その後、三人になる機会を得た。  
 期末試験の終わった後に屋上の給水塔の裏で、姉の胸を制服の上から触っているのを  
環に見られてから、巧は二度と学校ではなにもするまいと決めた。環が、  
「あんたら、それだけは絶対やばいから」  
 と両方の頭にゴツンと拳を振り降ろしたので、真剣に反省する。都の方は、ぱっと見  
赤くなっているだけのような気がしたので、巧は人さし指を姉の唇に近付けてみた。  
 ちょっと怖い顔をされたので、逆にほっとする。  
 自分以外は冷静だということだ。  
「ところで姉ちゃん達、なんかめちゃくちゃ寒いんですけど」  
「そりゃ冬だしねえ」  
「中に戻りてえ……」  
 巧はぶるっと身体を震わせる。陽が陰ってきて、お世辞にも暖かいとは言えない。  
 巧は都を腕の中に抱えた環ともたれあっていたのだが、それを見た環がいそいそと巧  
の反対側に移ってサンドイッチしてきた。  
 都も直接巧にもたれかかってきて、そうすると結構暖かい。  
 そうやってしばらくじゃれあうように時間を過ごし、陽が傾かないうちに、と屋上か  
ら降りていく途中、クラスの馴染み連中と出くわした。  
 
「おまえら、なに残ってんの……」  
 と巧が軽くやり過ごそうとすると、その中にいた清美がじっと巧達の方を見てから、  
「一瞬、どっちとつきあってるのかわかんなかった」  
 とドキッとすることを言う。  
 男子の間では巧は、やっかまれる反面一目置かれるような、多少気持ち悪い扱いを受  
けていた。因縁をつけようとしたり、逆に変にあやかろうと近付いてくる者もいないわ  
けではなかったが、大橋守やこの残間清美のような一部の変わり者がいたおかげで、巧  
の周りは概ね平穏だった。  
 巧が冬休みのこととか、友達同士での企み事を調整している間、都と環は昇降口まで  
降りて行って内緒話をしていた。  
   
「イヴイヴにさ、由美と三人で出掛けない? 巧くん抜きで」  
「いいけど……」  
 都は環のこの手の誘いには慎重に受け答えすることが多かった。  
 今の由美にはなにやら熱心に取り組んでいることがあるらしいのでそのままに見守っ  
ているものの、後ろめたさは依然として残っている。  
 都としても友人としてできるだけのことはしてやりたいので、だからこそ今はそっと  
してある。  
 それはともかく、12月の23日、いわゆるイヴイヴのその日に、  
「カラオケボックスでお勉強ってどうなのよ」  
 
「お勉強じゃないもんねっ、お披露目なんだぁ。あ、ここは全部あたしが払うからね」  
「なんで?」  
 環が首を傾げると、由美は革鞄の中からなぜか預金通帳と変な書類を持ち出した。  
「なにこれ」  
 と覗き込んだ環は卒倒しそうになり、  
「これもしかして自分のなの?」  
 と由美に聞きながら都を押し倒して、都にも中を見せた。  
「小遣い稼ぎのつもりだったんだけどぉ、もうね、勝ち決定?」  
 たぶん由美一人では、普通に暮らしてたら一生かかっても使い切れない×5ぐらいの  
金額が記帳されたそれを、環は生まれたての特別天然記念物(カブトガニとか)でも扱  
うような危うさで由美の手に返した。  
「あんたって、やっぱり天才?」  
「で、財テクお姉さんに呼び出された俺はなにをすればいいのでしょう」  
 いないはずの巧の声に都と環はドキッとして振り仰いだ。  
「あれ、由美巧くん呼んだの?」  
 入り口でダウンジャケットをばさばさ脱ぎ出した巧は、そのまま由美の横に収まり、  
環がそれを見て、  
「ああっ、なんか怪しいぞ、そこっ!」  
 と茶化すのを都は見渡していた。  
「そりゃ、あたしたちは一度キスした仲だもんねぇ〜?」  
 由美が言い出したことに巧は慌てた。  
 
「ちょっ、あれはその」  
「ふーん」  
 環が行儀悪くテーブルの上に乗り、対面の巧の方ににじり寄る。  
(あっ、またなんかいらんこと考えてる)  
 と巧が逃げようとすると、  
「こーんな風に──」  
 と由美が環と巧の後頭部を捕まえてサンドイッチにした。予定外のこんな場でのキス  
に、二人で目をぱちくりさせる。  
「──あの頼子さんにやられただけよっ! ふーんだ、そこっ、やって欲しそうにしな  
いっ!」  
 と今度は、由美は都をつかまえて巧にぶつけた。  
 唇の事故、それは都の胸に来た。とても新鮮な感覚。  
 こんな風にするキスなんて、自分と相手だけではできないわけで、なにかそれだけで、  
都は自分を巧にとっての普通の女の子のように扱ってくれるこのいわくつきの親友を忘  
れられないと思う。  
 彼女が幸せになるだろうことにも疑いはなかった。  
 自分はどうなるのだろう。  
 巧が死に物狂いでやろうとしていたことを自分は無慈悲にも完全に破壊し、だけどこ  
うやってまるで恋人にでもなったみたいに側にいる。  
 自分の性格が嫌にもなり、でも自分をやめることもできない。  
 
 これから巧と離れ、東京の大学に行く。  
 都は、それだけはちゃんとしようとしている。  
 
 夏も冬も雨も 遠慮がないからきらいだ  
 君も僕も彼も 遠慮がないからきらいだ  
 でも大好きだ  
 君が大好きだ  
   
 巧が嫌がらせのような歌を唄っているのを見つめる。  
 不思議とすんなり受け入れていたが、  
   
 血が止まらな〜い  
 血が止まらな〜い  
   
 巧が自分の方を向いてそんなのを唄い始めた時にはさすがに切れて、都は真っ赤になっ  
て巧を殴りつけた。  
 
 §  
   
 とある女の子イベントの翌日、巧は駅前を巡り歩きながら、環に久しぶりにお茶をお  
ごっていた。  
「環さんはさ、最初俺のことどんなやつだと思った? 最初から好きだった?」  
 恥ずかしくて聞きにくいことを、時々こうやって聞くようになっていた。  
「ずっと遠くにある宝石を見つけようと思って双眼鏡で見ていたのに、ふと足下を見た  
ら大粒のダイヤが落ちてた──って感じ。一も二もなかったけど?」  
 環は恥ずかしげもなくあっさりと答える。  
「はあ、さようでございますか」  
「しかもそのコが恋人になってくれて、私も女だから、惚れた男がさ、言い寄ってくる  
女を片っ端からちぎっては投げちぎっては投げってはねつけるのを見るのは、そりゃ嬉  
しかったな」  
 そこで環は寂しそうに笑い、  
「でもその中に都も入ってるのがすごく悲しかったの」  
「環さんの動機はそれだったわけね……」  
 いいけど、と巧も気楽に昔を振り返った。  
 自分達の周りの時間の過ぎていく速さに、巧はついていけていなかった。  
 先日も休みを利用してマンションを探す二人につきあって上京し、まぶしい喧噪の中  
で都会人の毒気にあてられながら、巧はやがて現実に来るその日を感じていた。  
 
 安く上げるためとかいろんな理由で、姉と環は二年間二人で生活するらしい。  
 あれだけ大騒ぎをしておいて、春になればこの学校には巧一人だけになるというのに、  
痛くも痒くもないとでもいうような、二人が表面上はそんなふうに冷静なのが気に入ら  
なかった。  
 巧は思いあまって、いままでためらっていた姉とのコトの顛末を環に話した。  
「そういう話をするってことは、私にもしてくれるってこと? 生で」  
「……あんまり環さんらしい返し方なんで、なんにも言えない……」  
「お返事は?」  
 環の邪悪な笑い方は完成度が上がっていた。  
「それっきりやってないんで、できればかんべんしてください、心臓に悪いから」  
 と降参する。  
「貸しにしとくからね〜」  
「環さんが行くガッコって新宿だっけ」  
 巧が無理矢理話題を変えようとするのを環はおかしそうに見ていた。  
 絶好調の厳しい冬ではなく、今年は暖冬だ。  
「ちょっと駅から離れてるけどねー」  
 それなりの寒さを楽しむように、やたらと外へ出ていた。自由登校で力が有り余って  
いる三年生と、そうでもない一年生。  
 今日は駅前で二人で過ごし、後から都が合流することになっている。  
 なぜかというと、それは巧が夜のうちにがんばりすぎたからだ。  
 
「あの人、運動不足だから。しばらく大人しくなってくれるといいんだけど、そうはい  
かないよなあー」  
「じゃあ、都もアレに開発されちゃったのね、このエロエロ少年のせいで」  
「いや、まだ」  
 巧はいいかげんあからさますぎる会話に赤くなったままで、  
「そんな気持ちよくはないみたい、まだ。しかもなんか、気にしてるらしい気配を感じ  
るんですけど」  
「へー、そっかー。なーんかドキドキするなあ、友達のそういうのって」  
 環は、例の表情で好奇心満々に巧を覗き込む。  
「環さんひょっとして、見たいの?」  
「うん」  
「元気よく言うなっ……」  
 巧が頭を抱えていると、  
「あっ、おーい、都こっち!」  
 話題の人物が巧のハーフコートを着て歩いてくるのを見て、  
「また俺の着てるし」  
 巧が不平を言うと、逆に文句を言ってきた。  
「これ、暑すぎる」  
「しかもなんか怒ってるし」  
 と横を向くと環がけらけら笑いながら、のぼせて顔の赤くなった都を扇いでみせた。  
 
 三人で出掛け、遊ぶのが当たり前になっている。  
 お互いのポジションに関して触れるようで触れない会話をし、じゃれあっていても誰  
も遠慮をしない。  
 そしていつものように巧を真ん中に三人でベンチに座っていると、  
「春に都の前で襲ってみせたでしょ」  
 と環は古めの話を持ち出した。  
「あのときの巧くんともう全然違うんだね」  
 環が目を細めて感慨深げに巧に見つめている間、都は目の前のなにもない空間をぼん  
やり見ていて、なにを考えているか巧にはわからなかった。  
 普段都に触れる時の巧から慎重さが消えることはない。今も触れずに姉を見つめてい  
るだけだ。  
「カッコいいよ、巧くん」  
 帰り際に環が唐突に巧に耳打ちして腕を絡めてくる。  
「サッカーやってる時とか走ってるときとかもいいけど、やっぱりそうやって都を見守っ  
てる巧くんはカッコいい」  
「どういう意味?」  
 環はそれには答えず、ふと思い出したように都を向いて、  
「東京に行っちゃう前にちゃんと気持ち良くさせてもらいなさいよ」  
 と捨て台詞を残して、一人で笑いながら夜道に消えていった。  
 
 こういうのが、家に帰ってもいっしょにいられる二人に対するおなじみの仕返しになっ  
ている。おそるおそる姉の方を振り返り、  
「バラすか、普通。別にいいけど」  
 と笑ってごまかそうとするが、無駄だった。例の低い声で、  
「そんなことまでしゃべるのね? それなら今夜中にでもそうしてもらうから」  
 と威嚇される。が、迫力がないのはやはり赤い顔のせいだろう。  
「いい加減無茶言うのやめてくれ、頼むから」  
「無茶だと思ったら巧がしなきゃいいだけのことでしょ?」  
 巧はその姉の発言に顕れた変化に新鮮な驚きを感じていた。  
 それは心境の変化というよりはシンプルな欲求に近く、巧との接し方をより現実的な  
形で欲しがっているように見えた。  
 今の巧に、そういう変化を拒む理由はない。  
「そう言えば俺、姉ちゃんが出てくる夢って見たことないな。覚えてないだけかもしん  
ないけど」  
「私はいっぱいある」  
 道すがら人目のないところではややつっこんだ、場所を選ぶ話をすることもある。  
 例えば今なら、  
「俺はなにか、姉ちゃんに精神的にストップをかけてるものがあると思うな」  
 一歩踏み込んで、そういう話をしながら帰ることにする。  
「明日さぼるからさ、また昼間堂々とやろうか」  
 と、自由登校で暇な姉を誘う。  
 
「俺たちはリスクを払っているんだから、その分気持ちよくならないと割りに合わない  
だろ?」  
 それで都はさらに変化したように巧には見えた。  
 この姉のわかりやすさはいつも脅威だったけど、受け入れてしまえばこんなにも心地  
がいいのは、懐の深いあの環に包み込まれているからだろうと思う。  
 環は会っている時にしかそばにいない。そばにいなくても、残された時間は消費され  
ていく。時間というのはこの世で最も冷静な存在だ。春になるまでこの速さは変わらな  
かった。  
   
 §  
   
 巧は、姉達の卒業式の日、由美とひとつ約束をしていた。  
「あたしとはここでお別れだねっ」  
 由美が屈託のない笑顔で言うのを姉や環と離れた場所で聞いていた。  
「都ちゃんをよろしくね」  
「それなりにね」  
「ひどーい。でも巧くんはいい加減なことしない人だもんね、信じてるから。極端な話、  
環ちゃんはなんの心配もいらないけど、都ちゃんは──」  
 これまで由美に話されたことはすべて事実だったと思う。  
 巧は姉の弱さを知った時に自分の弱さにも気付くべきだったし、自分の気持ちから逃  
れられないことを早々に察知して行動に移した姉は、むしろ理性的だったのだと思う。  
 
その行動が行き過ぎるところが感情的ではあったが、巧はもっと不誠実にでもいいから  
それを受け止めるべきだったのだから。  
 都が遠くから二人をなんとも言えない顔で見ている。  
 巧が今、また環の制服と付け毛で女装して由美を見送っているからだ。  
 そして今度は、  
「由美、愛してる」  
 と言ってから、そのまま目を閉じて顔を傾けた由美にくちづける。  
 そのお別れのキスが、巧と由美の最初で最後の約束なのだった。  
 環が、隠し持っていた使い捨てカメラをおもむろに取り出し、  
「激写!」  
 とか言ってるのを都が取りあげようともみ合い、じゃれあっているのを巧と由美は振  
り返って笑い、そこで手を振って別れた。巧は姉や環ともそこで別れ、由美にしばらく  
居場所を譲る。この日一日は三人と離れ、巧は家に帰ってのんびりしていた。このとこ  
ろ自身もサッカーをする以外の時間を持て余していたので、アルバイトをしたりして、  
今もそれとなくお金の使い道を考えたりしている。  
 そしてこの日、思い立って散財しに繁華街へ出掛けた。  
   
 目当てのものを手に入れて、それを姉の目から当面隠す方法を考えながら帰った。  
 春一番なる風もとっくに吹いて、二人と離れる日はもうすぐだ。  
 
 姉と環の間にどのようなことが話されているのか、巧は知らない。だから、巧は二人  
が自分に向ける好意だけを信じることにしている。もちろん完全に会えなくなるわけで  
はなく、距離的にもせいぜい電車で三時間。高校生には少々厳しい隔たりであることに  
は違いはないだろうが、ただ巧は二人のそれに関する素っ気無さが、なにに起因してい  
るのか知らないだけだ。  
 姉と、環と、身体を触れあわせるたびに残りの時間は減っていき、巧はただただ二人  
が腕の中にいる理由を考え、自分があと二年をこの町で一人で過ごす理由を考えた。  
 思い込み以外に得られる答えはない。  
 それでいいのだと思う。  
 わざわざ新幹線の駅まで見送りに出て、先に送りつけた荷物を追う二人についてホー  
ムまで上がった。環の差し金で、他の家族は来ないことになっている。  
 無駄にした時間はなかったはずだ。だから、巧は今不思議と落ち着いている。  
 都がトイレに寄っている間、環と言葉を交わした。  
「二年は都といっしょにいると思う」  
 環は二年で卒業だから。その後はまだ決めていないという。  
「私たちはいっしょにいるから、もし二年経って卒業した時にまだ好きでいてくれたら、  
その時には飛んできてね」  
「約束します」  
「浮気するならこの二年の間にしといてね。ていうか、しなさい。そのくらいしてくれ  
ないと私の気が済まないし。でも、そのかわり私たちのとこに来たら最後、させてやら  
ないからね」  
 そんな言葉に環の自責がかすかに顕れる。  
 
 夏休みに巧の身に起こったことで、環がどれだけ自分を責めて落ち込んだのか、巧に  
は想像することはできない。もし二年後彼女の前にちゃんと立つことができたら、その  
ときにそれもわかるのだろうか。  
 なんにせよ、最初にはるかの顔が浮かんでしまう自分に苦笑する。  
 環の前でそこまで罰当たりな想像のできる自分を、受け入れていいのかどうか。  
 だから建て前であっても、こんなことを言ってしまう。  
「環さん、あんまりその相手のこと考えて言ってないでしょ、それ」  
「そうだね、ごめん」  
 環が舌を出して、ちょっと黙り込んだ。  
 そうするうちに都が戻ってきて、代わりに環が離れたのを確認してから、  
「はるかに手を出したら殺すからね」  
 と言った。  
 心でも読んだのかと思うが、はるかの気持ちを知っている姉の、もっともな心配だ。  
 巧は肩をすくめ、  
「姉ちゃんこそどうなのよ」  
 と言い返す。  
 もちろん聞くまでもなかった。見る間に赤くなっている。  
(この人、二年間ずっとボディロックつけたりとか考えてないだろうな……)  
 やりかねない姉なので、突っ込んでやろうかと思ったが、やめた。巧の中の姉に対す  
る執着は強くなっている。  
 
「とりあえず盆暮れには会えると思うけど、あとは巧くんに全部任せとくね」  
 二人は、ゆっくりとホームにすべり込んでくる列車を背にしている。巧はどんな顔を  
していいのかわからず、ただもてあました。  
 その最後に巧は、小箱が二つ入った紙袋を環に渡した。  
「これ二人に、魔よけのお守り。……ていうか男よけ?」  
「……後で電車に乗ってから開けるね?」  
 環が意味ありげに微笑んでそういうので、(バレバレじゃん)と恥ずかしくなり、  
「あー、うん。じゃあ」  
 巧が最後に言ったのは、それだけだった。  
 列車に乗る二人の背中に手を伸ばしかけ、由美と最後に話したことを思い出して、笑っ  
て見送っていく。  
『巧くんが二人の面倒をみるんじゃないの、巧くんが二人のものになるんだよ?』  
 そんなことをあの魔法使いは言っていたのだ。  
 つまり、むしろ都と環の『共有物』になった巧が、不良グループに監禁された女子高  
生のように(そんな話があるのかどうかはともかく)、自分の心と現実の折り合いをつ  
けてこの先、生きなければならないということなのであって、巧が罪悪感を感じる必要  
はないと言っているのだ。  
 
 そういう変なことばかりを言われて、常識的な物の見方がなんだかわからなくなって  
くる。それでいいのかもしれないし、よくないかもしれない。巧には、二年間で強くな  
ることが課せられていて、結果として二人を受け入れられればそれでもいい。そうはいっ  
ても、人の気持ちはどうなるものかわからない。二人が巧をちゃんと待っている保証だっ  
て本当はない。だけど、こういうことは年上の方が不安になるものだ。  
 保証はないけれど、このままいけば自分達は三人で生きていくことになるのだろうと  
思っている。  
 でももしうまくいかなくなることがあっても、壊れずに自分らしく対処していける基  
盤のようなものはできた気がするし、たぶんそのおかげで不幸な離れ方はしないですむ  
だろうし、巧はそういう生きていく基本的な方向性を獲得できたと実感しているのだ。  
 さしあたって考えなければいけないのは、父やはるかのこと、環の家族のこと。  
 他になにもいらない、なんて無我無欲な人間はいない。だから、姉が最後まで自分を  
選び続けるとは巧は思っていない。  
 二年という時間がはたして長いのか短いのか、今の巧には想像がつかなかった。  
 今考えていることはとりあえず、はるかと一日置きになってしまう食事当番のローテー  
ションと、激辛料理の行く末だ。  
 バイト代の残りで香辛料を買い漁ろうと、巧は改札からまっすぐ繁華街を目指す。  
 
 
 
 
了  
 

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