「あ。そーいや、こないだコクられちった」  
 沙織のやつが、なんかのついでのようにぼそりと呟いたのは、昼休みの教室で向かい合って食べてた弁当も、そろそろ終わろうかという頃合いだった。なんだ、自慢話かい。それにしても、こんな色気のないやつにコクるなんて、物好きもあったもんだ。  
「ふーん。で、だれ」  
 けだるく訊いてはみたものの、別に大して興味があったわけじゃない。沙織も、どうでもいいことのように答えた。  
「あんたのお隣さん」  
「ふーん……って、はあっ?」  
 あやうくスルーしかけて、あたしは目を剥いた。今、なんつった? あんた。  
 沙織は、そんなあたしに向かって、にやりと邪悪に笑い、  
「言ったろ? あ、ん、た、の、お、と、な、り、さ、ん」  
 そんなに莫迦丁寧に言わなくたって、聞こえてるよっ。  
「って、……須藤慶太?」  
「そーそー。たしか、そんな名前」  
「あんたね」  
 あたしは、がくりと肩を落とした。沙織はよろず物事にこだわらないやつで、そこがいいとこでもあんだけど、さすがにコクられた相手の名前くらい、憶えとけよ。  
「どーゆーことだよ」  
「いや、あたしに訊かれてもさ。こっちだってびっくりだよ。中坊だし」  
「いつ」  
「んー。おとつい、かな」  
「どこで」  
「校門出たとこ。待ち伏せされた」  
「なんて」  
「好きです、てさ」  
 沙織はげらげらと笑い出した。  
「いやー。このトシまで生きてて、あんなもん見れるたあ思わんかったわ。真っ赤でどもってよ。純情って題付けて額縁に入れて飾っときたかったぜ。欲求不満のオバハンにでも高く売れんじゃねーか」  
 言ってろ、このオヤジ女子高生。慶太も、どういうつもりなんだ。こんなロクでもない女に。いや、あたしの友だちでもあんだけどよ。あたしは笑うべきか憤るべきか態度を決めかねつつ、  
「で。どーすんだよ」  
「んー?」  
 沙織は、行儀悪く箸をくわえてぶらぶらさせながら、弁当箱の蓋を閉めた。  
「付き合うよ? とりあえず。もったいないじゃん。かーいいし。あんたにゃ悪いけど」  
「はー」  
 あたしは、机の上につっぷした。上目遣いで沙織のやつを睨み付けながら、  
「なんでよりにもよって。姉代わりとしちゃあ、ぜってーおすすめしたくねー。つか、断固阻止してえよ」  
「友だちがいのかけらもねーな」  
「胸に手え当ててみな」  
 神妙な顔して、ほんとに胸に手え当てやがった。  
「やっぱ、どんより欲望に曇った目えしたどっかの剣道バカとは違って、純真でつぶらな瞳には、あたしのキレイな心はちゃんとお見通しだったのねっ。沙織、うれしいっ」  
「げー。言ってろ。バカ」  
 何、胸の前で手え握って、目え輝かせてんだ。そんなのは、幼稚園に入る前に卒業したはずだろが。  
 沙織は、またもやげらげらと笑ってから、あたしに尋ねた。  
「で。あんたは?」  
「あたし? が、なんだよ」  
「いや。どーすんのかなー、って。姉代わりなんだろ。説教こいて止めるとかせんの?」  
 あたしは深くてでっかいため息をついた。  
「ヤボはしねーよ。どーせ、すぐ目え覚めんだろーし。慶太もかーいそーに」  
「ふふーん?」  
 いやに余裕かました笑顔見せてくれんじゃん。あたしは舌打ちし、ふと思いついたことを訊いた。  
「それにしても、あんた。いつの間に」  
 あたしの知る限り、慶太と沙織の間に、そんな接点なんてないはずだ。だが、沙織はあたしの険しい視線なんてへっちゃらって感じで、しれっと答えた。  
「さーて、ねえ?」  
 
   
「ただいまー」  
 玄関で、慶太の声がした。あたしは料理の手を止めず、答える。  
「おう。上がんな。風呂、沸いてっから」  
「ああ」  
 ダイニングキッチンの入り口で、どさりと重たいものが床に置かれる音がする。火を弱めて振り返ると、背をちょっとかがめるようにして、道着入れと竹刀袋をさげた慶太がこっちを覗き込んでた。また、背が伸びたんじゃないか。こいつ。  
「今日、なに」  
「肉じゃが」  
「またかよー」  
「うっさいよ。文句あんなら食うな」  
 あたしは、かすかに漂ってきた匂いに顔をしかめて、  
「こら。とっとと風呂入ってこい。それまでこっち来んな」  
「へいへい」  
 慶太は、ひょこひょこと浴室に向かった。まだまだ、あーゆーとこはガキだな。あたしは、ダイニングの入り口に置き去りにされた道着入れを、足で玄関の方へ蹴りやった。臭いんだよ。他人のは特に。  
 慶太がこっちで晩飯食うのは、珍しくもない。マンションのお隣さんで、ちっちゃい頃から親同士が仲良しで、あたしと慶太も姉弟みたいにして育ってきて、どっちの家も共働きで帰りが遅いから、週末以外はほとんど、あたしが慶太のエサの面倒を見ることになってる。  
 あたしがテーブルの上を片づけて、食器を出して、最後の味見をしてると、浴室のドアが開いて閉まる音がした。もう出たのか。いつものこったけど、カラスもいいとこだ。  
「あー、さっぱり」  
 ダイニングに顔を出した慶太の上半身は、肩からバスタオルをかけただけの裸だった。あたしはちっと呆れて、  
「あんた。寒くないの」  
「えー? 暑いよ」  
 バスタオルでぱたぱたと顔を仰ぎながら、イスに座る。ま、いっけどさ。風邪でもひかなきゃいいけど。あたしはテーブルの向かい側で、腰に手を当てながら、しげしげと慶太を眺めた。道場だの部活だので、オトコの裸なんて見慣れてるけど、こうして見ると、  
「あんた。けっこう、いいカラダになってきたね」  
「きゃあっ。里香がエロい目で見るっ。やめてっ」  
「あほ」  
 わざとらしく腕で胸なんかかばうなっての。あたしはこめかみに指を当ててため息をついた。慶太は、へへへ、と笑って、胸なんか張って見せる。  
「だろ? 最近、がんばってっからよ」  
 確かにここんとこ、道場から帰ってくるのが遅いのは知ってた。  
「今度の審査、受けんだ?」  
「ん。これでやっと追いつくな」  
「受かりゃね。中坊で二段て、欲張りすぎてねえ?」  
「いーじゃん。挑戦すんのは自由だろ」  
 ま、そりゃそうだけどさ。  
「メシにすっか。ご飯、よそりな」  
「おう」  
 慶太は立ち上がり、あたしの横で炊飯器のふたを開けた。なんか……この台所って、こんなに狭かったか。あたしと二人並ぶと、妙に窮屈だった。ほんとに慶太のやつ、こんなにがっしりしてたっけか。背も、女にしちゃのっぽのあたしを何ヶ月か前に抜いちゃったし。  
 なんか急に憎たらしくなって、肘で脇腹をこづいてやった。  
「うお。なんだよ」  
「別に。ジャマなんだよ。ガタイばっかでっかくなりやがって」  
「なんだよ。手伝ってやってんだぜ」  
「あー? 誰のおかげでメシ食えんだ?」  
 あたしが薄目で凄むと、慶太はひきつった笑いを浮かべて、頭を下げた。  
「あー……里香様の、おかげです。あっしが悪うござんした」  
 分かりゃいーんだ。黙々と配膳を終えると、さすがに少し寒くなってきたのかTシャツを着た慶太とあたしは、向かい合って腰を下ろした。  
「そーいや、里香。師匠、ちょっと気にしてたぜ。最近来ねえなって」  
「部活でね。二年は何かと忙しいんだよ。師匠にも断ってある」  
「そりゃ、知ってっけどさ。なんか、里香がいねーと、こう……調子出ねえんだよ。あっこ。じゃ、いただきます」  
「いただきます。そーかい。そのうちに、顔出すよ」  
 道場に通い始めたのは、あたしが先輩だ。小さい頃は体が少し弱かった慶太を誘ったのもあたしで、中学までは道場で一緒に汗を流す時間も長かった。そういや最近は、お互いに時間が合わなくなってきてんだな。トシ取りゃ、あたりまえだけど。  
 まあ、そんなことよか。  
「ところで。あんた。コクったんだって?」  
 
 慶太はちょうど味噌汁をすすってたとこで、かわいそうに、盛大にむせた。あたしは生温い視線で、その様子を見つめる。慶太は、涙までにじんだ情けない目でこっちを見ながら、  
「な……?」  
「三島沙織。あたしのダチ」  
「げ……」  
「知らんかったんだ。んとに」  
「なんだよそれ……」  
 慶太はテーブルの上に、ごん、と額を打ち付けた。こら、メシの最中だぞ。あたしはため息を一つついて、  
「まー、あたしとしちゃあ、あんたの女を見る目のなさに絶望したー、っちゅーかね。そんな子に育てた覚えはねーぞ、っちゅーか」  
「悪いかよ」  
 追い打ちをかけようとしたあたしは、でも口をつぐんだ。こっちを睨み付けた慶太の口調と表情の何かが、あたしを思いとどまらせた。あたしは目を落として、肉じゃがに箸をつける。  
「悪かねー、けど、さ」  
「オレ。マジなんだ」  
「そ……っか」  
 こいつの声って、こんなに低かったろうか。こんなに、力強かったろうか。なんか、初めて話す相手みたいだった。んなわけあるか、とあたしは頭を振り、  
「いきさつくらい、教えろよ。友だちと弟分に勝手にコソコソされたんじゃ、あたしも顔が立たねえから」  
 慶太は、しばらく無言でメシを食ってた。それからぼそりと、  
「文化祭」  
「は?」  
「里香んとこの」  
 ああ。先月の。そういや、こいつも来てたんだっけ。あたしは部の模擬店で忙しくて、ほとんど相手なんかできなかったんだけど。  
「たまたま、絵の展示してるとこ通りかかったら、じっと絵見てる人がいて。すげえ長いこと、身動きもしなくてさ。なんなんだ、って、オレも立ち止まって見入っちゃって」  
 慶太は、また少し黙った。そしてそっぽを向いてから、  
「横顔が。すげーキレイだった」  
「はー……」  
 なんて返事していいやら。そりゃ、沙織のやつも、鼻筋がわりかし通ってて瓜実顔だから、大人しくしてりゃ角度によっちゃ美人に見えなくもないけど。一目惚れするほどか? あたしにゃ、よーわからん。  
 それにしても、絵の展示ってことは、美術部か。あいつ、確かこないだ、美術部は辞めたっつってなかったけ。なんでそんなとこにいたんだ。  
「んで?」  
「いや。思い切って、声かけてみた。ちょっと話して、名前も聞いて。そーいや、知り合いがいるんで来た、って里香の名前出した時に笑ってたの、こーゆうことかよ」  
 ああ。あんたのこと、何度か話したことあるからね。沙織のやつなら、さぞかしにやにやしてたろうよ。  
「そんだけ?」  
「絵。の、話……を、してた」  
「あんた。絵なんて、分かんの」  
「分かんねーよ。分かんねーけど……絵の話をしてる三島さん、なんつーか……すげー眩しくて。うまく言えねえ」  
「……」  
 なんとなく、思い出す。部活のランニングの途中で見かけた、河原で一人きりでキャンバスに向かいあってた姿。怖いくらいに張りつめてたその背中を、教室の中でも見つけたのは、そのしばらく後だった。  
 まあ、声かけてみりゃ、とんでもないバカでグータラでオヤジな女だったけどな。  
「それで……三島さんの絵も、見た。一枚だけ、かかってて」  
「それで、惚れた?」  
 慶太はあたしのこと見つめながら、一度だけうなずいた。なんの迷いもなく。  
 あたしは、箸の先で味噌汁をかき回す。  
「あんた……もう受験だろ。ウチ、そんなに甘くねえよ。昇段審査だって」  
「分かってるよ。オレだって、考えた。里香ンとこに入ってからにした方がいいんじゃないか、って。それまでに、いろいろカタ付くし。同じガッコにいりゃ、なにかっちゃ機会も多いもんな。こっちゃ、今ンとこ中坊だしよ。でも、待たねえ。待ちたくねえ」  
「……」  
 こいつは、ほんとに慶太なんだろうか。このあたしが、保育園に手エ引いて連れて行ってやって、一緒に遊んでやって、べそかいたらゲンコで泣きやませてやって、竹刀の握り方から教えてやって、おざなりだけどメシなんか作ってやった、その慶太なんだろうか。  
 違う。あたしの目の前で、これ以上はないってくらいマジな眼差しで恋なんか語ってやがんのは、あたしが知らない男の子だった。  
   
 どうして……あたしの胸は、痛いんだ。息が、苦しいんだ。あたしは、羨ましいのか。妬ましいのか。寂しいのか。なんなんだ。これは。いったい、何が起こったっていうんだ。  
 あたしが、言葉なんか見つからずにぼっとしてたら、慶太は照れくさそうに笑った。  
「びっくりするよな、そりゃ。オレもだ。なんか、オレらしくもねーこと言ってんな、って思うよ」  
「いや……そりゃ」  
 あたしに、何が言えるだろう。こんなに覚悟を決めたやつの前で、いったい何を。  
「ま……悪いやつじゃ、ないよ。沙織もさ」  
「そりゃそうだろ。里香のダチだってんなら」  
 お世辞にしても、嬉しいこと言ってくれんじゃん。あたしは、ようやっと、にやっと笑えた。  
「すぐバレっだろーけどさ。がさつだぞ。中身、オヤジだし。女らしさなんて、かけらもねーぞ」  
「んなの、分かってるよ。ちょっと話したときも、愛想なんかなかったし。里香見てりゃ、オンナに夢なんて持てねー」  
「悪かったな」  
 苦笑しか出てこない。慶太が、とても冗談で言ってる顔じゃなかったから。  
「……それでも、か」  
「うん」  
 慶太は、まっすぐにあたしを見た。  
「いいな、って思っちゃったんだ。仕方ないだろ」  
「そっか」  
 あたしは、箸を置いた。もう、話したいことも、聞きたいことも、なかった。それなのに、慶太はぽつぽつとこの週末のデートの予定のことなんか話し出して、あたしはただ、それをぼんやりと聞いてた。  
 県立美術館。土曜の午後二時。フリーダなんとか展。ふーん。そうかい。  
 
 そんな訳で、土曜日の午後二時、あたしは県立美術館のロビーにいた。ふだん着ないようなロングのワンピなんざタンスの奥から引っ張り出して、爪先が痛いパンプスなんざ履いて、つばが大きめの帽子かぶって。さすがに、グラサンは怪しすぎるんで止めたけど。  
 しっかし……そんな訳って、どういう訳で、あたしゃこんなとこにいるんだろうな。美術館なんざ中坊の頃の社会見学以来だし、普段のジーンズと違ってあちこちスースーするし、レストランがバカ高いもんだから昼メシ抜きで腹が鳴りそうだし。なんか、バカみたいだ。  
 ただ、なんつーか、確かめたかったんだ。沙織のやつが、どれぐらい本気で慶太のこと相手にしてんのか。もちろん、完璧にマジ、ってこたないだろう。なんせ、相手は知り合って何ヶ月もたたない中坊だ。コクったのも慶太の方だしな。  
 それでも、あんまりフザけたマネすんなら、あたしも黙っちゃいられない。慶太はバカなガキだけど、それなりに大事な弟分なんだ。好きにもてあそぼうってんなら、こっちにも考えがある。  
 で、そいつを確かめるに、こうやってお二人さんのデートをこっそり遠目に観察しにきたわけだ。あたしも、一体ぜんたい何やってんだかな。いいかげん、バカなことしてるよ。くそっ。それもこれもみんな、あのバカのせいだ。  
 そのバカは、ロビーの柱に寄っかかって、そわそわしながら入り口の方を見てた。もう、二時から十五分は過ぎてる。沙織のやつ、初手からフけるつもりじゃあんめーな。あたしがじりじりしながら待つうちに、いきなり、慶太が笑顔を見せた。  
   
 あたしは、その笑顔に突き飛ばされるようにして立ち上がると、そそくさと展示室へ向かった。後ろから尾けるよか、前から待ち伏せる方が、よく見える。沙織がどんな顔をして来たのか見逃したのに気付いたときは、もう入場してて手遅れだった。まあ、しゃーねえ。  
 展示室の中は、けっこうな人出だった。少し奥の、わりかし人が少ない場所に陣取って、絵を見るフリしながら、入り口の方へ視線を飛ばす。どーゆうわけか、自分がとてつもなくどきどきしてるのに気付いて、その音が周りに聞こえるんじゃないかってヒヤヒヤした。  
 二人が入ってきたのは、たっぷり数分もしてからだった。ちっ、やっぱ中に入るのが早すぎた。ロビーで、どんな話してたんだろ。遠目に見ると、沙織のやつ、イロケのかけらもねえセーターにジーンズ姿だったけど、いつもに比べりゃ、こざっぱりはしてた。  
 ふだんは適当に束ねてるだけのセミロングの髪も、ちゃんと梳かして、赤い髪留めでまとめて背中に流してるあたりなんざ、沙織にしちゃえらく上出来だ。さすがのあいつも、オトコの前じゃあそれなりに気ィ配んのかね。  
 その沙織が先頭に立ち、後ろ手を組みながら主催者挨拶のパネルをじっと見上げてて、慶太はその後ろでぼうっと突っ立ってた。特に会話してるふうもなく、パネルを読み終わったらしい沙織はさっさと絵の方へ向かい、慶太もあわててその後に続く。  
 なーんか、なあ。あれ、ほんとにデートか? あたしは、ことさらにゆっくりと歩きながら、二人が近づいてくるのを待った。その間、他にすることもないから、絵も見てた。フリーダ……何だっけ。そうそう、フリーダ・カーロか。  
 なんてーか、まあ、濃い絵だった。たいがいが、眉がつながった女の絵で、その顔立ちとか色使いとか、しばらく見てるとクラクラきちまう。あたしは絵はこれっぽちも分からんし興味もないけど、なんか、異様な迫力があって疲れる絵だった。  
「なんか、スゴいな」  
 そんなあたしの内心を代弁するかのように、小声でしみじみと言う声がして、そちらに目をやると、慶太だった。うわ。いつの間に、こんなに近くまで来たんだ。あたしは、さりげなく二歩ほど引いて、二人の視界から外れる。それでも、会話は聴き取れた。  
「んー」  
 沙織は、絵から目を離さない。慶太は、そんな沙織を気づかうように、  
「こーゆーの、好きなんだ」  
「あー……どーかな」  
 沙織は、そこで初めて慶太の方へ目をやり、ちょっと照れくさそうな声で言った。  
「慶太にゃ、退屈か」  
「んなこた、ねー」  
 慶太が不自然なぐらいに即答する。どーでもいいけど、もう呼び捨てかよ。おい。沙織のやつは、そんな慶太をからかうように、  
「無理しなくていーんだよ」  
「してねー。いや、そりゃ、よくは分かんねーけど……スゴいってのだけは、なんとなく分かるよ。オレでも」  
「ふーん」  
 また絵に目を戻した沙織の相づちには、どことなく面白そうな響きがあって、でもそれは、なんつーか、嫌味じゃなかった。そのまま、沙織は、食い入るように絵を見てて、慶太は、そんな沙織をずっと見てた。  
 あたしは……もう、十分だった。絵も。沙織も。慶太も。だから、そうっとその場所を離れて、足早に立ち去った。目的は、果たしたんだ。だから、もういい。もう十分だ。  
 いいことなんだ。慶太がマジで。沙織もそれなりに悪い気はしてなさそうで。だから、あたしとしても、とりあえず文句なんかない。そのはずだ。よけいな口出し手出しなんかせずに、姉としてダチとして、見守ってやりゃいいんだ。  
 そうだよ。胸の中がじれったいぐらいにもやもやして、むしょうにかきむしってやりたくなんのは、何もかもが見慣れたものと違ってて、驚いただけなんだ。あんな慶太は知らねえ。あんな沙織は見たことねえ。  
 でも、そのうちに慣れるんだ。当たり前になるんだ。それで、何の問題もねえ。ねえよ。ただ、それまではちっとばっか、頭を冷やさなきゃ、って、それだけなんだ。  
 
 その晩は、週末だったから、慶太はウチには来なかった。あたしは素振りを千本ばかりこなして、ぬるい風呂に二時間ばかりつかって、それでも空が白むまでなんだか眠れなくて、次の日曜はずっと、うつらうつらしながらつぶしちまった。  
 
   
「里香じゃないか」  
 ガッコの帰り、買い物袋をさげながら歩いてたら、声をかけられた。振り向くと、  
「あ。師匠。オス……ごぶさた、してます」  
「おう」  
 道場の師匠と、後輩の子たちが何人か連れ立ってた。最近ちょっと白髪の目立つようになった師匠が、からっと笑って、  
「ほんとに、ご無沙汰だな。何してんだ。部が、そんなに忙しいか」  
「はあ、まあ……そんなとこっス」  
「たまには、こっちにも顔出せや」  
「そーっスよ、里香さん。あたしたちだって、待ってんスよっ」  
「すんませんっス。そのうちに」  
 師匠と後輩たちに頭を下げながら、どうやりすごそうか、考える。道場に行けば……慶太といっしょに居る時間が、増える。それは、今のあたしにとっちゃ、いいかげんツラい。まだ、も少し時間がほしい。  
 晩メシの間の二、三時間だけでも、ここんとこ、えらく気詰まりなんだ。会話も、あんまりない。まあ元から、互いにそんなに喋らねえから、慶太のやつは平気な顔して大メシかっくらってる。照れくさいのか、沙織との話はほとんどしねえ。あたしも、訊かねえ。  
「そういや、ちょっと訊きたいこともあったんだがよ」  
 師匠の声に、あたしは顔を上げた。  
「なんスか?」  
「いや。慶太のこったけどな」  
「はあ」  
 あたしが少し身構えたのには気付かれなかったみたいで、  
「最近、ヘンなんだよ。様子がな。おまえなら何か知ってないか、ってな」  
 心当たりなら、ある。あるけど。ここで、話したくねえ。  
「さあ……特に何も、ないッス」  
「そうか。おまえも分からねえか。審査も近いんで、心配してんだけどな。本人に訊いても、大丈夫ですって言うばっかしだしよ」  
「そーなんですよ。あたしたち、こりゃー里香さんとケンカしたんじゃないか、って」  
「んなこた、ねーよ」  
 何だよ、その興味津々なツラと声は。不機嫌になって目を細めたあたしに言い返されて、顔をビミョーにひきつらせた後輩どもを見ながら、師匠が苦笑いした。  
「いや、何もねえならいいんだけどよ。そうか」  
「はあ」  
 どーせ、沙織のことで頭ン中がお花畑にでもなってんだろ。んなの、面倒みきれねーよ。できるだけ表情を殺して黙ってるあたしに向かって、師匠はにやっと笑い、  
「ま、審査くらいは見に来いよ。弟分の晴れ姿くらい、見てやらにゃあ」  
「そっスね。それは、何とか」  
「やたっ。あたしたちも、何人か受けるんス。約束ッスよ。絶対ですよっ」  
「分かった分かった」  
 あたしは後輩たちにひらひらと手を振り、師匠に丁寧にお辞儀をして、家路についた。ふん。昇段審査か。そんなに腑抜けてんなら、いっそのこと、落ちちまえ。  
 
 昇段審査はその週末で、審査会場に着いたら、もう実技が始まりかけだった。二階席に上ってあたりを見渡し、師匠の姿を見つける。  
「すんません。遅くなって」  
「おう」  
 師匠は、腕組みをしながら、じっと会場を見下ろしてた。  
「そろそろ、始まるぞ。あの組で、今から立ち会うやつだ」  
「っスか」  
 遠目でも、慶太の立ち姿は何となく見分けが付く。けど……なんか。なんだろ。  
「どんな、感じスか」  
 いつもと肌触りの違う雰囲気をまとってるみたいに思えて、師匠に訊いてみた。師匠も、なんか思うところがあるらしい。案外に真剣な顔で、  
「まあ……見てな」  
 始まってみれば、師匠の言いたいことはすぐに分かった。なんつーか、気負いすぎだった。動作のいちいちが早すぎるし、有効打にこだわりすぎて体が崩れてるし、残心もなってない。勝ち負けしかない試合ならともかく、審査であれは、ダメだ。  
 二回の立ち会いが終わったところで、師匠が軽くため息をついて、首を振った。  
「な。ヘンだろ」  
「……」  
 確かに、いつもの慶太じゃねえ。面をかぶると、中坊とは思えないくらい、どっしりと落ち着いた所作を見せるやつなんだ。たぶん、小せえ頃の引っ込み思案なとこが、うまく化けたんだと思う。それなのに、あれはどーゆーこった。  
 あたしは、会場を隅から隅まで見回した。もしかして沙織のやつが来てて、それでいいとこ見せようとでもしてたのか。けど、沙織らしい姿は見当たらなかった。美術館のあたしじゃあるまいし、変装みたいなカッコしてる訳もないから、いりゃすぐ分かるはずなのに。  
 なんなんだ。いったい、何がどうなってんだ。  
「行くか」  
 師匠に誘われて、あたしも一緒に、道場の仲間がたむろってる控え場所に下りてった。慶太は、ちょうど正座して面を取ったところだった。えらく、むずかしい顔をしてた。  
   
「よう」  
 あたしが声をかけると、慶太はちらっとこっちを見て、少しだけ微笑ってみせた。  
「来たんだ」  
「そりゃ。あんたの晴れ姿だしな」  
 慶太は、苦笑いしただけだった。自分でも、分かってんだな。  
「あのさ。もちょっと、肩の力抜けよ」  
「師匠にも言われた。分かってるよ。でも、受かりてーんだ」  
「そりゃ……」  
 師匠に目をやって、軽く首を振って見せられて、あたしは黙った。慶太はそんなことにも気付かない様子で、  
「見てな。午後の形と筆記で取り戻しちゃる」  
「ああ。そうだな」  
 ほんとは、ひっぱたいてでも、目え覚まさせてやりたいとこだった。でも、今のあたしが、そんなことをしてもいいのか、迷った。ええい、あたしらしくもねえ。ただ……それは、あたしなんかより、もっと近くにいるやつの役目なんじゃないか、って、思ったんだ。  
「そーいや、沙織はさ」  
「来ねーよ」  
 当たり前みたく言われて、その瞬間は、意味が分かんなかった。はっとして慶太の顔を見て、でも、そこには、なんの表情もなかった。  
「あんた。それって」  
「オレ、トイレ」  
 慶太は素早く立ち上がり、袴の裾であたしとの間の空気を断ち切るようにして、行ってしまう。呆然とその後ろ姿を見送ったあたしに、師匠が近づいてきて、言った。  
「ま、しゃーないな。これも経験だ。焦るこたねえ。まだ、中三だしな」  
「……」  
「それにしてもよ。やっぱ、心当たりはねえのか」  
「……分かんねえっスよ。あんなの」  
 本音だった。いったい、何がどうなってんだ。見当もつかねえ。いや……まさか。そんなこた、ねえはずだ。だって、あんなにいい雰囲気だったじゃねえか。ちくしょう。ありえねえよ。でも。  
 昼食の間じゅう、慶太はずっとあたしを避けてた。あたしも、あえて話しかけたりしなかった。後輩どもにつきまとわれてるのをいいことに、慶太からずっと目をそらしてた。  
 そうして、午後の形で、慶太のバカが何度もトチるのを見届けたところで、携帯を取り出して、かけた。  
 
「よう。どったん。いきなし呼び出したあ」  
 行きつけのモスで、あたしの向かい側にどさりと腰を下ろした沙織は、のほほんと挨拶をよこした。あたしが睨み付けるのも気にしないふうに、コーヒーシェイクなんかすすってやがる。  
「あんたに、訊きたいことがある」  
 そのくせ、あたしに向けた目は、妙に落ち着いてた。こいつ。分かってやがんな。だったら、こっちも遠慮なんかしねえ。  
「慶太と、なんかあったのか」  
「本人から、なんか聞いたんじゃねえのかよ」  
「とぼけんじゃねーよ。とっとと吐け」  
「んー」  
 あたしから視線をそらして、窓の外なんか見てやがる。その耳でも引っ張って、強引にこっちを向かせようかと思ってたら、  
「別れたよ。あたしからフった」  
 あたしは、目を細めて腕組みをした。そんなことじゃないか、って思ってた。そうじゃなきゃいい、って思ってた。でも、どーしてなんだ。  
「ワケ。聞かせろ」  
「んな義理は……ま、あるか」  
 沙織は、肩をすくめて、小さくため息をついた。  
「別に大したこっちゃねーよ。ちょっと遊んでみて、やっぱガキの相手はヤだな、って、そんだけだよ」  
 自分の目元の筋肉がひきつるのが、分かった。それでも何とかガマンして、  
「そんだけか」  
「ヒマつぶしにゃ、なったかな」  
 ガマンできなかった。気付いたら、テーブルごしに沙織の胸ぐらを掴んでた。向こうも、あたしの目を挑戦的に見返してくる。こいつ。  
「なんか、文句あんのかよ。よくあることだろーが。ちょっとお試しに付き合うくらい」  
「あいつは、マジだった。それは、分かってたよな。それを、てめえの気まぐれで」  
「ああ。悪いかよ」  
 開き直る沙織を前に、なんだか、あたしの怒りは急に冷めた。こいつは、こんなやつだったのか。今まで、あたしはこいつの何を見てたんだ。なんで、こんなやつをダチだなんて思ってたんだ。  
 あたしは、沙織の胸を突き飛ばすようにして、手を離した。沙織はイスの背にもたれかかりながら、ちょっと意外そうな目をした。  
「なぐんねーのかよ。口よか手が早えくせに」  
「んな値打ちもねー」  
 あたしは、自分のトレイを手に立ち上がった。  
「てめえとは、これきりだ。じゃあな」  
 吐き捨てて、立ち去ろうとしたときだった。沙織が、呟くようにして、言った。  
「……仕方ねーんだよ」  
 
 なんでそこで足が止まったのか、よく分かんねえ。ただ、どういうわけだか、聞き捨てならねえ、って思ったんだ。  
「……なんだって?」  
 沙織を見下ろす。沙織は、あたしの方なんか見ずに、下を向いてた。髪の毛が顔にかかってて、表情なんか分かんなかった。  
「だめなんだよ。だめだったんだ。うれしかったよ。コクってもらえて。あたしなんかに。ああ、これで忘れられる、って。でも」  
 こいつ。何を言ってんだ。じっと立ち尽くすあたしの前で、沙織は返事も相づちも待たずに、続けた。  
「でも。あの子に好きって言われて。あの子といっしょに絵を見て。思い出しちゃったんだ」  
「……」  
「あたしは……先輩が好きで、先輩の絵が好きで、絵が好きなんだ。どーしようもなく、好きなんだ。忘れるはずだったのに。諦めたはずだったのに」  
「……あんた」  
 あたしは、沙織の表情を確かめたくて、その向かい側に、また腰をおろした。沙織は、そんなあたしをちらっと見上げて、少しだけ笑う。泣き笑いみたいな、顔だった。  
 あたしは……こんな沙織を、知らない。知らなかった。ほんと、あたしは、今まで、こいつの、何を、見てたんだろう。ちくしょう。あのバカ笑いの下に、こんなもんを隠してやがるなんて。こっちがバカみてーじゃねーか。  
 沙織は、も一度、目を伏せる。  
「ああ。ひでーことしてんのは、分かってんだ。でも、あたしは……こんなんじゃ、あの子にこたえられない。こたえちゃいけないんだ。そうだろ?」  
「……」  
「もっと、いーかげんな子なら……よかったよ。そしたら、あたしだって、もっとテキトーに付き合ってさ。テキトーにごまかせたのによ」  
「いーかげんなやつのワケ、ねーだろ。あたしの、弟分だぞ」  
「そっか……そーだったよな」  
 肩をすくめる沙織に、あたしは目を据えた。  
「一つだけ、教えろ。今の話……あいつには、ちゃんとしたのか」  
 沙織は、あたしの目を見た。そして、小さくうなずいた。あたしはそれで、肩の力を抜いた。  
「そうか。だったら、いーんだ。あんたが、マジでフってくれたんなら」  
「……いーのかよ。あの子」  
「あいつなら、大丈夫だ。あたしは、知ってる」  
「ふーん」  
 沙織は、なんか眩しそうに、目を細めた。  
「あんた……ひょっとして、あの子のこと」  
「ああ。好きだよ」  
 言ってしまってから、それがほんとだってことに、気付いた。ああ。なんだ。そういうことか。バカバカしい。そんな、単純なことだったのか。あたしが苦笑いしてると、沙織も少し目を見張ってから頬笑んで、  
「そ、か……悪いこと、したな」  
 あたしはかぶりを振る。  
「あんたは、悪くねえ。あたしが好きになったのは、あいつがあんたにコクった後だからよ」  
「へええ」  
 沙織は、人の悪そうな笑い方をした。こりゃ、ちょっとまずったかもな。あたしが頬をひきつらせてると、どういうわけか、沙織は細いため息をついた。  
「ちぇっ……あんたなら、殴ってくれるって思ったんだけどなあ」  
「んなことまで面倒見るか。てめえのバカで痛い目にあいたきゃ、よそ当たってくれ。いや。そーだな」  
「何だよ」  
「さっきの話。いつか、あたしにも聞かせろ」  
 沙織は、びっくりしたような顔で、あたしのことを見た。なんだよ。いーだろが。  
「話してくれる気になったらで、いい。でもあたしは……あんたのこと、ちゃんと知りたい。あいつが好きになったあんたのこと。あたしのダチの、あんたのこと」  
 沙織は、じっと黙って、あたしを見てた。それから、にんまりと笑った。  
「そーだな。そんときゃ、ふた晩ぐれえ、寝かさねーぞ」  
 おお、こわいこった。全く、面倒な女だよ。あんたも。あたしも、人のこた言えねえけどな。ったく。自分のことだって、ひとつも分かっちゃいねえんだから。  
 
 夕方、家に帰り着いて、でもあたしが立ったのは、隣の家のドアの前だった。インターホンを押すと、慶太の小母さんが出てくる。  
「あら……里香ちゃん」  
「慶太、いますか」  
「いるわよ。なんだか、うまくいかなかったみたいで、不貞寝してんのよ。里香ちゃん、良かったら喝入れてやってよ」  
「ええと……ちょっと、話があるんです」  
「どーぞ、おあがりなさい」  
 あたしを招き入れると、小母さんは台所に引っ込んだ。このあたりさばけた人で、助かる。あたしは迷わずに、慶太の部屋へ向かった。ドアの前で、一応声だけはかけてみる。  
「慶太。あたし。入るぞ」  
 返事なんて、なかった。あたしは構わず、引き戸を開けて、中に入る。薄暗い部屋の中で、慶太は、ベッドの上で仰向けに横たわって、両腕で顔を覆ってた。  
「……なんだよ。出てけよ」  
 
 あたしは、そんな慶太のセリフになんか取り合わず、無言で勉強机のとこからイスを引き寄せると、背もたれを前にして座り込んだ。そうして、告げた。  
「沙織に、会ってきた」  
 慶太は、ぴくりとも動かなかった。ただ、少ししてから、苦々しい声で、言った。  
「バカみてーだな。オレ」  
「そうかい」  
「舞い上がってさ。すぐにヘコまされて。せめて審査くらい、って思ったら、あのザマでよ」  
「ああ。そうだな」  
「オレ……なにやってんだろーな」  
「後悔してんのか」  
 慶太は、答えなかった。あたしは、静かに言った。  
「後悔なんかしてやがったら、あたしがぶっ飛ばす」  
「……」  
「あんたは、自分で決めたことをした。その結果も、ちゃんと引き受けた。だったら、前向いてろ。あんたは、だれにも恥じることなんてない。沙織にも。師匠にも」  
 それに、あたしにもな。  
 慶太は、ずっと、黙ってた。ほんとに、長い間。あたしも、ずっと、待ってた。慶太が、ぽつりと呟くように言うまで。  
「……好きになってくれてありがとう、って……言ってくれたんだ」  
「……」  
「あたしに勇気をくれてありがとう、って。……なあ」  
「なんだい」  
「オレ……迷惑じゃなかったよな?」  
 腕で目のあたりを覆ったままの慶太は、ひどく弱々しく見えて、まるで、あたしが昔からよく知ってる、お隣の頼りなくて情けないガキみたいだった。  
 でもな。もう、騙されねーよ。あんたは、もう、弱っちい弟分なんかじゃない。あたしになんか助けてもらわなくたって、自分の足で立ち上がれる。ただ、ちょっと時間が必要なだけなんだ。  
 それでも、あたしの言葉は、きっかけぐらいにはなるだろうか。こんなあたしでも、あんたが立ち上がる時に、手ぐらいは貸せるだろうか。そうだと、いいんだけどな。あたしは、柄にもなくおずおずと、でも力をこめて、言ってみた。  
「んなこと。ぜってー、ねえ」  
 慶太は顔から腕をどけて、あたしを見た。その顔は少し笑ってて、だからあたしもにやっと笑ってみせてやった。  
「ま、そう気ィ落とすなよ。まだまだ、世の中いい女はたくさんいらあな」  
 あたしとかな。  
 
 なのに、そんなあたしの気なんから知らずに、  
「三島さんよりいい女なんて、いねえ」  
 慶太は天井を見ながら、きっぱりとそう言った。ふーん。そうかい。  
 あたしはその横顔をしげしげと眺めながら、思う。こいつ、いつの間に、こんなオトコに育ったんだろ。人を真っ直ぐに好きになって、迷わずぶち当たって、玉砕してヘコんで、なのに、自分をフった女のことなんか堂々とほめるよーな、そんなオトコに。  
 だから、しみじみと、言ってみたんだ。  
「あんたも、いい男だよ」  
「バッ……なに言ってんだ」  
 慶太は怒った顔になってこっちを見た。ふふん。耳が赤えよ。ガキめ。  
「からかうと、承知しねーぞ。いくら里香でも」  
「へへ」  
 あたしが片目をつむってメンゴしてみせると、慶太はそっぽを向く。  
 そうだな。今んとこは、あたしの気持ちを口にすんのは止めとこう。あんたの弱みにつけこむようで悪いし、あたしも、心臓がばくばくいってて、うまく言葉にできそうにないしな。  
 でもね。あんたより、いい男なんて、いないよ。少なくとも、あたしにとっちゃ、さ。そいつは、こっから、ゆっくりとっくり教えちゃる。覚悟しとけ。  
「慶太」  
「なんだよ」  
「受験はコケんなよ。あたし、待ってるからな」  
「おうよ。見返してやらあな」  
 ああ。沙織のためにも、こいつは頑張るだろう。自分はもう大丈夫だ、って、惚れた女に向かって胸を張ってみせるだろう。意地っ張りで、頑固で、でも優しいこいつは、そうするはずだ。  
 ほんとに、あたしは、今までにいろんなことを見落としてきたんだな。沙織のことも。慶太のことも。なんて、バカだったんだろう。なんて、ガキだったんだろう。  
 だから、これからは、何も見逃したくない。ずっと、こいつを見ていたい。子どもの頃から、そうしてきたんだ。それがちょっと、互いにじーさんばーさんになるまで続くだけのこった。なんてこたねーよ。  
 だから、手始めに、なかなか起き上がらねーバカを叩き起こすために、あたしは、その上に飛び乗ってみたんだ。  
「わ、バカ。やめろ。こら。ヘンなとこ触んじゃねーよっ」  
 おお、なかなかの反応。ま、そのうちに立場が逆になってくれると、お姉さんうれしいね。……いや。このままでも、それはそれでいいのかもな。などと思ってしまったあたしは、実は相当ヤバいのかもしれねえ。  
 ま、それもこれも、あたしのせいじゃねえ。このバカのせいだから、仕方ねーだろ?  
「この……バカ里香っ。……胸、当たったじゃねーよ……」  
 んー? 今、なんか言ったかい? わざとだよ。それぐれえ、早いとこ気付け。この、バカ。  
 

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