二羽の黒い怪鳥が、音もなく千巳の山で舞っていた。
否、正しく言うならそれは個人用降下翼システムと呼ばれる滑空翼をつけた二人の人間であった。
その先頭のほう、フライトスーツに包まれた胸元は、黒一色の姿に反発するかのように魅力的な曲線を描いて盛り上がっている、というか苦しそうに押し上げているというべきか。
言うまでもなく女であった。
「神社は避けるのね?」
吹き付ける合成風にかき消されがちながらも喉頭マイクに伝えられた声は、つややかで若々しいものであった。
空を舞う二人は、やがてわずかながら照明がつく神社を避け、そこから下っていく曲がりくねった参道の途中に降りた。
地面が迫ると小型のパラシュートで減速し、ふわりと降り立つ。
着地しても一息つくこともせずにテキパキと降下翼システムを外し、近くの木立の中に隠すと、二人はそれぞれ装備の確認にかかった。
女はバッグから短機関銃を取り出すとと、遊底を動かし、初弾を薬室に送り込む。
「それ、持って行くのか?」
隣で黒一色のフライトスーツを脱いでいた人物が尋ねた。
フライトスーツの下から安っぽいシャツに包まれた胸板があらわれる。
平板なだけで厚いとは言えず、手足もひょろりと長く、体つきからみれば夜の山より、都会の大学が似合いそうだった。
はたしてヘルメットを脱ぐと、出てきたのは黒縁眼鏡をかけた童顔だが真面目そうな青年の顔だ。
「弾に呪を込めてるから、多少は期待できるわ」
「重いだけだよ。きっと役に立たない」
「あの相手に木刀一振りしか持たない方がおかしいの。あなたと一緒にしないで」
こちらもヘルメットを脱いだ女の目が、青年の右手に移る。
肩までの栗色の髪が解放されてふわりと広がった。黒一色のフライトスーツを脱ぐそぶりはない。
あらわれた顔は、ノーメイクにもかかわらず、若く整っていた。
明るさと闊達さを感じさせる切れ長の目に、引き結ばれた薄めの唇がきまじめさを表していた。
鼻はこぶりで、首筋は細く白い。背は小柄だが、胸は充分に大きい。でも腰は高い位置で細く尻もさほど大きくはなく、足はスラリとして魅力的だった。
言うなれば青年が大学生なら、女は広報ポスターの婦人警官という形容がふさわしいだろう。
二人の鋭すぎる眼光を除けばの話である。
女の視線によって青年も自らの右手に目を落とした。そこにあるのは、なんの変哲もない木刀。
モデルとなった日本刀をもしのぐ優美で緩い曲線が夜闇の中で影絵を描いている。
「じゃあ、そのマシンガンが通用するかここで試せばいい」
青年は無表情のまま奇妙な事を言うと、左手をかすかに動かした。
何かが激しくはじける音と共に、十数メートル離れた前方の木の枝が、突然折れる。
そこにいた何か闇いものが、音もたてずにしなやかに地面に降り立たった。
「指弾ですか。なかなかにおもしろいですね」
唐突に落ち着きと艶やかさ、そしてかすかな悪意を含んだ女の声が降りた影から響いた。
それは黒い衣装に身を包んだ女である。闇の中に浮かぶような青白い肌は、幻想的でしかし肉欲をかき立てる妖艶さに満ちている。
豊かな胸は黒いタンクトップに、大きな尻は、ぴったりとした黒いパンツに被われているが、、二の腕や太腿の白さのため覆うと言うより劣情を煽るものでしかない。
その体を覆うのは闇より暗いマントで、闇色の長く柔らかな髪に覆われた美貌は、あくまでもたおやかで貞淑さと高貴さを慈しみを感じさせるものである。
……ただし血色に光る双眼とやはり血色をした唇からのぞく鋭い犬歯が無ければであるが。
その美貌が、闇夜で咲く青白い花のようにほころぶ。微笑んだと言うには禍々しいものがあった。
「闇姫様に仕える双破(ふたば)と申します。お空で遊んでいらっしゃるのを見てお待ち申し上げておりました。以後お見知り置きを」
たおやかな吸血姫は、流れるマントを華麗にひらめかせ軽く膝をおり優雅に礼をする。
「……神守止郎(かんもりしろう)、里帰りで、こんな美人に出迎えてもらえるなんてね」
その童顔に似合わず不敵に笑う青年の横で、フライトスーツの女は短機関銃を素早く構えていた。青年と違いその顔には闘志しかない。
青年は構えもせず、吸血姫も笑みを浮かべているだけ、にも関わらず立ち上る鬼気が三人をしめつけた。
緊張を破ったのは、銃声だった。乾いた破裂音が連続し、火線が黒衣の妖女を縫う。
だが、その姿が唐突にかき消え、女はとまどった。
「不作法なのですね。貴女は引き裂かれて蠱の苗床がよろしいですか? それとも闇姫様の慰み者がお望みですか?」
あたり一面に木が茂る中、声だけが響き、女は辺りを見回した。
「上だ!」
青年のかけ声と共に女の体が後に舞った。
女の体のあった位置に妖女が砲弾のごとく舞い降り、紅く伸びた爪を突き立てる。
青年が再び左手を動かすが、吸血姫が紅く伸びた爪を軽く振るうと、綺麗な金属音と共に小さな鋼鉄の球が割れて落ちた。
「さすがは闇の御婦人」
「止郎様は、お戯れがお好きなのでございますね。……そういうお方には是非口づけを差し上げたく存知ますわ」
笑みはあくまでも柔和なままで、しかし鮮血を吸い続けた唇がさらなる血を求めて淫靡に歪む。
恐るべき体術で吸血姫は止郎への距離を瞬時につめ、血色の爪が彼をないだ……と思った時、既に止郎の体はふわりと空中に浮き、上段からまさに必殺のタイミングで振り下ろされようとしていた。
鋭利な金属同士が非常な高速で激突するがごとくの激しい金属音が辺りに響き、その高周波で周囲の生ける者達の耳を灼く。
止郎の木刀は吸血姫の頭ぎりぎりで彼女の爪によって止められていた。
にも関わらず、吸血姫の顔には苦痛がある。
額からヴァンパイヤの命である赤き血潮が滴り落ちた。
「侮っておりましたようで……」
「僕は、すこし跳びすぎたようだ」
剣士と闇の淑女は、すぐに飛びずさって距離をとった。
滴り落ちる血を舐め取った吸血姫には、しかし憤怒の色は無かった。
むしろその顔にあったのは色濃い情欲であり、そして意外な事に真摯な思いだった。
「執行機関以外は雑魚と思っておりましたのに、この地で貴方のような方と出会えたのは僥倖。まずは貴方を殺し、その後に血をすすりて、永遠の命を与えましょう」
青年は答えず、半身になって木刀を下段に構えた。それが誘いへの声なき答である。
唐突に吸血姫が虚空に手を伸ばす。
闇よりなお暗い輝きが走り、やがて形を帯び始める
それは大鎌だった。暗い輝きがおさまった時、死神がもつような黒く長大な大鎌がその手に収まっていた。
吸血姫の手の中で重さを微塵も感じさせずに大鎌は振るわれた。
鎌の刃から闇の粒子が飛び散り、闇をいっそう禍々しいものにかえていく。
「アポーツ……、さすが、バンパイアはひと味違う」
「ダンスと参りましょう」
その言葉とともに大鎌が無慈悲に首を刈る軌道を描き、人ではあり得ぬスピードで止郎に迫る。
懐にもぐりこむべく止郎が吸血姫に向かった。だがそれを読んで紅き爪が突き出される。
もう一度銃声がとどろき、吸血姫の突き出された腕が真っ赤に染まる。だが爪の勢いは止まるどころか、止郎を狙っていた大鎌が、あり得ない角度で方向を変え、銃撃した者を狙った。
近くの枝から狙っていたフライトスーツの女が小さな悲鳴をあげて、下の枝に飛び移る。
代わりに断ち切られた短機関銃が落ちて、地面に空しく転がった。
「止郎!」
「気をつけろ。出し惜しみして勝てる相手じゃない。使え! この地は女の味方だ」
叫び返す止郎に、吸血姫が大鎌を振りかざして迫る。
「そういえば止郎様は、この山がご出身でしたね。……ふふ、この双破が抱いてあげますから、いろいろとご存じのことをしゃべっていただきますわね」
「悪いね。僕は寒がりだから抱っこされるなら暖かい人がいいよ」
出来の悪い冗談とは裏腹に止郎は弾丸のようにつっこみ、吸血姫の足を狙って剣をふるった。
豪速の剣を、双破は上に飛んで避ける。しかしそこに指弾が襲った。
同じようにはじき飛ばそうとした腕はしかし、短機関銃による傷が癒えたばかりで動きがわずかに、本当にささやかな程度に鈍っていた。だがそれは間違いなく止郎の狙いだ。
こんどこそ銀色の鋼球が食い込み、左腕が爆砕する。
吸血姫の絶叫が響き渡った時、木の枝に潜んでいたフライトスーツ姿の女の術が発動した。
「風祭流風塵乱舞!」
木の葉を巻き込んだ風が、吸血姫の骨をきしませながら体を持ち上げ、同時に視界を遮った。
「続いて旋風斬!!」
かけ声によって無数の小さな竜巻が出現し、風に揺さぶられる吸血姫に殺到した。
再度絶叫が響き、風が朱に染まる。
「風槍破陣!」
そして全身を己の血で真っ赤に染めながら、背にこうもりの羽を展開し小竜巻を押しのけて女に飛びかかろうとした吸血姫が、突如動きを止め、口からさらなる血を吐いた。
「なっ……げほっ」
折れた木の枝が吸血姫の腹から生えていた。
信じられないものを見る目で己が腹を眺めるその額をさらなる枝が貫く。
ぐるりと白目を剥いたその顔が力を失って折れるまでに、無数の枝が妖魔の体に針山のごとく突き立ち、たまらずよろめき落ちる直前、とどめとばかりにその左胸をひときわ太い枝がつらぬいた。
そして吸血姫は、ぼろ布のように地に落ち、動きを止めた。
「さすが、風使いの風祭」
突き立てた木刀に寄りかかった止郎が小さく拍手をする。
その眼前に、フライトスーツの女、風祭夏妃(かざまつりなつき)は、ふわりと風の力を借りて降り立った。
「……偶然よ。うまくいきすぎ」
「そうでもない。この地は女の味方だから」
「……どういうこと?」
「言葉通り。ここでは女の霊力や魔力は非常によく働き、反対に男のは、低く抑えられる」
「どうして?」
「神がそう作ったから、とでも考えておけばいい」
「……何よ、それ」
「でも、あのコンボ技、今まではあんなにうまくはいってないだろ?」
黙然とうなずく夏妃をみて、止郎は背を向けて歩き出す。
「ま、敵も女ならそれは一緒だから、気をつけといて。それじゃ、行こうか」
夏妃は釈然としないながらも止郎に続いた。
だが二人とも気付かなかった。心臓を貫いたはずの吸血姫の死体が、塵に戻らなかったことに。
本殿、そこは神聖であるべき場所のはずだった。
御神体を奉り、祈りを捧げる場所であったはずだ。
だが、母はそこで犯されていた。女に。
「ほう、止郎は、分家の一人息子か。……ほほう、破邪剣に優れたので十一の年から他国他流へ修行にだし、大雪山で工藤流念法の教えを受けたか」
女は母を座らせ背後から犯していた。
流れるような銀色の髪とやはり色素がないかのような銀色の瞳。顔は不動の意志と自信に裏付けられた攻撃的な美を形作っている。
目は鋭いながらも切れ長で美しく、唇は淫靡に厚く赤い。隠すものの無い体は、透き通るように白いが、乳房はほどよい大きさの釣り鐘型であり、先端はその精神のどす黒さに反し桜色で美しかった。
体の線もあくまで伸びやかかつ引き締まり、気品に満ちている。
その気品ある体が、母の円熟した色気を醸し出す体にからみつき、犯していた。
母の理知と覚悟、落ち着き、慈愛を感じさせていた美貌も、今は無惨に惚けていた。
強い意志を宿した目は焦点が合わず、慈愛の微笑みを浮かべていた口は、間抜けな人形のようにだらしなく開き、舌まではみ出ている。
下半身に目を移せば、女二人の陰部がしどけなく開ききっていた。だがそれは同性愛の愛撫ではない。
女の陰部からは、肉縄が幾本も這い出し、母の体を縛りなめずっていたからだ。
かろうじて人の性交と言えるのは女自身が母の胸を扇情的にやわやわと揉むことだけだった。
そして人ならぬ快楽に墜ちた母は、体をけいれんのように震わせ、よだれの垂れた口を金魚のように開閉させていた。快楽が強すぎて声も出ないのだ。
母を犯していた女が、入ってきた女忍者と涼子をみた。
「ほう、神守の嫡子を連れてきたか。……どうだ? 愛しい母とともに私に抱かれるか?」
声もなく恐怖に立ちすくむ涼子を、女忍者は無情にも母を犯す女めがけて突き飛ばした。
「闇姫(やみひめ)様、夕蠱がやられました」
そういうと忍は報告を始めた。闇姫は母を放り出し、触手が闇姫の内部に戻っていく。
「確かに蛇のようなものにたかられていたのだな?」
上質の布のごとき銀髪を振って全裸で立ち上がった闇姫は、意外に小柄であった。
だが鋭すぎる眼光は、涼子に考える余裕を与えない。涼子はただうなずくだけであった。
「……贄にされたのだな。胎蠱では千巳にかなわなかったが、ふふ、順調ではある」
「贄、ですか?」
「千巳の忠実なる代行者になることよ。体中、いや毛穴一本まで犯されて、姿形、性格はそのままに、人であって人でないものに変わる。
それは言うなれば人の形をした触手になると言ってよい。当人の能力はそのまま引き上げられ、さらに神の思うがままに神の力も付与されるがな。
個としての思考も一応は残っているが、それも千巳の遊びの範疇でしかないな。
つまり、千巳に取り込まれ、その意志通りに動く人型の触手にされたということだ」
「では夕蠱も?」
「違和感を感じたのであろう? 人では無くなっておるな。だが、それでよい。
それにしても素晴らしいとは思わんか?」
闇姫の顔が、野望と暗い喜びに彩られた笑みを刻んだ。その笑みは、邪悪であるからこそ美しかった。
「女も男も幼子も老人も触手で繋がれ、快楽で満ち足り、憎悪は消え、戦もなくなる。
人類種は能力を進化させ、さらに一つの思考網種族となるだろう。、そしてその頂きとなるのは妾だ。
くくく、神守の一族は宝の山にいて、その価値をわかっておらなかった。死ぬに値する馬鹿者ぞろいよ。……死乃」
「ここに」
呼び声と共に、死霊術師が音もなくあらわれた。
死霊術師の顔には、虫使いをやられたという怒りがかすかに浮かんでいた。だからといって闇姫の前で取り乱す愚は示さない。愛人たる死者とともに静かに控えた。
「忍とともに本体を探せ。封神の祠をしらみつぶしに探るのだ。奴が封じられていたということは、奴を封じることが出来る場所だ。妾が奴とはじめて出会ったのもそこであったから、本体はきっとその近くにある」
「はっ。しかし闇姫様の守りは? 双破姉妹が見あたりませぬが」
死乃は与えられた任務に文句こそなさそうだったが、闇姫の守りが気になるようだった。
止郎達がやってきたためだと涼子は気付いた。絶望に染まった心に一筋だけ希望が湧く。
「双破達は、剣術使いの小僧どもにあたらせておる。くくっ、まだ死んでおるが、もうそろそろはじまるぞ」
「ふふ、あれははまりますな、闇姫様」
闇姫の笑いに、死乃も笑みを漏らした。それを見て、涼子の希望はたちまちさらなる不安に変わる。
涼子は従兄弟の止郎を好んでいたが、その術力は評価していなかった。
幼い頃、共に修行しても、止郎は涼子はおろか小夜璃にも劣る有様だった。涼子が半日で出来たことを、止郎は五日かけておいついていた。
それをネタにからかうと、止郎は表情を消して、夕食も食べず練習し、道場で寝ていたこともあった。。
努力家ではあったが、止郎には才能が欠けていた。それを涼子は思い出して、再び絶望して涙を流した。
「死霊術師のお前や妾だからこそ気づけるというものよ。……それと妾の守りはこやつらで良い」
そういうと闇姫は、母の髪をつかんで引き起こした。
「封神の巫女の力、存分にみせてもらうぞ」
そういうと闇姫は、憎悪と暗い悦びにわらった。
影絵のような黒々とした林の中の参道を、剣士と風使いは登っていく。
星明かりすら木々に遮られ、現代には無くなって久しい真の闇がそこにはあった。
山門まであとわずかではあるが、闇の中の山道は、たとえ練達の登山家であろうと気をつけて歩まなければならない。ゆえに速度が落ち、そして焦りが心を覆う。それは必然であった。
ふと、止郎が立ち止まって振り返った。
「どうしたの?」
「つけられてる気がしたが……」
その言葉に夏妃も後ろをみた。闇に覆われた道と空を隠す木々しか見えない。
腰につけていた双眼鏡のようなものを目に当てて辺りを見回す。
「ナイトビジョンか、何か見えるか?」
「何も。犬一匹いないとはこのことね」
視界の全てが全てのものが暗緑色に沈み、明るい緑や動くものはない。
生命活動があったり、動くところがあれば、必ず熱がうまれる。
熱は赤外線を発し、それををナイトビジョンは輝度の高いものとして感知する。
したがって現状では生命の無い無機物と静かに生きる植物しか見えていないことになる。
「それにしても、どうして良い地脈がでる重要拠点が、こんなにもがら空きなのかしら」
夏妃の疑問は、当然のものだった。
それなりの地脈、竜脈が現れる場所は、霊的に格が高くなる。
そこでは魔術や呪術は強く影響する。ゆえにそれなりの守りがあるのが普通である。
大雪山のごとく、気候が厳しく交通も難所続きであれば、少数の守りも納得がいく。
だが、千巳の山はそんな僻地ではない。
「決まっている。妖魔の罠という疑惑が払拭できないからだ」
驚いて振り返る夏妃の目に、背を向けて歩き出す止郎がうつる。
「どういうこと?」
「この山が狙われたのは、今回が初めてじゃない。記録に残るところでは鎌倉時代に一度大攻勢を受けて陥落しかかっている。その他も何回かあるが、それが最大だ」
あわてて追う夏妃の耳に、止郎の言葉が流れ込む。
「裏元寇と言われている、同時多発の国内霊場への攻撃。相手は遠くは東欧からも引っ張られたユーラシアの妖魔だったから、退魔もなかなかに苦労したという」
「おかげで外来種に詳しかった日蓮にでかい顔をされる羽目になったんだけど」
日蓮が流刑先の佐渡から呼び戻された理由を夏妃は語っていた。
「この千巳山は他の霊場の多くと違い、孤立無援でありながら独力で侵攻勢力を排除したんだ。月夜(つくよ)姫と清津(きよつ)姫の姉妹巫女でね」
「それってキミの先祖の?」
「ああ。だけど姉の月夜姫はお世辞にも霊力が高いとは言えない人だった。病弱で長くは生きられないと言われていた。反対に妹の清津姫は霊力高く美貌もうたわれ、婿をとって神守を継ぐと思われていた。
そんなところに、裏元寇が起こった」
暗い山のどこかでフクロウが鳴いていた。
「この山が犠牲者多数で陥落寸前まで行ったとき、千巳に頼ろうという話になった。どちらかの巫女を生け贄に差し出し、力を借りようとした」
「……ひょっとして月夜姫が?」
「そう。非情だが当然の計算。いらないと思われた月夜姫が差し出され、贄となった。ところが彼女は帰ってくるんだ」
「……神様のお気に召さなかった?」
「違う。彼女は確かに贄になった。それによって膨大な魔力と強靱な体を得て帰ってきたんだ。ついでに輝くような美貌になってね」
もう一度止郎は止まり、あたりを慎重に見回した。
「どうも嫌な雰囲気だ。……それで月夜姫は攻めてくる妖魔達を迎え撃ち、蹴散らしていったのだけど、それに清津姫達が危惧した。
当主の座を奪われると思ったらしい。清津姫は千巳を封印しようと試みると共に、月夜姫が千巳に対して麓の人々皆を贄にする約束をしたとデマを吹き込んだ」
夏妃もあたりを見回し、もう一度ナイトビジョンで確認した。何もなかった。
「それって酷い話ね」
「ところが酷い話はそれで治まらない」
再度、止郎は背を向けて参道を登り始める。
「対抗して月夜姫は征伐した妖魔達を魔力で操ると、千巳山を攻めた。そして復讐とばかりに自分を疎んじた人間や軽んじた人間を血祭りに上げたらしい。
千巳すら一度負けかかり、驚いた清津姫は千巳の求めで贄になり、月夜姫は討ち果たされた」
話のむごさに夏妃は黙り込んだが、しかしすぐ話の矛盾に気付いて口を開いた。
「……それが妖魔の罠という話とどうつながるの?」
「月夜姫の願いは、最初から復讐だった。清津姫も千巳の贄に堕とすつもりだった。だから千巳と示し合わせた上で芝居を打って清津姫を与えた。
その見返りに、月夜姫はさらなる霊力と、妖魔も人も思い通りに操れる力を得て去った。そういう裏伝承が分家筋の俺の家にはある」
「なんて話……」
「そして月夜姫がこの山を去った後、千巳はこの山を女に都合良い環境に変えていった。
籠の中を外界より格段に居心地良くすれば、守らせるのにも有利で、かつ女は外に出ても舞い戻るようになるから」
夏妃は言いしれぬ悪寒を感じて、自らの体を抱いた。
「……だから神守の男は、出来るだけ早く山を出るんだ。山とは、神の呪いを打ち破る力を鍛え蓄えるためだけの場所。少数の教育役と未熟過ぎるものだけを残して、外に出て行く。さっきの話も女達には秘密の裏口伝だ」
「それゆえに、外に出ざるを得なかった男達が退魔の神守という名を広めた……なのね?」
「ああ」
しかし黙々と登っていく止郎をみていた夏妃はふと文句を言いたい気分に襲われた。
「でも、その口伝、女達にも教えてあげればいいのに」
「君は、この山では俺より術がうまかったのに、外に行けば俺の方が遙か上になったとしたら、それでも外に行くか? ここではそこそこの修行でかなりの技を使えるのに、外では全然だったら、外に行くか?」
面白いように術が決まった先ほどのことを思い出して、夏妃は首をふった。
「行かないわね」
「そう、この山の女達は山が自分たちに都合良すぎるということを考えたがらない。
男が言うことは、この山で劣るが故の負け惜しみだと思っている。
それに残念ながら、さっきの話も根拠がそんなに確固たるものではない。
……だけど、女達にこの山のおかしさを説いてまわった男達は、みんな変な死に方をした。
だからさっきの話は男だけの口伝。……君はどちらを信じる?」
「……わからない」
すこしとまどった声で夏妃は答える。彼女が知らされた伝承とはあまりにも違ったからだ。
「どうせ何が真実か、すぐにわかる。神はもう目覚めたのだからね」
それきり、参道に沈黙が落ち、地面を踏みしめる音だけが響いた。
やがて山門が見え始め、黒々と目前に広がるに至って、二人は歩みを止めた。
闇に沈む山門に、三人の巫女達がたたずんでいたからだ。
「清恵おばさんに、涼子か。……そちらの銀髪美人は、ひょっとして闇姫さんかい?」
山門の左側には若さと色気を多分に残し、中年と言うよりは成熟した女性、そう呼ぶのがふさわしい円熟の美人が、巫女装束で長刀を構えていた。顔は全くの無表情で目にも感情の光はない。
右側には、若い巫女が槍を構えていた、左の女にどこか面影が似通っており、母娘であることがわかったが、やはり同様に無表情で目に感情はなかった。
もっとも人間的だったのが、山門の真ん中にたたずむ、星くずが振るような銀髪の巫女である。
その女の目には嘲弄と自信が揺れており、口元には飛び込んできた獲物をどう料理するかを楽しむ薄い笑いが張り付いている。
「……いかにも、神守止郎」
闇姫はそれだけしか答えなかった。
「あんた達がうちの山で無茶やってくれたんで、始末をつけなければならないんだ。悪いな」
「……ふっ。……たわむれに聞いておくが、妾の邪魔を止める気は無いか? そなたが望めば男としての喜びを存分に与えることぐらいは造作もないが?」
「僕にも女性の好みがあるさ」
「……そなたは殺してから犯し抜いてやろう」
止郎が走り出すと共に、左右の女達が闇姫をかばうように行く手を遮る。
突き出される槍をかいくぐって、涼子に迫った止郎を長刀が遅う。舌打ちして身を翻したところに、鋭い槍の突きが何度も襲いかかった。
「止郎!」
手助けをしようとした夏妃の肩に、冷たく青白い手がかかる。
「邪魔をしてはなりませんわ」
愕然と振り向く夏妃の首筋に生臭い息が掛かった。
痛みと共に全身が止めどもなく冷えて知覚を失っていくような感覚に襲われる。
じゅるりじゅるりと嫌らしい音を立てて血が吸われ、夏妃の脳裏を絶望が占めた。
「そんな、心臓をつらぬいて倒したはず……」
「この双破を滅するには、少しばかり足りませんわ」
その言葉と共に吸血姫は、首筋につけた唇を離し、力が抜けた夏妃の体を押した。
槍と長刀をかわして戻ってきた止郎が、夏妃の体を受け止め、山門の真ん中で立ち止まる。
「……嫌な気配は、あんただったか」
「好ましい殿方を追いかけるのはたのしゅうございました」
血に濡れた唇で双破は優雅に微笑んだ。
「さて、剣術遊びは、そろそろ仕舞いにせんとな」
闇姫が言うと操られた二人の巫女が、音もなく止郎を囲み、印を結んで、呪詞を唱え始める。
山門に設置された阿形と吽形の二つの仁王像が割れ、中からわき上がった大量のツタがうねくって止郎をうかがうようにうねった。
双破が大鎌を振りかざし、闇姫が組んでいた手をほどき、優美な装飾のついた直刀を抜く。
止郎が夏妃を横たえ、腰を少し落として抜き打ちの構えをとる。
しばし、静寂の時が過ぎる。血が滲むがごときの緊張が山門を包んだ。
林のどこかで鳥が奇怪な叫び声をあげ羽ばたく音が続いた。それが死闘の合図だった。
うなりを上げてツタが止郎に殺到する。同時に飛び上がった双破がツタごと両断せんばかりの勢いで大鎌を振るい、闇姫が呪詞を唱えながら直刀を振るい、闇色のきらめきが止郎に迫った。
止郎は動かなかった。
ツタの大群が止郎を飲み込もうとした瞬間、鈍い褐色の光が二閃、三閃しただけであった。
それだけで双破が苦鳴を放って大鎌を取り落とし、闇姫は驚きの表情で直剣を構えなおして一歩退き、そしてツタは止郎を避けるように地面に倒れ 力なく震えていた。
「大雪山工藤流念法」
斬撃の前と寸分変わらぬ姿でそれだけを止郎はぽつりとつぶやいた。
止郎の胸にかすかな光がともっていた。止郎の開けたチャクラである。
止郎は未だ胸で止まっていたが、師匠なら頭頂のチャクラまで開き、聖人のごとく後光が差すであろう。
また、師匠と違い、その木刀も無銘である。
だが無銘とはいえ、魔を討ち妖を退けてきた念法と神守の幾多の血と汗の結晶でもある。
止郎の胸にともる光をみて、闇姫ははじめて笑いを消し、憎しみに顔を歪めた。
「青臭い小僧めが、聖人のまねごとで妾の邪魔をするか!」
「親父とお袋、そして殺された一族の無念、おまえに払ってもらう」
ゆっくりと晴眼に構えられた木刀から、凄烈な気がほとばしり、闇姫はさらに一歩退いた。
二人の巫女も、吸血姫も、止郎の体から放たれる凄愴な鬼気に、指一本を動かせなかった。
「かっこいいね、止郎兄さん」
骨がらみの鬼気を破ったのは、四人目の巫女であった。
山門へと降りてくる、闇に沈む参道にその巫女はいた。
止郎の放つ鬼気を全く意に介さず、場違いに手を叩きながら、屈託のないにこやかな笑いを浮かべて、ゆっくりと参道を下り歩み寄る。
小夜璃であった。
「くく、双破に闇姫、そして神守のお二人、役者がそろってるではないか」
小夜璃の後ろから、巫女装束をだらしなく着崩す夕蠱が従っていた。
「生きていたのか……と喜びたいが、……処女だけではなく心まで犯されたか」
構えを八相に変えて、止郎がつぶやいた。後の先をとる状況対応型の構えである。
「生まれ変わったと言って欲しいな、止郎兄さん。私は真の神守の巫女になれたの」
「……すまない。おまえまで邪神の犠牲にしてしまった」
「くくく、剣士殿は我らの悦びをまったくわかっておられない」
止郎の苦いつぶやきは、すげない嘲笑で断ち切られる
「仕方ないわ。男だもの」
「では、主様によって女に変えて、わかっていただきましょうか」
唾液をすする音と共に、異様に赤い舌で夕蠱は己が唇をなめ回し、胸肉を自らもみしだいた。
目が淫猥な期待に輝いて、小夜璃をみる。
「……そうね、それはいいわ」
小夜璃の目にも暗く淫蕩な光が宿った。
「千巳様に穴という穴を愛していただき、逸物は残して我らが孕むまで絞りましょうぞ」
「ええ、そして出来た子をまた千巳様に捧げ、その子も止郎兄さんに孕ませてもらって……。永遠に千巳様に喜んでいただきましょう。」
夕蠱が己の胸を弄んでいた腕を降ろす。にも関わらず妖女の豊かな胸は見えない手に弄ばれるようにひしゃげ、蠱惑的に形を変えた。
悩ましげな吐息を吐き、夕蠱は足を広げる。巫女装束だった胴衣が、緋袴が、次第にほつれ、蛇のごとく妖女の体を這い回りまさぐる。
蛇とも陰茎ともつかなくなったものが、妖女の股間に差し入れられて、妖女の顔はだらしなく融けて呆けた。
「おおおぉぉぉ、主様が……そこの剣士を貫けば、……その剣士には……闇姫を犯させて、あひぃぃ……孕むまで出させましょうぅぅぅぅぅ」
小夜璃の控えめな胸も、すでにはだけられて、無数の細く白い糸ミミズのようなものが、至るところをいやらしく這いずっていた。
胸の頂きでは、それらが薄桃色の乳首に巻き付いて縛りあげ、その体を埋めたり出したりしていた。
「はぁぁぁ止郎兄さん、主様はぁぁぁ、こんなにぃぃ……すばらしい……のよ」
股間から小水がだらしなくも勢い良くほとばしり、濡れ光る愛液が、幾筋も跡をつけて、腿を臑を濡らした。
「あぉぉ、男では珍しくぅぅぅ、主様が、……止郎兄さんを気に入ったのぉぉぉ。……だからぁぁ、止郎兄さんにはぁぁぁ、可愛いおっぱいをぉぉぉぉぉ、……はぁあぅぅ、……つけてあげるうぅぅぅ。
おしりも綺麗にしてあげるしぃぃ、あそこは処女ぉぉぉおおおおおおおお……」
その絶叫と共に、肉縄があふれた。二人の髪から、股から、地面から、影から、肉蛇が現れ、うごめく肌色の草むらとなる。
「闇姫様、双破」
「お母さん、お姉ちゃん、止郎兄さん」
夕蠱や小夜璃にからみついた肉縄は、確かに二人の喉を犯し汚してうごめいていた。
なのに、二人の声は、奇妙なことにいささかもくぐもることなくはっきり聞こえた。
「「ここで贄にしてあげる」」