『中学三年生』  
 
 
「環ちゃんから都ちゃんに」  
「授業中よ?」  
 都のかすかに咎めるような上目遣いに肩をすくめながら、右隣の都に手紙の入った巾  
着を渡す。文句を言っておきながら都が、何事かと巾着のヒモを緩めるのをくすくすと  
笑って見ていると、左から環に突かれた。  
「次あたるの、教えて、はやくはやく!」  
「それ、宿題でしょ? なんで休み時間に言わないの〜」  
 普段からルーズリーフを使っている由美は、環に要求された設問のノートを外して、  
先生の死角に入った隙に、さっと渡してやる。  
 も〜、とふと都の方を窺うと、しっかり件の手紙を開いて難しい顔をしている。  
 今年七通目のラブレターだ。  
 しばらくするとその手紙は再び巾着の中にしまわれて由美を経由して環に渡り、おそ  
らく運動部のどこかの男子の手に戻るのだ。  
 一応読みましたけどごめんなさい、というこの中学になぜか行き渡っている不思議な  
習慣。最低限読んでもらえたことが証明されて、出した方も慰めになるからだろうか。  
 
 この三年の二学期になって、文化祭や体育祭も終わってしまって、どこの高校を受け  
るかが生徒達の最大関心事になっていた。  
 由美たちはそんなものとは無縁だ。環が大好きなバスケットそっちのけでがんばって  
いるおかげで、第一志望の公立に三人揃って受かるのはほぼ間違いない、と担任にお墨  
付きをもらっていた。  
 二年生の時に続いて同じクラスになって、この学期には運と同級生間の政治力によっ  
て、三人横並びの座席を確保した。  
 真ん中の由美はごきげんだ。  
 都に出会った頃の事を思い出す。  
 環の部活友達が都とたまたま親しくて、その話を盗み聞きしていると、都に二つ年下  
の弟がいることがわかった。  
 環と由美はそれで顔を見合わせて、笑った。  
 なんだ、最初の話のきっかけなんて、実に簡単につくれるんじゃないか。  
 そうして、三人でお昼のお弁当を食べ合いっこするようになり、しばらくしてその時  
の『共通の話題』を由美は引っ張り出してみた。  
 三人に共通する家族構成、つまり都だけでなく、環にも由美にもたまたま二つ年下の  
弟がいるのだ。  
 ただ、その三人の弟達にはお互いまったく接点がなく、それが少し残念だったが。  
   
 *  
   
 卒業が近くなったある日、環と二人で待鳥家に遊びに行った。  
 噂の『弟君』はサッカー部の合宿から今日の夜遅く帰ってくるという。自分達の門限  
とにらめっこをして、あきらめた。あと一ヶ月ほどで高校に入ったら、門限をのばして  
もらえるのに。残念だ。  
 かわりに好奇心旺盛にきょろきょろしながら、はるかが都の部屋を覗きに来た。まだ  
小学五年生のその親友の妹を環が気に入ってしまって、膝の上でおもちゃにしていたと  
思うと、いっしょにパズルゲームをやろうとリビングに降りていってしまった。  
 その間、由美は都と二人で窓の外を見ていた。  
 充分に長くて、とても幸福な時間だったと思う。  
 何を話したかはもう思い出せない。何も話さなかったかもしれない。  
 都の、色恋にまるで関心のなさそうな無垢さが、まるで大切にしているオルゴールの  
蓋についている小さな宝石のようだと思って、こっそり泣いた。  
 ふらふらになった環が戻ってきて、  
「はるかちゃん、ソファで寝ちゃったよ。もー、かわいいのなんの……都あれ、私にちょ  
うだい」  
「絶対いや」  
「けちぃ」  
 あのコと仲よくなりたいという、由美の切なる願いを叶えた長身の憎めない親友とと  
もに、姉妹に見送られた帰り、少し歩いたところで、学生服でスポーツバッグを背負っ  
た少年とすれ違った。  
 
 環が袖を引っ張ってきて、  
「ね、あれ、ひょっとして弟くんじゃない?」  
 こっそりと、怪しい足取りで追跡していくと、期待通りに少年は待鳥家の門をくぐる。  
開いた扉の、玄関の明かりの中で迎えた都がかすかに浮かべた優しい表情が胸に残った。  
「ひゃー、かわいいじゃん……」  
 あの都、はるかと同じ血を引いているなら、そうだろうな、と由美も環の感想にコク  
コクと同意した。  
 まだ彼の名前を知らない。  
 環と連れ立って夜の道を歩く。  
 今の由美には門限の延長が最大関心事なのだった。  
 
 
 了  
 

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