一体何が起こっているのか、何故彼女が、どうして、なんのために……。  
頭の中を、疑問……と言うより混乱が埋め尽くしている。目の前で起こっていることを受け止めることが出来ない。  
そんな俺の耳にボアルの声が響く。  
「ブヒヒヒヒッ。良く飲んだブヒね。腹がいっぱいになったら眠くなってきたんじゃないブヒか?」  
その言葉を聞いた瞬間、急に睡魔が襲ってきた。  
いや、純粋な眠気とは違う何かで頭が重くなった感じがする。  
今までは、纏まらないまでも次から次に疑問や考えが脳裏に溢れていた。  
そんなとりとめのない思考さえも、意識の中に霧がかかったように浮かばなくなってくる。  
「う……ぐぁ……」  
「無理しない方がいいブヒ。ほら、全身から力が抜けてくブヒよ……。  
 力が入らなくて右手が重くないいブヒか? 右手が重ーいブヒ。 左手も重い。右足も、左足もブヒ……。  
 ピンクの熱を持ったミルクを沢山飲んだから、腹が温かいブヒ? ほーら……温かい、温かーいブヒ。  
 その温かさが全身に広がっていくブヒよぉ……。両手が温かくなってくるブヒ。両足も……」  
「……ぐ……あぁ……」  
ボアルの言葉の通りに、体の感覚までが操られていく。  
一種の催眠の技法だということはわかるのに、奴の言葉から意識を離すことが出来ない。  
「ブフフ……さあ、目の前の可愛い仔ちゃんの姿を良く見るブヒ」  
焦点の定まっていなかった視界の中で、数分前まではピンクの姿をしていたはずの  
その豚のような存在だけがやけにはっきりと像を結ぶ。  
「ほらほぉら……彼女がどんどん可愛く見えてくるブヒよ……。  
 メスブタがどんどん可愛く見えてくる……人間なんかよりずっと可愛い……」  
「か……わい……」  
「そうブヒ。可愛い可愛いメスブタ。チャーミングでとてもえっちなメスブタ。  
 雄と交尾したがって誘ってるいやらしいメスブタ。恥ずかしくても発情を抑えられないメスブタ……」  
「かわ、いい……めす、ぶた」  
そんなわけはない。目の前のそれはどう見ても異形のもので、  
浅ましく、時に醜いと罵られるような家畜そのものでしかなく、  
人間の要素が残っているとは言え、それは逆に人の欲深い一面のみを強調・増幅して取り出したかのようで、  
それが獣じみた振る舞いと混ざることで、いっそ獣以下の卑しさをも漂わせている。  
今の彼女は、興奮冷めやらぬのか、左腕で乳房を抱え、右手で下腹部をさすり撫でている。  
ヒヅメと化した指からは繊細な動きが失われ、秘所や乳首をぐりぐりと単純に擦るだけしかできず、  
それでは自分の肉体は満たされないのか、欲求不満げな鳴き声とよだれを半開きの口から垂れ流し続けている。  
むしろ純粋な動物なら逆にこれほどの痴態は見せないだろう、と思う。  
本能というものは理性の対極だがそれは決して愚昧なわけではなく、生存のための合理的なシステムであり、  
度を越せばブレーキがかかってバランスを取る。例えば必要以上の狩りをする肉食獣が少ないように。  
今の彼女は、半端な理性と半端な本能によって自分を御しきれず、  
欲求に支配され……いや、もはや彼女自身が暴走した欲求そのものだ。  
恐らく、命の危険が目前に迫っても、そこから逃れることよりもその瞬間の快楽を優先させるのではないだろうか。  
そんなものに、外見的にも内面的にも惹かれる要素など何一つ無い。無い……はず、だ。  
……意識の片隅でそんな思考が巡っているのに、頭ではそう自分に言い聞かせているのに……。  
俺は、ボアルの言葉通りに、段々と彼女に魅力を感じていくのを止める事ができなかった。  
 
「そう、お前はメスブタが好き……大好きなのブヒ。  
 好きで好きで……交尾したくて、たまらないのブヒ。  
 ブフフッ、その証拠に……ほれっ!」  
「ひぐあぁっ!?」  
ボアルの手袋が……何故か先程から痛いほどに勃起している俺の性器に触れる。  
原因が分からないまま興奮だけが増していってどうしようもない俺の体は、  
もはや相手や状況を選んでいる余裕も無く、そのままボアルの手に擦りつけようとする衝動に駆られた。  
だが俺の身体はまだ俺の思うようには動かず、無様に腰を振ることさえ許されない。  
先刻までの麻痺状態と違い、感覚は明瞭に戻ってきているようだし、  
薬の影響は既に抜けていると見ていいはずなのに……!  
「うぐっ、がッ……!」  
いつの間にか随分と分泌されていた先走りを指ですくい塗り広げるように、先端のみを撫で、刺激するボアル。  
人間のペニスというものは、実は亀頭部に対する刺激のみでは射精できないような構造になっているのを知っているのだ。  
快楽を与えられても達することも出来ず悶える俺の中で、欲求ばかりが膨れ上がっていく。  
「どうブヒ? 交尾したくてしたくてたまらないブヒ?  
 でも……このままじゃ交尾できないブヒねぇ……種族も違うし。  
 ……それなら……」  
俺のペニスを弄ぶために後ろ側の死角に回ったせいで表情は見えないが……  
ボアルは嗜虐的な笑みと聞こえる音を声に混ぜて言った。  
 
「――オスブタになれば、交尾できるブヒよ?――」  
 
……信じられなかった。  
どくん、と一瞬でも胸を高鳴らせた自分自身の反応が。  
 
 
「な……にを、馬鹿、な……」  
「あらら、頑固で愚か……と言うより、可哀想ブヒね。  
 折角俺はお前を解放してやろうとしているのに」  
「解放……だと?」  
「そうブヒ。『自分は人間だから』という固定観念、その意識が全ての問題をややこしくしているのブヒ。  
 例えば、そう……人間と人間じゃない者という種族の壁さえ無ければ、俺とお前が戦う理由も無いと思わんブヒ?」  
――いきなり話のスケールが大きくなったような気もするが、論点のすり替えの上に詭弁だ……。  
 もし同じ人間だったとして、侵略行為や破壊工作が許されるわけではない。戦う理由は種族の壁などでは――  
……だが、心の中で反論していても、そもそも意識が相手の出した議題に乗ってしまった時点で、  
話のペースを完全に向こうに支配され、まんまと術中に嵌っている、ということに俺は気付いていなかった。  
「……実際、お前の体はもう自由に動けてもいいはずなのブヒ。  
 『自分は人間』という意識が自分自身を縛っていることにまだ気付いていないブヒ?」  
「なっ……」  
「メスブタの彼女に興奮している自分の肉体を認めたくない……。  
 そんな思いが、自分の自由を奪っているのかもねぇブヒ」  
もちろん、実際にはそんなことは無かった。  
ボアルの催眠が俺の体を蝕んで、その動きを妨げていたのだ。  
だが、それに気付くのはもっと後のことで、この時の俺は……  
「んぐ、あっ、そ、そんな……ばかな、こと、がっ……!」  
更に執拗に先端を責め立てるボアルの手で、考える余裕を奪われていた。  
「そんなに言うなら、試してみればいいブヒ?」  
ぎゅっ、と、ボアルの手がようやく亀頭責めをやめ、竿を握り締める形になった。  
敵の豚の手で果てさせられるのかという屈辱より、  
ようやっと出させてくれるのかという安堵と期待の方が一瞬強く浮かんだ自分にわずかに自己嫌悪を感じたが、  
ボアルの手はそのまま動きを止め、引くでも押すでもない。  
俺からも動かせないし、じりじりと抑圧された情動ばかりがつのる。  
「動かしたいが動かせないブヒ? なら、その固定観念を捨ててしまえば動かせるようになるはずブヒ。  
 ……そうブヒねぇ……」  
……この時、ボアルは一体どれほど楽しそうな表情をその豚面に浮かべていたのだろうか。  
「――『俺は豚』と一回言うごとに、腰を一度動かせる――  
 とかそんなところじゃないだろうか、ブヒ」  
 
「そ……んなこと……ッ!」  
「いいじゃないかブヒ。言ってしまえばラクになれるブヒよ?  
 それに一言だけ言ってみて試してみるだけブヒ。  
 言ってみて、それでも駄目なら、そんな一言忘れればいいブヒ。  
 試してみるだけなら損はないブヒ?」  
……言っていることは一見正しいように思える……が、  
それを「正しい」と感じている時点で、既に何か致命的な間違いを犯しているような気がした。  
もうその間違いが何なのかも判然としなかったが。  
「それに……言わなかったとして……  
 我慢できるのブヒ? このまま、動くことも、自分を解放することも……そして、交尾することもできず……ブヒ」  
……そう。確かに。俺の自制心も欲求不満も、もう限界に達しようとしていた。  
羞恥心より衝動の方が大きくなり、か細く声を絞り出す。  
「……おれ、は……ぶ……」  
「聞こえないブヒ。もっと大きく、はっきりと、ブヒ」  
「俺は……ぶた」  
「気持ちがこもってないブヒ!心の底から言わなければ、固定観念を捨てたことにならず、体も動かんブヒ!」  
俺は、大きく息を吸って、半ば叫ぶように、やぶれかぶれに言い放った。  
「俺は、豚ぁッ!」  
途端、がくんと腰が動いた。  
「んあああっ!?」  
ボアルの手の中を性器が滑り、予想してなかった快感に息が詰まる。  
「……ほら。やっぱり言ったとおりだったブヒ。動けたブヒ? おめでとう。でも……」  
動いたのは一瞬だけだった。「一回言うごとに、腰を『一度』動かせる」というところまで含めて正しかったのだ。  
ならば……。  
「一度だけで、満足できるブヒ?」  
言われるまでも無く、もう止められそうになかった。  
「……俺は豚……俺は豚……俺は豚……俺は豚……ッ」  
何回も言えば、何度も動かせる。羞恥心より性欲が勝り、俺は屈辱的なはずのその言葉を連呼していた。  
「俺は豚……俺は豚、俺は豚!俺は豚ぁッ!俺は豚俺は豚俺は豚オレは豚俺はブタ俺はぶたおれは豚おれはブタ俺ハ」  
視界の中にはピンクの豚。可愛い。交尾したい。発情した雌豚めすぶたメスブタめすこうび交尾こうび  
オスブタなら交尾できる。俺は交尾できる。だって俺はオスブタだからオスで豚でメスと豚が交尾でぶたが  
「オレはぶたおれはぶたおれはぶたおレハぶたおれハブタオレハブタオレハブタオレは俺おれは豚ブタぶたおれ」  
俺の発する声と耳元のイヤホンから流れる音が交わって一つの歪な音楽のように聴こえてきた。  
発情した雌豚の鳴き声。雄を誘う声雄豚を誘う声俺を誘う声鳴き無きなき俺も鳴いて鳴いておれの鳴き声がメスとこえと  
「おではぶた豚ぶたはおれ俺オレぶたぶゥたおではブゥおれはおれおでおゲェぶたブゥぶごぶぎぶぐブごげはブゥた」  
豚ブタ豚豚ぶた豚ブタブウ豚ブタぶたぶタブぶううブゥぶうぶひぶごブヒぶぎぶたブウ  
「たブぶごげはぶたブゥおげはブたおではブギッブゴれはブたブゴォれはブギたブゴフゴッぐブヒブゥブヒブヒブゥブギッ」  
「お楽しみのとこ悪いブヒがハイここで半覚醒。3・2・1」  
パチン、とボアルが空いた方の手の指を鳴らす音が響いて、俺ははっと我にかえった。  
「い……いま、な、なにを……」  
「ボアルが一体何をしたのか」と「自分が今何をしていたのか」との両方が混ぜ合わされた問いかけだった。  
「『何を』も何も、自分で覚えてるブヒ?」  
……そう、今度は夢とかぼんやりしたものではなくリアルなものとして覚えている。  
それ以前に、快楽の山を登り詰めかけていた性器も、未だ萎えることなくそのまま……  
「お前の心は、もうしっかりとオスブタになりかけてるブヒ。……そして、ほら……」  
悪寒が走った。  
 
「ほら、体の方も心に合わせて、変わり始めたみたいブヒよ?」  
 

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