時期的には、2人の婚約中の話です。麻由視点。  
 
 
「同窓会」  
 
同窓会のお知らせが来たのは、武様と婚約して3ヵ月目のことでした。  
結婚式まであと3ヶ月、遠野家へ嫁ぐために毎日ダンスや着付けなど上流階級の婦人に必要なことを学んでいた時です。  
武様の妻になれることの幸せを噛みしめていたものの、慣れぬことに四苦八苦していた私には嬉しい知らせでした。  
2年前の第2回同窓会の時は、メイド長になってまだ日が浅かったために欠席していたのです。  
職務を全うするだけで毎日くたくたに疲れていましたし、お休みも取りづらかったので諦めたのでした。  
しかし、今回は行きたいと強く思いました。  
これが、北岡麻由として出席する最後になるでしょうから。  
同窓会は土曜日ですから、レッスンのお休みとも重なります。  
一日くらいお屋敷を離れて昔の友達と旧交を温めても良いのではないかと考え、武様に出席の許可をお願いしました。  
「高校の同窓会?」  
「はい。行ってはいけませんか?皆と会うのは6年ぶりだから、ぜひ行きたいんです」  
お願いすると、武様はなぜか渋々といった様子で頷かれました。  
「そうか、じゃあ行っておいで。  
その代わり、必ず婚約指輪をつけて行くんだ、いいね」  
「はい」  
「なるべく女友達とだけ話しなさい」  
噛んで含めるように言い聞かされて、私は首を傾げました。  
「親しい男友達はいませんでしたから、お言いつけの通りになりますわ」  
「そうか」  
何せ、私は中学1年生の頃から武様に思いを寄せておりましたもの。  
「なるべく早く帰っておいで、待っているから」  
抱き締められて囁かれ、そのまま唇が重なりました。  
 
 
 
出席に○を付けたハガキを出して1ヵ月後、同窓会の日がやって来ました。  
頭の中でクラスメイトの顔を思い出し、誰々はどうしたかしら、今日は会えるかしらと胸が躍って。  
ウキウキしながら着替え、武様のお言いつけ通りに婚約指輪を取り出して指に嵌(は)めました。  
通常、ダンスや着付けのお稽古の時には外しておりますから、これを見るのは久しぶりのことです。  
指輪は、プロポーズをお受けした2日後、都内の宝飾店をあちこち連れ回されて選んだ物です。  
今まで安価な品にしか縁のなかった私は、奥の別室に通され、白い手袋をした店員さんが恭しく持って現れる指輪の数々に度肝を抜かれました。  
どれも大きくまばゆいダイヤが競うようにデザインされ、正視できないほどに輝いていたのを思い出します。  
値札がついていなくても一目で高級だと分かるそれを指に嵌めるなど畏れ多くて、もっと石の小さいものにして下さいとお願いしたのですが。  
一生に一度の贈り物なんだから、君に一番似合う物を選ぶと仰る武様に押し切られてしまいました。  
とっかえひっかえして指に嵌めて見せた結果、最終的にはプラチナの台の中央に大きなダイヤが一粒あり、周囲に小振りなダイヤが取り巻いているデザインの物になりました。  
これが一番似合うと武様が仰って、私もそれならと頷いたのです。  
あれからもう何度も見ているというのに、手に取った指輪が燦然と輝くのに思わず目が奪われます。  
これを頂いて指に嵌めることができるなんて、本当に夢のようです。  
手の角度を変え、窓からの光に反射してきらきらと指輪が輝くのを飽かずに眺めました。  
 
 
その時、23歳の時に行われた最初の同窓会の時のことが脳裏に甦りました。  
指輪はとても綺麗だけど、駄目です、今日はつけて行けません。  
あの時、私は女の子達がつけていた指輪を羨んだのです。  
当時の私は武様と秘密の関係を続けていましたが、まさか将来結ばれることになるとは全く思っていませんでした。  
それゆえ、彼女達が嵌めている婚約指輪や結婚指輪を見て、好きな人と結婚できる女性と自分との違いに悲しくなったのです。  
私達はあの頃より年を重ね、結婚という問題は非常にデリケートなものになっています。  
武様に頂いたこの立派な指輪を嵌めて行けば、そんな気はなくとも見せびらかすようで、良くないと思ったのです。  
これが指に輝いていれば、間違いなく人目を引くでしょうから。  
私は婚約指輪を外し、代わりに4年ほど前に自分で買ったファッションリングを嵌めました。  
当時のお給料で買えた安価な品ですが、ブルートパーズの水色がとても綺麗な指輪です。  
薬指に指輪をしていくことが求められているのですから、これでも大丈夫でしょう。  
 
同窓会会場まで送り届けてくれるという運転手さんの申し出を断ってお屋敷を出て、駅まで歩きました。  
外を一人で歩くのも、切符を買って電車を待つのも久しぶりのこと。  
メイド長の頃は忙しくて外にはあまり出かけませんでしたし、今は連日のお稽古でずっとお屋敷の中にいます。  
高校生の頃に毎日通っていた駅までの道を歩いているうちに、何だか楽しい気分になってきました。  
当時は定期券を見せて通っていた改札も今は自動になっています。  
年月の流れを思いますが、それでも私の心は浮き立ったままでした。  
8つ先の駅まで行き、同窓会の会場に到着します。  
会費を払って中に入ると、早く着いたこともあってまだ人はまばらでしたが、何人か知った顔が見えました。  
誰のところに行って話し掛けようかと視線をさ迷わせていると、急に後ろから肩を叩かれました。  
「北岡」  
振り返ると、そこにいたのはスーツ姿の男性でした。  
「えっと…茂田君?」  
「うん」  
名を呼ぶと、男性は嬉しそうに顔を綻ばせました。  
茂田(しげた)君は中学高校と6年間同じ学校で、高校2年の時には同じクラスになったのを覚えています。  
よく傘を忘れる人で、雨の日には行きや帰りに私の傘に入れてあげたことがあるのを思い出しました。  
雨が降っているのに傘を忘れるなんて私よりもそそっかしい人でしたが、今はその癖も直っているのでしょうか。  
「お久しぶりです」  
「ああ久しぶり。お前、綺麗になったな」  
にっこりとするその笑顔は当時のままです。  
しかし、続いて言われた言葉に私の頬が熱くなりました。  
「からかわないで、そんな…」  
「いや、綺麗になったよ。なんか、着てる服もしゃれてるし」  
「そ、そう?」  
連日のダンス練習で身体が引き締まったお陰でしょうか。  
夜、武様に抱かれる時にそう言われたことを思い出して、さらに頬に血が昇りました。  
 
 
数人が加わりそのまま話しているうちに会が始まり、先生の挨拶や学生時代のスライド上映などがありました。  
高校時代の思い出が一気に甦り、とてもとても懐かしくなって。  
目頭が熱くなり、何度もまばたきをしました。  
歓談の時間には幾人もが話しかけに来てくれて、思い出話に花が咲きました。  
皆例外なく私を褒めてくれ、照れくさくなって俯きました。  
「幸せそう」とも言われ、さらに面映くなってしまいました。  
もうすぐ武様の妻になれるという嬉しさが内面から溢れているのでしょうか。  
 
 
「あー!麻由!!」  
突然甲高い声で名を呼ばれ、驚いて周囲を見回しました。  
すると、つかつかと大股で近寄ってきた背の高い女性に手を掴まれるやいなや、上下にぶんぶんと激しく振られてしまいました。  
「懐かしいっ!」  
いたく感動しているらしい彼女は、その言葉とともに私を抱き締めました。  
周囲の人が息を飲んだのが聞こえます。  
「おい加納、北岡がびっくりしてるじゃないか。離してやれよ」  
「何よ、人が再会に感激してんだから邪魔しないでよ、シケタ」  
「シケタじゃねえよ、茂田!」  
2人が言い合っている隙に私はその人の腕から逃れ、大きく息をつきました。  
「はいはい、分かったわよシケタ」  
「てめえ!俺は茂田だって高校ん時から散々言ってただろうが」  
茂田君をからかうその姿には見覚えがあります。  
「あの…、奈々ちゃん?」  
おそるおそる呼びかけますと、その人は勢い良くこっちを見ました。  
「そうよ、覚えててくれた?嬉しいっ!」  
また私は勢い良く抱き締められ、もみくちゃにされてしまいました。  
喜怒哀楽の表現の激しい彼女の姿は当時と変わりません。  
加納奈々子ちゃんは、高校2年と3年の時に同じクラスになった女性で、卒業後は大学を経て栄養士になった人です。  
とても楽しい人で、高校卒業後しばらくは連絡を取っていましたが、最近は疎遠になってしまっていました。  
再会してこんなに喜んでくれるなんて私としても嬉しいですが、ぎゅうぎゅうと抱き締められるのは少し苦しいです。  
 
見かねた同級生が奈々ちゃんを引き剥がしてくれ、違う友達の方に引っ張っていってくれました。  
行った先でもキャーという奈々ちゃんの叫び声が聞こえましたが、とりあえず解放されてホッとします。  
「なあ、北岡」  
髪と服を直し終えたところで、私は向かいにいた男性に話しかけられてそちらを向きました。  
「え、何?」  
「お前さ、最初の同窓会でデモンストレーションやっただろ?」  
「そうだったかしら」  
「うん。『お帰りなさいませ』ってやつ」  
「あ…」  
前の同窓会のことを思い出しました。  
卒業して5年後、23歳の時に初めて同窓会が開かれ、出席した時のことです。  
大学を卒業して社会人一年目の人は会社のグチ、早く結婚した子は旦那さんやお姑さんのグチなどを言い合って。  
せっかくの同窓会がどことなく暗い雰囲気になってしまい、白けたムードが漂ってしまったのです。  
これではいけない、何か余興でもやって盛り上げようと誰かが発案しました。  
そして幹事以下何名かが協議した結果、珍しい職業についた人がその職業特有の一芸を披露することになったのです。  
自衛隊に入隊した数名はほふく前進を、英会話の先生になった人は即席の英会話教室を。  
救急隊員になった人は人工呼吸の実演をすることになり、患者役を誰にするかで一しきり盛り上がりました。  
そのお陰で会場の雰囲気も明るくなり、よかったと笑っていると、幹事がいきなり私の名を呼びました。  
学年でただ一人メイドになったということで引っ張り出され、お前も一芸をやれと言われてしまったのです。  
メイドといいましても、普段のお仕事は地味なものです。  
前に演じた人のように絵になるパフォーマンスができるわけではありませんが、何もしないのではせっかくの雰囲気が壊れてしまいます。  
頭の中でぐるぐると考えた結果、毎日しているお仕事を実演して見せることに決めました。  
私たちメイドには当たり前のことが、皆にはきっと珍しいのでしょうから。  
そこで、テーブルクロスを借りてのベッドメイキングと、ご主人様の朝のお見送りと夕のお出迎えの実演をしたのです。  
声の出し方・お辞儀の角度・頭を下げている時間など、当時のメイド長に厳しく躾けられた内容を思い出しながらやりました。  
いい加減にやっては、遠野家メイド全体の恥になりかねませんから。  
ほふく前進をやった自衛隊員の時のような喝采は起こらず、ぱらぱらとまばらな拍手を貰って私の実演は終わりました。  
「壷だ」「壷だな」と囁き合う男性の声は聞こえたのですが…。  
遠野家にある骨董品の壷のことをなぜ今言うのかと不思議に思いました。  
尋ねてもはぐらかされ、壷がどうしたのか釈然としなかったのを覚えております。  
 
 
「あれさ、今もやってんの?」  
男性の声に追憶からさめ、私は目を瞬かせました。  
「ええ、やってるけど」  
婚約後も武様のお見送りとお出迎えは毎日欠かさず続けています。  
結婚しても、きっと欠かすことはないでしょう。  
「ちょっとやってみてくれよ」  
「え、今?嫌よ」  
「男の夢なんだよ、その『ご主人様〜』ってやつは、さ」  
その人の言葉に、何人もの男性が同時に振り向き、頷きました。  
統率の取れた動きが何だか怖いです。  
「な、一回だけ」  
男の夢だなんて大げさすぎると思うのですが…。  
あ、もしかしたら、男一匹功成り名遂げて、メイドを雇えるくらいの地位と収入のある男になりたいということなのでしょうか。  
それなら納得がいきます、確かに出世は男性の夢でしょうから。  
私がお出迎えをやってみせることで成功のイメージができるのなら、ここはやるべきなのでしょう。  
「お帰りなさいませ、ご主人様」  
そう判断した私は、メイド時代にしていたように教科書通りの動きと発声を再現しました。  
所定の秒数お辞儀をして頭を上げますと、実演を促した面々は実に様々な表情をしていました。  
固まっている人、にやけている人、なぜか頬を染めている人。  
様々に違うその顔を順々に見ていくと、さっきの男性が口を開きました。  
「さすがに本物は違うな、時給いくらのとは」  
「時給?」  
私達は時給ではなく月々の給金を頂いているのですが。  
「いや、こっちの話だ」  
慌てて言葉を続けたその男性を見るともなしに見詰めました。  
 
「お出迎えしたらさ、やっぱ、すれ違い際に尻の一つも撫でられるのか?」  
が、別の方向から聞こえた違う声にカッとなりました。  
「武様はそんなことなさらないわ!!」  
思わず言い返す声が大きくなり、しまったと手を口に当てました。  
「たける様?」「誰だそれ」「察するにご主人様の名前だろう」「うぉー、名前に様付けかよ」「呼ばれてみてえ」  
私の叫んだのを聞いた人達が大小様々な声で口にするのが聞こえました。  
「お、お前さあ。ご主人様のこと名前で呼ぶの?」  
「たまには…呼ぶけど…」  
恥ずかしくなり、返答する声が小さくなってしまいました。  
人前で武様の名を口にするのはいまだに慣れません。  
反面、二人きりの時は「あなた」と呼ぶように言い含められていますのに、つい「武様」と呼ぶ癖が出てしまって。  
そのたびにお仕置きだと称していろんなことをされ、くたくたになってしまうのが常なのです。  
 
 
「頼む!俺もその呼び方で呼んでくれ!」  
誰かがいきなり大声で叫び、ビクッと身体が跳ねました。  
「うわ、ずるい」「北岡さん俺も」「俺も」  
また皆が口々に言い、私は困ってしまいました。  
私が様をつけて呼びたいのは武様お一人なのに。  
気が進まないのですが、メイドを雇うのは男の夢だとさっき教えられたことが頭に甦ります。  
断りたいですが、同窓生の立身出世の一助となるためには聞き入れるべきなのでしょうか。  
「…じゃあ、一人だけなら…」  
私が言うなり、そこにいた男性達は命でも賭かっているかのように熱の入ったジャンケンを始めました。  
これほど立身出世の意欲があるなら、何も私が名を呼ばなくても皆それぞれの職場で活躍できると思いますのに。  
「いやったああぁ!」  
白熱したジャンケン大会の結果、勝ったのは茂田君でした。  
まるでゴールを決めた時のサッカー選手のように激しいアクションで快哉を叫んでいます。  
何がそんなに嬉しいのでしょう、勝負事に熱くなる性質なのでしょうか。  
闘争心は出世のためには是非必要なものだとは思いますが…。  
「えー、オホン。じゃあ頼むよ」  
茂田君が自分の耳をぐりぐりとマッサージし、咳払いをして私に向き直りました。  
「名前だけでいいの?」  
「うーんと、そうだなあ…。  
じゃあ、名前の後に『お風呂の用意ができました』って言ってくれ」  
「そんなこと、言ったことないわ」  
お屋敷の大浴場は24時間入浴できますし、武様の居室のお風呂もありますから、こう口にしたことは今までありませんのに。  
「いいんだ、それで頼む」  
「うん…」  
きっと、茂田君がメイドを雇うようになったらこう言ってほしいのでしょう。  
「じゃあ」  
すっと息を吸い込み、言葉にしようとしたところで気付きました。  
「…ごめんなさい、下の名前、何だったかしら?」  
私の質問を聞いた茂田君は盛大にずっこけてしまい、皆から一斉に笑い声が上がりました。  
 
 
名前を知らなかった失礼を詫びていたところ、私はまた奈々ちゃんに捕まって別の方へ引っ張られていきました。  
今度は女同士の話になり、ファッションやケーキ屋さんの話に花が咲きます。  
「麻由、あんた結婚は?」  
「えっ?」  
高3の時のクラスメイト(確か、水野さんです)が急に話題を変えました。  
その質問に頬が熱くなり、あたふたしてしまいます。  
「実は、婚約中なの、今…」  
武様のお顔が浮かび、胸がドキドキします。  
少し前までは決して結ばれることは無いと思っていた方が、私の婚約者だなんて。  
こうして人前で口にしても、まだ現実味がありません。  
 
「なるほどなあ、綺麗になるわけだ。愛されパワーってやつか……え、婚約!!」  
さっきのジャンケン大会に加わっていた男性の声がし、私はそちらを向きました。  
「いつだよ、誰?俺達の知ってる奴?」  
「え…と…」  
武様はつとに有名な方ですが、その名は知られていてもお顔を見たことの無い人がほとんどのはず。  
それは「知っている」うちに入るのでしょうか。  
「どんな奴?なあ」  
「初恋の人なの」  
迷ってそう答えますと、皆が息を飲むのが聞こえました。  
初恋の人と結ばれるのがそんなに珍しいのでしょうか。  
「え、俺?」  
後方から、今気がついたような茂田君の声が返ってきました。  
「馬鹿ね!本人の知らない婚約なんてあるわけないでしょうが」  
「そうか…」  
「大体、なんで麻由があんたなんかに初恋するのよ」  
「…」  
奈々ちゃんに突っ込まれ、茂田君はまた黙ってしまいました。  
「どんな人?」  
「えっ?」  
「婚約者。ちゃんとあんたのこと幸せにしてくれるんでしょうね」  
「うん。ちゃんと約束してくれたし、毎日そう言ってくれてるけど」  
「毎日っ!?」  
「ええ」  
武様とは一つ屋根の下に暮らしていますので、毎日顔を合わせます。  
忙しい方なのに、私の為に時間を作って下さるのは本当に有難いことです。  
「それで、これ?」  
奈々ちゃんが私の左手を掴み、指輪を示しました。  
「いえ、これは…」  
婚約指輪の代わりにつけていたファッションリングに皆が注目したのが分かりました。  
「言っちゃあ何だけど、これ婚約指輪じゃなくってただのファッションリングよ?」  
「ええ、そうよ」  
頷きますと、奈々ちゃんの額に青筋が立ちました。  
「『ええ』ですって?あんた、自分が何を言ってるか分かってんの?  
婚約指輪っていえば、給料の三か月分って相場が決まってるじゃないの。  
なのにあんたの彼氏は、見たところせいぜい3万ぽっちの、そんなのしか買ってくれないの?」  
早口でまくし立てられ、あっけに取られてしまいました。  
奈々ちゃんは勘違いをしているようです。  
これは私が自分のお金で買ったもので、武様に頂いたものではありません。  
値段に関しては、確か29800円でしたから、ほぼ当ってはいるのですが…。  
「違うのよ、これは私が買ったの。貰ったのではないの」  
「あんたが!?」  
誤解を解こうと慌てて言うと、奈々ちゃんは悲鳴のような叫び声を上げました。  
その声に、同窓生達の目がまたこちらに集まりました。  
「…麻由、今なんて言った?」  
俯いた奈々ちゃんの肩がわなわなと震えています。  
何かいけないことを言ったのかと不安になりました。  
「だから、この指輪は、私が買ったと…言ったんだけど」  
「ああ!」  
奈々ちゃんは頭を大きく左右に振り、私をキッと睨みつけました。  
「麻由、悪いことは言わないからやめなさい。  
あんた、騙されてんのよ。指輪も買えない甲斐性無しと結婚したって幸せになれるわけないじゃないの」  
「えっ?」  
「なまじメイド長なんかやってるから、変な男に引っ掛かっちゃったんだわ、きっとそう。  
自分に生活力があるからって、駄目な男と付き合うのはやめなさい、あんたには『だめんず』なんて似合わないの」  
「奈々ちゃん…」  
「婚約指輪は、ダイヤの三枚爪リングって決まってんの、それも贈れない男となんて結婚しちゃだめ」  
「立爪だろ」  
「うるさいわね!」  
茶々を入れた人を奈々ちゃんは一喝して黙らせました。  
 
「いくら毎日幸せにするって言ってくれたって、そんな男は駄目」「やめときなさいよ」「そうだよ」「俺が本物をあげようか?」  
あちこちから一斉に言われ、勢いに飲まれた私はあっけに取られてしまいました。  
「『幸せにしてやる』なんて甘い言葉に騙されちゃ駄目よ、麻由」  
奈々ちゃんが私の両手をがっちりと掴み、同情の目でこちらを見ました。  
「あんたも辛いのね、ううん、隠したって私には分かる。  
女が一人で生きていくって大変なんだから。そこんとこ、ゆっくりと話し合いましょ、今日は朝まで」  
「えっ?」  
「同窓会の二次会ってことで、いいわね、私がお店決めるから」  
「あ、あの…」  
「じゃあこれから、二次会行く人っ?」  
奈々ちゃんが大声で叫ぶと、ガタガタと椅子を揺らして何人もが立ち上がりました。  
男女比は7:3といったところでしょうか。  
「あら案外いるじゃないの、まあいいわ。店は歩きながら決めましょ」  
奈々ちゃんは大きく頷き、私の手をぐいぐいと引っ張ったまま歩き出しました。  
二次会なんていきなり言われても困ります、武様に早く帰ってくるようにと言われていますのに。  
「あのね、奈々ちゃん、私は今日はもう失礼し…」  
「何言ってんの!あんたの為にやるんじゃないの!」  
「え…」  
「今の男なんかと別れて、もっとマシなの見つけなさいってば!  
こんなに集まってるんだから、ちょうどいいわ、私が見繕ってあげる」  
「見繕う…」  
「誰を選んだって、女に婚約指輪を買わせるようなしみったれよりはマシだわ」  
後ろを振り返った奈々ちゃんが大きく頷きました。  
「だから、この指輪は私が自分で…」  
「ああ、それはもういいんだったら!聞いてるだけでムカムカするわ」  
「……」  
説明しようとしても、奈々ちゃんは手を振るばかりで聞く耳を持ってくれません。  
私はこのまま二次会へ連行され、朝まで付き合う羽目になってしまうのでしょうか。  
 
 
手を引っ張られたまま同窓会の会場を出ると、すぐ前に大きな黒塗りの車が止まっておりました。  
下町には場違いなほど高級な、しかしどこか見覚えのあるような…?  
前を見ずに歩いていた奈々ちゃんがその車に体当たりしそうになって、慌てて立ち止まります。  
「危ない、もうっ!」  
今の奈々ちゃんには、この車すら気分を害する理由になるようでした。  
これ以上刺激するのは良くありません。  
このまま付き合って、隙を見てお屋敷に今日は遅くなる旨の電話をするしかなさそうです。  
 
 
「奥様、お迎えに上がりました」  
急に聞こえた声に、私はハッとして周囲を見回しました。  
耳に馴染んだこの声は、確か…。  
きょろきょろと首を左右に振り、すらりとした初老の男性に目が留まります。  
車の脇に立っていたのは、執事の山村さんでした。  
黒い執事服をいつものように一部の隙もなく着こなすその姿は、長年親しんでいるというのに今日も素敵に見えます。  
「奥様……?」  
奈々ちゃんが首を傾げます。  
山村さんがゆっくりとこちらへと歩いてこられ、私の眼前で足を止められました。  
「奥様、旦那様が屋敷でお待ちでございます」  
「え?」  
武様と婚約したとはいえ、私はまだ奥様とは呼ばれておりませんのに。  
なぜ今、山村さんはそんな風に私を呼ぶのでしょう。  
「麻由、どういうこと?」  
奈々ちゃんが私の顔を穴が開くほど見詰めました。  
「遠野家の執事をしております、山村と申します。  
お嬢様は、麻由様のご学友であられますか?」  
「は、はい…」  
 
山村さんが奈々ちゃんの方を向き、3年前に「執事之友 第651号」のカラーグラビアに登場された折と同じ微笑みを向けて質問されました。  
それにあてられたのか、奈々ちゃんはボンッと音がするくらいに赤くなり、もじもじと答えました。  
「奥様。旦那様におかれましては、ご自分がプレゼントなさった指輪を奥様が嵌めておいでにならなかったことにひどくお怒りになっていらっしゃいます。  
一刻も早く出向いて指輪を嵌めてくるようにと仰せられましたので、僭越ながら私が参上致しました」  
「え…」  
「失礼致します」  
手が取られ、薬指のファッションリングが外されました。  
そして、山村さんはまるで手品のようにあの婚約指輪を取り出し、私の指に嵌めたのです。  
「ま、眩しい…」  
奈々ちゃんが呆然と呟くのが聞こえました。  
 
 
「あの、麻由の婚約者って…」  
「はい。我が主人、遠野武でございます」  
山村さんが実直に答えた瞬間、真っ赤だった奈々ちゃんの顔が今度はサーッと青くなりました。  
「と、遠野、遠野家の…?」  
救いを求めるような目でこちらを見る奈々ちゃんに、私は頷きました。  
「か、甲斐性、ありまくりじゃないの……」  
「太刀打ちできねぇ……」  
奈々ちゃんと茂田君が呟くのが聞こえました。  
「では、今日のところはこれで失礼させて頂きます。  
奥様、旦那様がお待ちでございます。屋敷へ戻りましょう」  
あれよあれよという間に山村さんにてきぱきと車に押し込まれ、私は会場を後にしました。  
振り返りますと、そのままの姿勢で固まっている二人が見えます。  
本当のことを言いそびれてしまったことに、申し訳なくなりました。  
 
 
「山村さん、どうして『奥様』なんて」  
先程そう呼ばれたことを思い出して言いました。  
婚約中なのに、そう呼ばれるのはまだ早いです。  
武様が私の旦那様になられることはとても嬉しいのですが、それとこれとは別問題だと思うのです。  
「間もなくそうなられるのですから、問題は無いでしょう。  
それに、同窓生の方々をけん制せねばとご主人様も仰いましたので、敢えて『旦那様』『奥様』とお呼び致しました」  
「けん制?どうしてです?」  
「お分かりにならないのなら、それで良うございます」  
「はあ…」  
それきり黙ってしまった横顔を見詰めながら、私はもっと大事なことを聞かねばならないことに思い至りました。  
「あの…山村さん?」  
「はい」  
「武様は、やっぱり、お怒りになっていらっしゃったんですか…?」  
「ええ、それはもう」  
「…どんな風に?」  
聞くのがものすごく怖いのですが、聞かないわけにはいきません。  
胸を押さえながらおそるおそる尋ねました。  
 
「指輪を外していくなんて、やましいことがあるんじゃないか、確かめてくると仰って。なだめるのに苦労致しました」  
「…」  
「あだ心をお持ちになるような方ではありませんと私が申し上げても、聞く耳を持って下さいませんで」  
…まるで、さっきの奈々ちゃんのように?  
「今にも飛び出して行かれそうになったので、このままでは御家名が傷つくことになると思いまして。  
気が咎めましたが、少々手荒な真似を致しました」  
「えっ?」  
見た目に似合わず剣道五段の山村さんの「手荒な真似」なんて…。  
武様は一体何をされてしまったのでしょう。  
「山村さん、あの、一体何をして…」  
背筋が寒くなるのを感じながら尋ねました。  
「『束縛する男は嫌われます。それに、相手を信じてあげない男は、女性に最も嫌われるものでございます』と申し上げたのです。  
それ以外に何かしたわけではないのですが、ご主人様は相当ショックを受けられたご様子で」  
「はあ…」  
「がっくりとして意気消沈なさいましたから、結果的に手荒な真似だったと判断致した次第です」  
「そうですか…」  
「屋敷に戻りましたら、ご主人様の居室には誰も近付けないように致しますから。  
後のフォローは宜しくお願いします」  
「えっ、そんな!」  
冷や汗が出ました、このまま帰ったら武様にどんな目に合わされるか分かりません。  
それこそ、さっきの奈々ちゃんとは違う意味で、朝まで……。  
「山村さん、私は別に他意があって指輪をしていかなかったわけじゃないんです。  
こんな立派なものをしていったら、見せびらかすようで良くないんじゃないかと思って、それで…」  
「申し開きは、ご主人様の前でなさいませ」  
「うっ……」  
車のドアを開けて逃げ出したい衝動に駆られました。  
しかし悲しいかな、この高級車に乗りなれぬ私にはその操作の仕方も分かりません。  
これからのことを思って青くなっている私を乗せて車は静かに進み、そうこうしているうちにお屋敷の門扉が開いて玄関に到着してしまいました。  
「ご主人様は、部屋でふて寝しておいでです。後は宜しくお願い致します」  
車のドアを開けてくれた山村さんに一礼して見送られ、私は武様の居室へ向かって階段をとぼとぼと上っていきました。  
 
 
──終──  
 
 

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