「おかえり。」  
 
スーパーのレジでビールを買ったらおつりと一緒にそんな声がした。  
よく見ると地元では近所だったマユミが青いエプロンでこちらを見ていた。  
小さく感じたのは俺の背が伸びたせいなのだろう。  
「ん」  
閉店間際とはいえ、この辺りに一軒だけの大型スーパーだというので  
見切り品を狙う層がレジにまだまだ並んでいる。  
おつりを握りこんで先に進み、眩しいライトから涼しい夜に踏み出した。  
ガラス張りの店の奥で、マユミは淡々とレジ打ちに勤しんでいた。  
 
月がキレイだ。  
人もいない国道から、自宅へ向かう畦道に折れる。  
ぷし、といい音がしてタブが沈み泡がほんの少しアルミ缶にあふれそうになる。  
それを口先で啜りながら山の陰を眺め意識的に遅く歩いた。  
喧騒もない、ネオンもない、虫の声と黒い山陰だけが風に吹かれて此処にある。  
 
久々の故郷だった。  
 
国道の方角だけが今も明るい。  
大型ショッピングセンターが北地区に出来たせいかこちらはますます寂れていくようだ。  
年老いた親父が細々とやっていた文具店も、お袋が亡くなったのをきっかけに閉めることになった。  
その親父ももう入院だとかそういう話だ。  
冷たい苦味が喉を心地よく滑っていく。  
親が両方ともいなくなるのは、正直、まだ先の話だと思っていた。  
近所にずっとそういう例があったのに俺が鈍感だったということなのだろう。  
 
 
「りぃ。」  
呼びかけと一緒に自転車のベルが背から響く。  
振り返るまもなく脇から自転車がゆっくり追い越して行き、しばらく先でブレーキの乾いた音がした。  
「まだ帰ってなかったんだ。ゆっくり歩いてるね」  
月明かりの下で相変わらず何の変哲もない幼馴染が自転車を降りる。  
化粧気はなかったが口元は笑っていた。  
「あれ。もう仕事終わったん?」  
「今日は上がりが早いの。折角だから送ってよ」  
マユミは肩をすくめた。  
俺に乗れというように自転車のハンドルを揺らす。  
俺は。  
何やら酒が回って適当な気分になっていた。  
「マユミちゃんいけないんだ。飲酒運転は違法なんですよー」  
言いつつも軽い身体を荷台に押しやりサドルをまたぎ、空のアルミ缶を前かごに突っ込む。  
肩くらいの髪を後ろでひとつに結んだ幼馴染は、慣れた仕草で後ろに腰掛けてこちらの肩を掴んだ。  
 
「いいでしょ。誰もいないんだから」  
 
漕ぎ出すと向かい風がゆるゆると頬に当たった。  
アルミ缶がハンドバッグのない隙間をころころと転がる。  
 
――中学高校の頃は何度か一緒に帰ったことも会ったような気がするのだが。  
ふと斜め下に目をやって、やわらかなロングスカートをはいているのに妙に感心したりした。  
 
「相変わらず、働いてんのか」  
「うん」  
「チビたちも大きくなっただろうに」  
「でも、おばあちゃんが亡くなったから。それにね、昔からだったけれど、末の拓也が頭いいの。  
 多分進学したいんだと思うのよ」  
 
虫の声と遠い車の排気音が、ススキの間に消えていく。  
畦道を抜け、二人乗りの自転車はやや広い県道の端をくだっていく。  
 
「りぃは今回もただの帰省、…じゃないね。おじさんのお見舞いか」  
「んー」  
 
詳しいことは話す必要もないと思った。田舎だから知れ渡っている。  
今でも保育園時代の呼び名が生きている地方なのだから。  
 
「りぃ。桐里。」  
「んー」  
「結婚した?」  
「してね」  
「売れ残りかぁ」  
 
からかうでもなく、探るのでもなく、  
ただふうん。と頷くだけの声音が、酒の回った頭に染みこんだ。  
肩にかかる手は、相変わらず家の水仕事をしている荒れた指先だった。  
 
思い出した。  
 
そういえば髪を切って学ランを着たばかりの頃、  
結婚したらこいつを楽にできるんだろうかと、隣で考えてみたこともあったっけ――  
 

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