指がふるえていた。  
 インターフォンまで数センチ。指先がボタンにつくと、私は弾かれたように手  
を引っこめた。引っこめた手を、そのままの恰好でさまよわせる。  
 インターフォンには私の影が落ちていた。まだ宵の口だが、あたりは真っ暗闇  
につつまれている。  
 私は、左手のチョコの包みを持ち替えた。手にかいた汗で、包みがちょっとふ  
やけていた。ためらうような気持ちが、心の中にある。  
――やっぱり学校で渡しておけばよかった……。  
 後悔が、いまさらになって出てきている。学校でなくても、行きと帰りの通学  
路でも、渡すタイミングはいくらでもあった。渡せなかったのは私の悪い癖が出  
たからだ。もう十一年も続いている、悪い癖。  
 行きの通学路では、学校に着いてから渡せばいいと思い。学校に着いてからは、  
昼休みに。昼休みになってからは帰りの通学路に。気が付けば家に帰り、夕食の  
下ごしらえが終わった時間になっていた。夕食の下ごしらえもしないままにだ。  
 もう一度、インターフォンに手を伸ばした。引っこめる。私はつまらない心配  
事を、また心の中で反芻しいていた。一成以外が出てきたら、なんと言い繕えば  
いいのか。  
 心臓の音がうるさかった。チョコの包みを、少しだけ握り締めた。  
――やっぱり、チョコ渡すのは明日にしようかな……。  
 私はその場でうつむいた。それに、わざわざ自宅に訪ねて渡すなんて、本命だ  
と言っているようなものじゃないか。しかし、明日はバレンタインですらない日  
だ。違う日に渡すなんて、一成に対しても失礼な気がする。なんだか泣きそうに  
なった。  
 不意に、眼の前で明かりが洩れた。玄関扉が開いている。  
 一成だった。片手に、青い字の印刷されたゴミ袋をぶら下げている。眼が合う  
と、私の心臓は飛び跳ねるように動いた。  
――なっ、なんでこんな時にゴミを捨てにっ!  
「なんだ、真紀奈か」  
 一成が言った。  
「こっ、こんばんは……」  
 私はまぬけなことを言っていた。一成の視線が私の手もとにきた。チョコを背  
後に隠すには、遅すぎる間があった。  
「おっ。手に持ってるの義理チョコ?」  
「ほっ……!」  
――本命に決まってんでしょっ!  
 心で叫んだ。口には、出せるはずもない。一成が怪訝な顔をした。  
 
「ほ?」  
「ほ、本命じゃないけど……」  
「だから義理だろ。日本語すっ飛んだか?」  
「あぁ! もおぉっ!」  
 言ったときには、私は一成に向かって包みを思い切り振りかぶっていた。チョ  
コが迷いなく飛んでいく。  
――しまった!  
 私は目をつむった。束の間、落ちたチョコの包みが頭をよぎった。恐る恐る、  
眼を開く。しかしチョコは地面ではなく、一成の掌に収まっていた。足下に、投  
げ出されたゴミ袋が転がっている。  
「これ、もらっていいのか?」  
 一成は笑顔だった。胸が、きゅんとなった。  
「ちゃっ、ちゃんと食べなさいよ! それ……」  
「あぁ、ありがと。毎年貰ってたからさ、今年はもうくれないのかなぁ、て思っ  
てたよ」  
「そ、そう……」  
「ありがと。ありがたく貰っとくよ」  
 一成が微笑んだ。私は、心が暖かくなるのを感じた。この笑顔を見るために、  
毎年チョコを渡してるという気がする。  
「じゃ、じゃあね。またあしたね!」  
 言うと、私は駈け足で自宅に戻った。自宅といっても隣の家だ。  
 自宅の玄関まで行くと、もう一度一成の家を見た。玄関先で一成もこちらを見  
ていた。眼が合う。  
 私は慌てて自宅に飛びんだ。  
 
      
 
 
 

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