ときおり吹きぬける風にカサカサと笹の葉が鳴く――
月が頭上に輝く、名も無い山の麓、町へと延びる街道から少し外れた竹林の中に趣のある大きく荘厳な日本家屋が建っている。
その母屋の一室、開いている襖から漏れる月明かりを灯りがわりにして一人の少女が古びた鏡台の前に佇み、真紅の紅を持ち、唇にさしていた。
肩口まで美しく真直ぐに伸びた黒髪、艶のある白い柔肌、そして、吸い込まれるような大きく澄んだ瞳。
年の頃は14,5程だと女学生の格好からかろうじて解るが、紅をさし、静かに佇んでいる大人びた様子からは今は誰が見てもその年頃とは解らないだろう。
少女は本来、何もせず、いるだけで見るもの全てを魅了するような美貌の持ち主だった。
しかし、少女に関わるほとんどの者はその少女の生まれ持った人を寄せつけない佇まいと美貌に臆し、ただ少女を遠目から眺めているだけしかなかった。
少女の性格から考えればそれはありがたかった事で、異性に接する事が苦手な少女としては多少好奇な目に晒されても話し掛けられるよりはと我慢していた。
少女が異性が苦手になった理由と言うのも小さい頃から匠が作り上げた人形のような少女に誰かしらちょっかいを出し、少女を想うあまり泣かしてしまうといった行為からだった。
勿論、幼子だった当時の少女にはそんな相手の想いなどは解るはずもない。少女が異性から離れていきたいと思うのはごく自然の成り行きだった。
そんな少女だったが唯一幼少の時から理解し、絶えぬ微笑を少女に与え続けた者がいた。
少女がこの人だけ……と小さな胸に想いを募らせていく事になる者。だが、少女はその者に自分の想いをずっと言えないでいた。
紅をつける――その行為で勇気が貰えるかも?と少女は期待していた。
少女の想い人は兄だったからだ。
「兄様……」
紅をさし終えた少女が鏡に向かって呟く。鏡の中の少女は紅のせいか普段よりも口元が引き締まり、妖艶な雰囲気をもかもし出していた。
少女はスッと立ち上がり、おもむろに召している制服に手をかけ、ゆるゆると全てを脱ぎ捨てる。全てが見えるようにと鏡に合わせ動きながら。
後ずさりすると更に月が少女を照らし出す場所となり、少女の身体は元々の白い肌が更に高価な青磁色の輝きそれへと変化していく。
鏡に映った自身の裸体を少女は上から下へとゆっくりと眺める。恥ずかしいのか、首筋辺りがほんのり朱の色に染まった。
羞恥が吐息に変わる。少女は自身の身体を気に入らないでいた。
手をかざすと全てが隠れる小さな胸、今の妖艶な雰囲気とはうらはらな未発達の腰、そして……少女の秘所を隠すべき翳が無かったからだ。
少女はこうこうと灯りが漏れる離れに視線をうつす。少女のいる母屋と庭園を挟んだ場所にある離れ。そこに彼女の兄、想い人はいた。
「今日を逃したら…私の……想いは永遠に封印する事になる……」
少女は意を決し、鏡台の隣に立て掛けてある薄紅色の着物に手を伸ばす。着物慣れているのか少女の歳からは考えられないような流暢な手つきで着こなしていく。
襟を整え、藤が鏤められた色とりどりの帯をキュッと締める。帯は少女の兄から贈られた物だった。
これはお前がいつか好きな男が出来た時に召す物だ…と贈られた時の言葉を思い出し、少女は少しだけ悲しくなる。
「兄様……私は今つけさせて頂きます…私が好きなのは……兄様…あなたなのですから」
少女は美しく変貌した姿を月明かりに晒して庭園に降り立つ。そしてゆっくりと離れへと歩みを進めていった――