あたしは自分の部屋で緊張していた。さっきのいきなりゆーちゃんに抱き締められて緊張したのもあるけど、
それだけじゃない。
目の前には女性ファッション誌。最新号ではない。結構前の号だ。
中身を確認して、うんと頷いて部屋を出る。階段を下りてまたリビングへ。ゆーちゃんはさっきまでと同じくソファー
にいた。
今度は大人しく横に座る。
「あのね、ゆーちゃん」
ゆーちゃんがあたしをもう機嫌直ったのかみたいな目で見る。緊張してるからそれに応じる余裕はないけど。
声が震えそう。どきどきしてる。
「ちゅー、しよ?」
「なんだよ、かしこまって。みーなら確認せずに不意打ちでするだろ、いつも」
「う、うん、そうなんだけど……そうなんだけど。今回はその、ちょっとね……」
「なんだ、歯切れ悪いな」
あたしは勇気を出して言った。
「舌……で」
静寂。空気が固まる。凝固。ゆーちゃんの表情がびしりと固まった。
「えーと、俺の認識が間違っていなければ、ディープキスをしてくれ、と言うように聞こえたが」
「そ、そうだよ。……して、ほしい」
「ま、まぁ、うん、やる分には良いが」
ゆーちゃんが顎を右手で擦りながら言う。
「ずっと前に、一回やろうとして、みーが恥ずかしがって逃げ出してからやってないだろ、大丈夫か?」
「恥ずかしいけど、でも……ゆーちゃんとしてみたい」
言った。言っちゃった。心臓がどくどく言う。多分顔は真っ赤。あたしより少し高めの位置のゆーちゃんの顔を、
目を、見つめる。ゆーちゃんは解った、というように小さく頷いた。あたしから、見上げれば顔が触れ合うような
距離まで近付いた。こぶしふたつ分くらいの間を空けて、互いの顔が向かい合った
とくん、とくん、とくん、と胸の内から響く音。目を閉じた。何故か背筋がぴりぴりする……触れ合った。
どっちが先に動いたかはわからない。唇が開いて、互いの舌が触れた。
「……っ! ふ、ん、んん……」
触れた瞬間、電撃の様な感覚が全身に突き刺さる。
う、あ、ゆーちゃんの舌、ざらざらしてる……。
ぴちゃ、と水音が聞こえた。お互いの鼻息の音も聞こえる。
「ふぅ、ん、は……ん、ぅぅっ!?」
突然、ゆーちゃんの舌の動きが変化した。あたしの舌を一気に押し込んで、口内に。
「ゆーひゃ、ん、ひゃめ、んぐっ!」
ぐちゃぐちゃという粘着質の音。ゆーちゃんの舌があたしの舌を一方的にねぶる。かきまぜる。歯茎を
さっとなぞり、更にあたしの舌が舌でつつまれる。
絶え間なく、ぞく、ぞく、ぞく、と寒気が走り抜ける。頭にもやみたいなものがかかって……体も細かく反応して動く。
「ゆー、ひゃ……ゃ、ん、ん、ぅ、やぁん……」
あ、あ、はぁぁ……きもち、いい……すごい、よぉ……っ!
口内につばが溜まる。それをこくり、と飲み干した。
ゆーちゃんの、つば……
体が震える。抵抗できない。
唇が離れた。力なく瞳を開けると、つぅ、と唇の間に橋ができて曲線を描いて落ちて行った。口の周りも唾液で
ぐちゃぐちゃになっている。
あ、だめ、ちからが……はいらない。ながされ、ちゃ、う……。
「お、おい。みー大丈夫か?」
声に応じれない。まだ体がぴくぴく動いてる。や、ん……ちゅー、って、こんなに……すごい……。体を思わず動かした、その時。
ちゅく、という粘っこい水音がした。
「!!」
一気に意識が覚醒した。あ、あ、あ、そんな、うそ……!
「ちょ、ちょっと、その……そ、そうだ! 二階の窓開けっ放しだったから閉めてくる!」
「お、おい!」
ゆーちゃんの声を無視してあたしは居間を駆け去って、階段を自分でもどうやったかわらないぐらい早く
昇り、部屋のドアを音を立てて閉めて、そのドアにもたれかかった。
おそるおそるスカートの裾を持ち上げて……。
「う、わぁ、やっぱり」
それ以上は言葉に出さずに心の中で呟いた。うう、これじゃゆーちゃんの事が変態とかスケベなんて
言えないよー……ゆーちゃんは気付いてない、よ、ね?
心臓が破裂しそうな程に波打つ。もしも、気付かれてたら、もしも、もしも――
あたしはそのちょっとキスをされただけで酷い有様になってしまった物を脱ぎ捨て、新しい物を取り出した。
スカートにしみなくて良かった、なんて思考が情けない。手が惨めなほどに震える。
これは後でこっそり洗濯……部屋においておけば大丈夫だよね。よっし、平常心。平常心でゆーちゃんのとこに
行かなきゃ……何食わぬ顔で、うん。
部屋を出て、階段を降りて、リビングへ入って。
「あー、ゆーちゃん、ごめんねー、どこも開いてなかったよー」
少し棒読み気味になった……けど、押し切らなきゃ!
「お、おう。そうか」
「うん、勘違いでー」
そこまで言って、ゆーちゃんが座っているソファーの、さっきまであたしが座っていた場所に、大きいシミが
出来ていることに気付いた。
うそ……
思わず硬直。そーっとゆーちゃんの顔を確認すると、ゆーちゃんは後頭部を掻きながら顔を少し赤くして言った。
「いや、その……個人差はあるし……別にいいんじゃないか」
頭の中になんかよくわからない大爆発の画像。
「ま、まぁ! 気にするなよ! 俺は気にしないし、ほら!」
「ゆ」
「ゆ?」
「ゆーちゃんの……ゆーちゃんの! ばかー!!」
思い切り大声で叫ぶ。ゆーちゃんが耳を押さえてうずくまった。
「お、おま、声がでかすぎ……」
「ゆーちゃんのばか! ゆーちゃんのばか! ばか! ばか! ばかぁっ!!」
「やめんか、近所迷惑だ!」
「ゆーちゃんが悪いんじゃない! 言わないでよぉ……うう……ぐすっ、ひぐっ、ゆーちゃんのばかぁ」
「あああ、泣くな泣くな」
「ゆーちゃんのばか、ぐすっ、う、ひくっ、ゆーちゃんのばかぁ……」
「たく、ほれ、泣き止めよ。な、俺が悪かったから」
ゆーちゃんがあたしの頭を抱いて胸にうずめた。あたしはその胸を両手で叩く。もちろん……軽く。八つ当たり
なのはわかってるくせに、ゆーちゃんのせいにするあたしは本当に子供だ。
自分のあまりの情けなさにまた涙が出そうになる。
勢いに任せて、ゆーちゃんの胸板に顔を押し付ける。
「ゆーちゃんのばか……」
呟いて、黙り込む。とんがった気持ちがすっと落ち着いていく。抱き締められたくらいで気分が落ち着くなんて
……あたしっのほうがよっぽどばかだよ……っ
そっと距離を置いた。
「落ち着いたか?」
「う、うん」
「みー、悪かったな。デリカシーがなかった。すまん」
「違う、ゆーちゃんは別に、そんな、あたしが」
「いいんだよ、こうゆう時は男がこうで」
ゆーちゃんがあたしの頭をぽんぽん、と叩いた。
「さ、落ち着いたとこで、さっきみーが買った菓子でも食おうぜ。紅茶煎れてやるよ」
「あ……うん」
あたしは椅子について、ゆーちゃんは慣れた手並みでティーパックじゃない紅茶を煎れた。レモンが一切れ
浮かんでいる。お茶請けはさっきスーパーで買ったチョコチップクッキー。紅茶はすごくさわやかで、すっきりした。
「おいし……」
「ああ、今回はうまいこと煎れれたな」
笑顔でそう言うゆーちゃん。なんかその姿を見て、また涙が込み上げそうになってしまった。あたしはそれをぐっと
我慢して、懸命に口を動かした。
「ゆーちゃん、ありがとう」
ゆーちゃんは、ん、という顔をした後、笑顔で「おう」と返してくれた。
今度は涙は出なかった。でも、何だか、とても胸がぎゅっ、と締め付けられる感じがした。
なんだろう、この感じ……今までとは、違う。あたしは――