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三年の教室から生徒会室へ向かう廊下の途中に、一年の教室の一部が入っている。
放課後都がその廊下を歩いていると、必ずその教室のひとつから弟の巧の声が聞こえ
てくる。飽きもせず毎日くだらないことを話していて、なかなか帰らない。
三年だけ受験対策で終業が遅いため、部活のない下級生の大部分が下校しているタイ
ミングだ。
つるんでいる仲間は三人ぐらいだろうか。
その教室に差し掛かるときにいつもちらりと見るだけで、よくはわからない。
生徒会の仕事をやるようになってから毎日同じ時間、ずっと通っている廊下。
一ヶ月後には引継ぎがある。それが終わればわざわざ通ることもなくなるのだろうか、
と都は少し複雑な思いに捕らわれていた。
弟たちの会話がとても楽しそうだったからだ。
それにしても、と都はいつも思う。
他の大きいコたちに囲まれていると巧は女の子のようだ。
身長こそ伸びたが、線の細さは一部の女子に羨まれているし、髪も女の子以上になめ
らかだったりする。
(いっそ本当に女の子だったらよかったのに……)
ちゃんとかわいがってあげられたのに、と子供の頃を思い出す。
いつも通りすぎるだけだから、巧たちの会話は断片的にしかわからない。その会話の
顛末を想像してみるのは都にとって楽しいことだった。
基本的には下世話な男子の会話に過ぎない。
楽しいのは、家では知ることの出来ない、巧の別の顔を見ることが出来るからだ。
細い身体に母親似の綺麗な顔のせいで、小さい頃から当然のように女男とからかわれ
続け、当然のようにそれに反発して、口が悪くて手の早いひねくれ者に育ってしまった。
そう思っていたのだ。
それが、知らないところで普通に楽しくやっているのを見て、腹が立って殴ったりも
したが、基本的に弟を見ているのは好きだった。
巧はいつもぎりぎりまでサッカー部の練習をさぼっていた。
監督が顔を出す時間はみんな知っているから、それまでは適当にやるのが部の伝統に
なっている。今日も部長自ら率先してグラウンドを使って遊んでいることだろう。
入ったばかりの一年の癖にサイドハーフのポジションを取りそうだというので、一部
の先輩たちにはやっかまれている。
だから巧は、それよりはクラスの気のあった帰宅部連中と話をするのが好きだった。
彼らに言わせれば巧の中性的な面構えは使えるので、週末は彼らに誘われてよく街へ
出る。早い話が、ナンパ者の類だ。
次の日曜に遊びに行く場所を決めていると、ふと視界を姉の細い横顔が横切っていっ
た。そろそろ時間か、と時計を見る。
都の長い髪は午後の陽射しによく映えた。それに知性的な眼差しとほっそりした体つ
きが、ここの制服に本当によく合っている、と巧は思う。
都が通りすぎるのを待って、仲間の一人が小突いてくる。彼女を気に入って、紹介さ
せられたこともある奴だ。こういう時には、後で姉の話になる。
(ああ言ってしまいたい)
入学直後から巧は「あの」待鳥都の弟ということで、何かと周りに振り回されていた。
手のつけられない乱暴者の姉が、聡明でおしとやかな女性の鑑みたいに思われている
のを知って驚いたものだ。
誰も彼もが「すごく女らしい」とか「綺麗で上品」とか、おかしくてしかたがない。
(綺麗は綺麗だけど、ありゃ刃物だからなあ)
巧の身体には、目立たないけれどあちこち跡の残った傷がある。
全部都がつけたものだ。