さて、ここで、日本人としては気になる、三鷹戦闘団の動向を見てみよう。
この3日間、中西部盆地で孤立している三鷹戦闘団の戦闘は、まさに正念場を迎えていた。
後方には敵歩兵の大部隊が出現、正面には機甲部隊が攻撃の機会をうかがっていた。
防御円陣を組むには歩兵が足りず、現在の態勢を維持するほかなかった。
中川大橋に続いて上橋を奪取され、三鷹戦闘団は中川の西岸を完全に失った。
三鷹戦闘団の命運は、もはや風前の灯であるかのようにも見えた。
しかし三鷹大佐は不安がりはしなかった。
三鷹戦闘団は日本陸軍の基準杭、最北の国境守備部隊をもって任じていた連隊を主力とする。
北海道は名寄にて、自らの犠牲とひきかえに、在りし日のソヴィエト陸軍の大攻勢を足止めするために編制された部隊である。
ソヴィエト軍の劣化コピー、勝利におごって軍規緩み、旧式兵器をもって最強の幻想に酔う連中に負けるとは思わなかった。
兵士たちの表情も明るかった。
これまで、彼らは、誰が敵で誰が味方か分からない非正規戦を強いられていた。
読者諸賢には、今のイラクと言えばお分かりいただけるだろう。
しかし、今度こそ、日本兵たちがずっと訓練されてきたやり方で、正々堂々と戦えるのだ。三鷹戦闘団を正面から攻撃・殲滅するため、民兵たちはすべて引き上げられて、正規軍式に編制しなおしている真っ最中だった。
いまや三鷹戦闘団は、UNQPMFの決戦部隊となっていた。
三鷹戦闘団の戦闘を全世界が見守っていた。
その裏で、即席の有志連合の人々はひそかに動き出した。
シリウス市の南にある建物に、松島大尉と広沢少佐、そしてノルウェー人たちが入っていったことは、誰にも気づかれなかった。
外部には知られていないが、その家は、間接的にイギリス隊が所有しているものである。
「民兵たちがパーカー中佐に激しい暴行を加えたため、浅網中尉は、彼女の生命に危険があると判断しました。
このため、昨夜2100ごろ、チーム・ナイフは突入。パーカー中佐を保護しました。
侵入に際して若干の戦闘がありましたが、全員無事に離脱することに成功。
現時点――本日0030の時点では、追尾を受けている徴候はありません。
中佐は若干の外傷を負っているものの、生命に別状なし。我々の衛生兵に手当てを受けています。
現時点では敵にはまだ気づかれていないようですが、発覚は時間の問題でしょう。
早急に回収する必要があります」
しかし、広沢少佐の表情は暗かった。
「雨季が近づき、雲底が低くなっています。レグルス高地の大部分は濃霧に覆われています。
この状況で、敵対的環境でのピックアップは、困難と言わざるを得ません」
「地上からの回収はできないのか?」
松島大尉は地図を睨んだ。
「もっとも近い“チーム・オーメン”でも、チーム・ナイフの現在地まで、まだ8キロあります。しかも、チーム・ナイフを追撃する敵をかわさなければいけません。間に合わないでしょう。
車両を使うことも考えましたが、検問で露見する危険が大きすぎます。パーカー中佐を連れていては、現地民にまぎれこむのは難しいでしょう。
駄目ですな。やるならヘリコプターです」
「明後日から明々後日にかけて、天候は一時的に回復する見込みです。それまで待つほかありません」
*****
早朝の一時、浅網は休息を許した。
ゴドウィンとレシュカに支えられながら歩いていたスーザンは、この機会にゴドウィンの手当てを受けた。
この数年前、米国FBIは、その機関紙で次のように述べた。
「捜査官にとって絶対に忘れられない経験になるのは、セックスサディストに拷問を受けた犠牲者の事情聴取とその殺害現場だ。人間が残酷な本性をむき出すことは多いが、セックスサディストに比べれば、そんなものはかすんで見える」
そして平和維持任務の増加によって、兵士たちも、この種のトラウマに直面するようになった。
この任務についてからというもの、浅網たちは、惨劇をすっかり見慣れてしまった。
5月15日の蜂起以後、バルゴ港は地獄となった。
黒煙に覆われた空には、烏が群をなして喧しく、道端には累々と死体が転がり、ひっきりなしに、どこかから断末魔が聞こえてきた。
まだ死んでいない人々は、人殺しどもに銃弾と米ドルの札束を差し出して、残酷な斬首刑ではなく、ひとおもいに一発で片付けてくれるように懇願する有様だった。
教会に逃げ込んだ信者たちに向かって、ある司教は次のように語ったと伝えられる。
「貴様らの問題には解決法が見つかっておる。
貴様らは消えねばならない。神は貴様らを求めておられない」
そして教会には火が放たれ、死にそこねたり逃げ出したりした人々は残らず射殺された。
しかし、教会を埋め尽くす腐乱死体は、怒りと吐き気を催させるが、傷つけられ、貶められた女性と接することは、また違った感情を引き起こすことになる。
そして、チーム・ナイフの男女兵士にとって、彼女は戦友だったのだ。
女性兵士にとってその痛みは自らのことも同然、男たちにとっても、自らの妻や恋人が汚されたことに等しかった。
ゴドウィンは、収まりかけた怒りが、またしても沸々と沸きたつのを感じた。
スーザンは、ゴドウィンが射殺した男の血を頭からかぶって、それが雨にうたれてひどいありさまになっていたが、一言も文句を言わなかった。
実のところ、救出された直後にひとすじ涙を流し、
「ありがとう…」
と言ったあと、ほとんど喋っていなかった。
ゴドウィンにはそれが気になっていた。
いま、彼女らは、小さな沢に足をひたして立っていた。
岸ではレシュカ伍長が直接援護し、死角には男たちがカモフラージュして隠れていた。
ゴドウィンに助けられて、スーザンは体を洗った。
手早くする必要はあったが、ゴドウィンは、できるだけ丹念に洗い、清めた。
スーザンは彼女よりも年上だったし、軍での階級はほとんど隔絶したものだった。
空軍中佐といえば、英海兵隊ならコマンドゥの指揮官、日本陸軍なら大隊長に相当する。
一方、ゴドウィンが属する2等軍曹というのは、見習い下士官である伍長を卒業して、ようやく軍曹どものマフィアの下っ端として認められたあたりに相当する。
要するに、雲の上の人である。
空軍と海兵隊という関係では、それは比喩ではなかった。
しかしそれにもかかわらず、ゴドウィンは、彼女を守らなければならない、と強く思った。
濡れた髪が頬にはりつくのにもかまわず、小刻みに体を震わせ、俯いたままでじっと立ち尽くしている彼女を見ては、そう思わざるを得なかった。
彼女は泣いていた。
押し殺してはいたが、それは聞き落としようもなかった。
ゴドウィンは何も言うことができず、ただ、彼女をそっと抱きしめた。
彼女はゴドウィンの髪に顔をうずめ、支えを求めるようにしがみついた。
女性兵士の体温に包まれて、心なしか、彼女の胸のふるえが大きくなった。
押し殺したすすり泣きに、背を向ける男たちの怒りもつのった。
浅網は、自分の決断が遅すぎたのではないかという自責を感じずにはいられなかった。突入をあと数分早めていたとしても、その行動の危険性は一毛たりとも揺るぎはせず、かつ、彼女をその恥辱から救いえただろう。
結局、彼は兵士らしい突き放した感想で、自らを納得させるしかなかった。
『メディックよりシックス、準備完了』
浅網は、本人確認のために衛星通信で伝送された写真と、目の前の女性を比べずにはいられなかった。
それは英軍の書庫から掘り出された雑誌からの切り抜き、
空戦殊勲十字章を受けたスーザン、おそらく人生最良の時にあった彼女だった。
この写真の女性と、いま彼の目の前で、なお半ば自失のままで座り込む女性とが、同一人物だということは、容易には分からないだろう。
確かに顔立ちは変わらない、しかし最も印象的な部分、勝気で自信に満ちた光を宿した瞳はもはや無い。
しかし残念だが、彼女にカウンセリングをしている余裕はなかった。
まずは生き延びなければいけない。
*****
さて、UNQPMF参加国が唯一共有しているのが国連への不信感で、どの国も大なり小なり独断専行をしていた。チーム・ナイフをはじめとする特殊部隊やら原潜やらをばらまいていたイギリスは、少々やりすぎの感があるが、日本もささやかな抵抗をしていた。
その一つが、陸軍の現地情報隊から分遣された長距離偵察隊、寺田大尉を指揮官とする〈リアルタイム〉である。
彼らは大胆不敵にも、オランダ隊が危機にさらされている最中よりバルゴ市に潜入し、超少数民族であるM族をよそおって情報活動を繰り広げていた。
ここで注記、この時点でバルゴ市は日本隊の管轄地域から100キロ以上離れていて、これは、れっきとした規則違反であった。オランダ隊に発覚すれば即座に拘束されても文句は言えない。
その後、オランダ隊の降伏に伴い、この地域は三鷹戦闘団の管轄に編入されたので、規則違反の問題は解決されたものの、危険はより増した。
しかし、その危険を冒す価値は十分にあった。
彼らが送り続けた情報資料は、まさに値千金、のちには三鷹戦闘団によるバルゴ港攻撃作戦の基礎となった。
そしてさしあたり、彼らの情報は、松島大尉を経由して有志連合に伝えられ、浅網たちを大いに助けていた。
「パーカー中佐が奪還されたことは既に露見しています――当然予想されたことですが。現在、周辺の民兵部隊をかきあつめて追跡部隊を組織している模様ですが、詳細は不明です。
ただ、あの近辺のカテゴリB部隊は、ジェミニ丘陵での遅滞作戦に投入するため、既に相当数が引き抜かれています。追跡部隊の主力はカテゴリCの部隊となるでしょう」
カテゴリCの民兵部隊とは、要するにそこらの農民にSKSカービンを持たせたような連中のことである。
しかし、銃弾は公平だ。誰が撃ち、誰が撃たれたとしても、当たればただでは済まない。手負いの女を抱えた6名の兵士では、いつかは追い詰められるだろう。
*****
浅網の決断のタイミングはともかく、彼の決断によって、状況は明確に変化した。
かつての彼らはいわば幽霊、いるかどうかも分からない存在で、彼らが去った後に残されるのは、誰に殺されたのか分からない死体だけだった。
そして死体は何も語らない。
しかし、あの襲撃による直接的な結果として、一団の武装集団がこの山中にいることが知られてしまった。
今や彼らは追われる身である。
ポイントマンのニコルズ軍曹はいっそう周囲に注意を払い、後衛のヘイボア軍曹は、送り狼だけでなく、彼ら自身の痕跡が少しでも残らないように気を配った。おまけに負傷したスーザンを伴っているために、移動速度は落とさざるを得なかった。
浅網は、スーザンの回復力に驚かされることになった。
朝にはあの有様だったが、今では曲がりなりにも軍人らしさを取り戻し、ペースを落としているとはいえ、海兵隊員と山岳レンジャーにもどうにか自力でついていけるまでになっていた。ゴドウィンが与えた薬の副作用があることを考えると、まったく凄まじい気力である。
それが実際に回復しているのが、単なる強がりなのかは分からなかった。
前者であれかしとは思ったが、さしあたって彼にできることはなかった。
しかし、仮に彼女の体調が万全だったとしても、“歩き屋”どもに伍していくことは望むべくもなかっただろうし、心身ともにひどく傷つけられた今なら、なおさらだった。
彼女の胎内に作られた無数の裂傷は、たえまない痛みをもたらした。
やがて、右後ろから彼女を見守るゴドウィン軍曹が浅網に忠告し、彼は一時休憩を宣言した。
「私たちは、どこに向かっているの?」
2人の女性兵士とともに座り込んだとき、彼女は尋ねた。
「レグルス高地のベクルックス山を目指すよう指示されてはいますが、さしあたっての目標は、接触を避けて逃げ延びることです。ヘリは明後日まで来られません」
「そう…」
目を伏せたスーザンを、ゴドウィンが励ました。
「村上救難隊、英軍特殊部隊、そしてノルウェー空軍が、あなたを助けるために戦っています。
三鷹戦闘団と日本陸軍の特殊部隊も、我々をバックアップしています。
我々は決して独りではありません」
スーザンは俯いたまま、ぎこちない表情で微笑した。
「ありがとう。
さっきはみっともない格好を見せて、ごめんなさいね」
「どうか、気にしないで下さい。誰もあなたを責めはしませんよ。
私はこれでも衛生兵です。傷ついたひとを支えるのが、私の使命です」
「私は、フリードマン小隊にいました」
とレシュカが口を挟んだ。
「我々は、それはそれはひどい状況にありました。
周りの山中には敵がひしめいているのに、本隊からの火力支援もなく、固有の火力といえば、軽迫撃砲が1門と機関銃のみ。
そんな我々にとって、あなた方の航空支援が、唯一の頼みの綱でした。一度などは、迫撃砲の射程外で襲撃されて、危うく圧倒されかけたところを、あなた方のCASで、かろうじて脱出できたこともありました。
あなたは私の命の恩人なんです。ですから、これで貸し借り無し、ということにさせていただけませんか?」
スーザンは改めて、レシュカ伍長を見つめた。
二十歳になるかならぬか、そばかすが残る、かわいらしいブルネット娘。
彼女がいつも見下ろしていた地上で、高校生とも見えるこの娘っ子が戦い続けていたのだ。
そして、レシュカの心遣いが、彼女にはうれしかった。
自分の戦争が無意味ではなかったことを思い出させてくれたのだ。
「中佐、そろそろよろしいですか?」
見上げると、浅網中尉が立っていた。
申し訳なさそうな表情の日本人、くそいまいましい海兵隊員にして彼女の救助者に、彼女は、挑戦するように笑った。その大部分は虚勢で、相手がそれを読み取らないように願った。
「大丈夫、いけるわ」
「まことに結構。野郎ども――」
「中尉、我々のことを忘れないでくださいね」とレシュカ伍長が笑った。
「――そして淑女諸君、ちょっとしたハイキングといくぞ。ケツを上げろ。出発だ」
*****
たいていの勇者と同様、彼もごく普通の人間に見えた――
と言いたいところだが、佐官のくせに“鬼軍曹”なんてあだ名をちょうだいする人間を果たして普通と称していいものかどうか、大いに迷うところである。
癪になるほどきれいな嫁さんと小学生の娘に恵まれ、愛車はローバーミニ・メイフェア。
かつては千歳でF-15を飛ばしていたが、訳あって回転翼に転じた。
そして、彼は日本空軍で最高のヘリコプター・パイロットとなった。
仮に彼が日本以外の空軍にいたなら、彼の胸は勲章で埋め尽くされていただろう。
しかしそれは大した問題ではない、と彼は見なしていた。
彼に助けあげられた人間を数えあげるのは、おそらく一日仕事になるだろう。
そしてまた、彼は、自分の酒代を払う必要がめったにない男でもあった。
それこそ、救難のパイロットにとっては、最高の名誉かもしれなかった。
彼の名前は、本郷修二郎。
日本空軍少佐、Q島派遣隊でもっとも長い飛行時間を誇るヘリコプター・パイロットである。
本郷少佐の名前は今や、航空任務部隊のみならず、UNQPMF全体において、守護天使と同義に使われていた。
それは当然、部下をUNQPMFに派遣しているベルグ准将の耳にも入っていたし、スーザンと毎日電話していたクレトフも聞き及んでいた。
亡命ロシア人をまじえたノルウェー空軍軍人たちは今、日本の救難ヘリコプターを眺めていた。
今回派遣されたUH-60JヘリコプターはSPタイプの特別追加改修型、ブラック・ホークと呼ばれてはいるが、実際にはアメリカ空軍の特殊救難ヘリ、HH-60Gペイヴ・ホークに近い。
剣呑な濃紺の迷彩色、左右のキャビン窓には自衛用にベルギー製のMAG機関銃を備え、さらにドアガンとしてミニガンを1丁積むことができる。
「有名な本郷少佐に協力していただくことができて、まったく心強いですな」
とリッター少佐が言った。彼はスーザンのウィングマン、あの災厄の日も彼女とともに出撃し、対空砲火を受けて大破したものの、どうにか帰投に成功し、九死に一生を得た男である。
「私にも、墜落した経験がある」
と本郷少佐は答えた。
「13年前、まだ私が大尉だったころだ。バードストライクで機体が大破し、射出した。
北海道の海を半日漂流して、千歳の救難隊に救けられた。
今度は私の番だ」
そのとき、本郷は30才だった。
スーザンはこの6月で30才になる。
しかし、本郷少佐には、リッター少佐に言わなかったことがあった。
そのときの事故機は、複座のF-15DJ。
本郷は教官として後席に乗っていた。
前席の訓練生、井上少尉は、本郷が救出された4時間後に発見された。
既に心停止の状態だった。
それは、本郷少佐にとって、人には言えない十字架となっていたようである。
いま、彼はそのことをまたしても思い出した。
自分と同年代の女が撃墜されたこと、そして、彼とともに脱出した男が生きて戻れなかったことを。
今度はそうはさせない。
彼はQ島に来て、ひとつ発見したことがあった。
台風に撃ちかえすことはできないが、敵は制圧することができる。
人間には、人間の力でうち勝つことができるのだ。
彼らは私の妻を助けに行くのだ、とクレトフは思った。
あの地獄のような一夜が明け、スーザンの“死”に心を苛まれた経験の上で、彼は一つの決意を固めていた。
スーザンを助ける試みがなされるなら、彼はそれに加わらなければならない。
その試みが無残な失敗に帰すのなら、彼女の近くで、死にたい。
この日本人たち、彼がその軍歴を通じて仮想敵としていた男たちに全てを任せて、彼女が帰ってくるのを、ただ座って待っているなんて、とても耐えられなかった。
「このヘリは、銃を3丁そなえていますな」
クレトフはちょっと考えてから言った。
「射手は2人しかいない」
「新入りが負傷して後送されたもので」と内田中尉が言った。
「補充が間に合わなかったんです」
「わたしは射撃が得意なんですよ」とクレトフは言った。