予選大会のレギュラーが確定し、巧は練習に余念がない。  
 生徒会の引継ぎを無事終えた都は、それからの放課後をグラウンドで過ごすようになっ  
た。  
 一度だけ、あの男が通りすぎるのを見たことがある。  
 緊張した。そして目ざとく巧と、練習パートナーをやっていた部員がいっしょに話し  
掛けて来て、その緊張から解放される。  
 それはたった一度のことだったが、そしてあの男はたまたまそこを通っただけだった  
のだが、都は軋轢そのものからも解放されていたのだ。  
 そのことを思う。  
 都の目の前で巧は、ミスを繰り返しながらも、ひとつずつテーマをクリアしていく。  
 複雑な連携になるともう都にはその意味がわからなくなったが、巧の身体の動き自体  
はサッカーの動きであり、「上手い」とわかる。  
 その動きをずっと目で追い続ける。  
   
「いやー、こりゃまた大胆なことだねえ」  
「環……」  
 フェンス越しに鞄を持った環を認め、  
「終わったの」  
 
「こっちは室内だからそう長時間続けらんないのよ。もう暑くて」  
 がちゃがちゃとフェンスをいじりながら、  
「都は巧クンにべったりだし」  
「約束を果たしてもらってるだけよ」  
「いーなー都。私も巧クンにつきっきりで守ってほしい……」  
「後ろで後輩たちが見てるわよ。大人気じゃない、環」  
「女はどうでもいいの。ああ、緒戦敗退してサッカー部の応援に専念しようかな」  
「先輩、ヒドイ! がんばって優勝しようって……」  
 環のフォロアーとおぼしき女子バスケ部員の一部から悲鳴が上がる。  
「ほんと、酷い先輩……そういうことをするなら応援も行ってあげないし、友達もやめ  
る」  
「まあ、マジになんなって。それとも巧クンを独占していたいからとか?」  
 外野を片手間であしらいながら、環は笑っている。  
「この大会で引退だしさ、その後の時間の使い方を巧クンに相談しないとね」  
「受験勉強すればいいじゃない」  
「するわよ? 巧クンと。っていうかそっち入れてくんない? あ、私だけ」  
 後輩たちの悲鳴がまったく聞こえないふうに、環は移動してきて都の隣りに座った。  
「大会終わったら、由美の奴とも遊んでやんないとなー」  
「私は勉強するから、誘わないでね」  
 
「誘いませんとも、もう他に誘う相手は見つけております、お姉様」  
 環があくまで挑発する。  
 挑発だとわかっていて都はこれまで普通に受け流してきたのだが、今の都に流す余裕  
はない。顔には出さない代わりに、心の中は酷い状況だった。  
「勝手にすれば」  
「……」  
 環は背伸びをして、グラウンドに目を移した。  
「おー、やってるやってる」  
 ベンチにだらしなく腰掛け、短い髪を触りながら、  
「あ、ボレーシュートだあ。やるう……」  
 グラウンドの反対側の土手の上、サッカー部のファンらしき女子の一団が騒いでいる  
のが目に入った。半分は三年のレギュラークラスの選手たちに声援を送っているが、残  
りは全て巧の名を呼んでいる。一挙手一投足に反応されて、それでも当の巧がそれを意  
識している感じはない。  
 環はぼんやりとそれを眺め、飽きると、  
「待鳥くーん、だってさ」  
 都は応えず、目の前の世界に見入っている。  
 環は肩をすくめ、  
「あのうちの何人かはそのうち巧クンに告白するね、間違いなく。がんばらないと横か  
らさらわれちゃうよー」  
 
「それ、私に言ってるの?」  
 その都の声の低さに環は思わず引いてしまって、なんとか気を取りなおすと、  
「ちょっと心配でさー。都、オトコとつきあったことないじゃない」  
「要らないもの」  
「そこなのよ。巧クンがいるから、でしょ? もう18なんだからさー、ブラコンは卒  
業しないと」  
「……ブラコン?」  
「だからそうやって顔逸らしたまま凄まない」  
「……」  
「あ、ほら。練習終わったみたいよ? お疲れー」  
 環が立ち上がって、タオルを振り回しながらサッカー部員たちの方に駆け出すのを都  
は切なく見送る。  
 確かに恋と呼ばれるものをよく知らない。  
 恋愛映画を見たり友人たちの話を聞いたりしてそうかと思うものの、どこか他人事だ。  
 手紙で、口頭で、一方的に想いを打ち明けられて戸惑う。  
 でももしそれが既に知っている感情のどれかだとしたら?  
   
(……なんか、うーん)  
 巧は環から投げられたタオルを使いながら都のほうを見て、少し注意を引かれていた。  
 顔馴染の三年生たちと話しながら、時々環が笑い声を上げている。  
 
「遠山、あんたはエライ!」  
 それに引き戻されて、巧は環の横顔を見やる。  
 目元の締まった綺麗な顔だ。  
 姉の親友でなければアプローチしていたかもしれないと、出会った頃のことを思い出  
した。そういえばなぜ姉に気兼ねしたのだったか。  
(環さんって……年下好きそうだし)  
「なあに? 私に見とれてたか」  
 そんなふうに目ざとい環の相手をしながら、巧は都の様子に絶えず気を配っていた。  
微妙な違和感が消えなくて胸のあたりがざわついている。  
「いたっ!」  
 目の前がおろそかになってしまって、フェンスに体当たりした巧を見て環が大笑いし  
た。そこで見られていたことに気付いたらしい都が立ち上がって、グラウンドに背中を  
向けた。  
「いけね。急ぎます、先輩お先」  
 後片付けと着替えを手早く済ませて巧が出てきたとき、都はいなくなっていた。  
 探してみると、環もいない。  
 と思ったら思いきり後ろから抱きつかれていた。  
「やっ。お疲れ」  
 
 明らかに女、背中に押し付けられる胸のふくらみと体格ですぐに環とわかる。ついそ  
の感触に浸ってしまい、あわてて、  
「あのね。いいけど」  
「あら、うれしい」  
「姉ちゃんは?」  
「帰っちゃったかも」  
「ええー? なんだよそれ」  
 環を引きずって、巧は都を追いかけようとするが、背の高い環につかまえられている  
ので苦労する。  
「……なんで邪魔すんの」  
「んふふー。都に取られたくないから」  
「はあ? 姉ちゃんもなんか変だし、環さん、俺の姉ちゃんじゃないし……え?」  
「私も帰るわ」  
 環がさっさと身を翻し、手を振る。  
 応えておいて、巧は疑問符を回転させながらも、都を追いかける。  
「あんまり都を困らせんなよー」  
 少し投げやりな調子の環の声が背中に届く。  
「ありゃあ欲求不満だからなー」  
(なんのこっちゃ。欲求不満はこっちだっての)  
   
 
 

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