「・・・・・・・・・というわけで、あなたに頼むことにしたの。しっかりお勤めして頂戴。」
お夕飯の前、メイド長に呼ばれた私はびくびくしながらその前に立っておりました。
何か粗相をしたかしらとあれこれ考えていましたが、特に思い当たることも無く。
用向きは何なのかと別の不安が頭をもたげたところで、メイド長から私を呼んだ理由が明かされたのでございます。
北岡麻由、メイドになって3年目の21歳の夏のことでした。
私がお仕えしているのは、不動産やリゾート開発をはじめ幅広く事業を展開している会社の社長ご一家、遠野家のお屋敷でございます。
まだまだメイドとして一人前とはとても申せませんが、日々精進しているところです。
ああそうでした、メイド長が私を呼んだ用向きでございましたね。
何でも、このたび旦那様の会社が社運を賭けた一大総合開発を執り行うことになったそうなのです。
リゾートホテル、リゾートマンション、ショッピングモール、その他諸々の施設がまるで街のように完成するのだとか。
そこに社長の一人息子である武(たける)様をしばらく派遣し、つぶさに遠野家の事業をご覧になるようにと社長が申し渡されたのだとメイド長は教えてくれました。
滞在はおそらく十日ほどになるそうです。
最初はホテルに逗留されるご予定だったそうなのですが・・・・・。
他社のホテルに現在一大開発中のライバル社のご子息がお泊りになるのにはやはり問題があるということになったのでございます。
私にはその当りの事情は推し量る術もありませんが。
結局、用地から十キロほど離れた所に遠野家の別荘があるのでそこをお使いになることに決まったのだとか。
そこで滞在中の武様のお世話をするメイドを派遣することになり、私に白羽の矢が立ったというわけでございます。
「・・・・・私で宜しいのでしょうか?」
嬉しさを押さえて、なるべく謙虚に聞こえるようにメイド長にお伺いをたてます。
「ええ。あなたならしっかりやってくれるでしょう。精一杯お仕えなさい。」
仕事に厳しいメイド長からの思いがけない一言に、少し嬉しくなりますが申し訳なくもなります。
二十歳の時に武様に初めて抱かれて以来、私たちは人目を盗んで逢瀬を続けております。
このことがばれてはいけないと、普段はつとめて武様と私は距離を取っておりました。
すらっとしたハンサムであられる武様を見て頬を染めるメイドたちのひそひそ話にも加わらないようにしておりました。
お喋りにうつつを抜かすことも無く、淡々とした仕事振りをメイド長が見込んでくれたのだと思います。
もっとも、武様と二人の時は言葉にするのも恥ずかしいくらいに触れ合い、甘やかして頂くのですが・・・・・。
別荘へ行くのは7月の第三週の日曜日から。
仕事の合間に荷造りをし、来るべき日に備えました。
それまでに一度、武様のお部屋に呼ばれて伺いました。
「武様のお世話係、私が任命されました。」と心を躍らせながら申し上げると。
「ああ。しっかりした子を寄越してくれとメイド長に厳命しておいたからね。麻由になることは分っていたさ。
もしも君じゃなかったら適当な理由をつけて断り、君の名が出るまで粘る気だった。」
抱きしめられながらそう囁かれ、天にも昇る心地がいたしました。
その晩も快感に目が潤むくらいにじっくりと愛され、抱き合って眠りました。
早朝、お部屋を出ようとする私に気付かれた武様がこう仰いました。
「あっちでは別荘番もいないから、朝夕は僕と麻由の二人きりだ。十日間、覚悟しておいで。」
・・・・・・・・・頭の中がフットーしそうになりました。
そして出発当日。
いくつかのトランクと共に武様が滞在中に使われるお車に乗り込みました。
運転手さん、助手席に私、後部座席に武様。
行きしなだけ運転手さんがつきますが、滞在中は武様がご自分で運転なさるとのことでした。
ハンドルをきる姿もきっとかっこいいに違いないと、頬が緩むのを抑えることができません。
それを見咎められるのが嫌で、横を向いて車窓の景色を眺めたのですが。
私には少し気がかりなことがあったのです。
お仕事とはいえ向かうのはリゾート地。
メイド服以外に何着か私服も持って行きたいし、夜のことを考えると可愛い下着も持って行きたい。
でもあのメイド長に出発直前に荷物チェックをされて(ありそうなことです)「何を浮ついた気持ちでいるの?あなたはやはり失格です!」と任を取り上げられるかも知れません。
武様と二人で何日もという美味しいシチュエーションのためにはそれは何としても避けなければ。
そんな訳で、私のトランクにはメイド服のほかには地味な私服、地味な下着と少数の化粧品だけ。
これを見て武様ががっかりなされないかということが心配だったのです。
「・・・・・坊っちゃま、本当にお一人で大丈夫ですか?この谷脇がやはり滞在中のお車を運転いたしましょうか?」
普段は奥様と武様付きの運転手、谷脇さんがそう進言されます。
それは困ります、谷脇さんまで別荘に泊まり込みなんて!
何とか断って下さいと念を送っているとそれが届いたのか、武様は笑っておっしゃいました。
「大丈夫だよ、僕だってちゃんと免許は持っているから。
それに教習所に通っている間、屋敷内で空き時間に僕に運転を教えてくれたのは谷脇じゃないか。」
「左様でございましたね。いやはや坊っちゃまの仰るとおりです。ですがくれぐれも安全運転を心がけてくださいませ。」
谷脇さんもそれ以上強く進言することは無く、話が収束したのを見て私はホッと息をつきました。
遠野家の会社が現在開発中の場所は、S県の五郎浜という所なのだそうです。
リゾートに似合わない地名ですが、開発後はきっとおしゃれな場所に大変身することでしょう。
まずはそこに直行し、それから地図と周囲を見比べて武様に別荘までの道をご確認頂きます。
これから毎日通われるので、最初にしっかり覚えて頂かなくてはなりません。
別荘に着いたところで管理会社の人から鍵を受け取り、荷物を運んでから窓を開けて換気を致します。
その間に谷脇さんは武様を再び五郎浜に送られました。明日からのために関係者との初顔合わせがあるのだとか。
夕方までかかるそうなので、一旦別荘に戻った谷脇さんに買出しを手伝っていただきます。
買ったものを別荘に運び込んで、そしてお掃除。大きなものを動かす時にも谷脇さんの手を借ります。
管理会社があらかた掃除してくれた後なので、さほど頑張らなくてもよさそう。
夕食の準備に取り掛かりはじめたところで、谷脇さんが別荘を出ます。
これから武様のところまで車を運び、自分は電車で屋敷まで戻られるそうです。
それからは大忙し。
厨房の手伝いをしたことがあるとはいえ、料理は本職ではありません。
でも少しでも美味しいものを食べていただきたいので、精魂込めてお作り致しました。
完成したお料理を前に武様を待ちます。
運び込んだ荷物はすっかり解いて片付け、お料理も出来上がった。
こうしてお帰りを待っているとまるで新婚の主婦のようだと思うと頬が緩みます。
8時前にお戻りになり、ご夕食を済ませて武様がお風呂を使われます。
私も片づけを済ませ、後を受けてお風呂をいただきます。
髪を拭きながら「今日はお呼びがかかるかしら・・・・?」と考えますが、武様は何やら机に向かって書きものの最中。明日からの準備でしょうか。
突然鳴った電話に肝を冷やします。それはメイド長からのものでした。
邪なことを考えていたのがばれたのかしら、と冷や汗をかきながら電話を受けました。
しかし電話はただ今の状況をチェックするだけのものだったようで、不便は無いこと、武様は明日の準備で机に向かっておられることを告げたら用は済んだようで。
明日のお召し物をきちんと調えなさいと最後に言われて電話は終了いたしました。
勿論もう全て整えてあったのですが、明日の朝食の下拵えがまだだったことを思い出して早急に済ませました。
それでもまだ武様はお部屋に籠もられたまま。
今日は一人寝かと自分用の小部屋へ引き取り、寝る準備を整えます。
掛け布団をめくってベッドに横になろうかという所で、コンコンとノックの音がしました。
「はい。」
「麻由?もう寝たかい?」
「いいえ。ご用ですか?」
慌ててドアを開け、武様を見上げて次の言葉を待ちます。
「用が無くちゃ来てはいけない?」
そう問われた武様はさっさとドアを閉め、私の肩を抱いてベッドへ向かいます。
「え、え?武様?」
「待っていたんだけど君がこっちへ来てくれないから、僕から来たんだ。
考えてみれば屋敷にいる時と違って、僕が君の部屋へ来ても構わないんだよね。待つ癖がついていたから気付かなかった。」
メイドがご主人様のお部屋へ伺うのは当然のこと。通常その逆はありえません。
ですから私も、呼ばれない=今日は一人寝だとすっかり信じ込んでおりました。
「このベッドは僕のより狭いけど、気分が変わってこれもまたいいだろう。・・・・・・いいかい?」
甘く掠れた声で問われるのを聞いて体が熱くなります。
「はい。武様のお心のままに。」
お返事をして目を閉じ、身を任せます。
夜半、ベッドから落ちそうになった私を抱きとめてくださった腕の熱さと、都会では聞こえなかった虫の声が一晩中聞こえていたことがその夜の思い出でございます。
別荘での一日目はこうして過ぎていきました。
翌朝は、二人の関係が始まって以来の同時の起床。
武様がシャワーを浴びてスーツに腕を通される間に朝食の準備をいたします。
別荘を出る時、私を抱きしめてキスをしてから武様は車に乗り込まれました。
何だか、本当に新婚夫婦のようです。
車が見えなくなるまで見送ってから、今日も頑張ろうと腕まくりをして仕事に取り掛かりました。