あたしは最近、いつも有頂天だった。理由は簡単。長年の初恋が……叶っちゃったからで。
あ、だめ。自然に顔がにやけてきちゃう。あーもう、こんなことしてないであしたの服装をさっさと決めて
寝なきゃいけないのに。
明日は休日。それで女の子がおめかしする理由は? 答えはひとつ。好きな男の子と出掛ける、つまりは
デートだ。しかも、初デート。初。はじめて。思わず脳内で明日のデートのシミュレートを始めてしまう。
手を繋いで貰って、ちゅーもいっぱいして貰って、もたれかかったりもしちゃって、色んなとこ回って、ご飯も
雰囲気のいいとこで食べて、ちょっとぎゅーっ、てしてもらっちゃたりなんかして……それで、それで、もちろん最後は――
最後は、その……当然……きゃー!
「へ……へくしゅ!」
なーんてバカなことを考えてたらくしゃみをひとつ。時計を見ると既に午前一時。流石に寝なきゃ……
よしと気合いの入っている服、アクセサリーを決め、念のために下着もお気に入りの物を選択、布団に潜った。
明日――じゃないや、今日という日が良い日でありますように……
そして、今のあたしはとても憂鬱だった。
「38度5分」
「うう……」
体温計をもったゆーちゃんがやれやれという表情であたしを見た。
「デートは中止だな。養生しろ」
それについて抗議の声をあげようとするが、力が上手く入らなかった。あたしは風邪を引いて、熱を出し、
ベッドで寝込んでいた。頭ががんがん痛む。寒気がする。咳が出る。喉も痛い。
朝、起きたあたしはもうベッドから抜け出せないほどにしんどかった。時間になっても現れないのを不審に
思ったゆーちゃんに発見され――今に至る。
「ほれ、こいつでも貼っとけ」
ぴた、と額にひんやりした感触。市販の熱冷ましシートだ。
あ、きもちい…
「薬、飲んだか?」
首を横に振る。
「じゃあ、今から薬と、あと色々買ってきてやるから、大人しくしてろ」 →おまけ
ゆーちゃんがそう言って、ぱたんと扉が閉められた。足音が遠ざかっていって、玄関の扉が閉まる音がして、
門の閉まる音がした。
失敗、しちゃったなぁ……あーあ。
しんどいせいか、熱に浮かされているせいか、細かいことが脳裏に浮かんでは消える。
その中で、あたしは昔も同じ様なことがあったのを思い出していた。
……いつぐらいだったか、あたしが同じ様に熱だして、同じ様にお母さんもお父さんも仕事が忙しくて、でも、
やっぱりゆーちゃんがずっと傍にいてくれて。
あの頃くらいかな、ゆーちゃんを本当に好きになったのは。
恋を自覚するのは今から考えると早過ぎかなぁ……でも、仕方ないよね。ゆーちゃん、凄く優しいんだもん。
女の子なら放っておかないよ。ゆーちゃんは気付いてないみたいだけど、女子の間では評判も良いんだよ?
風邪の寒気なのか、そのもしもを想像してなのか、寒気が走る。
もし、ゆーちゃんがあたしじゃない女の子を好きになってたら――
息が詰まるほどの恐怖感。嫌だ。そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。胸が苦しい。
「本当に、あの日」
勇気を出して良かった。
心から思う。
『一日中、ゆーちゃんとちゅーしてたい』
あの瞬間から世界がぐるりと変わった。夢みたいに。
「…−…おい」
今がずっと続いて……
「おい、みー」
いつの間にか寝ていてしまったみたいだった。声に気付いて目を開けると、ゆーちゃんが横に立っていた。
「飯、食えるか?」
「う、ん」
掠れた声が喉から漏れる。
「首を振るだけでいいから大人しくしてろって」
ゆーちゃんが苦笑しながら言った。ぽんぽんとあたしの頭を軽く叩く。
たったそれだけで妙に気分が落ち着いてしまうあたしは本当にゆーちゃんがすきなんだな、と思う。
「すぐ作るから。あと、これ買ってきたから飲めよ」
取り出されたのはスポーツドリンク。それをグラスに注いであたしによこしてくれる。ちょっとだけ体を起こして
ゆっくりとほんのり甘い液体を飲み干した。喉がカラカラだったからかとてもおいしい。
ゆーちゃんはそんなあたしを見て、満足そうに頷いて笑って部屋を出ていった。
「あ、はは」
思わず笑い声。あたし、結構おかしいな。ゆーちゃんの笑顔を見ただけで少し幸せな気分になれるだなんて。
しばらくしてゆーちゃんが持ってきたのはおかゆ。具はとき卵だけ。ゆーちゃんに食べさせて貰った。具体的には
ふーふー、あーん、の繰り返し。風邪で苦しいのに顔が笑顔になってしまい、ゆーちゃんに「本当は大丈夫じゃ
ないのか?」と疑われる。だって仕方ないじゃない。その後、薬を飲んだ。「口移しで」と言ったら無言で頭を軽く叩かれた。
小一時間くらい経過すると、薬の効果か少し気分が楽になった。すると、おもむろにゆーちゃんが袋からある物を
取り出した。
「あと、デザートな」
「あ、アイスクリーム! しかもちょっと高いやつ」
「流石にこれは自分で食べるだろ? ほれ、スプーン」
「やだ」
「……は?」
「食べさせて」
「……まぁ、いいけどさ」
釈然としない表情のゆーちゃん。スプーンでアイスをすくって――あたしがそれを止めて言った。
「口移し」
「馬鹿じゃねぇのかこいつ。……あ、しまった。つい心の声が」
「バカ〜?」
「いや、まぁ、うん、その、なんだ。あ、口移しで食べたいんだったな。喜んでさせて頂きますとも。わーい、うれしいなー」
言葉の抑揚の無さが気になったけど、ちゃんとしてくれるようなのでベッドに上半身を起こしたまま、目を閉じた。
いつものように胸のざわめきが激しくなる。
そして、ゆーちゃんの唇があたしの唇と接触した。
至って普通の唇の感触。それから、ゆーちゃんの冷たい舌があたしの口腔内に入ってきた。
「――っ!」
声が出た。互いの舌のさきっちょがくるりと絡まる。ゆーちゃんの口に一回入って少し溶けたバニラアイスの味が、
口に広がる。顎がだるくなるぐらいの甘さ。口腔内に溜まったアイスと二人の唾液を音を立てて飲み込んだ。
やがて距離が離れた。離れる時に唾液の糸があたしとゆーちゃんの間に出来た。あたしはそれがなんだか
途轍もなくいやらしい光景に感じた。
うわ……なんか、ゆーちゃんの顔が見れない。なんだろう、何か……胸がむずがゆい。
ごく、と息を飲む音が聞こえた。でも、それはあたしが立てた音じゃない。まさか、と思って、そのむずがゆさも
忘れて顔を上げた。目が合った瞬間、ゆーちゃんが言った。
「……まだあるけど、どうする?」
そう、食べたアイスはまだほんのひとくちだけ。
「残すのはもったいない……よ」
それだけで確認は終わった。アイスを含んで飛びつくように荒っぽく口付けを交わした。ゆーちゃんの背中に両手を
回して服をきつく握り締めた。全身に震えが走る。熱のせいなのかな、なんて、解ってるのにわざと勘違いして見たり。
最初はゆーちゃんがあたしに口移しする一方だったけど、何回かしてから、ゆーちゃんがあたしにくれたアイスを
もう一度、あたしがゆーちゃんの口に送り返すような事もし始めた。
あたし――いや、あたしとゆーちゃんっておかしいのかな……? ううん、きっとおかしいんだろうなぁ……だって、
風邪で苦しいはずなのに口のまわりをべたべたにしながらアイスの食べさせあいっこしてるなんて、どう見ても――
どうみても。
「ん、く、ふぅっ、はぁっ、ね、ゆーちゃん……?」
「……ん?」
「あたしね、ゆーちゃんが恋人でよかった」
「……なんで?」
「……だって、あたしもゆーちゃんも同じくらいすごいおかしいから……あたしたちはあたしたちじゃなきゃ恋なんて
出来ないと思う」
ゆーちゃんは呆気に取られた表情をした後、笑顔であたしの頭を二回、軽く叩いた。
「……そうだな、俺はみーに染められちまったな」
「……その言い方じゃあ、あたしは最初からおかしかったみたいな言い方なんだけど」
「違うのか?」
「だ、だって、あたしは――」
幼稚園の頃からゆーちゃんに対してひたすらにちゅーをせびっていた自分が頭に思い浮かんだ。
「あたしは……だって」
「うん?」
あたしは思い切って言った。
「だって、ゆーちゃんがすきなんだもん……ずっとそうで、ずっとずっとああしたい、こうしたい、って思ってて、
それで今、やっと夢が叶って、こんな風になっちゃったら、もう、ガマンなんてできないよぅ……」
「……そう、なのか」
「……うん」
そして部屋に広がる微妙な空気。言ったあたしだけじゃなく、何故かゆーちゃんも恥ずかしそうにしている。
二人っきりの部屋で顔を真っ赤にした二人が横目でチラチラ見るというわけのわからない状況が展開される。
は、はずかしーっ! 言わなきゃよかったー!
心の中に手足をバタバタさせて悶えてる自分が描かれるくらい恥ずかしい。
「ま、まぁ、あー、そうだ。残ってるアイスを全部食べようぜ」
照れ隠しとはっきりわかるぐらいゆーちゃんがどもりながら言う。あたしもそれは指摘しない。
「えっと……口移しで?」
「いや、もうやめとこ……普通に」
確かに今からもう一回やると行き着くとこまでいっちゃいそうだから、普通が良さそうだった。あたしは頷いた。
本当の事言うと……あたしはまだしたいし、やっちゃってもいいんだけど、まだ体調が悪いから仕方ないよね。
うん、仕方ない仕方ない。
そんなことを思いながら、あたしはゆーちゃんがスプーンで差し出したアイスを頬張った。
……またしたいな。
なんて馬鹿な事をやったせいか、一度ちょっと下がった熱がまた上がった。その間、ゆーちゃんはずっと傍に
いてくれた。励ましたり、冗談言ったり、手を握ってくれたり。……せびったらまたちゅーもしてくれちゃったり。
「みー……何ニヤニヤしてんだ?」
ちょっと用で台所に降りて、戻ってきたゆーちゃんに言われた。あたしはちょっと元気になったのも手伝って、
ついいたずらの様なことを言った。
「すきな人が横にいてくれるって幸せだなー、って思ってた」
あたしの言葉を聞いたゆーちゃんは顔を赤くして顔を手で押さえた。
「――っく、な、なんでそういう事を突然言うかね、このお嬢さんは」
「えへ、ごめーん」
舌を出しながら謝った。九割くらいは本気だけど。
「……まぁいいや。それより汗かいたろ? お湯持ってきたから体拭けよ。着替えもしといたらいい」
「――え」
ゆーちゃんの言葉にあたしは固まった。そ、それって……?
「どうした、みー?」
「え、あ!! そ、そっか、そうだよね、ごめん!」
あたしを不思議そうに見詰めたゆーちゃんを見て、自分の盛大な勘違いに気付いた。うわぁ、あたしってほんとに……
「……どうゆうことだよ?」
「あ、う……その……ゆ、ゆーちゃんがあたしの体を拭いてくれて、着替えさせてくれるのかな、って思っちゃった、り……」
「はぁ!? 何をどうしたらそう――」
「だ、だからごめん! 今のナシ! 忘れて!」
うう、最近のあたしって考えがいつもこんな方向にばっかり行ってる……女の子としてどうなの、それって。
体は自分で拭くことにした。もちろん、ゆーちゃんは外に出てもらってだ。流石に、ずっとあのむずがゆい空気に
浸っていると……汗をかいてるんだか拭いてるんだか。
ゆっくりやっているとなんだかまた騒動が起きそうな気がしたので、さっと終わらせよう……
ぱっぱと拭いてさっさと着替える。ショーツの一部が汗以外の液体で濡れてるのを今更確認して頭を抱えたくなりながら。
あたしって……感じやすいのかなぁ……?
それからはまた午前中と同じ。ベッドで寝ているあたしの横にゆーちゃんがずっといてくれる。あたしが寂しく
ならないように。
「ね、ゆーちゃん」
「んー?」
「なんでもなーい」
あたしが嬉しそうに言ったのを見て、ゆーちゃんはあたしの頭を軽く叩いて言った。
「ほら、バカやってないで寝とけよ」
……ゆーちゃん、そんな優しい顔で言っても説得力無いよ?
「ったく。もう元気じゃないのか?」
こつんと額が合わさった。吐息がかかってくすぐったい。なんで体温を感じるだけでこんなにドキドキするんだろう……
ゆーちゃんはそんな事に気付かず「まだちょっと熱いかな」と言っている。
相変わらずだなぁ、と思う。だって、もしゆーちゃんがそうゆうことに敏感な人なら、もっと前にあたしたちは今みたいな
関係になってたかもしれないから。いや、それなら他の可能性もあったかもしれない。実は友達とかからゆーちゃんを
紹介して、と頼まれたのは一度や二度じゃないし、手紙とかだって……と、もうやめよう。そんな可能性はきっと
無くなった――はず。
「みー?」
「ん、え、何?」
「あー、いや、なんかみーが寂しそうに見えた気がして……勘違いかな」
おかしいな、とゆーちゃんが頭を掻きながら言った。
「……あは」
思わず笑いが漏れた。知ってた事を再確認できて嬉しかった。
「おいおい、今度は何だ」
「ううん、ゆーちゃんってそうだったなぁ、って」
「……意味がわからん」
そう、ゆーちゃんは鈍感かもしれない。でも、あたしが困ってるときはいつだって傍にいてくれた。いつだってあたしに
元気をくれる。いつだって、ただ、あるがままに、そこに、ゆーちゃんは。
「ね、ゆーちゃん、今日はごめんね。デート駄目になって迷惑かけちゃって」
ゆーちゃんはその言葉を聞いて――
「あだっ」
あたしにデコピンをしてきた。
「な、何するの〜?」
「馬鹿、これが俺とみーが逆の状況だったら、みーは迷惑に思うか?」
「……思わないけど」
「こうゆう時の言う言葉は逆だろ?」
「ありがとう……」
「よろしい」
ゆーちゃんが笑顔で頷いた。
あたしはその笑顔を見て、この人が好きで、この人があたしを好きで――幼馴染で、本当によかったと思っていた。
ね、ゆーちゃん、あたし、ほんとにあなたの事――だいすきだよ。