『私立純健大学』  
 目の前にある重厚な門には、しっかりした字でそう記されている。その横には構内の案内表記が  
表示され、都会のど真ん中にこれほどの敷地を要する大学があることに、いくばくかの違和感を覚  
える。  
 
『当日は、病院の受付で最初の手続きをしてください』  
 手元にある書類には、そう太い文字のうえにご丁寧に下線まで引いてある。  
(こんな広いところから、病院を探し出すなんて……)  
 軽く眩暈を覚えて溜息をついた少女−桐生すず那は、案内表記を順に指で辿っていく。  
 
 純健大学は幼稚舎から大学院までを要する名門学術団体で、更には付属の病院、養護施設、障  
害者施設など、「福祉」「奉仕」などに関わる分野に幅広く手を差し伸べる世間でも有名な組織であ  
る。  
 すず那は、その順健大学附属高校にこの春から通うことが決まっている。が、現在のすず那の状  
況では学費をまともに払うことはままならない。両親はすず那に多額の借金を残し、弟や妹をつれ、  
どこかへ行ってしまった。中学までの成績が良かったすず那は、ある特別なルートから高校へ通学  
する代償に『奉仕特待生』として医学の発展に貢献するように……という提示を受けた。  
 天涯孤独になってしまったすず那に、「ノー」を言う資格はなかった。言われるまま、家を売り、家具  
なども売り払い、ごくごくささやかな私物だけをバッグに詰め、後悔と決意に打ち拉がれながらも、ま  
だ幼さの残る眼差しでこの大学へ訪れたのだ。  
 
(大学院、薬学部、保育部……こっちは中学と……私が通うことになる高校。幼稚舎に小学校、これ  
は……教会?そんなものまであるんだ……。それで、病院はどこ……?ここは植物園で、こっちは  
学生寮?……あ、あった。まだ随分歩くんだわ。こんな不便なところに病院があるなんて……患者さ  
んたち困らないのかしら?)  
 奥まった林に囲まれた一角に、順健大学附属病院の文字が見える。よく見るとそちら側にも、きちん  
と門がある作りになっているようだ。これだけ広い敷地なのだから、複数の入口があるのは、まあ当然  
かもしれない。  
(最初から、『病院』を素直に目指すべきだったのね……。仕方ないから頑張って歩こう)  
 ただでさえ、これから行われる生活への不安が募っているすず那にとって、この出足の小さなつまづ  
きは余計気を滅入らせるものとなってしまった。  
 
「ここ……だよね」  
 奥まってはいても清潔で近代的な建物に、少し気が楽になったすず那は、自動ドアをくぐり中にあ  
る受付へ向かう。ロビーには診療待ちや薬の順番をまっている患者が大勢いて、なかなかの盛況  
ぶりと言えた。  
「あの……。桐生すず那です。ここへ行くように、書類に書いてあったんですけれど……」  
 受付で、忙しそうに書類を整理している女性に声をかけると、ちらり、と冷たい目がすず那を射抜く。  
「……なんの書類ですか?」  
「あ、えっと、あの……奉……特……生の」  
「……は?」  
「だから、奉仕……特待……生の書類です」  
「ああ、『奉仕特待生の桐生すず那さん』ね。」  
 その瞬間、呼び出しマイクのスイッチがオンになり、ロビー中にすず那の名前と『奉仕特待生』の言  
葉が響き渡る。  
 しーんと静まり帰ったロビー。それからひそやかな囁き声があちこちで交わされる。  
 
(奉仕特待生?なんだそりゃぁ?)  
(知らないのかい?この病院は……)  
(へぇ、あんなに若い子が……可哀想にねぇ)  
(それだけじゃなく、噂では……)  
(いや、そんなことより実は……)  
 好奇心に満ちた呟きがすず那の心臓をぎゅっと鷲づかみにする。目を伏せ、唇を噛み締めていると  
、受付の女性は、冷静な声ですず那に話かける。もう、マイクのスイッチは切られたようだ。  
「それで、桐生さん、先生が待っておられますから、診察室の4番に入ってください」  
 彼女は、マイクのことを謝罪する気もなく、それだけ言うとすず那への興味を完全になくし、また手  
元の書類と格闘し始めている。  
「……ありがとうございました」  
 恥ずかしさと悔しさを堪えつつ、なんとかそれだけ言って指定された診察室へと入っていく。他の部  
屋には沢山患者が待っているのに、この部屋は誰もいないようだ。  
 
「失礼します……」  
 小さな声でそう言って中へと入っていく。そこには一人の女性が白衣を着て座っていた。  
「はい、どうぞ。桐生すず那さんね。ようこそ、順健大学へ。私はあなたの担当医になる進藤佐津紀  
です。よろしくね」  
「あ、はい、よろしくお願いします」  
(良かった、担当の先生が女の人で……)  
 心なしほっとしたすず那。しかし次に発せられた進藤医師の言葉でその安心は完全に吹き飛んで  
しまう。  
「それじゃあ、初期値検査をしますから、着ているものを全てぬいで下さい」  
「え……」  
「だから、今着ているものを脱いでちょうだい。そのままじゃ何も出来ないから」  
 
「……分かり、ました」  
 しぶしぶ、ブラウスを脱ぎ、スカートを降ろしたすず那。  
「スリップも忘れないでね」  
「はい……」  
 肩ひもを外し、ストンとピンク色のスリップを落とすと、横にあるカゴに脱いだものを入れていく。  
 その時……。  
「遅くなりました!」  
 どやどやと数人の足音がしたと思うと、すず那と進藤医師のいる診療所に男女とりまぜ5人ほどの  
集団が現れる。  
「きゃっ!」  
 叫ぶと身体を隠すように身を縮めて、すず那はしゃがみこんだ。  
「遅いわよ。治療・診療は問診からが大事なのに、そんなことじゃ困るわ」  
 不機嫌そうな進藤医師の声に、リーダー格とおぼしき青年が困ったように頭をさげる。  
「すみません。小児科の業務をちょっと手伝っていたものですから……」  
「……そう。まあいいわ、次から気をつけてちょうだい。それに問診はまだこれからだしね」  
 進藤医師は肩をすくめ、それから蹲っているすず那にようやく気付いたようだ。  
「桐生さん、何をしているんですか?指示された通りに動いて貰わなくては困るのだけど……?」  
「で、でも……こんなに沢山の人がいて……お、男の人も……」  
「あら、彼らのことは気にしなくていいのよ。私が指導している研修医と学生たちだから。それに気に  
していても始まらないわ。あなたはこの子たちに手技のあれこれを指導する教材になる為に、奉仕  
特待生として、この大学の附属高校へ進学出来るんですからね」  
 事務的で、淡々とした物言いとはうらやはらに、その目に怪しい光が宿っている。しかし進藤医師  
がそうした目ですず那を見ていたことに、すず那は全く気付かなかった。  
「そう、それに……。この子たちだけじゃないわよ?あなたは、この大学で過ごす間、大学を卒業し  
て場合によっては大学院を修了するまでの合計9年間、留年や落第なんかで運が悪ければもっと  
だけれど……、ありとあらゆる研修医や看護学生、作業療法士や機能療法士たちの実技実習や研修、 
そういったことにすべて、『奉仕』しなくてはいけないことになってるのですからね」  
 
 すず那は、初めて自分がとんでもないことに陥ったのだ、と自覚した。それは不安や戸惑いを感じ  
ていただけのさきほどとは違う、明らかな恐怖感だった。  
「そ、そんなの私、でき、できません……だって、そんな……」  
「できなくても、しなくてはいけないわ。あなたは奉仕特待生なのだから。ともかく、ブラジャーとパン  
ティも脱いで、気を付けの姿勢をとって頂戴。話はまたそれからよ。それとも、彼らに介護して貰う?  
まあいずれ介護実習の教材にもなるだろうから……それがちょと早くなるだけの話よね」  
 進藤医師は「彼ら」と言いながら、実習生たちの方をちらりと向く。  
「い、いいえ。自分で……、はい……。あの、自分で、脱ぎます……」  
 触られるくらいならいっそ、と思ったすず那は、慌ててブラを外してカゴにいれる。それから片手で  
胸を隠しながら、おずおずとパンティをずりさげる。  
『ヒュウ』  
 どこからか、そんな口笛の音が響く。誰が犯人かは分からない。  
「こら、不謹慎ですよ。これも実習なんだということを忘れてはいけません」  
 進藤医師は軽くそうたしなめると、続きを促すようにすず那に目を向ける。  
 意を決して、腰から膝、そして足首へパンティを落とし、軽く前屈みになって足首から片方ずつその  
小さな布の塊を抜き去り、これもまたカゴへと置く。  
 
 困ったように、胸と股間を手で覆っているすず那に、進藤医師はまた容赦のない言葉を浴びせかけた。  
「ほら、気を付けの姿勢をとって頂戴。大丈夫よ、あなたはまだまだ全然上も下も子供の身体みたい  
だから、恥ずかしがる必要なんてないわ」  
 すず那はかっ、と顔に血をのぼらせる。確かに胸もまだまだ発育途中で、アンダーヘアも数える程  
しか生えていない。生理も中1の時に初潮は来たが、基本的には不順で、両親と借金のいざこざが  
起きてからはすっかり止まってしまっていた。  
 おずおずと、手を横へ下ろしていく。息が早くなって恥ずかしさで眩暈がして来た。気をしっかり持つ  
為に、ぎゅっと力を込めて手を握る。  
「はい、楽にしてね。それじゃあ簡単な質問からにしましょうか。お名前とおとしを教えてください」  
「桐生……すず那。15歳です」  
「血液型は?」  
「……A型です」  
 
「既往歴……過去に病気や怪我をしたことはありますか?」  
「風邪と食あたり、小さい子がかかる麻疹や水疱瘡くらいは……」  
「おたふく風邪とか、風疹とかはやりましたか?」  
「……たぶん、やったと思います。でも分かりません。記憶にないです」  
「そう。インフルエンザなどの予防接種を受けたことは?」  
「過去に何度か……学校で……」  
「ああ、そうですか。それじゃあね、毎日お手洗いにはどのくらいの頻度で行きますか?」  
「……え……?」  
「だから、お手洗いです。おしっこやうんちのだいたいの回数を教えてください」  
「……だいたい……5回から……8回くらい……です」  
「それはおしっこが、よね?」  
「はい……」  
「それじゃあ、うんちは?毎日出てますか?それとも便秘気味?」  
「……毎日は……出ません」  
「今日は?」  
「……で、て…ません」  
「そう。便秘が一番酷かったの時は何日くらい続きましたか?」  
「……一週間くらい……」  
「そう、それは苦しかったでしょう?」  
「……はい」  
「出ない時はどうしてますか?何かお薬を使ってる?それとも病院で診て貰ったことがある?」  
「……いつも……自然に任せていて……」  
「ああ、じゃあ、お薬への耐性は全くないのね。あ、ここちゃんと記録しておくのよ、肝心なことですか  
らね」  
 後ろの方は研修医たちへの指示だろう。淡々と自分も話ながら次々とカルテにメモを記載していく。  
「それじゃあ、次の質問ね。乳房が膨らみはじめたのはいつごろ?」  
「……中1の春です」  
「そう。初めての生理が来たのはいつですか?」  
「……中一の7月……」  
 
「じゃあ陰毛が生えてきたのもそのころからかしら?」  
 すず那は、今度は声を出さずに小さくこくりと頷く。  
「分かりました。それで生理は順調に来てますか?」  
「……いえ。ここ1年近く来ていません」  
「あぁ、おうちのなかがいろいろあったからね。大丈夫、ここで規則正しい安定した生活をしていれば  
すぐに順調に戻りますよ。とはいえ、若い子はちょっとしたことで生理不順を起こします。女子のみ  
んなは経験があるわね?なので、思春期というのはとてもデリケートです。むやみと刺激したりしな  
いようにね」  
「はい!」  
 元気な研修医たちの声が、診察室に響き渡る。  
 
「それじゃあ、身長と体重を計ります。まずはこの体重計にのってね。佐賀君、体重の数値見てちょ  
うだい」  
「はい」  
 リーダー格の青年が、すず那の方へ体重計を持って近づいてくる。  
「これに乗って」  
 おそるおそる体重計の上にたつと、佐賀はすず那のむき出しの足の下にかがみ込む。視線がちら、 
っとすず那の殆ど無毛に近い股間に一瞬走らされる。  
(いやだ……)  
 きゅっと目をつむり、しかし手で隠すことは叶わず、いまのすず那はその一時が終わるのをただも  
う、心を殺して待つしかない状態である。  
「39キログラムジャストです」  
「あぁ、やっぱり軽いわねぇ。ごはん、あんまり食べて無かったのかな?」  
「……そ、んなこと……」  
「そ、それじゃあ次は身長ね」  
 今度は進藤医師手ずから、身長計のある一角へすず那を連れて行く。ベッドの脇にある身長計は  
どういうわけかキリンの絵がついた子供用のものだ。  
 
「おーい、いくらこの子がちっちゃいからって、これはないんじゃないの?誰だー、これもってきた奴  
はー」  
 多分、健康なすず那だからこそ、こんな冗談を飛ばせるのだろう。本当の患者相手にこんなこと  
をしたら、おそらく訴えられる。  
 すず那は、軽い現実逃避を覚えながら、身長計に大人しくたつ。  
「あれれ、計れちゃうよ。139センチ。まあ、身長引く100の理屈でいけばだいたい標準ってことかなぁ。 
そのうち背も体重もそれなりに育つわよね」  
 今では進藤医師が、最初の優しげで女性的なイメージとは正反対な男性的な医師だということが  
分かってきたすず那は、そんなくだけた物言いをしても余り気にならなくなっていた。  
 ただもう、恥ずかしいこの一時から逃れたい。頭のなかはその思い一色に染まっていた。  
 
 
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