「これは・・・中々掃除のし甲斐がありそうですね。」  
そう咲野は呟いた。  
まあそうだろう。玄関先にまで本が積み重ねられ、廊下は埃だらけだ。  
窓にはヒビが入り、所々電球は切れ、障子は破れていないものを探す方が難しい。  
しかも屋敷は広い。全部で20以上の部屋があり、私の居室以外の全ての部屋がその状態である。  
 
因みに庭は荒れ放題で垣根も所々壊れている。  
近所の子供達にお化け屋敷と呼ばれる所以だ。  
 
「そうだろそうだろ。咲野さん。嫌だったら帰って良いんだぞ。御前にはそう言っておくから。」  
そう言うと咲野さんは笑って、その美しい黒髪を揺らしながらこう言った。  
 
「咲野のご主人様はご主人様なのですよ。帰る場所などありません。  
 帰れ、ではなくてさっさと着替えて掃除をしろ。と仰って下さい。」  
 
何でこんな事になったのか。  
それはつい2時間半前頃の事だ。  
 
*+*+*+*+*+*+*+*+*+  
 
「どれがいい?どれでもいいぞ。」  
 
くい、と御前が首を振る。  
目の前にはメイド服姿の伯爵家の使用人が15人ほど並んでいる。  
どれも通常、街中にいれば誰もが振り返るような麗しく若い娘達ばかりだ  
皆、背筋をピンと伸ばして黙って立っている。  
 
しかし何を言ってんだこの爺さん。  
どれがいいと言われてどれと決められる訳が無い。  
 
俺が答えられずに黙っていると伯爵が眉を上げて声を出した。  
「なんだ。気に入らんのか。」  
そう言ってメイド達をぎろりと睨む。  
 
「いや、気に入らないとかそういう訳じゃあなくって・・。困ったな。  
 大体うちにはおイネさんっていう使用人がいる事ですし。」  
 
「だーかーらーだな。拓郎。そのおイネさんは80超えて飯炊き以外に役に立たんのだろう?  
一日中台所に篭っているって話じゃないか。  
掃除だの何だのの家の中の細々とした事だの庭の手入れだの  
そういう事が全然纏まっとらんと稲葉が言っておったぞ。」  
 
「そりゃイネさんに脚立なんか上らせる訳にいかないですから。」  
庭の手入れなんかさせたら死んでしまう。  
 
「だろう。だからうちから連れて行けといっているんだ。うちのなら身元も確かだし、  
 専門の教育係が躾けているから教育も行き届いている。お前の役に立つだろう。」  
そう言ってどれだっていいんだぞ。とメイド達の方を指差す。  
 
「いやまあ、役には立ってくれるんでしょうが。」  
確かに家の事をやってくれるメイドは必要だが  
男1人の家にこんな若いメイドなんか入れたら噂になるだろ。  
御前の家には50人からの使用人がいるはずだ。  
それなのに見せてきたメイドが15人、それも若い女性ばかりのメイドだ。  
この爺さんの事だから絶対に碌な事を考えていない。  
 
「それに大体だな。お前もいつまで1人でいるんだ。  
男色じゃないのかってもっぱらの噂だぞ。  
恥ずかしいと思わんのか。結婚しろとは言わんが若いメイドの1人や2人雇って、手の一つでも付けんか。」  
 
伯爵がそう言うとメイドの1人がくすりと笑った。  
 
ほらそうだ。余計なお世話だ。助平爺め。  
と声にこそ出さないものの、視線に込めて答える。  
 
「御前、冗談もいい加減にしてください。そういうのが一番困るんじゃないですか。  
 男1人の家に若いメイドを連れて帰ったなんて。すぐに噂になりますよ。」  
 
「だからいいじゃないか。噂なんてさせておけば。お前は新貴族だぞ。  
 メイドの1人や2人、誰に憚る事もないだろう。言わせておけ言わせておけ。ほら連れて帰れ誰か1人。」  
 
「そういう事を言っているんじゃないのです。」  
 
「駄目だ!お前も新貴族になったのならそれ相応の構えを持つ必要がある。  
新貴族にとって相応の暮らしをするというのは義務だ。お前の我侭で済む問題ではない!」  
 
「でしたらメイドなり使用人なりは雇いましょうとも。でも御前のメイドはご勘弁下さいよ。」  
 
「ならん!」  
 
「なんでですか。」  
 
「ならんと言ったらならん!」  
 
千日手になりそうだと思ったのだろうか。その時声を上げたメイドがいた。  
メイドたちの中央よりやや右にいるどちらかというと背の低い、  
凛とした目つきと長い黒髪が印象的なメイドだった。  
スカートから伸びた足は真っ白で細く、その痩せている体系にメイド服がばっちりとはまっている、  
というのが彼女を見た最初の印象だった。  
 
「拓郎様、ご主人様は拓郎様を気に掛けてらっしゃるのです。  
 最近の口入屋は信用ならん。がご主人様の口癖ですから。」  
そう言ってくすくすと笑う。  
 
そのきっぱりとした物言いだけでなく、笑った時の花の咲いたような笑顔に引き付けられた。  
凛とした目元が笑うとにい、と下がって愛嬌が増す。得な笑顔だ。  
年の頃は18歳程度だろうか。少なくとも俺よりは下だろう。  
他のメイド達より多少若い感じだ。  
しかしその割には今の口の挟み方といい、凛とした感じを放っており、  
決して他のメイドに埋もれている感じはしない。  
 
「そうだ。最近の口入屋は信用ならん。条件を釣り上げるだけ釣り上げて、仕事がちょっとでもきついと直ぐに辞めてしまう様な奴ばかり紹介してくる。それに比べたらうちのなら身元も確かだし、教育も行き届いている」  
 
「御前が口入屋をなさったら如何です?」  
首をすくめながらの俺の言葉にメイド達がくすくすと笑う。  
 
「ああ、もう。お前が決められんのなら俺が決めるぞ。それでいいな!」  
「あ、いや、御前そんな。」  
ぶんぶんと手を振る俺を遮る様に御前は怒鳴った。  
 
「咲野!お前はどうだ。こいつの元にいくか!」  
 
答えたのは先ほどのメイドだった。  
「はい。ご主人様がそうお決めになられるのでしたら。」  
 
「お前はどうだと聞いているんだ!」  
割れ鐘のように怒鳴る。御前は最近少し耳が遠くなったようだ。  
 
断れ断れと視線を送ると咲野と呼ばれたメイドは少し考えた後、御前に答えた。  
 
「拓郎様の事は、何度も屋敷にいらしていた折にお見かけしております。  
 優しげな方であると思っておりましたし、お仕えする事に戸惑いはありません。」  
 
「よし、拓郎!こいつは良く働く。頭も回る!連れて行け!」  
同時に咲野と呼ばれたメイドが前に進み出て跪いた。  
「拓郎様、今後、どうぞ宜しくお願い致します。  
すぐに準備をして参ります。少々お待ちくださいませ。」  
 
「いやいやいやいやちょっと待って下さいよ御前!それに咲野さんとか、それでいいのかアンタ。」  
 
俺の言葉が聞こえてないかのように  
咲野さんと御前は  
「お世話になりました、御前。」  
「こいつらとは連絡を取り合い、何かあったら誰でも呼びつけて使え!」  
「はい、精一杯ご主人様にお仕え致します。」  
等々話している。  
 
「話聞いてくださいよ御前!いい口入屋なら私は知っているんです。  
 そこから爺さんの庭師と使用人かなんかを雇えば良いじゃないですか。  
 あ、準備してまいりますってアンタそれで良いのか。おい!なあ!なあって!」  
 
それが、2時間半前の事だ。  
彼女は本当に直ぐに準備をして、御前はほぼ無理やり彼女を俺に押し付けて俺を帰らせた。  
そして、今に至る訳だ。  
 
*+*+*+*+*+*+*+*+*+  
 
家に着き、おイネさんに挨拶をするなり咲野さんは良く働いた。  
 
何か失敗でもしたら直ぐに追い出すか、きちんと言い含めて帰ってもらおうかと思っていたのだがその俺の決心がかなりぐらつく位に。  
 
メイド服に着替えるなり咲野さんはまず家中の窓を開け、埃を払った。  
20以上の部屋数を見て一日で終わらないと直ぐに判ったのであろう。  
屋敷内をいくつかに分割してそれぞれ掃除をしなくてはいけません。  
今日はとりあえずご主人様の居室周りだけにさせて頂きますと俺に断った後、  
咲野さんは積みあがった本を片付け、床を拭き、  
そこらじゅうに散乱している服だのゴミだのを片付けに掛かった。  
 
又、目まぐるしく動いている最中のどこに時間を使うのかいつの間にか俺の目の前には入れたてのお茶を置き、  
御用聞きにヒビの入った窓ガラスの修理費を見積りや障子の紙と電球の注文、  
その全てを夕食までの時間のうちに済ませた。  
 
俺は文句を付けようと思っていた口を閉じ、茶を啜って黙って彼女の動きを見ているしかなかった。  
 
よし、おイネさんが飯を作っている間に帰るように言い含めようと思ったら咲野さんはいつの間にか台所に入っており、  
おイネさんとお喋りをしながらご飯の支度をしていた。  
いつもより2品ほど多い食卓の中、咲野さんは忠犬のようにじっと俺のそばに控え、  
一緒に食べればいいとの言葉には首を振った。  
飯はうまかった。  
 
おイネさんが洗い物を片付け、近くの自分の家に帰ると俺は暫く考えた。  
咲野さんが働いたのは今日からで、しかも午後の数時間だけだというのに家は綺麗になり、  
おイネさんはいつに無く楽しそうにしていた。  
メイドとしての能力に疑問の付けようはない。逸材であろう。  
口入屋は何人か知っているが、どの口入屋もこれ以上の人材を紹介してくれるとはとても思えなかった。  
 
週に一度程度通ってもらえるようにしたらどうだろうか。  
この勢いなら数ヶ月も後にはここも見違えるように綺麗になるだろう。  
 
そこまで考えてから俺は台所に行った。  
台所では咲野さんがご飯を食べていた。  
それを見て目を見張る。  
 
「何を食べてるんですか?」  
後ろから掛けられた言葉に驚いたのだろう。咲野さんは飛び上がった。  
 
「きゃっ!あっ・・申し訳ございません。何かありましたでしょうか?」  
慌てて裾を払って椅子から立ち上がる。  
 
「いや、今咲野さんが食べているそれ。」  
 
「咲野とお呼び捨て下さい。ご主人様。」  
それを無視して言葉を繰り返す。  
「何を食べているんですか?」  
 
咲野さんは俺の言葉に怯えたように食卓を振り返り、そして言った。  
 
「ご主人様のお残しになったものですが・・・いけなかったでしょうか。」  
食卓にはご飯と冷えているだろう味噌汁、  
それと俺が残した魚の煮付けの尻尾の部分があった。  
 
「御前の家ではいつもそんなものを?」  
 
そう聞くと咲野さんはこちらを見つめながら言った。  
「いえ、御前様の所では私のような住み込みのメイドは メイド用の食事を各自持ち回りで作っておりました。   
しかし御前様の家は使用人だけで60人の大所帯。ご主人様の家は私1人で御座います。  
 メイド用の食事を私1人の為に作るなどというのは燃料も材料も無駄で御座います。  
 という事情が御座いまして、失礼ながらご主人様の残されたものを頂いていたのですが。」  
申し訳ありません、何かいけなかったでしょうか。と言いながらこちらを見てくる。  
 
「いや、いけなくは無いが・・・味噌汁位、温めて食べれば良いじゃないか。」  
 
そう言うと咲野さんは当たり前の事を答えるかのように答えた。  
「ご主人様の為にでしたら温めますが、私の為でしたら不要です。」  
 
それで気持ちが萎えた。  
「ああ、くそ。咲野さん、あなた御前の所に未練は無いのか。  
 ここだって無い訳じゃないがあそこの方が金はあるし  
 今まで働いていた仲間だって一杯いるだろう。」  
 
そう言うと咲野さんは少しだけ笑った。  
「ご主人様。私は御前様の所から本日、お暇を出されました身で御座います。  
帰るところなんて御座いません。」  
 
すうと息を吸って、咲野さんは言葉を続けた。  
「それに、ご主人様は勘違いをなされているようです。  
咲野は、いえ、本日あの場にいたメイドは無理やり御前様に連れ出されたわけでは御座いません。  
最近、御前様もお年を召されて昔ほどお客様がいらっしゃらないので御前様の家ではあれほどの使用人は必要なくなっていたのです。  
ですから御前様は最近では良く私達の身の振り方を心配して下さっていました。  
そして本日御前様は私達メイドを呼んでこう言われたのです。  
ご主人様にはメイドが必要だ。と。そして行く気がある奴は顔を見せて選ばせるからわしの部屋に来い。と。  
御前様の所は仕事や躾はそれは厳しかったですが、  
他の家のようにメイドに対して暴力を振るったり怪我をさせたりするような事は決してありませんでした。  
その御前様のお言葉でしたから皆、決して間違いなどないと考えてその中でもご主人様にお仕えしたいと考えたものがあの場に集まったのでございます。」  
 
「そういう理由だったのか。」  
舌打ちをする。  
人手が余ったからって体よく俺に押し付けようとしてたのかあの爺さん。  
道理で口入屋みたいな口を聞くと思った。  
 
「しかし、集まった皆を見て、私は可笑しくなってしまいました。  
あそこに集まった皆が皆、ご主人様が御前様の家に来た折に  
ご主人様をお見かけしたり、ご主人様にお茶をお出しさせて頂いた事のある若いメイドばかりだったからです。」  
そう言って、ご主人様はおもてになるのですよ。と咲野さんはくすくすと笑う。  
 
「ですから、ご主人様がお気になさる事はありません。  
あそこにいたのは御前様のお言葉を聞き、  
自らの意思でご主人様の所にお仕えしたいと望む者ばかりでした。  
今日、御前様の所よりお暇する折、御前様は私にご主人様なら何の心配も要らない。  
必死で尽くせと仰られました。」  
 
面映い話をされて顔が赤くなってくるのが判って俺は無理やりに乱暴な口を聞いた。  
「大事なのは君がどうだったかという事だ。君はどうなんだ。」  
 
しかしこれは薮蛇だった。  
咲野さんは俺の顔を見てきっぱりと言った。  
「私も同じで御座います。  
ご主人様はご存じないかもしれませんが、何度か御前様の屋敷でお茶のご用意をさせて頂いたり  
上着を預かったりとご主人様のお相手をさせて頂きました。  
そして今日、ご主人様の所でお仕えしたいと思ったから手を挙げたのです。  
どうか、帰れなどと仰らないで下さい。一生懸命お仕え致します。  
咲野はメイドとしての仕事や躾に関しては一通り習っております。  
住み込みで働かせて頂ければ、お給金はいくらでも構いません。  
決してご迷惑はお掛け致しません。  
不束者ですが、どうか、これから宜しくお願い致します。」  
 
そしてすっと頭を下げる。  
このメイドは、意外としたたかなのかもしれない。  
これを言わせてはならなかった。  
ここまでされて、俺が何を言えるか。  
言える訳が無かった。  
きっと今、俺は苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろう。  
暫く考え、俺は搾り出すように言葉を出した。  
 
「部屋はどこでも好きなのを使ってくれてかまわない。都合の良い所を選んでくれ。  
明日朝は6時半に起きる。7時には家を出るからその様に準備してもらいたい。」  
 
そこまで言って彼女に背を向ける。  
はい、承りました。という声が後ろから聞こえる。  
台所から出る瞬間、くそっ。言い忘れた事を思い出して舌打ちする。  
振り返ると彼女はまだ立ったままでこちらを見ている。  
出来るだけ苦虫を噛み潰したような顔をしていない事を心がけてから。  
そして言った。  
 
「後、これは約束してもらいたい。これから飯は2人分作れ。」  
 
 
 
 
了  
 
 

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