そして夜。俺は風呂に入っていた。もちろん、自分の家でだ。しかし、みーは今日俺の家に泊まることに  
なっている。今日、みーのとこのおじさんとおばさんは旅行で不在。で、俺のかーさんが「晩ご飯にみーちゃんを  
連れてきなさい」と俺に命令。食事終了後、女の子が一人きりは危ないから、とうちに泊まるよう押し切った、  
と……以上、状況分析完了。  
 只今の時刻、二十三時半。いつも晩飯後すぐに風呂に入る俺としては思い切り遅い時間だ。しかし、家族の  
団欒にみーが加わったことで馬鹿騒ぎが起こったり、風呂の順番が変わったり、なんだかんだやってるうちに  
とばっちりを食ってこんな時間に。親父とかーさんは既にお寝むの時間。多分、みーも客間で寝ている事だろう。  
「まぁそれはいいけどな」  
 なんて呟く。今日の昼のキス以降、どうにもみーとの間がぎくしゃくしてしまったのが気になっていた。  
 やっぱ、こっちからみーの中に入れたのがまずかったよな……いや、その後か? いやいや、どっちも  
まずすぎるか? とりあえず、俺自重。反省しよう、うん。  
 とりあえず、明日になってからまた謝って――待て待て、触れずに放って置いたほうが良いのか?  
 すると、突如、ゴンゴンと風呂の扉をノックする音が聞こえた。  
「うおっ、かーさんか?」  
 返事は無い。が、多分かーさんだろう。  
「ごめん、かーさん。うるさかったならすぐ上がるから――」  
「ご、ごめん。ゆーちゃん、あたし」  
「みー?」  
 
 戸惑いを含んだ確かなみーの声。まだ寝てなかったのか  
「ちょっと……眠れなくて。そしたらお風呂が音がしてたから」  
「そか、すまん。うるさかったみたいだからすぐ上がる」  
「ち、違うの。そうじゃないの」  
 浴室の扉のすりガラス越しにみーのシルエットが映っている。ピンクのパジャマだ。  
「ゆーちゃんに……謝りたくて」  
「俺に?」  
「うん、お昼のことで……ごめんね」  
「何がだよ、さっぱりわからん」  
「あっ、あたしがっ、その、ゆーちゃんと、あの……キスしただけで、あんな風になっちゃって、ゆーちゃんは、  
気にしないようにしてくれたのに、あたしは、ゆーちゃんに八つ当たりしちゃって……ごめん」  
「ば、ばっか、何言ってんだ」  
 俺はえらく焦った。本当に焦った。  
「悪いのは俺だろうが。俺が勝手にあんなことをしなけりゃ――」  
「そうだけど、でも、八つ当たりしちゃったから……ごめん」  
 くそっ、好みじゃない。こんな展開は俺の好みじゃないぞ。  
 なーんてことを考えてたら、思わずとんでもない言葉を口から出してしまった。  
「むしろ、俺は嬉しかったけどな」  
 
「……え?」  
「嬉しかったんだよ。みーがキスする前に言ったじゃないか、『ゆーちゃんとしてみたい』って。興奮した。  
ああ、物凄く興奮したさ」  
「ゆ、ゆ、ゆーちゃん?」  
 状況を把握できてないみーの声。俺も状況を把握出来ていない。ええい、かまうものか。後は野となれ山となれ――!!  
「それに、極み付けは、キスの後のソファーのあの様だ。あれで、興奮しない男なんているはずが――」  
「ゆーちゃん、やめて!」  
 その言葉にハッとなる俺。……俺は今何を言っていた? …………死ぬか。  
 俺が思わず頭を抱えた直後、扉の向こうからかぼそい声が聞こえてきた。  
「ね、ねぇ、ゆーちゃん、あのさ」  
「何だよ……」  
 くそぅ、次の言葉はなんだ。変態か、言われても仕方ないな……死にてぇ。  
「あたしに、興奮、したの……?」  
「……はい?」  
 この女の子何をおっしゃる。  
「ど、どうなの? したの? してないの?」  
「い、いや、したかしてないか、で言ったらしたけど……」  
 混乱してるからつい俺も正直に答えてしまう。  
「ふ、ふーん」  
 
 しばし沈黙。みーはすりガラスにもたれて座り込んだのか、みーの背中が映っている。沈黙を破ったのは  
みーだった。  
「……男の子って、えっちな女の子が好きなの……?」  
「えっと……一般的にはそうじゃないか、とは思うが……」  
「そう、なんだ……」  
 また沈黙。  
 もうだめだ、この空気に耐えれない。なんだこの落ち着かなすぎる空気は!? なんかこう、じっとして  
られない、っていうか……その、とにかく嫌だ。よし、俺。ここはウィットに富んだジョークで場を和ませるんだ。  
きっと俺にはできる。いけ!  
 そして、俺は完全に地雷を踏む一言を発した。  
「よし、どうだ、みーも一緒に俺と風呂入るか? なーに、昔は一緒に入ったんだから問題無いって!」  
 そらこい! 次にお前は『ゆ、ゆーちゃん! 何言ってるの!?』と言うのだ! フハハハハ……  
「じゃ、じゃあ、体もちょっと冷えちゃったから入りなおそうかな」  
 ……はい?  
 すると、すりガラスに映っていた、シルエットがゆっくり立ち上がったと思うと上着に手をかけ――おいおいおい!   
 なんて思いつつも、目を逸らすことの出来ない俺。  
 上着が落ちた。次にズボンが足元に落ちる。そして、最後の場所に手がかかり、ゆっくりと足を抜き――   
「ば、ばっかやろ! 何してんだ!?」  
 
 我に帰った俺はそう叫んで慌てて後ろを向く。その言葉は、効果が無かったようだった。何故なら、後ろで  
扉がカラカラカラ、と開く音がしたからだ。ごく、と息を呑んでしまう。ぺた、と足が降りる音。必死に理性を働かせる。  
 振り向いちゃダメだ振り向いちゃダメだ振り向いちゃダメだ不利剥いちゃだm……  
 その努力は全くの無益だった。  
 今度はちゃぽん、と湯に何かが入る音がしたからだ――それもすぐ隣で。そーーーっと横目で確認しようとして  
即座に目を逸らした。みーでなければ有り得ない真っ白な足がそこにあった。落ち着け、クールになれ、クールに  
なるんだ……! クールになれっってんだろうがぁ!!! さっきからバックバクにうるさい心臓を拳で叩く。  
 すると、今度はとん、と背中に何かがもたれかかる。肉質な、それでいて幅広な何か――みーの背中だ。つまり、  
今俺とみーは背中合わせなわけだ……全裸で。  
 もう頭の中は真っ白だ。興奮だとかそんなのは通りこしている。  
 またしても沈黙を破ったのはみーからだった。  
「……ねぇ、ゆーちゃん、振動、伝わってきてるよ……凄いどくどくしてる」  
「し、仕方ないだろ」  
「あたしに……興奮、してるの……?」  
「っつ……!」  
 その問いに更に心臓が激しく動く。破裂しないだろうな……?  
「えへ、また振動が、すごい……」  
「そう言う、みーからも伝わってくるぞ」  
 口からでまかせだ。もう俺は何が何だかわかってない。多分、そうだろう、と思っただけだ。みーはそんなやつだ。  
経験上、わかる。  
 
「やっぱり……わかるよね」  
 そのまま二人黙り込む。音はしない。ただ互いのどくっどくっという振動だけ聞こえる。少し冷静になってきた。  
そういえば、と俺は思い出した。  
「なぁ、みー、こんなこと前にもあったよな……」  
「え?」  
「ほら、何歳くらいだったかな……風呂で互いの裸を見せ合いっこしたじゃないか」  
「あった……ね。そういえば」  
 今でもしっかりと覚えている。あの頃と今じゃ違うだろうが、それでも、下半身の――って馬鹿、俺は何を考えてるんだ。  
「ね、ゆーちゃん、今、もう一度する?」  
「……本気かよ?」  
 何を、と聞くほど野暮ではない。幼き日の行為をもう一度、だ。  
「う、ん……あたしは、したい」  
「そう、か。じゃあ立てよ。俺も立つ」  
 水が湯船に落ちる。もう、みーの声以外聞こえない。目を目一杯に見開いて――  
「じゃ、いくぞ。いち、にの――」  
「さん」  
 合図で振り向いた。  
 見慣れたみーの顔、唇。徐々に下に。もちろん、まず注目したのは胸。おどろく程白い肌の自己主張の弱い  
ふくらみの上に、ピンク色をしたものがあった。……見惚れるのは男として仕方がないことだ、と言い訳しておく。  
名残惜しげに胸から視線を下ろす。程よくくびれた腰、へそ、そして――  
 
 と思った時、みーの体が崩れ落ちた。  
「お、おい! どうした!? ――ってあらまぁ……」  
 みーはのぼせて目を回していた。  
 まぁ、みーも緊張しまくってたってことなんだろう、な。なんて冷静に分析してる場合か。  
 俺は慌ててみーを引っ張り上げ、脱衣場に出した。って、待てよ、拭いてやらないといかないのか……。  
ちょっと視線を下に向けると胸が視界に――って駄目だ駄目だ駄目だ! 見ないで荒っぽくとりあえず拭こう……。  
バスタオルを手にとって、そっと拭き――  
 ふにょん、としか表現しようのない手応えをタオル越しに感じた。  
 ああああああああああ、落ち着け!落ち着け俺!落ち着くんだ!やめやめ!やっぱやめだ!  
 俺は大きめのバスタオルをみーにかけて、そのまま運ぶ計画に変更した。居間のソファーに寝かす。急いで  
脱衣場に戻って自分の服を身に付ける。あまりの状況のおかしさに頭がどうにかなりそうだった。よーし、  
落ち着けよー……落ち着け、本当に落ち着け。クールになれクールになるんだ……よし。二回深呼吸して居間へ。  
「う、うーん……」  
「お、気が付いたか」  
 みーがうっすら目を開ける。  
「急に崩れ落ちるからびっくりしたぞ」  
「あ、あたし……?」  
「のぼせたんだよ、大丈夫か?」  
「あ、うん……きゃ、やだ……!」  
 そこでみーは自分が服を着ていないことに気付いたようだった。  
「服取ってくる」  
 一言言って脱衣場。床にくしゃくしゃに脱ぎ捨てられたみーのパジャマが。意識するな、意識しちゃいかんぞ俺……。  
呪文の様に呟きながら戻って渡す。  
「あ、ありがと……」  
「おう」  
 後ろを振り向く。タオルがぱさ、と落ちる音。そして布が擦れる音が、っていかんいかん。意識するなっての俺。  
思わず床に座り込む。やっと落ち着けそうだった。今度こそ何か言わないと。  
「なぁ、みー、さっきのことだけどさ」  
「……なに?」  
「俺、別に気にしないからな」  
「……な、なにを?」  
「みーのやる事なら、俺は何も気にしないから。俺は大丈夫だから」  
 何を言ってるかは無茶苦茶かもしれないが、本心から言っている。  
「だからさ、かけろよ迷惑。俺に。なんでもどんとこい。俺はそこまで狭量じゃない」  
「で、でも――」  
「良いんだよ。それに、今日程度のことで迷惑とか言われたら、俺はその三倍はみーから貰ってる恩について  
どう礼を言えば良いんだ?」  
「そ、れでも……」  
 
「許す。かけろ」  
「う、ん……」  
 俺は後ろを向いているのでみーがどんな表情をしているのかは解らない。だけど、俺は、もう大丈夫だ、と思った。  
「じゃあ、迷惑かけて、良い……?」  
「ああ、いいぞ」  
「今すぐ、でも?」  
「おう、どんと――え?」  
 振り向くと、そこには真っ赤なみーの顔。口が開かれる。  
「ゆーちゃんと一緒に寝たいな」  
 ……余計なことを考えるな俺。普通に一緒に寝たいだけと考えるんだ。とりあえず、言うべき事は言う。  
「……みー、俺も男だから限度ってもんが」  
「あたし、ゆーちゃんなら」  
 消え入りそうな声でみー。ゆーちゃんなら……の後は聞こえなかった。うん、聞こえなかった。  
「それに、まだあの誕生日プレゼントの時間内だから……」  
 みーは今度は呟くようにしかし、ちゃんと聞こえるように言った。  
「ゆーちゃんが一緒じゃなきゃ、やだ。ちゅー……、して、ほしいよ」  
 ホントに俺は甘いな、みーに。約束も……あるしな。  
「わかった、勝手にしろ」  
「……ありがとう」  
 さっき落ち着いたはずなのにまた気分が高まっているのは……もうどうしようもない。俺の部屋に向かう。  
ぎし、と床板がきしむ音が妙に大きい。あっと言う間に部屋についた。  
 
 電気など点けない。俺はそのままいつも自分の寝床としているベッドに潜り込んだ。俺だけでも少し狭く感じる  
シングルベッド。今夜はそこに、もう一人。布がすれる音。ベッドのスプリングが重みを受け止めてゆっくり沈んだ。  
横向きに寝転がる、俺の横に真っ暗でもわかるほどの距離にみーの顔。  
 みーの瞳が、窓から射し込む月の光を反射して、潤んでいた。  
「ん……」  
 その瞳の光が瞬いた瞬間、自然に唇を合わせていた。触れるだけの拙いキス。なのに、背筋が震えるくらい  
気持ちよかった。また触れる。離れる。触れる……ちゅっちゅっというくぐくもった音が小さく響く。  
 顎がだるくなってきたので一回やめた。息も荒くなっている。でも、目は逸らさない。みーしか、見えない。  
「ね、ゆーちゃん、手繋いで」  
 頷いてみーの手を握った。じんわり暖かい。安心する暖かさだ。そこまで思って、俺はさっきと同じ様にまた昔を  
思い出した。  
「こんなこともあったなぁ、昔。今日の昼に言ってたあの話で」  
「……あったね。ゆーちゃんに言われて思い出した」  
 みーがくすくすと笑う。  
「懐かしいなぁ……」  
 きゅっきゅっとみーが手を握ってくる。俺も握り返してやった。  
「あたしが、パパとママがいなくて寂しくて泣いて、ゆーちゃんがなぐさめてくれて、一緒に寝て、手を繋いでくれて」  
 また握ってくる。握り返す。  
 
「あの時も今みたいに握ったらゆーちゃんが握り返してくれて、ほっとしたの覚えてる」  
「……そうだな」  
 昔を思い出す。ただひたすらに毎日走り回るだけで楽しかったあの頃。みーが追いかけてきて、手を繋ぐ。  
ただそれだけで良かった。他に何もいらなかった、あの頃。  
「奇跡ってヤツかな」  
「……どうゆう意味?」  
「昔と全く同じことを何年も後に同じ事をやって思い出すってことが」  
 俺から手を握る。  
「うん……」  
 身長が変わった。体付きにどうしようもない程男女の差が出た。声なんて聞き分けもできない。考え方も変わった。  
でも。それでも――  
「って、おい?」  
 気付くと規則正しい息の音が。  
「寝てる……ん、あれ?」  
 今更気付いた。緊張も、興奮も治まっていた。その安心は繋いだ手のぬくもりから伝わっていた。  
 疲れたもんな。今日はどっちも、色々ありすぎて。  
 そう思うと同時に俺も猛烈な眠気が襲ってきた。……寝よ。  
 でも、と俺は意識を手放す前に思った。  
 ――本当に幼馴染ってだけだったんろうか、俺は?  
 

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