「ただいま〜」
学校から帰宅した少年は叩きに腰掛けると大きく息を吐く。
彼の名は大井優祐。ごく普通の高一だ。
特に部活もやってないし、勉強もそこそこでしかない。
特筆する所と言えば、高一にして生徒会長をしているという事だろうか。
「お帰りなさい」
「お帰り〜」
大きく伸びをしていると、リビングから二人の少女が出迎えに来る。
二人の名は大井桜と神上優華。
桜は優祐の妹。優華はその幼なじみで大井家の隣人でもある。
桜は茶色い髪を短く切り揃え、活発な子であり。
優華は漆黒の髪を長くまっすぐと伸ばしている。また性格もおとなしく物静かな子だ。
二人ともタイプは違えど美少女と呼ぶに相応しい容姿だろう。
「よう、来てたのか」
「お邪魔してます」
優華が小さく頭を下げる。
「邪魔なんかじゃないよね、お兄ちゃん」
「勿論。桜、母さんは?」
優祐は桜の問いに笑って答え、逆に母の居場所を聞く。
「遅くなるからよろしく だって〜」
大井家の母は、俗に言うキャリアウーマンだ。なのでしばしば帰宅が遅くなることがあり、そのような時は優祐が夜ご飯を作っている。
だからか優祐の料理の腕は高校生の男子としては稀有な腕前だった。
「あいよ。優華ちゃんはどうする?」
「もしいいなら」
彼女が遊びに来ていれば、ほぼ必ず繰り返される会話。
とはいえ彼女は毎回とても遠慮がちにしている。
「OK」
優祐は了解すると鞄を持って自室に戻る。
そして部屋着に着替えるとリビングでゲームに興じている二人を眺めながら夕御飯を作り始める。
「お〜い、二人とも何食べたい?」
遊んでいる二人に後ろから声をかける。
「なんでも〜」
桜は優祐を見ずに声だけで答える。
「なんでもいいです」
一方優華はキチンと振り向いて答える。
優祐はその態度の違いに、うぅやっぱ優華ちゃんは優しいなぁ、なんて若干感動してしまう。
「なんでも、かそれが一番困るんだけどなぁ〜」
とはいえ、“なんでもいい”は作り手からすると困るのだ。
優祐は冷蔵庫を覗くと、何が作れるか例を上げ始める。
「二人とも、生姜焼き、野菜多め湯豆腐、カレー、の中だったらどれがいい?」
二人は手を止め一瞬考えると、「湯豆腐がいいです」「カレー!」
と同時に違った提案をする。
クスッ。
その状態に優祐は一人笑い出すと、
「じゃあお客様の意見を取入れて湯豆腐な」
とクスクス笑いながら二人に告げる。
「あっそんな、いいです」
優華は慌てて自分の意見を取り消そうとするが、
「遠慮すんな〜 そんなに遠慮してもいいことないぞ」
優祐はそう言って優華をなだめる。
「は、はい」
その笑顔に気恥ずかしくなったのか俯いた優華を一瞥すると、優祐は桜に命令を下す。
「桜、隣行って夕飯こっちで食べてくって言ってこい」
「はーい」
桜は握っていたゲームのコントローラーを投げ捨てると、ドタバタと騒々しい足音を立てながら隣へといってしまう。
優祐はその騒がしさに苦笑しながらも、手慣れた手つきで下ごしらえを始める。
「あの、私手伝います」
テーブル越しにそれを見ていた優華はそう声を上げる。
優祐も特段断る理由も必要もなく、素直に受け入れる。
「そう?手伝ってくれるなら有り難いけど」
「はい、手伝います」
優華は嬉しそうに頷くと学校の鞄から髪ゴムを取り出し髪をポニーテールにまとめる。
「あれ、ゴムなんて持ってたんだ」
優祐は見慣れない姿に疑問の声を上げる。
「学校じゃ結わないといけないんで」
「あーそうなんだ。髪長いもんね」
優華はコクリと頷く。
「そっか、制服か。ちょっと待ってて」
優祐はガサゴソと食器棚の下ーー布巾等が入っている所ーーを漁り始める。
「あった。ほらこれ着けなよ。制服汚しちゃあれだし」
優祐はエプロンを差し出す。
「ありがとうございます」
優華はペコリと一礼するとそれを受取り着け始める。
かなりの時間死蔵されていたであろうエプロンは水色の地に小さい白の花柄が散りばめられており、中々可愛い柄だった。
「どうですか?」
「うん、似合ってる。可愛いよ」
「そ、そうですか……」
優祐の何気ない一言に優華はほんのりと頬を染めて俯いてしまう。
が優祐は頓着せず、冷蔵庫から野菜を取り出すとひょいひょいと優華の前に置いていく。
「それじゃあこれ切ってって。包丁下にあるから。指気をつけてね」
「はい」
優華は頷き野菜を切り分け始める。
さして広くない台所で二人の男女ーーというには少し幼過ぎるがーーが料理するのは、傍目からでも仲睦まじく見えた。
ガチャ
「只今〜、あんまり遅くならずに帰ってきなさいよだって〜」
お隣りから帰ってきた桜はそう言ってリビングに入ってくる。
「あれ、なんで優華まで料理してるの?」
二人が台所に立っている姿を見て、疑問顔になる。
「優祐……さんのお手伝いしてるの」
「ふーん、変なの。エプロンは?」
「昔から家にあるやつだよ。制服汚してもまずいしな」
「なーんだ、つまんないの。お兄ちゃんもう少し面白い答え方してよ〜」
心底ガッカリとした表情をする。
「はいはい。ほら、テーブルの上片付けて。優華ちゃん野菜終わった?」
「はい」
「それじゃ鍋の中にどんどん入れて」
二人の共同作業で着々と料理は出来上がっていく。
「よし、鍋通るぞ」
優祐が中にたっぷりの野菜と豆腐、それに熱湯が入った鍋を既に配膳されている皿の真ん中に置く。
「食べるぞ〜」
「はーい」
まず桜が席につきその横に優華が。彼女の向かいに優祐が座る。
「それじゃ、いただきます」
その言葉を合図に、三人は一斉に食べ始める。
白飯に湯豆腐ーー野菜や豚肉が入っているので純粋な湯豆腐ではないーーそれに多少の付け合わせがあるだけで、豪華とは言えない食事だ。
が“食欲は最大の調味料”の通り三人は言葉少なに食事を平らげていった。
「ごちそうさま〜」「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
鍋の中を殆ど空にして三人は夜ご飯を終える。
「ふぃ〜」
三人は後片付けもそこそこに、各々楽な体勢でテレビを見ている。
ちなみに優祐は横になっており、その横に優華が女の子座りで、二人の後ろに胡座をかいた桜が座っている。
「優華ちゃんお風呂うちで入ってくの?」
優祐は下から優華を見上げる。
「あ、いや家で入ります」
「そっか。じゃあそろそろ帰った方がいいかな?」
時計は既に8時を回っている。
いくら隣家とは言えど、年頃の娘さんを置いておくのはもうよろしくない時間だろう。
「そうですね、そろそろ失礼します。ありがとうございました」
優華は立ち上がると優祐に向かって深々と一礼する。
「そんなに丁寧にしなくていーよ。それじゃあね、気をつけなよ。って気をつける程距離ないか」
優祐は自分の言った言葉にクスクスと自分で笑い始める。
「そうですね」
釣られて優華もクスクスと笑い始めてしまう。
「隣だもんね〜。それじゃ優華また明日〜」
「うん。桜ちゃんまた明日ね。それでは」
優華は再度一礼すると、鞄をもって静かに帰る。とことん丁寧な立ち居振る舞いだった。
「しっかし優華、変だね〜」
桜は優華を見送ったあと、ぽつりと漏らす。
「そうか?」
優祐は言外の意味を汲み取れずに聞き返してしまう。
「だってお兄ちゃんにばりばり敬語だし。優祐“さん”だよ?」
「そういえば……」
確かに桜も優華も生まれてから殆ど一緒に居る。
なので、優祐とも一緒に行動する機会が多々あった。
近所の縁日や市民プール。そんな物でなくても公園にだって三人で行った事は沢山有る。
その時彼女は優祐の事を優にぃと呼び、態度も多少の違いはあれど桜に似通った親しみを見せていた。
それがいつの間にか、ですます調を使うようになり、ついには“さん”付けまでするようになった。
優祐も当然、多少の寂寥感や違和感は持っていた。
が優華も年頃である。
だからこそ年頃の女の子なんだからと考え、口には出さなかった。
しかし今の桜の話を聞く限り、彼はかなり特殊な反応を優華にされているらしい。
それは優祐の心の中で、優華との関係に少しの、だがしっかりとしたひびを入れるのには充分だった。