「それでは、こちらに署名捺印を願います」
院長先生は差し出された書類の保護者欄に名前を書いて印鑑を押した。
書類には何だか分からないけど難しい事がたくさん書かれている。
「それでは、今日から私どもの大学病院で責任をもって菜穂ちゃんの治療をさせて頂きます」
目の前に座っているのは、大きい病院から来たという2人の男の人と女の人だ。
女の人が書類を確認しながら言った。
「それじゃあ、菜穂ちゃん。支度してきなさい」
院長先生は私に冷たく言う。
「はい・・」
私は小さく返事をすると2階にある自分の部屋に向かった。
階段を登っていると下から院長先生の笑い声が聞こえてきた。
いつ聞いても気持ちの悪い低い声だった。
でも・・今日からは当分聞くこともないだろう・・。
今日からは私は入院するらしいからだ。
1ヶ月前に私は○学校の卒業記念に両親と車で旅行に出掛けた。
でも、途中で交通事故にあって両親は死んでしまった・・・。
奇跡的に一人だけ軽症ですんだ私はこの孤児院に引き取られることになったのだ。
そして事故の傷もすっかり治り、悲しみもいくらか薄れてきて
進学する○学校へ他の同級生にちょっと遅れて初登校しようとしていたときだった。
私は院長先生に連れられて病院に行った。
学校に通いだす前にもう一度、精密検査をしておいたほうが良いからということだった。
でも、検査結果で私は異常が見つかった。
なんだかよく分からないけど難しい病名で心の病気らしい・・・。
事故の影響によるものだって聞かされた。
自分ではよく分からないけど病院の偉い先生が言うのだからそうなんだろう・・・。
自分の部屋に入って身支度を始めた。
とは言っても、ここにはたいした荷物は持ってきてなかった。
ほんの身の回りの勉強道具と私服、
それと両親に買ってもらった新品の通学カバンと制服くらいだ。
教科書は入学式に出れなかったのでまだもらってない。
下着類と私服の着替えを小さいバックに詰め込む。
そして私は真新しい学校の制服に着替えた。
せめてこの制服を着て出掛けてみたかったのだ。
残念ながら行き先は学校ではなく病院だけど・・・。
でも院長先生もすぐに良くなって学校に通えるって言ってたから少しの辛抱だと思う。
院長先生の部屋に戻ると私の制服を見て病院から来た女の人が声を掛けてきた。
「あら、可愛らしいわね」
「フフ・・・でも、まだちょっとサイズが大きいわね」
たしかに制服がまだ大きくて袖はからは指の先がちょこんと出る程度だった。
スカートも本当は短めのデザインのはずなのに膝が完全に隠れてしまってる。
「じゃあ、行きましょうか」
男の人に促されて私は外に出た。
孤児院の前には黒い車が待っていた。
私はその後ろの席に男の人と女の人に挟まれるようにして乗った。
車は病院に向かって走り出した。
しばらくすると隣に座る男の人が女の人に話しかけた。
「ふん・・あの院長、また謝礼を吊り上げてきましたよ」
「まったく欲の皮が突っ張った奴ですね」
「ふふ・・まあ、いいじゃないの」
「おかげで私たちはこうやって合法的に入手できるわけなんだし」
「それもそうですね・・」
そう言って男の人は横目でこっちを見た。
冷たい眼だった・・。
私には何の話をしているのか分からなかったけど不安な気持ちになった。
「ほら、田尾くんが変な話するから菜穂ちゃんが怖がってるわよ」
「大丈夫よ、菜穂ちゃんは何の心配もいらないから」
「あ、自己紹介がまだだったわね」
「私は蛭田よ、そっちの男の人が田尾くん」
「よろしくね」
怯える私を見て女の人が優しく話しかけてきた。
「よ・・よろしくお願いします・・」
私はおどおどしながら答えた。
車は1時間ほど走ると大きい大学病院の門をくぐった。
門の中の敷地はすごく広い。
一般外来の駐車場を通り抜け、さらに奥へと走っていく。
建物の入り口の前に停まると車から降りるように言われた。
私はバックを持って外へ出た。
蛭田さんと田尾さんに連れられて病院の建物に入る。
中は受付ロビーが広がっており、外来患者の人がたくさんいた。
私は2人に促されてその前を通り過ぎていく。
子供連れの親子を見ると、どうしても自分の両親のことを思い出して辛い気持ちになった。
騒がしい受付ロビーを抜けて、建物の奥へ廊下を歩いていく。
だんだんとまわりは静かになって3人の足音が響く。
エレベーターに乗って3階へ上がり、そこからまた渡り廊下を歩いて別の病棟に行く。
すごく大きい病院だ・・・今までこんな病院へは来たことない。
やっと目的の部屋に着いたらしい。
中に入ると、メガネをかけて頭の禿げた小太りの男の人と年配の看護士がいた。
「吉良先生、ただいま戻りました」
「こちらが瑞木菜穂ちゃんです」
蛭田さんがその人に私を紹介した。
「は・・はじめまして、よろしくお願いします・・」
私はその人に挨拶した。
「ようこそ、瑞木菜穂ちゃん」
「私がこの病棟の責任者の吉良です」
「それじゃあ簡単にここについて説明するからよく聞いてなさい」
吉良先生は書類を出して私の前に並べた。
「今回、菜穂ちゃんは学用患者で入院することになります」
「学用患者・・?」
私は聞き慣れない言葉を訊き返した。
「そうよ、菜穂ちゃんを治療するのと同時に私たちも勉強させてもらうってことよ」
「そのかわり入院費や治療費は一切掛からないの」
「菜穂ちゃんの場合はご両親があんなことになっちゃったからそのほうがいいと思うのよ」
「いいかしら?」
蛭田さんが説明した。
「わ・・わかりました・・」
お金のことなんて全く分からない私にはそう答えるしかなかった。
「で、君の病気なんだが・・」
吉良先生は何だか分からない難しい病名をたくさん言った。
自分では全然病気だっていう自覚がないけど、心の病気はそういうものなのかなあ・・って思った。
「というわけで、君には隔離治療が必要です」
「今日からここで病気が治るまで入院してもらうから、そのつもりで」
吉良先生は説明を終えた。
ほとんど意味が分からなかったけど、自分が思っていたより私の病気が深刻で
当分の間は帰れそうにないことは分かった。
「それじゃあ、この後、入院時の身体検査があるから服を着替えてね」
看護士に連れられて隣の部屋に移った。
「脱いだ服と荷物はその籠の中に入れて、この服に着替えなさい」
そう言って看護士は私に薄いピンク色の服を渡した。
私はおずおずと初めて着たばかりの学校の制服を脱いで惜しむように大きな籠の中に入れた。
「あ、下着も脱いでね」
看護士が言った。
「え・・下着もですか?」
「そうよ、早くしなさい」
「はい・・」
いくら同性とはいえ、人前で本当に裸になるのは恥ずかしかった。
しかし逆らっても仕方がないのでブラジャーとショーツも脱いで籠に入れる。
「あらあら、そんな小さな胸じゃもともとブラジャーは必要ないじゃないの」
看護士がからかうように言う。
たしかに私の胸はまだやっと膨らみかけたばかりでブラジャーは
支えるというより隠すくらいにしか役立ってない。
私は恥ずかしくて真っ赤になり、急いで渡された服を着た。
服はワンピースで前をボタンでとめるようになっている。
形はまるで幼稚園児の服のようだ。
服の丈は短くて屈んだら中が見えてしまいそうだ。
ブラジャーもショーツも着けてないのでなんだかスースーした感じだった。
「それじゃ、菜穂ちゃん行きましょうか」
看護士に連れられて部屋を出ようとした時に制服と荷物が入った籠に書かれた文字が眼に入った。
(焼却処分・・・? え・・なんで?)
「あの・・・あれって?」
私はたまらず看護士に尋ねた。
「え? ああ・・・心配いらないわよ」
「とりあえず入れ物がなかったから使ってるだけだから」
「ちゃんと制服と荷物はこっち預かって退院するときに返してあげますよ」
「そ、そうなんですか・・・」
なんだか釈然としない気持ちであったが、それ以上訊くわけにもいかず看護士と部屋を出た。