追いかけはじめて、すぐに歩いていく背中を見つける。
(まだなんかあるんじゃないか)
姉に感じる違和感から、巧の頭にはそれがある。
姉を悩ませているものに興味があった。
しばらくその後ろ姿を眺めて歩いた。
(ああいう制服のスカートってのは、お尻の形がいまいちわからなくてダメだよ。で
も、……ほんっと、手足は細いなあ)
姉の身体について、巧が思うのはまずそのことだった。
昔は巧も姉以上に線の細い子供だった。
髪をわずかになびかせながら、都は巧の前を行く。
巧は、今の不安定な姉に引き付けられたままの自分に、少しいらだっていた。
姉が何を考えていても、今までは大した問題ではなかったのだ。
今は無性に気になって、そしてそれに簡単に左右されそうになっている。
「またなんかあったろ」
追いついて並びながら、巧は意識して軽い調子で聞く。
「別に」
そっけなく、都は巧に顔も向けずに返して歩いている。
「そっかな、ここんとこ変だぞ。脳波乱れっぱなしって感じ?」
「変なこと言わないで」
そのまま都は黙り込んでしまう。そして、しばらく考えながら歩いていた巧の、突然
の一言に乱される。
「姉ちゃん、恋人つくれ」
都はそのまま歩いて、苦労して、やっとのことで言い返した。
「……何言ってるの?」
「環さんが言うにはさ」
「やっぱり環なのね……」
「なんだ、言われてんだ? あの人、言いにくいこと平気で言っちゃうからいいよなあ。
姉ちゃんの友達ってみんなああだよね。その割にっていうか、そのせい? 姉ちゃんく
らいになったら選び放題なんだし、馬鹿だけどいい奴いっぱいいるぜ?」
そのあとの言葉に、都は捕まってしまった。
「姉ちゃん欲求不満なの?」
「環に何を言われたのか知らないけど」
知っておきたいことがある。
まさかブラコンなんて言葉を聞かされていないか。
「放っておいて」
聞けないから結局そう言う。
連れだって門をくぐり、玄関を入って靴を脱いで、階段を上って、そこではじめて都
は巧を咎めた。
「どこまでいっしょに来るのよ」
「姉ちゃんの部屋まで」
「来ないで」
「あれ、冷たい」
その一言で巧があきらめて引いたものと都は思った。
扉がちゃんと閉まるのを確認しなかった。
明かりをつけずに、鞄を椅子に置いて制服の胸のリボンを解く。
スカートのホックに手をかけて、部屋の反対側にくるりと身体を反転させた時、自分
のベッドに腰掛けて楽しそうに見ている巧が目に入った。
そのまま身体が固まる。
「あ、もう振り向いちゃった」
「……何してるの?」
「姉ちゃん、その声怖すぎ」
巧に指摘されるまでもなかった。
思い出せる限りの記憶の断片が、矢継ぎ早に都の心を灼いていた。
巧の声と言葉、日常的に目にする手や足の動き。
ボールを追いかける機能的な動き。
昔から変わらず薄い体と綺麗な顔、髪。
それを見てきた都の中で、確実に何かを形作っている。その声は、それを身体の外へ
弾き出そうとする刃だ。
抱きしめられた感触は何度でも蘇ってきた。
それをどこにも逃がすことが出来ないのでつらかったのだ。
都にも自分が出した声に聞こえなかった。
巧はその都の目を見て、得体の知れない違和感を感じた。
(なんなんだこれは)
眉をひそめてしまってから、あわててにっこり笑ってみる。
いつものように叩き出されるべきだろうと思って、巧は姉の肩に手をかけようとした。
ふと「違和感」の正体を思いついて、恐れつつも言ってしまった。
「ひょっとして姉ちゃん、今、欲情してる?」
「……ぃ…………」
嫌だ、という言葉が都ののどで止まった。
本能的に蹴り出した右足が、立ち上がった巧の足の間を抜けた。あまりに直接的な問
いかけのせいで、身体がまともに動いていなかった。軸足になった左の膝が抜けて、都
の身体はフローリングの床に叩き付けられようとしている。
「あぶね! ……っ」
巧がとっさに出した両手で都の腰を掴み、落ちていく上体を追って、そこから片手を
背中に入れ、そのまま都の身体を横に逃がしてベッドの上に放り出した。
逃がしきれず、巧も身体を持っていかれる。
ベッドの上で身体が上下になった。
「あ……」
息をのんで下から見上げる都に、巧はぎりぎりまで顔を近づけ、
「あぶないって」
「ご、ごめ……」
そのきわどい距離に都は即座に反発して上体を捻った。薄暗いままの室内でも、この
距離で今の顔を見られるのは怖い。
その動きがよくなかった。スカートがめくれて、あわてて出した手で巧の足を払い、
巧の身体が都の上にまともに落ちた。
「や……」
瞬間的な圧力に押され、都は胸を詰まらせた。
頬と頬が擦れ、巧の頭が都の頭の真横に落ちる。
都は硬直したが、巧はすっと上体を起こして、都を覗き込んだ。
「姉ちゃんって、やっぱ柔らかい」
身体が震え始めて、都は頭の中でのたうつイメージの嵐に飲みこまれている。
巧が目の前でにこりと微笑んだ。
「落ち着けって。なんなら、俺が一時の慰めになってあげよう」
そんなことを言って、巧が都の細いあごに指をかけた瞬間、都は切れた。
「人の気も知らないで!」
わけがわからなくなって、めちゃくちゃに巧を打った。
「じょ、冗談だって!」
巧は、都の肘や膝を肉のないところに食らって、廊下に逃げながら、
「いたた……、冗談、ちょっと仕返ししようとしただけじゃん」
都には聞こえていない。
完全に目がすわっていて、手の施しようがない。
巧は容赦ない追い討ちをもろに受け、
「つうか、姉ちゃんかわいすぎ」
最後に余計な一言を言った。
「そういうことを……言わないで!」
都の、体重のうまく載った偶然の一撃に、巧の身体が綺麗に飛んで、階段を落ちた。
聞いたことがないような大きな音が響き渡り、巧は下の廊下でひっくり返ることになっ
た。
(なんでこういうときにはるかがいないんだ)
右腕に走る激痛と、階段を蒼くなって駆け下りてくる姉の姿に、
(今自分がどうなってるのかまったくわからん。姉ちゃんがなんか言ってるなあ、玄関
の扉の音? 遅いんだよ、はるか)
巧の意識は薄くなっていく。最後に顔に熱いものが張りつくのを感じて、不思議と痛
みが弱くなった。