「媚薬」  
 
 
「久しぶりだな、遠野」  
待たせていた取引先の専務がそう言い、立ち上がった。  
大学が同じだったこの男とは、社会人になってもこうして関係が続いている。  
相変わらずぞんざいな口の利き方だが、学生時代のよしみがあるから無碍にもできない。  
「ああ。元気そうじゃないか」  
「まあな。お前みたいに手広くバリバリとやってるわけじゃないがな」  
「そうか?そっちの社も結構…」  
「俺は、まだ親父の下で見習いだ。抑えつけられて鬱陶しいったらありゃしない」  
「そうか」  
不満を隠しもしないその顔に苦笑する。  
そう言ったところを見ると、こいつなりに頑張っているのかも知れない。  
 
 
「で、今日の用件は?」  
差し迫った重要な案件は無かったはずだ。  
「ああ、俺は今回、専務から副社長になることになったんだ。その顔繋ぎってとこかな」  
なるほど。  
父親である社長が、挨拶の為に息子を寄越したという寸法らしい。  
こいつに仕事を段々と任せていく腹なのだろうか。  
それなら、今日くらいはかしこまって、形式的な挨拶でもすればいいと思うのだが…。  
相手はそんなことには頓着せず、べらべらと話し続けている。  
つい先日までアメリカに出張していたこと、ついでに遊んできたカジノのこと、現地の女のこと。  
将来が約束されたお坊ちゃんらしく、それなりに遊んでいるようだ。  
 
 
 
 
「ああ、忘れるところだった。お前に土産だ」  
去り際、相手がそう言ってカバンから包みを取り出した。  
「親父さんからか?」  
「まさか。俺からだよ。アメリカで買ってきたんだ」  
受け取ったそれは、包装からして菓子か何かのように見えた。  
「食べ物なのか?」  
「まあな。本当は自分で使うつもりだったんだが、お前になら丁度いいだろう」  
「『使う』?」  
「媚薬入りのチョコレートだよ」  
「えっ?」  
思わず、手の中のそれと相手を見比べる。  
「『遠野の若社長は、浮いた話の一つも無い』とあちこちで陰口叩かれているぞ。  
相変わらず奥手のようだから、これを使って好きな女でも口説いてこいよ」  
「馬鹿な。薬を盛るなんて犯罪じゃないか」  
不快感を示すが、相手は全く動じる様子が無い。  
「それを食って死ぬなら犯罪だろうが、その気にならせるだけだから大丈夫さ」  
「『その気』?」  
「ああ。どんな女でも求めてくるって言うぜ」  
「なっ…」  
「だから、試してみろよ。好きな女くらいいるだろう?」  
にやりと笑って、からかうように言われた。  
「……」  
「お前も大変だろうが、仕事ばかりしてたら肩が凝る。ちょっとは遊べよ、じゃ」  
そう言って相手は部屋から出て行った。  
 
相変わらず、変な奴だ。  
が、本当は僕のことを心配してくれているのだろうかと考えさせるところが、あいつの策略なのかもしれない。  
大学時代、コンパだ何だと派手に遊んでいたあいつの武勇伝を、僕はいつも聞く側に回っていた。  
自分には麻由がいたから、女漁りをする必要も無い。  
だから適当に聞き流しておいたのだが、あいつは、遠野は奥手だから好きな女に手が出せないと勘違いしているままなのかも知れない。  
仕事では遠野の立場が上だが、それ以外では自分が上だと兄貴風を吹かせたいのだろうか。  
 
 
なりゆきで受け取ってしまったが、始末に困る。  
別に、狙っている女がいるわけでもない。  
媚薬だとは言ったが、もしかしたら危険なものかも知れない。  
捨ててしまおうかとゴミ箱のほうに目を遣ったところで、ふと思いついた。  
 
 
麻由にこれを食べさせたらどんな反応をするだろうか。  
あの恥ずかしがり屋の麻由でも、媚薬の力で自分から求めるようになるのだろうか。  
関係を持つようになってもう長いが、いまだに少しでも恥ずかしい思いをさせると真っ赤になり、抵抗される。  
それをあの手この手で責め立て、恥ずかしさの壁を壊していく過程が楽しいのだが…。  
羞恥に震える姿も可愛いが、一度くらいは、最初から求める麻由の姿が見てみたい。  
 
 
捨てるのをやめ、机の上に置いた。  
危険性の無い媚薬なのだろうか。食べて害があるのなら洒落にならない。  
包装紙を外し、中のパッケージを見てみる。  
どこから見ても普通のチョコレートだ。  
箱をスライドさせ、中身を見る。  
金色と銀色の紙に包まれたチョコレートが、5個ずつ整然と並んでいた。  
上には注意書きらしきカードが乗せられている。  
英語で「金色はアルコール入り 銀色は媚薬入り」と書かれている。  
流麗な飾り文字で書かれているので、ぱっと見は添付のリーフレットにしか見えない。  
注意して読まなければ、気付く者はいないだろうと思われる。  
それにしても、ダミーとはいえもう一方がアルコール入りとは、是が非でも相手に何か盛ろうとする男の執念を感じる。  
実際、アルコールに弱い女性ならこの程度でも効果があるのだろう。  
 
 
本当に書いてある通りなのか、調べてみなければならない。  
一つづつ取り、紙を外して外見と匂いを確かめる。  
特に怪しいところは無い。色も普通だ。  
ペーパーナイフを使い、真ん中から二つに割ってみる。  
金色の方からは中から液体が出てきた。  
指に取って舐めてみたが、ブランデーのようだ。  
銀色の方は、中まで一様で、割っても変化が無い。  
それが却って不気味に思われた。  
 
 
好奇心に勝てず、さらに細かくし、一片を口に入れてみた。  
食べた途端に吐き出すような不快感は無い。  
味も、最近流行のカカオ成分の濃いチョコレートと同じだ。  
媚薬の風味をごまかすために、わざとそうなっているのだろうか。  
口の中で溶かし、飲み込む。  
即効性というわけではないようだ。  
 
待つ間にとしばらく書類に向かっていたが、ふと顔を上げた時、目に入った棚の上のほこりが気になった。  
掃除の者がさぼっているのだろうか、置時計の上に少しほこりが積もり、光に照らされている。  
溜息をついて立ち上がり、ハンカチを手に取って拭った。  
ついでにガラス面の曇りや、いつの間にかついていた指紋も丹念に拭き取る。  
ピカピカになったのを見て漸く気が済み、元の場所に置いた。  
部屋を見渡し、壁の絵を目に留めて歩いてゆく。  
額縁の上をそっと指で触ると、やはり僅かではあるがほこりが付いた。  
これも何とかしなければならない。  
ハンカチでは拭けないから、秘書に頼んでハタキでも用意してもらおう。  
 
 
ドアを開け、秘書に頼むと慌てた様子で掃除の女性を呼んできた。  
こちらとしてはハタキが欲しいのであって、掃除する者は要らなかったのだが。  
可哀相なほど萎縮した彼女が掃除をするのを見ながら、所在無く椅子に戻った。  
自分の仕事を取られたようで、面白く無い。  
あたふたと掃除を終えた彼女が頭を下げ、詫びの口上を述べてから部屋を出て行った。  
何かやり残しはないかと、立ってあちこちを見て回る。  
 
 
秘書が入室し、置物や書類をせわしなく動かす自分を奇異な目で見つめた。  
「社長、どうなさいました?」  
「いや、別に」  
「何だか、そわそわしていらっしゃるようにお見受けしますが…」  
普段は決して無駄口を叩かない秘書が、珍しくこう言った。  
「どうもしないよ。あっ…」  
瞬間、思い当たることがあり、動きを止める。  
「社長?」  
「…君のいう通りかも知れない。落ち着くために、茶でも淹れてくれるよう言ってきてくれ」  
「はい」  
秘書が実直にそう答え、ドアが閉まった。  
 
 
とりあえず、椅子に腰掛ける。  
改めて自分を見直すと、確かにそわそわと落ち着かないのが分かった。  
あまりに自然なので、気がつかなかった。  
これが、媚薬入りチョコの効果だろうか。  
ほんの少ししか食べなかったから、性欲を増進させるところまではいかないのかも知れない。  
一つ丸ごと食べたら、きっとそわそわするどころではなく、そちらの方面にてきめんな効果を発揮するのだろう。  
茶を持ってきた秘書を下がらせ、それには手も付けずに考える。  
どうやら、あいつの持ってきたこのチョコは本物であるらしい。  
それなら…試してみる価値はある。  
 
 
残りの仕事を勢いで終え、いつもの時間に会社を出る。  
屋敷に戻り、出迎えた麻由に右手でカバンを渡した。  
一瞬頬を染め、恥ずかしそうに下を向く姿に胸が高鳴る。  
この企みは、うまくいくだろうか。  
疑いを抱かせないように、自然にチョコを勧められるかどうか分からない。  
うまくいかなければ、今日は部屋で話をするだけで終わりにしよう。  
駄目でも普通にベッドに誘えばよいのだが、その時はそう考えていた。  
 
 
食事と入浴を終え、彼女が部屋に入ってくるのを待つ。  
やっと来た麻由に、お茶を淹れるように申し付けて時間を稼ぎ、その間にチョコの箱を取り出した。  
「武様、どうぞ」  
「あ、ああ」  
カップが前に置かれ、内心の後ろめたさを隠すように一口飲んだ。  
 
「あら、それは?」  
麻由の目がチョコの箱を捉え、見ているのが分かる。  
こちらから切り出すつもりだったのだが、見つかってしまえばしょうがない。  
「ああ、取引先の人間に貰ったんだ。外国のチョコレートだよ」  
「まあ」  
「沢山貰ったら、皆に配ることもできたんだが。これだけだから、麻由と二人で食べようと思って」  
「ありがとうございます」  
甘いものが大好きな麻由が微笑む。  
素直なその表情に罪悪感が生まれるが、後戻りは出来ない。  
「金色の方は洋酒が入っているんだ。こっちは僕が食べるから、麻由は銀色の方を食べるといい」  
「はい」  
素直に頷き、麻由が媚薬の入った方のチョコを手に取った。  
「頂きます」  
銀紙を外し、形を眺めてから口に運ぶのを見る。  
「あ…」  
チョコが彼女の口に消えた瞬間、声が出てしまった。  
「?」  
僕の声に首を傾げ、チョコを頬張るその姿にまた罪悪感が湧いた。  
「美味しい…」  
目を細め、口元を綻ばせた麻由がチョコを飲み込むところまでをじっと見守った。  
「武様は?お食べにならないのですか?」  
「えっ?ああ、食べるよ勿論」  
自分も金色の包み紙のほうを手に取り、剥いて口に運んだ。  
ブランデーの味が口から鼻に抜け、喉がカッと熱くなる。  
予定外だが、景気づけには丁度いい。  
 
 
味が気に入ったのか、麻由は尚もチョコの箱に目を遣っている。  
もう一つ食べたいが、どうしようかと迷っているようだ。  
普通のチョコならいいが、媚薬入りのものを二つも食べさせるわけにはいかない。  
お茶のお代わりを申しつけ、その間に箱を片付けた。  
その後は不自然にならない程度に、話題を変えてしばらく話をする。  
麻由は熱心に話し相手になってくれるが、僕は彼女の変化が無いか気になって上の空だ。  
具合が悪くなるようなことがあれば、介抱しなければならない。  
 
 
次第に麻由が無口になっていくことに気付く。  
妙にそわそわとあちこちを見回し、姿勢を変えるなどして落ち着きがなくなった。  
心なしか、頬がピンクに染まっているようにも思える。  
効き目が表れてきたのだろうか。  
「麻由」  
「えっ?は、はい!」  
気もそぞろになって返答する。合わせた目が潤んでいるのが見えた。  
「どうしたんだい?」  
「え?いえ、何でもございません」  
「そうかい?」  
「はい。あのっ、か、肩をお揉み致しますっ」  
麻由は急に立ち上がり、ソファの背後に回った。  
そのまま、ぎこちなく肩に手を遣り、動かし始める。  
僕の正面にいることが恥ずかしいのだろうか。  
 
 
背後に感じる麻由の吐息が、いつもよりも熱いように思えた。  
呼吸が早くなったかと思うと、急に溜息のように深くなることもあり、落ち着きが無い。  
そのうち、肩に置かれた手の力が段々と弱くなってきた。  
「ああ…」  
ついに、呻くような声を出して彼女が膝を付く。  
「麻由?」  
心配になって、振り返った。  
自分を抱き締めるように小さくなっている姿がそこにあった。  
 
立ち上がり、麻由の傍に同じように膝を付く。  
「武様、あの…」  
「どうした?」  
「身体が、あの…熱、くて…」  
「うん?」  
「どうしましょう、私…」  
麻由の視線が、僕の下腹部に注がれているのを感じる。  
「欲しいのかい?」  
「えっ!」  
彼女は驚いたようだが、逃げる様子は見せなかった。  
不安そうなその表情に、媚薬のことを打ち明けようか迷ったが、まだだと自分を押し止める。  
「僕のここをずっと見ているから…」  
麻由の手を取り、そっと自分のものの上に導く。  
「あ…」  
いつもなら顔を真っ赤にして手を引くのに、今日はその様子が無い。  
それどころか、軽く撫でるように触り、煽るような手の動きをくり出してきた。  
 
 
まさか、これほど上手く自分の思惑が達成されるとは。  
嬉しさと信じられない気持ちが半々になり、気分が高揚した。  
しゃがみ込んだ麻由を抱えるようにして、ソファに再び座る。  
「欲しいなら、自分でやってみなさい」  
再び触れさせると、麻由はおそるおそるといった様子でガウンに手を掛けた。  
腰紐をほどき、合わせを開かれる。  
パジャマと下着もずらされ、自分のものが麻由の眼前に晒された。  
麻由は潤んだ目でそれを眺めた後、決心したように口を開き、僕のものを飲み込んだ。  
「あ…」  
口内の柔らかさ、温かさに小さく息が漏れた。  
両手で根元を掴み、おそるおそる擦りながら愛撫される。  
これを好む男もいるようだが、僕はあまりさせたことがない。  
麻由を乱れさせることに心血を注ぐ人間なので、こちらは後回しになってしまうのだ。  
本人も、自分があまり上手ではないということが分かっているらしい。  
どう扱ったらよいかが今一分からないようで、何をするにも一々迷いながら進めていく。  
 
 
しかし、今日は僅かに違った。  
最初はいつも通りだったのだが、少しずつ大胆になってきたのだ。  
深く咥えて喉奥で擦り上げたり、鈴口を舌でしつこいくらいに舐めたりと、妙に積極的に愛撫された。  
麻由の頭が前後に動くたび、痺れるような快感が腰から上に登ってくる。  
「ほら、こっちも舐めてくれるかい?」  
手を裏筋の方に導くと、麻由が上目遣いに見上げてくる。  
潤んだその瞳に心臓が跳ねた。  
下から上へゆっくりと舐め上げられ、背筋が大きく震えるのを感じた。  
「ん…武様…」  
口の端に笑みを浮かべ、夢中になって舌を這わせる姿がとんでもなく扇情的に思えた。  
滲んだ先走り液を舌で舐め取られる。  
やがて舌先の愛撫だけでは飽き足らないのか、再び咥えこみ、吸い付かれた。  
「んむっ…ん…ん…」  
局部に感じる快感と、麻由の一心に手と口を動かす姿に、僕はあっけなく追い詰められた。  
動く頭を押さえ、腰を前後に動かして自分の快感を求める。  
「んんんっ…」  
苦しそうな声が聞こえるが、それを気遣う余裕など残っていなかった。  
「くっ…あ…」  
麻由の口の中で達し、身体から力が抜ける。  
吐精した後の気だるさが腰にまとわりついた。  
「…」  
身体を固くしていた麻由が、ゆっくりと僕が出したものを飲み下す。  
チュッと音を立てて唇を離され、小さな余韻が局所を走った。  
 
熱っぽい目で見上げてくる麻由を見て、劣情が再び湧いてくるのを感じる。  
僕がさっき食べたのは、ただの洋酒入りチョコのはずなのに。  
媚薬で欲情している麻由を見て、僕も欲情しているのだ。  
「さ、こっちへおいで」  
床に座り込んでいた麻由を立たせ、ベッドへと誘う。  
シーツの上に横たえ、ぐったりしたその身体を緩く抱き締めた。  
はあ、はあと浅く呼吸し、つらそうにしている。  
「麻由?」  
心配になって呼びかけると、助けを求めるように抱きついてくる。  
欲しいと身体中で訴えているようだ。  
 
 
彼女を抱き締めている腕を片方外し、下へと持っていく。  
着衣の上から秘所に触れると、麻由が身体をビクリと震わせた。  
「あっ…」  
いつもなら腰を引こうとするのに、今日は逃げる気配が無い。  
スカートの裾をめくり、今度は下着の上から触れてみた。  
「っ…」  
指がそこに届き、息を飲んだ。  
まだ麻由の身体にほとんど触れていないのに、秘所はすでに洪水のようになっていた。  
「凄いね…麻由」  
嬲る言葉を聞いても、彼女は反応しない。  
むしろ、腰を動かして僕の手にさらに触れようとしてくる。  
麻由が求めてくるのは、大抵が絶頂に手の届く寸前の時。  
ただ触れただけの今、求めてくるのはついぞありえなかった。  
 
 
指をさらに動かし、彼女の快感を煽った。  
「あっ…ああん…」  
下着の上からでも、クリトリスが充血して固くなっているさまが分かる。  
そこを狙って撫でてやると、悩ましげな吐息が彼女の口から漏れた。  
溝をなぞり、ぷくりと勃起したそれを押し潰すのを繰り返す。  
「やぁ…んん…」  
麻由が僕の手を掴み、自らの秘所に押し付けた。  
「ああ…もっと…ん…んっ…」  
ねだるその声に、下半身に熱が集まった。  
 
 
「ああ!」  
しばらくして、麻由が達した。  
秘所をヒクヒクと痙攣させ、荒い息をしている。  
手で触れただけでこうなることも、今まで殆ど無かった。  
最も、触れただけで我慢できないのは僕の方で、すぐ彼女の秘所に顔を埋め、口で愛撫を始めるからなのだが…。  
 
 
起き上がり、ぐっしょりと濡れた下着を脱がせる。  
「ああ、これは僕がプレゼントしたものだね」  
先日、海外出張のときに現地で求めたものだ。  
普段、土産といえば菓子類かアクセサリーなのだが、たまにこういうものを買ってくることがある。  
しかし、派手なものをプレゼントしても、麻由は着てくれない。  
「あれを着てくれ」とねだっても、恥ずかしいからと拒まれる。  
上品な白いレースの下着なら身につけてくれるかと思い、今回はこれを買ってきたのだ。  
「嬉しいよ、麻由」  
着用してくれていたことに喜んで言ったが、今の麻由には聞こえているのか定かではない。  
 
「ほら」  
麻由の手を掴み、自分の股間に持っていく。  
再び僕のものを擦り上げた彼女の手に、更に興奮を覚えた。  
立ち上がったそれを握りながら、麻由が周囲を見回す。  
「…ああ、そうか」  
ヘッドボードからコンドームを取り出し、麻由に手渡す。  
「今日は、君がつけてくれるんだね」  
からかうように言うが、やはり麻由の耳には入らないらしい。  
覚束ない手つきで、時間をかけてどうにか装着を終えた。  
 
 
「よくできたね。じゃあ、おいで」  
手を広げて彼女を呼ぶ。  
全部脱がせてからとも思ったが、やはり、一刻も早く彼女の中に入りたい。  
脚を伸ばして座った僕に相対して、麻由がベッドに膝を付く。  
自分でスカートの裾を持ち上げ、そろそろと僕の腰を跨いだ。  
「自分で入れてみなさい」  
腰に手を添え、そう申し付ける。  
麻由は片手を僕の肩に置き、位置を合わせてゆっくりと体重をかけてきた。  
「あ、あ…」  
小さく声を漏らしているのが聞こえる。  
彼女の中に飲み込まれていく快感に、脳髄が痺れるようになった。  
 
 
全部入りきったところで、麻由が両手で僕に抱きついてきた。  
熱と涙に濡れた瞳で見つめられ、心が歓喜に震える。  
「…いいかい?」  
頷いた麻由の頬に口づけ、ゆっくりと腰を使い始める。  
僕に抱きつく手に力がこもり、麻由は完全に僕に身を預けた。  
 
 
心なしか、いつもより締め付けがきついような気がする。  
このままだとあまり持たないかも知れない。  
それでは、麻由の情欲を全て解消してやることができなくなる。  
手を後ろに回して、麻由のエプロンの腰紐をほどいた。  
外れたそれをベッド下に投げ、ワンピース姿になった麻由のブラジャーのホックを服の上から外した。  
おそらく、これも僕がプレゼントしたものだろう。あれは上下セットだったはずだ。  
ブラジャーを手探りで押し上げ、ワンピースの上から彼女の胸に触れた。  
「あ…ん…」  
気持ちよさそうに声を上げる彼女の顔を見つめる。  
直接触るのもいいが、服の上から胸を愛撫しても気持ちいいようだ。  
下着越しより、下着を取った服の上から触る方が反応がいいことを発見して以来、たまにこうして愛撫することがある。  
こうすると麻由の中がキュッと締まることも、直接胸に触れた時と変わらない。  
 
 
「武様…あん…あ…武様…っ」  
麻由がうわ言のようにくり返し僕の名を呼ぶ。  
僕を腕全体で引き寄せ、動きに合わせて腰を押し付けてくる。  
鮮烈な刺激に、肌が粟立つのを感じた。  
快感を堪え、彼女の気持ちいい所を重点的に突く。  
麻由を先にイかせなければ、僕の方が負けてしまいそうだ。  
「あ…ああ!いや…武様…だめ…んん!」  
彼女が白い喉を晒し、恍惚とした声で喘ぐ。  
それに見とれながら、さらに責め立てた。  
「やあ…あ!もう…だめ…ああっ!」  
僕のものを一際強く締め付け、麻由が達した。  
危うく僕もつられそうになるが、なんとか踏み止まる。  
身体を震わせる麻由の背を、ゆっくりと撫でた。  
僕の頬に彼女が頬擦りをし、その感触に心が温かくなった。  
 
窮屈そうに麻由が身をよじるので、ワンピースを脱がせることにする。  
背のファスナーを外し、首元の布地を掴んで上に引いた。  
同じ高さで向かい合っているので、いささかやりにくい。  
僕が引っ張り、麻由が上半身を何度もばたつかせ、やっとワンピースが外れた。  
ずり上がっていた下着も取り去り、生まれたままの姿になった麻由を抱き締めた。  
 
 
肌の温かみをしばらく堪能してから、そっと押し倒す。  
大きくゆっくりと突き上げると、麻由が色っぽい吐息を漏らした。  
動きに合わせて、彼女の白い胸が揺れるのが目に入る。  
見たからには、触れずにいられない。  
揉み上げて、ふっくらと柔らかな質感を楽しむ。  
胸の間に顔を近づけ、頬擦りをして口づけた。  
「ん…」  
麻由の吐息が聞こえる。  
柔らかな部分に吸い付き、跡をつけると、小さく呻くような声が漏れた。  
 
 
この声がもっと聞きたい。  
舌で膨らみを這い登り、僕を誘うように固くなりかけている乳首を口で包み込んだ。  
「あっ!」  
麻由の身体がビクリと震える。  
「んっ…あんっ…」  
反応を見ながら、何度も軽く吸い付いては離す。  
「くっ…あ、やっ…」  
抗議のつもりなのか、口を離した時に彼女の口から不満気な声が上がった。  
ならばと乳首を唇で挟み、舌先で転がして刺激を与える。  
「ああ…」  
途端に麻由は深く息を吐き、悦びに満ちた表情になった。  
「ああん……あん…武様ぁ…」  
蕩けるようなその声に、愛おしさがこみ上げる。  
そっと顔を上げ、上目遣いに麻由の顔を覗いた。  
快楽に濡れた瞳で、こちらを見つめる視線とぶつかる。  
「ん…」  
頭を抱えられ、自らの胸に手を添えた麻由に再び乳首を含まされる。  
「あぁ…」  
望みどおりにまた吸い付くと、麻由が安堵したように息をつく。  
僕の愛撫をねだるその姿に、例えようも無い幸福感が湧いた。  
 
 
麻由が脚を持ち上げ、そろそろと僕の腰に回した。  
「武様…」  
呟き、潤んだ眼でこちらを見ている。  
「待ちきれないのかい?」  
頬を染めコクリと頷いた麻由の顔を見て、心が煽られた。  
 
麻由の華奢な腰に手を掛け、また動き始める。  
ゆっくりと大きく腰を使い、彼女の中を探った。  
「あ…はぁん……」  
麻由が目を閉じ、気持ちよさそうに声を上げる。  
「武様…ぁ…気持ちいい…」  
いつもは、なかなか聞けないこの言葉。  
素直に彼女の口から聞けたことに、嬉しくなった。  
「ん…あん…」  
腰に絡んだ麻由の脚に力が入り、さらに密着する。  
繋がった部分から発する水音が、思考を段々と奪っていった。  
「っは…麻由…麻由っ…」  
何も考えられず、ただ麻由の為に動く。  
「はぁん…武、様…ああ…」  
彼女もそれに応えてくれ、僕にしがみついた。  
 
 
浅く息をしている彼女の唇を捕らえ、吸い付いた。  
喉から発する喘ぎ声を奪い、何度も飲み込む。  
「…んっ!」  
麻由が逃げようとするが、離してはやらない。  
彼女の全ては僕のものだ。  
「うんっ…く、はっ…」  
彼女が大きく首を振り、唇が外れてしまった。  
肩を上下させ、息をするその姿を見て、少し冷静さが戻った。  
 
 
しばらく待ってから、また麻由を深く突き上げる。  
「あ!だめ…そんな…」  
麻由の身体が大きくしなり、震えた。  
それに構わず、脚を抱え上げて更に深く繋がった。  
「んん…」  
快感を堪えるような素振りを見て、もっと責め立てたくなる。  
彼女の秘所へと指を伸ばし、クリトリスを弄った。  
「きゃあ!ああん!いや…ん…っ…」  
麻由が、喘ぎながらもジタバタともがく。  
指から逃げようと虚しい努力をするが、勿論、そんなのは無駄だ。  
「はぁん…あっ!んっ!やぁ!」  
ぷくりと固くなったクリトリスを指で挟み、振動を与える。  
絶頂が近くなった体が反り返り、中が一層きつく締まった。  
「ああ!だめ!もう…イっ…あ…あん…いやぁ!」  
「くっ…あ!」  
締め付けに耐え切れず、僕のものが精を吐き出した。  
「あっあ…んっ…あ…あああっ!」  
少し遅れてビクリと大きく身体を跳ねさせ、麻由が達した。  
身体中の力が抜け、麻由は事切れたように動かなくなった。  
 
 
荒い息を整え、麻由の顔を覗き込む。  
ぐったりとして、身動き一つしない。  
「麻由…?」  
心配になり、緩く頬を叩いてみるが、反応が無い。  
息はあるから、大事には至ってないはずだが。  
「……」  
これが、失神するということなのだろうか。  
麻由を数え切れないほど抱いてきたが、セックスの後にこうなるのは初めてだ。  
そんなに、良かったのだろうか。  
口の端が上がるのを抑えられないが、自惚れは禁物だ。  
これはあくまでも媚薬のせいで、僕の頑張りではないのだろうから。  
無理に目を覚まさせるのをやめ、身体を離す。  
後始末をし、彼女の横に寝転んだ。  
 
「ん……」  
しばらくして麻由が目を開け、視線をさ迷わせた。  
僕の顔を認め、それから自分の身体を見下ろして頬を染めた。  
それを隠すように、彼女は僕の胸に顔を埋める。  
ギュッと抱き締め、髪に口づけた。  
 
 
「あの…私…」  
麻由がおずおずと口を開く。  
「ああ、言いたいことは分かっているよ」  
背中を撫で、僕は言った。  
「今日の君がいつもと違ったことについて、だろう?」  
「はい…」  
胸に顔を押し付けたまま、消え入りそうな声で答えが返ってくる。  
「さっき、チョコレートを食べただろう?」  
「?はい」  
「君が食べたあの銀紙の方。あれは、実は媚薬入りのチョコなんだ」  
「えっ?」  
「媚薬。欲望を煽るための薬さ」  
 
 
「媚薬…」  
呟いたきり、麻由は言葉を失った。  
「ああ、大丈夫だよ。僕が事前に食べて、問題ないことを確かめてから使ったから」  
麻由が食べたのは1個まるごと。僕が食べたのはその何分の一にしか過ぎないが。  
「まあ、何てこと!」  
彼女はガバッと身体を起こし、僕を見下ろした。  
先程まで気を失っていたのに、恐るべき回復力だと感心する。  
「そんなもの、どこで手に入れられたのですか!」  
声が高くなり、キッと睨まれる。  
責められるのかと、無意識に身体が固くなった。  
「妙なものを口にしないで下さいませ!もしものことあったら困りますのに!」  
「…あ、ああ」  
「今回は何も無かったからよかったものの…」  
いや、君にとっては十分「何かあった」と思うが。  
どうやら、麻由は媚薬を盛られたことではなく、僕がそれを口にしたことに対して怒っているようだ。  
自分の身体を心配してくれていることに、僕は顔を逸らしてにやけた。  
 
 
 
 
「気持ちよかったかい?」  
「なっ!」  
ストレートにそう問うと、麻由の頬が瞬時に染まった。  
「いつもは恥ずかしがってばかりなのに、さっきの麻由はあんなに大胆で、自分から求…」  
「きゃあ!きゃあっ!」  
麻由は僕が喋るのを阻止しようと、必死に手で口を塞いでくる。  
じたばたするその姿に笑いがこみ上げ、話すのをやめた。  
にやけている僕を、ムッとした顔で麻由が見つめてくる。  
へそを曲げられてしまってはつまらない。  
麻由の背に手を回し、抱き締めて髪を撫でる。  
「…んっ」  
麻由はこうされるのに弱い。  
しぶしぶながらも身体の力を抜き、僕に身体を預けてきた。  
「妙なものを食べさせてしまったことは謝るよ。済まない」  
「もう、二度目はありませんから」  
拗ねたように言う姿も可愛い。  
「ああ。肝に銘じておくよ」  
「それなら、ようございますが」  
まだ納得のいかない顔でこちらを見つめてくる。  
 
原因を作ったのは僕自身だ、この反応も甘んじて受けなければならない。  
「本当ですね?」  
「…約束しよう」  
残念だが、ここは素直に従っておく方がよさそうだ。  
 
 
「さあ、もう寝ようか」  
内心を悟られないように、そう提案する。  
「はい」  
下になった腕を伸ばし、腕枕をしてやる。  
ここだけの話だが、麻由はこれにも弱い。  
素直に目を閉じたその顔を見入る。  
この寝顔が僕だけのものだということに、満足感を覚える。  
じっと見つめながら、物思いに耽った。  
 
 
麻由を一生離したくはない。  
出張などで会えない日が続くと、頭の中が麻由のことで一杯になる。  
知り合ってもう何年も経つのに、これは一貫して変わらない。  
最初はただの一目惚れだったが、年を経るごとに、彼女への執着が強くなってくる。  
どうしてこんなに惹かれるのか、理由の一端は分かっている。  
麻由の僕に対する気持ちを、本物だと信じているからだ。  
 
 
僕とて、人並みに愛されて育ってきたはずだ。  
両親、祖父母、前のメイド長。  
彼らのくれた愛情は嘘偽りの無いものだったと思う。  
厳しく教育されたが、しっかりした愛情が裏にあったからこそ、僕はここまで育ってこられた。  
しかし、成長していくに従って、僕は様々な人間に会い過ぎた。  
お慕いしていますと口では言いながら、残りの人生を贅沢に過ごすことしか考えていない令嬢達。  
娘を僕に娶(めあ)わせて、自分の会社に利益をもたらさんとする他社の社長達、その妻達。  
良家の出でなくとも、僕を射止めて、玉の輿を狙わんとする庶民育ちの女達。  
僕に気に入られることで、出世を目論まんとする者達。  
こういう手合いに囲まれて、僕は生きている。  
 
 
両親も祖父母も亡くなり、前のメイド長も引退して去った。  
屋敷を一歩出れば、僕個人ではなく、遠野家の若主人としてしか僕を見ない人間達の中に否応無く入らねばならない。  
この家に生まれたからには仕方がないことなのだが、時々、全てが煩わしくなることがある。  
麻由は違う。僕個人のことを大切にしてくれるし、支えてくれる。  
「初めてお会いした時から、ずっと想い続けておりました」と言ってくれた時の瞳の美しさは、今でも忘れられない。  
あの言葉には真実の輝きがあった。  
彼女に愛されていると僕が思うのは、決して自惚れでは無いはずだ。  
 
 
僕は弱い人間だ。  
要は、自分を愛してくれる人間を手元に置いておきたいのだ。  
麻由を抱く時も、彼女にとって負担になることを強いて、困らせることがよくある。  
彼女が受け容れてくれるのを見ることで、自分が愛されているということを確認したいのだ。  
情けないが、これが僕という人間の真の姿なのだろうと思う。  
 
 
しかし、ずっと今のままというわけにもいかない。  
そろそろ、麻由に求婚すべきだと考えている。  
仕事も軌道に乗ってきたし、僕らの年齢的なものもある。  
先日別のメイドが結婚した時に、麻由がそれを寂しそうに見つめている姿を見て、その思いを強くした。  
しかし、今はまだベストの時ではない。  
 
もっともっと、麻由を僕に夢中にさせなければならない。  
僕が麻由を思う気持ちと、麻由が僕を思ってくれる気持ちの大きさにはまだまだ開きがある。  
勿論、彼女は「武様をお慕いしています」と言ってくれる。  
可愛い嫉妬もたまにしてくれる。  
しかし、僕が麻由を求めるこの狂おしいほどの気持ちとは違う。  
彼女の気持ちは、あくまでも常識の範囲内だ。  
 
 
麻由が僕に向けてくれる愛情のほとんどは、言ってみれば「敬愛」という種類のものだ。  
メイドが主人に向ける愛情、これが大部分を占めているのだと思う。  
だから、彼女は主人に対してマイナスになるようなことは決してしない。  
身を粉にして主人に尽くし、心を配るということで愛情を表現する。  
メイドという仕事は、まさに麻由の天職だと言えるだろう。  
彼女の思いは嬉しいが、しかしその反面、大いなる僕の不満の根源でもある。  
敬われるのもいいが、主人としてだけではなく一人の男として、もっと麻由に愛されたい。  
独占欲やわがままなど、そういう強い感情をもっと向けて欲しいのだ。  
しかし、滅私奉公的なものを叩き込まれている麻由は、そういうものを殆ど表に出さない。  
彼女の中で男女の情愛が占める割合は、それほど多くはないのかも知れないとさえ感じる。  
それが彼女に対する唯一にして最大の不満だ。  
この不満がひねくれて、麻由に対する渇望となって表れるのだろうと思う。  
たまに嫉妬される時は、男としても愛されていると確認することができるのだが。  
 
 
僕が麻由に抱く愛情は、ほとんどが男女の情愛であると言っていい。  
残りは、おおかた愛情に名を借りた独占欲か何かだろう。  
最初に抱いた恋心、そして僕を本当に大切にしてくれる女性だという依頼心。  
この二つが相乗効果を生み、こんなに長く麻由に惹かれる結果を生んでいると思うのだ。  
だから、彼女をいつまでも自分だけのものにしておきたい。  
いざとなれば、閉じ込めてでも逃がさない努力をしようと思うだろう。  
麻由が僕にくれる静かな愛情と、僕が麻由に抱く滾るような愛情。  
相手に対する好意という点では同じだが、その実は全く異なる。  
二つの距離が遠いことに、僕は時々歯噛みするほど悔しくなる。  
 
 
麻由の精神力は、自己を抑制する方面に使われる傾向がある。  
だから、僕が結婚を申し込んでも、麻由は断るだろう。  
庶民の自分が、名家の奥方など務まらないと彼女は思い込んでいる。  
「私では不適格だ、武様にご迷惑をかけるから」といった具合にだ。  
自分達は結婚できないと、固く信じているに違いない。  
焦って求婚し、自分は武様にふさわしくないと失踪されても困る。  
しかし、有無を言わせず妻にしても、何かあった時には同じく逃げられる危険がある。  
こんなことなら、両親が亡くなってすぐに求婚するべきだった。  
僕も含めて屋敷の皆が不安になり、浮き足立っていたあの頃。  
「僕を支えてくれるのは君だけだ。結婚してくれ」と言っていれば。  
彼女も承諾してくれ、今頃は子供の一人や二人いたかも知れない。  
 
 
「武様と私は不釣合いだ」という麻由の固定観念。  
冷静なその気持ちを失くすほど、もっと僕に惚れさせる必要がある。  
身も心も離れがたく結びついている実感はあるが、まだ足りない。  
僕の半分くらいでもいいから、麻由に僕に対する情愛を抱いて欲しい。  
求婚に対し、一も二もなく「はい」と返事させるだけの器量が、今の僕には無いのかもしれない。  
そんな自分を不甲斐なく思う。  
「武様から離れて生きられない」と、彼女が思ってくれるにはどうすればいいのだろうか。  
僕を想って多くを望まないのではなく、僕と共に障害を乗り越えようと決意してくれるためには。  
最近は、このことばかりを考えている。  
周囲の女達には掃いて捨てるほど野心があるのに、どうして麻由には一片の野心も無いのだろうか。  
ちらとでも野心があれば、僕と結婚するように説得することは易いのに。  
 
頼りがいのある男になるべく、社を継いでから必死に頑張ってきた。  
父の代より仕事の規模も大きくなり、財務状況もよくすることができた。  
しかし、僕が社長として頑張るほど、余計に麻由との立ち位置が離れるような気がする。  
社が大きくなっても僕は僕なのだが、麻由にとっては違うのかもしれない。  
先日、風邪を引いた時、風呂場で避妊をせずに麻由を抱いた。  
子供が出来れば、麻由も嫌とは言えずに首を縦に振るかも知れない。  
心の底でそう思ったからそうした。単に準備を怠ったからではない。  
しかし、その目論見は外れてしまった。  
一度くらい避妊をしなかったくらいでは、やはり駄目なのだろう。  
後ろめたさもあり、その後はまたきちんと避妊をするようになった。  
この手はもう使えないだろう。  
性的な快感で離れられないようにするということも考えた。  
しかし、それには正直自信が無い。  
そちらの技術を磨こうと他を当たろうものなら、瞬時に麻由にばれてしまうだろう。  
傷つけて泣かせてしまうから、逆効果になってしまう。  
実践の中で色々試して、彼女の反応を見極めるしか無い。  
 
 
彼女の不安も分かっているつもりだ。  
僕と麻由が結婚すれば、間違いなく方々で陰口を叩かれる。  
おそらく、その矢面に立つことになるのは麻由だ。  
周囲の批判からはもちろん守るが、僕の知らないところで麻由が傷つけられることもあるだろう。  
僕としては、彼女が伴侶として共に生きてくれるなら、他はあまり望まない。  
しかし、彼女は僕の評判を落とさないために社交面でも頑張ろうとするだろう。  
その健気さが、仇になることが時にある。  
女同士の付き合いという奴の中で、上流階級に慣れない者は叩かれ、嘲笑されるものだ。  
実際、陰で聞くに堪えないほどの誹謗中傷をされている女性の話を何度か聞いたことがある。  
金と暇のある人種は、大抵ろくな事をしないから。  
麻由の色香に惑わされたのではなく、心底惚れて結ばれるのだから、誰に何を言われるべきことでもない。  
しかし、僕が彼女に惚れているのを見せつければ「あの女、どうやって主人をたらし込んだのか」と言われるだろう。  
僕が昔から麻由を想っていたと知れても、やはり言われるに違いない。  
初恋の女性と結ばれるのだから、むしろ美談だと思うのだが。  
こういうことを言うのは、愚かで暇な人間の憂さ晴らしに過ぎないのだが、麻由が傷つくのを見たくは無い。  
 
 
麻由を一生自分だけのものにしておきたい。  
しかし、求婚したら断られるだろう。耐えられない。  
一方、今のままの関係をずっと続けていくのも限度がある。  
所帯を持てという周囲の圧力が段々と増してきているから。  
「武様がご結婚なさらないのは自分がいるからだ」と麻由に誤解されても堪らない。  
どちらを選んでも問題があると思い、思考はいつもこのように堂々巡りになる。  
 
結局、麻由自身に、「万難を排して武様と一緒になる」という決意を持ってもらうしかないのだ。  
後々、困難にぶち当たっても「あの時そう決めたのだから、辛くても頑張らなきゃ」と思ってくれるような。  
自己を抑制するという麻由の性格を、こちらに転化させることができれば一番いい。  
そうなれば、僕の方はいつでもいい。明日でもいいと思うくらいだ。  
その為にはもっともっと、彼女を僕に夢中にさせなければならない。  
どう頑張ればそうなるかを更に深く考えなければと思い、僕も眠りについた。  
 
 
 
 
「ん…」  
隣にあるはずの温もりが無いことに気付き、目が覚めた。  
時計を見ると、起きるべき時間の少し前だ。  
麻由はもう部屋を出たらしい。  
一緒に目覚められないことに、一抹の寂しさを覚える。  
彼女はメイドなのだから、主人より早く起きるのは当然なのだが…。  
まあ、いい。  
結婚したら、いやでも同じベッドで寝起きが出来るのだから。  
夜に足りなかった分を、朝にもう一度…という目論見もできるだろう。  
そうなる日を思い描き、シャワーを浴びて風呂場を出た。  
テーブルの上をふと見ると、昨日のチョコの箱がぽつんと乗っている。  
手に取り、スライドさせて開けてみた。  
3つずつ残っているはずのチョコは、媚薬が入った銀色の方のみが消えていた。  
おそらく、麻由が持ち去ったのだろう。  
不承不承頷いた僕の本心を見透かされていたのだろうか。  
少し残念な気もするが、仕方が無い。  
残った金色の方を手に取り、中身を口に含む。  
昨日の麻由の痴態を思い出し、頬が緩んだ。  
絶対、彼女を妻に迎えてみせる。  
今度はどういった手を使おうかを考えながら、着替えを済ませ食事に向かった。  
 
──終わり──  
 

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