入学式を明日に控えたある日の午後。すず那の部屋に珍しく、進藤医師は一人で現れた。  
「こんにちは、すず那ちゃん」  
「……こんにちは、先生」  
 いつも大勢学生を連れ歩く彼女が、たった一人ということに妙な違和感を感じつつ、すず那  
は挨拶を返す。  
「今、時間大丈夫かしら?」  
「はい、大丈夫です……」  
 すず那は、読みかけていた本に栞を挟み、サイドテーブルの上に載せた。そんなすず那の  
動作を確認してから、進藤医師は口を開く。  
「明日は入学式ね」  
「……そう……です、ね」  
 自分がどういう状態で高校に通わなくてはならないのか、思い知らされてすず那は途切れ  
がちの返事を返す。  
「それでね、学校生活に慣れるまで、いろいろ大変だと思うのよ。予定とかも立てにくいと思う  
し。まあ、こちらもね、医学部の新入生が大勢入ってくる関係でちょっと忙しいという実情もあ  
るんだけどね」  
「はぁ……」  
 結局何が言いたいのかよく分からず、すず那はただ、相づちを打った。  
「まあ、そんなわけで、ちょっとね、すず那ちゃんの奉仕プログラムに少し余裕を持たせること  
にしました。あ、誤解しないでね、まったく何もかもなくなるわけじゃないのよ? ただ、ちょっと  
『違う方向性』の奉仕をして貰おうと思ってるの」  
「違う……方向性……ですか?」  
「ええ、そう。すず那ちゃんは、『治験』って言葉知ってるかしら?」  
「チ・ケ・ン?」  
(なんだろう?)  
 具体的な漢字がまったく思いつかず、すず那はオウム返ししつつ首を傾げた。  
 
「ああ、やっぱり知らないか。そりゃそうよね。治験というのは、まだ病院や市場で販売さ  
れたり利用される前の段階にあるいろんな薬を、人それぞれどんな作用があるか、どん  
な問題があってどのように改良していけばいいか知る為に、沢山の人に使用していろん  
なデータを取るボランティアのことをいうのよ」  
 進藤医師の台詞は、かなりかみ砕かれて難しい部分を端折ってあるが、概ね必要なこ  
とをすず那に理解させるには、充分な内容だった。  
「ボランティア……」  
「そう。それでね、暫く……そうね、4月が終わるまで、かしら。その治験がすず那ちゃん  
の奉仕プログラムの主立ったものになるんだけど。構わないかな?」  
(どうせ……拒否権なんてないのに……)  
 どこか、自嘲的に思いながら、すず那は首を縦に振る。そうしておもむろに質問をした。  
「あの……それで、それはどんなお薬ですか?」  
「あら、気が早いのね。まあいいわ。あのね、ダイエットの薬です。あ、機密事項だから、  
他の人に言ってはだめよ?」  
「ダイエット……?」  
 学生を引き連れていない理由は分かったが、今度は別の疑問符が浮かぶ。標準体  
型には到底及ばない自分に、ダイエットなんてどういうことだろうか? と。  
「ああ、すず那ちゃんも勘違いして覚えてるのね。いいわ、これも解説しておきましょう。  
 ダイエットっていうのはね、本来、身体を健康的で正常な状態にする行為をさすの。  
決して『痩せる』ことが主目的じゃないわ。暴飲暴食する人が、それを改めて身体に優し  
い飲食を心がける。運動不足で体力が落ちている人が、日常的に歩くことをする。不規  
則な生活の人が、意識して規則的な生活を心がける。これらもみんな『ダイエット』にな  
るのよ。いえ、これらこそが本来の『ダイエット』ということになるかしらね」  
「そう……なんですか」  
 まったく知らなかった事実に、すず那はきょとんと目を丸くして進藤医師を見た。  
 
「で、具体的なことはちょっと説明できないのよ。そのお薬の影響が本当に薬によるもの  
なのか、精神的なものなのかが分からなくなっちゃうからね。ただ、すず那ちゃんは明日  
から検温の時間にある注射を打たれて、食後に必ずある薬を飲んで、指定された時間に  
保健室に行って採血を受けて夜眠る前にまたある薬を注射される。それだけ、覚えておい  
てくれたらいいわ。大丈夫ね?」  
「はい。大丈夫です。分かりました」  
(良かった……しばらくは……辛い目に合わなくて済みそう)  
 すず那は内心ほっとしつつ、進藤医師の言葉に頷いた。  
「ありがとう。じゃあ、そういうことだから、明日からよろしくね」  
 進藤医師は、そう言い置いてすず那の部屋から出ていった。  
 この『治験』に至った理由が、すず那をおもんばかった佐賀の進言によるものだったこと  
は言うまでもない。  
 
 そうして、入学式当日。  
 朝、いつも通りの羞恥まみれの日課をこなしたあと、すず那は進藤医師に昨日言われて  
いた注射の洗礼を受けた。てっきり腕や肩に刺す物だと思っていたそれは、すず那の臀部  
……まだ肉付きもない薄い桃色の尻に、複数回行われ、想像を絶する痛みに、すず那は  
泣きながら失禁した。看護師の話ではこれが毎日2回繰り返されるという。たった1日目に  
して、すず那の辛さからの開放という思惑は崩れ去った。  
 が、朝はそれだけで終わらなかった。食事を終え指定された薬を飲み、まだ少し痛む臀  
部をさすりながら、すず那は新しい制服を纏う。今時珍しい部類に入るであろうセーラー  
服。だが、決して野暮ったいデザインではなく、品のいい可愛らしさとお洒落さで、この辺の  
学生たちの間では大変人気のある制服だった。この制服着たさに、猛勉強の末北海道や  
九州から入学してくる生徒もいるくらいだ。  
(高校生……か)  
 なんだか面映ゆい気持ちで、鏡に映る自分を見ていると、担当看護師の小池が部屋に  
現れた。  
「あらあら、早いね。もう着替えちゃったんだ。似合うじゃない、制服。可愛いよ、すごく」  
「ありがとうございます」  
 ぺこりと頭をさげるすず那に、小池は紙袋を渡す。  
「はい。これ、入学祝いね。開けてみて」  
 
 促されるまま恐る恐るあけたそこには、真新しく可愛らしい絵柄のおむつカバーが数枚  
入っていた。そうしてやはり、『奉仕特待生 桐生すず那』の文字がでかでかと記されてい  
る。  
「こ……れ……」  
 さっきまで薔薇色だったすず那の頬が、みるみる青ざめていく。  
「可愛いでしょう? バックプリントもいいけれど、こうやっていろんな動物が意匠されてい  
るのも、女の子らしくていいと思って。あんまり似たデザインばかりだと飽きちゃうからねー。  
ほらほら、横になって。折角だからこっちつけて行きましょう」  
 看護師は強引にすず那をベッドに横たえ、手早くおむつカバーのみを交換してしまう。  
「あっ……やだ……だって……そんな……」  
 逃げ出したいと心底思いながら、結局そのまるで赤ん坊のようなおしめカバーは小池の  
手でてきぱきとつけられてしまった。  
「はい、いい子だったわね」  
 口先でそう言いながら、すず那を立ち上がらせると、小池はすず那のスカートを直し始め  
た。下げるのではなく、ずり上げる方向へ。  
「やめ……やめて……く……」  
 拒否の言葉も全部いい終わらぬうちに、すず那のスカートはそれまでより十センチも引き  
上げられ、真新しいおむつカバーが丸見えの状態になっていた。  
 慌てて裾を引き下ろそうとするすず那の手を、小池は強く叩く。そうして何度も繰り返されて  
きた、絶望的な言葉を投げ掛けた。  
「忘れないで。あなたは奉仕特待生なの。奉仕特待生はいつでも誰にでもそうと分かるように  
心がけなくてはいけないの。その首のタグとおしめカバーについている名前は、あなたの名札  
と同じなの。奉仕特待生なんだから、これが当たり前。……分かってるでしょ?」  
 すず那はいやいやと首をふり、何度もスカートを直そうとする。そうして何度も手を叩かれ、  
その手の甲は真っ赤になっていく。業を煮やした小池は、すず那の両手を掴み再度言い聞  
かせた。  
「もう一度言うわよ? 奉仕特待生は、そうと分かるように振る舞う義務があるの。これもその  
一つ。おしめをする高校生なんて普通はいないわ。あなたが奉仕特待生だからおしめをして  
るんだって、皆さんにちゃんと知って貰わないといけないの。すず那ちゃんは、奉仕特待生  
なの」  
 
 入学式の朝だというのに、すっかり打ちのめされてしまったすず那は、その場にへたりこ  
み、声をあげて泣き出した。小池はすず那が泣きやむのを辛抱強く待ち、それからすず那を  
立たせると、高等部へと送り出す。  
 内心のもやもやは不消化のまま、華々しい新入生の中にあって一人、すず那だけが暗い  
顔で高校生活第一日目をスタートさせた。  
 
 送り出された病院から高等部、係りに誘導されて講堂に案内されるまでの道のりは、当  
然すず那に視線があつまり、事情を知るものもいれば知らぬものもいて、散々聞こえよがし  
の噂の的になった。  
 隠すことも許されず、逃げ出すことも叶わず、始終俯いてやりすごすすず那を式次第に  
則って挨拶していた校長が、マイクを使って名指しした。  
「桐生すず那さん」  
 ぎょっとして校長を見ると、壇上から手招きしている。やむを得ず立ち上がりそちらへ向か  
うと、今度は登ってくるようさらに指示される。  
 どう考えてもあられもない姿のすず那は、今、校長よりも余程強く注目を浴びて入学式に  
臨んでいることになる。  
「えー、彼女は奉仕特待生の桐生すず那さんです。奉仕特待生というのは、医療・医学の発  
展に貢献するため、進んで自分の肉体と精神を医学研究の糧に投じた大変志の高い人達  
です。時には辛い検査などもあるようですが、逃げ出すこともなく……」  
 だらだらと、校長はその意義がどんなに素晴らしいか、それに参加している彼女がどれほ  
ど立派なのかを話し続けている。その間すず那はまったく顔を上げることも出来ず、全校生  
徒に己の姿を晒す羞恥に堪えていた。  
「それじゃあ、桐生さん、挨拶をしてください」  
(えっ!)  
 まさか、そんな馬鹿なと思ったが、校長はすず那にマイクを差し出している。仕方なく小さ  
く頭をさげて「桐生すず那です」と名前を言ったが、校長はそれで納得しなかった。  
《駄目ですよ。スカートをまくって、おしめカバーについている名札を皆さんにちゃんと見せ  
なさい。それが義務です》  
 校長の言葉に、すず那は思考停止してしまい、その場から動けなくなった。  
(みせ……みせるって……どうして?だって今は入学式で……だからそんなこと……)  
 
 パニックに陥っているすず那に、一つ溜め息をついた校長はくるりとすず那を後ろに向か  
せ、前屈みにさせるとそのスカートを持ち上げすず那の手に裾を掴ませる。  
《私の挨拶が終わるまで、そのままじっとしているんですよ》  
 校長は更にそう耳打ちして、すず那に恥辱にみちた姿勢を維持させ、自分はスピーチを  
再開した。  
「彼女は全身が貴重なサンプルです。ご覧になった通り、排泄すら羞恥を捨て彼女は捧げ  
ているのです。このおしめカバーはその証であり、またもっと実際的に彼女が排泄したもの  
がこぼれて無駄になることのないよう受け止めています。高校生にもなっておしめをするな  
ど、皆さんには想像できないことかもしれません。ですがそれもすべて彼女、いいえ彼女た  
ち『奉仕特待生』の素晴らしい犠牲の心によるものなのです。ですから、己と違う、お漏らし  
をする恥知らずなどと彼女を辱めることなく、つねにいたわりと感謝の気持ちで、彼女と接し  
てくださるよう願います」  
 滔々と実に流麗に、誰よりも一番校長自身がすず那を辱めているわけだが、その事実に  
はまったく頓着していない。そんな拷問に等しい説明ゆえにすず那の耳にはもう、意味のあ  
る言語として届かず、時々混じるきーんという耳障りなノイズと大差ない。  
 じっとしていることが、少し苦痛になり始めすず那はやっと現実に引き戻される。校長の話  
はまだ、終わりそうもない。  
(いつまで……こうして……)  
 そこまで思った時だった。  
――ジャァーッ  
 何の前ふりもなく、尿意もなくすず那は壇上でおむつに失禁した。  
(や……うそ……どうして……)  
 びっくりして必死に止めようとするが、まったく意のままにならない。それどころか、激しさを  
増し、おむつは重みを増やして少しずつ垂れ下がっていく。  
(こんなところで……こんなに沢山の人が見ている前で……お漏らしなんて……。やだ……  
どうして止まらないの?どうしよう、このまま止まらなくて……横から零れてきちゃったら……  
どうしよう……)  
 自分の粗相に困惑するすず那のことなど気づきもせず、校長はまだ話し続けている。はじ  
めほどの勢いはないが、「それ」と分かる程度にちょろちょろと間断なく、すず那の尿はおむ  
つへ溜まっていく。  
 
「彼女のお漏らしや検査・処置などで、授業に影響がでることなどないよう、病院側には充分  
取り図って貰う所存ですが、それでも至らぬ仕儀は出てくることと思います。そんな時はどう  
ぞ、あなたたちも彼女を見習い『奉仕』の徳でそのこと受け入れ、彼女に負けぬよう勉学に  
励んで貰いたいと思います」  
 すず那の失禁と、校長の話が終わるのは同時だった。許されて壇上を降り、自分の席に  
座るまでの間、溢れてきはしないかと、すず那は気が気ではなく、また不自然な格好の維  
持ですっかり足が痺れ、その歩き方は一見すると歩き始めの幼児のような覚束無いものに  
なっていた。  
 イスに座った瞬間、周囲にいる数人の生徒は、すず那の発した音を耳にした。  
――グジュッ  
 それは、失禁して吸い取られきれなかったすず那の尿が、紙おむつの中を何度も行きつ  
戻りつしている音で、当然すず那自身はもっと大きくその音が聞こえていたわけだから、耳  
まで赤くして、結局また、ずっと下を向いている羽目になっていた。  
 
 

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