人物
俺:高2の男子。名前は紺。あだ名は「キツネ」
彼女:高2の女子。名前はゆつき。紺とは小学校からの付き合いで、紺や親しい仲間には「ゆっき」と呼ばれる。
今は夕方で放課後だった。
夕日がくっきりと教室の隅々まで朱く染め上げ、彼女と俺以外誰もいなかった。
彼女は両手で箒を持って、ただ静かに、疲れた表情で、軽く伸びた髪を揺らしながら、床を掃いていた。
俺はただそれを眺めて、ずっと机に座っていた。何をしていた訳でも無かった。ただ、どうしてだがわからないが、そうしていた。理由も無く彼女を眺めていた。
「あのさぁ。あんたもやってよ掃除」
口を開いたと思ったらそれか、と正直落胆した。
彼女の綺麗な顔が少し不服そうに歪み、その瞳は俺を睨みつけたまま、固定されていた。濃い茶色の瞳が、夕日で朱く染まっていた。
まるで赤セロファンを通して世界を見ているようだ。
「なんか言ったらどうよ!?」
「赤セロファンを通してるみたいだなーと」
「はぁ?」
「ん?今日は夕日が綺麗だからな。誰かさんも真っ赤に染まって綺麗だから、見とれてたんだよ」
彼女は沈黙し、顔を俯ける。
だがすぐに顔をこちらに戻した。怒りがありありと見て取れる。
「なんで平気でそーゆー事言えんの!?」
「どうしてだかわからないけど、自然に」
「あっあのねぇ!彼女に言いなさいよ彼女に!」
「いや俺彼女いねー」
「じゃあ、あたしに言わないでよ!変に勘違いしちゃうでしょバカ!」
「何を?」
「何をって何が」
「何をどういう風に勘違いすんだ?」
彼女は止まり、俯き、うなだれた。ただ、さっきよりも顔が朱く見えるのは気のせいなのか、それとも本当なのか。
「あっあああんたが!」
びしっと俺を、箒を持っていない左手で指差す。いや、そうしようとした。
だが彼女は、少し混乱していたせいなのか周囲の状況を把握し忘れたようで、思いっきり手を机の角っこにぶつけた。
がん。
「いったぁ〜い!!」
「…大丈夫か」
優しく声をかけたつもり、だった。
だが彼女はそれが気に食わないらしく、涙目で俺に掴みかかった。
こいつ狼かっ!?
「ぐっほ!」
どべっと床に叩きつけられ、鈍い音を立てて頭を打った。鈍痛が走り、ああ俺は受け身を取れないぐらい驚いてたんだな、と少し冷静に悲しんでいた。
「あんたさぁっ!あんたさぁっ!」
彼女は、泣いていた。涙が俺の顔に落ちて、少しの暖かさを与えた。
そして、胸を鷲掴みにされたような苦しみも。
「あたしをおちょくってんなら変に優しくしないでよ!バーカって笑えばいいじゃない!なんで?なんで!?」
マウントポジションなので、胸ぐらを掴まれて何度も揺さぶられた。彼女は俺の顔を見つめず、一瞥すらせずに俺の胸ぐらを揺すり、叩いた。
「ゆっきが好きだからだよ」
どうしてだかわからないけど、すらっと口から、胸から、心から、言葉が出た。
「…え…っあ…うそ?」
「うそ」
「クソバカっ!」
振り上げられた拳をなんとか寸前で押しとどめ、空いたほうの右手で、彼女の背中に手を当て、ぐっと引き寄せた。
「冗談だよ」
彼女は相変わらずに泣いていて、相変わらずにバカっ、と力無く繰り返していた。
どうしてだかわからないけど、ゆっきがたまらなく愛しくて、たまらなく悲しくて、ただ抱き締めた。