ボーイッシュスレから流れてきました。  
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リストの一番下の『うめねた』の続きです。  
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 ひょっとしたらもう来ないのではないか――というウィリアムの懸念をよそに、ロザリーは翌日もグラッドの元に姿を現した。  
 だが、ほっと胸を撫で下ろすウィリアムとは対照的にグラッドの表情は渋い。  
 ロザリーは静かに剣を構え、その日一日中、ほとんど休憩も取らずにひたすらグラッドと切り合った。  
 その、ロザリーが今まで魅せた事の無い必死さに、自然グラッドの表情も真剣みを帯びる。  
 幼馴染を待っているのだ――とロザリーは言った。  
 グラッドはそんな口約束、と馬鹿にしたが、ロザリーにとってその約束がいかに大切か、いつしか理解するようになっていた。  
 そうか、そんなに大切な約束なれば、死ぬ気で守れ。  
 そう言ったグラッドの表情には、慈悲の欠片も無かったように思う。  
 グラッドが勝つだろうと、ウィリアムは確信していた。確信してきた。  
 だがここにきて、その確信がひどく揺らぐ。  
 グラッドが真剣にロザリーを鍛えれば鍛えるほど、ロザリーが必死に剣を振れば振るほどに、二人の差が縮まっていくのが目に見えるようだった。  
 
 その日、息を切らせ、汗だくになりながら交えた刃に、何の意味があったのかウィリアムには分からない。  
 だがロザリーが剣を落とし、地面に崩れ落ちた時――初めて、グラッドはロザリーに敬意の視線を向けた。  
 そして――その日以降、ロザリーはグラッドの元を訪れる事は無かった。  
 しかしグラッドはすでにその事は了承済みと言った様子で、ただ決闘の日まで淡々と、今まで決闘のために訓練などした事も無かったのに、一心不乱に剣を振り続けた。  
 
 時間は遅々として進まないようであり、飛ぶように過ぎるようであり、しかし一定の速度で規則正しく経過して行った。  
 ロサリーと顔を合わせなくなって、随分と経ったように思う。  
「強い相手と戦って――殺さずに勝つ方法を知ってるか?」  
 決闘前夜の食事時に、唐突にグラッドが切り出した。   
 グラッドは既に食事を終え、下品にもテーブルに両足を投げ出している。  
「いえ――存じません」  
 正直に答えると、く、くくく、とグラッドが喉を鳴らして笑った。  
「俺も知らねぇ」  
 げらげらと、とうとう喉を反らして笑い出したグラッドの瞳に、ウィリアムは戦場の狂気を見出して戦慄した。  
 聞かずにはいられない事がある。  
「閣下。貴方はロザリーを――」  
「腕の一本くらいなら――」  
 がたん、と大げさに音を鳴らして立ち上がる。  
「なくなったっていいやな」  
 それは、自分自身の腕の事か、それともあの、ロザリーの細く、可愛らしい腕の事か――。  
「明日は収穫祭だ。早めに寝とけよ」  
 たんたんと音を鳴らして階段を上がって行くグラッドの後姿に、ウィリアムはそれ以上何も問う事が出来なかった。  
 
 
***  
 
 
 決闘当日。  
 場所はジョエル邸の中庭に、全ての――誰一人余すことなく――村人が終結していた。  
 普段は決闘になど興味も示さないジョエルおよびその妻まで、手に手を取り合ってじっと固唾を呑んでいる。  
 介添え人もいない、小柄で、少年のようだが少女でしかないロザリーは、グラッドと対峙すると酷く弱々しく見える。  
「似合ってるじゃねぇか――そそるねぇ」  
 そう、グラッドが揶揄したロザリーの装いは、兵舎で傭兵が纏うような簡素で丈夫な皮製の服だった。  
 ロザリーがウィリアムに助言をもらって選んだ物である。  
「ロザリー! 無理だと思ったらすぐに降参するんだぞ! いいな!」  
 
 遠くでジョエルが緊張で上ずった声を上げる。  
 しかしロザリーは表情一つ変えずに、ひたとグラッドを見据えたまま動かなかった。  
 その腰の――美しい炎の刃。  
 フランベルジュ。  
「それが君の武器?」  
 ウィリアムの持つ重たそうなその剣は、鞘に収まっているため形状はわからなかった。  
 だが、粗野なグラッドがふるうには、やや繊細すぎるように見える。  
「知ってるかロズ」  
 初めて、ロザリーの冷静な表情が動いた。  
 ロズ――と、今、グラッドはそう呼んだか。  
 幼少期からの友も疎遠になり、最早誰も呼ぶことのなくなったその愛称を――。  
「その、フランベルジュの形状の理由だ――そいつは肉を抉り、組織を壊し、腱を絶ち、骨を抉る武器だ。綺麗だから――だからそれを選んだと言ったのを覚えてるか」  
 グラッドの暗い、奈落のような瞳の奥で地獄の業火が揺れている。  
 うやうやしくウィリアムが差し出したその剣。  
 鞘から抜き去られた美しく波打つ刃――フランベルジュ。  
「これが、戦場のフランベルジュだ。こんな剣を持つ奴にまともな奴はいねぇ。真性のサディストだよ。人を苦しめるための剣だ」  
 そんな物で婚約者を切るのか、と野次が上がったが、グラッドは意に介さず、ただ獲物を見るような目つきでロザリーを見た。  
 各が違う――と、一年前に思ったその瞳が、今ではそれ程恐ろしくない。  
 嬉しかった。  
 恐怖よりも歓喜で震える。  
 グラッドが――あの、果物ナイフでロザリーを侮ったグラッドが、こんなにも真剣に――。  
 
 知らず、笑顔がこぼれていた。  
 愛しい、愛しい好敵手。早く、速くと急かされるように、ロザリーは剣を構えた。  
 その気迫に、グラッドに対する野次さえ消える。  
 固唾を呑んで見守る中、グラッドも静かに剣を構えた。  
 ウィリアムの声が決闘の開始を告げる。  
 それと同時に、双方共に獣のような咆哮を噴き上げた。  
   
 喚声。  
 火花。  
 衝撃。  
 
 ごうごうと、嵐のような風音が聞こえていた。  
 それに混じって、ヒィン、ヒィンと、悲鳴の様な音がする。  
 たたき付けるように振り下ろされたグラッドの剣をひらりとかわし、ロザリーはわざと大きく振りかぶった。  
 みえみえだと言わんばかりにグラッドがロザリーの剣を止める。  
 
 そして――。  
 
 弾かれるままに、ロザリーは剣を手放した。  
 
 あ、と――観衆が息を呑む。  
 宙を舞った美しい白刃を――果たして見上げなかった者がいただろうか――。  
 
 次の瞬間。  
 グラッドが崩れ落ちていた。  
 その、ロザリーの手に光る小さな、可愛らしい装飾の果物ナイフ。  
 
 ザン、と鋭く、半ば根元までロザリーの剣が地面に突き刺さる。  
 愕然と――だがどこか嬉々として見上げてくるグラッドの瞳に、ロザリーの苦渋に歪んだ表情が映りこんだ。  
「――ごめん」  
 ひたりと、崩れ落ちたグラッドの喉に突きつけたナイフから、ぽたりと鮮血が滴った。  
 ロザリーの瞳から涙が溢れる。  
 食いしばった歯の隙間からは、謝罪しか出てこない。  
 
「泣くな」  
 じわりと、グラッドのクロースアーマーから血液が滲み出る。  
 傷口を強く抑えながら、グラッドは立ち上がってロザリーの涙を拭った。  
「おまえの勝ちだ」  
 医者を――と、ウィリアムが叫び、待機していた医者が飛んでくる。  
 ひそひそと、村人達が囁きあう声が聞こえた。  
 どうして子爵様が倒れたんだ。ロザリー様が負けたように見えたのに――と。  
 そして誰かが、あのナイフで刺したんだ、と囁いた。  
「惜しいなぁ、チクショウ」  
「閣下! 手当てを――」  
 駆け寄ってきたウィリアムを片手で制し、グラッドはロザリーが握り締めて離さない果物ナイフを、一本一本指を解くようにして引き剥がした。  
 ロザリーの手と、グラッドの手と、果物ナイフの間で、すでに乾きはじめている血液がねちゃりと短く糸を引く。  
「ごめん……ごめん」  
 必死に嗚咽を押し殺し、小さく肩を震わせながらロザリーは繰り返した。  
 卑怯なんじゃないのか――と、囁きあう声がする。  
 誰あろう、ロザリー自身がその行為の汚さを理解していた。  
 認めてくれたグラッドを。真剣に向き合ってぐれたグラッドを。ロザリーは裏切ったのだ。  
 決闘は終わりだ、と、使用人の誰かが声を荒げて野次馬を追い払っている声がする。  
 ぽん、とロザリーの頭に手を置いて、グラッドが青ざめた顔色のまま意地悪く微笑んだ。  
「勝ちゃあいいんだよ。お嬢さん」  
 ぐぅ、と呻いて、グラッドがその場に膝を着く。  
 すぐさまウィリアムがその体を支え、使用人を呼んで静かにタンカに横たえた。  
 騒ぐな、大丈夫だとグラッドが繰り返す。  
   
 そうして、決闘が終った。  
 ロザリーは自分自身を取り戻し、グラッドは大事には至らなかった腹の傷を抱えてあと数週間はこの村で過ごすと言う。  
 ジョエルはもう、ロザリーを責めたり結婚を急かしたりはしなかった。  
 そこまでフィリクスを信じるのなら、そこまでその約束が大切ならば、好きにすればいい、と言ってくれた父親に、しかりロザリーは微笑み返す事しかできなかった。  
 よく、わからない。  
 グラッドが好きだ。  
 ウィリアムも好きだ。  
 両親を安心させてあげたいと思う。  
 それら全てを振り払い、我が侭を貫き通すほど――矜持を捨てて決闘を汚すほどに、幼い頃の口約束がそんなに尊い物なのか――。  
 そんな事を思うようになったのはどうしてなのか、何よりも輝いて見えた約束が、今はひどく頼りなく感じる。  
 
「お嬢様――お嬢様!」  
 夜――そろそろ就寝しようかという時刻だ。  
 ぼんやりと、手の平の治りかけた血豆を眺めていたロザリーは、廊下のはるか彼方から響いた金切り声に驚いて、自室からひょこりと顔を覗かせた。  
 行儀悪く向こうからばたばたと走ってくるのは、ロザリーと歳の近い若々しいメイドである。  
 はぁはぁと息を切らせて駆け寄ってきたメイドの手に、一通の手紙が握られていた。  
 そして一言、  
「フィリクス様から――」  
 とロザリーに差し出す。  
 疑いかけた約束に色が戻ったようだった。嬉しくて言葉も出ず、妙に畏まった印象の封筒をびりびりと乱暴に破く。  
 取り出したのは――二つ折りになった一枚のカードだった。  
「なんですって? ねぇ、なんて書いてあります?」  
 うきうきと、メイドが瞳を輝かせてロザリーを見る。  
 ロザリーは答えられなかった。  
 震える唇から熱く湿った吐息がこぼれる。  
「――結婚」  
「え?」  
「するってさ」  
 
 笑って、ロザリーはメイドにカードを押し付けるなり駆け出した。  
 お嬢様――と背後で叫ぶ声を振り切って外に飛び出す。  
 よく晴れた夜だった。  
 沢山の星が輝き、こうこうと輝く月が暗い夜道をはっきりと照らし出している。  
 気がつけば、秋が終りかけていた。  
 目的も無く、漠然と、ただ闇雲に走って、走って、走り疲れて、ロザリーはぜえぜえと息を切らせて暗い森の中に立ち尽くした。  
 色づきかけた木々の葉が、夜風に拭かれて乾いた音を立てている。  
 必ず迎えに来ると――そう、約束を交わした場所だった。  
 触れるだけの口付けと共に、約束だ、と誓ったあの場所だった。  
 どさりとその場に崩れ落ち、ぎゅっと肩を抱いてぎりぎりと奥歯を噛み締める。  
「嘘吐き」  
 約束したのに――信じていたのに――。  
「うそつき、うそつき、うそつき――!」  
 うわぁあぁ、と、叫ぶようにして泣き出した。  
 途絶えた手紙。十年の歳月。  
 ただひたすら、フィリクスの安否が心配だった。  
 怪我をしてはいないか、病気をしてはいないか、命を落としてはいないかと思うばかりで、一度たりとも想いを疑った事などなかったのに――。  
 思い出したように届いた手紙は、機械的な言葉で綴られた無機質な招待状。  
 小説の一説が頭に浮かんだ。  
 あの日、あの夕焼けの中、グラッドがそらんじて見せたあの言葉。  
 ナイフを持ってこなかったことを、ロザリーは後悔した。  
 泣いて、泣き喚いて、ぼんやりと座り込んだまま月を見上げる。  
 どさり、と後ろ向きに地面に寝転がり、ロザリーは笑い出した。  
 くすくすと肩を揺らし、体を丸めて声をあげ、いつしかげらげらと哄笑していた。  
 悲しみと虚無感に満たされた笑い声が、森のそこかしこに息づく過去の思い出をひっつかみ、びりびりと破り去って行く。  
 こんなものに。こんななんの形も無い不確かな物に、十年も――。  
 耳障りな哄笑が収まると、森はしんと静まり返り、しかし夜の森特有の穏やかな喧騒に沈んでいった。  
 空は相変わらず晴れていて、月はこうこうと輝いている。  
 森も、月も、世界に存在するありとあらゆる存在が、まるでロザリーの存在を忘れ、無視しているようだった。  
 

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