婚約後、結婚式や披露宴の事と共に、二人の話題になったのは新婚旅行の行き先についてでした。 
「ヨーロッパでも南の島でも、麻由が行きたいところに連れて行ってあげる」 
と、夫は(当時はまだ「武様」と呼んでいました)最初に言ってくれたのですが。 
飛行機に一度も乗ったことのない身には、いきなり海外旅行はハードルが高すぎました。 
夫は忙しい身ですから、二人で旅行することはこの先何度もないでしょう。 
滅多にない機会を慣れない外国で過ごすのは、別のことに気が行ってしまい、満喫できないと思ったのです。 
ですから、行き先はできれば国内にと提案致しました。 
外国の候補地をあれこれ考えていた夫には、私がそう言ったことが意外だったようです。 
国内の温泉地、本当にそれでいいのかと何度も尋ねられました。 
「『また二人で温泉に来よう』と、何年も前に約束して下さったでしょう? 
あれが果たされる日を、ずっと心待ちにしていたのです」と昔の話を持ち出し、ようやく了解を得ることができたのです。 
 
 
旅行期間は八日間に決まりました。 
社長という責任ある立場の夫が、そんなに長く会社を留守にして大丈夫なのでしょうか。 
不安になってこっそり秘書の方に尋ねますと、案の定渋い顔をされてしまいました。 
会社の方々にご迷惑を掛けてまで、旅行をするのは本意ではありません。 
もう少し短期間でも…と申したのですが、夫にあえなく却下されてしまいました。 
「一生の思い出に残る旅なんだ、二日や三日で帰ってきたのでは悔いが残る」と言われたのです。 
二人きりで旅行するのは夫の大学時代以来ですから(旅行編参照)、楽しみなのは私も同じです。 
でも妻になる者としては、夫となる人の仕事のことも考えねばなりません。 
そこで私は、期間を短くしないのならば、せめて一日数時間でも会社と連絡を取ってはどうかと提案致しました。 
ウイークデー丸々一週間も留守にして、あとで困ることになってはいけませんもの。 
急を要する仕事、社長の判断がなければ進められない仕事もきっとあるでしょうから。 
秘書の方にも是非そうして下さいと頼み込まれ、夫は渋々頷きました。 
「…その代わり、旅先への連絡は午前中にまとめてくれたまえ。 
もし夜なんかに連絡を寄越したら…どうなるか分かっているね?」 
そう夫に凄まれた秘書の方が青ざめられたのを、申し訳ない思いで見詰めました。 
 
 
結婚式を終えて瞬く間に二週間が過ぎ、私達は屋敷の皆に見送られて新婚旅行へと出発しました。 
私は生まれて初めて飛行機に乗りますので、空港もスチュワーデスの方も、見るもの全てが珍しくて。 
まるで子供のようにきょろきょろと辺りを見回し、胸を弾ませていました。 
飛行機を降りた後は、バスと電車を乗り継いで目的地へと向かいました。 
 
 
まず到着したのは、山から流れる谷川に沿って広がる由緒ある温泉街でした。 
そこを通り抜け、さらに上流へと上っていくと、また別の名のついた小さな温泉保養地があるのです。 
温泉街の方は、ガイドブックやツアー誌でも紹介され、お土産店や演芸場もある賑やかな場所です。 
しかし、タクシーで向かった川上の保養地は、自然に恵まれたとても閑静な地区でした。 
どちらかと申しますと、ツアーではなく、熟年の夫婦二人で訪れるのが似合う雰囲気です。 
私達が泊まるのは、山際の広い敷地に何棟もの離れが十分な間隔を持って建つ施設でした。 
貸し別荘と旅館の中間とでも申しましょうか。 
長く滞在する湯治目当てのお客の為か、離れにはミニキッチンや洗濯機なども備わっていました。 
私達は二人きりですから、一番小さい離れを選びましたが、それでも十分な広さでした。 
一階はダイニングとリビング、畳敷きのお部屋があり、二階にはお風呂と寝室、そして大きなベランダがあって。 
離れと申しますよりは、まるで一軒のお宅のようです。 
廊下の突き当たりには引き戸があり、そこを開けると客室付き露天風呂までありました。 
温泉があるのは本館だけだと思っていた私には、望外の喜びでした。 
「二人で入ろうね」と夫に肩を抱いて言われ、次の瞬間には真っ赤になってしまいましたが…。 
 
 
窓を開けると、眼下には白く流れる谷川を見ることができます。 
清冽な水が絶え間なく流れる音と美味しい空気に、心も身体も綺麗になっていくような気分にさせられます。 
宿の方にお聞きしたのですが、ここが気に入り、毎年のようにやって来られる常連の方もいらっしゃるそうです。 
それぞれにお気に入りの離れがあるようで、皆さん別の棟にはあまりお泊りにならないのだと伺いました。 
出されるお料理も、土地の物を中心にした美味しいものばかり。 
郷土料理と創作料理の良いとこ取りをしている感じで、食いしん坊の私には願ってもない喜びでした。 
夫の希望で、宿の食事を断り、土地の食材を使って私が作った料理を食卓に上せることもありました。 
 
 
朝起きて、しばらくの間に宿の本館から二人分の朝食が届きます。 
それを受け取り、お茶の用意をして夫の目覚めを待つのが、滞在中の日課になりました。 
二人で朝食を済ませ、夫がリビングで電話やパソコンを相手にしている間、私は細々とした用事を片付けるのです。 
食べ終えた膳と昨日のシーツや浴衣などを宿の方に渡し、新しい物を受け取って。 
本当は寝具を整えるのは宿の方がやって下さるのですが、仕事中の夫の気を散らさないために私がすることに致しました。 
私は元メイドですから、こういった仕事には長けています。 
…それに、昨夜の名残のあるベッドや浴衣を他の方に見せるのは恥ずかしいですし。 
夫の仕事が一段落すると、着替えて出かけたり、宿の敷地内にある大浴場で岩盤浴を楽しんだりしました。 
浴衣姿のまま川下の温泉街に出掛け、浮かれ顔でそぞろ歩きをする人達に混じり、あちこちを冷やかすのも楽しいものでした。 
 
 
温泉街の一角には、スマートボールや射的のできる古びた遊技場がまだ残っていて、皆がそれに興じていました。 
母が生きておりました頃は、家族旅行でこういう遊びをしたのを思い出します。 
特にスマートボールに関しましては、私が小学生の頃でも十分古かったのに、まだ残っていたのには驚きです。 
その話をしますと、夫はいたく興味を持ったようでした。 
一通り説明してから、夫が初めて体験するのを見守りつつ、私も挑戦しました。 
スマートボールは何とか勝てたのですが、射的についてはあっという間に抜かされてしまいました。 
やはり、こういった遊びは殿方には敵いません。 
いくらもしないうちに、夫は、本当に初めてなのかと疑うほど上手になってしまいました。 
大きめのぬいぐるみを一撃で仕留めた時は、いつの間にかできていたギャラリーから喝采が起こるほど。 
教えた私はといえば、キャラメルの箱一つに悪戦苦闘しておりましたのに。 
コツを尋ねますと「弱い所を狙うのさ。夜、麻由を相手にする時のようにね」と囁かれ、私は空気銃を取り落としてしまいました。 
 
 
今日もお洗濯をしてから庭の方へ回り、夫が真剣な顔でパソコンに向かうのを窓越しに見詰めました。 
近い距離では恥ずかしくってすぐ目を逸らす私ですが、今なら夫の姿も見放題です。 
昼間にこうして見詰めることなど、今まであったでしょうか。 
「武様」と呼んでおりました頃を含めましても、ちょっと思いつきません。 
仕事をする殿方のお顔は魅力的なものです。 
もっと観察していたかったのですが、ここでは見つかってしまいますので、切り上げて庭を後にしました。 
お昼までにはまだありますから、待つ間に散歩でもしようかと思いつき、キッチンにメモを残して勝手口を出ました。 
赤い鼻緒の草履で斜面を登り、細い道に出て、そこから川沿いに山の方へと緩やかな山道を上っていったのです。 
少し行くだけで、すぐに木立が両脇に迫り、森に包み込まれるような感覚がしました。 
聞こえるのは、谷川が流れる音と小鳥のさえずりだけ。 
何日か前までは東京のお屋敷にいたことが信じられないほど、私は自然の中でその一部となっておりました。 
坂を上っていくうち、右下に流れていた谷川が段々と近くなってきました。 
川原の石も大きくごつごつとしたものになり、源流が近いことを示しています。 
流れの場所まで行こうと思い、斜面を足早に降りると、もうすぐそこは川原でした。 
石を踏みしめながらさらに行くと、やがて水がどうどうと激しく流れ落ちる音が聞こえてきました。 
近くに滝でもあるのかもしれません。 
どうせなら行ってみようと思った私は、足元が悪いのも気にせず、音のする方に歩を進めました。 
山肌に手を付いて、川がカーブしている場所を爪先立ちで通り抜けて。 
するとその先に美しい滝が見えたのです。 
 
 
それは、落差こそさほど大きくはないものの、幅の広い堂々とした滝でした。 
流れ落ちる水から細かいしぶきが立って、小さな虹ができているのが見えます。 
滝つぼは深く、澄み渡った青色の水の中に魚が泳いでいるのが見えました。 
水面すれすれに蝶がひらひらと舞っていて、それが光に映えてとても綺麗でした。 
こんな光景は、旅番組でもそうそうお目にかかれません。 
新婚旅行の行き先を国内にして、本当に良かったと思います。 
外国なら、こんな風に一人で歩くことなどとてもできませんもの。 
手近な岩に腰を下ろし、人間が作ったものなど一つもない景色に目を奪われました。 
 
 
「麻由!」 
そのままぼうっとしていたところ、いきなり肩を掴まれました。 
びっくりして振り返りますと、そこにはわずかに息を切らせた夫の姿がありました。 
「…あなた」 
「一人で山歩きをするなんて、心配するじゃないか」 
「そんな、大丈夫でしたのに」 
「君は大丈夫でも、僕が不安になるよ。仕事が一段落してみれば君の姿は無いし。 
メモを見て、慌てて探しに来たんだからね」 
「申し訳ありません」 
決して夫を困らせようとしたわけではないのですが、素直に謝りました。 
腕時計を見て、予想外に時間が経っていたことを知ります。 
そんなに長いことここにいたのでしょうか、私は。 
「風景に見惚れていたら、時間のことが頭から抜けてしまっていたようです。ご心配をかけました」 
頭を下げますと、夫もようやく納得してくれたような顔になりました。 
「確かに綺麗な所だ。ここなら時間を忘れるのも無理は無いけれど…」 
夫も腰を下ろして、周囲を見渡し呟きます。 
「ええ。分かって下さいますか?」 
「ああ、心が洗われるようだね」 
夫の手が肩に回され、優しく引き寄せられました。 
寄り添ったまま、しばらく私達はただ滝を見詰めておりました。 
 
 
ややあって、夫が沈黙を破って口を開きました。 
「麻由」 
「はい」 
「こうしていると、開放的な気分になるね」 
「え?ええ」 
「自然に抱かれて、思うがままに行動してみたくなるね」 
「?」 
なぜでしょう、夫の言葉に何か別の響きを感じるのです。 
「こういう場所でというのも、いいかな」 
「え…あっ!」 
夫の手が、いきなり私の胸元に入り込んできました。 
「何をなさるんです、いけません!」 
こんな山奥とはいえ、いつ誰が来ないとも限らない場所で肌に触れられるなんて。 
浴衣の中に忍び込んだ夫の手を慌てて掴み、外へ出そうと頑張りました。 
しかし、力ではやはり敵いません。 
抵抗むなしく夫の手に胸の膨らみを掴まれ、揉み上げられてしまいました。 
「あ…やっ…ん…」 
掌で胸の頂を包まれ、擦るように刺激されて声を上げてしまいます。 
夫は、ここが私の弱点で、少し触れられただけでどうしようもなくなってしまうのを承知で触れているのでしょう。 
始終こうして良いようにされているのですから、感覚が鈍くなってもよさそうなものなのに。 
まだ経験の浅かった頃と同じで、私のここは今も敏感なままなのです。 
「あ…あなた…だめ、です…」 
夫を見詰めて、首を左右に振って拒否するのですが。 
彼の目は愉快そうに細められ、私のそんな反応を楽しんでいるようにしか見えません。 
このままでは、もっと後戻りできなくなることまでされてしまいそうです。 
「あ…キャッ!」 
両腕を身体に回されて、夫の膝の上に引き倒されました。 
大きく寛げられ、露になった胸に夫が顔を近付けてきて、そして…。 
「んっ!…あ…あぁ…ん…はぁん…」 
胸の頂に吸い付かれて、舌で転がされてしまい、高い声が漏れました。 
こんな場所で声を上げるなど、あってはならないことです。 
夫を押し返そうと頑張っていた手を握り締め、私は必死で甘い刺激に耐えました。 
むき出しになった胸元に山の涼しい空気が触れ、肌寒さを覚えます。 
感覚が鋭敏になり、つかの間の我慢の後、とうとう私は声を抑えられなくなってしまったのです。 
「やぁん…あん…は…ひぁっ!」 
胸の先を甘噛みされ、身体がびくりと跳ねました。 
その痛みに混じり、ぞくぞくするような快感が背筋を走って。 
噛まれて疼く場所を癒すように舌先で舐められ、私はもう何も考えられなくなりました。 
拒んでもなお身体を這う夫の手と唇の前に、今にも陥落しそうになっていたのです。 
 
 
刹那、ガサガサと草むらが揺れる音がして、私の心臓が大きく跳ねました。 
まさか、誰かに見られている…? 
瞬時に血の気が引き、手足が冷たくなりました。 
夫も物音に気付いたようで、周囲を見回しています。 
音のする方を探しますと、川向こうの小刻みに揺れる茂みから、つぶらな二つの瞳がこちらを見ているのに気付きました。 
黒く大きな目、ぴょこぴょこと動く耳、そして……茶色の毛並み。 
「あ…」 
姿を現したのは、一頭の若い鹿でした。 
こんな山奥にいるのですから、きっと野生の鹿でしょう。 
人でなかったのが幸いですが、黒く純粋な瞳に私達のこの姿が映っているかと思うと、とんでもなく恥ずかしくなりました。 
夫がまだ驚いている隙に、私はその膝の上から逃げ出し、乱れた浴衣と丹前を元通りにきっちりと直しました。 
「あ…」 
夫が残念そうに私を見て、小さくため息をつきました。 
ほんの少しだけ申し訳なくなりますが、いくら何でもここでこれ以上の行為には及べません。 
私が浴衣を着直したのを見届けたかのように、ガサリという音を立てて鹿が姿を消しました。 
その方角をしばらく見詰めた後、私達は何事も無かったかのように離れへと戻りました。 
 
 
 
夜になり、月を見ながら露天風呂に入ろうと夫が言いましたので、それに従いました。 
何といってもここは山奥ですから、上を仰げば掛け値なしに満天の星空が望めます。 
美しいその眺めに心を奪われながら、冷酒を飲む夫と共に少し長めにお湯に浸かっていました。 
そして、長湯を堪能したのち、二人で新しい浴衣に着替えて寝室へと向かいました。 
「じゃ、お休み」 
「え…」 
夫があっさりとそう言い、布団にもぐり込みました。 
さっさと目をつぶった彼を見て、何だか取り残された気分になります。 
一緒にお風呂に入ろうと言われた時から、今夜のことを覚悟しておりましたのに。 
もしかして、昼間に滝の所で拒んだことをまだ怒っているのでしょうか。 
間違ったことはしていないつもりですが、夫の気に障ったのかと思うと胸が騒ぎました。 
しかし、いつまでもここで立っているわけには参りません。 
一階へ下り、落ち着くためにテレビをつけて眺めてみたのですが、内容はさっぱり頭に入ってきませんでした。 
諦めて寝室へ戻って、眠る夫を窺いますと、寝返りを打ったのか、彼は窓の方を向いて寝息を立てておりました。 
こちらに旅行に来てからは、毎晩のように遅くまで愛し合っておりましたのに。 
昼間のことを謝ろうかと思いますが、眠りを妨げるのはよくありません。 
それは明日に回すことにして、私は自分のではなく夫のベッドの布団をめくり、そっと入り込みました。 
一人で眠るのは何だか心細かったのです。 
夫の体温で温まっていた布団は心地良く身体に馴染み、私はシーツに頬をつけました。 
そしてもう少しだけ傍に寄り、夫にぴたりとくっ付きました。 
広い背中を見ていると、もっと密着したくなります。 
少しだけなら構わないと心で言い訳をしながら、私は片腕を夫の身体に回し、横向きに抱きつきました。 
まだ少し物足りないですが、これくらいが限界でしょう。 
これ以上のことをすると、寝ている人を起こしてしまうでしょうから。 
それでも名残惜しく、夫の身体に回した手を動かし、お腹を何度か撫でました。 
 
 
「誘っているのかい?」 
「!」 
いきなり聞こえたその声に、心臓が大きく跳ねました。 
すると、抱きついていた夫の身体がくるりと回り、こちらを向くのです。 
間近で視線を合わされ、私は目をぱちくりさせました。 
起こしてしまったのかと思ったのですが、目の前にあるのは今起きたとは思えないほどはっきりとした、いたずらっぽい表情で。 
「あなた、起きていらっしゃったのですか?」 
「うん」 
「うんって…」 
あまりにあっさりと返答され、拍子抜けしてしまいます。 
「いつ来るかとワクワクしていたのに、君は一階に下りてなかなか戻ってこないもんだから。 
危うく、本当に眠ってしまいそうになったよ」 
私の髪に手を触れながら、夫は目を細めてそう言いました。 
「やっと来たと思ったら、そんな風に遠慮がちにしか触れてこないし」 
「だって、眠っているあなたを起こしてはいけないと思って…」 
「僕が君を放って、一人で眠るわけがないじゃないか」 
さも当然のように言われ、私は口をぽかんと開けました。 
「あなた、まさかわざと眠ったふりをして…んっ!」 
問い詰めようとしたところで、夫に抱き寄せられ唇を奪われました。 
答えを誤魔化されたようでムッとしますが、角度を変えて何度も口づけられるうち、段々と何も考えられなくなって。 
いつもより長いそれが終った時には、私は頬に血を昇らせて夫の顔を見詰めるのみでした。 
「昼に君が拒んだから、僕も我慢していたんだ」 
「あ…んんっ!」 
夫の手が私の腰に回り、先程結んだばかりの浴衣の帯が解かれるのを感じました。 
足首から上を目指して夫の手が這い、その感触に背筋がぞくりとして。 
期待感を煽られるまま、胸が躍るのを抑えることができませんでした。 
「もう抵抗しないのかい?」 
首筋に口づけながら夫が尋ねます。 
「…昼間に、もう十分抵抗しましたから」 
短くそう申しますと、夫はそうかと頷いて、二つ目の痕を私の首筋に刻みました。 
 
 
「ん…あっ…あ…やぁ…」 
夫の舌が胸にたどり着き、その濡れた感触に声が漏れました。 
昼間の半端な愛撫が物足りなかったのは、私も同じです。 
胸の頂に絡めるように舌を動かされ、時折唇でチュッと吸い付かれるのが堪らなくって。 
私は夫の頭をかき抱きながら、熱っぽい溜息をつきました。 
「あなた…んっ…は…あんっ…」 
ねだるような甘い声が出てしまい、その響きに恥ずかしくなります。 
私が高ぶっているのに応えるように、夫も熱心に愛撫してくれて。 
そのまま、私はどんどんと夢うつつの境地へ追いやられていきました。 
 
 
濡れた音がして、夫の唇が私の胸から離れました。 
「気持よさそうだね、麻由」 
笑いを含んだ声で言われ、頬にますます血が昇りました。 
「…はい」 
やっとの思いで答えて、はだけた浴衣の褄で顔を隠しました。 
私が感じているのは明白なのですから、確認してくれなくても良いと思いますのに。 
夫は時折こんなことを言っては、私の反応を見て楽しむのです。 
 
 
「あの、あなた…」 
夫に散々愛されて濡れた胸の先が冷え、少しの寒さと物足りなさを訴えました。 
それに耐え切れずに夫を呼ぶと、彼はわざとらしく小首を傾げました。 
「良くなかった?」 
「いえ、そうじゃなくて…」 
要領を得ない夫の問いに、心にもどかしさが生まれてしまいます。 
「良かったんです…。だから、あの…」 
もっと先へ進みましょうとまでは、口にし難く。 
言いかけた言葉を飲み込み、私は視線をさ迷わせました。 
「胸をもっと触って欲しい?」 
「っ…。はい」 
本当は、触って欲しいのは胸だけではないのですが…。 
「じゃあ、僕をその気にさせておくれ」 
「え?」 
「麻由の胸に触れたくて堪らなくなるくらいに、僕のことを煽ってくれれば言うとおりにする」 
「煽る…ですか?」 
「ああ」 
私の身体は、こんなに悠長な会話をしている暇などないほど、夫に触れられることを欲しているのに。 
彼はあくまでも余裕のある態度でそう告げました。 
この人をその気にさせるなど、改めて考えても案など浮かびません。 
いつも私より先にその気になった夫に、万難を排してベッドへと運ばれてしまうのですから。 
今日に限ってこんな思い付きをされたことを恨めしく思いました。 
 
 
身体に触れてもらえばその気になってくれるかと思い、夫の手をつかんで胸に導きました。 
「んっ…」 
しかし、夫はされるがままになるだけで、手を動かそうとはしてくれませんでした。 
先程はあんなに熱心に愛撫をしてくれましたのに。 
「あなた、お願いですから…」 
夫の頭をかき抱き、恥を忍んで頼んでも、与えられたのは胸への軽い頬擦りだけで。 
私が望んでいるのは、そんな子供だましのものではありませんのに。 
一向にきちんと触れてくれない夫に焦れ、私は乱れた浴衣を押さえて起き上がりました。 
「麻由?」 
名を呼ばれても聞こえないふりをして、夫を仰向けにしてその上に乗りかかったのです。 
メイドをしておりました頃は、ご主人様を見下ろすなどとんでもないと、この体勢になることは滅多にありませんでした。 
でも私達はもう夫婦になったのですから、少しくらいなら大丈夫でしょう。 
邪魔な掛け布団を後ろ手で跳ね上げ、私は夫の帯に手を掛けました。 
解いてただの太い紐になったそれを脇へ放り、浴衣の袷を手早く開いて、現れた夫の下着を引き下ろしたのです。 
「えっ」 
私の行動が予想に反したのか、夫が驚いたような声を上げました。 
でももう後には引けなくって、私は屈みこんで夫のものに唇で触れました。 
先の方をくすぐるように軽く吸い付き、上目遣いに夫を見上げて。 
彼が目を細めているのを見て、少しだけ気分が良くなりました。 
溜まった借りを返すような思いで、私はゆっくりと時間を掛けて夫のものを口内に迎え入れました。 
いつもいつも私ばかりが焦らされていたのでは、割に合いません。 
彼の全てを口の中に納め切り、頭を上下に動かして。 
更に目を細めずにいられなくなるくらい、夫のものを愛撫しました。 
頼まれないうちにこうしたことなど、長い付き合いの中でも数度だけです。 
はしたないと戒める思いもあるのですが、夫にその気になってもらう手段が、もうこれしか思いつかなかったのです。 
頬をすぼめて夫のものに一心に吸い付き、舌で柔らかく舐め上げて。 
もっと彼を追い詰めたくって、私は手を下へ遣り、口に含んでいるものの根元に指を伸ばしました。 
「っあ……麻由…」 
ふっくらとした部分にそっと触れると、夫はいつもと違う声で私の名を呼びました。 
ここは男性の一番デリケートな部分だそうですから、触れると落ち着かないのでしょうか。 
しかし、拒否する素振りがないことを見ると、このままでも大丈夫そうです。 
夫が腰をもぞもぞさせ、喉の奥で時折呻くような声を上げるのを聞いているうちに、自分が段々と誇らしい気持ちになっていくのを感じました。 
もっともっと夫に触れて、彼が目を細めるところが見たくなります。 
そして、私を欲しいという気にさせたくなったのです。 
夫が普段私に触れてくれるときも、こう考えているのでしょうか。 
もしそうなら嬉しいのですが…。 
「あ…っく……は…」 
私が舌を動かすのに合わせ、夫の口から押し殺したような声が漏れました。 
その程度では不満です、もっと声を上げて欲しいのです。 
私は一層強く吸い付き、彼に今まで教えられたことを思い出しながら夫のものを愛しました。 
「麻由…うっ…あ…あ…くうっ!」 
そして、限界を迎えた夫の身体が大きく震えた瞬間、生温かいものが私の口内に吐き出されました。 
 
 
口の中に広がるそれを、反射的に飲み込んでしまいました。 
喉の入り口に引っ掛かるような感触がし、思わず顔を逸らして咳き込みます。 
ややあって違和感が落ち着き、夫の方をそっと窺うと、彼は頬を染め眉根を寄せて難しい顔をしておりました。 
「あなた?」 
何も言ってくれないのでは、その気にさせられたかどうか分かりません。 
困ったまま視線を外せないでいますと、夫は諦めたようにこちらを向きました。 
「僕の負けだ」 
「え?」 
「途中で主導権を取り戻そうと思っていたのに、つい最後まで行ってしまった」 
「…」 
「まずくはなかったかい?飲み込んでしまったんだろう?」 
「え、ええ」 
実を申しますと、美味しいとはいえないのは確かですが…。 
でも、普段私も夫に同じようなことをしてもらっているのですから、そう思えば決して苦ではありません。 
「大丈夫ですわ、心を込めた結果ですから」 
引け目を感じているらしい夫に向かい、フォローを入れるべくそう申しました。 
「う、うん」 
夫は渋々頷いて、そしてやっと微笑んでくれました。 
 
 
帯無しでどうにか身体に留まっている浴衣を引いて促され、夫の隣に横たわりました。 
「それで、あなた。その気になって下さったのですか?」 
ちょっぴり不安を感じながら問い掛けました。 
これで「さあ、もう寝よう」と言われてしまっては、今度こそ眠れなくなってしまいます。 
「うーん。その気にはなったんだが、君にイかされてしまったから、ちょっと落ち着いてしまったんだ」 
「そんな…」 
自分が大失敗をしたことに気付き、サッと血の気が引きました。 
そういえば、夫はいつも私を焦らす時は、達する寸前で愛撫をやめ、一切の余裕を奪うのです。 
達してしまえば、むしろ落ち着いてしまうのは当然のこと。 
夫の気持ち良い顔が見たいと思うあまり、私は引き際を見誤ってしまったようです。 
「不満かい?」 
尋ねられるのに少し迷ってから頷き、そのまま夫の胸に顔を埋めました。 
 
 
「今度は僕が君を気持ち良くする番だね、先に君が頑張ってくれたんだから」 
そう言った夫が身を起こし、私を見下ろす体勢になったのを見てホッとしました。 
今度は、私が夫の良いようになる番です。 
先程どうにか巻きつけた浴衣がはだけられ、何も隠す物がなくなった身体が夫の目に晒されました。 
しかし。 
改めてじっくり見られると恥ずかしくなって、私は思わず夫に抱きついてしまいました。 
「そうしていたら、君が望んでいることができないんだが?」 
耳元に熱い息がかかり、反射的に身が竦みました。 
確かに、これでは彼も困るでしょう、でも…。 
どうしようか迷っていますと、夫は私の手を外させ、上へ持ち上げました。 
「え…?」 
布の擦れるシュルリという音がしたかと思うと、手首に何か巻きつく感触がします。 
何事かと肘を曲げて見てみれば、先程外した夫の帯が私の両手を戒めていました。 
「こうしておけば、もう身体を隠せない」 
短いキスをくれてからそう言った夫が、妖しい笑みを浮かべました。 
 
 
胸の頂を指で弾かれるたび、甘い刺激が身体中を走りました。 
「んっ…あん」 
新たにどっと湧いた羞恥心が欲望を追い負かし、私は夫の手から逃れようと身を捩りました。 
でも、そんなことをしても逃れられないのは明らかでした。 
私が身じろぎするのを楽しむように、夫は胸を撫で回し、口づけるのです。 
縛られていては、その手に抗うことも、自分の口に手を当てて声を殺すこともできません。 
「あぁ…あ!…やっん…はぁ…あん…」 
固結びでもしてあるのか、帯の結び目は全くゆるまず、その不自由さがさらに私を追い詰めました。 
「っ…あ…」 
満足な抵抗もできないまま、私は脚を大きく割り開かれてしまい、夫の目に秘所が晒されました。 
いつもなら、反射的に手を遣り隠すところです。 
しかし帯で結び合わされた手では、そこにたどり着く前に夫の身体にぶつかってしまいました。 
「往生際が悪いよ」 
帯を上に引かれ、手を元の位置に戻されてしまいました。 
肘からわきの下に夫の指が這い、くすぐったさに唇を噛みます。 
それに気を取られている間に、夫はかがみ込んで腿の内側に唇を寄せました。 
「ん…っ…」 
小さく痛みが走り、夫がそこに所有の印を付けていることを感じました。 
吸い付いた場所に舌が這い、痛みを宥めるように舐められて。 
それを繰り返されるうち、私の腕からは段々と力が抜けていきました。 
「やっと素直になったね」 
抵抗する気が無くなったのが知れたのか、夫は嬉しそうに言いました。 
 
 
「もう濡れてきているよ、麻由」 
言われた言葉を認めたくなくて、必死で首を振りました。 
実は、夫のものを愛撫している時から既にこうだったのですが。 
自覚するのと、人に言われるのでは全く違うのです。 
「あっ!」 
晒された場所にぬるりとした温かい物が触れました。 
夫の舌が襞をなぞり、溢れそうになった蜜をすくい取っているのです。 
震える膝を閉じようとしても、もう駄目でした。 
それより先に夫の手が私の脚を掴み、離すまいとでもいうように固定しているのですから。 
「あなた…あん…あ…くっ…」 
恥ずかしさと欲望の狭間で、私はただ腰をくねらせておりました。 
いいえ、恥ずかしさなどはもうほんの少しだけで、もはや欲望が圧倒的に優勢だったのです。 
本当は、夫の頭を押さえて、もっととせがみたいくらいでした。 
縛られているこの手がもどかしくてたまりません。 
快感に喘ぐ合間に、ほどいて欲しいと頼もうとしても、言葉になりませんでした。 
「ん…あ…キャッ…あん!」 
夫の舌が前触れなく秘所の敏感な突起を舐め上げ、悲鳴を上げてしまいました。 
「あ…やぁ…駄目…あぁ…」 
電流が走ったかのような強烈な快感に襲われて、声を抑えることができません。 
新たな蜜が湧き出し、秘所の濡れた感触が一層強くなったことを感じました。 
それを敏感な突起に塗りこめるように夫の舌が動いて、円を描くように舐め上げるのです。 
「あぁ…っ…あなた…んっ!ん…もう…許して…」 
頭の中が沸き立つように熱くなり、目に涙を滲ませ懇願しました。 
でも、夫はそれに応じることなく舌を動かし続けるのです。 
強烈な快感の中で、意識が次第に白く霞み、ぼうっとしてきました。 
そして、急に突き上げるような刺激が下半身を貫いて…。 
「あっあ…は…んっ…あ…ああぁっ!」 
まもなく、私は自分の声で無いような叫び声を上げながら達してしまいました。 
 
 
「これで、おあいこだね」 
ずり上がって私と目を合わせた夫が、満足気な声で言いました。 
先程は、夫をイかせられて得意になっていましたのに、またいつもの如く彼の良いようにされてしまって。 
悔しくなり、いつか必ず最初から最後まで夫を翻弄することを心に誓いました。 
でも、今はダメです。 
達したというのに身体の熱は一向に冷めず、もっと触れられたいと疼いているのです。 
どうにかして欲しくて、手が自由にならないために私は両脚で夫にしがみ付きました。 
「あなた、手を解いて下さい」 
「ん?」 
「抱きつきたいのに、これじゃ困ります。お願いですから、帯を解いて下さい」 
「抵抗しないと約束できるかい?」 
「ええ、約束でも何でも致します。ですから、お願いです」 
涙が一粒こぼれ、頬をつうっと流れ落ちました。 
ここまで必死に頼まなくても良いと思うのですが、解いて欲しくて堪らないのです。 
「じゃあ、君の言うとおりにしよう」 
ようやく、夫が私の手を戒めている帯に手を掛けてくれました。 
もがいたために固くなった結び目を外してもらい、帯がベッドの下に放られて。 
それを見届けるや否や、私は夫に力いっぱい抱きついて頬擦りをして、これでもかというほどに密着しました。 
「このまま眠りたい?」 
夫の問いに、即座に首を横に振って答えました。 
まだ私達は同じ快感を共有してはいません。 
このまま寝ろと言われても、土台無理な相談です。 
「…そうだろうね」 
夫が喉の奥でクッと笑い、息が髪にかかりました。 
私のお腹に当っている逞しいものをそのままにしては、彼とて眠れないはずなのに。 
「分かっていらっしゃるでしょうに、どうしてそんなことを尋ねられるのですか?」 
「済まない。やはりばれてしまったか」 
恨めしく言い募りますと、夫はばつの悪い笑みを浮かべ、身体を起こしました。 
 
 
秘所に彼の熱いものがあてがわれ、蜜で濡れる感触を楽しむようにぬるぬると動きました。 
粘っこい水音がして、堪らない気持ちになります。 
早く欲しいと伝えたくて、私は自由になった手で夫のお尻を引き寄せました。 
「あっ…ん…」 
夫が私に覆いかぶさり、身体を沈めてきました。 
一つになる感触に全身がピンと張り詰め、鳥肌が立つ思いがします。 
ああ、やっと。 
望んでいたものがようやく手に入ったことに、胸が一杯になりました。 
前髪を掻き分けられ、鼻が触れ合うほどの近さで見詰められて。 
大丈夫かと視線だけで尋ねられ、無言で頷いて答えました。 
それを合図にしたかのように、夫は私の片脚を抱え上げて腰を使い始めました。 
力強い動きにベッドがきしむ音が、静かな部屋に響きます。 
突き上げられるたび、触れ合った部分から快感が流れ込んでくるようで、私はギュッと目を閉じました。 
「あっ…あ…はぁん…んっ…んっ…あん…」 
呼吸が次第に荒くなり、何かに縋りつきたくなります。 
手を伸ばして訴えると、夫は体を倒してきてくれました。 
「あなた…」 
逞しい背にしがみつき、与えられる快感に耐えました。 
こうでもしなければ、すぐに達してしまいそうでしたから。 
「あ…いやっ…」 
夫が急に大きく腰を引き、繋がりが浅くなってしまいました。 
一気に心細くなってしまった私は、腰を浮かせて遠ざかったものを追いかけました。 
「積極的だね、麻由」 
クッと笑った夫の息が耳たぶをくすぐりました。 
「ん…あなたが…っ…逃げるからじゃありませんか…」 
抗議を込めて言い返し、縋りつく手の力を強めました。 
抱えられていない脚を彼に絡め直し、体中で不満を訴えたのです。 
この期に及んで焦らされるなんて、そんなひどいことは御免ですもの。 
「人妻になって、違った魅力が出てきたね、君は」 
「え…あぁっ!」 
急に身を沈められて繋がりが一気に深くなり、私は圧迫感に悲鳴を上げました。 
またベッドがきしみ始め、あっという間に息が上がっていきます。 
しかし、望んだようにしてもらいながらも、私の耳には今しがたの夫の言葉が消えずに残っていました。 
確かに私は人妻ですが、それを夫本人が言うのは正しいのでしょうか。 
それより、「違った」とはどういう意味なのでしょう。 
「はっ…あ…私、が…どう変わったと…っ…仰るのですか…?」 
どうしても気になってしまい、喘ぐ声の合間を縫って切れ切れに問い掛けました。 
もしかしたら、知らないうちに、私は悪い方に変わってしまったのかもしれません。 
「…そうだな、僕の言ったことに、言い返すようになった。 
メイドだった頃は、っ…。あまり、そんなことは…なかっただろう?」 
額に汗を滲ませながら夫が言いました。 
その言葉に、快感の波の間をたゆたっていた身体がヒヤリとし、心が騒ぎだしました。 
「あぁ…んっ…あなた…あの…」 
不安が胸に去来し、心細さに涙が出そうになりました。 
もしかして「メイドだった頃の方がよかった」と言われてしまうのでしょうか。 
 
 
「きゃあっ…あ…んんっ!」 
弱い所をいきなり突き上げられ、私はあられもない嬌声を上げました。 
夫の言葉の意味を、詳しく聞かねばと思いますのに。 
気持ち良い場所を責められた途端に思考が全て吹き飛び、私の頭の中は快感だけで占められてしまったのです。 
「やぁ…んっ…あん!…あなた…あなた…」 
頭が真っ白になり、夫のものを食い締めている場所が一際強く収縮するのを感じました。 
繋がった部分が焼けつくように熱く、そこから蕩けていきそうに思えました。 
「だめ…あ!…そこは…んっ…あん…はぁん!」 
目印があるわけでもないのに、どうして夫は私の弱い場所を的確に責められるのでしょう。 
もう数え切れないほど愛し合っているのですから、この身体のことなど隅々までお見通しなのでしょうか。 
私など、夫を先にイかせられたということが、最近にない快挙になっている有様なのに。 
「あ…あん…だめです…もう駄目…っ…」 
身体の震えが止まらなくなり、閉じた瞼の裏が白みはじめました。 
愛しい人と同時に絶頂を迎えたいと思うのに、先に私だけイってしまうのでしょうか。 
夫の背に爪を立てて堪えようとするのですが、心とは裏腹に、身体は最後の瞬間へと向かって一直線に駆け上がっていきます。 
「あ…あなた…んっ…やああぁんっ!」 
全身の血が逆流するかと思うほどの強烈な快感の中、私は彼より先に達してしまいました。 
身体の震えが止まらないまま、溢れた涙が目尻からこぼれ、シーツに落ちる微かな音がしました。 
「麻由…」 
夫が優しく目を細め、視線を合わせてくれました。 
ぼやける視界の中、私は彼の顔を必死に見詰めました。 
ほんの少しでも、その表情の中に不満や失望の色が無いのか探しながら。 
「あ…んん…」 
先程とは違う場所に夫のものが擦り付けられ、私はまた声を上げてしまいました。 
夫もイきたいのでしょう、一気にたたみ掛けるように腰を打ち付けてきます。 
達した後になお責められて、意識が途絶えそうになりながらも、縋りついて懸命にそれに応えました。 
「うっ…あ…くうっ!」 
夫のものが中でドクンと大きく脈打ち、絶頂を迎えたのを感じました。 
虚脱したように夫が被さってきて、私はその重みを全身で受け止め、もう一度強く抱き付きました。 
彼の荒い息が髪を撫でて、少し乱していきました。 
 
 
しばらくして、やっと震えの止まった手で夫の背を撫でました。 
「あなた…」 
「…ん?」 
達したきり無言のままだった夫に声を掛けると、彼は身じろぎして体を倒し、ごろりと横になりました。 
余韻に浸り、このまま眠りたいのでしょうか。 
しかし、先程のこの人の言葉が魚の小骨のように引っ掛かったままで、私は不安だったのです。 
「麻由、どうかしたかい?」 
何と問うてよいものか迷っていますと、夫は続きを促してくれました。 
「あの…。さっき、私は結婚してから変わったと…仰った、でしょう…?」 
「ああ」 
「どう変わりましたか?まさか、良くない方向に変わってしまったのではありません?」 
もしかして、夫に愛されていると知らぬ間にいい気になっていたのではないか、そして幻滅されてしまったのではないか。 
嫌な想像が頭の中を駆け巡り、胸が潰れそうになりながら、祈るような気持ちで夫の言葉を待ちました。 
 
 
「ああ、違うんだ。そんなに深刻になる必要は無い」 
心細さに身を縮める私の背を撫でてくれながら、夫が優しく言いました。 
「本当ですか?」 
「嘘は言わないよ。だから、そんなに不安な顔をするのはやめなさい」 
「はい…」 
頷きますが、具体的な答えを貰うまでは安心できません。 
顔をしかめたままでいますと、夫の指に眉間のしわを伸ばされてしまいました。 
「君が、自分の思ったことを言うようになったと思ってね」 
「え…」 
「僕達の最初の時から比べればはっきりしているよ。君は思ったことをすぐ口にしない人だから、余計にだ」 
そうなのでしょうか。 
「メイドだった頃は、僕に対して随分な遠慮があった」 
それは当然です。 
ご主人様に対して出しゃばるようなことをするのは、使用人として失格ですもの。 
「婚約期間中も、ふとした時にその名残が出ているように思って、気になっていたんだ。 
でも、さっきは自分の思ったことをそのまま言っただろう?」 
焦らされて切なくなり、つい夫を責めるようなことを言ってしまっただけですが。 
本心であったのは確かでしたので、素直に頷きました 
「あれでいいと思うんだ、夫婦は本来対等なものだからね。 
僕のことを大事に思ってくれるのは嬉しいが、いつまでも主従だった頃のようにする必要はない」 
「はい」 
「これからも、思ったことはちゃんと口にしなさい。 
そうじゃないと、僕は自分勝手にどんどんと色んなことを君に仕掛けるよ?」 
「あっ…」 
耳たぶを軽く噛まれ、ピリッと痛みが走りました。 
「従順な君も可愛いと思うが、頬を赤くしながら主張する君も同じくらい魅力的だから、ね」 
「そ、そんな…」 
先程のことを思い出し、言葉を失いました。 
 
 
「涙目になりながら必死で僕に抗議して、身体中でしがみ付いて。 
可愛かったなあ。もう少し焦らして楽しんでおくんだった」 
「まあっ!」 
にやにやと笑いながら臆面も無く言われ、私は夫を睨みつけました。 
夫婦でなければ、れっきとしたセクハラ発言ですもの。 
それに、私が困るのを楽しむなんて悪趣味です。 
「その意気だ。感情を表に出すのは大事なことだよ」 
幼い子にするように私の頭を撫でながら、夫は言い聞かせるように呟きました。 
「言いたい放題なのも困るが、君はもう少し口数を多くしなさい。ちゃんと受け止めてあげるから」 
優しく言われるのに嬉しくなりますが、今さっきの問題発言を受け流せるほど私は大人ではありません。 
「こうなったら、うんとお喋りになって、あなたのことを目一杯困らせますから」 
「ああ、是非そうしなさい」 
恨みがましく言ってもあっさりと切り返されて、一矢報いることはできませんでした。 
いつか、この人をぎゃふんと言わせてやらねばなりません。 
彼のことを深く愛していても、いつまでも手の内で転がされているだけでは、妻としても頼りないでしょうし。 
…でも、そう思うのは明日からにしましょう。 
呼吸が苦しくなるくらいの不安を、払拭してくれたのですから。 
「さ、もうお休み」 
「はい。お休みなさいませ」 
「ああ、よく眠りなさい」 
額にキスをくれて、夫が微笑みました。 
促されて目を閉じると、瞼の裏に昼間に訪れた滝の風景が浮かんできました。 
あの時、もしあの鹿が現れていなければどうなっていたでしょう。 
なんだかんだで丸め込まれ、あの場所で夫に抱かれていたような気がします。 
今になって考えてみると、それほど悪くなかったのかも…と思いかけ、慌てて打ち消しました。 
いくら夫のことを愛しているとはいっても、外でというのはさすがに無理です。 
 
 
翌日以降、折に触れて「滝へ行こう」と誘う夫の言葉を拒みました。 
「人の足が何度も踏み入っては、自然の為に良くありません」などと、もっともらしい理由をつけて。 
夫の誘いをかわすため、宿の読書室から一抱えほどのガイドブックを借りてきて、他の場所を提案しました。 
そうして隣県まで足を延ばしたり、反対に日がな一日何もせずにぼんやりしたりして。 
結婚までの慌しかった日々が嘘のように、二人でゆっくりと過ごしました。 
温泉街へ出掛け、屋敷の皆へのお土産をどうしようかとあれこれ相談するのもとても楽しくて。 
私達は今まであまり出歩きませんでしたから、一日一日が新鮮で、思い出深いものになりました。 
長いと思っておりました八日という期間も、いざ終ってみればあっという間のことでした。 
夜のことは、たぶん…ご想像の通りだと思います。 
「ハネムーンベビーを作ろう」などと夜毎に誘われ、気がつけばベッドの上、といった有様でした。 
夫を翻弄しようと心に誓ったはずなのに、決意はいつも簡単に覆されて、思うままにされてしまうのです。 
 
 
考えてみれば、夫と身体を重ねることは、本来子供を作るための行為です。 
メイド時代は、二人の立場の違いゆえに、もしこの人の子を身ごもったら…と想像することすら封印していました。 
でも、晴れて想う人の妻になれた今は、いかなる未来を思い描くことも許されるようになったのです。 
もう少し二人だけの時間を楽しみたい気もしますが、夫の子供を早く授かりたいとも思います。 
男の子でも女の子でもどちらでも構いません。 
欲を言えば、夫も私も一人っ子ですので、できれば子供は複数欲しいという願望はあるのですが。 
家族が増えれば、お屋敷ももっと賑やかになって楽しくなるでしょう。 
そうなる日が早く来ればいいと、私は密かに願うのでした。 
 

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