彼女の白く細い指先を、節くれだった搭乗員の両手が包んだ。  
「君なのか」  
涙をいっぱいに溜めた目で、必死に茉莉花は笑った。  
身体をぴったりと包む膝丈のワンピース。腿はしっかりとしているが、膝から下はすっきりと伸びている。  
細い肩紐。真っ白な胸元。柔らかそうな腕。  
優美な曲線の何もかもが茉莉花らしかった。  
眉間に皺を寄せ、彼女は耐え切れず目を瞬かせる。  
涙が押し出され、ぽろりと一粒落ちた。  
思わず茉莉花を抱き寄せる。柔らかな感触に、濃くなる香り。  
黒髪が描く、下弦のカーブが不知火の腕に触れた。  
――ずっとこうしていたい。  
しかし、一方で不知火はそれが叶わぬことを理解している。  
しばらく茉莉花を抱きしめたまま、彼女の流れる髪を指先で弄ぶ。  
窓際に崩れ落ちた二人の影が、次第に闇に溶けていった。  
 
 
いつの間にか世界は蒼ざめ始める。  
冷たい星屑が空にちりばめられ、月が昇る。  
硬質な月光が照らす世界は、この世ならぬものであるかのようだ。  
 
 
――まだこの戦争が、ベテランとベテランの戦いだったころ、  
不知火上飛曹は夜明け前にジャスミンの花を摘んだ。  
 
 
「茉莉花、よく顔を見せてくれ」  
彼女の顔に掛かった髪を払い、ぼんやりとした月光の下で茉莉花を見つめる。  
白い細面は青白い光に微かに反射していた。涙の筋が残る顔が愛おしかった。  
「・・・きれいだ」  
また茉莉花の目が潤む。  
――今生の別れ。  
二人とも、それが目前であることを知っている。  
サーモンピンクの唇に不知火はそっと自分の唇を重ねた。柔らかなふくらみの感触は心地よい。  
初々しい恋人のような口付け。  
それは、戦争が始まるずっと前から、忘れていたもの。  
死と隣り合わせの戦闘機乗りであることが、彼を縁談や結婚といったものから引き離していた。  
茉莉花の細く折れそうな首は、急激なGの変化に耐えうる不知火の太いそれとは全く違う物質に見える。  
 
女とはこんなものだったのか。  
 
改めて不知火は実感する。  
細い肩紐の下に指を滑らせると、滑らかな鎖骨をなぞった。  
心地よい冷たさと、吸い付くような湿り気のある肌。  
顔を赤らめてそむける茉莉花の横顔を彩る、長い睫。  
ぞくりとするほどに色っぽいその仕草に不知火は思わず唾液を飲み込んだ。  
肩紐を落とす。ずり下がったワンピースの胸元から、真っ白に盛り上がった胸元が覗いた。  
冷たい夜風のなか、指先で感じる茉莉花の体温だけが温かい。  
「・・・いいのか?」  
無粋と分かりながら不知火は語りかける。  
 
顔を向けられぬまま、それでも茉莉花は頷いた。  
触れ合うたびに音を立てる髪の毛の音だけがする。  
不知火は茉莉花の腰に腕を回し、軽々と抱え上げた。彼女が驚いたような気配が感じられ、肩に柔らかい重さが掛かる。  
無性に可笑しくて、そのまま何度もぐるぐると回った。  
「俺の旋回は一流だ!」  
首に巻きつく茉莉花の腕。  
恐らく彼女が声を発することができたなら、悲鳴を上げているだろう。  
錐揉みをしながら、乱れ舞う茉莉花の髪の香りを嗅ぐ。  
今では曲芸飛行ができるものも少なくなった。  
そしてたとえ操縦士の技量があっても、以前のように曲芸飛行に耐えうる飛行機は少なくなりつつある。  
布団の上に茉莉花を降ろした。  
優雅な黒髪が布団に落ちる。不知火は笑った。茉莉花も笑っている。  
そのまま彼女の顔の横に手を付く。  
裾の捲れたスカートに思わず目が行った。大腿の中ほどまでずり上がっている。  
両肩から落ちた紐、膨らみを危うく隠す布。  
胸の合間に暗がりが淀んでいる。  
額を重ね、唇を重ねた。上唇を甘噛みする。胸元へと落ちていく不知火の手が襟に滑り込んだ。  
 
 
船には神が宿るという。  
それは船魂(ふなだま)と呼ばれ、船乗りに広く認知され、祀られている。  
海や山は神そのもので、その前に人間はあまりに無力だ。  
そしてまた時に、自らが作り出した物に、神が存在することを日本人は知る。  
 
 
柔らかな膨らみを探る手は、滑らかな生地のワンピースを下ろしていく。  
丁寧に舐った茉莉花の唇から短く息が漏れた。  
「――っ・・・」  
声を出せない茉莉花の喘ぎは苦しそうだ。  
彼女の吐息を舌先に感じながら、さらに奥へと舌を差し入れる。  
滑らかな口蓋を、唾液を絡めながら撫でた。  
舌先を絡めながら、二人の境目は溶けていく。茉莉花の腕が蛇のように不知火の背中に絡んだ。  
大きなまろみを捏ね上げ、その頂点を指先で挟む。  
電流が流れたように、びくりと茉莉花は身体を震わせた。  
淡い光と、波の音だけが部屋に流れ込んで来る。  
ざらついた暗闇の中、茉莉花の身体の翳りだけが滑らかだった。  
露出した乳房は質量を持ってずしりとしている。  
揉み上げるたびにふるふるとそれは揺れた。  
重たそうな瞼を持ち上げて不知火を見る茉莉花の目は、清廉さの奥に隠した官能を洩らしている。  
「はぁっ・・・」  
唇を離し、鎖骨を吸うと、白い身体が吐息と一緒に波打った。  
着衣の乱れた様は全裸よりもかえって扇情的だ。  
ぴったりとしたスカートを、撫でるように腰まで捲くり上げる。不知火の厚い舌は鎖骨から胸元へと降りていく。  
唾液の航跡が清い白の上に残った。  
「・・・すまない」  
溺れながら、不知火はポツリと謝る。  
濃い桜色の頂を口に含むと、茉莉花が顔を仰け反らせたのが分かった。  
舌先でちろちろと蕾を刺激しながら、大腿の内側を何度もさする。  
愛撫を増すごとに、びくん、と身体の反応も激しくなっていく。彼女のとろんとした目は、涙をいっぱいに孕んでいた。  
身体を起こし、茉莉花の脚の間に割って入った。  
大腿を持ち上げる。白い下着を露にしたあられもない姿はこの上なく刺激的だ。  
肉付きのしっかりした腿は日の光に当たった事がないのかというほど透き通り、生々しい。  
茉莉花は仰向けの姿勢で、肘を着いて身体を起こしている。  
日の出ている時間の茉莉花と、夜の彼女は全く違う女に見えた。  
飛行服のボタンを外しながら、一瞬不知火は不意に蘇った記憶に引き戻される。  
 
 
燃料タンク、右翼のエンジンも被弾していた。  
黒々とうねる海は広く、友軍の基地は果てしなく遠かった。  
米軍機の追撃は振り切ったものの、着陸できる飛行場はどこにもなかったのだ。  
 
 
飛行服の上着を脱ぎ捨て、シャツのボタンを外そうとして不知火は、不意に衝撃に襲われた。  
タックルに似た衝撃に、膝で立っていた不知火はバランスを崩して後ろに倒れる。  
畳の上に倒れこんだ不知火に、質量を持った白が覆いかぶさった。  
「!」  
不知火を突き飛ばした茉莉花が、彼に跨っている。  
それを理解するまでに、不知火には3秒ほど必要だった。  
ぞくりとする凄艶な笑みを浮かべた女は、彼のシャツのボタンをじらすように指先で除いていく。  
「・・・おい!」  
見下ろすように不知火を見据えた茉莉花は、彼の制止など聞いていない。  
またぐらの上に乗った彼女に、今までとは比べ物にならぬ速さで男が反応していくのが分かる。  
言葉など、彼女には要らない。  
シャツを開き、茉莉花は愛おしそうに厚い胸板を撫でた。  
そうして服越しの硬いモノに下着を擦り付け、ふるふると睫を震わせる。  
胸をこぼしたまま責めるその姿に、不知火の男の反応はいきり立った。  
「ま、り、か」  
不知火はたまらずその名を呼ぶ。  
腰を浮かせた茉莉花の手がベルトに掛かり、ズボンのボタンを外す。  
紅潮した顔は、のぼせたような表情を貼り付けていた。  
開け放たれたズボンのボタンから、冷たい空気が下着の中に流れ込んで来る。  
屹立したそれをむき出しにして、茉莉花は何かを伝えようとぱくぱく口を動かした。  
「ま・っ・て・た・・・待ってた?」  
こく、と茉莉花は頷く。  
何を待っていたのか。こうして交わるのを待っていた、というのだろうか。  
茉莉花をぐいと引き寄せ、胸の上に降る髪の毛の感触を楽しむ。  
ふるふるとした膨らみが、不知火の胸板に押し付けられた。  
今度は茉莉花から、不知火の唇を奪う。  
 
 
斜め銃。紆余曲折を経て採用された装備だった。  
そもそも、機体の開発経緯自体が紆余曲折である。  
双発戦闘機として開発され、  
戦場の変化と共に、その価値を失い偵察機となり、  
斜め銃の採用と共に、爆撃機の邀撃を主とする夜間戦闘機となった。  
 
 
茉莉花の口付けは情熱的だった。  
愛撫されながら、下唇を吸い、不知火の舌を挟み、吸い、絡ませる。  
「ふは・・・っ」  
茉莉花の重みも、キスの激しさも、愛おしい。  
髪の毛を掻き分け、片手で茉莉花の頭を抱き、片手でふくよかな尻を撫でる。  
下着を降ろしながら、柔らかく白い尻をもみしだく。  
恋人と呼ぶには親密すぎる。  
そして、友人というには知りすぎている。  
「こんな終わらせ方で、すまない」  
不知火は、呻きながら謝る。  
一瞬唇を離した茉莉花が、息を詰まらせたのが分かった。  
彼女の目から溢れ出した涙が頬を伝い、不知火の頬に落ちる。  
とろとろとした蜜のような秘部が、膨張した肉茎に触れた。  
「ッ!」  
女が熱っぽく息を吐いた。  
仰け反らせた顎、白い首が月光に艶かしく光る。  
茉莉花は躊躇せず肉を沈めた。ふわふわした肉の摩擦が不知火を包んだ。  
「は、ぁぁ、ーーっ」  
声なき喘ぎ声を漏らす茉莉花の、苦痛に耐えるような表情。  
黒髪のさらさらした流れが不知火の頬を撫でる。  
粘膜のぬるぬるした温かい感触を怒張に感じながら、身体を密着させた。  
胸のぷるぷるした感触、小さな突起が押し付けられている。  
泣き顔で、必死に唇の両端を吊り上げ、かぶりを振った茉莉花の表情。  
両手でそっと不知火の顔を撫で、腰を動かすたびに瞼を震わせる。  
 
 
その名は「月光」  
美しいその名通り、偵察、夜間の邀撃を主な任務とした。  
べったりとした暗緑色ではなく、銀色の光り輝く機体であったならばもっと美しかっただろう。  
雲海の朝焼けの中、操縦席から見る翼は、虹色の光に包まれた神の翼。  
正月には、お神酒とバナナを供えて祝った。  
B-17を邀撃した夜、硬い月の光に縁取られた滑らかな曲線。  
南洋の島の滑走路に佇んだその機体は、えもいわれぬ優雅な曲線美を持っていた。  
昼の月光よりも、冷たい月の光の中に佇む機体はやはり美しかったと思う。  
零戦や雷電、紫電改といった名だたる戦闘機の、エッヂの鋭さを持った機体とは違う。  
両翼の二つのエンジン、優雅な広く大きな翼。  
細くすらりとしたシルエット。  
機動性や切れ味といったものには欠けるが、不知火はその機体が単純に好きだった。  
南洋から叩きだされ、やがて爆弾を搭載した戦闘機が敵艦に突っ込むようになって、不知火は恐れた。  
体当たり攻撃では、あまりに機体が可哀想だ。  
人機一体、技量と機銃の闘いこそが本懐のはずだった。  
最後まで全うな戦闘機として飛ばしてやりたい。  
それが、一度も故障も反抗せずに死線を潜り抜けてきた機体への思いだった。  
たとえ戦争に、負けるとしても。  
 
 
「あ、ぁ・・・茉莉花、茉莉花」  
腰を強く押し付けると、茉莉花の大腿が、鍛えられた不知火の腰を強く挟んだ。  
ぐちゅ、と音がして深く楔が食い込む。五分刈りの頭に、白い指が埋まった。  
とろりとした半目で茉莉花は不知火を見据える。  
不知火は細い肩を撫で下ろした。骨の浮いた痩せた肩だった。  
結合を深める度に、あふれ出す蜜がくちゅ、くちゅと音を立てる。  
唾液に濡れた肉色の唇が戦慄いた。  
茉莉花は泣いていた。泣きながら揺さぶられていた。  
はっ、はっ、はっ、と耐え切れず漏れる息だけが間近に聞こえる。  
電流に打たれたかのようにびくびくと身体をしならせ、不知火の身体にしがみついていた。  
生き物のように揺れる黒髪ごと茉莉花を愛撫し、不知火は何度も肉壷に自身を穿つ。  
「うっ、ああっ、ぁっ」  
隘路の絞るような締まりに思わず呻きが漏れた。  
濃くなる甘い優しい香り。  
――月光の香り。  
激しくなる蠕動に、茉莉花は背を逸らせる。白い乳がたぷたぷと揺れる。  
捲り上げられたスカートの下で動く結合部から、どろどろの生温い液体が溢れた。  
ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ  
 
白銀の光の下、淫靡な裸体が浮かび上がる。  
キツイのに柔らかい、搾り取るような粘膜に怒張は硬度を増す。  
腹に手を置き、髪を振り乱しながら茉莉花は沈み込んでいた。  
ピストン運動は激しさを増していく。  
「―――っ、はっ、――ッ」  
虚しく彼女が無音の叫びを紡ぐのが聞こえた。  
しごくように上下に動く茉莉花の腰を突き上げる。魚のように激しく跳ねる不知火の臀部に愛液が伝った。  
「ま、りっ、かっ」  
舌を出すほど激しい快感に襲われながら、不知火は何度もその名を呼んだ。  
「ハッ、ハッ、ハッ、ッ」  
返事はない、激しい二人の息遣いだけが絡み合う。  
頷く余裕も失った彼女は、幾粒も涙を流しながら不知火を見る。  
悦楽の表情の中に、深い悲しみを潜ませて。  
「・・・・」  
悲しみを忘れようとするかのように、また幾度深く沈みこむ茉莉花。  
激しいピストン運動が不知火の余力を瞬く間に奪っていく。  
目の前が霞み、血潮の流れる音がザーと聞こえた。  
締め上げる膣口、柔らかく潰れてぶつかる尻、目の前で揺れる豊満な身体。  
こみ上げる射精感が怒張を内部から圧迫していく。  
「う、はあ、ああ、っ!」  
全身の血液と快感が一箇所に吸い取られていくかのようだ。  
今までどの女からも得られなかった快楽に、目の前が白くスパークする。  
「―――り、か」  
ぎゅっと顔を俯かせた茉莉花の膣に、熱い潮が流れ込んだ。  
その瞬間、ひくひくと瞬きをした彼女が、その後静かに瞼を閉じた。  
 
 
フィリピンではサンパギータと呼ばれるジャスミン――つまり日本で茉莉花といわれるそれは、月光の下で花開く。  
まだフィリピンの制空権、制海権を日本が握っていた頃、不知火は白い可憐な花を摘み取った。  
夜の空気に妖艶な香りが混じった。  
ポケットに挿したそれを、一輪操縦席の計器に飾ったのを覚えている。  
風防ガラス越しに満月が掛かっていた。  
蒸し暑いが、静かな夜だった。見知らぬ南洋の波の音が響いた。  
 
 
――茉莉花。  
 
不知火少尉と蛍田1飛曹のペアが搭乗した月光は、瀕死の状態で太平洋上を飛んでいた。  
到底友軍基地まではたどり着けないだろう。片肺飛行の上、燃料タンクをやられていた。  
しかし暗い洋上では、着水も相当な危険を伴う。  
一か八か。  
暗闇に浮かぶ島の、浅瀬へのアプローチ。  
それが不知火の決断だった。  
懸命に飛び続けているかのような月光を、三日月の細い光が照らす。  
 
――フィリピンで俺がお前にジャスミンを飾ったことを、覚えていてくれたのか。  
 
よく覚えていない。強引なアプローチだった。  
目の前ががくんと揺れて、強い衝撃と共に意識が途切れた。  
蛍田の悲鳴が遠のいた。  
 
――おれは、いい搭乗員だったのだろうか。  
 
 
花々が青白い燐光を放っていた。  
夜の黒い森を背にして、あの古い社が立っている。  
4畳半も無い様な、小さな社だ。  
ジャスミンの花に囲まれた鳥居と社の前に、茉莉花が立っていた。  
優しい香り。胸に迫る月光の切ない香り。  
黒髪を波打たせながら花の中に立つその姿。  
白っぽく光る肌、わずかにふわふわと動くワンピースは月の光のように優しい。  
不知火は、ただ黙って立ち尽くしていた。  
慈母のように優しい笑みを浮かべた茉莉花は、耳にジャスミンの花を飾っている。  
ありがとう。  
茉莉花がそう言ったのが分かった。  
「・・・茉莉花」  
人機一体。もしもそれが言葉通りならば、友人でも恋人でもない。  
俺とお前は一体だった。  
不知火はそう思う。  
 
「こんな終わり方で、済まない」  
熱いものが溢れて、思わず不知火は目頭を押さえる。  
何度も繰り返した謝罪の言葉、  
少しだけ頭を振った茉莉花は、はっきりと、口を動かした。  
 
さようなら。  
 
不意に強く風が吹く。  
ざぁっ、とジャスミンの花が揺れた。  
天を仰いだ茉莉花を蒼い燐光が包む。  
鳥居の下、白い花びらが舞い、燐火のように茉莉花が燃えていく。  
 
一瞬眩いばかりに青白く輝いた燐火は、蛍のように散って沈んでいった。  
 
 
船魂、というのがあるのだとすれば、  
月光に精霊が宿らないとは誰が言い切れるだろう。  
 
 
「不知火少尉、大丈夫でありますか」  
漁船の発動機に、蛍田の声が混じる。  
霞んだ目に明けたての青い空が染みた。  
山男のような髭面をした蛍田が、不知火を覗き込んでいた。  
「貴様か、・・・蛍田」  
甲板には生臭い臭いが充満している。  
重い頭を起こした。  
「・・・大丈夫だ」  
額を切ったらしく、流れた血が顔中に固まっている。  
「少尉は頭を怪我されております。まだ寝ておられたほうが」  
容態を心配する蛍田が続ける。  
・・・それに、意識がない間、随分唸られていました。  
「いい」  
制止を振り切って不知火は身を起こす。  
不時着水して浅瀬に乗り上げた地点に、地元の漁民が救助しにしてくれたらしい。  
まだ100メートルも離れていない小さな島。  
翼まで浸水し、明るい水面で光を受けて輝いている月光が、尾翼をこちらに向けていた。  
その向こうには、小さな山の麓、あの社と鳥居が草原の中に立っている。  
 
月光は力尽き波間に沈んでも、なお美しい。風防が朝日にチカリと光った。  
息を引き取った愛機の最後の姿。  
不知火は、離れていく月光と、社をずっと見送った。  
 
茉莉花は海神になったのだろう。  
 

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