「結婚式後編」  
 
 
招待客を見送り、披露宴はつつがなく終了しました。  
私達も着替えて会場を去らねばなりません。  
控室に戻り、係の方に手伝ってもらってドレスを脱ぐと、ホッとした後に何だか寂しい気持ちになりました。  
ゆったりとした白いワンピースに着替えた後、係の方がドレスを持って席を外され、私はしばし一人になりました。  
武様の妻になるべく、私はこの半年間色々と頑張って参りました。  
ダンスの先生、高根さん、執事の山村さんなど、様々な方に教えを受け、励まして頂いて。  
何より、教わったことが吸収できずに落ち込んでいる私を、一番元気付けて下さったのが武様です。  
練習に付き合って下さったり言葉で励まして下さるたび、私はどれだけ心強く思ったでしょう。  
お陰様で結婚式も披露宴も無事に終了し、私は今こうして一人、控室に座っています。  
鏡に映る自分は少しだけ疲れていますが、とても幸せそうで。  
私は三国一の果報者なのかもしれないと思いました。  
 
 
細々とした荷物はお屋敷の方へ届けて下さるとのことなので、私は小さなバッグだけを持ち控室を後にしました。  
そして、今日泊まることになっている上階のスイートルームへと向かったのです。  
武様は、何やら披露宴のスタッフの方とお話をされているらしく、もう少し後で来られるとのことでした。  
係の方に案内され、スイートルームという場所に初めて足を踏み入れた私は、その贅沢な設えに息を飲みました。  
まるで映画の中に出てくるような広く美しいお部屋と調度品は、とても非日常的で。  
メイドであったとはいえ、名家のお屋敷に長年おりました私が思うのもおかしいのですが、本当に夢の中にいるようだったのです。  
やはり、今日が特別な日であるという念が胸にあり、心が浮き立っているから余計にそう感じたのでしょうか。  
係の方が退室されてから、私はまるで子供のように目に付く扉を片っぱしから開けていき、スイートルームの中を探検しました。  
大きなソファのあるリビング、白い大理石を使った浴室、清潔なトイレ、大きな鏡のあるパウダールーム。  
次々と確認しては扉を閉め、フロアの奥へと進んでいきます。  
そして私は、一際美しい彫刻のなされた重厚な木のドアの前にたどり着きました。  
ここが最後のお部屋です。  
ドアに手を掛けてえいっと開くと、そこはベッドルームでした。  
清潔なリネンの掛かったベッドが二つ並んで置かれていて、意外にもとてもシンプルな造りになっていました。  
ホテルの評判に恥じぬようベッドメイキングも丁寧で、一分の隙もありません。  
こういう所に目が行ってしまうのは、やはり私がメイドであったゆえなのでしょうか。  
壁のスイッチに手を触れると、微かな電子音と共にカーテンがひとりでに動き、窓からは東京の街が一望できました。  
昼間であっても息を飲むその眺めは、日が暮れれば更に素晴らしい夜景となって見渡せることでしょう。  
そう、夜になれば…。  
 
 
「あっ」  
私はその途端、石になったように固まってしまいました。  
今晩は、私達にとって初夜にあたります。  
至極当たり前のことなのに、なぜ私は今まで忘れていたのでしょう。  
…だめです、考えた途端に緊張が全身にみなぎって、胸がドキドキし始めました。  
このままベッドルームにいては身体に毒です。  
私は慌ててそこを出て、元いたリビングスペースに向かいました。  
クッションを抱き締め、落ち着き無くソファから立ったり座ったりを繰り返しながら、心臓が静まるのを待ちました。  
二十歳の頃から、武様とは数え切れないくらいに身体を重ねています。  
今更こんなにそわそわするのもおかしいのですが、胸の動悸は一向に治まってくれませんでした。  
一緒に夜を過ごすのには慣れているつもりでも、やはり今夜は特別なものになるのだと思います。  
初めてベッドを共にした日のことを忘れられずにいるように、今日は夫婦として過ごす最初の日になるのですから。  
よせばいいのに、私はここで初めての日のことを思い出して、さらに血圧を上げてしまう羽目になりました。  
武様も私も、それ以前に異性と関係を持ったことが無く、2人とも初体験だったのです。  
婚約者を決め、将来の遠野家と会社を背負って立つ覚悟を迫られていた武様と、想う方が令嬢と結ばれることを想像して不安だった私と。  
普段はあまり積極的ではない者同士が、いつになく自分に正直になり、相手への思いを吐露した日でした。  
ずっと想い続けていた方に告白して頂き、私はまるで男性を知らないとは思えないことを口にしたように記憶しています。  
「抱いて下さいませ」と。  
 
今から考えれば、よくあの時あの言葉を口にできたものだと思います。  
「本当に好きな人と結婚できない僕の‘初めて’をもらってほしい」  
こう仰った武様も、もしあの時私が拒めば、おそらく無理強いはなさらなかったでしょう。  
今はベッドで思うままに私を翻弄なさるあの方も、当時はまだ随分とお若くあられましたから。  
私があの時、自分の本心を隠し通して武様のものになっていなければ、今日この日を迎えることはできなかったでしょう。  
遠い昔のことのように思えますが、あの初めてのパーティーの夜、二人の関係のきっかけを作ったのは私自身だったのです。  
それなのに、いざ結婚を申し込まれる段になって、私はプロポーズを断ってしまいました。  
二人のきっかけを作ったのは私だったのに、あの時になって拒んでしまったなんて、武様はきっと混乱なさったに違いありません。  
改めて申し訳ない気持ちになり、唇を噛みました。  
 
 
その時、ドアをノックする音がし、びくりと身体が跳ねました。  
このお部屋を訪ねられる方といえば一人しか思い当たりません。  
私は弾かれたように立ち上がり、扉に駆け寄って開けました。  
ドアの向こうに立っておられた、愛しい方の姿を一目見た次の瞬間、私はその方の胸に飛び込んでおりました。  
「これはこれは、随分歓迎してくれるんだね」  
嬉しそうな声で武様が仰り、背を撫でて下さいました。  
「花婿が、花嫁を一人になさるからですわ」  
ばつが悪くなって言いますと、武様は肩を震わせてクスクスと笑われました。  
 
 
お部屋へ戻り、向かい合ってソファに腰掛けました。  
こうすると、まるで武様のお部屋にいる時のようで心が和みます。  
スイートルームに入った当初は、広い場所に私一人だったからあんなに落ち着きが無かったのでしょう。  
物珍しいばかりだったこのお部屋も、二人でいるとしっくりと身体に馴染むようでした。  
「花嫁を一人で待たせて済まなかった。  
無粋な花婿は、さっきの式の事で会場の責任者にあれこれ申し付けていたんだ」  
「えっ?」  
私はきょとんとして武様のお顔を見詰めました。  
 
 
武様は、会場の設備のことや式の進行のことであれこれ思うところがあったそうなのです。  
「こればかりは、結婚をする当事者になってみないと分からなかったからね。一人で寂しかったかい?」  
「いいえ、大丈夫でしたわ」  
あの会場では明日も結婚式があるのでしょうから、目に付いた改善すべき点をすぐ指摘し、対応を指示されるのは立派なことです。  
社長として当然のことをなさっているのですから、むしろ心強く思いました。  
「…寂しいと言ってくれないと、花婿としての立場が無いんだが」  
武様が拗ねたように言われて、私は慌ててフォローを入れました。  
 
 
ルームサービスを頼もうかと武様が仰った途端に私のお腹が鳴り、穴があったら入りたいほどに恥ずかしくなりました。  
結婚式で出たメニューは素晴らしいものでしたが、一挙手一投足が見られていると思うとあまり口に入らなかったのです。  
二人でメニューを覗き込んで選び、少しだけ早めの夕食をとることにしました。  
向かい合って食事をすることはやはり楽しいものです。  
お式のことを話しながら、ゆったりと時間をかけて過ごしました。  
 
 
武様が、食べていらっしゃるものを一口分けて下さった時、不意にケーキカットの折のことが思い出されました。  
「どうした?」  
思わず咳込んでしまった私に、武様が驚いて尋ねられました。  
「い、いえ…」  
「何か思い出してそんなに焦っているのかい?」  
「うっ…」  
どうして分かってしまうのでしょう、まだ何も言っておりませんのに。  
答えを促すように見詰められ、渋々口を開きました。  
 
「ケーキカットの時のことを、少し…」  
「ああ、あの時のことか」  
武様の口元についた生クリームを拭った時、この方は私の指を取ってそのクリームを舐め取られたのです。  
人前でそんなことをされて、私は驚きで固まってしまい、されるがままになってしまったのでした。  
「どうしてあんなことをなさったんです?」  
「え?」  
「私の、指を。その…」  
口調がついつい恨めしいものになってしまい、慌てて言葉を切りました。  
やっと二人きりになれたのに、詰問するなんて良くありませんもの。  
「とっさのことだったからね、深く考えてやったわけじゃないんだ」  
「はあ…」  
「僕達の仲の良さが伝わって、あれはあれで良かったんじゃないか?」  
そういえば、指に武様の唇が触れて私が真っ赤になっていた時、若い方がはやし立てる声が聞こえたような気がします。  
「花嫁の手が汚れてしまったのを、そのままにしておく花婿は夫失格だろう?」  
にっこり笑って仰ったのを見て、私はこの問題についてこれ以上話すのをやめました。  
 
 
食事が終ってお皿を下げて頂き、食後のお茶を入れました。  
「麻由のお茶はやっぱり美味しいね」  
武様の言葉を聞いて、また私の頬に血が昇りました。  
すっかりリラックスして微笑まれているこのお姿は、私の前でしか見せられないものです。  
新郎の挨拶の時にお見せになった、凛々しすぎるほどのしゃんとしたご様子とは全く別物です。  
「あ」  
その時、私は訊かねばならぬことに気付きました。  
「あの、武様」  
「ん?」  
名を呼ぶと、愛しい方は優しく目を細められ、私の方をご覧になりました。  
「麻由、その呼び方は違うだろう?」  
「はい…。あなた」  
「うん」  
「新郎のご挨拶のことなのですが…」  
「ああ。あれがどうかしたかい?」  
「結婚のことについて、皆様にあれこれと言われたのですか?」  
問うて良いものか迷いましたが、思い切って尋ねました。  
名家のご当主がメイド風情と結婚するなど、スキャンダルと言ってもいいようなものです。  
皆様に知れた時、風当たりが強いものであったことは想像に難くありません。  
私に辛い思いをさせまいと、この方はお一人で頑張って下さっていたのでしょう。  
そこをあえて訊くのはどうかと思いましたが、夫婦なら分かち合わないといけません。  
 
 
「まあね、言われなかったといえば嘘になるかな」  
少し迷ったような様子を見せて、武様が返答をなさいました。  
「どのようなことです?  
…やはり、私を妻にするのは良くないと、そう仰ったのですか?」  
「うーん、まあそういった感じのことかな。  
代わりにうちの娘はどうかとか、ここぞとばかりに売り込んでくる人もいたよ」  
「えっ…」  
「僕の心はもう決まっていたのに、馬鹿なことをされたものだ」  
「お心が揺らいだりはしなかったのですか?」  
不安になり、胸が痛むのを押さえて尋ねました。  
「ああ、全く揺らがなかったよ。だから安心しなさい」  
「申し訳ありません。私とのことでご苦労をかけてしまって…」  
私が暢気に花嫁修業をしていたのと同じ時期、武様はお一人で皆様からの言葉に耐えていらっしゃったのでしょう。  
それを察することができなかったばかりか、ダンスのステップが難しい、着付けの手順が覚えられないとぼやいていた自分の無神経さに穴があったら入りたくなりました。  
 
「君が気にすることはない。言いたい人には言わせておけば良いのさ」  
泣きたくなって俯いた私の肩を抱き、武様が顔を近付けられました。  
「でも…」  
「結婚を申し込もうと思った時から、周囲の批判なんか覚悟の上だった。  
何か言われることが本当に耐えられないなら、そもそもプロポーズはしなかったさ」  
「…」  
「君と結婚できるなら、僕はなんでもするつもりだった、だから耐えたんだ」  
武様が微笑んで下さり、私は胸が一杯になりました。  
「ありがとうございます」  
目頭が熱くなり、やっとの思いでそう申しますと、武様は満足気に頷いて下さいました。  
「ところで、麻由」  
「はい」  
「ああ言った以上、僕達は仲が悪くなれないよ?」  
「えっ?」  
「挨拶の言葉は選んだつもりだが、僕達二人のことについては以後口出し無用だと啖呵を切ったような形になったからね」  
「え、でも『若い二人にご指導ご鞭撻を〜』と仰ったではありませんか」  
「あんなのは形式的なものさ、定型文というやつだ。  
まあ、なかには本当に心配して言葉を掛けてくれる人もいたから、その人達に向けては心を込めたつもりだが」  
「そうなのですか?」  
「うん。ああやって大見得を切った以上、短期間で離婚なんてわけにはいかないよ、分かるかい?」  
片目をつむり、いたずらっぽく武様が仰いました。  
「いやですわ、縁起でもないことを口にされて」  
私が武様のことしか考えられないのはとっくにご存知のはずでしょうに。  
「一応、確認しただけさ」  
私が横目で睨むと、愛しい方は澄まして答えられました。  
「麻由」  
「はい」  
「ああは言ったが、これからも僕達二人のことについて口を出してくる人はいると思うんだ。  
だが、認めてくれない人に何を言われても、僕は決してそんなことで君を見限ったりしないと約束する。  
だから、僕に一生ついて来ておくれ」  
にこやかな表情から一転して、真剣な表情になられた武様が仰いました。  
「はい。ずっとお傍に置いて下さいませ」  
私も姿勢を正し、愛しい方の目を見て申し上げました。  
「僕達のことを色眼鏡で見ている人も、二人の今後を見せればあるいは認識を改めてくれるかもしれない」  
「はい」  
「人の心を変えるのは難しいから、全員が祝福してくれるわけではないと思う。  
だから今後も君を傷付ける人が出てくるかもしれないが、そういう時も強くいなさい。  
僕が愛しているのは麻由一人だけで、それはなにがあっても変わらないんだから」  
武様の言葉に、私の目から涙が溢れました。  
こんなに真摯に私のことを思って下さっているなんて、本当に勿体無いほどのことです。  
「僕達が頑張れば、同じ立場で苦しんでいる人のいい見本になれるかもしれない。  
そう思って二人で強く生きよう。だから、もう泣くのはおやめ」  
頬を濡らす涙を拭って下さりながら、武様は優しく微笑んで下さいました。  
 
二人でバスルームへ行き、お互いの身体を洗いあいました。  
そして肌触りのいいバスローブを着て、先程のベッドルームへ向かいました。  
日はもうすっかり暮れて、美しい夜景が窓の全面に広がっています。  
それにしばし二人で見入りました。  
しばらくの後、肩を抱かれ、ベッドに相対して座り見詰めあいました。  
「麻由…」  
ふわりと抱き締められ、武様の口づけを受けました。  
優しいそれは、まさに結婚式の夜にふさわしい甘いものでした。  
そう、初夜にふさわしい…。  
「麻由?」  
瞬間、凍ったように動きを止めた私に武様が声を掛けられました。  
「どうしたんだ?」  
「い、いえ別に。何でもございません」  
何とかそう答えますが、心に生じた緊張が全身をくまなく走りました。  
「何でもないようには見えないが…」  
「いえ、本当に大したことではないんです。初めてだからほんの少し緊張しているだけですわ」  
ひきつった顔を何とか笑顔にしようと頑張るのですが、表情はこわばったままあまり動いてくれませんでした。  
「‘初めて’?」  
「はい」  
「何が初めてだと言うんだ?」  
「え」  
問い返され、言葉に窮してしまいました。  
「麻由?」  
「あの…し…」  
「し?」  
「初夜、が…」  
やっとの思いで答え、血が昇った頬を手で覆いました。  
恥ずかしくて、とても武様のお顔を正面から見ることができません。  
 
 
永遠に思えるほどの沈黙の後、愛しい方がプッと吹き出される気配がしました。  
「麻由、初夜が初めてなのは当たり前じゃないか」  
「…」  
「僕だって、初夜を迎えるのは初めてのことだ」  
「あ…」  
「二人とも条件は同じなんだから、そんなに固くならなくてもいいんだよ」  
「は、はい」  
「特別なことをするわけじゃないから、ね」  
顔を覆っていた手をどけさせられ、武様に正面から見詰められました。  
情熱的な瞳に吸い込まれそうになり、目を逸らすことができません。  
「何だか、いつもより一段と可愛いね」  
武様がフッと目を細められ、私に口づけられました。  
 
 
ふと寒気がして、身体が少し震えました。  
「麻由、寒いのかい?」  
武様の問いに頷き、自分の体を抱え込みました。  
このようなお部屋なら、空調は完璧でしょうから寒くなどないはずなのに。  
まだ先程の緊張が残っているのか、身体の震えが止まらないのです。  
「ほら、入りなさい」  
掛け布団をめくって武様が促して下さり、それに従いました。  
横たわられた武様に上から重なるようにして、お布団の中に入りました。  
体温が恋しくて、愛しい方にギュッと抱きつき、身体を密着させたのです。  
そして逞しいお胸に頬をつけ、目を閉じて心音に聞き入りました。  
規則的なその音に、心が段々と落ち着いていくのを感じました。  
いつもより少しだけ鼓動が速いのは、この方も私と同じに緊張されているからなのでしょうか。  
この広い胸に包まれて、私はこれからずっと守られるのかと思うと、泣きたいほど幸福な気持ちになりました。  
 
「大丈夫かい?」  
問われるのに目で頷き、微笑んでみせました。  
私の様子を見て、武様も安心したように笑って下さいました。  
「あ…」  
口角の上がった、愛しい方の唇がとても魅力的に思えて、目が釘付けになりました。  
私はそこから視線を逸らせないまま、吸い寄せられるように唇を重ねました。  
昼間の結婚式で、誓いのキスはあちらから贈られましたが、今は私からです。  
あの時よりも長く口づけを味わい、私は身体を離しました。  
「…君からキスをくれるのは、珍しいね」  
髪を撫でて下さりながら仰った言葉に、少しだけ恥ずかしさが湧きました。  
いつもは、私がしたいと思う前に口づけて下さるので、こちらから唇を求めるということはあまり無いのです。  
「昼間のお礼です」  
「そうか」  
満足気に仰った武様は、何か気付いたように私の顔を覗き込まれました。  
 
 
「誓いのキスの時、唇を離した瞬間に君は少し不満な顔をしなかったか?」  
「えっ?」  
ばれていたのでしょうか。  
婚約中、式のためだと言われてベールに見立てたスカーフや風呂敷をかぶらされ、散々キスの練習をさせられたのです。  
しかし、その練習の時とは違い、今日のキスはあまりにあっさりしておりましたために、実は少々拍子抜けしてしまっていたのです。  
「もう少し、あとほんの何秒か長くてもよかったと思っただけですから。お気になさらないで下さいませ」  
「やっぱりそうか」  
「え、ええ」  
「唇を離した時、物足りなさそうな顔が可愛くて、危うくもう一度キスしてしまうところだった」  
「え…」  
「いつものように気が済むまでキスしたら、皆があっけに取られるだろう?だから我慢したんだ。  
君と僕の仲を見せ付けることができるから、しても構わなかったんだが」  
「まさか、あの場でそんな…」  
「濃厚なものをしておけば、陰口を言う人も少なくなったかも知れないね」  
「んっ…」  
冗談めかして言われた武様から今度は唇を重ねられました。  
チュッと音を立てて触れるだけの軽いものは、繰り返すうちに次第に深くなっていって。  
ついには頭を抱え込まれ、思うままに貪られました。  
「ん…っふ……」  
息苦しくなって酸素を求めても、許されずにまた引き寄せられて。  
まるで武様に食べられてしまうような心持ちになりました。  
「はぁっ…あ…」  
ようやく唇が離れ、湿った音が部屋に響いて消えました。  
この寝室は木の厚いドアに隔てられ、外の音が全く入りません。  
まるで、世界に二人だけしかいないような錯覚に陥りそうです。  
「あなた…」  
夫となった人の背に腕を回し、きつく抱きつきました。  
応えるように優しく抱き締めてくれる腕が、私を受け止めてくれました。  
「そう呼ばれると、ひどく嬉しくなってしまう」  
私の髪を吐息で揺らし、武様は穏やかにそう仰いました。  
「これからは、皆の前でも胸を張って呼べますわ」  
「ああ、君がそう呼んでくれるたびに胸が高鳴る。何度でも呼んでくれたまえ、奥様」  
「はい」  
愛する方の妻になれた喜びがまた胸にこみ上げ、鼻がツンとして涙が出そうになりました。  
「私は、一生あなたのものですから」  
「ああ、精一杯大切にさせてもらうよ」  
「はい…」  
「僕も一生君のものだ。まあ、そうなったのは今じゃなくてずっと昔のことだが…」  
「それなら、私もずっと前から…」  
言葉を続けようとした時、私の口に武様が人差し指を当てて制されました。  
「僕達はずっと一緒だ、いいね」  
「はい」  
 
身体の位置を入れ替えられ、私の背はシーツに沈み込みました。  
腰のベルトを解かれ、バスローブがするりとはだけるのを感じました。  
「綺麗だよ、麻由」  
武様の手が全身をなぞり、私の中の欲望を目覚めさせていきます。  
自分だけが裸を見られているのが恥ずかしくて、私は武様のまとわれているバスローブに手を掛け、ベルトを解きました。  
手探りで下へ引っ張ると、武様の逞しい胸が現れて目に入ります。  
二人とも同じ姿になったのに、愛しい方の素肌を見てしまうと、心ここにあらずといった状態になってしまって。  
私は慌てて目を逸らし、シーツの布目を見ているふりをしました。  
「いいね、初夜にふさわしい初々しさだ」  
武様が喉の奥でクッと笑われたのが聞こえました。  
「…からかわないで下さいませ」  
拗ねるようにたしなめると、武様はまたクスクスとお笑いになりました。  
「からかうつもりは無いよ、可愛がろうと思っているだけだ」  
「あっ…」  
熱い唇が胸元に触れ、ピクリと身体が反応しました。  
唇が肌の上を滑るうち、その熱さが私の身体に染みとおり、内側から侵されていくように感じました。  
「っ…あ…ん…」  
武様の脱げかけたバスローブを握り締め、小さく声が漏れました。  
その手が外させられ、指が捉えられて武様の左手と重なりました。  
薬指に硬質な金属の感触がし、ハッとして目を見開きます。  
愛しい方の指に嵌っている指輪を、そこに本当にあることを確認するかの如く、指先でくすぐるようになぞりました。  
「うん」  
短く頷いて下さっただけで、その思いが伝わってくるように思えました。  
武様の左手が移動し、私の左手と並んで指輪のぶつかる微かな音がしました。  
視線を下に遣ると、同じ指輪をした私達の手があります。  
婚姻の証であるそれが瞳に映り、涙が出そうになりました。  
武様と私は本当に結ばれたのです。  
少し前までは夢物語だと思っていましたのに、二つの指輪がぶつかる時のカチリという音と感触は、まぎれもなく現実の物でした。  
「…あなた」  
何か気の利いたことを言いたくても、言葉になりません。  
感謝していることや、幸福であることを伝えたいのに。  
口をついて出たのは、たった三文字の呼びかけだけでした。  
「愛している」  
私の指輪に口づけられ、武様が仰いました。  
それを聞いて、雲が晴れるように伝えたい言葉が見えました。  
噛み締めるように呟かれたその言葉こそ、今の私の気持ちをも表現しているものでしたから。  
「私も、あなたを愛しています」  
曲げた指で武様の頬をなぞり、微笑んで同じ言葉を返しました。  
それに応えるように武様は姿勢を落とされ、私達はまた唇を重ね合いました。  
 
 
「あっ…ん…」  
触れ合った唇が離れ、武様はまた私の胸元に口づけられました。  
まるで初めての時のように心臓がドキドキして、息を詰めてその動きを見守りました。  
「やっぱり、緊張しているようだね」  
「んっ!」  
武様が呟かれ、胸の頂に吸い付かれました。  
あっという間に固くなり、敏感さを増したそこを濡れた舌で舐め上げられ、何度も高い声が出ました。  
くすぐったくて身を捩るのですが、そんなことでは離してもらえません。  
そのうち、何だかもどかしいような気分になってきました。  
身体が跳ねるのがやみ、武様の舌と唇の動くのを望んでいるのが分かるのです。  
あわよくばもっと触れてもらいたい、快感を感じたい、と。  
二十歳の頃から身体を重ねるうち、私は武様の愛撫によってこんなにも貪欲な女になっていたことを知りました。  
「ん…あなた…」  
溜息混じりに抱きつきますと、望むように刺激が強くなりました。  
舌が触れていない方の胸の先は指の腹で撫でられ、固く立ち上がるのを待っていたかのように抓られて。  
 
「あっ!…ん…はぁ…ん…」  
気持ち良くって、どうにかなってしまいそうでした。  
胸を触られているだけでこんななのですから、その先へ進んだら一体どうなってしまうのでしょう。  
考えると怖いようですが、それを上回る期待が自分の中に湧いてくるのを感じました。  
私の心の内を読んだように、武様の唇が下へと向かいました。  
胸の谷間、みぞおち、おへそを通り抜け、とうとうその場所へたどり着きました。  
お風呂上りでバスローブ一枚きりだったのを脱がされて、いつもなら下着に隠されている場所が武様の目に触れています。  
視線を感じるだけでそこが熱くなり、潤ってくるようでした。  
「そうしていると、誘っているようにしか見えないよ?」  
見られるのが落ち着かなくて、お尻をもぞもぞさせる私を見下ろして武様が仰いました。  
その言葉に強い羞恥心が湧き、慌てて手を遣って秘所を隠しました。  
 
 
「今度は拒むのかい?」  
「…」  
武様と触れ合いをしたくないとは露とも思っておりません。  
花嫁が初夜を拒むのはおかしいですし、でも…。  
「ここばかり見られるのは、その…」  
「見なきゃ、夫婦の契りが結べないじゃないか」  
「そう…ですが…」  
「速く触って欲しいって、待ちきれないように濡れ始めているのに」  
「っ…」  
耳の傍で囁かれ、熱い息が掛かりました。  
「あ…んんっ!」  
耳の輪郭に沿って舌が這い、背筋がぞくぞくしました。  
身体を震わせて懸命に堪えるうち、秘所を押さえる手に力が入らなくなっていきました。  
このままでは手をどけさせられ、見られてしまう。  
危機感が胸に去来しますが、耳に舌が這う感触に意識が持って行かれ、手の力が抜けるのです。  
「あなた…いや…っ…」  
身を縮め、耳を触るのはやめてと哀願しました。  
舌の動きが止まったのを幸いに、身体をねじって逃れました。  
散々なぶられた私の耳は、本来は体温が低い場所のはずなのに、じんじんと熱く疼くようでした。  
「新妻が恥らうのはいいものだね」  
なだめるように私の髪に触れ、武様が仰いました。  
「もう何度も抱き合っているのに、本当に初夜のようだ」  
「…」  
「しかし、麻由はもう僕の妻になったんだから拒否することは許さない」  
「あっ!」  
秘所を隠す私の手を武様の指がスッと撫でました。  
「ね、恥ずかしがってはいても、本当はここに触れられたいって思っているんだろう?」  
「ん…」  
武様の指が上下に動き、私の手の上から秘所の襞をなぞるような動きをしました。  
いつもはここに指が触れて、舌で襞の奥に隠れた敏感な突起を舐められて、それから…。  
身体に幾度と無く刻まれた快感を思い出し、身震いしました。  
指が直接触れなくても、過去にここを愛されたのを思い出しただけで、また秘所が熱く潤んでくるようでした。  
同じ快感が欲しい、触ってもらいたいと身体が望んでいるのです。  
そこを押さえていた手からさらに力が抜けていきました。  
見計らったように脚を開かされ、閉じることを封じるように武様の身体が割り込みます。  
目をギュッと閉じ、観念した私は自分から手をどけました。  
「いい子だね」  
私のおへその脇に口づけられ、武様が仰いました。  
 
茂みに息が吹き掛けられ、ぞわぞわとしたくすぐったさが腰を這い上がりました。  
「やっぱり、濡れている」  
笑みを含んだ声で仰って、武様はさらにお顔を近付けられました。  
そして。  
「あ…」  
秘所に熱い舌が届き、その柔らかさに息を飲みました。  
お腹に力を入れて堪えようとしても、腰が跳ねるのが抑えられません。  
こうされることを心の底では望んでいたのですから、耐えられるはずもないのです。  
「やぁ…あ…ん…」  
シーツを掴んで堪えようとしますが、一分の隙も無く整えられたそれは指を滑るばかりでした。  
でも何かに縋りつきたくて、私は手をさ迷わせた挙句、触れた枕を握り締めました。  
手首が痛くなるほどに力を入れ、あられもない声が上がるのを止めようとしたのです。  
少しは成功したかのように思えましたが、しかし、武様の舌が私の最も敏感な部分をつついた時、全ては無駄になりました。  
「んっ…ああん!はぁ…あ!」  
自分のものでないような叫びが口から漏れ出で、ベッドルームに響きました。  
脚を閉じようとしても、いつの間にか両の太股はがっちりと押さえ込まれていて、動かすこともままなりません。  
「あん…は…あぁ…んっ…」  
拒否しようとしても、意味のある言葉はもう口にすることができませんでした。  
快感に溺れ、もっと舐めて欲しい、イかせて欲しいと望むもう一人の自分が、恥ずかしがる自分より圧倒的に優勢になっていたのです。  
「あ…あ…んっ…もう…だめ…ああぁっ!!」  
目の前が真っ暗になった直後、白く強烈な光が瞼の裏で弾け飛びました。  
そう長いことここに触れられていたわけでもないのに、私は達してしまったのです。  
 
 
大きく息をつき、枕の下から手を抜きました。  
「相変わらず可愛い反応をするね、麻由は」  
口元を拭われた武様の一言で、一瞬にして全身の血が頬に集まったようにのぼせてしまいました。  
「清らかな新妻が、羞恥に悶えるさまはひどく魅力的なものだ」  
「っ!」  
官能小説に出てくる文章のようなことを言われてしまい、必死で首を振りました。  
愛撫を望んだのは確かですが、ああいう本に出てくる登場人物のように、はしたなく求めてしまったとは認めたくなかったのです。  
「今更恥ずかしがっても遅いな」  
「あっ…」  
武様の熱く固いものが擦り付けられ、息を飲みました。  
「麻由が嫌がっても、僕はもう完全にその気になってしまった」  
「嫌がるだなんて…」  
「君が鎮めてくれなければ、とてもおさまらない」  
濡れた場所に武様のものが触れ、微かな水音がしました。  
身体を繋げればどれほどの快感が得られるかなど、とっくに分かりきっています。  
なのに、そこに触れられただけで欲しくなってしまうのはなぜなのでしょう。  
今にも私を貫かんとする武様のものは、秘所から溢れた蜜を周囲に塗り広げるように動いています。  
どんなに恥ずかしがっても、そうされてしまうと、もう武様に全てお任せするしか道は残されていないのです。  
「あなた…」  
武様の頬に手を触れ、引き寄せました。  
そして、眉を動かして応えられた愛しい方のお顔を見、覚悟を決めて口を開きました。  
「私も…、実はその気になっているんです。お気付きでしょう?」  
「うん」  
「このままでは私もおさまりません。だから、熱を鎮めて下さい」  
視線を合わせたまま、目を逸らさずに頼みました。  
「ああ、君の言うとおりにしよう。僕も早く入りたくて堪らない」  
その言葉にホッとした瞬間、逞しいものがグッと私の中に侵入してきました。  
「うっ…ん…」  
圧迫感に息が詰まり、喉元が反り返りました。  
私の奥を目指してそれがゆっくりと差し入れられ、繋がりが深くなって。  
愛撫とはまた違った快感が全身を走りぬけるのを感じました。  
 
全て入りきったところで、武様が唇を重ねてこられました。  
触れている場所が増えたことに嬉しくなって、首に抱きついて深い口づけを求めました。  
秘所、お腹、そして唇で愛しい方に触れて、自分は一人ではないのだという喜びを感じました。  
互いの舌を貪りあい、しばらくして武様の唇が離れていきました。  
なんだかぼうっと霞む目で、精悍なそのお顔を見詰めました。  
「麻由…」  
武様の目が細められ、呼ばれた自分の名が心地良く耳に届きました。  
それに応えるべく、シーツの上にあった愛しい方のお手を取り、指を絡めて握りました。  
まるでそれが合図であったかのように、武様が腰を使われ始めて。  
最初は、私に負担を掛けぬようにとゆっくり動いて下さるお心遣いに、胸が温かくなりました。  
もう数え切れないくらいに身体を重ねていますから、大丈夫ですのに。  
そう伝えようとしましたがやめ、代わりに武様の腰に両脚を絡めて求めました。  
「あぁ…はっ…ん…」  
次第に大きく深く貫かれるようになり、息が乱れていきます。  
少しずつ高みへと押し上げられるようで、快感の中にピリリとした緊張が走るようでした。  
「あなた…はあっ…あん…ん…」  
「麻由…くっ…」  
揺さぶりに耐えられずに目を開けると、武様のお顔が目の前にありました。  
私をからかわれる時のいたずらっぽい表情とは違い、力強く逞しい大人の男性の表情をされていて。  
それに胸がキュンとして、ますますこの方を好きになるのを感じました。  
 
 
「はっ…あ……キャッ!」  
片脚を抱えられ、繋がりが深くなりました。  
更に増した圧迫感に高い声が漏れますが、与えられる責めは緩められません。  
むしろもっと深く、力強く貫かれてしまい、ますます追い詰められたのです。  
それなのに、私の腰はひとりでに揺れ、更なる快感を求めています。  
指を絡めた手に力が入り、肘の辺りにまで震えが走りました。  
もう駄目、と涙の滲む目で訴えますと、やっと少しだけ突き上げられる力が弱くなりました。  
この隙にと呼吸を整え、もうほとんど残っていない余裕を少しでも取り戻そうとします。  
「大丈夫かい?」  
心配そうにされている武様の前髪が乱れているのが、とても色っぽく目に映ります。  
かき上げて整えて差し上げたいのですが、私の手は武様のお手と絡み合っていて、そうすることができません。  
それに少しだけもどかしくなりました。  
「あ…はぁんっ!」  
急にまた深く突き上げられ、天を仰ぎました。  
「余裕がまだあるみたいだね」  
「そんな…んっ!あ…やぁ…んっ…」  
整えたはずの息があっという間に乱れ、また苦しくなりました。  
視線でそれを訴えても、今度は許してもらえず一気に責め立てられて。  
私にはもうなすすべがありませんでした。  
「あっあ…んっ…あなた…もう…」  
腰がガクガクと震え、秘所が武様のものを一際強く締め付けるのを感じます。  
もう駄目です、身体が思うようになりません。  
「ん…僕も…そろそろ……っ…」  
武様の切羽詰った声がし、最後の瞬間に向かってさらに力が込められました。  
「ああ…んっ!あなた…はっ…んんんっ!」  
「くっ…あ……っ!」  
二人ほぼ同時に絶頂を迎え、繋いだ手を解いて固く抱き合いました。  
私のけいれんが治まると、武様は少し身体を起こされて、優しい口づけを下さいました。  
 
そして、愛しい方はごろりとベッドに横になられました。  
私は荒い息を整え、そのお胸に寄り添いました。  
そっと髪を撫でて下さる手つきが優しくて、また涙が出そうになりました。  
「あなた…」  
呼びかけた声が甘えを含んだものになり、それに気付いて恥ずかしくなります。  
でも、今日くらいは甘えても構わないと自分を納得させ、もう一度同じ言葉を繰り返しました。  
「ウエディングドレスを着た君は、とても綺麗だったよ」  
武様が仰った言葉が胸に染み込み、柔らかい幸福感を生みました。  
他の誰に褒められるより、この方にそう言って頂くことが一番嬉しいのです。  
「式場のドアが開いて君の姿が見えた時、言葉にならないくらい嬉しかった。  
あの時の感動は、きっと一生忘れられないだろう」  
それは私も同じです。  
窓から差し込む光を受けて立っていらっしゃった武様のお姿は、きっと生涯私の心に残り続けるでしょう。  
そう告げると、武様は照れくさそうに微笑まれました。  
「君がそう言ってくれるのなら、嬉しいな」  
頬に軽く口づけられ、穏やかにそう仰るのに胸が一杯になりました。  
「プロポーズを受けてくれた時と、式の時。どちらが感動したかをあれからずっと考えていたんだが、答えが出ない」  
「まあ。そんなことはお決めにならなくてもよろしいではありませんか」  
「そうなんだが、ついね」  
「私は…」  
振り返って考えてみました。  
プロポーズをお受けした時は、それまでに武様からの再三の求婚をお断りした心苦しさがまだ胸にありました。  
しかし今日は、この世で一番愛する方の妻になれたという幸福が全身に満ちています。  
「私は、やはり今日ですわ。バージンロードの先に立っていらっしゃるあなたを見た時です」  
「そうか。僕はまだどちらか決めかねている」  
「ええ」  
「意見が合わないね。家庭不和の種になるかな?」  
笑いを含んだ声で武様が仰いました。  
「こんなことでケンカなんかしませんわ。またからかっていらっしゃるんですね」  
「ああ、確かにこれはケンカではないね。強いて言うなら『いちゃいちゃ』だ」  
「まあっ!」  
更に言葉を続けられるのに声を上げますが、言い返そうとした言葉は柔らかく溶けていきました。  
抱き合った後にこうして話すのは、仲が良くなくてはできないことですから。  
 
 
「半年ちょっと前までは、君と今日の日が迎えられるなんて想像すらできなかった。  
僕と結婚してくれてありがとう」  
武様が表情を引き締められ、真剣なお顔で私を見て仰った言葉にまた胸が一杯になりました。  
「私こそ、あなたの妻にして頂いて、言葉にできないほど感謝しております。  
いらぬ心労をお掛けして、苦しい思いをさせてしまったというのに、変わらず私を望んで下さったのには感謝してもし足りません」  
武様のプロポーズをお断りした時、私達の関係は一旦切れかかっておりました。  
私はこの方を諦める覚悟をしたのに、武様がそれでも私を妻にと考えて下さったことで今日があるのです。  
あの時、武様が私との結婚を諦めてしまわれていたら、今頃この方は別の女性と初夜を迎えられていたかも知れません。  
そう思うと恐ろしくなって、私は愛しい方に擦り寄りました。  
「ずっと、お傍に置いて下さいませ」  
「ああ。麻由が僕を嫌だと言っても別れてなんかやるものか」  
「そんなこと、口が裂けても申しませんわ」  
お胸の中で抗議の声を上げると、武様は分かっていると頷かれました。  
 
「今日のことは、ずっと覚えていようね」  
「はい」  
「今日に至るまでのことも、辛くはあったが忘れずにいたいと思う。  
そうすれば、この先何があってもきっと乗り越えていけると思うんだ」  
「ええ、本当に」  
今日の感動と幸福を心に刻み付けておけば、何があっても大丈夫な気がします。  
 
 
「さ、奥様。そろそろお休みなさい」  
少しおどけた表情で武様が仰るのに、頷いて応えました。  
「はい。お休みなさいませ…旦那様」  
「あ…」  
愛しい方にさらに身体を寄せ、ゆっくりと目を閉じました。  
「旦那様、か」  
武様が呟かれ、またギュッと抱き締めて下さいました。  
愛する人の心地良い腕の中で温もりを感じながら、私は知らぬうちに眠りに引き込まれていきました。  
 
 
──続く──  
 

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