ピリリリリリ
…
ピリリリリリ
…?!
携帯が鳴っている。寝ぼけた意識の中、電話に出る。
「もひもひ」
「メールしたから見て」
「は?」
「寝てた?○○駅にいるから」
名前を確認する前に、一方的にやり取りを終了されてしまった。
メールを確認した。
−新着メールあり−
アドレスを見て、眠気が一気に吹っ飛んだ。
件名:こんばんは
本文:こっちに戻ってきてるんだ。今、○○駅。
迎えに来てくれないかな。
ジーンズを履き、ジャケットを羽織り、マフラー片手に車の鍵、携帯を持ち玄関下りていった。
「出掛けるのか?」
父親が遅い晩酌をしていた。
「うん。車借りる」
「雪の後だ。気をつけろよ」
「わかった」
玄関を出ると、冬の夜の寒さが襲ってきた。吐く息が白い。
車に乗り込むとエアコンをフル回転させた。
ガムを手に取り、包みを捨て口に含む。レモンが口に広がる。
まだ寒いが車を発進させた。
返信はしていない。あいつの性格なら多分ずっと待ってる。
この時間なら駅まで数分で行ける。でも、急な電話だったな。
というか、電話もメールもしばらくしていなかった。
信号待ちがいじらしい。車内は暖まってきた。
ラジオをつけた。FMでは静かな洋楽が流れている。駅入り口の信号でもつかまった。
ロータリーに白いコート、黒のロングブーツの彼女がいた。
縦列タクシーの横につけるとハザードを焚いた。プップッと軽くクラクションを鳴らした。
この車がうちに来て、もう十年近く経つ。気付くはず。
内側から助手席ドアを開けた。無言で乗り込んできた。
「ふぅー」
第一声は安堵の一息だった。
「ねえ…」
「…」
「…?!」
「寒いね〜」
彼女はそう言うと両腕を摩った。その仕草はかわいかった。
「…酔ってる?」
「ごめん。バスも無ければお金も無かったから。寝てたよね…」
「それより、そんなカッコで…」
「マフラー置いてきちゃったみたいの」
「どこに?」
「あっ今、高校の時の友達と飲んでいて、多分そこ」
ブー
タクシーがクラクションを鳴らしてきた。
「ここまずいからとりあえず出すよ」
「おっけ」
車内は静かだ。ずっと会ってなかったとは言え、特別話すことも無い。
ラジオが流れている。家の角まで来て車を停めた。
「どうする?」
隣同士だが、家の前で降ろすのはなんだか気が引けた。
父親に出掛けるのを見られているし、彼女を迎えに行っただけだと思われる。
だからって別に隠すような事でもないんだけど。
「ドライブしない?」
「はい?」
「ドライブ!」
「こっちに帰ってくる予定だったんだろ。いいの?」
「もともと朝まで遊ぶつもりだったのを抜けてきたから。明日なんかある?」
「いや、ないけど」
「じゃあ決定。行き先は…」
「…」
「横浜!」
進路を西に、湾岸を目差しとりあえず車を出した。
セルフスタンドに寄る。給油中、彼女の後姿を見つめた。
真崎惠子。同い年でうちの隣りに住んでいた。
いわゆる幼馴染というやつだ。親同士も仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしている。
しかし、最近は正月や盆位にしか会う事はなかった。
気まずいとかそういう事は無かった…と思う。
スタンド内のカフェで、ミネラルウォーターと缶コーヒーを一緒に会計をした。
「○○リッター入りまして、こちらと合わせて○○○○円になります」
財布を覗く。今月はヤバいな。
スタンドの照明が反射して良く分からなかったけど、
レジからフロントガラス越しに惠子が見えた。その顔を見たら、出費の痛手も吹っ飛んだ。
寝てる。
ミネラルウォーターを頬に当てた。
「ひやっ」
彼女はびくっとして起きた。
あ、余計な事したな。気が利かないな、俺。帰りは寝かせてあげよう。
「これ飲めば酔いが覚めるかもよ。冷えるとあれだからこっちも」
「ありがとー」
「じゃ、行きますか」
車は再び走りだした。
高速入り口を見つけ車線を右に移った。遊園地を左手に川を越える。
しばらくすると観覧車が見えてきた。惠子が口を開く。
「昔話しようか」
「なにそれ」
「保育園のさぁ」
「うちらの?」
「そう。あれ覚えてる?あの膝ぐらいまでしかないプール」
「あったな。夏になると、校庭に、あっ校庭?保育園の場合なんて言うんだっけ?
広場?お外?まあいいや。そこに骨組み作ってビニールを張ったようなやつ」
「そうそれ。相当大きかったよね」
「そうそう。でも今見ると小さいんだろうな」
「プールの後のあれは覚えてる?せーので言おうか」
せーの
「シャワー!」「シャワー!」
〜俺は小柄でおとなしい園児だった。話す相手も決まっていて
あまり話さない子達が来ると大人しくなる。家では正反対だった。
いわゆる内弁慶だった。プールは水泳というより水遊びに過ぎない。
そしてプールの後、シャワーで体を流す。そのシャワーというのが可笑しくて、
水道にホースで延長し、先生がシャワーヘッドを持ってるだけ。
そして、園児はスッポンポンで並んで待つ。それが男女交互に並んでいるのだ。
もちろん順序を守らず、仲間同士、女の子同士になっている所もあった。
俺はそういうの駄目でちゃんと順番を守っていた。
隠す奴も隠さない奴もどっちもいた。隠さない奴の事は全く理解できなかった。
俺の前には女の子のおしり。もちろんそんな意識はない。
ただ自分の番になって体を流すのが嫌だった。だからずっと股間を隠して並んでいた。
俺の両肩に手が乗った。後ろは恵子だった。
恵子は四月生まれ。俺は翌三月生まれ。同学年だがほぼ一年違う。
頭半分くらい大きい恵子は動じない。手を乗せてるので隠す事なく待っているんだろう。
俺は振り向く事ができなかった。〜
「今考えると問題になりそうだよな」
同じ映像が浮かんでいるのだろう。恵子は微笑んだだけだった。
〜俺の番になると頭上から冷たいシャワーが降ってきた。
首から肩から、そして手を挙げるように促されると股間が晒された。
脇から足にかけて流す。そして、一番嫌な事。それは後ろを向き背中を流される事。
後ろを向くと恥ずかしさから下を向いた。恵子の足しか見る事が出来ない。
また手をどける様に言われると、そうするしかなかった。顔から火が出そうだった。
最後に頭からシャワーを浴びせられる。これも耐えられない。
俺は頭から水を浴びると、アップアップして息が出来なくなるような感じになる。
それから逃れる様にしたら、躓いて後ろの恵子にもたれ掛かってしまった。
恵子は俺をしっかり支えてくれて、後の事は覚えていない。〜
二つ目の観覧車。そこを過ぎると大きな海底トンネルが口を開けている。
「コーヒー飲む?手を温めてたからちょっとぬるくなってるけど」
「あー俺はいいや。トイレ近いし」
「そうだったね」
〜うちの地区では保育園、幼稚園、小学校低学年時に子供会なる催しがあった。
「洋ちゃん、ジュース飲む?」
「ちょだい」
「駄目よ。寝る前に冷たいもの飲んだら」
「でも洋ちゃん、欲しいってさ」
その年は湖畔でのキャンプだった。
各バンガローに二家族が泊まる。俺のバンガローはもちろん真崎家とだった。
この子供会、父親は殆ど参加しない。うちも恵子のうちもそうだった。
お互い一人っ子のため母親が二人、恵子、そして俺。
定番の飯盒炊爨、カレー、簡単なアスレチック、夜はキャンプファイヤー。
楽しかったな。布団の中。背中をトントンされる。何かを渡された。
水筒だった。振り向くと、恵子はいたずらっ子のようにしめしめと笑う。
中身はレモンジュースだった。声には出さずアリガトの口を作った。恵子は笑った。〜
「今もそう?」
「あのね…」
〜翌朝、俺は布団から出る事を拒んだ。
「やったな」
さすが母上、良くお気づきで。下半身はいい感じに蒸れていた。
恵子はまだ寝ていた。おばさんはすぐにわかったようだった。
母親に掛布団を剥がされると、夏とはいえ股がひんやりした。
「早くしな。恵ちゃん起きちゃうぞ」
それを聞くと行動しないわけにはいかない。
しかし、母親は濡れたパジャマを持ち外に行ってしまった。
母親同士の暗黙の了解か、おばさんが手伝ってくれた。
タオルで下半身を拭いてくれた。隠しても無駄と分かると従った。
「おねしょだ…」
見られた。
「恵子そこのタオル一枚取って」
俺は股間を隠し、惨めにパンツを履いた。〜
空港の明かりが車窓を流れる。先を行く。
〜恵子の家で遊んでいた時、いいもの見せてあげると言われた。
そこは、普段遊びに行っても踏み入れる事のない、秘密の扉という感じだった。
ベッドがある。おじさんとおばさんの寝室だ。
そこに入った時の感じは、なんとなくいけないことをしているようなものだった。
ガラス扉の棚には飴色の酒の入った瓶や、ジャンボジェットの模型が並んでいた。
「洋ちゃん、こっちこっち」
俺は飛行機の模型の方に興味があった。名残惜しかったけど恵子の方に行ってみた。
ビックリした。恵子の上半身が無くなっていた。
そうじゃなかった。恵子の上半身は、ベットの下に潜り込んでいた。
恵子はお尻をふりふりしながら出てきた。
平型のダンボール箱だった。開けると見たことも無い物が色々入っていた。
「これこれ」と言い、本を取りだした。エロ本だった。写真中心の物だった。
まだそういうのを知る前だったので、二人して興味津々。
実際、女の裸を見ても母親のそれというような感じだった。
「なんでみんなはだかなんだろね」
「おんなのひとをいじめてるんだよ」
「ちがうよ」
恵子が否定した。
「これえっちしてるんだよ」
「なにそれ」
「テレビで見たもん。好きな人ができるとえっちするって」
「こんなことするの」
「そうだよ、たぶん」
「なんでこことここ黒くなってるんだろ」
俺は結合していない男女の陰部の黒塗りを指差した。
「おちんちんはうつしちゃいけないんじゃない」
「おんなも黒くしてあるよ。おんなはちんちんないよ」
「わかんない」〜
あのダンボールはまだあるんだろうか。
「おじさんはまだ飛行機好きなの?」
「そうみたい。最近は国際空港近くの公園で離着陸を見るのが楽しいんだって。どうしたの急に」
「あ、いや、さっき空港通ったから」
〜寝室にはその後も何度か行った。またいつもの様に本を取り出した。
俺はもう見飽きたのでベッドに大の字になった。
すると恵子が馬乗りになってくすぐってきた。
今だ体格で勝てないので抵抗しても歯が立たない。
両手を取られた。恵子の顔が近づいてきた。
「ちゅーしよ」
「やめろよ」
本でも見た。このままいくと本の通り、俺の口に恵子の口がくっつく。
その感覚がどうにも理解できなくて、人の顔がこんなに近づくのも
俺の今までの人生では有り得ない光景だった。
なので俺は、恵子の顔がくっつく瞬間、左右どちらかに顔をそむけた。
恵子はそれでも構わない風で、頬にぶちゅうっとされた。
感覚としてはよくわからなかった。
やめろと顔を反対にそむけても今度はこっちの頬に。その繰り返しだった。
この頃の俺は男同士で遊ぶ方が楽しかった。今日本当は、友達と自転車で
些細な冒険をするのを断ったのもあって、こういう女女な遊びはしたくなかった。〜
今思うと、こんなにキスを迫られたのはこの時だけだな。ははは
「なんか、思い出し笑いしてない?」
「へ?」
顔が緩んでたかも。
「保育園か。懐かしいよね」
「うん」
「小学校はどんな事あったっけ?」
「っと、その前に、ここちょっと寄るよ」
「うん」
大黒PAで休憩。めでたい名前だな。
〜両家共通の知り合いの結婚式のため、どちらの親もいない。俺達は惠子の家で留守番。
俺も結婚式に行きたくて、すねた事を良く覚えている。
別にやる事はなかった。おじさんのエロ本も見飽きた。
俺はこの頃、自分の性器が勃つ事に興味を持ちだした。
性的な意味ではなくて、珍しい現象という意味で。その行動は自然だった。
「ねーねー」
「?」
俺はズボンの前を指で引っ張った。ゴム紐なのでズボンは簡単に開いた。
不意の為、恵子はそのまま視線を落とした。
「すげーだろ」
「なにそれ!」
「ちんちんってでっかくなるんだぜ」
小さい性器は皮を被ったまま勃起している。
日曜の朝は普段より若干遅くまで寝ていられる。
でも平日通り目が覚めてしまうため、布団の中でまどろむのが好きだった。
その時、性器が勃起しているのに気付いた。
昔から勃起はしてたんだろうけど、意識した事はなかった。
あったかい布団の中で、パジャマの上から性器を揉んでいるのが好きだった。
余計布団から出れなかった。
「ねー、えっちしようよ」
「なにそれ」
「あの本みたいなこと。行くぞえい!」
恵子を抱きしめた。けど良く分からなくてベッドで跳ねる事にした。
恵子も加わる。テレビで観たトランポリンを思い出し真似る。
手を伸ばしたり足を広げたり。二人で大笑いした。
それがだんだん変な方向にシフトした。跳ねながらズボンを下ろしたり戻したり。
ズボンを脱いだ。恵子もスカートを捲ったりした。
跳ねるのに疲れると、また変な行動にかわった。
体を屈め、足の間から顔を出す。多分エロ本の描写からの真似だと思う。
俺はパンツを脱いで尻を広げた。大笑い。保育園のシャワーの時の恥じらいが嘘の様。
そして、この時初めて女性器を見た。もちろん恵子の。
どういう成行きか、恵子からそうしたのか忘れたけど、恵子もパンツを脱いだ。
同じように足の間から顔を出した。そして尻を両側から開いた。
そこにちんちんでないものを見た。どちらかというと肛門の印象の方が強かった。
そのうち、親達が帰って来て「ばいばーい」と言って家に帰った。〜
「バレンタイン過ぎちゃったね」
「あー、14日だっけ」
「もらった?」
「ノーコメント」
〜小学校五,六年だったかな。義理だろうがなんだろうが少なからず貰えた。
というか、ただ渡したいだけみたいな、バレンタインに酔っている雰囲気が女子連中にあった。
俺はチョコは甘いからレモンの飴が欲しいと、分けのわからない事を言った。
学校帰りに友達と一緒に帰ってたら女子が数人来て、「ほらチョコ」と渡してきた。
友達は普通にチョコ。かわいいピンク色のラッピングをされていた。
俺のは飴の袋を包装紙で包んである不恰好なもの。後悔した。この飴くれたの誰だっけな。〜
トイレを済ませ、一足先に車に戻る。
−メールガキマシタ−
聞き慣れない着信音。助手席に携帯が置いてある。
着信ランプは綺麗な桃色だった。
〜中学の入学式の朝。恵子と家の前で記念写真を撮った。
学ランとブレザー。正直女子の制服は味気ないと思う。リボンでもあったら様になるのに。
俺のは袖口から辛うじて指が出ている。制服は大きい方がいいと言うから。
校門でも一緒に写真を撮った。ちょっと恥ずかしかった。
桜は、二人が写った卒業式の写真とは違い八分咲き。〜
恵子はメールを確認する。
「友達」
「?」
「マフラー忘れたでしょって」
「そう」
〜中学三年。受験の年。この時期の二人は今までで一番親密だった。
親同士もなんか笑って、何か言いたげな雰囲気を出している。
互いの家以外にも良く遊びに行った。
中一の時、同じクラスだったけど、学校では話す事は少なかった。
そもそもクラスは男同士、女同士という構図が出来上がっていた。
その頃とは違い、とても自然になった。〜
大黒を後にし、みなとみらいを右手にベイブリッジを渡る。
三つ目の観覧車。
〜恵子の家で勉強をした。リビング横の和室にコタツのテーブル。俺はしないけど。
「麦茶ちょうだい」
「勝手にどうぞ」
恵子の了解は関係なくて、いつもの様に勝手に冷蔵庫を開ける。
おばさんがいない時だけだけど。恵子の分も持って戻る。
「勉強しないの?」
「まだ大丈夫」
「何がまだなんだか意味わかんない」
「ギリギリまで粘るのが男!」
「意味不めーい」
「うっさい」〜
この考えは高校でも変わらなかった。だから後々後悔する事になった…
〜合間の休憩。俺はニ杯目。
「うちのクラスの由佳いるでしょ」
「うん」
岸田由佳。一年の時同じクラスだった。小柄でかわいい子だった。
みんな好きな人の話になると、大抵岸田と答える。
好きな人に求める条件をしっかり備えていた。
俺も好きだった。
誰が言っても冗談と取れてしまうため、浮いた話は無かった。
みんな本命がいても、言いたく無いための逃げ道の名前ともいえた。
浮いた話がないので、その曖昧さが心地良かった。
その心地良さが中ニの時に崩れた。三年と付き合ってるという噂が流れた。
ちょっと嫉妬した。ちょっとだから本当に好きだったのか分からない。
ただ、今の心地良さにずっと浸かってても何も起きない。
少なくとも行動しないと、付き合うとかそういう事に発展しないとわかった。
「こないだ、ホテルから出てきたって」
「!…それって…あん時の奴?」
「そう。先輩が高校に行っても付き合ってるんだって」
「つーか、どっからの情報?」
「噂。先輩は制服で行ったから補導されたとか、自転車で行ったから、
自転車に貼ってある学校のステッカーで分かったとかそういう話。
噂になってるよ。由佳と同じクラスだから結構気まずいよ。男子には広まってないの?」
「聞いたことない。つーか自分も噂を広めてるねー」
「…そうかも。一応内緒ね」
「ホテルってさ。あんのかな…」
「なにが?」
「…回転ベッド」
「あーあれ、丸いやつ?なんか古くない?もしかして一面鏡張りとかも想像した?」
「あははは、想像した!」
「頭ん中バブルか!まー私もあると思ったけど」
「行ってみない?」
「…?!」
「…」
「え?ちょっ…」
「うっそ〜ん」
「……かっ、ちょっとねー、そういうのやめてくれる!」
「お怒んなって。勉強しなよ」
「わ、わかってるよ!」
沈黙
冗談言ったのに冗談じゃない空気になってしまった。
平静を装って雑誌読んでるけど、なんか意識してしまう。
ずっと一緒にいるけどそんな目で恵子を見たことはなかった。
ちらちらっと恵子を見た。顔はノートを取っているためうつむき加減。
視線には気付かないはず。首筋から胸元に移る。
膨らみが二つ、肘をついた腕の奥にある。
腰をひねった感じに座っている。時折足を掻く。
「ねえ」
「な、なに」
返事がぎこちなくなってしまった。
「好きな人いないの?」
「俺?」
「うん」
「いないっちゃ、いない」
「なにそれ」
「そんなホテルの話されて僕、泣きそー」
わざとふざけた。
「え、もしかして、由佳好きだった一人?」
「そうよん。だから付き合ってるの聞いた時はショックだったなー」
「でも、みんな岸田がいい。岸田、岸田って言うからみんなどこまで
本気かわからないよね。本気だった?」
「…」
「なんだ。返事に詰まるんだ」
「なんだよ。自分はどうなんだよ」
「…いないな。勉強忙しいし。勉強しなよ」
「いいのいいの。でも俺らガキの頃からずっと一緒だよな。好きな人の話なんか女にしたことねーよ」
「それって女として見てないってことでしょ」
「腐れ縁っつーの?それだよ」
「余りにも日常だよね。お互いがいる事が。空気って言うか。
普段意識しないけどなきゃ困るみたいな。でも腐れ縁は使い方違くない?
それは好ましくない時に使うんじゃなかった?」
なんか凄い事言ってるような気がするんだが。
「でもそれって理想の関係かもね。ねっ」
「…」
答えず惠子を見つめる。
「な、なに?!」
コタツ越しの告白。その言葉は自然に出てきた。
「キスしていい?」
「えっ」
「ダメ?」
「…」
長い沈黙。空気が完全におかしくなった。
「するから」
「待って。心の準備が…」
惠子の方に周り、肩に手を置き、唇を合わせた。
恵子の匂いと感触と熱が唇に広がる。
唇を離すと恵子はうつむいた。恥らっている様に見えた。見つめ合う。
「ちょっと、もうやめようよ」
恵子を押し倒した。再びキスをした。胸を触った。
シャツを首まで捲くり、スカートをたくし上げた。
白い下着。恵子は両手で顔を覆っている。
俺はシャツを脱ぎズボンも脱いだ。手をどけると、恵子と目が合った。
その目は、俺には同意と映った。パンツを脱ぐとペニスは完全に勃起していた。
避妊なんてどうしていいかわからないし、持ってないし。
心臓が信じられない鼓動を繰り返す。顔が火照る。
どうしていいかわからないので、恵子の股間に自分のモノを近づけようとした。
俺はペニスを握っていざなうつもりだった。
「!」
白い液体は、恵子の下着と畳を汚した。
体中の血の気が引いていく。
惠子は片腕で両目を覆い、
…泣いていた。
「…ご、ごめん」
「帰って…」
「でも…」
「帰って!」
そうするしかなかった。〜
深夜の山下公園。自販機でジュースを買って戻る。
〜あれから数日全く会わなかった。
電話で謝った。惠子はもういいからと言った。怒ってはいないけど、後悔してるという。
惠子は俺と目を合わせなくなった。そのまま卒業を迎えた。
卒業式の朝。二人で記念写真は撮らなかった。
入学式の朝。二人で記念写真は撮らなかった。
俺は、家の前の道を左へ自転車で行く。地元の公立高校。
恵子は、家の前の道を右へ駅へ向う。都内の女子高。
あの日を思い出してオナニーをした。
人生最悪の射精だった。
その日も、それを済ませると、手を洗うため一階に下りた。
恵子のおばさんが来ていた。
「恵子が……連れてきたのよ」
「あらそう!」
「あ、洋ちゃん…」
おばさんは俺に気付くと、口篭もった。
「それじゃね」
肝心の部分は良く聞こえなかったけど、俺も薄々感じていた。
高校に入ると、恵子と会う事は少なくなった。
あの時を思い出し自分を慰めた直後に突きつけられた、惠子の恋人の事。
自分自身を嫌悪した。大切なものを失った感じがした。〜
−心地よさに浸っていても何も始まらない−
車内。下道で帰ることにした。都内に向け北上する。
軽快な着信音。J−POPだ。
「ごめん、出ていい?」
「あ、うん。いいよ」
〜東京に来たのは久しぶりだった。現地待ち合わせ。
海外アーティストのドーム公演に誘われた。
そのアーティストにはあんまり興味無かった。
誘ってきたのは恵子だった。急な誘いだった。どうして?と思った。
惠子は恋人がいるのに、俺とも昔の様に話すようになった。
コンサートが終わりトイレに行くから待っててもらった。
トイレから戻ると電話をしていた。なにか緊迫した感じを受けた。
「ゴメン、お待たせ」
「…」
「どした?」
「帰ろ」
その目は泣いた後のようだった〜
外で話したいからと車を停めた。歩道の端で話している。
ハザードの点滅が惠子の白いコートを、一定の間隔でオレンジに染める。
〜惠子の様子が変わった。早足で先を急ぐ。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「なんでもないなら、どうして泣いてるの」
「…」
「彼…氏?」
抑えていた物が堰を切った。惠子は、人目をはばからず泣き出した。
地元の駅まで一言も口をきかなかった。家まで歩く。
大分落ちついたようだ。相変わらず、惠子は俺の数メートル先を行く。
なぜこのタイミングだったか良く分からない。
「俺、恵ちゃんが好きだ」
「…」
惠子の足が止まる。
「付き合って欲しい」
「ゴメン」
「子供の頃からずっと一緒で、あまりにも身近にいたから気付かなかったけど…。
あの時…あの時、お互いが空気のような存在、それが理想の関係って言ったの覚えてる?
あの事が恵ちゃんをとても傷つけた事。高校に進んで恵ちゃんに恋人が出来た時、
取り返しのつかない事をしたと後悔した。大切な何かが遠くに行ってしまったと思った。
恵ちゃんの事は忘れようとしたけど…出来なかった。
俺にはこんな事言う資格ないんだけど…恵ちゃんを大切にしたい。だから、」
「ゴメン…無理だよ…」
「…」
「私…、先行く…」
惠子は走り出した。俺はその場に立ち尽くした。拳を強く握り締めた。〜
「ごめん、お待たせ…」
「うん」
〜俺は大学受験に失敗した。恵子は上京し家を出た。
二人の関係は致命的に薄れていった。
浪人生活が始まり、予備校とバイトの日々が続く。バイト代はパチンコと風俗に消えた。
東京で大学生活を送る恵子を思うと、情けなくて死にたくなった。〜
いろいろあったが、これからを決心した矢先の電話。
車内に戻った恵子は喋らなくなった。
何度目かの信号待ち。
「私…結婚するの」
「…!」
後続車がクラクションを鳴らす。信号は青になっていた。動揺を隠せない。
「約束した人がいるの。いつか結婚しようって」
「…」
恵子の方を向く事が出来ない。視界の端にうつむく恵子が写る。
「でも…今、ふられちゃった」
反射的に恵子を見た。目にいっぱい涙を溜め、今にも頬を伝いそう。
「…」
「重いんだって…」
「…」
「本当は駄目になるってなんとなく分かってた。今の電話も、合鍵を返してだって…」
「…」
「私、やり直せないか聞いてみたけど…」
「もう、」
「無、」
「もう…言わなくていいよ」
俺は、恵子が他人と結婚しても祝福できると思っていた。
一瞬だけその相手を心底軽蔑した。
車内。沈黙。川崎の夜景。信号待ち。青になる。アクセルを踏む。
車が左にブレた。急ブレーキ。後続車はいない。
恵子がハンドルを左に切った。
「まだ帰らない」
「?」
「あの日の続きする?」
切られたハンドルの左前方。ネオン看板。
−Hotel Tokyo Lights−
「恵子おまえ、やけになるなよ」
「そうかもね…」
「そうかもって…だったら思ってもない事言うな!」
「…」
「帰るぞ」
「洋ちゃん」
「?」
「私ね…」
「…」
惠子は涙を拭いながら続けた。
「私、小さい時から洋ちゃんの…、へへ…、お嫁さんになるって思ってた。
子供の頃お父さんの本とか見たよね。小中でもいろいろ知ったし、
…初めては洋ちゃんだと思ってた。そうなれたらうれしいなって思ってた」
「…」
「あの時、強引にされて本当にショックだった。あれは嫌悪の対象にもなるって思った」
「…恵ちゃん」
「高校の時も彼氏いたけど、なんか違ったんだよね。
高校の頃は洋ちゃんの事、露骨に避けてたよね。ゴメンね」
「恵ちゃんが謝らないでよ」
「告白された時、本当はうれしかった。でも踏ん切りがつかなかった」
「俺…恵ちゃんがずっと好きだった。思えば恵ちゃんが隣りに越してきた時から。
高校で恋人ができたって知った時、もう、諦めようと決めた。
受験に失敗して、これでもう恵ちゃんに合わせる顔も無くなった。
大学諦めようと思った。悪い方に悪い方に考えるようになった」
「洋ちゃん…」
「今日連絡貰って、恵ちゃんに会って、もうちょっと頑張ってみようって思った」
自然と、本当に自然と涙が溢れてきた。
「キスして」
助手席に体を持っていき、唇を合わせた。
「ベッド回転してないね」
「うん」
「鏡もないね」
「うん」
「体逞しくなったね」
「そう?」
「うん」
「恵ちゃんも、綺麗だね」
「本当?変じゃない?」
「全然」
「うれしい」
−Crazy For You!!!−
大田市場から海底トンネルで臨海エリアに抜ける。前方にテレビ局。
「あ、そこのコンビニ寄ってくれる?」
「あ、うん」
「何飲む?」
「え、じゃあ烏龍茶」
「おっけ。ちょっと待ってて」
レジを待つ惠子が見える。自分でドアを開けた。助手席に座る。
ちょっと照れ臭い。
「はい。ハッピーバレンタイン」
コアラのマ○チ…
「これも好きだったでしょ」
レモンの飴。
そう言えばなんだかんだいって、あの時、飴をくれたのは一人だったな。
ずっと覚えてたんだ。
「帰ろ」
「うん」
下道はさすがに無理があった。こんな時間になってしまった。
夜明けが近い。地元の川に掛かる橋を渡る。恵子が口を開く。
「随分遠回りしたね」
「え」
「ドライブ」
「うん」
「それと…」
「それと?」
「私達」
3月14日には、とびきりのお返しを!
おわり