一方、逃げた振りをして様子を物陰から窺っていた三人は
桃太郎が倒されたのを見て今度こそ本当に逃げ出しました。
正確には飛び出そうとした犬姫を担いで猿と雉姐が逃げ出しました。
「んぐぅー!んー!」
口を抑えられている犬姫の唸り声を聞きながら二人は走りました。
どこに向かっているかも分からず不安が心に浮かばないように只がむしゃらに走ります。
走りに走り、喧騒の音が聞こえなくなった所で猿達はようやく足を止めました。
「もういい加減泣き止んでくれよ」
まだ泣きじゃくっている犬姫に猿が声をかけました。
「ひっく・・ひっく・・」
しかし犬姫は嗚咽を漏らすばかりで何も返事をしません。
「なぁ・・」
「ももっ・・たろ・・さん・・っがぁ・・・」
自分で歩かせようと降ろしても犬姫は泣きじゃくっているばかりです。
仕方なく猿がもう一度慰めようと口を開いた瞬間、犬姫のほほがパシンと打たれました。
「桃太郎さんを信じなさい!」
雉姐は犬姫を叩いた手を降ろしもせず、続けて犬姫に啖呵を切りました。
犬姫は突然の衝撃にただ呆然としています。
「き、雉姐ェ・・」
突然の事に驚き猿は戸惑うばかりです。
「あのぐらいで死ぬ人じゃないでしょ!
後で助けるにしても桃太郎さんが帰ってくるにしても
今、私たちが捕まるわけにはいかないのよ!」
おろおろする猿の心配を余所に犬姫は袖でごしごしと顔を拭き涙をぬぐいました。
「・・・うん、ごめんさい」
その瞳に光が戻った事を認め雉姐は犬姫を抱きしめました。
「ああ! 可愛いわぁ〜ほんとにもう食べちゃいたい」
「雉姐、今それどころじゃないから後にして」
猿もそう言いつつほっと安堵のため息を吐きました。
走り続けていた猿達が鬼たちがいないか辺りを窺っていると
路地に面した裏戸を開けてだらしない格好をした男が現れました。
「へへ、お嬢ちゃん達かくまってやろうか」
言葉はまるで親切で言っているみたいですが
そのにやけた顔をみれば何を考えているかは一目瞭然です。
「おれは親切者だからさ、ここ俺んちだし入りなよ」
「邪魔だ!どけよ!」
「女の子がそんな事いっちゃいけないよお?」
男は下卑た笑みを浮べたまま手を伸ばしてきます。
「このぉっ!」
犬姫に触ろうとした男に猿が殴りかかり―
男は崩れ落ちました。
「?」
拳に何の衝撃も無かったのに男は倒れて声も出ない様子で悶絶しています。
猿は戸惑い、視線を下にやって気が付きました。
ほっそりとした美しい足の先が男の股間にめり込んでいたのです。
「雉姐・・!」
「こんな奴にかまってられませんもの」
雉姐は汗ばんだ顔で優美な笑みを浮かべました。
「さあ走りますわよ!」
その言葉が雉姐の口から放れた時、三人はもうすでに走り始めていました。
三人はどれほど走ったのでしょうか。
鬼を避け男を避け都の中を走り倒しました。
旅籠の方にはもう手が回っていて荷物は取れませんでしたが
幸いにも鬼は足は速くないようで今のところは上手く逃げおおせてます。
そして一刻ほど逃げまわったあげく三人は元いた大通りに戻ってきました。
桃太郎が気になった事と逆にここの方が安全ではないかと思ったからです。
「やっぱりもう誰もいないな・・・桃太郎さんも・・」
「やっぱりあいつらに連れて行かれたのかしら?」
「あいつらの話じゃ殺す気はなさそうだったから大丈夫だと思うけど・・・」
路地から顔だけを出して辺りを窺います。
すると一人の娘が佇んでいるのが目に入りました。
「あの娘は・・・」
「あれ、ももたろさんが助けた子だよ」
「・・・俺話し掛けてくる」
そう言って猿はなるべく人目につかないようにこっそりと娘に近づきました。
「なあ、あんたちょっといいか?」
「ひっ!」
娘は足音を消して近づいた猿に驚き小さな悲鳴をあげましたが
声の主を見ると安堵のため息を吐きました。
「なあ、桃太郎さん・・・あんたを助けた侍は桃太郎さんって言うんだけど
あの人がどうなったか分かるか?」
猿がひそひそと囁くと娘はきょろきょろと辺りを見渡し頷きました。
「あの、あの方のお連れさん・・ですよね?
鬼兵隊に見つかったらいけないからあたしのうちまで来てください」
そう言って娘は小走りで犬姫達のいるのとは違う路地へと入っていきます。
猿は少し考えた後、犬姫達を手招きして娘を追いました。
「それで桃太郎さんは?」
小さな家に遠慮なしに上がりこむと、三人は待ちきれずに問い質しました。
「あの人は鬼ヶ島に連れていかれました・・・」
「鬼ヶ島!」
雉姐が驚きの声を出します。
「あれか・・でも、場所さえわかればこっちのもんだ。
助けにいけるかも・・」
「無理です! 助けに行くなんてできっこありません!
お堀には橋もかけてないから船でしか行き来できないし
あの中には鬼兵隊が沢山いるんですよ!?」
即座に出された娘の言葉に猿も声を詰まらせます。
「・・・あらら、困ったわね」
呑気な言葉ではありますが雉姐の声にはいつもの余裕がありません。
「でもどっかないの?
秘密の抜け穴みたいな・・」
「そんなのあったとしても知らないです・・・」
「・・・そりゃそうか」
ほんの少しの静寂を挟んで猿が言葉を投げかけました。
「・・・なあ、今まで連れて行かれた奴っているのか?」
「いいえ。
普通、逆らったりしたらその場で殺されます。
連れて行かれるなんて初めて見ました。
鬼を倒した人も初めてですけど・・・」
「どうするつもりなんだろな・・・」
猿が黙ってしまうと犬姫が不安げな顔で覗き込みました。
「で、でも、ももたろさんは平気だよ!
強いし格好良いし優しいし・・・素敵だし・・・良い匂いするし・・・」
言葉に涙が滲み出すと雉姐が犬姫を抱きしめました。
「そうね・・きっと大丈夫、大丈夫よ」
静かな室内に雉姐の安い慰めの言葉だけが木霊していました。
一方、鬼ヶ島の中に連れて行かれた桃太郎はというと―
「おい、起きろ」
「う・・・」
冷たい水が桃太郎にざぶりとかけられます。
目を覚ました桃太郎の前にぼんやりと視界が広がっていきます。
といっても目の前に鬼どもが立っていたので大した事はわかりません。
どこかの狭い部屋に鬼が三匹もいるという事と自分が縛られていて動けない事ぐらいです。
「お館様、起きたみたいです!」
目の前の鬼が壁に張り付き声を張り上げました。
「うむ」
短い返事が聞こえお館様と呼ばれた男が戸すらない部屋に入ってきました。
黄色に黒の縞々という気違いじみた着物を着ていますが
その身体的にはとりたてて特徴の無い地味な中年男です。
強いて特徴を挙げれば背が高めなぐらいでしょうか。
「ワシの部下を二十も殺してくれたそうだな。
全く大した者だ」
口調は偉そうですが声は妙に甲高く威厳が余りありません。
それが服装と相まって桃太郎はにやけてしまいます。
「何がおかしい!?」
「格好が」
桃太郎の素直すぎる答えにお館様の顔に血が上ります。
「ハッ!」
男の表情が変わると短い返事をした鬼達が駆け寄ってきて桃太郎を殴り始めました。
手足を縛られていては桃太郎といえど何も抵抗できません。
しかし、そんな中でも桃太郎はじっと観察していました。
(こいつ、言葉無しで命令している・・・?)
桃太郎の疑問に答えるかのように、鬼達は突然返事をして殴るのを止めました。
「しかし、異常に丈夫な奴だのう。
どうだ、ワシに仕えぬか。
そすすれば部下を殺した事を忘れてやっても良いぞ」
「・・・私は誰にも仕える気などない。
特にお前のような貧相な奴にはな・・・」
桃太郎は体中が痛む中、声を振り絞りました。
その言葉に顔を歪めたお館様でしたがすぐに口を大きく開けました。
「そのような格好でワシをくさしよるか!
ワハハハハハ!!」
鬼たちもお館様の笑いに追従笑いしています。
「ふっ・・明日になればお前の方から泣きついてこよう。
ここから逃げ出す事など出来んのだからな!
ワハハハハハハハ」
少々無理のある大きな笑い声を残しお館様は部屋から出て行ってしまいました。
その後ろ姿を見ながら桃太郎は鬼達とお館様の関係について思考をめぐらせるのでした。
犬姫・猿・雉姐の三人は娘の家にいまだ留まっていました。
「一辺が二百間近くあって、お堀の淵から真中の館まで八十間ほど。
橋はなくて、船でしか出入り出来ない上に小船しか無いから荷にまぎれるのも無理。
お堀から二十間は家も木も無く、お堀の四つ角には見張りが立ってる」
娘から聞いた鬼ヶ島の情報を繰り返しつぶやく猿は唸りました。
ここに乗り込んで桃太郎を救出する。
どう考えても無理そうです。
「うーん・・・ふね、ふね、ふね・・・
この船じゃないと出入りできないってのが厄介なんだよなぁ。
ばれずに渡るなんてできっこないし・・・」
「じゃあじゃあどうすんの?」
「それを考えてるんだって」
大抵の案は出尽くしただろうと思うほど考えたのですが
有効そうな策は一つとしてありません。
三人がかりでも一匹の鬼も倒せないだろう戦力で鬼ヶ島へ乗り込んで桃太郎を助ける。
どう考えても出来そうにないのです。
「じゃあじゃあ、泳いでいったらどうかな?
ボク泳ぎ得意だよ」
「泳いでいくなんて悠長な事してたら見張りに見つかるだろ」
「魚の真似なんかしたくありませんわ」
こんな風に鬼ヶ島に渡る方法すら見つからないのです。
「見張りなんか立てて用心深いわねぇ・・・
この都の支配者とか言ってるくせに小心者だわ」
「本当だよなあ・・・」
三人が顔をつき合わせて文句を垂れているとガラガラと戸が開きました。
この家の娘です。
「結局何もお触れは無かったわ」
娘の言葉に三人から安堵のため息が漏れました。
解放したなんていうお触れがあり得ない以上、何も言ってこない方が遥かに希望が持てるのです。
「でも、無理ですよ・・・鬼兵隊の奴等はまだあなた達を探してうろついてるんですよ。
こんな状況で助けに行くなんて・・・」
「そうだな・・・確かにどうやって助けに行けばいいのか・・・」
猿が弱きな事を呟くと犬姫がキッと睨みつけました。
「助けにいこう!」
そう叫びましたが返事はありません。
「助けにいこうよ!」
もう一度犬姫が叫びます。
「そりゃ助けにいくさ・・いくけど・・」
「ねえ、お願い!いこう!助けにいこうよ!」
「だからどうやって助けんだよ!」
猿が思わず怒鳴ってしまうと犬姫の大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ始めました。
「犬姫・・・」
犬姫は涙が溢れてくる顔を下げると、手を、頭を、畳にこすりつけました。
「おねがい・・っ・・たすけ・・て・・たすけてよぉ・・・」
土下座したまま泣き始めた犬姫を雉姐が抱きしめます。
「助けに行くわよ。
今、ちょっと方法を探してるだけだから、ね?」
慰めながら雉姐はどさくさに紛れて犬姫のお尻を撫でています。
その光景を見ていた猿は桃太郎の事を思い出しました。
(いつもこんぐらいの時間になると圧し掛かって来るんだよな・・・)
身体をまさぐる手の動きまでも思い出してしまい、不覚にも少し体が熱くなってしまいます。
不意に猿の身体が凍りました。
「・・・待てよ・・・あの時みたいにすれば・・・」
目の輝きが顔に広がると犬姫と雉姐も猿の様子に気がつき顔を上げました。
「助けられる・・!」
猿の脳裏に閃いたのは、お漏らしした日の桃太郎の言葉でした。
再び桃太郎が目が覚めた時、既に空は暗く星が輝いていました。
桃太郎の閉じ込められている部屋は二辺が廊下で二辺が格子、
その上屋根がまでも格子になっている変な造りです。
四角に区切られた外の様子を窺うと黒い水面がキラキラと光っているのが見えます。
(この部屋は館の端にあるのか)
恐らく、ただ閉じ込めるだけの部屋ではなく
外気に晒す事で中にいる者を衰弱させる為の部屋なのだと思われます。
夜は夜風の冷たさに晒し昼は日の光に焼くつもりでしょう。
何となく状況を把握すると桃太郎は立ち上がりました。
腕は後ろ手に縛られたままですが足は自由が利くようです。
「ふん!」
桃太郎は力任せに格子を蹴りました。
少しグラグラと揺れましたがさすがに壊れてはくれません。
「おい!大人しくしてろ!」
一人格子の前に立っていた見張りの男が怒鳴ります。
それで桃太郎は仕方なしに座りました。
(あの三人は無事だろうか)
手持ち無沙汰になるとすぐに彼女達の顔が浮かんできました。
ただ顔を空に並べるだけで胸がざわつきます。
苦しさやせつなさを混ぜたようなもの。
己の馬鹿さに呆れ怒りたくなるようなもの。
様々な感情が去来し桃太郎は歯を食いしばりました。
腹から煮えたぎるような思いが噛み潰して堪えます。
彼女達を危険に巻き込んでおきながら己を殴りつける事すら出来ないのです。
(ここで・・ここで死ぬわけにはいかん。
詫びもせずに死ねるか!)
そう思うと不思議と身体から力が漲ってきました。
少し眠ったからでしょうか、痛みもほとんどありません。
格子の前にいる見張りが一人だけだという事を視認すると
桃太郎は脱出する方法について思案し始めました
「まず最初は小船に乗る」
猿は真剣な顔で二人を見ると畳に空絵を書き始めました。
「見張りで歩いてる奴等の間隔は結構空いてるから走れば問題無く乗れると思う。
すぐに見つかって追いかけてくるか鬼ヶ島の中に知らせるかするだろうけどね。
だから、追いかけてこられないように乗らない小船も縄を切って湖に流す」
「うんうん」
「中から出てこられても湖の上ならそんな怖くない。
どうせ捕まったら終わりなんだから捕まりにくい船同士の方が楽だ」
船同士なら捕まりにくいという猿の言葉はもちろん出鱈目です。
何しろ猿は船なんて乗った事ありません。
そう言った方が二人が安心して行動できると思ったのです。
「そんで鬼ヶ島まで近づいたら一つしかないという出入り口に放火する。
その混乱に乗じて館に入り込み桃太郎さんを探す。
以上」
猿が言葉を終えると二人より先に娘の方が口を開きました。
「帰りは・・?」
「桃太郎さんに立ちはだかる鬼を倒してもらう」
「そんな!見つけられなかったらどうするんです!?」
娘が叫ぶように言葉を出すと三人は顔を見合わせ少し微笑みました。
「ふふ、初めて会った日からわたくしは桃太郎さんのものですの。
命をかけるぐらいどうって事ありませんわ」
「困った人だけどいないとつまんねえしさ。
責任はとって貰わないと」
「責任・・・?」
娘が怪訝な顔をすると猿はしまったという顔で口篭もりました。
「ま、まあ、あれだよ、その・・・色々と恩人だったりするからさ
助けっぱなしで死なれたく無いって事」
「・・・・・・」
「ももたろさんに会えなくなったら死んじゃうのと一緒だもん」
娘が言葉を失うと三人は立ち上がりました。
「ねえ、名前なんて言うの?」
「さき・・です」
「さきちゃん、色々用意してもらってありがとね」
そう言うと三人は娘の家を後にするのでした。