残照の中を安井松雄は魚篭を片手に歩いていた。中には漁師をしている父親が  
獲ってきた新鮮な魚が入っており、これを島で唯一の医者である飯島医院まで  
届ける所だった。本土の港から西へ四キロの位置にあるこのぽこぺん島には、  
平成近くになるまで医者が常駐しておらず、病人が出ると急ぎ船やヘリコプターで  
本土の病院まで運んだという。  
 
平成生まれの松雄はその事を父母や島の大人たちから教わり、またこんな辺鄙  
な場所で開業してくれた医院の飯島正俊先生は、とても偉い人だといい聞かされ  
てきた。実際、松雄自身も飯島医院で受診した事があり、立派な髭を生やした先生  
は優しい大人物のように思っているし、看護士を兼ねている奥さんも品の良いお人  
で、島の誰とも別段、隔意という訳でもなかった。  
 
しかし、松雄はその娘である飯島尚美だけはどうも苦手でならない。その為、この  
お使いが嫌で嫌で仕方が無かった。共に高校一年生、島には中学までしか学校が  
無いので、毎日、知り合いの漁船に乗せてもらい、本土の高校まで通っているのだ  
が、これがもう、負けん気が強くてきかない。医者の娘で育ちの良いはずの尚美は  
生来の癇癪持ちで、粗野極まりなかった。対して荒くれ者の代名詞のような漁師の  
倅で、貧しい家に育ったにも関わらず松雄は控え目な性格で、とにかく争いを避け  
たがる。  
 
学校へ行ってもそれは変わらず、たとえば尚美が誰かにからかわれたとする。  
年頃ゆえ、悪戯好きな男子に尻のひとつも撫でられる事もあろう。そんな時、容赦  
の無い鉄拳がその男子には飛ぶ。女だてらに拳を握り締め、相手の鼻っ面をぶん  
殴るのである。時には馬乗りとなり、滅多矢鱈に殴るので、松雄が慌てて取り押さえ  
る程だった。その際、暴れ馬を乗りこなすように松雄は尚美を羽交い絞めにし、殴ら  
れている奴に逃げろと叫び、力尽きるまで尚美を押さえつけた。そうしないと大怪我  
をする。相手も、また尚美も傷つくのである。松雄はそれが嫌だった。  
 
医院には灯かりがついていて、呼び鈴を鳴らすと奥さんが出てきた。  
「あら、松雄君じゃないの。こんばんは」  
「こんばんは。あの、親父がこれを持って行けって」  
「綺麗なお魚。いつもありがとう」  
魚篭を受け取ると奥さんは笑ってこう言った。  
 
「尚美、いるけど」  
「と、とんでもない!」  
松雄は首を振り、手で奥さんの言葉を遮った。  
「お茶でも飲んでいったら?」  
「結構です、じゃあ・・・」  
松雄は慌てて踵を返し、医院を後にした。冗談でも心臓に良くない。松雄はそろそろ  
薄暗くなった道を急いで帰っていく。  
 
そして、島の集落の端にある我が家へ続く道に出た時の事。  
「おーい」  
澄んだ声が松雄の耳に届いた。草道を凄まじい勢いで誰かが駆けて来る。  
「尚美・・・」  
辺りは暗いが声を聞いただけで誰かは分かる。松雄は立ち止まり、追いかけてくる尚  
美を待った。尚美はTシャツに短パン姿。肌はよく焼けているが、顔かたちは美人の部  
類に入る。全速力で駆けて来たのだろう、肩で息をして額には汗をかいていた。  
 
「うちに来たんなら、顔を出しなよ」  
「夕飯時だと思って」  
「母さんに聞いて、慌てて追っかけてきた」  
尚美が近づくと、汗と体臭の入り混じった物が松雄の鼻をつく。良い香りだと松雄は  
思った。母にも島の女にも無い、熟していく過程にある女の証だった。  
「あ、雨だ。降るなんていってなかったのに」  
尚美がふと空を見上げ、手をかざした。島の天気は変わりやすく、あまり予報などは  
あてにならない。二人は適当な木のウロを探して、そこに落ち着いた。  
 
「もっと、くっつきなよ」  
「いや、大丈夫」  
肩が濡れている松雄を見て、尚美は心配そうな顔をする。  
「濡れてるよ、肩。風邪ひいちゃう」  
「鍛えてあるから大丈夫。俺、漁師の倅だ」  
それは、自分へ言い聞かせる言葉だった。  
 
松雄は漁師の倅である事を、別段、卑下している訳ではない。ただ、島でも偉い医  
者の娘である尚美に対し、僅かばかりでもやましい心を抱かぬように、自制してい  
るだけの話だ。  
「そういえば、お魚ありがとう。私、魚好きなんだ」  
「そうか。いや、まあ、親父が獲って来たんだけど」  
「松雄が持ってきてくれるお魚、いつも美味しいよ」  
「新鮮だからな」  
「新鮮だからね」  
それっきり、二人の言葉は強くなった雨足に消されてしまった。通り雨かと思いきや、  
本降りである。  
 
「迂闊だったな。こんなに降るとは」  
「そうだね」  
そう言った尚美が、小刻みに震えているのを松雄は気が付いた。良く見ると尚美は  
随分、薄着である。上着も羽織らずに慌てて家を出て、更には松雄を走って追っか  
けてきたので、汗が冷えているのだろう。松雄は自分の上着を脱ぎ、尚美に着せて  
やった。  
 
「悪いよ」  
「俺は暑がりだから」  
「じゃあ、くっつこう。これで二人とも温かいよ」  
安手の上着を二人で肩にかけ、体を密着させる。これで温め合おうと言うのだ。  
「あ、尚美、お前」  
「いいから、いいから」  
Tシャツの袖から伸びた尚美の腕に触れると、松雄は急に恥ずかしくなった。すべす  
べしていて餅のように柔らかい。尚美の肌はそんな感じである。  
 
ただ、雨の方はなかなか小振りになってくれず、ウロにいるのもそろそろ限界に  
近い。ここから松雄の家までは走って十分ほど、飯島医院へも同じくらいの時  
間がかかる。その間、雨に打たれてはいかにも体に悪いので、松雄は思案に  
暮れた末、  
「尚美、あの小屋まで走るか」  
と言って、木々の隙間の向こうに見える、島の皆が集会所代わりに使っている  
小屋を指差したのである。  
 
距離にして二百メートルくらいだろうか、曲がりくねった小道を走ればほんの五  
分もかかるまい。小屋には囲炉裏があって、火を起こす道具が揃っているのも  
松雄は知っていた。  
「私、走るのは得意だよ」  
「知ってる。じゃあ、行くぞ。上着はお前が被れ」  
薄着の尚美をこれ以上、濡らしたくは無かった。松雄は上着を尚美の頭から  
被せ、彼女の闘争心をあおるように走り出す。  
 
「先についたもんの勝ちだ」  
「負けるか」  
ざんざと降る雨の中を二人は笑いながら走った。尚美が泥濘に足を取られそう  
になると、松雄も走るのをやめて待つ。口ではああ言ったが競争ではない。二人  
一緒でないと意味は無いのだ。  
「松雄」  
「早く行こう」  
松雄は自然に手を出し、尚美の手を取った。手はとても柔らかく、指も細い。いつ  
か尻を触った男子を殴ったような手にはとても思えなかった。  
 
小屋にはあっという間についた。ここに鍵は無く、出入りは自由である。二人は早  
速、囲炉裏に火を灯し、濡れた体を温める事にした。  
「生き返ったな」  
「本当」  
囲炉裏を挟んで松雄、尚美は火に照らされた顔を見合わせる。小屋に灯かりは無  
いが、これでも十分なくらい明るかった。  
 
「松雄」  
「なんだ」  
「濡れた服着てると、風邪ひいちゃうよね」  
「かもしれん」  
「脱ごうか」  
「えっ?」  
松雄は目を丸くして、尚美の顔を見遣った。どこか恥ずかしげで、照れたような感じ  
である。  
 
「脱ぐって、まさか」  
「・・・パンツ以外」  
「俺は嫌だぞ。恥ずかしい」  
「あなた、男のくせに。女はもっと恥ずかしいんだよ。私、脱ぐから」  
「ちょっと、待った」  
体育座りになって、膝の上に腕を乗せ、またその上に顔を乗せてじっと見つめる尚  
美に抗しきれず、松雄はうなだれた。  
 
「脱ぐよ。おあいこだぞ」  
「うん、おあいこね」  
小屋の中に濡れた衣擦れの音が響くと、松雄はおかしな事になったと思った。囲炉  
裏で木がパチッと弾けた時、対面の尚美がびくっと身を震わせた。口では強い事を  
言っているが、内心は心細いのであろう、小さな物音にも敏感になっているようだった。  
下着一枚を残して裸になると、松雄はできるだけ下を向くようにしていた。対面には  
同じく裸になった尚美がいて、とても直視する勇気が無い。  
 
一方、尚美も体育座りのまま下を向いて、何も話さずにいる。結局、囲炉裏の炎以外  
に相手の視界から身を遮る物も無いので、自然、そういう風にならざるを得なかった。  
雨が屋根を叩く音は相変わらず強い。まさか夜通し降るとも思えないが、どちらも少し  
不安である。そんな中で、尚美の方が沈黙に耐えられなくなったのか、うつむいたまま  
松雄に話し掛けてきた。  
 
「ねえ」  
「なんだ?」  
「私の事、どう思ってる?」  
「どうって」  
「好きとか、嫌いとか」  
松雄は一瞬、間を置いて、  
「好きに決まってる」  
と、答えた。  
 
「その割には、今日もお魚を届けにきてくれたのに、すぐ帰っちゃったじゃないの」  
「うん」  
「私、暴力女だし、松雄にいつも迷惑かけてるからさ。嫌われてるのかと思って」  
「そんな事あるか」  
「本当?」  
「ああ」  
 
松雄だって本心は尚美の事が好きだった。しかし、世の中には分を弁えねばならぬ  
事が多々ある。万民平等を謳う今の世においても、家柄の貴賎や身分の上下は存  
在する。漁師の倅が医者の娘に恋する事は、松雄にとって大罪のような気がするの  
である。松雄は尚美が不意に立ち上がったのを気配で感じ取った。それにつられ、ふ  
と顔を上げると、ショーツ一枚の尚美が恥ずかしそうに、松雄を見下ろしているでは  
ないか。  
 
「松雄」  
「尚美・・・」  
「ずっと好きだったの。そっちへ行っていいでしょう」  
尚美は足音も立てず、松雄の傍らへとやってきた。ショーツの前は雨で濡れ透け、  
若草が乱雑にその姿をのぞかせている。松雄にとってはちょうど、目線にそれが  
ある格好だった。尚美はショーツに手をかけ、一気に脱ぎ下ろすとしゃがんでいる  
松雄に差し向かうような形で片膝をつく。  
 
一方、松雄のパンツからは魁偉な風貌を持った生き物が顔を出していた。尚美  
を獲物と認識し、喰らいつきたがるように先端からは涎を滲ませ、物欲しそうな  
表情をしている。  
「松雄、じっとしててね・・・」  
尚美は手を伸ばし、松雄の首に回していく。指先は揃えて、まるで蛇が木にまと  
わりついているようにし、最後は松雄へ体ごと巻きついた。  
 
尚美は口づけをねだった。さあ、早くと小声で囁くと二人は唇を重ね、訳も分か  
らず歯を鳴らした。舌を絡めるなどとは考えもつかず、ただ唇と唇を舐め合うよう  
に、しかし飽きる事無く口づけをするのである。次第に松雄にも欲が出たのか、  
彼の手も尚美の腰から下、特に尻へと執着を見せ始めた。松雄は手を一杯に  
広げ、尻を弄った。大きい割に柔らかく、その手触りはつきたての餅を捏ねてい  
る時に似ていた。  
 
「ああッ、松雄」  
尚美は松雄の頭を抱え、いきりたつ怪物の上に自ら跨っていく。松雄は床に  
寝て、その上に尚美が覆い被さっていくのである。若草の少し下、尚美の女園  
はすでに開きかけていたが、それでも未開通の処女宮に違いは無い。そこに  
蛮族が手にするような松雄の分身が、花弁を分けて入っていく。分身はまず、  
温かな肉の感触を知った。それから自然と導かれるように、ぬめる洞穴の中  
を手探りで進む。その先はまったくの闇同然の筈なのだが、分身全体が生肉  
で包み込まれる如き様子が脳内に結ばれる。松雄は今、ついに少年ではなく  
なった。  
 
「うッ、ああッ」  
尚美は目の縁から大粒の涙を流していた。彼女もまた、少女ではなくなって  
いた。一生、忘れられぬ破瓜の痛みを感じ、脳裏に刻んでいた。胎内でぬめっ  
ているのは血水だろうか。尚美は自分が田楽刺しにでもなったような気がした。  
「あッ、俺、出そうだ。尚美」  
「いいよ、全部、中へ・・・」  
松雄が喘いだ次の瞬間、尚美は胎内に生ぬるい液体が放たれるのが分かっ  
た。そして、腰を上げて分身を抜くと、我が花弁より滴り落ちる血と子種の混じ  
った粘液を見て、ほうっとため息をつくのであった。  
 
 
二人はただ抱き合っていた。囲炉裏の火がやけに心細くなったが、体を寄せ合う  
若者たちは寒さを感じていなかった。  
「尚美、大丈夫か」  
「うん、平気。なんか、ズキズキするけど」  
松雄は尚美を労わった。すでに乾いた尚美の柔らかな髪を、手櫛で梳いてやった。  
 
「私、嬉しい。初めてを松雄にあげられて」  
「尚美」  
松雄は折れんばかりに尚美を抱きしめた。愛しくて仕方が無い。女の健気な言葉に  
若くして世界中の愛を手に入れたような気さえした。  
「これからずっと、一緒だよね」  
「ああ、勿論だ」  
「好きよ、松雄」  
「俺もだ、尚美」  
若い二人に愛しているという言葉はむしろ陳腐だった。好きの一言ですべてが通じ  
る純真さがあった。  
 
気を利かせたのか囲炉裏の火が落ちて、小屋の中は暗くなった。雨はまだ当分、  
止む気配を見せていない。  
 
 
 
おすまい  
 

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