「オッス!オレ、鬼!アンタにチョコを届けにきたぜ〜!」  
「帰れ」  
 
バレンタインデー?けッ!!…などという本心とは全く異なる言動をしながら、家で一人寂しくゴロゴロしていた俺は、  
突然玄関のチャイムを鳴らされ、来訪者を出迎えた。…そして後悔した。  
 
「なにぃ!?尋ねてきた人にいきなり『帰れ』はないっしょ〜!」  
「…ああ、それは確かに…お帰りください」  
 
今日はセントバレンタインデー…女の子がチョコをくれても(世間的には)おかしくないし、俺も(すさまじく)喜ぶだろう。  
だが来訪者よ、テメーからは色々な意味でダメだ。もらいたくないしお近づきにもなりたくない。  
まずこいつと俺は初対面。怪しい。何かの勧誘か、もしくは俺を貶めようとしている誰かの陰謀としか思えない。  
…勧誘には思えない、しかしそれ故に更に関わりたくなくなる、そんな格好をこの「女」はしている。  
 
そう、女。男口調の女。見た所、大学二年の俺と同い年か少し下くらいの。  
足にはサンダルのようなもの、グレーに黒の、横縞柄のホットパンツ。ヘソは出てるし、着てるタンクトップは黄色に黒の縦縞柄で目に痛い。  
おっぱいはそれなりに出てるし、なんか強気っぽい顔してるし、しかも赤い髪の毛のショートカット、コスプレなのか、  
二本の角が生えてるし。  
怪しすぎる。このくそ寒い季節に、こんな格好で布教や勧誘にくる奴もいないだろうし…。  
 
そんな俺のいぶかしみを知ってか知らずか、女は勝手に合点した。  
「…あー、そうか、いきなり言われても、訳分からんよなー」  
当たり前だろ。そんな事もわからなかったのかお前は。そんな言葉を飲み込みつつ、  
「ええ、わかりません。それで結構ですので、お帰りください」と、丁重にご帰宅をお願いした。  
「まぁ聞けよ!…あ、ここだと話しにくいから、ちょっと中に失礼するぜ」  
いや、お前が聞けよ。…っていうか勝手に入ってくんなよ!警察呼ぶゾこらぁ!…そんな事を言える強い人になりたい。  
「ちょ、ちょっと…」  
彼女はズカズカと、俺の部屋の中へと入ってきたのだった。  
 
女は堂々とあぐらをかいて、部屋のど真ん中に居座る。  
「オレの名はサキ、小鬼って書いてサキな。よろしく♪」  
 知らんがな…。さっさと帰れよ…。  
「で、オレが何でアンタのトコに来たかって言うと、チョコレートを渡すためと、あと一つの用のためなんだな、これが」  
 で、それが何で部屋に入り込んでるんだ?…知りたくもないけど。さっさと帰れ。  
「アンタ、節分の日に、豆をまかなかったろう?オレの一族は、そういう人にお礼参りして回ってるんだ」  
 うわお、出たよ出たよ、思春期特有の妄想癖だよ。豆をまかなかったってのは正解だけど、まぁ偶然だろう。  
…にしても、お礼参りって。  
「つっても、最近は豆をまかない人の方が多いくらいなんで、抽選制なんだけどな。で、その一人として、アンタが選ばれた」  
「はぁ…そうなんですか、で、チョコレートのプレゼント、と」  
…付き合ってやるか…満足すりゃ去るだろ。  
「うん、男にはな。女には化粧品セットを。…まぁそれはいいや、で、コレ」  
 
そう言うと、女はさっきから持っていた紙袋のようなものを、俺に手渡してきた。  
中を覗いて見ると、包装された、長方形の箱のようなものがあるのがわかる。  
「開けてみ?開けてみ?」  
女は俺に、開封を促す。…妙にソワソワしてるな、なんでだ?…とりあえず俺は、箱を取り出し包装を解いて、蓋を開けた。  
…中には、ハートマークの形をして、大きく「義理」と書かれたチョコ…ではなく、  
丸い形のちょっとした装飾を施された、可愛らしい一口サイズのチョコレートが、ぎっしりと詰まっていた。  
 
「見た目どーよ?」  
不安そうな顔でそんな事聞かれても。…まぁ不味そうではないが、しかし渡してきた奴が奴だけに、うかつに食べられない。とりあえず、  
「美味しそうですね」  
と、まぁ、俺が正直に言うと、彼女は喜びの表情を浮かべた。…一瞬可愛いと思っちまった、まずい。  
「ありがとう!そっか、美味そうか〜、よかった!」  
「…どーも」  
「な!味も確かめてみてくれよ!きっといいはずだぜ!」  
一瞬、思考が停止した。その後俺を襲う心臓の高鳴り。女はそんな俺の様子を見て、再び不安そうな顔を浮かべた。  
「あれ、どうした?…食いたくないのか?もしかして…さっきのは嘘だったのか?」  
「いや、それは違いますけど…」  
「んじゃあ食ってみせてくれ!…頼むよ、実際に確かめてみてほしいんだ、アンタに」  
いくら怪しすぎる女とはいえ、しおらしくそんな言葉を言われて拒否する訳にもいかない。俺は、  
震える手でチョコレートの一個をつまむと、そのまま口の中に一気に放り込んだ。半ばやけくその気持ちで。  
 
噛み砕いて、味を確かめていく。どうやらこのチョコレートは、中になにか芯のようなものがあるようだ。  
そう嫌な味ではないので、おそらくナッツか何かの類なのだろうが、やはり、先入観のせいか得体が知れない。  
目の前の女のせいで、吐き出して正体を確認する事もできず、俺は口内のチョコレートを全て飲み込んだ。  
そして、俺が飲み込んだ事を確認すると、女は、  
「美味かったか?どうだった?」  
と、何か深刻な問題でも起きたかのような、切迫した、かつ興味津々な表情で聞いてきた。…俺は、その表情に対して嘘がつけず、  
「…美味かった、です」  
と、正直な感想を述べた。…うん、得体の知れないものを除けば、文句の無い出来だった。お世辞抜きで。  
それを聞いた、女は…うつむいて、体を震わしている。  
戦々恐々とした俺が、なにか声をかけようとした直後、彼女は勢い良く立ち上がり、そして  
 
「ぃやったぁーーーーーーーーーっ!!」  
地の果てまでも届きそうな、巨大な雄叫びを上げ、両拳を高く天に突き上げていた。  
 
俺は反射的に耳を押さえ、うずくまっていたが、彼女に両手を取られ、無理やり立たされた。  
見るとその表情は、嬉々としている。はち切れんばかりの笑顔であった。  
「ありがとうありがとう!ホンッ、トありがとう!!」  
そうやって勢い良く礼を述べる彼女に、俺はただ、たじろぐばかり。  
「すっげえ不安だったんだけどさー!初めて作ったチョコだったから!!」  
「は、はぁ…」  
「だからその…あんがとう!!美味いって言ってくれて!いやー、よかった、よかった!!」  
はしゃぐ彼女に俺はただただ、呆然とするばかり。  
 
そんな俺の心情も顧みず、彼女は事態の理解を、更に困難にさせる一言を発した。笑顔のままで。  
「うん!アンタとなら、一年間、一緒にいても問題なさそうだ!」  
…言っている意味が分からない……イカレてるのか?一年一緒?  
「あの、それはどういう…」  
「ああ、すまん、言ってなかったな」  
は?  
「オレ、アンタの家に住んで、一年の間守るんで、よろしく」  
「は!?」  
何を言い出してるんだ、このイカレ女は!?  
 
…頭のおかしいらしい彼女によれば、豆撒きをしないという事は、鬼を招き入れる合図という事らしい。  
そこで、招き入れられた彼らはお礼を渡し、それを前金代わりとして、次の春の節分まで家に住まわせてもらうのだとか。  
昔はそれこそ、生き抜くための大事な行事だったそうだが、衣食住・仕事もあまり不便の無い今は、単なる成人儀式なのだそうだ。  
「それで、抽選でアンタが、その担当でオレが選ばれちゃってさー、正直不安だったんだよねー!嫌な奴ならどうしようって!」  
そんな軽いノリで言われても…俺はそこまで聞いて、頭を抱えた。最初に説明しろよ、そういうの…。  
 
俺は、さっさと核心をついて、彼女を帰らせる事にした。  
「…まぁ、わかりました」  
「そっか!んじゃぁ…」  
言わせるかこの野郎、いや、尼か。  
「けど、今のままじゃ、単なる妄想話にしか聞こえません」  
「何!?」  
彼女の表情が怒りの色を帯びた。おお、鬼気迫るとはこの事か。怖い怖い…ホントに怖い。  
「証拠を見せてください。あなたが鬼であるという証拠を」  
見せられる訳が無い。鬼なんて実在しないからな。  
「…ったく、角もあるってのに、不信心だな…こんなのでいいか?」  
呆れたような表情をした彼女は、俺をひょいと、大きな指でつまんで持ち上げた。…え?大きな指で、つまんで持ち上げた?  
即座に事態を理解し、即座に混乱した俺は、女のいた方向に意識を向けた。そして視た。  
 
そこに、元の女はいなかった。代わりに、部屋の四分の三を埋め尽くそうかという、巨大な、角の生えた女。いや、女かどうかも…。  
『彼女』は体育座りをし、天井ギリギリで首を90度に近い角度に曲げ、窮屈そうにしながら、片手の指で俺の首をつまみ  
持ち上げている。持ち上げられた俺を、『彼女』の大きくなった目が見つめている。  
俺は、声が出なかった。放心状態であったから、かもしれないし、恐怖でそれどころではなかったから、かもしれない。  
「…さっきから思ってたが、美味そうだなぁ〜…食っちまうかぁ〜…?」  
そう言った『彼女』の、獰猛な笑顔を見て、俺は…情けなくも気絶してしまった。  
ああ、『鬼』が人を食うというのは本当の話だったのか、などと思いながら。  
 
 
 
 
「おい、起きろ!」  
俺は、何者かに軽く頬を叩かれ、目を覚ました。瞼を上げて、何者か確認してみると、  
「…よかった、起きたな」  
それは、元通りになった女であった。仰向けの俺に馬乗りになって、俺の顔を見つめている。  
先ほどの光景がフラッシュバックした俺は、思わず声にならない悲鳴をあげてしまう。  
「…なんだよ、たくっ…証拠を見せただけじゃねえかよ…」  
「た、頼む!食わないでくれ!頼みますから!!」  
恥も外聞も無く、俺は必死に命乞いをする。  
「別に人を食いやしねえよ、さっきのは冗談だっての…」  
冗談で気絶させられたらたまったものではない。俺は安堵するとともに、怒りを…覚える前に、彼女の顔を「意識」してしまった。  
 
申し訳のなさそうな表情を浮かべた彼女の顔を。  
「…悪かったな、ちょっとやりすぎちまって、さ」  
彼女の謝罪を聞いてしまった。…こうなってしまうと、どうしても怒りきれない。もはやため息をつくしかない。  
…不完全燃焼した激情を、排出するため。そして、彼女は鬼、らしい、という事実を確認してしまった事にたいして。  
という事は、今までの話も真実、らしい、という事で…。  
 
ふたりそろって座った状態になり、しばらく沈黙が続いた後、俺はおもむろに口を開いた。  
 
「………なぁ」  
「お、おう?」  
彼女は急に呼びかけられて、少しうろたえながらも返事をした。  
「あんた、一年一緒にいると言ったけど、金とかどーすんだ?二人分の食費なんて、俺は稼げないぞ?」  
「!…いや、バイトもするし、仕送りもある」  
…仕送りかよ。鬼の世界にもあるんだな。  
「…わかったよ……その…サキさん?だっけ?」  
「呼び捨てでいいって、同い年くらいだし」  
「そう…か、んじゃ…サキ」  
「おう」  
 
「…これから一年、よろしく」  
信じざるを得ないって、あんなの見せられたら…嘘でも本当でもさ。…悪いやつでも、なさそうだしな。  
サキは一瞬ポカンとし、直後にぱっとしたうれしそうな顔を浮かべた。…そして、そのまま自信たっぷりな笑みを作ると、  
 
「おう!これから一年、きっちり守ってやるぜ!」  
そう、力強く宣言したのだった。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ぐしゃぐしゃになった部屋を確認して、俺がドン底まで落ち込むのは、その数秒後の事。  
そして、「無理やりでも断ればよかったな」と後悔したのは、ほぼ同時だった。  
 
なお余談だが、後日、チョコレートの中身を聞く機会があった。サキ曰く、「大豆」らしい。  
理由は彼女の大好物だから。  
 
「鬼が豆好きなのかよ…」  
「何言ってんだよ、そりゃ確かにぶつけられるのは嫌だけど、そんなのどんな食い物だって一緒だろ?」  
だ、そうな…。  
 

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