高野信二郎には姉がいる。……らしい。  
 それは今までに何度か一人っ子なのに『二郎』ってなんだよ? と思ったことはある。し  
かし、まさか会ったことも無い姉がいるとは。  
 話はこうだ。信二郎が生まれる五年ほど前――現在から換算すると十九年前――、ま  
だ高校生だった信二郎の両親の間に子供が出来た。二人の強い希望でその子供は出産  
することになったのだが、世間体やら経済的やら諸々の事情で子供の居ない老夫婦のと  
ころへ養子に出されることになった。  
 両親とその老夫婦はしばしば連絡を取り、姉にもたまに会っていたらしい(全て信二郎に  
は内緒で)。けっこううまいことやっていたのだ。  
 それが、先月その老夫婦が亡くなってしまった。長く寄り添い歩んできた二人は、最期の  
時ですら一緒だったのだ。  
 そして一人残された姉を、信二郎の両親が引き取る(引き取りなおす)ことになったのだ。  
 
 
「おう。はいはい。オーケーオーケー」  
 父の俊也が電話片手に信二郎を見る。信二郎は首を横に振った。  
「はいよ。それじゃ」  
 通話を切った俊也は「後十分くらいでこっちの駅だとさ」と告げた。後十分。『姉』が来る。  
「おい信二郎、お前迎えに行け」  
「なんで俺が」  
「いいから。ほら、はやくしないと来ちゃうだろ」  
 信二郎はいそいそと玄関に向かった。言われたから行くのではない。数日前に『姉』という  
存在を知ってから、信二郎の胸には何か色々なものが混ざり合ったマーブル模様の想いが  
渦巻いているのだ。逢いたいような、逢いたくないような……きっかけがあれば、やはり一刻  
も早く逢いたい。  
 信二郎は駅までの道を歩きながら携帯を開き、俊也に送られた姉の画像を見る。  
 どこか似ている。しかしいわゆる『生意気なクソガキ』な自分と違って、優しそうな顔立ちの  
女だった。さらりと降ろした黒髪と相俟って、日本人形のような印象を与えた。名を碧という。  
「ミドリ、か……」  
 ということは『ミドリさん』とでも呼べばいいのだろうか? いやいや、仮にも姉弟なのだから、  
『姉さん』くらいのほうがいいのかもしれない。  
 駅の近くまで来た。信二郎は、まず最初になんと声をかけようか、とか相手のことをなんと  
呼ぼうか、そんなことばかりを考えていた。  
 やがて遮断機の警報がやかましく鳴り響き、数分後に電車が駅に停まった。ぞろぞろと乗  
客が下りてくる。その中に、彼女は居た。  
 きょろきょろと辺りを見回し、信二郎の姿を見咎めると、早足で近づいてきた。  
「信二郎、くん?」  
 ソプラノの声が耳に心地好い。何と言おうかずっと考えていたというのに、穏やかな瞳に見  
つめられると思考が全部吹っ飛んでしまい、結局「はあ」と間抜けな声を出して頷くことしか  
できなかった。  
 そんな信二郎だったが、碧は満足したように微笑んだ。  
「やっと逢えた……わたし碧っていうの。あなたの、お姉ちゃんだよ」  
 碧は「よろしくね」と手を右手を差し出してきた。信二郎はまた「はあ」と間抜けな声を出して  
その手を握り返した。信二郎が外で待っていたせいか、ほんのりと暖かい手だった。  
 
 家路を歩く間、碧は終始喋り続けていた。いわゆる『大和撫子』風な外見と裏腹に、もと  
からよく喋る人なのか、それとも今は特別はしゃいでいるのか。普段から口数の少ない信  
二郎はもっぱら聞き役に回っていたが、聞きたいことは碧が自分から喋ってくれるので不  
満はなかった。ついでに、別に聞きたくないことまで喋ってくれるのだが。  
「そうそう去年のシンジロの運動会ね。わたしも話聞いてたから、こっそり見に行ってたの。  
後で写真くれるって言うけどさ、やっぱり自分の目で見たいじゃない」  
「……気付かなかった」  
「そりゃあ『こっそり』見に行ったからね。シンジロって足速いんだね。わたしの運動的な要  
素全部持ってちゃったみたい」  
「陸上部だったから」  
「あ、そうなんだ。どおりで……わたしなんてテニス部だったけど、全然だよ。もうぜーんぜ  
んダメ」  
 信二郎はひっきりなしに喋る姉に適当に相槌を打ちながら、頭の中では碧と呼ぶか姉ち  
ゃんとでも呼ぶかと、未だに悩んでいた。いろんなことを喋る碧だったが、こればっかりは  
信二郎自身から切り出さなくちゃどうにもならないだろう。  
 ――碧さんでいこう。意を決して信二郎は口を開いた。  
「あのさ、碧さん。碧さんって呼ぶけど……」  
「だめ」  
 それまでずっとおっとりした喋りだった碧が、初めて強い――どこか拗ねた子供のような  
口調で言った。  
「ヤだ。『お姉ちゃん』って呼んでよ」  
「ヤだって……」  
「わたしさ。弟が居るって知った時からずぅぅっと『お姉ちゃん』って呼んでもらうのが夢だった  
の。だから、ね、お願い」  
 信二郎はほんの少し迷った。『お姉ちゃん』というのはどうも気恥ずかしい。が、この期待に  
輝く瞳を前にして、無下に断れるほど鬼畜ではない。  
「お、お姉……ちゃん」  
 碧の顔がより一層明るくなった。照れくさそうに笑って、頬を掻く。  
「変な人だね。み……お姉ちゃんって」  
「え、うそ!」  
 碧は目を丸くした。全く自覚が無いらしい。  
 その後も、家に着くまで碧はころころと表情を変えながら途絶えることなく喋り続けた。  
「ここが俺の……っていうかこれからお姉ちゃんも住む家」  
 なんのことはない一軒家だが、碧は「へー、ほー」と隅々を見渡した。  
 両親と碧とはもとから知った仲だったので、軽い挨拶だけで済んだ。  
 しばらくはぎこちなくなるかもしれないが、ゆっくり慣れていけばいい。信二郎はそう思って  
いたが、俊也のアホ(もはや信二郎の中では彼に父の威厳など欠片も無い)やどこかズレて  
る碧が相手なのだ。そうセオリー通りに進むはずがない。信二郎は俊也の一言で自分の甘  
さを痛感した。  
「そうそう、俺ら夫婦水入らずで旅行行ってくっから。お前さんら二人になるけどよろしく」  
 なに? なんだって?  
「りょーかいです!」  
 混乱する信二郎を尻目に、碧はなにやら嬉しそうに敬礼のポーズを取っている。  
「一週間くらいで戻るから〜」  
「一週間!?」  
「まあがんばってな」  
 と、俊也は母を連れて本当に行ってしまった。  
 ありえねえ……信二郎は声にならない声で呟くが、それで両親が帰ってくることもない。  
 二人だけになった家に、間取りを見て回る碧の楽しげな足音が響く。  
 
「シンジロシンジロ、今日の夕飯何がいい?」  
「なんでも」  
「んー。寒いからなあ。お鍋とか……シチューにしよっか!」  
 状況がよくわかっていないのか、碧はいちいち楽しそうだ。信二郎の方は、正直どうしたらい  
いかわからないでいる。この状況、おそらくは俊也なりの配慮なんだろうが、本当に勘弁して欲  
しい。  
「よし、それじゃあ、はりきって料理しちゃいます! その前に、はりきって買い物しちゃいます!」  
「いやそんなにはりきらなくても……」  
 碧は財布を引っつかんで颯爽と玄関を出て行く。そして戻ってくる。  
「スーパーってどこ?」  
「……」  
 
 
 結局、道案内兼荷物持ちということで信二郎は碧に付いて行くことにした。踊るような足取り  
の碧の後ろを仏頂面の信二郎が買い物かごを持ってくっついていく。  
「次、お肉お肉」  
「……」  
「なんか果物食べたいかも。シンジロは何が好き?」  
「基本なんでも」  
「じゃあリンゴだね。リンゴ」  
 シチューの材料だけでなく余分なものまで相当買い込んだので、買い物かごが重くて仕方な  
い。  
 家に帰るまでの間、中身のぎっちり詰まったビニール袋を全部持つのはさすがに辛い。碧に  
ひとつだけ持ってもらって、二人は並んで歩く。  
「さっすが男の子。わたし一人だったら、運べなくてぼーぜんとしてるところだよ」  
 だったら最初からこんなに買わなければいいだろ――口には出さない。  
「うん。うん。シンジロが頑張ってくれたから、わたしも頑張るぞ!」  
「よろしく」  
 正直に言えば、不安でしょうがない。どうも今までの言動を見るに、台所から火事が起こる危  
険すら考え得る。素で砂糖と塩を間違えるかもしれない。  
 とはいえ信二郎に料理を手伝えるかと言えば、首を横に振るしかない。  
 家に着くなり早速まな板に向かう緑を気にしながらも、信二郎はリビングで漫画を片手に過ご  
す。  
「ロマンティックあげーるよー、ロマンティックあげーるよー」  
 無駄にクオリティ高い歌声を聞いて、信二郎の不安はさらに増していく。何故に夕飯が用意さ  
れるのを待ってる間に胃に穴が開きそうな思いをしなきゃならないのか。カチャカチャと食器か  
何かがぶつかり合う音さえ恐ろしい。  
「シンジロ。できたよ!」  
 その声が聞こえた時、信二郎は胸を撫で下ろした。夕飯のできが気になるものの、食器の  
用意をしに行く。  
 テーブルの中心にどかっと置かれた鍋。その蓋を開けるのが、少し怖い。深く呼吸をして、  
勢いよく開ける。  
 普通だった。予想外に何の変哲も無い、むしろよくできたクリームシチューのようだ。少なくと  
も、見た目は。  
「シンジロ嫌いなものとか無い?」  
「特に無いよ」  
 信二郎は碧がシチューを盛り付ける間にも、何か異物が入っていないかチェックした。が、  
それらしきものは見当たらない。今のところは安心だ。  
「いただきます」  
 おそるおそる口に運んでみる。  
 ……普通だ。いや、普通というより、美味い。  
「美味い……」  
 冷静に考えれば失礼極まりない驚きのせいで、自然に言葉が漏れた。碧は鼻の頭を掻いて笑  
った。  
「嬉しいな。うん。ホントに嬉しい」  
「料理うまいんだ。お姉ちゃん」  
「んー、まあ、お姉ちゃんだからね」  
 相変わらず言ってることはよくわからないが……  
 心底嬉しそうな笑顔の前でなら、箸も進むというものだ。普段小食の信二郎だが、この日ばか  
りは胃がもたれるまで姉の作ってくれた夕飯を頂いた。  
 
 
 やはり碧は頭のネジが緩んでしまっているらしい。  
 信二郎がそう再確認したのは、夕飯の後片付けを終えた時、碧がとんでもないことを言い出  
したからだ。  
「ねえ……お風呂、一緒に入っちゃあ、駄目、かな……?」  
 返す言葉も見つからずただ眉を顰める信二郎に、碧は慌てて言いつくろう。  
「いや、違うのよ別に男の子の裸が見たいとかそういうわけじゃなくて……ただ。わたし弟と流し  
っことかしてみたかったからさ」  
 どんな動機にせよ、大学生の女が弟と一緒に風呂に入ろうとするなど異常だろう。  
「悪いけど」  
「あ、そ、そう……うん。そっか」  
 碧はぎこちない苦笑いを浮べた。信二郎は胸にちくりと刺さるものを感じたが、まさか頷くわけ  
にもいくまい。  
「じゃあ、お姉ちゃん先に入っていいよ」  
 信二郎がこう言うのは、もし信二郎が先に入った場合――  
 
「信二郎……一緒に、お風呂入ってもいいかなぁ〜? お姉ちゃんと、記念に」  
「お、俺先にあがるから」  
「いいじゃあないか! 姉弟なんだから〜」  
 ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨  
 
 ――な展開も有り得る。その予防のためだ。  
「ん。わかった。じゃあお先に」  
 風呂場に入っていく碧の背中を見送って、信二郎はほっと溜息をついた。とりあえずしばらくは  
ゆったりできそうだ。……ソファに座り込んでテレビをつける。しかし、テレビよりもシャワーの音  
が気になってしょうがない。  
 やがて水音が止み、ちょっとして碧が現れた。信二郎はソファから転がり落ちそうになった。  
「な、何やってんの?」  
「え? 何が?」  
 碧はきょとんとした顔で聞き返す。首筋に張り付いた濡れ髪やほんのり上気した頬がやけに  
艶かしい。しかし何よりも問題なのは、バスタオルを身体に巻いただけというその格好だ。乳房  
や腰のくびれ、尻の形まではっきり見て取れる。鎖骨や太腿に至ってはむき出しのもろ見えで  
ある。思春期の少年には少々刺激が強すぎる。  
「その格好!」  
「あ、これ? ごめんね。荷物から下着出すの忘れてて」  
 碧はさして悪びれた風もなく、持ってきた荷物から下着を漁り始めた。屈んだ時に、足の付け  
根の辺りがかなり際どいことになった。  
 信二郎は視線を碧から引き剥がして風呂場に駆け込んだ。いつもより勢いを強くしてシャワー  
を浴びる。まだ足りない。温度も上げる。さっき見た映像が頭の中から消えてなくなるまで熱い  
シャワーを浴び続ける。  
 よし、もう大丈夫だ。風呂から出る。が、そこには碧が脱いだ服――下着までも放置されてい  
るのだ。勘弁してくれ、と信二郎は心中で溜息をついた。つとめてそれを意識しないようにして、  
身体を拭いて服を着た。  
 
 今日は疲れた。信二郎はもうさっさと寝たい、と思ったが、問題がまだひとつ残っていた。碧の  
寝る場所だ。両親の寝室が空いているからそっちを使わせるべきなんだろうが……  
「お願い! 今夜だけでいいから、ね!」  
 さっきから碧が両手を合わせて「一緒に寝よう」とせがんでくるのだ。さっきお風呂我慢したん  
だから、としつこく食い下がってくる。  
「お願いお願いお願い!」  
「……わかったよ」  
 ついに信二郎が根負けすると、碧は弾けんばかりの笑顔で抱きついてきた。  
「シンジロさいこー!」  
「わ、わかったから……」  
 信二郎はほとほと困り果てながらベッドの中に入った。いつも寝ているはずのベッドなのに、  
くつろぐどころか緊張してしまう。そして碧が布団の中に潜りこんできた。  
 ぴったりと身体が密着している。信二郎は碧の方に背中わ向けて横向きに寝た。すると、碧  
は信二郎の身体に腕を回して抱き締めてきた。  
「ちょっと……」  
「寒いから」  
 絶対違うだろ、と声には出さずにぼやく。  
 背中に押し付けられた乳房の柔らかさに、信二郎はごくりと生唾を飲み込んだ。碧の身体が  
暖かい。石鹸の匂いが鼻腔をくすぐる。さっき見た半裸の碧が、生々しく瞼の裏に現れる。  
「ちょ、ちょっとごめん」  
 信二郎はベッドを抜け出しトイレに向かった。  
 ズボンを下ろして便座に座る。信二郎の一物はかつてないほどに硬く大きくそそり立っていた。  
 信二郎は右手でそれを擦り上げる。脳裏に思い描くのは、バスタオル姿の碧。そこからさらに  
バスタオルを引き剥がす。あの乳房はどんな感触がするのだろう。大きさこそ目を見張るわけ  
ではなかったが、形のよい乳房だった。あの柔らかそうな太腿の奥の陰部はどんな色をしてい  
るのか。どんな匂いか。入れてみたら、どんな心地がするのだろう。  
 そこまで考えて、信二郎は妄想の中の碧に向けて射精した。  
 
 
 再びベッドに入ると、碧はもうすうすうと寝息を立てていた。なんだかんだで彼女も疲れていた  
のだろう。  
 しかし信二郎が隣に寝ると、またも抱きついてきた。起きていたのかと思ったが、そうではない  
らしい。信二郎は少し考えて、相手が眠っているならと今度は碧と向かい合うように横になった。  
 穏やかな寝顔がすぐ近くにある。肺一杯に香りを吸い込めば、石鹸の中にたしかな女の匂いが  
混じっているのがわかる。  
「ん……」  
 碧はさらに信二郎のからだを引き寄せて、足まで絡めてきた。寝息がこそばゆい。  
 信二郎は良心の呵責を感じながらも、欲望に負けて乳房の間に顔をうずめた。  
 碧の手、足、胸……今日初めて会ったはずの相手なのに、こうして抱かれていると不思議と安  
心できる。この人は本当にお姉ちゃんなんだな、と信二郎は思った。  
 碧の柔らかな温もりと仄かな香りの中で、信二郎はいつの間にか眠っていた。  
 
 
 
 

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